002 同盟の子供達

 磨きあげられた銀の刀身に、青い瞳がうつっている。深い深い、サファイアのような青。長く海辺で暮らすうちに、海の青で瞳が染め抜かれたのだ。海エルフの子供は、例外なく、そう教えられて育つ。

 海エルフのイルスは、豪華な短刀に映り込んだ、自分の青い瞳を眺めていた。黄金と真珠で飾られた銀の短刀は、長い戦いに終止符を打った、四部族同盟の印だ。

 武器というより、宝飾品に近いその短刀には、鞘がなかった。海エルフ族の族長ヘンリックは、海岸の街の職人に命じて黄金とサファイアの鞘をこしらえさせて、息子に持たせた。数日前までは敵地だった場所へ、人質として赴く息子への、はなむけのつもりだろう。

 父、ヘンリックが、何を基準に自分を人質に選んだのか、イルスには見当がついていた。イルスは妾腹の末子で、かばってくれる母親もすでに亡く、人質にやることに、反対する者が誰もいない。それが理由だ。

 人質に選ばれた事を告げるとき、父は多くの言葉を費やさなかった。ただ一言、トルレッキオへ行けと言い、鞘に収めた同盟の短刀をイルスに手渡した。トルレッキオとは、停戦条件により人質を差し出すための場所、山エルフ族の士官学校がある街の名だと聞いていた。

 イルスの母が死んでしばらく経った頃、まだ幼く、肉親の愛情を必要としていたイルスを、父は不要になった者を扱うような無関心さで、首都から遠く離れた海辺にすむ剣豪のもとへ弟子入りさせた。父はその日、イルスを見送りに現れたが、その時にも、父親らしい言葉のひとつさえ、口にしようとしなかった。

 海辺の庵で、14歳になる今まで剣の修行に明け暮れ、突然、父の命令で首都に呼び戻されたと思ったら、今度は人質として異国へ赴けと言う。

 数年ぶりに会った父は、イルスの記憶の中にいた男より、いくぶん年を重ねていたが、相変わらず、精悍で凛々しく、逞しい、族長の名にふさわしい者のように見えた。浅黒い肌に、真冬の海のような暗めの青の瞳、額に頂いたマルドゥーク家の家長の証しである額冠(ティアラ)、金の短刀を握ってイルスに差し出した手は、14歳になった今でも、イルスのものより大きく、力強かった。

 幼い日、首都を追われ、母亡きこの世でただ一人、イルスに優しくしてくれた同腹の兄と引き離されることに泣いて抗ったイルスを、遠い海辺の街に行く馬車に投げ込んだのも、これと同じ父の手だった。イルスは父に、一人前の男として扱われたかった。あの時のように、無様に馬車に投げ入れられるのは、二度とご免だ。

 イルスは黙って短刀を受け取った。尋ねるべき事は色々あった気がするが、うまく言葉にならなかったのだ。それきり、イルスは父と顔を合わせていない。

 刀身に映る瞳の青は、確かに海の色に酷似していた。故郷の海を、小さく切り取って持ってきたかのようだ。トルレッキオには海がない。ここで命を落とすことがあれば、もう二度と海を見ることはないだろう。

 「役目ご苦労。見送りはここまででいい」

 短刀を鞘に戻して、イルスはそれをベルトに挟んだ。高い丸天井に反響し、イルスの声は予想以上によく通った。

「殿下」

 イルスの侍従として、内陸への旅に付き添ってきた兵士達が、石の床に膝をついた。

「しばらくのご辛抱です」

 青い目の同胞たちが、強ばった顔でイルスを見上げている。彼らが口々に告げる別れの言葉に何と答えるべきかわからず、イルスはただ彼らに微笑みかけた。

 「お部屋の用意が整いました」

 いつの間にか、部屋に現れていた山エルフの老人が、別れを惜しむ侍従たちを追い払うように言った。

「ご案内いたします。さあ、どうぞ」

 よく響く声で、老人は言う。追い立てるような早口だ。

 「…帰路も気を抜くな」

 侍従達に声をかけ、イルスは山エルフの老人の後を追った。

「殿下」

 何を告げるでもない、侍従達の声が背後から聞こえてきた。期限のない、人質としての生活が始まろうとしている。追いすがる同胞の声を聞きながら、イルスは振り向かずに歩いた。



  * * * * * *



 「こちらでございます」

 山エルフの老人は、黒檀の扉の前で立ち止まった。

「鍵は後ほどお預けいたします。

 お部屋付きの執事がおりますので、ご用の際にはお申し付けください」

真鍮の鍵をイルスに見せて、山エルフの老人は言った。相手が聞いているかどうかなど、まるで頓着しない口調だ。案の定、イルスがうなづくのも確かめずに、老人は黒檀の扉を開いた。

 かすかな音さえなく、扉は開いた。中は、石造りの床に絨毯を敷いた居間で、イルスには馴染みのない、山エルフ風の調度品が置かれていた。重たい木でつくられた家具が、壁を埋めている。どれも古い物のようだが、きちんと手入れされ、つややかに磨かれていた。

 「必要な物があれば、用意させますので、お申し付け下さい。

 国元からお好みの調度品をお取り寄せになっても、よろしゅうございます」

冷たい口調で言って、老人はイルスに鍵を手渡した。

「ですが、お部屋の改造は、もうご遠慮ねがいます」

 山エルフの老人は、灰色の目でイルスを睨み付け、念を押した。

 「もう?」

 わけがわからず、イルスは聞き返した。

「ここは由緒ある学院でございます。

いかに王族のご子息のご要望とはいえ、そう何度も壁を抜くわけには参りません」

「壁を抜く…!?」

 語気の荒い老人に気圧されて、イルスは居間の壁を見渡した。どの壁も、変わった様子はない。

 「古ぼけた壁の一枚や二枚、ケチケチするなよ、貧乏くさい」

 突然降ってわいた声に、イルスは飛び上がりそうになった。確かにさっきまでは、誰の気配もしなかったはずの居間から、その声は聞こえた。

 「誰だ」

 とっさに、帯びていた剣に手をやり、イルスは誰何した。声がした辺りに目をやると、長椅子の背越しに、白い腕が現れるのが見えた。

 「イルス・フォルデス・マルドゥーク、だね?」

 歌うような口調で名を呼ばれ、イルスはうろたえた。

 長椅子に寝そべっていたらしい人物が身を起こし、こちらを向いた。象牙のような白い顔に、長いまっすぐな黒髪、猫のような瞳。黒エルフだ。痩せた小振りな顔の中で、長い睫に飾られた黄金の目が、宝石のように見える。

 黒エルフを見るのは、初めてだった。魔法部族の少年の華奢な美貌を前に、イルスは呆気にとられるばかりだった。

 「なんて綺麗な青い瞳だ。気に入ったよ、イルス」

 くすくすと笑い声をたてて、黒エルフは言った。耳障りの良い美声で誉められているのが自分のことだと気付くまで、イルスは眉間に皺を寄せて悩まなければならなかった。美貌の黒エルフが、他人の美しさについて話すなどと、想像も及ばなかったからだ。

 「スィグル・レイラス・アンフィバロウ殿下です」

 不機嫌そうな口調で、山エルフの老人が告げた。いつまでも名乗らない黒エルフに苛立ったのだろう。それを元々知っていた様子で、黒エルフの少年はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。

「君と同様、同盟の生け贄としてここへ送られてきた身の上さ。

どうやら、屠殺場に引き出されるまで、まだいくらか時間がありそうだ。

余生をともに過ごす相手が、君のようにマトモな奴で嬉しいよ」

 黒エルフのスィグルは、長椅子の背に頬杖をつき、値踏みするような目でイルスを眺めてくる。

 黒エルフ族の族長リューズと、父ヘンリックが戦友だという話は聞いていた。目の前にいる黒エルフの少年は、そのリューズの息子ということになる。「砂漠の黒い悪魔」と呼ばれる族長リューズの血を引くにしては、スィグルは華奢すぎるように見えた。父同士は、数度にわたる同盟関係によって友情を交わしたのかもしれないが、イルスは、女にもやり込められてしまいそうに、ひ弱なスィグルと付き合っていく自信がなかった。なにしろ、この皮肉屋にどんな言葉をかけていいかすら、思いつかないのだ。

 山エルフの老人が、苛立った咳払いをした。はっと我に返って、イルスは青白い山エルフの顔を見上げた。

「このお部屋の鍵でございます」

 山エルフの老人は、真鍮製の大振りな鍵をイルスに差し出した。

「学院におられる間は、ご自分のお屋敷とお思い下さって結構でございます。

ですが、くれぐれも…」

「壁を壊すのはやめろ」

 スィグルに言葉を遮られて、老人はますますムッとした。スィグルが無遠慮に笑い声をあげる。

「お前達の伝統が何なのかなんて知らないが…ここの部屋は僕には狭すぎるのさ。

どうせなら、部屋は広い方がいい。イルスだって賛成してくれると思うけどな」

「お言葉ですが、当学院の規則で、学寮ではそれぞれ個室をお持ちになると決まっております。

どんな理由がございますとも、お二人での同居は認めておりません」

「同居!?」

 思わず大声で言葉を挟んでしまったイルスは、山エルフの老人と黒エルフのスィグルの視線を浴び、慌てて口元を覆った。

 「ご存知なかったのですか」

 怪訝な顔で、老人は尋ねた。

「聞いてない。どういうことだ」

 きょとんとしているスィグルに目を向けはしたが、結局、イルスは山エルフの老人に尋ねた。

「僕の父の意向だよ。君も承知してるんだと思っていたけど」

 答えはスィグルの方から返ってきた。イルスは軽い目眩を感じて、こめかみを押さえた。恐らく、父ヘンリックは、イルスに伝える必要がないと勝手に決めてしまったのだろう。父の話は、大抵いつも説明が足りない。

 「知らなかったのなら、とんだ手違いだけど…

もう部屋を分けていた壁は壊させてしまったし、あきらめてもらうしかないね」

「…………」

 陽気に語るスィグルの顔を見つめたまま、イルスは言葉を探していた。

 「何とかならないのか?」

 山エルフの老人に、イルスは尋ねた。

「お気の毒です」

 老人は、本当に気の毒そうな顔をしていた。

 イルスは微かにうなだれ、老人が差し出したままだった真鍮の鍵を受けとった。

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