第27話 エピローグ(3) 最後の最後に、まさかの怪盗紳士ラッフルズ登場
斉藤昌喜は、そこでワープロソフトの入力を止めた。
「やっと、完成か……」とつぶやいたが、すぐに、
「待てよ、この内容だと、ドイルは確かにゴールしたんだけど、ボールと彼の姿が消えてしまうから、中世フットボールをプレーしてる側からすると、試合が曖昧に中断してしまう。ああ、また、書き直しか」
彼は、改めてあらすじを見直した。
「 本物のコナンは、熱血体育会系怪力バーバリアンだった。異色のマルチスポーツ学園ミステリー。
1888年、貧乏開業医コナンドイルは、ホームズものの第一弾緋色の研究を世に送り出したが、生活は苦しいままだった。そんな彼にとんでもない話が持ちかけられた。生物学者ハクスリーを中心とした進化論支持者たちが、時間移動装置を開発したというのだ。ドイルはハクスリーの弟子HGウェルズと接触を試み、研究室にある装置で、二十一世紀の日本にタイムトラベルする。
ドイルは高校の英語助手として生計をたて、一軒家を借りて暮らすが、その家では二年前に不可解な密室殺人が起きていた。無類のスポーツマンである彼は、サッカー部、ラグビー部のコーチを引き受け、野球部や暴走族にクリケットを教える。彼の影響により、サッカー部とラグビー部の19世紀フットボール対決、野球部内の野球派とクリケット派によるベースケットボール対決、野球部と暴走族の本格クリケット&中世サッカー対決などが実現する。
その裏で彼は、刑事と協力し、犯人を追いつめていた 」
はっきりと中世サッカー対決と記してある。勝敗をつけずに、エンディングではまずい。
それなら、大勢が彼のゴールを目撃して、白の勝ちにすればいいか。
けど、誠からすれば、彼は普通に本国に帰国しなければいけないので、それも良くない。
そうだ。ボールを持ち帰らずに、さよならというメッセージを書き残して、公園の入り口にでも置いておけばいい。
今年大学二年になる昌喜は、高校時代から書き進めていた小説を、まだ完成できないでいる。ひととおり書き終えてはいるが、その内容に満足できない。それで、書き始めてから二年以上経つが、誰にも見せたことがない。
いや、携帯画面で入力していたのを、誠に一瞬だけ覗かれたことがある。そのとき誠は、昌喜が既存の携帯小説を読んでいるものと思ったようだ。
読むなら画面をスクロールするだけなのに、昌喜が親指を頻繁に動かしているのは、文字入力しているからだと、彼は気づかなかった。
バッツマンで疲れていたせいか。それとも有名な探偵であるホームズの名前で、既存のミステリ作品と判断したのか。まあ、あの状況で、それがホームズの作者を主人公にした、昌喜のオリジナル小説の冒頭部分だとは思わないのが、普通だろう。
あのアイデアが具体的な形になったのも、誠のおかげだ。
退屈なテストマッチ見物の時間潰しに、前から暖めていたアイデアを文章として表現してみたのだ。そうして、最初は携帯で書き始めた小説も、データをPCに移して、本格的なものに仕上げようと努力しているが、ハクスリー達が行った実験データからでは、滞在時間を正確に三年に設定するのが困難、などの時間移動に伴う様々な問題が彼を悩ませて、何度書き直しても、直し足りない気がする。
高校時代推理小説研究会に所属し、実際に彼のいる街で起きた殺人事件を研究していた彼は、ある外国人と知り合った。
アーサー・エドワード・ホワイトは、大柄な体格、口ひげ、優れた運動神経と怪力、さらにアーサーというファーストネームで、彼にある有名作家を連想させた。
そもそものきっかけは、ランスから聞かされた、WGグレース最後の事件という小説だった。
十九世紀末のアメリカやロンドンを舞台に、グレースを探偵役に、ワトソンやウェルズなど当時の有名人がフル出場するユーモアミステリに興味を覚えて以来、昌喜は当時のSF・怪奇・ミステリの登場人物や作家について研究した。
そのうちの一人であるコナンドイルに関する記述には、必ずといっていいほど、有能なスポーツマンだったことが記されていた。
ホッケー、ラグビー、クリケット、サッカー、水泳、ボクシング、スキーなどスポーツ万能。医師時代には、サッカーやクリケットでの活躍で地方新聞に取り上げられた。有名になってからは、クリケットの一流チームに所属し、プロとも対戦。初期のバイクや自動車のレーシングなど枚挙にいとまがない。
昌喜の頭の中で、ホワイトが実はドイルで、当時ミス研の主要課題だった桜木町の密室殺人を解決していく空想物語がふくらんでいった。
もちろん 両者には幾つか異なった点もある。ハクスリーの影響で不可知論者になったドイルが、「神の名にかけて」と宣言するとは思えない。
英国でなら、周囲との関係でそう発言することもあるかもしれないが、非キリスト教文化圏の英語の通用しない日本で言うのは、本音に違いない。それ以外にも、あるスポーツの得手不得手が決定的に違うのだが……。
十九世紀生まれのドイルと二十世紀生まれのホワイトでは、活躍する時代に一世紀以上の隔たりがある。タイムマシンでも使わなければ無理な話だ。
タイムマシンと言えば、その作者のH・G・ウェルズはドイルと同時代の人間だ。ただし、スポーツマンとして若き日のドイルを描こうとすると、彼より七歳年下のウェルズはまだ学生で、とてもタイムマシンを製作できたとは思えない。
そこで、彼の師で有名な生物学者ハクスリー卿の登場となる。ダーウィンのブルドッグと異名をとる論争好きなハクスリーにとっても、天敵である進化論反対派を黙らせるサンプル集めなら、タイムマシン開発の充分な動機となる。もちろん、生物学の知識だけでは開発は無理だ。賛成派の頭脳を結集する必要がある。ハクスリーの名声と行動力ならば、それも可能だろう。
そして、未知の世界に挑むタイムマシンの乗組員として、ドイルのような貧乏で暇を持て余した、体力気力のそろった冒険好きの若き医師は、他を探してもいないほどの適材といえる。仲介するのは出版社。
こうして駆け出しの作家で暇な医者だったドイルは、二十一世紀の日本にアーサー・ホワイトとして登場するのである。
タイトルはロバート・E・ハワードの「コナン・ザ・バーバリアン(邦題コナン・ザ・グレート)」をもじって「コナンドイル・ザ・バーバリアン(邦題コナンドイル・ザ・グレート)」。
バーバリアンは、主人公の強靭な体力を表現するのみならず、上流階級の子弟が学ぶパブリックスクールで育まれたスポーツのバーバリアン的な激しさも意味している。
物語のプロローグで、未来の日本に来ることになった事情を、三人称で客観的に説明し、本編では昌喜自身が語り手となって、ドイルとともに密室殺人の謎を解き明かしていく。
英会話クラブと英会話対決でドイルを取り合う合同フットボール部に、昌喜が加勢し、フットボール部は英会話クラブに勝利する。後半になって昌喜は、ホワイトがコナンドイルだと気づくのであるが、誰にも話さず、自分自身の胸におさめた。
密室トリックは時間移動を応用したもので、一旦イギリスに戻ったドイルが、再び同じ転送先に移動して、事件発生を阻止するのだ。
しかし、現実は思いがけない方向に進んでいっだ。
名探偵コナンドイルのモデルであるホワイト本人が、犯罪に手を染めてしまうとは、ミス研部員の昌喜にも予想できなかった。
今から思えば、それを匂わせる動きはあった。
昌喜が、最初にホワイトの行動に不審を感じたのは、中世フットボールの試合前に、河川敷広場が整備されていたことだった。
それも当日だけでなく、わざわざ前日に出かけて、地ならしをしたという。あんな荒っぽい競技にそこまで手間をかけるくらいなら、周辺の草を刈り取って、そこで五日間のテストマッチをすればよかったのではないか。せっかく広い工場跡地を確保したのに、実力の低さからオーバルを狭くとったくらいだ。草刈りも全てとはいわず、広場を少し広げる程度ですむはずだ。
時間のほうも、テストマッチが決まった一月から春休みの開催まで、相当期日があった。彼の頼みなら大勢の生徒や暴走族をかり出せるから、その間に草を刈って、河川敷広場を広げるくらい容易なことだ。
そうすれば、クリケットに必要な充分な広さが確保できるだけでなく、常時使用できるようになる。そうしなかったのは、工場跡地でテストマッチをしなければならない理由があったからだ。
さらに前日に地ならしをしたのは、大々的に地ならしをすることで、ある作業を隠す狙いがあったためだ。
被害に遭ったのは、大きなステーキレストランの経営者だった。信用金庫に一週間分の売り上げを持っていくとき、駐車場で車から出たところをホワイトに襲われ、現金の入ったキャディバッグを奪われたのだ。
ホワイトは、誠とバッティングセンターに行ったとき、この経営者と遭遇している。そのとき、信用金庫の渉外係がいて、経営者とパターの練習をしていた。
昌喜は、その場に居合わせたわけではない。誠からおおよその話を聞いて、想像力で補った。誠が覚えていたのは、社長と営業マンがいて、週に一度、社長が営業マンの会社に寄って、キャディバッグに入れた大切なものを渡し、その後、ゴルフ練習場に来ることだった。
信金業界では集金業務の廃止、効率化、有料化などが叫ばれ、顧客は有料で集金依頼をするか、自分で銀行まで行かないといけない。以前は、無料で集金してくれていたのが、有料になったので、自分で売上金を預けに行くことについて、経営者が愚痴をこぼしたのだ。
ホワイトは、二人の会話から、経営者が週に一度、現金をキャディバッグに入れ、銀行に寄って、その後、ゴルフ練習場に来ていると推測した。
会話の後、経営者と渉外係はすぐ帰ったので、同じようにすぐ休憩を切り上げたホワイトは、練習場から、ネット越しに、二人が経営者の車に乗るのを目撃した。そのとき、車の車種や色がわかった。会話にあった通り、新車だったので、当分、買い換えることはないと判断した。
この時点では、経営者の会社も銀行の名前もわからず、犯行を計画したわけではない。キャディバッグに現金を入れていることに興味を持った程度で、特に意味のない情報にすぎなかった。
それが、渉外係の勤め先が特定できたことで、犯行に可能性が出てきた。
走るのが得意と語っていた若い行員は、ホワイトの参加した市民駅伝に参加していた。タスキには銀行名が記され、経営者の会社がどこかわからなくても、銀行の近くに待ち伏せしていれば、犯行が可能となる。
昌喜は、女子生徒が携帯で撮った映像を見せてもらい、市ノ瀬のすぐ近くにいた、信金チームのアンカーがその青年ではないかと思って、誠に確認したが、彼は顔まで覚えておらず、
「何でそんなこと聞くんだ?」と怪しんでいた。
さすがの昌喜も、ホワイトがタスキを渡すときミスした理由が、あのときの行員を見つけ、動揺したからだとは言えなかった。
銀行を特定できたが、実行するにはまだ問題はある。バッテイングセンターに行った時点では犯行を企てたわけではないので、それが何曜日のことか覚えていなかったことだ。ホワイトは一緒に行った誠にも聞いたはずだ。しかし、夏休み中で曜日感覚の麻痺している誠も、覚えてはいなかった。
平日の昼間、何日も銀行の駐車場付近にいれば怪しまれる。ゴルフ練習場に毎日通えばいいが、費用もかかるし、彼も仕事を持つ身だ。実際に犯行を行おうとまでは思わなかったはずだ。
そんなとき、ちょうど、いい機会が訪れた。
ゴルフ練習場と道路を隔てた向かいの工場跡地で、最大五日間に及ぶクリケットの試合を行う方向に話が進んだことだ。
経営者の車を覚えていたホワイトは、フェンス越しに向かいの駐車場に経営者がやって来るのを見張っていれば、それが銀行に寄った直後なので、曜日と銀行を訪れるおおよその時刻がわかると気づいた。
テストマッチ開催を拒んでいた彼は、駅伝の後から、テストマッチを進めていく。
強力な助っ人が二人も予定外に加わったので、テストマットはなんとか五日間持ったが、本来は両チームともバッティングが未熟で、すぐアウトになるので、二イニングスでも最初から3デイマッチで充分だった。それなら、土日と振り替え休日ですむ。
しかし、ホワイトには平日五日間というスケジュールが重要だった。それが一週間における銀行の営業日だからだ。
あのテストマッチの間、彼は道路の向かい側のバッティングセンターの方が気になって、ゲームには関心を持たなかった。
そのくせ試合日程を延ばすように干渉した。雨なのにゲームを強行に開催したり、四日で終わるところを、自分が参加して五日に延ばした。
その五日目も途中まではブロック中心で点を稼ごうとせず、ひたすら試合時間を延ばした。それがランチタイムがすぎると、強打路線でバウンダリーを連発し、得点を稼いでいく。
これはもう目的を達成して、試合を引き延ばす必要がなくなったからだ。その時点で彼は、レストランの経営者がゴルフ練習場に着くのは、金曜午後一時頃だとわかったのだ。そのランチタイムも見物人の相手を口実に一時過ぎまで引き延ばし、ゴルフ練習場のほうに注意を向けていた。
これで後は、夏休みなどの長期休暇の金曜に、犯行を行えばいい。それが、思いもかけぬチャンスが訪れ、大幅に早まった。テストマッチが引き分けに終わったことで、決着をつけるため、すぐ翌週の金曜日に中世フットボールを開催することを提案できたのだ。なぜ、フットボール中を選んだかというと、アリバイに利用できるからだ。
よく考えてみれば、テストマッチを平日に開催したばかりなのに、中世フットボールの日程を翌週金曜日に組んだのは不自然だ。
テストマッチなら、平日のほうが場所の確保が容易という理由がつけられるが、利用者のほとんどいない早い者勝ちの河川敷なら、土日のほうがいいはずだ。もちろん、経営者が銀行を訪れる日に合わせたのだ。
その中世フットボールの開始場所も、土日ならともかく、わざわざ平日の金曜に日程を組んだのだから、河川敷でなくても工場跡地でいいはずだ。広さも河川敷広場より広いし、地面の状態がいいので、整備に手間をとらない。
工場跡地ではアリバイ工作ができない。ホームレスの小屋の建っている河川敷広場以外ではだめなのだ。
テストマッチは点差があったのに、二イニングス消化できず引き分け。参加者がそれに抗議した勢いを利用して、翌週には中世フットボールが開催されることになった。
フットボールの試合中、彼一人抜け出して、強盗を働く。現金を手に入れたら、何事もなかったかのようにゲームに戻る。
そこには刑事もいるから、気づかれないように巧妙に仕組む必要がある。もし成功すれば、これほど頼もしいアリバイ証言者はいない。
具体的にどう抜け出すかだ。彼は、ホームレスの小屋を利用することを思いついた。試合が始まってまもなく、体調不良を理由に一眠りすると言い残し、小屋に入る。
犯行を終えた後、何事もなかったかのように小屋から出る。小屋の入り口はひとつしかない。誰も、彼がその間に小屋から出たところを目撃したものはいない。
小屋から気づかれずに抜け出すのは簡単だ。
トンネルを掘ればいい。
小屋は、河川敷の比較的柔らかい土の上に建っている。すぐ後ろは丈の高い草むらで、そこに通じる穴があれば、気づかれずに外に出ることが出来る。床には絨毯が敷かれているが、その下は土の上にスノコが置かれているだけだ。人が通れるだけの穴をほっても、上手にスノコを置けば、見かけ上は変わらない。
穴はそれほど深く掘る必要はない。胸板の厚い彼でも、深さ四十センチもあれば、ベニア板の壁の下を仰向けでくぐり抜けられる。あの体力で建築現場の経験もある彼なら、大して時間をかけずに、自分の出入りできるトンネルを掘れる。
あの場にスコップが二本あったことも、ホワイトの犯行を示している。ホワイトがひとつを地中から引き抜いた時、誠はホームレスが使わなくなったスコップを埋めたものだと解釈した。
最初は昌喜もそう思っていた。小屋の中が整然としているのは、不要なものを近くに埋めていたからと理由付けもした。
あのとき地表に出ていたのは、スコップの柄の握りの一部分だけだった。ホワイトがそれを引き抜いたのは、それが武器として使えるものだと知っていたことになる。何が埋まっているか知っていたということだ。それなのに地面整備のために、わざわざ同じものを学校から借りた。
あのとき引き抜いたのは、ホームレスが武器を持って暴れていたのでやむを得なかったが、出来ればその存在を自分以外に知られたくなかった。夜一人でスコップを使っていたことがばれる危険があるからだ。スコップを使う作業といえば、穴を掘ることぐらいだ。
地中に埋めるくらい隠したいものだったが、また使う可能性があるので、深く埋めず握りの部分が見えるようにしておいた。実際、戦闘に利用することになった。
競技の前日木曜日、生徒達と準備作業が終わると、学校にスコップを返した。その後でもう一本の自分で用意したスコップで小屋の穴を掘った。仮にそのとき誰かに彼が河川敷にいることがばれても、翌日の競技の準備をひとりでしていたと理由がつけられる。
使用後のスコップは小屋においておくのはまずい。草むらに置いておけばいいと思えるが、仮に小屋の穴が見つかった場合、草むらまで探される可能性もある。穴はホームレスが掘ったことにしたいので、スコップに自分の汗が付いているのはまずい。川で洗うのも面倒なので、近くに埋めておいた。
あの体勢で地面からスコップを引き抜くのは、相当な力が必要だが、後で使うつもりで一時的に隠しただけなので、あの体力自慢にとっては大したことではない。スコップが埋められたばかりで、土が柔らかいのを隠すため、必要以上に力んでみせたのだ。
見物席から南側のゴールを見れば、自然に小屋の入り口が目に入る。見物席を南よりにしたのはそのためだ。アリバイ証言用にラグビーやサッカー部員を用意したが、見物人が常に小屋の方を見ているわけではないので、見物人はある程度の人数が必要だった。
彼が出てこなかったことは、複数の人間が記憶する。しかも、扉は半透明の塩ビ波板で、彼が脱いだ服を工夫して扉の近くに置けば、寝ている姿まで目撃されたことになる。体調不良を装うが、万一呼び出された時のため、扉は施錠しておく。
小屋に入って扉を施錠した彼は、小屋の奥、外から見えない位置に行き、絨毯をめくりスノコをどかす。穴にはヘルメット、着替えの革ジャンとイカの浮き具が隠してある。イカの浮き具はすでに適度な大きさにふくらませてある。
トレーニングウェアを脱ぐ。それを扉から少し離れた位置に、背中を扉の方に向けて置くのだが、ふくらみがないとおかしいので、イカの浮き具を使う。いっぱいにふくらませると大きすぎるので、適度な大きさに空気を入れてある。それにトレーニングウェアをかぶせる。二本だけ長い足ももちろん使う。
前もって、最適な位置を割り出しておいたので、外から見れば、腰から背中にかけた辺りが、ぼんやりと見える。もちろん、フードは立てておく。
それから、革ジャンに着替え、ヘルメットをかぶり、穴をくぐる。外に出たら草むらで身体を隠しながら、バイクの停めてある場所まで気づかれないように進む。誰かに見られても、暴走族の一人だと思われ、それほど怪しまれないだろう。
強盗なので、目撃されても誰かわからないよう、ライダー姿になる必要もあり、バイクを利用する。ナンバーの目撃証言はないが、暴走族との交流から、偽造ナンバープレートを使った可能性もある。
被害者は、現金を小型の鞄などに詰め、それをキャディバッグに入れていたはずだ。その鞄だけを抜き取り、バイクで河川敷に戻る。現金の入った鞄は小さいので、途中でどこかに隠したか、小屋に持ち帰ったかどうかわからない。小屋に戻ると、革ジャンとヘルメットを脱ぎ、トレーニングウェアに着替え、穴に浮き具とヘルメット、革ジャンを埋める。
穴をくぐる時、身体に土が付着してしまった。小屋の中でよく払った上、トレーニングウェアを着るので見た目はほとんどわからない。しかし、体温が上がっていたのと、顔や手など露出する部分を念入りにタオルでぬぐったため、タオルに汗と土が付着した。
小屋から出て、首にタオルがかかっているのに、トレーニングウェアの腕で汗をぬぐったのは、タオルに土がついていたので使うことを避けたためだ。小屋で寝ていただけなのに、四月の気温で少し走っただけで汗をかくのもおかしい。小屋に入る前は地面に倒れたり、汗をかくほど運動していなかったことから、これは小屋に入ってから出るまでの間に、土まみれや汗まみれになる作業があったということだ。
予定外にホームレスが現れたため、計画では後日の予定が、その場で小屋の細工を隠す必要が生じた。後で警察が小屋を調べたときに不審を抱かないように、小屋の下の地面全体を凶器探しを口実に掘り起こしておくのだ。そうしなければ、彼が通った穴を埋めた部分だけ地面が柔らかいことがばれる可能性がある。
もともと彼が通った穴には、犯行終了後にイカ浮き具を詰め、上に土をかぶせてわかりにくくしておいた。それだけでは不十分になったので、凶器を見つけ、昌喜と誠が小屋から出た後に穴を塞いだ。浮き具は空気を抜けば扱いは簡単だ。隙を見て小屋の外側の穴も塞いだと思われる。
凶器探しは昌喜と誠が証人になるが、肝心の穴を埋める作業の時は、二人には小屋の外に出てもらいたい。後は一人でやりますといえばいいが、絨毯を二枚折りにして半分ずつ作業するから、途中、小屋の入り口側で凶器が見つかれば、確認のため二人を暗い小屋から出せる。
前日小屋の奥側、スノコの下に 凶器を見つけたときに、そんなところにあっても困るので、入り口側に埋めて念入りに土を固めておいたのが役に立った。いつの日か警察が見つけるかもしれないと思っていたが、翌日自分の手で掘り起こすとは、本人も予測していなかったに違いない。結局、二人はまた小屋に入ってきたので、自分ひとりでやると言うことになった。
昌喜がホワイトを最初に怪しんだのは、ホワイトの何気ない一言が原因だった。
ホワイトが小屋から出て、ロープを張り直している間に、山田刑事と桜田さんのところに電話がかかってきて、二人とも河川敷広場を離れた。ということは、ホワイトは強盗があったことも、犯行場所も知らなかったことになる。
ホームレスを捕まえ、ホワイトが山田刑事に携帯で連絡を入れたときは、早口で、
「すいません。ホワイトです。今、あの男をつかまえましたけど、え? 強盗ですか。それなら、そちらを優先してください。こちらは大丈夫ですけど……来ていただけますか。お待ちしてます」
という短いやりとりだけだった。
絶対とは言えないが、話の調子からすると、電話の向こうの山田刑事は、強盗としか言っていないように思われる。
それなのに、ホワイトは誠に、
「銀行のすぐ近くで強盗があって、山田さんはそれででかけました」
と、犯行場所まで指定して教えている。
実際にホワイトの会話を聞いていた昌喜は、ホワイトは山田刑事から犯行場所を聞いていないのに、誠に銀行のすぐ近くだと、具体的な場所を話している可能性があると判断した。
その場合は、ホワイトがその強盗に関わっているということになる。
しかし、彼は小屋の中で寝ていたはずだ。本当に小屋の中にずっといたのだろうか?
昌喜は、赤毛連盟のように、穴を掘れば、抜け出せるとすぐに気づいた。
赤毛連盟は言うまでもなく、シャーロックホームズの活躍するドイルの短編小説である。
質屋を営む赤毛の男のもとに、赤毛連盟なる組織から、組合事務所内にて百科事典を書き写すという、高報酬かつ無意味な作業依頼が来る。数週間後、赤毛連盟は解散。疑問に思った質屋は、ホームズに調査を依頼。
その結末はこうだ。質屋の隣は銀行で、その銀行に通じる穴を掘るには質屋が邪魔になる。そこで数週間留守にしてもらうために、銀行強盗一味が架空の組織をでっちあげたというわけだ。銀行に預ける予定の金を狙った点といい、穴を掘った点といい、犯行準備を隠すため別の組織的活動を用意した点といい、まさに赤毛連盟だ。
赤毛連盟は、ドイルの最もお気に入りの中世騎士物語「白衣の騎士団」の翌年執筆された。質屋が無意味に書き写した百科事典の項目は、白衣の騎士団の世界を連想させるものだった。白騎士と赤毛連盟は最初から因縁深いのだ。
今ではホワイトの犯罪を確信している昌喜だが、現場にいたときは、少し怪しむ程度で、彼の犯行を証明するようなことはしなかった。それに、彼が友人であるランスのコカイン使用を秘密にしていたように、昌喜も彼に対する友情を犠牲にすることはできなかっただろう。
なにしろアーサーホワイトは、昌喜が当時構想を暖めていたSFミステリの中では、一緒に密室殺人に挑む探偵仲間なのだから。絶対に解決不可能とあきらめかけた昌喜に、アーサーホワイトは、自分が本当はコナンドイルだと打ち明け、タイムマシンを使ったトリックを解き明かす。
物語の中では、彼が帰国する時、昌喜は記念のサッカーボールに、
「おい、外人。短い間だけどよ、友達になれてうれしかったぜ」
と、鳥居鉄雄のセリフをそのまま記すことになっている。
高三の夏、実際に彼を見送ったとき、昌喜は声に出していった。
「おい、外人。短い間だけどよ、友達になれてうれしかったぜ」
昌喜の意外な言葉に、彼は片手をふり笑顔を浮かべた。昌喜はなぜだか涙が出た。誠の言葉は、その昌喜さえ驚かせた。
「アーサー、君はひ弱な僕らを鍛えるために、神様が遣わしてくれたスポーツの化身だったんだね」
それは物語の中で、ドイルが日出公園に消えた後、誠が言うセリフだった。知らないうちに昌喜は誠に、物語のセリフを話していたのだ。そのせいでそのセリフは文章から削除した。
誠は、昌喜よりもホワイトと親しく、一緒にいた時間も長い。それで物語の語り手を誠にする案も浮かんだ。ただし、誠の場合、桜木町殺人事件については概要はわかっているものの、被害者の名前さえ知らず、ミス研のディスカッションに出ていない。事件でひどく傷ついた被害者の父親や、個性豊かな英会話クラブの部長も登場させることはできない。
その代わりスポーツに深く関わった分、もう一つの強盗事件については、昌喜より事前の状況に詳しい。
ホワイトをドイルとして描くなら、話者は昌喜で、強盗事件は存在しないことにしなければいけない。両方の事件を描くには誠がいいが、コナンドイルを登場させることはできない。結局、昌喜はドイルを登場させ、オーソドックスなSFミステリにすることを選んだ。ドイル登場と強盗事件、両方の要求を満たすアイデアがあればいいのだが。
たとえば、本当はホームレスは女子高生を殺していなくて、真犯人から買収されて自首しようとした。ドイルは、その真犯人に罠をかけるために、河川敷で中世フットボールを開催し、強盗事件をでっちあげたなど。そうすれば、誠が語り手になって、スポーツマンとしてのドイルを思う存分描くことができ、密室の謎も強盗事件の緊迫感も出せる。誠が筆者なら、タイトルは「コナンドイル・ザ・グレート」よりも「アーサーの想い出」がいい。小学生の作文みたいで、誠にぴったりだ。
なかなかいいアイデアだが、本編のほとんどを書き直さなければいけないことが問題だ。
密室殺人が解決した時、もうひとつの事件が発生した。二つの事件は、クリケットのピッチの両側に立つ二つのウィケットのようだ。二人の犯罪者はバッツマンのペア。誠はボウラーで昌喜はウィケットキーパー。
それぞれのバッツマンは、自分の犯行というウィケットから逃れようと懸命に走る。競技の性質上、崩せるのは片方のウィケットのみ。昌喜達の活躍で密室ウィケットは崩せたが、強盗ウィケットは無事なままだ。よしさんはアウトで、アーサーはセーフ。このままセンチュリーを狙うのかもしれない。
誠は、ホワイトと海水浴場に出かけていた。
ホワイトは廃墟ホテルで、ランスはその日九州に撮影に行っていると言った。ランスは、行列の出来るランチメニューの九州料理特集の撮影中に、ホワイトにイギリス料理について聞いたといった。
ランチの行列を撮影するのはランチタイムのはずだから、午前十一時半から午後一時くらいの間になる。ホワイトが海の家を出て、一人でいる間のことだ。連絡手段は携帯電話しかない。その間、ホワイトは携帯電話を身につけていたことになる。
彼は、荷物を取り返したお礼にビーチバレーの若者から、食事をごちそうすると言われても遠慮した。吉田屋に戻ってからも食べたのはかき氷だけだ。吉田屋以外で昼食をとっていたはずだ。財布を持っていたのだろう。携帯や財布を身につけて泳ぐには、防水ケースがいる。
さらにビーチバレーが終わると、ビーチサンダルを履いた。サンダルを履いたまま、一人でビーチに出たのだ。泳ぐには邪魔になるから、ビーチにいる三年生に預ければいいがそうしなかった。
防水ケースに財布と携帯を入れ、サンダルを砂浜に置いたまま、疲労困憊するほど長時間泳いだのか。到底そうしたとは思えない。
彼はその日海で泳いでおらず、携帯電話と財布をトランクスのポケットに入れ、サンダルを履いて、ビーチをうろついていたのだ。
何故泳がなかったのか?
泳げなかったからだ。
そこが、水泳の得意だった本物のアーサードイルと、アーサーホワイトの違う点だ。イカの浮き具は、そのために用意していた。彼は海の家で買ったと言ったが、箱に値段の印刷された値札シールがついていたことから、ホームセンターなどの大型店で買ったと思われる。
期間限定の個人営業の海の家で、ハンドラベラーが必要な値札シールがついているとは思えない。海の家で買ったのではなく、あらかじめ用意していた。そのことを嘘をついてまで隠したのだ。
浮き輪だと泳げないのがばれてしまうが、動物の浮き具ならデザインが気にいって、これで遊んでみたかったとごまかせる。結局、海につくとすぐ泳いで来ると言って、別行動をとれたので、浮き具は必要なかった。後日、小屋での隠蔽工作に使うとは、さすがの彼も予想していなかったことだろう。
泳げない彼が、カナヅチを隠してまで、海水浴に行ったのは何故か。
ビーチで置き引きをするためだ。
誠達生徒にカナヅチがばれるのを嫌がり、その前の年の夏はレポート作成と嘘くさい理由で海行きを辞退したが、翌年には日本に慣れ、海水浴で置き引きが可能だと知り同行した。
当時の三年生が前年ビーチで日焼けしているだけだったと知った彼は、単独行動が可能と考え、海行きを決断。三年生に同行。置き引きの対象を探し、ビーチバレー客を狙う。
隙を見て荷物を運んだものの、留守番が思いの外早く戻って来て、自分が盗んだくせに盗まれた物を取り返した振りをした。そのままビーチバレーに参加。精神的に動揺していたのと、バレーボールの経験が浅く敗北。
彼と同居していたランスは、自分の持ち物がときどき無くなることに気づき、ホワイトを疑うようになっていたに違いない。騎士道精神と窃盗、一人の人間の中に潜む矛盾した要素は、陰と陽を表す赤と白が対照をなす太極球のようだ。東京進出もあったかもしれないが、そのことも原因で彼と距離を置くようになったのだろう。
ホワイトが日本にやってきたのも、盗癖がばれて母国に居づらくなったことが理由なのかもしれない。決して他人に見せることのなかった彼のレポートには、騎士道に憧れながらも、盗みに手を出してしまう自身の苦悩が綴られていたのではないだろうか。
やはり昌喜の推理通り、廃墟ホテルで誠達を惑わせたのはランスだった。
ホワイトと同居してるランスは、前年ホワイトが海水浴を断ったことや、イカの浮き具を見つけたことから、彼が泳げないことを知った。
それなのに海に行くのは、盗みが目的だと推測した。赤毛連盟のように誠達をフロアから一時的に遠ざけたランスは、その間にホワイトの荷物を調べた。盗品とおぼしきものは無かったが、それで彼に対する疑いが晴れたわけではない。
役者の経験もあるランスは、知人の中東系の若者と協力して、覚醒剤の取引を演出して見せた。理由はホワイトがどうでるかで、彼の本性を知ることができるからだ。わざと彼に取引のことを気づかせ、工場跡地前までおびき寄せた。
生徒がいたためか、取引現場でホワイトはランスを注意し、白い粉の入った袋を取り上げた。中身が小麦粉でなければ、暴力団に売っていたことだろう。彼は昌喜達の前でそれを川に捨てる振りをした。思い切り投げたわりに飛距離が伸びなかったのは、それがポケットティシュだったからだ。
結局、ランスも昌喜も、彼を疑いながらもどうすることもできなかった。でも、今となってみればそれでよかったと思う。今年の春帰郷した昌喜は、ばったり鳥居鉄雄と会った。向こうは昌喜のことを覚えていて、一方的に話しかけてきた。
「おう。坊や、大きくなったな。そうだ、そうだ。あんときの外人、三百万返してくれたぞ。実は俺、ウメが組抜けるの許したせいで、組ん中でちょっと立場が悪くなってな。一度外人に弱音吐いたら、どうやって手に入れたのかしらねえが薬持ってきてな。
それ売って金にしろと言われて。そしたら中身が小麦粉で騙されてやんの。それからあいつがんばって働いて本当に三百万作ってくれて。俺は遠慮したけど、あいつ頑固で、結局受け取ることになった。ああいう律儀な奴と友達になれて嬉しかったぜ」
と、テツは相好を崩して話した。手癖は悪いが、使い途は筋を通しているようだ。
ホワイトはコナンドイルというより、友達思いの泥棒紳士ラッフルズなのだ。上流階級出身の紳士でクリケット選手のラッフルズは、冒険心と経済的必要性から泥棒を始めるようになる。相棒のバニーとのコンビは、ホームズ、ワトソンの犯罪者版と言われる。そのラッフルズの作者ホーナングは、ドイルの妹と結婚していて、ドイルから、犯罪者を主人公にしてはいけないと苦言を呈されている。
一昨年の夏、アーサーホワイトは任期を終え、生徒や暴走族達に見送られながら、母国へ帰っていった。最後に彼は振り返り、涙を浮かべてこういった。
「インザネームオブゴッドアンドハーマジェスティ、アイウィルラブユー。てめえらアイシテル」
そして荷物から太極球を取り出し、空港の床に叩き付け、生徒達の真ん中にドロップキックを打った。そこで、ベースボーラーズとバーバリアンズは最後の戦いを始め、空港は大混乱。警備員に止められ、両者スコアレスドローで試合が終わると、熱血体育会系怪力バーバリアン、アーサー・ホワイトの姿はなかった。
彼は、本当にスポーツの化身だったのかもしれない。
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