4-3
お台場で会った三浦さんは、いつものポニーテールを解いていた。
温泉に行くから解いて来たそうだ。佐倉さんは長髪をばっさり切って、セミショートぐらいまで短くしていた。近藤さんは茶髪が金髪に近い色に変わっていた。みんな雰囲気が少しずつ変わっていて、僕だけが前に進んでいないような錯覚を覚えた。
「サエちゃん、そういうのもかわいいね」
「えー、そうですかー。ありがとうございます」
佐倉さんに髪型を褒められた三浦さんは、上機嫌に声を弾ませて僕に尋ねた。
「安藤くんは、どっちが好き?」
どっちでもいい。大差ない。――それは彼氏の言葉ではない。
「どっちもかわいいよ」
無難な言葉を選ぶ。佐倉さんが「惚気てるねえ」と僕をからかい、僕は照れたようにはにかんで見せた。とりあえずは正解。ただ三浦さんは、何だか不満そうだった。
僕たちは昼食を食べたり、ショッピングをしたりしてから、温泉に向かった。江戸時代を意識した和風の雰囲気が特徴的な温泉施設。施設は大きく、お風呂よりもそれ以外のスペースの方がずっと広い。温泉テーマパークなどと自称しているようだ。
受付で入館料を払って、館内での支払いに使うバーコードとロッカーキーのついたリストバンドを受け取る。そして館内着の浴衣を選ぶ。僕は白黒縦縞模様の浴衣を選んだ。三浦さんは朝顔の花が一面に描かれた浴衣を選んだ。佐倉さんはあちこちの和風の紋様が散りばめられた赤い浴衣を、近藤さんは同じコンセプトの青い浴衣を選んだ。
浴衣を受け取った後は受付傍のロッカールームで着替える。僕と近藤さんがロッカールームを抜けた時、まだ三浦さんと佐倉さんは来ていなかった。内装として設置された物見櫓を眺めながら、二人並んでそれぞれの彼女を待つ。微妙に気まずい。
「あのさ」近藤さんがポツリと呟いた。「ここ選んだの、君なんだってね」
世間話。僕は首を縦に振った。
「はい」
「やっぱり彼女の湯上がり浴衣姿が見たいとか、そういう理由?」
「――はい」
微妙に間が空いた。近藤さんは気にしない。
「どうして付き合うことになったの?」
「告白されました」
「青春だねえ。でもこれから大変だよ。キモいホモイベントに付き合わされるから」
近藤さんが苦笑いを浮かべる。僕も苦笑いを返す。近藤さんは場を和ませようとしているだけ。近藤さんは悪くない。僕が悪い。
「アイツのせいで俺も無駄にホモに詳しくなっちゃってさ。こういう銭湯で脱衣所の鍵を足首につけてる奴いるじゃん。あれ、ホモサインなの知ってた?」
知ってます。男の同性愛者が出会ってセックスするための施設をハッテン場と言うのですが、そこではロッカーキーが左右の手首足首どこについているかで、男役のタチ、女役のウケ、どっちも出来るリバなどを区分するそうです。行ったことはないですけど。
「いえ」
「だよなー。俺、それ知ってから銭湯入ると鍵の位置確認するようになっちゃってさ。これまたホモが結構いるんだわ」
そうですね。人類の十人に一人は同性愛者だという説もあります。銭湯の男風呂ならばそれなりに見かけてもおかしくありません。僕もそうですけど、どうもそういう人たちって、サウナとか銭湯とか好きな人が多いみたいですし。
「そうなんですか?」
「むっちゃいる。でもあいつら、別に勃起してねえんだよな。俺が女風呂入ったら絶対勃つのに。何でだろ」
分かりません。僕も勃起はしませんが明確な理由は答えられません。『なぜホモは銭湯で勃起しないのか?』というタイトルで新書を書けば売れるんじゃないかと考えたこともあります。確実に発禁だと思いますが。
「不思議ですね」
「だよな。でもホモと同じ湯船には入りたくねえよな。AIDSに感染とかしたらマジで洒落になんねえし」
感染するのはAIDSじゃなくてHIVウィルスです。HIVウィルスの感染力は弱いので同じ湯船につかった程度では絶対に感染しません。そんなことで感染していたら世界中HIVだらけで大パニックですよ。少し考えれば分かるでしょう。馬鹿ですか。髪の毛と一緒に脳みそもブリーチしちゃったんですか。
――落ち着け。近藤さんは悪くない。悪いのは、僕。
「お待たせー」
佐倉さんの声。振り向くと、浴衣姿の佐倉さんと三浦さんが立っていた。三浦さんがはにかみながら僕に声をかける。
「どう?」
「どうって……何が?」
「浴衣」
三浦さんがショーモデルのようにくるりと回った。肩まで伸びた髪と、朝顔をあしらった浴衣の裾がひらりと揺れる。見て見て、かわいいでしょ。そういう仕草。
「すごくかわいいよ。似合ってる」
素直に褒める。三浦さんはきょとんと目を丸くした。それから思いきり眉をひそめ、不審な態度を全開に言い放った。
「今日の安藤くん、気持ち悪い」
◆
合流した直後に解散。僕たちは男女それぞれの大浴場に向かった。
入口でタオルを受け取って脱衣所に入る。裸の男たちがひしめきあう光景に得した感を覚え、すぐ隣で服を脱ぐ近藤さんの割れた腹筋を見て「いい身体だな」と思う。だけどやっぱりセンサーは、抑えるまでもなく反応しない。不思議だ。
浴場に入り、まずは頭と身体を洗う。それから露天風呂に向かった。入る前に湯船をぐるりと見回す。あの人は、いない。
――まあ、いない方がいいか。
湯船の中でだらりと足を伸ばし、腕を広げる。輪郭が溶けて液体になる感覚に、うっとりと目を閉じる。ずっとこのままこうしていたい。考えなくてはならないこと、全て放り投げて、このまま――
湯船の中の左手に、誰かの指が絡んだ。
「こんなところで何をしているんだ」
聞き覚えのある低い声に、ビクリと身体が震えた。おそるおそる左を向く。いつになく険しい表情で僕を睨むマコトさんが、僕のすぐ隣にいた。
「……デート。告白されて付き合ってるって言ったでしょ。その子と」
「どうしてここを選んだ」
「印象に残ってたんだ。ごめん」
嘘ではない。だけど真実でもない。マコトさんの家族を見られないだろうか。そういう気持ちは、確かにあった。
「……まあいいよ。思いがけず純くんに会えたのは、ラッキーだ」
繋いだ手を、マコトさんがギュッと握った。
「ずっと前からいるのか?」
「ううん、来たばっか」
「じゃあ、まだしばらくいるわけだ。上手く行けば、純くんの彼女が見られるな」
マコトさんの指が、僕の手の甲をつうと撫でて離れた。センサーに反応あり。温められた全身の血液が下半身に流れ込む。
その流れを堰き止めるように、マコトさんが僕のセンサーを掴む。
溶けかけていた身体が、一気に輪郭を取り戻した。マコトさんは素知らぬ顔をして、僕のセンサーを磨くように擦る。伸びきった茎を上から掴み、親指で先端の表側を、ひとさし指で裏側をこしこしと撫でる。
顔が、身体が、内臓が熱い。絶対に、温泉だけのせいじゃない。
火照る――
マコトさんの手が、パッと僕の股間から離れた。
安堵と名残惜しさを同時に覚える。マコトさんは僕から顔を逸らし、露天風呂の出入口に目を向けていた。同じ方向を見る。襟足の長い、うっすらと腹筋の割れた、高校生ぐらいの少年が僕の視界に入る。
マコトさんと少年の視線がぶつかる。少年はすぐにぷいと顔を逸らし、同じ湯船の遠くに浸かった。
ああ、なるほど。
息子か。
少年をじっと観察する。父親に似た切れ長の瞳。今は湯船に身を沈めているけれど、さっき見た身体は無駄な肉のついていない美しいものだった。女にも、男にもモテそうなタイプの少年だ。
横目でマコトさんを覗くと、僕から距離を取り、僕でもなく息子でもなく空を見上げていた。今は佐々木誠だから無視しろ。そういう素振り。
僕もマコトさんから視線を逸らした。そして何となく、露天風呂の出入口を眺める。やがてガラス扉ががらりと開き、ハンドタオルを肩にかけ、やたら大きなちんぽこを見せつけるように丸出しにした男が入ってきた。
近藤さん。
目が合った。近藤さんは「目が合ったから仕方ない」とばかりに僕に歩み寄る。来なくていい。というか、来ないでくれ。祈りは届かず、近藤さんは僕のすぐ隣に来ると、親指で室内を指さしながら話しかけてきた。
「さっきサウナ行ったんだけど、二人いたよ」
「……二人?」
「ホモ」
左から、ザバァと水面が破ける音がした。
立ち上がったマコトさんが、僕の前を通って露天風呂から出て行く。通り過ぎる時、マコトさんは一瞬だけ冷ややかな目で僕を見下ろした。確かにデートのようだね。そういう表情。
「しかも一人は隣座りやがってさ。触られるんじゃねえかってビビったわ」
「……へえ」
「でもやっぱこういう場所のホモは目線が独特だよな。周りと全然違うの。あれなら手首に鍵つけてても分かるね」
全く、何一つ、分かってないですよ。僕は愛想笑いを浮かべる。足首に鍵をつけた坊主頭の男が、ガラス扉を開いて入って来た。
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