第二十四話 望みも願いも己が断つままに※

 打神だしん翻天はんてん首魁ロー・ジェンツァイは、作戦続行の指揮に忙殺されかかっていた。

 補給所、白煙を上げる方天戟を担いだ巨漢が駆け込んでくる。父親から青匈奴あおきょうどの血を受け継ぎ、薄緑の肌を朱の入れ墨で強調した豪傑〝没義もぎ戴天たいてん〟だ。


「ヤバイぜ大将! 押されてきていやがる! 如意にょい来悟らいごのボケはヤニ切れでくたばってやがるし、俺もタマ切れになりそうだ!」


 他の幹部と話していたローは振り返りもせず、代わって足元から影が立ち上がり、紙の束を投げて寄越した。数本の煙草が一緒にまとめられている。

 立ち上がった影は、彼女一人だけが薄暗がりの闇に染まったような姿だった。


「余り物の使鬼だけど、まとめて使えばあと一、二発ぐらいにはなるだろうさ。悪いけどそれで何とかしてくれ!」

「合点承知ィ!」


 ローの影から補給を受け取り、没義戴天は走り出した。まずは、ニコチンが切れて廃人に戻った居合剣士の元へ向かっていく。

 彼女の影は今や六つから八つに別れ、別々の相手と会話している。像身功ぞうしんこうで増やした影に、分割思考を載せて走らせた分身術だ。

 戦況が瓦解する一歩手前で、打神翻天は持ちこたえている。

 一度解放した無缺環むけつかんが、再び八朶はちだしゅうの手に復帰したのは痛手ではあるが、ウォンが無理やり権限を行使しているためか、個々の精度が低い。

 既に、敵の主力となる居残りの猟客は、大方排除が完了していたのも幸いした。事態が逢露ほうろきゅうの外に知れ渡り、増援が来るまでまだ半日は余裕がある。

 それでも、あとどれだけこの戦いを続けられるか。

 仙道としてローが長期視点で見た場合、やり直しだけならいくらでも出来る。天猟てんりょう心母しんぼさえ回収できるなら、ジュイキンを切り捨てる選択肢もありだ。

 問題は次の殺戒者さっかいしゃを見つけることと、警戒を強めた八朶宗の対応。


(……いやいや、そんなんじゃない。さすがの私も、今これがご破算になったら、数年ぐらいはなーんにもしないで引きこもりたいね~)


 戦いの趨勢は、チ・ジュイキンが、ルンガオ・ウォンからもう一つの神樹継嗣、天猟心母の片割れを奪い返せるかどうかにかかっている。

 あくまで、彼を切り捨てての撤退は最悪最後の選択だ。それを回避するためには、単騎でウォンに挑もうとする彼に、一刻も早くグイェンを合流させるしか無い。

 殺戒者ジュイキンに並んで、かの十魂じゅっこん十神じゅっしんは、この戦いの切り札なのだから。


                 ◆


 昔、昔――〝魂〟を持った最初の人間が生み出された。死ねば鬼魂ゆうれいとして辺りを彷徨い、時として生き返ってくる、霊長類を超えた、霊智類れいちるい

 そこから、不完全体であるニングと、魂の歪曲変異体である鬼神の誕生までは、瞬く間だ。当時誕生した鬼神はすべて人柱に使われ、霊界を形成し、全人類を霊智類へと進化させる礎となった。これが、原初の神灵カミである。

 月日は流れ、ニングの中から、自力で鬼と化すものが現れるようになった。その中から、更に鬼神が。やがて彼らはニングを率い、迫害者を滅ぼさんとした。

 結果、鬼神はことごとくが滅ぼされ、閻国えんこくの歴史から抹消。鬼へと至る技術、〝鬼道〟はその後洗練され、仙道や像身功といった技術へと昇華されていった。

 この歴史を知る者は、ローのような仙道ぐらいのものだ。


 夜陰に滲む灯籠の明かりが、火袋を濡らす血飛沫に翳っていた。

 流された血は、ジュイキン一人のものだ。隻腕になり、安息功と巫化ふか霊導図れいどうずで生命力を養いながら、徒労とも思える攻撃を繰り返す様は、まさに死の舞踏。

 岩地の中を縦横無尽に飛び跳ねながら、ウォンの切っ先はジュイキンから外れることはなく、時折そのあぎとを着実にかける。

 脛を裂き、肩を刺し、背中に一太刀浴びせ、それでいてどれも決定打にはならない。圧倒的な力の差を見せつけながら、なぶり殺しにする腹づもりか。

 それも、どうやら終わりに近づいているようだった。


「……あ、ぐ!?」


 とん、と。

 ウォンは、ジュイキンの左目に軽く剣尖を突き入れた。ゴミでもつまむように無造作な手つきで、しかし表情に嗜虐心がよく現れている。

 尖ったものが眼球に侵入し、ぷつりと震えながら破断する気味の悪い感触は、生涯忘れられそうにもない。


「あああああ……っ」


 真っ赤に染まる視界の中、ジュイキンは自分自身の悲鳴を遠く他人事のように聞いていた。眼が、頭の奥が灼熱して、脳が燃えているのかと思う。

 追撃するでもなく、ウォンはその様子を見下ろしていた。


「腕よりも、こちらから取るべきだったな」

「……兄と、同じように、か?」

「あの時は、奴に自分の目玉を食わせたものだが」


 呼吸を整えながら、ジュイキンが脳裏に思い描くのは、やはり兄の顔だった。苦痛と恐怖の中、復讐心が内側から己を支えている。神灵殺しの大義など二の次だ。


「本当に、潮時だぞ。分かったろう、君一人ではこいつは相手に出来ない」


 肩から背中にかけて、必死にしがみついている格好の黒猫は、懸命に訴えた。だが、それがどうした……最初から、ジュイキンには分かっていた。

 分かっていた。

 ああ、分かっていた!

 一人まともにこれと戦えば、その先には死あるのみ。それでも自分を突き動かす衝動は、優しい兄の思い出は、応報を叫んでいた。

 結果、今は血と汗と涙でだらしなく大地を濡らしている。呼吸は段々と荒くなり、ともすれば導引のリズムを逸れそうだ。

 いくら堪え方を覚えても、痛みは、慣れない。五年前、暗い監獄でいつ終わるとも知れない責め苦に苛まれた時のことを思い出す。身を縮こまらせ、許しを請う言葉を口にして、安穏としたどこかに逃げ込みたい。痛い、痛い、痛い。

 それでも、この憎悪を投げ出すことさえ恐ろしかった。それはきっと、予想もつかないほどの苦痛になって己を打ち据えるだろう。

 ここで退くということは、その気持ちを抑えるということだ。一歩でも下がることを考えた時、闘志は潰え、自尊すら失い、二度と立ち上がれなくなる。

 復讐心だけが、今のジュイキンが縋るよすがとなっていた。


「逃げる隙なら私が作る、奴は鬼神としての力はほとんど発揮してないが、君はこのザマだぞ! 案内するから、せめてグイェンくんと合流しろ! しなさい!」


 だから、彼女の訴えは至極無意味だ。耳朶を上滑りするその言葉を聞きながら、ジュイキンは、恩讐に曇った思考の先に、一つのひらめきを見い出す。


「ロー。鬼神の成り方を、知ってるか?」


 必死に喚いていた黒猫は沈黙した。その向こうにいる、本体のローの様子もうかがい知れない。だが、その答えは肯定であるとジュイキンは認識した。

 血に染まったおもてを上げ、ウォンを見る。


「貴様を殺せるのなら、鬼でも獣でもなってやる」

「ほう」


 立ち上がりかけて足元を見失い、ジュイキンは盛大に石段を転げ落ちた。痛みにうめきながら何事かと辺りを見れば、山頂へ続くあの道に自分はいる。

 一瞬前まで対峙していたウォンの姿はどこにもなく、見上げれば、ジュイキン自身が切り開いた大扉があった。強制的な転移の仙術かと苦々しく歯噛みする。


「ロー、貴様――」

「駄目だ! 駄目だ! 駄目だ!! いいか、仙道と対にある邪術、魂の歪曲変異、それが鬼道だ。地道に体質を変えていくことで、徐々に魂を自己改造する仙道に対し、他者の魂を喰らったり、人間性を切り捨てたりして手っ取り早く改造するんだぞ。自我の崩壊、記憶の喪失、理性の消失、とにかく君という人格は破壊される!」


 それがどうした、とジュイキンは鼻を鳴らした。


「お前に必要なのは、天猟心母と殺戒者だろう?」

「壊れた殺戒者でよければ最初から人形を使」


 そこでローは言葉を切り、ジュイキンは全力で階段を駆け下りた。

 何か恐ろしく、とてつもなくおおきなものが背後から迫ってくる。その確信は即座に地響きとなって現れた。ウォンがついに、鬼神の本領を発揮しだしたか。

 何が来るのか後ろを振り返って確認する間も惜しい。ジュイキンもローも無言で、全力全開の軽身功を発揮し、瞬く間に遁走する。

 だが、間に合わなかった。

 逃げ始めてからほんの二、三秒後、大扉が粉砕され、真っ白な光の波濤が石段を、朱塗りの柱を、山肌を洗った。ジュイキンらはなすすべ無く飲み込まれて行く……。


「ここで逃げられては興ざめだが」


 波濤の中心に立つのは、忘生清宗を抱くウォンだった。台風の目のように、彼の周りだけぽっかりと光が避けている。

 それでも、音もなく周囲を蹂躙している熱波と光量が浴びせられるが、ウォン自身は涼し気な顔をしていた。


「猊下をお待たせし過ぎるのも申し訳が立たない。いざ御照覧あれ! 貴女のお世継ぎは、もう間もなく戻りましょうぞ」


 龍眼峰を飲み込んでいく波濤は、ただの余波だ。山の中心に設えられた、神体が納まる場所――龕宮がんぐうから、それが立ち上がったために起きた、そよ風のようなもの。

 空を覆う光の網目が、山の頂へと収束し、その根元からまばゆい光があふれる。それは、まさしく夜に出た太陽だった。

 逢露宮の天蓋から消えた神樹の光脈に代わって、あまねく峰々を照らす神体の威光。姿を拝むのは初めてでも、八朶宗であれば、誰もがその神名みなを知っている。

 淡く翡翠に色づく太陽――如夷にょい霊王母れいおうぼ娘々にゃんにゃんの顕現だ。


                 ◆


 逢露宮の内部には、有事の際に外へ脱出するための隠し通路が存在する。その一つを通って、リュイは宮外の壁際に子供らを伴って脱出した。

 そこには夜の森と山道が、洞窟のようなぬばたまの闇を広げている。


「さ、後はあんたがみんなを連れて、山を降りるんだよ」


 一番年長の少年は、女猟客に肩を抱かれて涙をこらえると、力強く頷いた。それから子供たちを率いて、夜闇の中へ分け入っていく。

 仮にも猟客として大なり小なり修行した子供たち、このまま夜陰に乗じて逃げおおせるだろう。リュイはまだ、やることがある。

 ここまで一緒に付いてきたグイェンは、やけに嬉しそうに言った。


「お師さまは、弱い者の味方だね」

「そんなんじゃない」


 反射的に言ってから、リュイは少し考え直した。大人としては、子供の前では格好良く、見栄を張るべきだろう。


「もともとの八朶宗が、そうなんだよ。あらゆる神灵々々カミガミの中で、霊母猊下だけがニングに手を差し伸べた。無缺環だってそうだ、魂の欠片を混ぜ合わせて、つなぎ合わせて、再生してくれる。環の一員になって死ねば、そうやって新しく形作られた魂を持って、冥府に行けるんだ。そういう……兒訝じが救済の組織だったんだよ」


 だが、その無缺環を耳目として各地へ派遣し、奴隷として扱うことまでは、霊母の本意ではなかったはずだ。


「いつからか、いや、もうずっと昔から、おかしくなっちまってた。それでも……八朶宗は必要なんだ。あたしは、八朶宗を諦めない」


 このままここで霊母が討たれ、滅ぼされたとしても。兒訝救済という八朶宗の理念までは滅ぼさせはしない。

 リュイは棍をくるりと回し、グイェンの眼前に突きつけた。


「だから、グイェン。いつまで、あたしに付いてきてるんだい! あんたは今じゃ打神翻天だろ、ここまで手伝ってくれて助かったけど、もう行きな」

「お師さま、オレ」


 そっと手を添え、棍を退かして、グイェンは師母を見つめた。


「オレ、英雄って器じゃないけど。お師さまみたいに、弱い者の味方でいたい。……だって、オレの心が知ってるのは、お師さまの……の姿だからさ」


 それは無理して背伸びをしたものではない、グイェンの自然体で出た願いだった。

 同時に、ここで別れたらもう再会の望みはないと察したゆえの、最初で最後の、母への呼びかけだった。もはや、リュイはその呼び方を叱ろうとも思わない。


――お前は、あたしみたいになるんじゃないよ。


 そう言いかけて、考えを変える。

 グイェンには、自分のような愚かしさを繰り返させたくはない。自分の心を裏切り続けて、何もかも手遅れにしてしまうような罵迦ばかには。


「もし、あたしの真似をするなら、あたしより上手くやんなよ」


 棍を下ろして、そっと肩を叩く。

 リュイの笑顔は、ここ数年で初めてと言っていいほど、秋空のように晴れ晴れと澄み渡っていた。迷いが消え、子の成長を喜び、そして少しの寂しさを誤魔化すようなはにかみが、それぞれに合わさって誇らしげな笑い。


『ここに居たのかい! 探したよグイェンくん!』


 甲高い声が頭上から響き、何事かと見上げれば、白紙で折られた鳥が羽ばたいていた。ローが放った使鬼のたぐいか。


『ジュイキンくんは一人で突っ走って死にそうだ! 早く合流しなさい!』

「うぇっ!?」


 仰天してグイェンは駆け出した。かと思えば振り返り、「ごめん、お師さま! オレ行くよ、またね!」と挨拶して、壁を登ってすぐ見えなくなる。

 嵐のような慌ただしさに、やれやれと苦笑しながら、リュイはすぐその笑みを消した。グイェンと話しながら、思い出したことが、気がついてしまったことがある。


(〝あいつ〟だってそうだ、元々は、ただの子供だったんじゃないか)


 誰でも最初はただの子供だ。グイェンは体の大きな子供、ジュイキンは自分から見ればまだまだ子供。そして、幼馴染のウォンは、死んだ子供が生き返って、一足飛びに大人になった。なった振りをした、いびつななにかだ。

 リュイの意識は一瞬、過去へと逸れる。ルンガオ師父の奥方が亡くなった時のことへ。ウォンにその死を知らせもせず、葬儀を出し、埋葬まで済ませたその後。

 母親の亀甲墓へ案内された時、リュイが気を遣って立ち去る間もなく、彼は墓前で泣き崩れた。父に殺すと宣言されて森で泣いた時も、こうだったのだろうと思う。

 些細な事故で死んで、仙道の実験でよみがえって。両親に会うのを楽しみにしていると言って笑う彼は、間違いなくリュイが知っているウォンだった。それなのに。


(あたしが八朶宗を諦めないなら、その前に、あいつを諦めちゃいけなかったんだ)


 ウォンがルンガオ師父を殺した時、自分が知ってる彼は死んだのだと、リュイはそう断じた。それがきっと、間違いだったのだ。

 ウォンを一人にすべきではなかった。

 あまりにも遅い発見は、痛烈に自身の愚鈍さを指し示す。地下牢で上の決定を伝えた時、グイェンと話した後、久しぶりに彼と話した時。ルンガオ師父を討てと命ぜられた時。彼に何か言ってやれる機会は、いくらでもあったのはずだった。

 そうして後悔にまみれながらも、足を踏み出そうとする彼女をあざ笑うように、龍眼峰は噴火した。溢れ出すのは溶岩ではなく、光の波濤――如意霊母の顕現である。

 本来ならば、目にすることすらおそれ多きに余る御神体。それが、安置されているはずの龕宮から引きずり出されるなど、何たる破戒!

 八朶宗の崩壊は、もはや内外から形になりつつあった。


                 ◆


 石段の終わりで死んだ魚のように横たわり、ジュイキンは気を失っていた。呼吸のリズムが乱されたため、再び腕の切断面から血が流れ出している。


「ジュイキンくん……ジュイキンくん!」


 その傍らで呼びかける黒猫はまったくの無傷。ミアキンの体を一時的な通信機として借り受ける際、ローはこの猫の絶対的な安全を保証した。

 異相いそう邁界まいかい転身てんしん普越ふえつ。見た目は同じ世界にいるが、その実体は異なる位相座標に避難させることで、剣難火難及ぶことなし。ある意味、灰魚ツイグーと似た状態にある。

 宙遊漁が空を泳ぐのは、彼らにとってそこが海だからだ。人間とは逆の位相に棲むゆえ、海こそが彼らから見た空であり、海中へ入ればエラが詰まって死ぬ。

 問題はその設定に時間がかかるため、とっさの避難に使うのは難しい、という点だ。ただでさえジュイキンに関しては、先程も強制転移を行っている。

 あまり自分が手を貸しすぎるのもまずいのだが、いよいよもって彼を切るかどうか考えるべき瀬戸際に来たかもしれない。

 そう考えている黒猫ローの背中を、剣尖が貫いた。ローは何の痛痒もない様子で、おとなう者を見やる。


「無駄だよ、この子に君の刃は届かない」

「そんな所だろうとは思ったがな」


 何の手応えもしない剣を抜き、ウォンはくるりと手を返すと、流れるようにジュイキンの足を刺した。死体のように殺戒者の青年は無反応。


「同じように、こいつを助ける気はないという訳か」


 ローは答えない、ただ金色の猫目で狂信者の男を見据えた。

 見失っていたグイェンの姿を見つけたものの、全力の軽身功で到達するまであと何秒かかることか。合流したとして、ジュイキンが復帰するのにどれぐらいか。

 どちらにせよ、このままでは天猟心母が奪われる。ローは時間稼ぎのための会話を試みようとして口を開き、それから、新手の存在を確認した。


(……やれやれ、万事休すか)


 この状況で、最小限の力で使える仙術はなにか? ローがそれを吟味していると、新たに現れた女はくるくると三節棍を回し、ひたりと、ウォンにそれを向けた。


「それは何の真似だ、死天夜叉殿」

「あたしが訊きたいことの先取りなんて、気が利くねえ」


 リュイは、斃れたジュイキンを守るような格好でウォンに立ちはだかった。


「血迷うな、ショウ。猊下の御前だ」

「何が猊下の御前、だい!」


 ウォンは落ち着いた声でたしなめたが、リュイの反駁は烈火のようだった。


「このところ、あたしは事の成り行きが気に喰わなかったんだ。あんたをこんなにした坊主連中も! それをさせるがままにしていた、あたし自身も!」

「そんなことを言いに来たのか? ショウ、仮にお前が自分の満足行くように行動したとしても、それが本当に、俺の救いになったと思うのか?」


 呆れたように、ウォンは自分の顔を撫で、溜息をついた。犬でも追い払うように手を振り、全身で馬鹿馬鹿しいと言い表している。


「今更、しかもこの大事な時に、俺に泣き言を訴えるな! さがれ!」

「さがらないさ! 龕宮へ猊下の御神体を戻しな。あんたは今、人間としても、八朶宗としても、道を踏み外してる。自棄になるのはやめな!」

「自棄だと?」


 仮にも友人に向けるわずかな親しみが消え、ウォンは口元を冷笑に歪めた。


「己の本当の望みを果たすためには、自分自身こそが最も邪魔だと思わないか?」


 そこで言葉を切り、ウォンはゆるゆると忘生清宗の切っ先を持ち上げた。これ以上言い募るなら、剣にて応じるという態度だ。

 それを承知で、リュイもまた三節棍を構えた。


「こうなるのが、あんたの本当の望みだってんなら……、いいさ。とことんやり合おうじゃないか」


 彼女は目の前の男が、人を捨てた鬼神であるとは気づいてはいない。否、漠然と察しながらも、そこに残った人間性を信じて挑むのだ。

 それが吉と出るか凶と出るか――知るのは、卑賤なる人間どもを見下ろす、神灵の御心のままに……だろうか?

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