Track2:I Want It All
2-1
一緒に池袋に出かけて以降、三浦さんは僕によく話しかけてくるようになった。
例えば、朝、教室で本を読んでいると三浦さんが現れる。僕の机に腕を載せて、その腕に顎を載せて、上目使いに「なに読んでるの?」と尋ねる。僕はタイトルを教える。三浦さんは「面白いの?」と尋ねる。僕は感想を語る。三浦さんは音楽を聞くように僕の感想を聞き、「調べてみる」なんて言いながら立ち去る。そして翌日また現れて、僕と本の話をする。僕はいつまで経っても、自分の本を読み進められない。
「あんまり僕と絡むと、友達に怪しまれるよ」
腐女子バレするぞ。一度、暗にそういうニュアンスを含んだ忠告をしてみた。すると三浦さんは「あー、そうだね」という曖昧な返事でお茶を濁した。その時、三浦さんの友達集団は、教室の隅でニヤニヤ笑いながら僕たちを観察していた。
食堂で一人、昼食のきつねうどんを食べている時、お弁当を持った三浦さんが僕の前に現れたのは、ゴールデンウィークの一週間前だった。
「何か用?」
「別に。いつも一人で寂しそうだから、一緒にどうかなと思って」
週に何日もスナックで深夜まで働いている僕の母さんにお弁当を作る余裕はなく、僕は購買部やコンビニで売っているパンがあまり好きではない。だから食堂で昼飯を食べる。そして僕の少ない友人はみんなお弁当を持っていて、僕は「安藤と食堂で弁当食べようぜ!」となるほどの求心力を持っていない。だから昼飯は一人で食べる。結果、僕は毎日一人食堂で昼飯を食べている。別に寂しくはない。
「ねえ、安藤くん。姐さんのこと、覚える?」
肉そぼろご飯を食べながら、三浦さんが僕に問いかける。僕は淡々と答えた。
「覚えてるよ。佐倉さんだよね」
「そう。その姐さんが、またダブルデートしたいんだって。どうしよう」
「断るしかないでしょ。僕たち別に付き合ってるわけじゃないんだから」
顔を下向かせ、うどんをわざとゆっくりすする。「まあ、そうだね」という暗い声が頭の先から聞こえた。
「ところでさ」三浦さんが話題を変えた。「QUEEN、聞いてみたよ」
QUEEN。僕は顔を上げた。反応を喜ぶように、三浦さんが声を弾ませる。
「わたし、あれ好き、『アイ・ワズ・ボーン・トゥ・ラブ・ユー』」
「ああ、僕も好きだよ。力強くて良い曲だよね」
元々はフレディのソロアルバムの曲でQUEENが演奏したのはフレディが死んだ後だからQUEENの曲じゃないし、しかもドラマ主題歌に起用された日本だけで有名なミーハー御用達の曲だから、古くからのQUEENファンに好きだって言うと鼻で笑われたりするみたいだけどね。――言わない。別にそんなこと、知らなくていい。
「あのさ」
三浦さんが、テーブルの向こうから少し身を乗り出した。
「QUEENのボーカルって、ホモらしいね」
箸を止める。
三浦さんがビクリと肩を震わせた。身を引き、目を伏せながら、僕に謝る。
「ごめん。怒らせた?」
「え?」
「そういう顔してるから」
――そんな馬鹿な。
確かに、フレディを同性愛者扱いされて烈火のごとく怒り狂う連中はいる。敬愛しているはずのフレディを結果的に見下している、フレディを好きな自分が好きなだけのナルシスト。だけど僕は違う。絶対にあり得ない。
「別に怒ってないよ」
「そっか。なら、良かった」
三浦さんがほっと胸を撫で下ろした。おかずの筑前煮を食べながら、話を続ける。
「やっぱり、バンドのメンバーと付き合ってたの?」
「まさか。もっと滅茶苦茶だよ。若い頃はガールフレンドもいた。男も女も混ぜて乱交パーティーとかもしていたらしい」
「じゃあ、バイなんだ」
「さあ。最後のパートナーは男性だし、女を抱けるゲイかもしれない」
「女の人を抱けるならバイでしょ?」
「異性愛者の男だって、愛がなくても女の人を抱くことは出来る」
「なるほど。確かに」
三浦さんが深く頷いた。つやつやしたポニーテールが跳ねる。
「最後は、AIDSで死んじゃったんだよね」
「そうだよ」
「ホモの人ってそういうこともあるから、大変だよね」
「AIDSはゲイ限定の病気じゃない。HIVウィルスに感染して特定の病気を発症すればAIDSなわけだけど、HIVウィルスは男女の性交でも普通に感染する」
「それは知ってるよ。けど感染者はホモの人が多いし、やっぱり伝染しやすかったりするんじゃない?」
「腸粘液は弱いからリスクが高くないわけじゃない。でも今、ゲイにHIVのキャリアが目立つ最大の理由は、彼らが積極的に検査を受けているからだよ。だからHIVが同性愛者の病気ではないと広まるに連れて、異性間の感染報告も増加している」
「へー。そうなんだ」
三浦さんが感心したように呟いた。そしてふと首を傾げ、眉をひそめる。
「だから、なんでそんなに詳しいの?」
――しまった。
「常識だよ」
嘯き、うどんをすする。三浦さんは腑に落ちていない表情をしながらも、とりあえずは追求を止めた。そしてまた、話題を全く違うところに変える。
「安藤くん」
「なに?」
「ゴールデンウィーク、予定ある?」
反射的に、マコトさんの顔を思い浮かべた。会えるなら会いたい。だけど今のところ、その予定はない。
「別にないけど、どうして?」
「んーん、特に意味はない。聞いただけ」
三浦さんが俯いて弁当を食べる。僕から逃げるように食事に没頭する。心なしか食べるペースが早い。耳の先がほんの少し赤くなっている。
――さて。
考えなくてはならない。僕はどうするべきか。どのような行動に出て、どのような結末に向かうべきか。事態は、なあなあで済ませられない領域に突入しつつある。
僕は、女性に興味がない。
女性アイドルグループは全員同じ顔に見える。「かわいい」に細かい区別を付けられない。電車で向かいに座った女性のミニスカートからパンツが覗いていても全く気にならない。今は肩甲骨の辺りまで伸びている三浦さんのポニーテールの長さがうなじぐらいまでになっても、絶対に気づかない自信がある。
だけど三浦さんが僕に興味を抱いていることぐらい、そんな僕でも分かる。
◆
『間違いなく、彼女は君に惚れているね』
事の顛末を聞いたミスター・ファーレンハイトは、迷うことなく僕にそう告げた。当然だ。分かっていた。決めてかかるのは自惚れているみたいだから、一応確認してもらったに過ぎない。
『女子高生から不惑を過ぎた男性まで手玉に取るなんて、君も魔性の男だな』
『止めてよ。本当に困っているんだから』
『困ることないだろう。最終的に君の取るべき選択肢は、三つしかない』
三つの選択肢。続くメッセージが、ウインドウにパッと浮かぶ。
『一つ目は、自分が同性愛者だと明かして彼女を袖にする』
『真摯だね』
『二つ目は、自分が同性愛者だと明かさずに彼女を袖にする』
『無難だね』
『三つ目は、自分が同性愛者だと明かさずに彼女と付き合う』
『外道だね』
『おっと、自分が同性愛者だと明かして彼女と付き合うというのもあるな』
『もうわけがわからないね。君のオススメはどれ?』
『彼女を袖にして、その勢いで彼氏も袖にして、僕と付き合ってくれるのが一番嬉しいかな。ゴムはつけるから安心してくれ』
きわどいジョークだ。さすが、ミスター・ファーレンハイト。
『ところでジュン。君はその彼女のことをどう思っているんだい?』
『好意の方が強いよ。だから困っているんだ。嫌いならどう扱っても良心は咎めない』
『要するに、好きということか』
『ラブじゃなくて、ライクだけどね』
ラブとライク。使い古された表現を、ミスター・ファーレンハイトが拾った。
『ジュン。ラブとライクでは『好き』の全てを表現することは出来ないよ。ラブにもライクにも属さない、あるいはラブにもライクにも属する『好き』が存在する。だからライクだからラブだからどうこうという話は無意味だ』
『そう言われても、じゃあどう表現すればいいのさ』
『そうだな。ジュンはMECEというものを知っているかい?』
MECE。聞いたことがない。
『知らない』
『重複なく、漏れなくというロジカルシンキングの考え方だ。説明するから、もしジュンが飲食店を開いたとして、そこにどんな客層が来るか考えてくれ。どんな店でもいい』
促されるままに考える。メッセージを下書きするスペースにつらつらと思いついた客層を記し、送信ボタンをクリック。
『家族連れ、専業主婦、サラリーマン、定年した老人、学校帰りの高校生』
『結論を言うと、君が挙げた客層はMECEに従っていない』
『どういうこと?』
『例えば、家族連れかつ専業主婦という客はありえるから重複している。そして自営業者が入っていないから漏れもある。だから重複なく、漏れなくが成立していない』
なるほど。論理的だ。分かりやすい。
『MECEの考え方だと、『未婚と既婚』とか『成人と未成年』とか、そういう分け方をするんだ。そして分けた先をさらにMECEに従って細分化する。そうやって重複なく、漏れなく客層を挙げて、ターゲットを定める』
『難しいことを知っているんだね』
『死んだ彼の受け売りだよ。僕自身は高校にすら行っていない。ハイスクールライフとキャンパスライフを満喫出来なかったのは、僕の人生最大の心残りだ』
中卒。意外だ。てっきり頭のいい大学に通っていると思っていた。
『キャンパスライフはまだ間に合うんじゃない?』
前向きな提案をしてみる。ミスター・ファーレンハイトは、スルーした。
『話を戻そう。僕が言いたいのはラブとライクではMECEが成立していないということだ。重複も漏れもある。それでは『好き』を表現し切れない』
『だから、結局どう表現すればいいのさ』
『簡単さ。僕たちは優秀なセンサーを一つ、身体に備えているじゃないか』
『センサー?』
『ああ。僕はそのセンサーを使って、自分の『好き』をこう分類している』
結論の気配。身体がほんの少し浮いた気がした。フレディがマイクを握ってから歌い出すまでの数秒のような空気感の中、メッセージが画面に浮かび上がる。
『ペニスが勃つ『好き』と、勃たない『好き』だ』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます