釆女の話

秋空 脱兎

釆女が見た奇跡

 ハルヒメは、里に向かって逃げていた。

 猿沢の柳に衣の一つをかけて、見投げをしたように偽装をして、里へ急いでいた。

 というのも、自ら愛し、愛された、相思相愛の許嫁のツバイが恋しくなり、どうしても会いたくなって、抑えきれなくなり、今に至る。

 

 ハルヒメは、三日かけて故郷の里に辿り着いた。

 里の者には大いに驚かれた。国長の屋敷から逃げ出してきた事は、火を見るよりも明らかだったからだ。

 ハルヒメは、すぐに行動にでた。ツバイの家に向かった。

 

 それから少しして。

 ハルヒメは、山の井の清水の前で、ぼんやりと座り込んでいた。

 ―ツバイは、山の井の清水に見投げした。そして死んだ。

 ハルヒメの頭の中は、その言葉が繰り返し流れ続けていた。

 流す涙は枯れ果て、髪は乱れ、衣はボロボロになっていた。美しかった娘の姿は、見る影も無かった。

 ハルヒメは、フラリと立ち上がると、清水に向けて歩きだした。ツバイの後を追うためだった。足の指先が水に浸かった、その時だった。

 ―あの、すみません、ちょっといいですか?

 ハルヒメは、誰かに呼び止められた。ゆっくりと振り向いて見ると、そこにいたのは、不思議な服装の、仏の様な顔立ちをした、髪の長い見目麗しい娘だった。

 暫くの間、ハルヒメは何も考えられなかった。話しかけてきた娘の服装が不思議だったのと、これから見投げしてツバイの後を追おうとしていたところを邪魔されたからだった。

 ―道を聞いてもいいですか?

 娘は、ハルヒメに言った。

 ハルヒメは、それくらいなら、と娘の傍まで歩いていって、どこに行くのか聞いた。

 娘は旅をしている身で、城壁まで行こうとしたが、途中で道に迷い、ここからどう行けば辿り着けるのか、ハルヒメに聞いてきた。 

 ハルヒメは、城壁までの道のりを娘に教えた。娘は、お礼を言った。

 ―見投げするのはどうしてですか。

 娘は、立ち去る前にハルヒメに聞いた。

 ハルヒメは一度口ごもって、事の顛末を話した。


 数年前、里の作物が不作で、税を払えなくなった事。

 やって来た国長の使いに、税の免除を申し出たが、国長の使いは怒り、却下された事。

 その日の精一杯のもてなしをしている時、自分が歌った歌が気に入られ、国長の召し使いになる代わりに、税を免除する事を認められた事。

 そのために、相思相愛の許嫁と別れなければならなかった事。

 どうしても許嫁が恋しくなって、自殺した様に見せかけ、ここに戻ってきたこと。

 そして、その許嫁が死んでいたのを知り、自らもまた死のうとしていた事。

   

 全てを聞いた旅人の娘は、悲しそうな表情になって、それから、暫く何か考えるような仕草をして、

 ―そうですね……。本当はこんなことしてはいけないと思うのですが、道を教えてくれたお礼に、ということで……

 そういうと、娘は、左胸に両手をあてた。直後、一瞬辛そうな表情になって、両手を左胸から離した。

 娘の手の中にあったのは、中に何かが満たされている、透明な玉だった。娘は、それの一部を腰から抜いた鉈で削り取って、ハルヒメに手渡した。

 ―これに、あなたの想い人の姿を念じて下さい。そうすれば、きっと……

 旅人の娘は、最後まで言わずに立ち去った。

 ハルヒメの手には、玉の一部が残った。 

 

 それから毎日、ハルヒメは、玉の一部を握りながら、ツバイの姿形を想い続けていた。

 里の人々は、いよいよハルヒメがおかしくなった、と噂をした。ハルヒメは、それでも構わずに念じ続けた。

 

 ある日の事だった。

 ハルヒメは、その日も同じように玉の一部に念じ続けていた。

 突然、玉の一部がハルヒメの手の中から弾けた。

 ハルヒメは、驚いた。今までそんな事は起こらなかったからだ。

 弾け出た玉の一部は、みるみる大きくなり、人の形になった。少しずつ、色づき始めた。

 最初に肌色になり、次に、人でいう首から下が、青と紺に染まった。色は、衣の形に膨らんだ。最後に、人でいう顔の部分が、つるりとした状態から人間の顔の形になった。目は閉じられていた。男だった。

 ハルヒメは、息を飲んだ。形造られたのが、自分が会いたくて堪らない人だったからだ。

 やがて、閉じられた目が開けられた。その目は、ハルヒメを見た。ハルヒメの名を呼んだ。

 ハルヒメは恐る恐る、男をツバイと呼んだ。

男は、頷いた。  

 ハルヒメは、ツバイを抱き締めた。暫くそうしていた。

 ハルヒメの目には、涙が浮かんでいた。

 笑顔だった。

               ―おしまい―

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