024 静謐なる調停者

「本日の模擬戦闘の課題は、防衛戦である」

 戦場の匂いを漂わせた強硬な声色で、山エルフ族の教官は宣言した。短く刈った銀に近い金髪に、鋭い灰色の目をした教官は、壇上に上げたシュレーと、アルフ・オルファンを交互に睨んだ。

「猊下(げいか)の東軍は、北の高地を取って防衛を」

 石段の上に広げられた羊皮紙の地図を剣の先で指し、教官はシュレーに視線を向けた。軽く頷き、シュレーは足もとの地図を見下ろした。そこに描かれているのは、模擬戦の舞台となる、学院の南のなだらかな斜面だった。森林と岩場で構成された模擬戦闘の戦場を、シュレーはざっと眺めて確認した。

「猊下(げいか)の陣はこの峰に。対する西軍は、斜面をくだったこの場所に陣を張り、高地を攻める。刻限は日没。それまでに首級を挙げられなければ、残存兵の数で勝敗を決する」

 剣で地図上に印されたアルフ・オルファンの陣を突き、教官は歯切れの良い言葉で説明を終えた。シュレーが顔をあげると、アルフ・オルファンの視線とぶつかった。オルファンはにやりと歯を見せて笑い、その次の瞬間には、シュレーがそこにいるのも忘れたというそぶりで、石段の下に集められた大勢の学生に向き直っていた。

「オルファン殿下の軍は高地攻めを行うことになる。地の利に劣るため、西軍の兵力を増強し、騎兵30騎、歩兵40人を率いる」

 教官の説明を聞き、シュレーは眉をひそめた。

 広場に集められた学生は、多く見積もっても、百人ていどだった。オルファンの軍に、70人からの兵力を割かれては、残る兵の数は知れている。地勢的に有利な高地を割り当てられたからといって、格段の兵力差を埋めるのは至難の技だ。

「西軍の兵力は騎兵20騎、歩兵10人」

「…なんだと?」

 とっさの小声で、シュレーは呟いていた。2倍以上の兵力差だった。

 眉間に皺を寄せたシュレーの横顔を盗み見て、オルファンがまた薄笑いした。シュレーは内心憮然として、無表情を作った。この模擬戦闘は、どうやら、オルファンが勝利するように仕組まれているらしかった。

 これで、どちらが族長に相応しいか、決着をつけるだと?

 シュレーは冷ややかな気分だった。アルフ・オルファンを見やると、高慢な義弟は、すでにシュレーの首級を挙げたかのように、勝ち誇った顔をしていた。

 面白い。目を細めて義弟を見つめ、シュレーは微かな呟きをもらした。乾いた唇を舐め、もう一度地図に目を落とす。

 陣地として指定された高地は、森林に囲まれた手狭な峰だった。背後には谷があり、騎馬兵の退路となるような場所ではなかった。道が開けているのは、南斜面に向かう森林だけだ。これではまるで、敵陣に向かって道が開かれているようなものだ。大層、不利な陣だった。袋小路に追い詰められたも同然だ。

 「猊下、こちらを」

 恭しい声で、もう一人の教官が呼びかけてきた。振り向くと、教官は手のひらにわずかに余るほどの大きさの、純白の大理石の玉を捧げ持っていた。

「猊下の首級です」

 促されて、シュレーはひやりとした感触の大理石を受け取った。

「将軍は、兵に倒された場合、この首級を手渡すように。味方の兵が、陣まで敵将の首級を持ちかえった時点で、模擬戦闘は終了する。戦略、戦術は、各陣の将軍の裁量により指揮をとるように。模擬戦闘による負傷者が出た場合は、いったん陣に収容して医師を待て。以上である」

 シュレーは、手の上にある白大理石の塊を軽く握り締めた。重みが腕に心地よい。ふと顔を上げると、アルフ・オルファンの手にも、ほぼ同じ大きさの大理石の玉が握られていた。それは、シュレーが受け取ったものとは違い、ほぼ漆黒に近い色をしていた。

「オルファン、勝算はあるのか」

 義弟の手の中の石を見つめ、シュレーは静かに尋ねた。

「これは意外なことをお尋ねになるものだ。義兄上こそ、策がおありなのかな」

 シュレーは微笑した。

「私は勝算のない戦いは好まない」

「それは、色々な意味に受けとれるお言葉です」

「日が傾くまでには、その黒い石を貰い受けるよ、オルファン」

「…どうでしょう」

 にやっと笑うオルファンに、シュレーは静かに笑って答えた。

「私を甘く見ないことだ、従弟(いとこ)殿」

 シュレーは、教官から手渡された革袋に大理石の玉を収め、それを剣を吊るした革帯に結びつけた。

「義兄上はおそろしい」

 腕組みして、アルフ・オルファンは面白そうにシュレーを眺めている。

「兵を選べ、オルファン。不利なそなたに情けをかけよう」

「不利?」

 とっさに、オルファンはシュレーの言葉を繰り返し、そして、一呼吸のちに、はじけるような笑い声をあげた。喉を反らせて笑う山エルフの少年を、シュレーは穏やかに微笑みながら眺めた。

「さすがは義兄上だ、仰ることが違う。奇跡でも起こされるおつもりなのか、シュレー・ライラル・ディアフロンティエーナ・ブラン・アムリネス猊下? やはり竜(ドラグーン)が現れて、義兄上をお救いくださるのか?」

 アルフ・オルファンの声は、必要以上に昂揚していた。執拗に畳み掛けるアルフ・オルファンの皮肉の中に、シュレーは恐れの気配があるのを感じ取り、目を細めて笑い返した。

「そうだよ、オルファン。気をつけろ、私の血は神聖だ」

「……絵空事だ」

 ひそめた声で、オルファンは自分に言い聞かせるように応えた。

「この俗世で、神殿と同じように事が運ぶとお考えなら、大変な間違いですよ。神聖なあなたには及びもつかないような事をしてのけるのが、戦場での流儀です。手加減しませんよ、猊下、あなたに勝ってみせる」

「好きにするがいい。気に入りの兵を選べ、オルファン。私は残りの兵でいい」

 にっこりと神聖な笑みをつくり、シュレーは優雅な手つきで、広場からこのやり取りを見守っている学生たちを示した。シュレーの顔を見つめるオルファンは、かすかに震えていた。それが怖気によるものなのか、怒りによるものなのかは、彼の顔を見ただけでは計りかねることだった。

 ぎりっと歯をくいしばり、アルフ・オルファンは脇に抱えていた兜をかぶった。足音高く石段を降りていく彼を、山エルフの学生たちが歓呼で迎える。手を振り上げてオルファンの名を呼ぶ群衆からは、甲冑の鳴る華々しい音が鳴り響いた

 学院はオルファンのものだった。オルファンの軍の兵に選ばれようと、山羊の紋章の甲冑で身をかためた彼に、多くの学生たちが群がって行く。シュレーが現れるまで、それらの全ては、永遠に、彼のものだったのだ。

 奪い去られることのない栄光に、オルファンは慣れすぎている。彼はシュレーとはひどく違っていた。オルファンはいつも、なにかが自分から奪われることを何よりも恐れている。それに引き換え、シュレーが考えていることといえば、どうすれば、一つでも多くのものを、この世界から奪い取れるかということだった。

 オルファンにとって、世界は名誉と権力を惜しみなく与えてくれるもので、なにかが奪われること自体、不自然なことなのだ。族長の長子として生まれた彼は、産着にくるまっていた頃から、山羊の紋章を身につけている。父親が占めている権力の座も、山の額冠(ティアラ)も、間違いなく彼のものだった。そんなオルファンには、誰かから奪わなければ、生きていくこともままならない者がいるなどと、想像できるはずもない。

 シュレーは、腹の底から粘質な笑みがこみ上げるのを感じて、慌ててうつむいた。

 オルファンが絹の産着にくるまって、銀の食器で食べていた頃、自分が何をしていたのかを、シュレーはこみ上げる笑いの中で思い返していた。

 吹きすさぶ砂交じりの風と、夕日をうつして黄金に光る灰色の雲。細かな針のように石つぶてを乗せた荒野の風に吹かれながら、いつも沈黙がちな父が、今にも、命を絶って楽になろうと言い出すのではないかという不安に耐え、空腹と寒さをやり過ごす他には、これといってすることもない。そんな悲惨な幼年時代を、聖楼城の白い壁の中で、自分は懐かしんでいなかったか。

 あんな荒れ野でも、少なくとも自由があった。誰かを憎んだり、誰かに憎まれたりという事も考えなくてよかった。今日の皿に乗る食べ物のことだけを真剣に考えるほかに、脳髄を苦しめるものは何もなかったのだ。

 そういう自分の姿が、おそろしく惨めで滑稽なように感じられ、シュレーは笑った。オルファンが憎かった。それは、他の者に言わせれば、おそらく嫉妬と名付けられる感情だろう。父が荒野へ逃げ、何もかもをフイにしてしまわなければ、オルファンが味わっている栄華も名誉も、全てがシュレーのものだったのだ。

 それを思う惨めさを認めたくないために、シュレーは義弟への憎しみを押し殺そうとした。

 「マイオス」

 厳しい声で、シュレーは呼びかけた。石段の上で、相変わらずうつむき、立ち尽くしている森エルフの少年は、シュレーの声にびくりと体をふるわせると、様子をうかがうようにゆっくりと顔をあげた。

「いつまでそうしてるんだ。誰も助けてくれないぞ」

 つとめて穏やかな微笑を浮かべたつもりだったが、シェル・マイオスはますます怖気づいたように、じりじりと後ずさった。

「僕は…殺し合いの練習なんてしません。そんなもの、必要だと思えない」

「そう難しいものでもない」

「…ライラル殿下は、神殿の方なのに、殺しあうのも平気なんですか」

「当たり前だ。神殿はいつだって、戦には無頓着で、君たちが殺し合い数を減らし合うのを、楽しんでいる。私はその一族の血に連なる者の一人だ。その私が、どうして殺し合うのを嫌ったりするというんだ。いつまでも、そうやって震えてるつもりかい。君は人質になったんだ。故郷でのことなど早く忘れて、剣をとることを学ぶんだな」

 投げ付けるように言い、シュレーは広場へ視線を戻した。オルファンの兵の選抜が、着々と進んでいた。義弟が選んだのは、予想に違わず、馬上槍(ランス)に長けた精鋭ばかりだ。

「ライラル殿下は嘘をついてる。あなたはそんな人じゃない。そんな人だったら、僕に声をかけてくれたりしません」

 シェルはどんよりと沈んだ声で言った。

「君がみっともないから、情けをかけてやったんだ。マイオス、私の気持ちを汲んで、ここは大人しく聞き分けるんだ。そうやって、目の前でうじうじされると、ひどく目障りだよ」

 馬丁が騎馬兵のための馬を広場の中央に引きたててきた。羽飾りのついた兜をかぶった、晴れがましい騎兵たちが、次々と鞍に跨る。手綱を引かれて活気付いた軍馬があげる、けたたましい嘶き(いななき)が、山々にこだました。

 シュレーは我知らず重いため息をもらしていた。見渡した広場に集められた、シュレーのための兵は、見るからに少なく、相対する敵軍の多勢を、不安げに眺めるばかりだ。

 その中にいて、少しも気後れする様子がないのは、黒系種族の二人だけだった。イルス・フォルデスとスィグル・レイラスは、黙り込みがちな山エルフの学生たちに気を遣う様子もなく、退屈そうに何かを話し合っていた。

 オルファンは、やはり彼らを選ばなかった。

 シュレーは、勝算について考えた。そんなものは、万にひとつも無いように思えた。

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