第二十三話 狂信、鬼の一念。救いは尽きた。※

 夜の底が血と火で赤く染まるからだろうか、空は今にも落ちてきそうに輝いていた。一面の闇を覆う神樹の枝は、それ自体が既にひび割れのよう。

 どうして自分たちは、こんなものを毎日見ながら、それが砕け散る日を想像しなかったのだろう? この光脈が消える時が、ジュイキンが霊母猊下を殺した時だ。

 リュイは地獄絵図と化した逢露ほうろきゅうの中で、無力さと愚かしさに打ちのめされていた。それでも、長年体に染み付いた功夫は、的確に敵を退けてくれる。

 今は自分の後ろに、身を守るすべもない子供たちがいるのだ。せめて彼らだけは守ってやらねばならない。彼女はただ、その一念でこんふるう。


「ほら、みんな! はぐれないで!」


 隷属を強いられていた元無缺環むけつかんたちは、その怒りを打神だしん翻天はんてんに誘導され、暴徒と化していた。中には自分の身内を探している者もいるようだが、八朶はちだしゅうと見れば見境なく襲いかかる奴も多い。突き倒し、蹴り倒し、少しでも安全な場所を目指す。


「お師さま」


 ほんの二週間ぶりなのに、懐かしい声がした。明るい髪色の、大柄な青年。あどけなかった顔つきは、どことなく以前より大人びた気がした。

 不安げに自分を見やる子供たちに、「大丈夫だから」と声をかけて向き直る。


「グイェン」


 気がつけば、荒らされた回廊の只中、暴徒の姿がない空白地帯に彼女らは立っていた。叫び声が、黒煙が、意識の外へ追いやられて、リュイは言葉に詰まる。

 愛弟子は頭を掻いたり、首を捻ったり、まばたきを繰り返しながら、やはり言葉を探しているようだった。やがて、意を決したように自分の両頬を叩く。


「お師さま、この間は、ごめん! なさい!」


 深々と腰を折って、大声での謝罪。リュイが何か告げる前に、グイェンは体を起こすと、続けて問うた。


「でも、オレ、訊きたい。……お師さまはオレを殺そうとしたのに、なんで育ててくれたの? なんで、オレを弟子にしたの?」


 リュイにとって、それは答えるのに何の迷いもいらなかった。

 グイェンにとって、その答えはあまりに意外なものだった。


「だって、


――オレは……、〝オレ〟になりたい。オレだけのオレに、父上も、母上も、兄弟も関係ない。ただの、人間のオレに。


「命じられたまま剣を揮ったあたしらに斬られて、死ねずに痛くて怖くて泣いていた。十魂じゅっこん十神じゅっしんだか不死身だか知らないけれど、……殺せる訳なかったよ。で、そうやって拾っちまったからには、責任持って育てないと、だろ?」


 自らの罪に顔をしかめながらも、リュイは「そんなことが知りたかったのか」と不思議そうに苦笑いした。彼女にとって、それは当たり前の事実なのだ。


「――なあんだ」


 気の抜けた声が漏れる。それはグイェンにとって、つい最近まで、自分が求めているとすら気づけなかった言葉だった。


「お師さまは最初っから、オレのこと分かってたんだ。……へへっ。へへへ」


 英雄になりたい、いや、ならなくちゃなどと、気負っていた自分がなんだか馬鹿みたいだった。恥ずかしいような、くすぐったいような気持ちが腹の底から湧いてきて、このままリュイにくっついて甘えたくなる。さすがに、今は自重するが。

 次に起きた変化に、先に気づいたのはリュイだった。


「……何か、起きたね」


 あたりの喧騒が、やんでいる。完全にではないが、あちらこちらから上がっていた叫び声の大半が、聞こえなくなっていた。


「……ジュンちゃん?」


 不吉な予感を覚えて、グイェンは友人の名を口にした。


                 ◆


 逢露宮の建物は、どこも封禁の呪がかけられ、ニングの壁抜けで近道することを許さない。軽身功で疾駆してきたジュイキンの道行きも、そろそろ終わる。

 天を衝くような朱塗りの柱が、長い長い石段を樹林の代わりに挟んでいた。

 柱の間には、霊符と灯籠を吊るした色取り取りの紐が幾重にも張り巡らされ、空を覆い隠している。柱の彫刻に、間に、様々な神像を設置し、色彩は目に痛いほどだ。

 しょう……とかすかに漂うたおやかな音色は、霊符の間に吊るされた鈴か。銀の粉を撒くような、涼やかな響きに思わず聞き入りそうになる。

 簫…………と、心震わせ。

 簫…………と、胸とろかせ。

 簫…………と、鈴の音が幾重にも、幾重にも。

 不意に、ジュイキンは己の異質さに足を止めた。血みどろの戦場など別世界の、荘厳な空気。そこを無作法に駆ける自分は、凪いだ水面を波紋で乱す朽葉だ。

 八朶宗にも、如夷霊母にも、もとより大した忠誠心や信心を持ってはいないが、その自分でさえ畏怖を抱く。これが神樹の御元に近づくということなのか。


「……ちっ」


 ジュイキンは舌打ちして己を取り戻した。この重み、この静けさと清浄、これこそが、自分がこわすものだ。呑まれるな。

 その肩の上で、黒猫が口を開いた。ミアキンの体を借りたローの通信だ。


「少しグイェンくんを待ったらどうだい。どうせウォンのやつが待ち構えているんだ、一人で挑むのはうまくない」

「向こうがそれを見逃してくれるならいいがな」


 逢露宮に入った時から、ジュイキンはその気配を感じていた。天猟てんりょう心母しんぼ、同じ神樹継嗣の片割れは強烈な存在感を放ち、否応なく互いの位置を知らせてくる。

 徐々にだが、ウォンの気配ははっきりとこちらを目指して近づいてきていた。


「では仕方ない、何とか時間を稼いでくれよ。私は陣頭指揮で忙しいしね!」

「分かった」


 借りてるだけとはいえ、愛猫がしゃべっていると思うと妙に心が和む。中身がミアキン当猫ではなく、あの堕落仙女というのが気に喰わないが。

 石段の終わりには、人の背丈の三倍はある扉があった。腰の剣を抜き払い、切り開いて押し通る。その先は、荘厳さの欠片もない荒涼たる岩地だ。

 等間隔に立ち並ぶ灯籠が、山頂への道を淡く照らしていた。

 瘴気しょうき、と言うのだろうか。目に見えない、毒々しい陽炎のようなものが辺りを満たしていた。神聖な場にしては、あまりに禍々しい気配。

 その源は、ほんの数公尺メートル先に立つ人影。でたらめに枝分かれした刃物を下げ、だらりと自然体で立っているが、全身をくまなく霊符に覆われている。

 と、青い火が足元に起こると、たちまち人影を包み込んで霊符を焼き尽くした。中から見覚えのある、しかし明らかに人相の様変わりした顔が出て来る。


「遅かったな、チ・ジュイキン」

「やはりお前か、ルンガオ・ウォン」


 神樹継嗣の片割れを八朶宗がどう使うか、予想は立てていたが、ローの言った通りになった。ウォンの顔には、死体を継ぎ接ぎしてどうにか整えたような、無惨極まる傷痕が残っている。拘束衣じみた黒い装束の下も、惨たらしい有り様なのだろう。

 ローは目ざとく継嗣の在り処を見つけた。


「天猟心母は柄の中だね」

「なんだその猫は」

「それで刀身が変形を?」


 事情を知らないウォンからすればもっともな問いを、二人は共に無視した。


「まあね。君のように人体と結合させてる訳じゃないから、出力は劣るだろうが、その分色んなものを体に詰め込まれたんだろう。いやあちょっと解剖したいなあ」

「あの女が猫の口を借りているのか?」

「お前が戦ってくれるなら楽なんだがな、仙女様」

「こんな可愛い猫ちゃんにひどいにゃ」

「「その口調はやめろ」」


 はからずも異口同音となって、ジュイキンとウォンは気まずく目を合わせた。

 右足を後ろに下げると、一瞬前まで踵があった位置を黒いものが突く。夜闇に紛れながら、ウォンの足元から伸びた影がそれとなくこちらを狙っていたのだ。

 だが、孕んだ殺気をジュイキンの感覚は鋭敏に捉えていた。


(これは、陰刮傷いんかっしょう!)


 像身功ぞうしんこうで作り出した〝偽の影〟を直接武器として操る奥義。

 ジュイキンの御剣ぎょけんと同じく、眉唾ものの伝説だが、神樹継嗣の力がある以上、ウォンにもこれぐらいのことは可能ということだ。

 片足を下げた動きに連動して、ジュイキンは横へとステップ。前の失敗から、ウォンはまず胴体は狙ってこないと踏んでいた。狩るなら四肢からだろう、と。

 地面から立ち上がった影は、夜目にも黒い稲妻のように見えた。だが稲妻ほど速くはない。ジュイキンの懐から峨嵋刺が飛び出し、影を貫き、地面に縫い付ける。

 陰刮傷を習得する余裕こそ無かったが、御剣は少しばかり物にできた。天猟心母が供給する内力を糧に、ウォンの影を抑え込む。

 惜しげもなく、ウォンは自分の足元から影を切り離した。黒い色が、水のように染み込んで地面へ消える。替わって、白刃の輝線がほとばしった。

 奇怪に枝分かれした忘生清宗の刀身が、それぞれ蛇のように身を捩って襲い来る。果たしてこれは、もはや剣法とも刀法とも呼べないのではないか。

 ジュイキンは再び御剣で峨嵋刺を飛ばした。

 峨嵋刺で三つの剣枝けんしを弾き、刀身の本体部分を剣で絡め取ると、相手の攻撃にあえて力を加え、向きを崩させる。こうなればもう、やいばは狙いをあやまつのみ。

 グイェンが来るまで、このまま持ちこたえることが肝要だ。剣の第一波を凌いで、ジュイキンは口を開いた。


「お前は本気で信じているのか? 己の殺したものが、いつか遠い日、すべてよみがえるなどと。それで何が許される、何が救われる」


 返事の代わりに第二波が放たれた。

 以前よりは慣れたとはいえ、御剣を使い続ければ目眩や頭痛で体勢を崩す。先に目をつけておいた細い剣枝を二つ、叩き斬って剣だけで凌ぎ切れた。

 神気が根付いたことで、反射神経も動体視力も筋力も、すべてが向上していることをありありと実感する。だが、ならばウォンはどうか。

 直接自分の体に埋め込んでいないとはいえ、この男はまだ力を出し惜しみしているのだろうか。不審に思いながらも、ジュイキンは守りに徹して言葉を紡いだ。


「冥府には誰もいない。何もない。お前がいくら悔やもうが、信心を捧げようが、誰も戻りはすまい。よみがえりなど、私は認めない」


 ぎちぎちと音を立てながら、忘生清宗の刀身は形を変え、更に枝分かれし、血に飢えた大蛇のように牙を剥く。峨嵋刺を飛ばすことを諦め、ジュイキンはその一つ一つに剣だけで対応した。……だが、凌げる、凌げてしまう。

 この程度で済むはずがない。今のウォンは、一見冷えて固まったように見えるが、皮一枚下には、ドロドロと熱が滾る溶岩と同じだ。

 この男も時間を稼いでいるのか。そう思った矢先、ウォンが口を開いた。


「俺は十四で死に、そしてよみがえってきた。それでも、俺は俺だ」


 水しぶきのように乱れ散る剣光の中、その顔は石のように乾いた無表情だった。生き生きとした情や感性がこぼれ落ちた、息苦しいほど腹立たしい面構え。

 それがかえって、ジュイキンには腑に落ちた。繰り出される剣戟の文目あやめ、その合間から、初めてこの男の、本当の顔が見えた気がする。


「だから、父親を殺せたのか。お前のよみがえりを認めなかった、殺戒者さっかいしゃを」


 悲しみでも憎しみでも怒りでもない、だがそれらと不可分な化合物が、胸の中でごろりと音を立てた。息が詰まりそうだが、呼吸を忘れてはならない。内功の基本だ。

 剣と刃の応酬は続いている。青白い白刃の火花に照らされたウォンの顔は、縦に横に走る縫合痕や、引きつった火傷を別にしても、人間味に欠けていた。


「人の本能など不合理の塊だ。死者の復活がまやかしだと言うのなら、それは、まだ完全ではないというだけのこと。貴様も、あの男も、ただただ不敬」


 そして、ウォンは虚無的に歪んだ笑みを浮かべた。


「その証拠に、俺は猊下に訊ねたのだ。

――、と」


 その言葉も、笑みも、ジュイキンには意味の分からないものだったが、底抜けに不吉なものを覚えた。問いただしたいが、肩のミアキンローが不意に毛を逆立てる。


「え、ばかな、いやまさか」

「どうした、ロー」

「無缺環が、霊母に復帰している!」


 その叫びは、この作戦がすべて台無しになることを意味していた。


「君か! ウォン、君、霊母の制御権を奪ったね!? 信仰のために信心を捨てたかい? おめでとう! こいつはいよいよもって、外道の道行きだ!」

「そういうことか……!」


 もはやジュイキンは大きく後ずさり、ウォンから距離を取っていた。

 無缺環の制御権奪取について、天猟心母の片割れが問題にならないかは作戦の前にも確認していた。結論としては、〝有り得ない〟。

 八朶宗がウォンにそれを使わせるなら、何重にも接続不可になるよう封禁をかけておくだろうということが、一つ。

 ウォン自身、天猟心母を用いれば無缺環の制御を奪えるということすら、立場上知らないはずだということが、一つ。

 何より、信仰対象である霊母の内部に触れるなど、狂信者に出来るはずもない。……だが、どんな手を使ったのか、実際はこの有り様だ。


「俺が猊下に捧げる信心は、何も変わらない。むしろ、より忠誠が深くなったと言わせてもらおうか」

「狂信者はどいつもこいつも言い訳が上手い」


 ウォンが一歩前へ出れば、ジュイキンも一歩下がる。先程、手を抜いているように感じられたのは、戦いながら制御権を得る処理を行っていたためか。

 霊母から権限を分割譲渡されていた朶太夫だたいふが死んだことで、権限は宙に浮いていた。それをローは不正な接続で奪取していたが、霊母側がより正当な権限者と認めるのは、八朶宗が手に入れた側の神樹継嗣だったという訳だ。

 ジュイキンは改めてローに確認する。


「天猟心母の力なら、こちらも同じことは出来ないか?」


 理屈上はいかにも可能だ。ただしそれには一度撤退し、ジュイキンとディーディーを有線接続して作業に取り掛かる必要がある。だが一度最上位権限をあちらが得てしまった以上、無缺環を解放した時のようにはいくまい。軽く見積もっても三日はかかるが、もとよりこれは短期決戦。ぐずぐずしていると審骸しんがい山脈十の峰々から、あるいは外界から、続々と援軍がやってきてしまうのだ。少数精鋭で乗り込んだ打神翻天は、そうなれば即座に囲んで潰されてしまう。

――そうした事情を説明する手間を惜しんで、ローは答えた。


「端的に言おう、無理だ!」

「そうか」


 ジュイキンはそれ以上問うことはしなかった。ロー個人を胡散臭いと感じてはいるが、その能力は確かだ。専門家が無理と言っているからには無理なのだろう。


「グイェンを待つ時間はなさそうだな」


 かくなる上は、一刻も早くウォンを倒し、神樹継嗣を奪うのみ。ローも「急がせる」と告げて、黙り込んだ。本体の方はおおわらわだろう。

 あたりの瘴気が、焼け付くように濃くなった気がした。だが、変わったのは空気ではなく、目の前の男の気配だ。より禍々しく、より鋭く、そして静かに。

 ぱらりと枝を落とし、元の形を取り戻した忘生清宗を構えると、ウォンは淡々と告げた。囁くように小さいのに、銃弾のようにはっきりと耳に届く。


「その魂、心の臓、命のことごとく、神灵カミに帰すべし」


 視界が真っ白に染まり、何が起きたか分からなかった。

 ぱつりと、目の前で何かが切り落とされる。

 突然、何かに腕を引っ張られた感じがして、ジュイキンはよろめいた。足に力が入らず、かくりと、濡れた地面に片膝をついてしまう。

 軽くとさり、という音を立てて、背後で何かが落ちた。

 何が起きたか分かったが、反射的に分かりたくないと理解を拒む。だが、地面を触った手、それを汚す、この赤い色。鉄臭いこの臭いに、間抜けな呼気が漏れる。


「は――」


 ジュイキンの左腕は、肩口から斬り飛ばされていた。革鎧の袖も、肉と皮も、骨も髄も、血も痛みも、まるごと断ち切って、胴体と永遠の別れを告げる。

 意識が爆発して粉微塵になり、肉体が暴走して地面でのたうちながら、声は別の生き物のように叫び散らす。息も出来ない激痛は、五年前の投獄時代も未経験なほど。

 体も心も痛みに支配されて自我は居場所を無くす。

 高すぎる音が人の耳に聞こえないように、もはや感じきれないほどの痛みは無痛となって、無痛は無限の苦痛に変わる。


「……ろ! 息をしろ、ジュイキンくん!」


 鼓膜が痛み以外で拾った震え。これはローの声だ。すがるようにそれに従おうとして、ジュイキンは呼吸法を思い出した。

 八花拳・安息功あんそくこう――血と息の乱れを整え、痛みを極限まで減らす。

 痛みが、どうにか我慢出来る程度に和らぐ……獄中に居た頃は、呼吸を阻害する器具を取り付けられ、これの恩恵には預かれなかったものだ。

 血を失くしたせいか、ひどく寒い。肩口を押さえる手がガタガタと震えて、このまま凍死しそうな心持ちだ。口の中が苦く、いつの間にか何かを吐いていた。


「まずは一つ。どうだ、あの時のように〝たすけて〟と言ってみるか?」


 すぐ目の前、適当な岩に腰を下ろしてウォンが言った。そうやって、苦痛にのたうち回る様を眺めて、愉しんでいたのだろう。残りは左腕と両足か。

 持っていた剣は、蹴り飛ばされたか遠くに転がっていた。今の体調では、御剣で動かすには負担が大きすぎる。懐に残った峨嵋刺を使うしかない。


「逃げろ、ジュイキンくん」


 ローの声は今までになく焦っていた。狼狽していると言ってもいい。彼女は今になって、ウォンの抱えていた溶岩の正体を察していた。


「あれは、もう人間でもなんでもない。〝鬼神〟だ」

「……神灵だと? こいつが?」


 口をきけるまで快復したが、ジュイキンは自分の思考力が酷く落ちている気がした。ローがとんでもないことを言っているようだが、まさか冗談ではあるまい。


「もとより神灵は、鬼神から造られたものだ。鬼神は、つまりはニングさ。ニング(兒訝じが)が〝人鬼じんき〟と呼ばれた古の時代に、そいつは生まれ、そして滅ぼされた。いやしかし、自力でよくたどり着くものだね! 大したものだよ!」

「歴史の授業か。いいぞ、俺も興味深い」


 ウォンは腰を上げもせず、せせら笑うように言った。もはやこちらに戦う力が無いとでも思っているのか。その点については、ローも同意見なのかもしれない。

 ジュイキン自身、心折れても不思議ではなかった。人間、腕の一つも折られれば戦意喪失するのが普通なのだ。ましてや、斬り落とされたとあっては命にも関わる。

 だが。


――傷が治ったら、僕のことは忘れてくれていい。君が少しでも長く、健康に生きて、出来れば幸せになってくれたら、僕はそれで充分だ。


(……兄さん……)


 優しい思い出が、淡く脳裏に灯る。永遠に失われてしまった、取り戻せるかもしれなかった、思い出の続き。二度と、決して、手に入らない大切なもの。

 だからこそ、この男を殺さねばならない。生きている者には、死者にはない多くの可能性を許されている。それを、すべて奪いつくさねば気が済まない。

 これ以上、兄と師父を奪った仇敵の命を、永らえさせておくものか。


「鬼神でも信心でも好きなだけほざけ、ルンガオ・ウォン」


 這いつくばった格好から立ち上がる。ふらつく頭を振って、目の前のウォンをひたと見据え、額に憤怒の稲妻を閃かせた。


「霊母もろともに! 滅ぶがいい!」


 腕の一つや二つ、大した問題ではない。最後にこいつの首を掻き切ればいいのだ。その先に救いがあろうがなかろうが、ジュイキンの知ったことではない。

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