第11話
ホテル・セントラルに戻ってきた僕は中庭の入口で足を止めた。ベンチにリョウコが座っている。中庭に足を踏み入れると夜露が染み込んだ土や木々のせいか、雨が降ったのかと思うくらいに空気が冷めたく湿っていた。物音に顔を上げたリョウコが僕を見ている。僕はリョウコの横に座った。
「パーティー…、どうだったの」
リョウコは表情を変えずに訊いてきた。
「…船に間に合わなくてさ、行けなかったよ」
「残念ね…。それで、どうするの?」
「もう準備もしてるからさ…、今日、島を出るよ」
「勿体ない。せっかくなんだから次のフルムーンパーティーまで居ればいいのに、一ヶ月後なんだから」
リョウコの言葉に僕は一瞬固まる。そして、声を出して笑った。
「そっか…、月に一度か。満月のお祭りだもんね…。それじゃあ今日パーティーに行けなかったことくらい、大したことじゃないんだね」
「そうよ、大したことじゃないわ」
リョウコが嬉しそうにそう言った。
「ずっと居ればいいじゃない…、みんなと一緒に。アキラがあなたに店を譲りたがってたわ。キュウだってビリヤード教えたがってたし、ヒロシもケイスケも、あなたをどこに連れていこうかって楽しそうに相談してたわ。ずっとここに居て、みんなと遊んでればいいのよ…」
リョウコの声が揺れるように響いた気がした。返事をしようとするが声が出ない。いつの間にかリョウコの声だけしか聞こえなくなっていた。頭の中を回るように声が反響している。視界が真っ暗になり何も見えなくなる。息苦しかった。胸が圧迫されていて、呼吸の仕方を忘れているのかと思ったが、僕は水の中に居た。頭上の水面一帯から白い光が射しているのが見える。その光に向かって両手を掻きながら浮上していた筈が、真っ暗な水底に転がり落ちるように沈んでいて、いつからそうなったのか思い出そうとする。視界を埋める水泡が目と口を閉じても頭の中に入り込んできて、耳を塞ごうと挟んだ手の平から鉄柱が捻れたような音が響いて体が揺れる。心臓の鼓動が体を揺らしたのだと思ったが違った。目を覚ましたのは床から伝わった衝撃のせいで、僕は肘を突いて起き上がった。
上半身を起こした僕の頬を風が撫でていく。思い出したように息を吸い込んで、ゆっくりと呼吸を整える。小型フェリーはいつのまにか海上を進んでいた。エンジンの駆動音と海を切り裂く航行音が聞こえてくる。ぼやけた視界の中に港の桟橋が見える。オカマが手を振っている。甲板には僕以外に誰も居ない。誰かを迎えに来たのだろうと思ったが、瞼を擦っている内にフェリーが港から遠ざかっていくことに気付く。僕は島を出るフェリーに乗っていた。甲板の床が衝撃でまた揺れた。出力を上げたエンジンが唸り出す。汽笛が鳴り響く。島の全景が次第に見えてくる。家屋らしき建物と木々が点在するように並び、その背後に見える山の稜線が真っ青な空に鮮明な緑色の線を引いていた。フェリーの真鍮の匂いが海から吹く潮風にさらわれて消えていく。ゆっくりと目を閉じる。頭の隅にこびり付いているかのように音楽が鳴っている。気が付くと僕は、バーハーツでよく聞いたあの曲を口ずさんでいた。
レッド・アイズ 在間久秀 @mattos
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