第25話 エピローグ(1) 別れの日

 昨年に引き続き、暑い夏の最中に、街を挙げてのシュローブタイド・フットボールが開催されたのは、彼がいかに人々から愛されているかの証だった。それなのに彼は、自分がシャーロック・ホームズの作者コナン・ドイルだと明かさすことなく、アーサー・ホワイトの偽名のままで押し通してきた。


 大勢の怪我人を出した昨年の反省から、今年は地元警察も全面協力してくれることになった。総参加者数も昨年の倍の千名以上と、本場のそれに劣らぬ規模だが、アシュボーンが二日かけるのに対し、開催日数は一日のみ。日数が少ない分、特別に充実した一日となるはずだ。


 その日は、もうひとつの意味で、彼にとって特別な一日だった。

 その日の午後三時が、ここに来てからちょうど三年目に当たる。ラグビー関係者を当たり、当日スクラムの練習をしていた人物をつきとめ、彼が到着した正確な時刻を聞いた結果、ちょうど三時ということがわかった。

 その時刻には日出公園に行き、ハクスリーの実験室に帰らなくてはいけないのだ。シュローブタイド・フットボール実行委員長の彼だが、諸事情で開催日程をずらすことができなかった。


 試合開始時刻は午後二時。午後十時までには終わることになっているが、彼は三時までしかプレーに参加できない。この機会を逃せば、二度と元の時代に戻れないのだ。


 ゴールの選定には、彼の意見は反映されていないが、奇しくもゴールの片方(北ゴール)は日出公園になった。もう片方のゴールは、河川敷広場(南ゴール)だ。ゴールとゴールの間の距離はおよそ五キロ。


 試合開始場所は、ほぼ中間地点の駅前ロータリー。

 チーム分けは、駅より北側の住人は赤チーム、南側は白チームと、紅白に分けられるが、住宅が北側に集中しているので、人口が少ない分、白チームが不利だ。

 そのハンディキャップを埋めるべく、白騎士野蛮族が白チームに加わる。赤チーム北側住人は南を目指し、白チーム南側住人は北を目指す。


 受付開始は正午から。

 そこで紅白の鉢巻きが配られる。ドイルも白の鉢巻きをした。彼も、広い意味で白騎士野蛮族なのだ。

 一時半からオープンセレモニー。

 競技に使用するサッカーボールは、彼が勤務していた学校が快く提供してくれた。


 セレモニーの途中、校長の手から彼にボールが手渡される。

 ボールの表面には、油性ペンで彼に対するメッセージが書いてある。それを見ただけで感傷的になるので、その場ではメッセージは読まないことにした。


 そして、オープンセレモニーが終わり、二時ジャスト、試合が始まった。


 駅前は予想以上の混み具合で、駅利用客が苦情を言っているが、興奮した群衆には聞こえない。

 ロータリーの中央に設けられた台のうえから、委員長のドイルが群衆の頭上に向かって、ボールをほうる。群衆は頭上に手を挙げて、それをつかもうとする。


 騒ぐ群衆の中で、レポーターのランスが、マイクを手に大絶叫している。

「いよいよ始まりました。日本初、シュローブタイド・フットボール大会。別名中世サッカー。何が起こっても不思議ではありませんが、死人が出ないことを祈るほかありません」


 ドイルも、すぐに台から降りて、競技に加わる。

 極度に人が混み合った中でのフットボールでは、ラグビーのような光景は展開されず、人間がほとんど動かないまま、ボールだけが頭の上を移動している。


 しばらくボールはロータリーを動いていたが、赤組のバスケ経験者が手にすると、長身をいかしてロータリー正面に続く商店街にロングシュートした。

 五、六人の赤組集団が生花店の前で待ちかまえていたが、たまたま近くにいた白の青年がそれを拾った。すると、すぐに赤集団に身体を捕まれる。青年は腹の前にボールを抱え込んだが、赤組が力ずくで奪い取り、南ゴールを目指し駆けてゆく。


 参加者のほとんどは見物気分で、真剣にプレーする者はごく一部だ。だから、ボールがロータリーから消えても、なかなか動こうとはしない。

 ドイルは駅前の人だかりをかき分けて、ボールを保持する赤集団に追いつこうと、商店街に向かう。


 赤集団は、東西を横切るメインストリートの交差点にさしかかった。一人がボールを持ち、残りの数人が警護する。交通規制で車は走行していない。そこには携帯で連絡を受けた連中が待機している。彼らは機転をきかし、歩道橋を進む。

 白も負けてはいない。歩道橋の反対側から数人が向かった。歩道橋の途中で両チームがぶつかった。

「奪い取れ!」

 白の一人が叫んだ。

 赤チームのボールの所持者は、下の道路にボールを投げた。ボールの先には、テレビ中継車が待機している。いかつい顔をした赤メンバー三人が、ボールを拾い、横のドアから中継車に乗り込んだ。どこかで見た顔だと思ったら、ベースボーラーズの面々だ。中野元キャプテン、ミスターセンチュリー岡野、佐藤キャプテンは紳士的なクリケットより、ワイルドなこっちのゲームのほうが性に合っている。


「ちょっと。勝手に入らないでください」

 と、中に残っていたスタッフが注意した。

 赤の三人は、そのスタッフと運転手を無理矢理外に追い出すと、運転席に座り、車を発車させた。中に乗っていた二人は、互いに折り重なるように転がり落ちた。そこにいた参加者達は、二人を介抱することもなく、そのまま中継車を追いかける。


 中継車は南へ進む。

「乗り物禁止のはずだ」

 と、白チームが怒ると、一緒に追いかけている赤組も、

「とにかくあいつら止めないと」

 といって、中継車からボールを取り戻すことに協力することを約束した。


 ドイルが交差点に着いたときには、車は消えていた。

 メインストリートの一キロ南には、工場や倉庫が建ち並んでいる。さらに五百メートル南が河川敷ゴール。紅白問わず、南ゴール付近にいた参加者は、一カ所に集まり、道路に人のバリケードを作って、敵を阻止しようと構えている。

「来たみたいだな」

 誰かがそういった。言葉どおり中継車が見えてきた。


 車のほうも中継機材を積んでいるからには、それなりの大きさはある。それがスピードをゆるめる気配はない。

「殺人禁止だよな」

 と、守備部隊は確認し合ったが、撥ねられる前にバリケードは自ら崩れ去った。


 中継車は、河川敷広場の前で停まった。周りにいた参加者は、急いで車を取り囲む。

「出てこいよ~ボール返せ。反則だぞ」

 などと呼びかけても、中にいるベースボーラーズの三人は、ドアを開けようとしない。

 いい加減あきらめかけたとき、突然車がバックを始めた。

「危ない」

 と、轢かれそうなった白メンバーは叫んだ。車はそのまま後進を続け、工場が集まっている辺りに向かっていく。そこにいた全員で車を追う。


 車がバッティングセンター付近に来ると、駅の周りにいた参加者も集まってきていた。その先頭にドイルがいる。

「あ、アーサーだ。こいつら違反だからなんとかしてよ」

 と呼びかけても、ドイルは中継車の横を通り過ぎ、河川敷に向かう。

「おい、どうしたんだよ」

 ドイルは返事をしている余裕はなかった。彼は、中継車を使った赤組の陽動作戦を見抜いていた。


 敵は中継車にボールを持ち込んだ時、運転手とスタッフを脅して、ボールを外に出した。ボールは、二人の身体の間にあるから、鞄などで隠してはいない。車もその時点では動いてはいないので、反則ではない。  


 中継車が去った後、交差点の周りに白組がいなくなってから、赤組はボールを南に運んだ。

 ただし、直線ルートをとらず、一旦東に行き、そこから南に進み、河川敷を越えたところで西に曲がる。さらに河川敷の前の道路を北に向かう。

 要するに、気づかれないように迂回ルートをとるはずだ。


 河川敷広場に近づくと、彼の予想通り、道路の向こうから三人の男達が走って来るのが見えた。

 相手のほうがゴールに近そうだ。付近に白チームは彼しかいない。走るペースを上げようとがんばるが、かなり走っていたので疲労が激しく、間に合いそうにない。


 そのとき、後ろからバイクの音がした。

 いつの間にか、バイクに乗った総長が近づいていた。白騎士野蛮族は当然白組だ。

「後ろに乗れよ」

 ドイルは言われたとおりにした。ボールを運んでいるわけではないから、反則ではない。


 二人乗りのバイクは、スピードを上げる。広場まではすぐだ。

 相手の赤組三人は、スリムで足が速そうだが、ボールの奪い合いでは総長と怪力外人の敵ではない。ドイルはボールを奪うと、右腕でしっかりと抱え、来た道を引き返して、北に向かって走る。


 時刻は二時半を廻った。急がなくてはイギリスに帰れない。


 隣にはバイクに乗った総長が付きそう。

 無法中継車を取り囲み、一致団結していた紅白両チームの面々は、河川敷のほうからボールを持ってくるドイルを気にとめなかった。

 しかし、後になって一人が気づいた。

「あれ、アーサー、今ボール持ってたような気が」

「どういうこと?」

 そのとき車のドアが開き、中からベースボーラーズの三人が出てきた。

「みなさん、ご苦労さん」と総長がいった。

「おい、ボールは?」と聞かれて、センチュリー男が、

「さあ、ここにはないけど、今頃ゴールしてんじゃねえ」

 といって、余裕を見せていた。

 その場の参加者が、一斉に北に走り去ると、街一番の英雄岡野は笑みを浮かべた。


 敵の中枢部隊は南に残っているとはいえ、駅周辺にも大勢人がいる。総長は、携帯で数人の仲間を呼び、バイクに乗った野蛮族が集まって、ボールを持って走るドイルを囲む。

 それで、駅周辺を突破しようとしたが、興奮した群衆には暴走族の怖さも通じない。大勢で道をふさがれ、バイクから引きずり降ろされる。それでも、ドイルは強行突破し、ひとり北ゴールに向かう。


 途中、住宅街の路地で、誠と昌喜に会った。二人とも赤組だ。

 二人は敵チームのはずなのに、ボールを持っていない方の腕を上げ、

「がんばってね」と声をかけてきた。

 彼は立ち止まった。周りに敵はいない。

「二人とも聞いてください」とドイルはいった。

「何? 急がなくていいの」と昌喜がいった。

「今日でお別れです」

「どういうこと? 来週の予定じゃなかった?」と誠が聞いた。

 みんなを悲しませたくないので、ドイルは嘘を吐いていたのだ。

「それが……」

 言葉に詰まる。

「今日に早まりました」

「え!! 今日?」と誠は驚いた。「今日の夜、空港に行くの?」

「いえ」

 どう説明していいかわからない。

「三時です」

「明日の午前三時?」

「いえ、今日の午後三時です」

「あと、十五分じゃない! 意味わかんない」

 誠が混乱している。昌喜は不思議と冷静で、落ち着いている。


 後方から赤組が近づいてきたので、ドイルは二人に最後の挨拶をした。

「それでは、さようなら」

「ソーロング、ミスターホワイト。友達になれてうれしかったよ」

 と昌喜がいった。誠は何も言わない。すぐそこまで赤組が迫ってきた。ドイルは、北へ向かって走り出した。


 生物学者ハクスリーが進化論証明のため遣わした調査員なのに、今後のハクスリーの探検に必要な資料集めを怠り、三年間スポーツに明け暮れた。それでもハクスリー卿は、彼を歓迎してくれるはずだ。進化論は正しかったと報告できるから。


 そして、二十一世紀の世界は、予想を超えて大きく発展している。その基礎を作り上げたのは、他ならなぬビクトリア時代の大英帝国だと、老学者の前で胸を張って言うつもりだ。

 今はただ、帰還に間に合うように急がなくてはいけない。これに間に合わなければ、もう二度と前の世界には帰れない。 

 ゴールまでは後一キロ。それからも、何度も敵の妨害にあう。


 右手に彼がALTをつとめた高校が見えた。彼は想い出に浸る暇もなく、先に進む。

 商店や民家が並ぶ通りを駆け抜ける。

 もうほとんど時間はないはずだ。日出公園に近づくと、係員の男女が、慌てて道路に飛び出すのが見えた。公園中央から立ち上る赤い蒸気が原因だ。どうやら、ぎりぎり間に合ったようだ。


 彼は一瞬立ち止まり、後ろを振り返った。驚いたことに、十名ほどの敵味方に混じって、誠がいた。ドイルが笑顔を浮かべると、誠も微笑んだ。

 先頭の赤組が、彼の肩をつかもうとする。彼は相手を振り払い、公園の中央に向かい、猛ダッシュした。そして、ボールを抱えたまま、赤い蒸気の中に飛び込んだ。

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