2-4
――ここまで苦手とは聞いてないぞ。
廃病院をテーマにした真っ暗な巨大お化け屋敷の中、腕にがっちりとしがみついて動かない三浦さんを見つめながら、僕は軽く溜息をついた。目の前には錆びた鉄扉。扉の上のプレートには『霊安室』の表記。さらにGOランプがつくまで中に入れない入場制限。確実に、大がかりな仕掛けがある。
「早くしないと、また次の人に追いつかれるよ」
「ちょっと待って。もうちょっと……」
三浦さんがすうはあと呼吸を整える。GOランプが点灯してから、既に固いカップラーメンが作れるぐらいの時間は経過している。中で待機している人も何かあったのではないかと不安なのではだろうか。ある意味すごい。お化け役を怖がらせている。
お化け屋敷に入ってからずっと、新しいエリアに進もうとするたびに三浦さんはこれを繰り返している。おかげでもう数組に追い抜かれた。そして新しいエリアでお化け役に遭遇しては、甲高い叫び声を上げながら僕にしがみついてくる。その勢いは凄まじく、今のところ、僕はお化け役より三浦さんにビビらされた回数の方が圧倒的に多い。
「大丈夫、大丈夫……」
三浦さんが僕の腕を抱く力を強める。何だっけ、こういう風に相手に抱きついて動けなくさせてくる妖怪。――思い出した。『子泣きじじい』だ。
「そんなダメなら、お化け屋敷はパスすれば良かったのに」
「イヤだよ。わたしだって楽しみたい」
「そんななのに、楽しめてるの?」
「こんなになるのを楽しむところでしょ」
確かに。しかし、どうしてそれが分かっていてそうなるのだろう。謎だ。
「安藤くんは初めてなのに、よく平気だね」
「何でもそうだけど、すぐ傍に大げさな反応してる人がいると、逆に冷めてこない?」
「……それはすいませんでした」
三浦さんが軽く頭を下げた。少し落ち着いたようなので、「行くよ」と声をかける。三浦さんはこくりと頷き、僕にしがみつく力をさらに強めた。
扉を開く。並べられたベッドと盛り上がった布団。そしてその先に光り輝く出口。どうやらここが最後のエリアのようだ。三浦さんが明るい声を上げる。
「出口だ!」
今まで僕に引っ張られるばかりだった三浦さんが、僕の腕を強く引いて歩き出した。そして次の瞬間、予測通りのことが起こる。
数えきれないほどのゾンビメイクのアクターたちが、ベッドの上や部屋の隅からわらわらと僕たちに駆け寄ってきた。
「ぎゃああああああ!」
三浦さんがかわいらしさの欠片もない悲鳴を上げた。そして僕の腕というか、身体にしがみつく。子泣きじじいモード。そしてその状態のまま、僕の耳元で叫んだ。
「安藤くん! 早く行って! 早く!」
「……動けないんだけど」
「早く!」
仕方ない。僕は三浦さんを抱えるようにして、そろそろと出口に向かった。ゾンビアクターたちも同じようにそろそろと僕たちを追いかけてくる。途中、一人のゾンビと目が合ったので愛想笑いを浮かべておいた。ゾンビは血だらけの顔面を歪にゆがませてわずかに笑った。「大変ですね」「そちらこそ」。分かりあえた気がした。
どうにか出口に辿り着く。太陽の下に出た途端、三浦さんの足から力が抜けた。三浦さんが僕にしなだれかかり、胸が身体に強く押し付けられる。抱き着かれている間中ずっと思っていたけれど、見た目よりサイズがある。
「純くん、おせーよ」
亮平の声。振り向くと、亮平たち四人がどこか呆れたように僕たちを見ていた。待ってくれていたようだ。
「ごめん。三浦さんがこんなになっちゃって」
「リタイアすりゃ良かったのに。途中に脱出口あっただろ」
「……もったいないって言うから」
ちらりと三浦さんを見やる。三浦さんは僕に寄りかかったまま、強気に答えた。
「だってせっかく来たんだから、最後まで行くべきでしょ」
「ほとんど見てなかったのに」
「怖いんだもん」
「まだ怖いの?」
僕にしがみつく腕をじっと見ながら尋ねる。三浦さんがようやく、今の自分の置かれている状況に気がついた。パッと僕から腕を離し、顔を赤くして縮こまる。
「サエ。そこに物販あるから、お土産買おうよ」
今宮さんが三浦さんを誘って物販コーナーに向かった。僕たちもそれについていく。亮平がヒソヒソと声を潜め、僕に話しかけてきた。
「どうだった?」
「別に怖くなかったよ。拍子抜け」
「馬鹿。そんなこと聞いてねえよ」
亮平が視線を前方にやった。女子連中が物販コーナーの建物に入る姿を確認して、それから僕に耳打ちをする。
「三浦とは、上手くやったの?」
僕は、固まった。亮平は含み笑いを浮かべながら、肘で僕をつつく。
「あんな抱きついて、中でなにしてたんだよ」
「なにって……なにもしてないよ」
「嘘つけ。おっぱい揉むぐらいはしただろ」
「おっぱいを揉むのは『ぐらい』じゃないでしょ。もっと前段階あるよ」
「いや、オレはおっぱいを揉むところから始まる恋もあると思う」
あってたまるか。ゲイだって、それがおかしいことぐらいは分かる。
「とにかく、本当に何にもないよ。三浦さん、それどころじゃなかったし」
「なんだ。まあ今日はまだまだ長いし、これからだな」
亮平がガシッと僕の股間を掴んだ。そして僕を見て、不敵に笑う。
「ここ、使わないと腐るらしいぜ」
いつものように股間が揉みしだかれる。僕が抗議の声を上げる前に、亮平はすたこらと物販の建物に逃げ込んだ。呆れる僕に、近くで話を聞いていた小野が声をかける。
「あいつ、お節介だよな」
全くだ。僕は大きく頷いた。
「他人の心配より、自分の心配しろって感じだよな」
「そうだね」
「好きな女が幼馴染に奪われようとしてるのに呑気に応援とか、正気じゃねえよ」
さすがに、頷けなかった。
頭の後ろで手を組んだ小野が僕を見据える。小野はタッパがあるから、自然と見下されているような感じになる。威圧感が全身にビリビリ伝わる。
「今日、お前を誘おうって言い出したのは今宮だ」
小野が腕を下ろし、手をジーンズのポケットに入れた。
「でも火元は三浦。三浦がお前のことが好きだからそうなった。そんで今宮と亮平はお前を誘って、お前と三浦をくっつけようとしている。三浦もそれは知っている。俺も俺の彼女も協力頼まれている」
小野が一歩、僕に向かって歩みを進めた。スニーカーの靴底が土を削る。
「なのにこうやって裏切っている理由は、もう分かるよな」
お前は俺の敵だ。小野の鋭く尖った視線は、明確にそう語っていた。
「お前は三浦のことが好きじゃない。それぐらい、見れば分かる」
それは違う。僕は三浦さんが好きだ。ちんぽこが勃たない好き。
「今日、上手いこと進めば、三浦は最後に観覧車の中でお前に告白する。亮平のことを思うなら、お前はそれを断れ」
――イヤだ。
僕は天邪鬼だ。例え自分がそうしようと思っていたことでも、周りからやれと言われたらしたくなくなる。だけど反発の言葉を、口には出来ない。
同性愛者の僕が、異性愛者の亮平を差し置いて三浦さんと付き合う。
それは――
「亮平は『もうオレ、どうしたらいいかわかんねえよ』って言ってた。お前は俺よりアイツと付き合い長いんだから、アイツがそういう風に弱音吐くのが珍しいの、分かるだろ」
小野が、くるりと僕に背中を向けた。
「頼んだぞ」
小野が僕から離れ、物販の建物に消えた。僕はだらりと腕を下げ、空を見上げる。一面に広がる青。『39』のケイトさんの宝石みたいな瞳が、ふと脳裏に思い浮かぶ。
どうしたらいいかわからない。
そんなの、僕だって同じだ。
◆
園内でずっと、三浦さんは僕と行動を共にした。
二人で乗るアトラクションは必ずペアで乗った。二人で乗るものでなくても隣り合って座った。園内は絶叫系のアトラクションが多く、三浦さんはキャーキャー叫びながらそれを全力で楽しんでいた。僕は基本、無表情だった。そんな僕を見て三浦さんは、おかしそうに笑った。
「安藤くん、遊園地向いてないよね」
「かもね」
「でも、水族館も向いてなかったなあ」
「確かに」
「安藤くんが好きな娯楽施設ってなに?」
「……温泉とか」
「じじくさい」
三浦さんがまた笑う。僕といることが楽しいんだと、声で、表情で、仕草で、全身で表現する。僕は、ぎこちなく笑い返した。上手く笑えているかどうかは全く分からなかったけれど、少なくとも三浦さんは嬉しそうだった。
そのうち、だんだんと日が落ちてくる。楽しい時間は終わり。薄いオレンジ色の空がそう語りかける中、亮平が、まるで今思いついたみたいに提案した。
「そろそろ、観覧車にでも乗って帰ろうぜ」
今宮さんが「あー、いいね」と同意する。小野の彼女が「高いところ大丈夫?」と小野をからかう。小野が「舐めんな」と呟いてそっぽを向く。そして僕を見つめる。僕は、小野から視線を逸らした。
観覧車のゴンドラには、小野と小野の彼女、亮平と今宮さん、僕と三浦さんの順番で乗り込んだ。ゴンドラがゆっくりと高度を上げる。すぐ傍をジェットコースターが通り過ぎ、人々の叫び声がゴンドラにも届く。
三浦さんは窓から夕焼けに沈む富士山などを眺め、テンションを上げていた。やがてはしゃぎ疲れたようにふうと息を吐き、椅子に深く腰かける。
「あーあ。これで早くも連休初日はおしまいかー」
「ゴールデンウィークはまだまだあるよ」
「そうだけど連休明けたら一月経たずに中間テストだし、憂鬱にもなるよ。安藤くん、理系コースだよね。数学得意?」
「苦手ではない」
「だったら教えてくれない? わたしは数学、壊滅的なの」
「三浦さん、文系コースでしょ」
「大丈夫だよ。上位互換みたいなものだから」
時計盤の六時の位置から出発したゴンドラが、九時の位置に達した。四分の一が終了。三浦さんはどこで仕掛けてくるつもりだろう。その前に、聞いておきたい。
「三浦さん。質問があるんだけど」
「なに?」
「この前、亮平と結構話すみたいなこと言ってたでしょ。あれ、なんで?」
三浦さんが目を丸くした。僕は少し上半身を前に傾ける。
「三浦さんと亮平ってあまり接点ないからさ。どうしてだろうと思って」
「どうしてって言われても、高岡くんが話しかけてくるからだけど……」
「最初のきっかけは?」
「一年の冬の時、席が近かったからかな。――ああ、そうだ。思い出した」
三浦さんが右手をグーにして、パーにした左手の上にポンと乗せた。
「絵を描いたんだ」
絵。三浦さんが過去を思い返すように、斜め上を見上げる。
「わたし、授業で暇な時、近くの人のスケッチやるのね。そうしたら本人に見つかっちゃってさ。『もっとイケメンだろー』とか文句言ってた。それからかな」
ああ、それは駄目だ。亮平はそういうのにすごく弱い。中学の時に亮平が好きになった子が描いていた「人が食パンに変わるパラパラ漫画」は亮平をモチーフにしていた。その子も三浦さんも、ただ近くにいたから参考にしただけなのかもしれない。でも亮平は、そこに意味を見出そうとする。
「あとはよく目が合うから、お互い何となく強めに意識して、会話になるのかも」
「目が合う?」
「うん。ほら、高岡くんが男の子とじゃれあってるの、つい見ちゃうから」
三浦さんが恥ずかしそうにはにかむ。僕は気になっている女の子と視線が何度もぶつかる男の心境を想像する。僕は男女の恋は分からない。分からないけれど、胸が苦しい。
「実は今日のこと、姐さんにも言ったんだ」
ゴンドラが十一時に達する。もう少しで頂上。
「安藤くんと一緒に富士急に行く。男女三人ずつで行くから、流れ的にわたしと安藤くんがペアで動くことになると思う。二人でお化け屋敷行ったり、ジェットコースターに乗ったりする。そうやって仲良くなって、最後に観覧車に乗って、わたしはそこで――」
夕日に頬をほんのりと赤く染めた三浦さんが、大きく顔を上げた。
「告白するつもりだって」
遥か下をジェットコースターが通り抜けた。絶叫が、足元からわずかに届く。
「一緒に池袋行ったでしょ。あれから、なんかダメなの。安藤くんのことが気になってしょうがない。ふとした拍子に、安藤くんのことを考えてる」
三浦さんが両手を顔の前に合わせた。その合わせた手の後ろで、幸せそうに、本当に幸せそうに笑う。
「人をこんなに好きになったの、生まれて初めてなんだ。安藤くんが同じようにわたしのことを好きじゃないのは分かってる。でももし、他に好きな人がいるとかそういうことがなくて、安藤くんがわたしのことを嫌いじゃないなら、お願いします。わたしと――付き合ってください」
三浦さんが大きく頭を下げた。夕焼けを照り返し、つやつやしたポニーテールが幻想的に輝く。細い肩が、小刻みに震えている。
――ごめん、僕、ホモなんだ。
真摯で誠実な回答が頭に浮かぶ。だけどそれは声にならないまま、QUEENのメンバー、ブライアン・メイが奏でる激しいギターソロのイントロにかき消される。頭の中のジュークボックスが再生する曲は、アルバム『ザ・ミラクル』より、『アイ・ウォント・イット・オール』。
僕は、全てが欲しい。
男に抱かれて悦びたい。女を抱いて子を成したい。誰かの息子として甘えたい。自分の子供を甘やかしたい。
欲しい、欲しい、欲しい、欲しい、欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい。
「――三浦さん」
三浦さんの両肩に手を乗せる。
三浦さんが顔を上げる。驚いたように大きな瞳を丸くして僕を見る。僕は、ゆっくり、本当にゆっくり、三浦さんの顔に自分の顔を近づける。これから僕が何をするつもりなのかちゃんと伝わるように。断りたければ断ってもいいよ。そういう風に最後の判断を、三浦さんに委ねられるように。
三浦さんがそっと目を閉じる。僕は自分の唇を、三浦さんの唇に重ねた。
――柔らかい。
最初に感じたことは、それ。グミみたいにプルプルしている。鼻腔に粘り気のある甘い匂いが潜り込んで呼吸が詰まる。これが、女の子とのキス。
舌は入れず、緩慢に唇を離す。三浦さんがとろんと溶けた目で僕を見つめる。僕は三浦さんの背中に手を回し、軽く抱き寄せた。三浦さんの胸についた脂肪の塊が、僕の固い胸にぶつかって潰れる。
「ありがとう。僕も実は三浦さんのこと、気になってた」
驚くほど、自然に言葉が出て来た。耳元に唇を寄せ、甘く囁く。
「僕と付き合ってください」
僕が三浦さんを抱いているように、三浦さんも両腕を僕の背中に回した。そして瞼を閉じて小さな頭を胸元に埋め、蚊の鳴くような声で囁き返す。
「はい」
言葉を合図に、三浦さんを抱きしめながらまた口づけを落とす。クッションのような柔らかさが全身から全身に伝わる。ちんぽこは、ぴくりともしていなかった。
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