第26話 エピローグ(2) 時を遡り、事件発生を阻止せよ
彼が三年の滞在を終え、無事故国に戻ってから再び時間旅行を企てるにいたったくだりは、冒頭に記した通りだ。ハクスリーは出払っていて、ウェルズが彼と応対した。
事情を話すと、
「また同じ時代に行くと言われるんですか。私の一存で決められることではないので、後日教授の都合がついたときに改めて、ということにしたいんですが」
「いや、むしろ、この場に教授はいないほうがいい」
「それはどういう意味ですか?」
「今は詳しいことはいえない。私は、ジャパンであの哀れな被害者が殺害された家に二年以上生活した。あなたも被害者の遺体を見た。私に劣らず、彼女を救いたいと思うはずだ」
「それはそうですが……」
「躊躇していては先に進まない。大切なのは知識ではなく行動することだ」
と、ドイルはハクスリーの言葉を使った。
「わかりました。ただし、教授には秘密にしておいてください」
ウェルズは承諾し、二人は実験室に入った。
医師であるドイルは、ウェルズから聞いた被害者の死後硬直の状態から、ウェルズより三時間前に移動時間を決めていた。
転送先は、見知った時代の二年間住み続けた家の物置。列車に乗るより安全だが、移動先の時間設定が難しい。
「僕の場合より三時間前ですか……」
「これまでに繰り返した稼働実験から、移動時間指定の四つのレバーのうち一番左については、ほぼ正確に指定できるはずだ」
二人は協力して、過去の実験記録から、三時間前のレバーの位置を割り出した。
「これで準備完了だ。荷物は不要だ」
それからドイルは、あらかじめ暗闇に慣れておくため眼を閉じ、十分後、ウェルズに手を引かれて、金属板の上に乗った。そして身一つで、再び二十一世紀の日本に向かった。
赤い蒸気が消えると、そこはあの物置だったが、彼が住んでいたときと状況が違う。
彼はまず、棚の後ろを確認した。二段ベットの上下ともに人がいる。上は被害者になる少女、下は加害者になる男性。二人ともぐっすり眠っている。
次に棚の前に行き、そこにあるデジタル時計を見た。二〇〇二年六月。蛍光タイプなので暗闇でもわかる。ドイルが最初に来た時より一年以上前だ。
棚の前の壁側半分は、テーブルや椅子が塞ぎ、テーブルの向こうにドアがあるが、ノブが錆びていて使えないことは、ウェルズから聞いていた。
それから彼は、部屋の中央を見た。何もないが、まもなくある人物がそこに到着する予定だ。
十五分後、部屋の中央に赤い蒸気が立ちこめた。
蒸気が消えた時、そこにいたのはトーマス・ハクスリー教授だった。その左手にはランタン、右手はサーベルの柄を握っている。ドイルは、相手が自分に気づくより先に、サーベルを奪おうとした。
「何をする」
教授は抵抗した。尊敬する老学者の体を気遣い、遠慮したのがいけなかった。ドイルは逆に、サーベルの柄で頭を殴られ、その場に倒れた。このままでは自分が来た意味がない。やはり歴史は変えられないのか……。
河上義男は物音で目を覚ました。
ここはどこだ? 何故ベッドに寝ているんだ。
それからすぐに、その夜の出来事を思い出した。
高校生の彼女と知り合ったのは、不良達に追いかけられている彼女を救ったことがきっかけだった。
少年達は彼の体格を見て、啖呵を切っただけで 逃げていった。そのとき彼女はお礼を言ったが、自分のことを覚えていてくれるとは思わなかった。ホームレスでこの体格なら、記憶に残りやすいのだろう。
深夜、彼がアルミ缶拾いのため、桜木町付近を徘徊していると、自販機でジュースを購入する彼女に出会った。
彼女のほうから、
「あのときのおじさん」と親しく話しかけてくれた。
「今、親と喧嘩して、物置で籠城中。喉乾いたから窓開けて、外にジュース買いに出たの。話し相手いないからおじさんも来て」と言われた。
彼は彼女に続き、開いている窓から物置に入った。しばらく話していたが、彼女は棚の裏にある二段ベッドで先に寝てしまった。
「下空いているから、おじさんもいいよ」
と言われ、遠慮したが、眠気には勝てず、使用させてもらうことにした。
長さは二メートルあるので、身体の大きい彼でも問題ない。ただし、横から入れず、ヘッドボードを乗り越えなければならなかった。
そのまま眠ってしまったのだが、自分を起こした物音は何だったのか。部屋が少し明るいのはどうしてか。彼は、ヘッドボードの上から顔を出して、部屋を見た。
すぐ傍には、ランタンを掲げた外国人の男が立っていた。かなりの歳のようだ。
「うわっ」
彼は思わず声を出してしまったが、この家の住人を起こすことはないだろう。
彼は冷静になって考えた。
どうやってこの外人は中に入ったのか。外に通じるドアは錆びていて使えないと彼女は言っていた。家側の引き戸はスノコで止めたので開かない。サッシ窓は二重に鍵をかけた。入れるはずがない。
どうやら 幽霊のようだ。
「フーアーユー?」
外人は床にランタンを置き、話してかけてきたが、彼は返事どころではない。
「何? おじさん」
上で寝ていた彼女が起きてしまった。彼女は、寝ぼけたままベッドから降りた。この状況を理解していないようだ。
「誰?」
彼女も異変に気づいた。
「そいつ、幽霊だ」
彼はいった。
「違うよ。だって感触あるもん。やだ、何するの」
外国人は何か言いながら、彼女を連れていこうとする。彼女を助けなければいけない。彼はヘッドボードの上から身を乗り出し、苦労して出た。
「離して!」
二人はもみ合っている。外国人の手には、剣が握られている。
床には仲間と思われる若い外国人が、頭を押さえて倒れている。
一体、この部屋で何が起きているんだろう。もしかしたら、これは夢なのかもしれない。たとえ夢であっても、彼女を助けなければいけない。
彼女は、ヤクザからも嫌われる自分を、人として扱ってくれた。
彼は外国人につかみかかった。かなり歳をとったが、体力には自信がある。
「逃げろ」
彼は、外国人ともみ合いながら、彼女に叫んだ。
「やだ、おじさんが殺されちゃう」
「俺は大丈夫だ」
その言葉通り、相手から剣を奪うことに成功した。しかし、外国人は、彼女を人質にとろうとする。
「きゃっ!」
彼は、手にしたばかりの剣を外国人に突きだしたが、外国人は上手に身をかわし、剣の先は彼女に向かおうとする。 彼女は、咄嗟に死を覚悟したのか、目を閉じた。
そのとき、彼は背後から衝撃を感じた。何がなんだかわからない。後ろを向くと、顔、続いて頭を殴られた。若い頃から喧嘩でならしてきた彼だが、これまで味わったことのない強いパンチだ。
そこで意識が遠のいていく。やはりこれは夢だったのだ。
ドイルは意識を取り戻すと、立ち上がった。
よしさんと教授が争っている。
「武器を離せ、外人」
と、よしさんが日本語で言ったが、教授には通じない。一方教授も、
「どうして彼女を殺そうとするのか」と相手を責める。
ドイルは、勘違いして争っている二人を止めようとしたが、剣の奪い合いの最中で、うかつに手はだせない。
「逃げろ」
よしさんが少女にいった。
「やだ、おじさんが殺されちゃう」
「俺は大丈夫だ」
といって、よしさんは教授から剣を奪った。
教授は、少女をよしさんから保護しようとしているのだが、よしさんにはそのことがわからない。
よしさんは、サーベルを手に教授に狙いを定めた。よしさんがサーベルを突き出すと、教授は身をかわし、サーベルの先は、被害者となる彼女に向かおうとする。
ドイルは反射的によしさんにタックルした。いずれ友人になるよしさんだが、今の彼は、ドイルのことをまだ知らない。悪いが眠ってもらう。仕方なく、よしさんの顔と頭を殴った。
自分にクラウチングスタイルなどの現代ボクシングを教えてくれたトレーナーを不意打ちするのは、あまりいい気分ではない。
よしさんが倒れると、ドイルは土間の床に落ちているサーベルを拾った。被害者になることを無事避けることができた少女は、気を失っている。
教授は、「君は誰だ?」と訊ねてくる。無理もない。まだこの時点での教授は、彼のことを知らないのだ。
「私はハーバード・ウェルズ君の知り合いです」
「何、ウェルズ君の」
「ここでの惨劇を阻止しようと、教授達の開発されたタイムマシンでやってきました」
「ということは仲間なのか?」
「はい。教授ともすでにお会いしています」
「私は君のことを知らんが」
「一度お会いしただけなので、お忘れになったのでしょう」
説明が面倒なので、その辺りのことは省いた。
「そうか。で、お名前はなんといったかな?」
ドイルが自己紹介を終えると、部屋の中央が赤く輝きだした。
「悪いがドクタードイル。私はもう帰らんといかん。君の滞在時間はどうなっておるかしらんが、知り合いになった記念に一緒に帰らんかね」
「いえ、もし私が教授と一緒に帰れば、サウスケンジントンの私とサウスシーの私、同時に私が二人存在することになり、やっかいです」
教授は、サーベルとランタンをとると、赤い蒸気に入っていった。
床の二人は、まだ意識を取り戻さない。
まもなく、彼の一時間の滞在時間は終わる。その後、ここにウェルズが来るはずだ。やっかいなことにならないように、彼は、引き戸の横のダックボード(すのこ)をずらし、二人を物置から出し、また戸を閉め、ボードを再び置いた。
それから彼は、トレーニングウェアのポケットからボールペンを取り出し、メモを残すことにした。
「親愛なるハーバード。進化論はすでに証明された。君はここに来ても何もせず、ただ三十分をすごし、そのまま帰ること。これはハクスリー卿の意志でもある。やがて君の友人となるアーサーより」
帰還の時を待つ間、事件を阻止したドイルは、本来ここで何が起こったのか整理してみた。
ウェルズの戻った後、ハクスリー教授は自分と同じように、事件を阻止しようと、一人ここへやってきた。もちろん武器は必要だ。
教授は、少女をよしさんから救おうとし、よしさんは教授から少女を救おうとした。
よしさんが武器をとりあげると、教授は少女を守ろうとし、よしさんは少女を救おうと、教授を刺そうとした。教授は咄嗟にかわし、サーベルは少女を突き刺した。それでも、よしさんは、もう一撃を教授に加えようとした。またしても教授にかわされ、少女は致命傷を負った。
教授が、少女を救うために時間移動をしなければ、事件は起こらなかった。皮肉なものだ。
自らの手で少女を殺害したよしさんは、その場で混乱したが、言葉の通じない教授は慰めることもできなかった。
滞在時間が終わり、教授は、記念にジュースの空き缶を持って蒸気の中へ。それをよしさんが追い、二人はロンドンへ。
よしさんのことが手に負えなくなった教授は、彼を日本に送り返した。よしさんにとっては夢のような出来事だった。ドイルが河川敷で知り合ったよしさんは、ロンドン帰りなのだ。
そして、ドイルの便が到着した。想い出深いこの家にもう来ることはないだろう。彼は赤い蒸気の中に飛び込んだ。
実験室に戻ると、ウェルズは、彼を送り出したウェルズのままだった。
「そうですか。事件を防げたと。でも、僕の体験では、事件は起こっていました。これはどういうことなのでしょう?」
ドイルにもわからなかった。それはSF専業作家の領分である。
その夜は、ハクスリー卿の自宅に泊まることになった。ディナーの席は、ドイルの未来体験で会話が弾み、大盛り上がりだった。
「百年後の人類が生物の進化について正しい認識を持っておるのも、当然のことかもしれん。せっかく大勢の優秀な学者達が集まって作り上げたタイムマシンだが、最初から必要なかったことになるな」
ハクスリーは嬉しそうでもあり、残念そうでもある。
「それどころか、時間移動の弊害は、恐ろしい結果を引き起こすかもしれません」
ドイルの指摘を、ビクトリア朝屈指の頭脳はすぐに理解した。
「なるほど。 私がそうしたように、正しい目的であの装置を使っても、少し使い方を誤ると、宇宙の運行に矛盾が生じ、どんな危険な結果が訪れるか予測できない。あの装置は封印しなければいけない」
そのとき、ドイルの目が鋭くなった。
「今、『私がそうしたように』と、おっしゃいましたね? やはりウェルズ氏の後で、同じところに行かれたんですね」
「いや、隠すつもりはなかった」
教授は、ウェルズの移動の後、自分がマシンを使用したことを認めた。
「それにしてもどうやって、私が使ったことがわかったのかな?」
「マシンの稼働実験は、移動場所を実験室のままにして、短い滞在時間で繰り返したそうですが、移動先の時間設定が現在のままでは実験にならず、少し先の未来にしたはずです。
最初は、一番細かく設定できるレバーを、ほんのわずか先に進めただけでしょうが、繰り返すうちに数時間程度は試されたに違いありません。
生物学者のあなたなら、死後硬直の状態から、事件の起きた時刻を推定し、その時間帯に移動することは可能なはずです。現に私がそうしました。
それに最初にお会いしたとき、教授はウェルズ氏の転送先を、百年後のチャイナと指摘しました。持ち帰った壺から場所をチャイナと指定したのはわかりますが、ロンドンやパリですでに電灯が実用化されていて、それがチャイナで普及するのが百年後と、何を根拠に言われたのか疑問でしたが、物置の棚に年まで表示される時計が置いてあったことから、教授はすでに、あの置時計を見ていると気づきました」
「そうか。なるほど。では、私は何の目的で、危険な真似をしたとお考えかな?」
「もちろん、一人の少女の命を救われるためだと存じますが、それ以外にも、エドガーポーのモルグ街殺人事件を思わせるあの不可思議な状況が、どのように起こったのか知りたいと思われたのでは」
「さすがだな。ドクターは作家でもあると聞いた。これは、ポーのような探偵小説が書けるではないか」
「すでに一冊書いております。タイトルは緋色の研究といいますが、主人公のシャーロック・ホームズは、きっと百年後も人々から親しまれているに違いありません。大都会ロンドンを鹿撃ち帽とインバネスコートの田舎くさい格好で闊歩し、常にその手には虫眼鏡を持ち、今の英国には無い奇妙なデザインのパイプをくわえて」
これにて、大冒険SFジュブナイルミステリ「コナンドイル・ザ・バーバリアン(邦題コナンドイル・ザ・グレート)」のお話はお終い。めでたし、めでたし。
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