故郷は思い出とともに
織音りお
*
今年も残すところ後2ヶ月と少しとなった、日曜の昼下がり。
冷たい風はつい先日吹き始めたばかりだというのに、暦の上ではすぐそこまで立冬が迫っていた。
カーペットを敷いたばかりの部屋には、いつの間にか低くなった日差しがベランダの窓からやんわりと差し込んでいる。その仄かな暖かさを背中に感じながら、私は1人、机に向かって––––否、向かっていたつもりが、どうやら優雅に昼寝をしていた、らしかった。
もうすぐ、東京に出てきて2年目の冬が来る。
来週提出の課題、迫り来る締め切り。無意識に枕にしていたのだろう、額に残された本の痕が少し痛い。
目を背けたい現実から本当に目を背けられるように、優しげな日差しが平穏な夢へと誘ってくれたのだ。その誘惑にまんまと負けた、ただそれだけのこと。私の心が弱かったのか、日差しが私を閉じ込めたのか。
どちらでもいい。
どちらにしろ、今、目の前にある現実は変わらない。
有り難く頂戴した心地よさと引き換えに手に入れたのは、ほんのり赤い額の痕と、徐々に覚醒していく視界にうつる現実の重みだけだ。
開かれたままのノートパソコンの画面は黒々として、容赦なく寝起きの私を映し込む。優雅に昼寝をした筈なのに、そこに映っていたのは、疲れ切った女の顔だった。
––––あぁそうだ、紅茶。紅茶、飲もう。
ぼんやりした頭で、またしても逃避の一択をとる。幾分心が、弱すぎる。
立ち上がった弾みに、カタンと椅子が跳ねた。
冷蔵庫の扉を開けて、二段目に置いたお菓子を1つ手に取る。実家から送られてきた安穏芋で作ったスイートポテトだ。小さくて、黄色くて、十分に冷えたその味はねっとりと甘い。
秋は芋が美味しい。食欲の秋からすれば芋に限ったことではないが、芋は美味しい。特に安穏芋が使ってあるんだから、この甘さは尚更だ。
ふっと小さな笑みが零れた。優しい甘さが、日常に押し込められた身体をじんわりとほぐしていく。
少し元気を取り戻して、今度は電気ケトルに水を半分。コードをつないでスイッチを入れて、後はお湯が湧くまで待つばかり。
––––今日は、うん。いつも通り、ダージリンでいっか。
緑色の小さなティーバッグと、お気に入りのマグカップを揃える。少しでも気分が晴れるものを。とにかくそれが大事だった。
多分今は、よくない時期だ。
時々、日常に追い立てられてどうにもならない時期がくる。やる事もやらなければならない事も見えているのに、やる気が起きない。頑張っても、思うようにいかない。どんどん自分が沈んでいくように感じてしまう、そんな時期がやってくる。
多くの人には、そんなの自分の甘えだって言われるだろう。自分で選んで進んだ道なら、そんな事に足を止めている場合じゃないって。
だけど、身体が動かない。心に、明るい日々を、楽しい未来を描けない。
そんな風に道が閉ざされた時、私は好きなものや大切なもので周りを埋める。
自分が落ち着けるものなら何だっていい。好きな音楽、好きな食べ物、好きなキャラクターのぬいぐるみ。大切な人、大切な言葉。
そして、大切な、思い出。
スマートフォンはその点で一番ありがたかった。
好きな音楽も聞けて、お気に入りの待ち受けにして、そして……––––ほら、写真の中にたくさんの思い出もある。
滑らかに指を滑らせて、フォルダを遡る。そうしていつも最後に辿り着くのは、故郷の景色と故郷の友達が写った幾つもの写真だった。
故郷鹿児島の景色を収めた写真では、圧倒的に桜島が多い。家から見た桜島も、校舎から見た桜島も、空高く噴煙をあげる桜島も。降灰に悩まされながらも、何だかんだ、シンボルとして観光名所として遠足場所として、桜島は鹿児島にとって大きな存在なのだろう。
毎日見ていた中央駅の観覧車はカラフルにライトアップされて、黒い夜空の中で光り輝いている。
帰省の度に増える景色は、私の写真フォルダに彩りを与えていた。
大好きなその風景を瞼の裏に描きながら、また少し、スクロール。
今度は部活を引退した時に撮った、同期との写真。寂しさとやり切った達成感とで一杯になった一枚。客席の両親が撮ってくれた、舞台上の一枚。眩しい照明の下、みんなで作った音楽が広がっていくことが嬉しくて。
体育祭での仮装した写真もある。仮装には当時の流行が現れるもので、今となっては懐かしい。風に舞い上がる砂埃、もとい灰埃に負けずに放課後残って練習していた。
卒業を迎えた日の写真は一層特別。友達と、後輩と、先生と。3年間過ごした学び舎も、教室の風景も。春からの新しい生活に不安も希望も抱きながら、過ぎていった大切な日々を思い出に変えて。
思い返せば色々あった。
楽しい事も、悲しい事も、励まされる事も、チクリと胸を痛める事も。
でも、そのすべてが今の私に繋がっている。今の私を、陰で応援してくれている。
故郷って、そういうものなのかもしれない。
––––ピーッピーッピーッ
静かな部屋に、ふいに電気ケトルの呼ぶ音が響いた。
はっと、現実に引き戻されたような気分になる。別に夢を見ていたわけじゃない。それでも、心は思い出の中を歩いていた。
ふう、と一息ついて二つ折りのスマホケースを閉じる。カチッと、マグネットの留め具がはまる音がした。
次に故郷に帰るのは、たぶん年明けになるだろう。桜島は薄っすらと雪化粧をしている頃か。
折角だから、白く淡い、真新しい雪を被っていないかなぁ。その姿を収めるためなら、フォルダ数枚分くらいは空けてみたっていいかもしれない。
「––––とりあえず、今日のノルマを片付けますか」
暫くは、故郷より少し寒いこの地で日々を重ねよう。今は少ししんどくても、辛くても大好きな景色と大好きな人に迎えられる日はきっと直ぐにやってくる。
「頑張れ」
「また」
「会える日まで」
窓から入ってきた秋風は、あたたかな湯気を立てたダージリンティーの香りを、ふわり、部屋に広げていった。
故郷は思い出とともに 織音りお @orine_rio
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