2-3
遊園地へは、新宿駅から高速バスで行くことになった。
僕が集合場所の新宿西口交番前に到着した時、そこには小野と小野の彼女がいた。小野の彼女はミニスカートを履き、長く伸ばした髪に軽くパーマをかけ、やたらめったらおっぱいが大きかった。いかにも女の子という感じだ。
「私、トイレ行ってくるね」
軽く挨拶だけ済ませた後、小野の彼女は小野にそう言って場を離れた。後には小野と僕が残される。そして僕は気づく。僕は、小野と亮平抜きで話をしたことがない。
何を話せば良いだろう。考えて、何も話さなくて良いという結論に至った。小野だっていきなり話しかけられても困るはずだ。黙って口を閉じる。
「安藤」
小野の方から声かけ。予想外。僕は振り向いた。
「お前、亮平とは十年以上の付き合いなんだよな」
「そうだよ」
「あいつ、女と付き合ったことってあんの? 教えてくれねえんだけど」
僕は眉をひそめた。質問の意図が分からない。
「あるよ。亮平、モテるし。割とすぐ別れちゃうけど」
「なんで?」
「さあ。告白されるばっかりで、自分の好きな子と付き合ったことはないから、普通に合わなかったんじゃない?」
亮平はモテる。人懐っこくて明るい性格、それがよく出ている柔和な顔立ち、引き締まった身体やスポーツマンなところも高得点だ。だけどなぜか、本命とはことごとく上手くいかない。微妙な距離感を保ち続け、そのうちに告白して玉砕したり、好きな子が別の男と付き合い出したりして失恋する。亮平は「オレはつまり、オレのことを好きじゃない子が好きなんだよな」とぼやいていた。
僕は失恋した亮平を何度も慰めた。そして何度も「オレもう純くんと結婚する!」と抱きつかれた。その度に僕は、どさくさに紛れて自分の全てを明かしてしまいたい衝動に駆られ、だけど明かせず、現在に至っている。
「じゃあ好きな子と付き合えれば、長続きするわけだ」
「それはまあ、そうだろうね」
小野は何が言いたいのだろう。もしかして小野も三浦さんと同じように、亮平を同性愛者だと勘違いしかけているのかもしれない。だとしたら否定してやった方がいい。その可能性はゼロとは言えないけれど、僕の見解では限りなく低い。
口を開こうとする。だけどそれより早く、小野が喋った。
「もし」小野の鋭い眼差しが、僕の眉間を射抜いた。「亮平に好きな相手がいて、協力してくれって言われたら、お前、協力できるか?」
僕は、開きかけた口を閉じた。
亮平の恋に協力できるか。そんなもの、決まっている。出来る。もし僕が亮平を狙っていたら躊躇するだろうけど、そんなことはない。僕は亮平に幸せを掴んで貰いたい。
だけど、言えなかった。
小野の目が、あまりにも真剣だったから。
「……僕は」
底抜けに明るい声と共に、僕の股間が揉みしだかれた。
「純くーん。おはよー」
――人が真剣に考えてやっているのに、コノヤロウ。
僕は亮平を軽く睨んだ。亮平は全く気にせず、立て続けに小野の股間に手を伸ばす。
「小野っちもおはよー」
「おはよーじゃねえ! 止めろ!」
亮平と小野がじゃれ合う。僕は亮平がやってきた方角を見やる。薄いブラウスを着てスカートを履いた三浦さんが、食い入るように亮平と小野のじゃれ合いを見つめていた。
◆
全員集合の後、僕たちは西口にある高速バスのターミナルに向かった。すぐにバスは到着し、事前購入しておいた電子チケットを使って乗りこむ。座席は二人掛けが二ラインという構造。僕たちは三ペア分のシートを抑えているけれど、まだ具体的に誰がどこに座るかは決めていない。
まず、小野と小野の彼女が迷うことなくペアで座った。彼女が窓側。これは当然。
次に、通路を挟んだ隣の席に亮平と今宮さんがペアで座った。今宮さんが窓側。
――え?
おかしい。ここは僕と亮平、三浦さんと今宮さんに別れるべきだ。バスケ部員の亮平とマネージャーの今宮さんはともかく、僕と三浦さんは二年生になるまでほとんど会話を交わしたことすらない程度の仲。秘密を共有しているという関係は、三浦さんが話していなければ誰も知らない。
「安藤くん。窓側と通路側、どっちがいい?」
三浦さんが僕に尋ねる。僕は「どっちでもいいよ」と答える。三浦さんが「じゃあわたし通路側」と言ったので、僕は亮平たちの後ろの席の窓側に座った。
バスが発進した。横に並ぶバスケ部三人と小野の彼女が和気藹々と話す。だけど三浦さんはそれに参加しなかった。僕の方を向いて、僕にばかり話しかけてくる。
「安藤くんって車酔いする方?」
「あんまりしない」
「そうなんだ。わたし、酔い止めの飴持ってるけど、どう?」
「一応、貰っておく」
三浦さんがハンドバックから飴を一つ取り出して僕に渡した。僕は袋を開けて飴を頬張り、わざと派手に口を動かして舐める。今は喋れないぞアピール。狙い通り、沈黙が訪れた。
前列では、小野と小野の彼女が普段どこに行って何をしているかの話で盛り上がっていた。東京スカイツリーに行った時、小野が頑なに展望台からの景色を見ようとせず、無理矢理見せたら足が震えだした話を聞き、今宮さんが大笑いした。
「小野、高所恐怖症なんだ。知らなかった」
「小野っち、ビビりだからなー。今日、お化け屋敷でチビらないように気をつけろよ。捨てられるぞ」
「チビらねーよ!」
小野が声を荒げる。小野の彼女がコロコロ笑う。今宮さんが、不安げに呟いた。
「でもすっごい怖いんでしょ。あたし、ちょっと不安かも」
「だいじょーぶだって。オレがついてるから」
「高岡がついててもねえ……」
何の予告もなくお化け屋敷に入るペアが決まっている。まあ、覚悟はしていた。僕と今宮さんに交流はないから、男女ペアに分けるならその組み合わせしかない。男女ペアでなくていいならば別パターンもあるけれど、もし亮平がそれでいいと言うなら、僕は亮平が同性愛者ではないという見解を撤回しなくてはならない。
「オレ、こー見えて頼りになるよ。マジで」
「えー、なんかどさくさに紛れて胸揉んだりして来てそう」
「しないしない。ちゃんと揉みたくなったら揉ませてくれって頼む」
「なに誇らしげに最低なこと言ってんの」
亮平と今宮さんが仲良く会話を交わす。僕は今宮さんと過去に亮平が好きになった子たちを脳内で比較する。今宮さんは女子にしては短めの頭髪がボーイッシュな印象を抱かせるサバサバした性格の女の子。過去に亮平が好きになった子とは趣が違う。亮平は自分に興味がない子が好きというだけあって、少し変わった子が好きだ。中学生になって初めて好きになった子については「借りた教科書に描いてあった人間が食パンになるパラパラ漫画が面白くて好きになった」と言っていた。
「安藤くん」
思考に耽っている僕に、三浦さんが話しかけてきた。いつの間にか、口の中の飴はもうだいぶ小さくなっている。
「なに?」
「安藤くんは、お化け屋敷って平気なタイプ?」
「さあ。入ったことないから分からない」
「どうして?」
「別に理由なんかないよ。そもそも遊園地にほとんど行ったことない」
「家族レジャーの定番なのに?」
「うち、そういうの少ないんだよね。小さい頃に離婚して、父さんいないから」
少しは距離を置いて貰えるだろうかという期待を込めて、学校では亮平ぐらいしか知らない事実をさらりと口にする。効果は抜群だった。
「……ごめん」
三浦さんが肩を落として俯く。僕は「いいよ」と呟いて窓の外の景色に目をやる。他人を遠ざけるのなんて簡単だ。しかも僕はまだ最強のカードを切っていない。切った瞬間、他者から見た僕の人間性を全て一つの肩書きに集約してしまう、あのカードを。
飴玉が無くなった。甘みの残渣を舌で感じながら、僕は飴玉をまだ舐めているかのように口を動かす。QUEENが聞きたいな。『バイシクル・レース』辺りがいい。ポケットの音楽プレイヤーを意識しながら、そんなことをぼんやりと考える。
シャツの裾が、グイと引かれた。
「あのさ」
わずかに目を伏せながら、三浦さんがたどたどしく話す。
「わたしはお化け屋敷、すごい苦手なの。だから――」
三浦さんが顔を上げ、僕に向かってにこりと微笑んだ。
「よろしくね」
僕は女性に興味がない。だからと言って、女性に冷たくしていいことにはならない。僕はついさっきの振る舞いを心の中で謝りながら、三浦さんにほんのり笑い返した。
「分かった」
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