Track5:Bohemian Rhapsody

5-1

 大広間でお酒を飲んでいた佐倉さんと近藤さんに「用事が出来ました」と言い残し、僕は家に帰った。

 マコトさんには何もしないでいてくれるよう頼んだ。僕から連絡を取るまでしばらく関わらないで欲しいとも頼んだ。頼みを聞いたマコトさんは「分かった」と頷き、「区切りがついたら必ず連絡しなよ」と僕の頭を撫でた。

 日曜、母さんとスマホを修理に出しに行った。修理期間は二週間。代替機のスマホを受け取り、サーバーで確認できなかった期間のメールをチェックする。三浦さんからのメールは一通も来ていなかった。アドレス帳は復帰できなかったから、こちらから送ることも出来ない。送れたとしても、送らなかっただろうけど。

 ミスター・ファーレンハイトのことは考えないようにした。送られてきた住所は茨城県の海沿い街。行こうと思えば一日で行ける。だけどどうしても行こうと思えない。相変わらず、メッセンジャーでオフラインを確認する以外には何もしなかった。

 そして、月曜。

 僕と三浦さんは一言も会話を交わさなかった。何度か目は合ったけれど、合った瞬間に逸らす。廊下ですれ違う時は顔を背ける。そんなことが一日中続いた。翌日も、その翌日も、それは全く変わることは無かった。

 木曜、食堂でカレーを食べている僕の前に小野が現れた。

 小野はまるで最初から約束をしていたかのように、僕の向かいにドカッと座った。それだけで愉快な話ではないのは分かった。前置きなしに話が始まる。

「お前さ、三浦と別れたの?」

 僕は黙々とカレーを口に含んだ。糊になるんじゃないかと思うぐらい噛む。そうやって散々溜めてから、はぐらかす。

「三浦さんに聞いたら?」

「女に答えさせるのかよ。お前、本当にクソだな」

 敵意剥き出し。嫌いじゃない。近藤さんのように悪意なしに責めてくる人間よりずっとやりやすい。敵意を返せばいいんだろ?

「そんなクソに構ってる時間がもったいないと思わない?」

 小野が、チッと大げさに舌打ちをした。

「俺だって亮平のことがなけりゃ、お前になんか構わねえよ」

 だろうな。小野は本当に友達想いだ。自分周辺が幸せならそれでいい。典型的な、世界を簡単にして理解するタイプ。

「ねえ」僕は軽い微笑みを浮かべた。「なんでそんなに亮平のことが気になるの?」

 小野が「は?」と眉をひそめた。僕はさらに笑みを深める。お前をコケにしているんだとちゃんと分かるように。

「亮平のことが好きならちゃんと告白すれば? ちんこ揉まれてるうちに勘違いして好きになったって」

 椅子に深く腰かけ、肩を竦め、余裕ぶりながら言い放つ。

「まあアイツ、スキンシップ激しいだけのノーマルだから、フラれるだろうけど」

 小野の顔が憎々しげに歪んだ。激しい音と共に椅子から立ち上がる。動物が毛を逆立てて自分を大きく見せるように、肩をいからせて僕を見下ろす。

「お前と話しても無駄みたいだな」

 そうだよ。その通りだ。分かってくれたようで、僕は嬉しい。

「気づくのが遅いよ」

 小野がテーブルの足をガンと蹴り、乱暴な足音を立てて立ち去る。ああいう風に敵味方はっきりと区分して生きられたら、それはそれで幸せなのかもしれない。そんなことを考えながら、僕はカレーを口に運んだ。


    ◆


 放課後になったら、即座に学校を出る。

 音楽プレイヤーでQUEENを聞きながら駅に向かう。駅に着くまでに流れた曲は『セイブ・ミー』と『アンダー・プレッシャー』。それなりに心を読んだ選曲。

 駅のホームで電光掲示板を確認する。電車が到着します。メッセージを読み、白線の内側で待つ。世界をビリビリ揺らしながらやってくる電車を眺めながら、線路に身を投げる自分を想像する。それもいいかもしれないなんて、ほんの少しだけ思う。

 股間が揉まれる。

「純くーん。一緒に帰ろー」

 危うく、つんのめって本当に飛び込みそうになった。僕はイヤホンを外して音楽プレイヤーをポケットにしまい、口を尖らせる。

「危ないでしょ。場所を弁えてよ」

「ごめーん。二人きりだと思ったら、つい」

 停まった電車に亮平と乗り込む。車内はガラガラだった。入ってすぐのシートに二人並んで座る。

「今日、早いね。部活は?」

「今日は休み。そんで純くんと一緒に帰ろうと思ったんだけど、気づいたらいないんだもん。帰るの早すぎでしょ」

「だってやることないし」

「やることなくたって、ダラダラ話したりするもんだろー」

 亮平の声のトーンが、わずかに下がった。

「特に、彼女持ちは」

 僕は黙った。僕と大して仲良く無い、三浦さんことが好きというわけでもない小野が気づいたのだ。亮平だって、きっと気づいている。

 電車が揺れる。ガラガラの車内に沈黙が広がる。亮平が、独り言みたいに呟いた。

「今日、いつもの公園寄ろう」

 僕は頷いた。中吊り広告を見上げながら、何を話せるか考える。何を話したいかじゃなくて、何を話せるか。僕はいつだって、そういう奴だ。


    ◆


 公園には小さな子どもがたくさんいた。砂場で砂山に木の棒を刺して、棒が倒れないように順番に山を崩す遊びをしている子どもたちを見て、亮平が「オレらもあれよくやったなー」と呟く。「いつも亮平が倒してたよね」と僕は答える。亮平は、へへへという感じで照れくさそうに笑った。

 僕たちはベンチに座った。亮平が鞄からコンビニで買ったペットボトルのコーラを取り出して飲む。そしてわざとらしいげっぷをする。

「純くんも飲む?」

「炭酸嫌い」

「あー、そうだった」

 他愛のない会話の後、亮平が身体をわずかに前に傾けた。

「あのさ。オレ、純くんに相談したいことがあるんだ」

「相談?」

「うん。今宮に告白された」

 はい、お前の負けー。

 砂場から男の子の声がした。木の枝がころりと砂の上に転がっている。負けと言われた男の子が公園の外周を走り始めた。どうやらそれが罰ゲームらしい。

「どうすればいいと思う?」

「どうって言われても……亮平は今宮さんのこと、好きなの?」

「好きか嫌いかで言われたら好きだけど――そういうんじゃねえよ」

 でもちんぽこは勃つんだろ。だったら大丈夫。付き合えるよ。僕が保証する。

「――亮平の好きにすればいいよ」

 相談した甲斐が全くない返事を渡す。だけど亮平は「そうだな」と強く頷いた。

「確かにその通りだ。だからオレ、フッちゃった」

 事後相談。亮平がまたコーラを飲み、げっぷをした。

「そしたら今宮に謝られた」

「今宮さんが亮平に謝るの?」

「ああ。オレが三浦のこと好きなの、気づいてたんだって」

 ――今日、お前を誘おうって言い出したのは今宮だ。

 遊園地で小野から聞いた言葉。ああ、つまり、あれは――

「ひでーよな。オレの気持ちを知って、純くんと三浦が上手く行くように手伝いさせてんだから。女ってこえーわ。やっぱオレ、純くんと結婚する」

 亮平が僕に抱き着いた。筋肉質な身体の固い感触が、夏服のシャツ越しに伝わる。近くにいた女の子が「きゃー」と黄色い声を上げた。腐女子予備軍。

「見せもんじゃねーぞ」

 亮平が女の子に悪態をついた。そして僕から離れ、ベンチの背もたれに身体を預ける。

「まあ、いいけどな。オレも三浦が純くんのことを好きなのは、今宮に言われる前から分かってたし。好きな相手が何を見てるのかって、やっぱりどうしても分かるよな」

 亮平が身体を起こし、僕を下から覗き込んだ。

「純くんは三浦のこと、好きなのか?」

 好きだよ。

 好きだ。僕は三浦さんのことが好き。今はすれ違っているだけ。だから心配するな。これ以上、僕の心に踏み込むな。お前には本当の僕を、汚くて気持ち悪い僕を見られたくないんだ。

 僕は、首を横に振った。

「分からない」

 強がりすら口に出来ない。疲れ切ったボクサーのように、腕をだらりと下げて俯く。亮平が僕の丸まった背中を軽く叩いた。

「その純くんの分かんない感じ、三浦にもきっと伝わってると思うんだ。今宮がオレを、オレが三浦を見破ったように、三浦もきっと純くんを見破ってる」

 見破っている。三浦さんが、僕を。

「だから、今の純くんを素直に丸ごと伝えればいい。どーせバレてんだから取り繕ってもしょうがねーでしょ。それでどう転んだって、それはもう運命だ」

 どうせバレている。だから伝えればいい。自分を丸ごと。

 仲間以外、誰にも言ったことはない。

 母さんにも、亮平にも、他のどの友達にも明かしていない。僕がどういう人間なのか誰も知らない。それを三浦さんに知ってもらう。分かってもらう。

 初めてのカムアウト。

「……分かった」

 顔を上げる。真っ直ぐに前を見て、決意の言葉を吐く。

「やってみる」

 亮平が「ガンバ!」と僕の股間を揉みしだいた。さっきの女の子がまた「きゃー」と黄色い声を上げる。僕は亮平の頭を、パンと勢いよく叩いた。

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