第2話 蜘蛛はお嫌い?

 硬い鉄の棒で、規則正しくアルミ板を突く音が響く。その音を聞くと、警戒するか逃げなければならない。それがこの世界では常識なのだ。

 「くそっ、なんでクモロボットがこんな辺鄙な所にいやがんだよぉ! 折角シリアルバー見つけたのに。それ以上に動かなくちゃいけねえ、くそったれ!」

 

 つぎはぎで、雑草みたいな色のコートを着た大柄の男がいた。フードをかぶり、顔には丸いフィルターが二つ付いた、ガスマスクを被っている。表情は読み取れない。回りは砂ぼこりのようなガスで覆われ、下には沢山の瓦礫が所々にある。残った建物も、鉄筋がつき出したり、今にも崩れそうな壁が並んでいたり。そうした光景がずっと続いている。彼はしばらく息も切れ切れに走り、屋根のないただ壁に囲まれている所に逃げ込む。

 

 「はぁ、はぁ」

 

 立ったまま、膝に手をつき息を整える。肩の上下を抑えようとして。

 

 「クモがこのまま何処かへいけば良いのだがな……」

 そう独り言を吐きながら一人分の座るスペースを作るために瓦礫を動かし、軽く埃を払い腰を落ち着ける。


 男が逃げているのは、某国が作ったロボット兵器だ。四メートル程の細長い四脚を、球体の胴体部分に接続され、口径が十四ミリの機関銃を、胴体の下部に二基取り付けられている。装甲の色はクリーム色だ。主に陸の偵察が目的だが、殺傷能力は非常に高い。

 

 息を整えた男は、胸元のポケットから手のひらサイズの携帯型多目的端末『eyesPAD』アイズパッドを取り出す。これは通話やインターネットを始め、個人証明や仮想通貨での取引、建物の鍵、地図等の様々な事に、数多くの『ヒト』が利用していた。

 

 男は『eyesPAD』を操作し、ガスマスクの中にあるマイクを気にするように、口元に手を当てる。

 「アーアー、聞こえるか?」

 すると耳元にあるスピーカーから音が鳴り出した。

 「ああ、ばっちり聞こえているぜ! スヴェン」

 少し声が高めだが、スピーカーから聞こえる主も男だ。

 「孝太郎、良い知らせと悪い知らせとがあるんだ」

 スヴェンと呼ばれた男は、腰を下ろしたまま膝をたて、ずっと俯いている。

 「んー、そうだな、良い知らせから聞こうか」

 相手は軽快に話す。

 「孝太郎、普通悪い方から聞かないか?」

 「馬鹿言え、お前の不幸も俺にとっちゃ良い話なんだよ」

 「悪趣味なやつめ」

 そう言いながらスヴェンは、何処かしら安心したような口調だ。

 「良い知らせはな、ブロウクン社製造の、タンパク質フードカードリッジ見つけたぜ。ラベルは牛が描いてあるやつで、半分ぐらいしか入っていないがな。差し込み口も壊れてはいるが、直せば使える。都会の奴等は贅沢だな」

 スヴェンは道中で見つけた、チョコのシリアルバーについては、黙っておこうと思った。孝太郎にバレれば、確実に駄々をこねられると思ったからだ。孝太郎は甘いものに目がない。

 「まじかよ、こりゃあ今日の飯はステーキだな。あー、さっさと帰ってこいよ」

 孝太郎の声が一段と高くなった。

 「ステーキは駄目だ。すぐに無くなっちまうぞ、せめてシチューだな。あともう暫く帰ってこれない、これが悪い知らせだ」

 「なにかあったのか?」

 心配そうに孝太郎は聞いた。スヴェンは頭を掻きながら、めんどくさそうにこう言った。

 「クモに見つかりそうだ。暫く大人しくしておきたい。『eyesPAD』のバッテリーも気になる、電源を落とすからな。なるべくすぐに戻る」

 「分かった、絶対に見つかるなよ」

 そう言葉を交わした後、『eyesPAD』の光が消えた。

 

 「……」

 

 そこは静寂に包まれていた。クモロボットの行動パターンは、数時間同じ場所を徘徊するように出来ているから、迂闊には動けない。

 スヴェンはじっとするのに慣れていた。何年もロボット兵器から身を隠し、溝鼠のように残飯を漁る。都会外れのゴミ溜めに、食べ物や使えそうなスクラップを集める。そんな生活をしているスラムに住んでいた。『eyesPDA』だって正規品じゃない。身分を証明できないものはロボットに殺される。

 殺されないようにするには、ロボットに見つからないようにじっとする。それが生まれたときから身に染み付いているのだ。


 静寂に包まれている中、突然一斗缶が転がるような音がした。

 「だれだ!」

 スヴェンはすぐにその場で転がり込むように伏せ、腰の右側につけている九ミリ口径の黒光りする、重厚な見た目の拳銃を取り出し、構えた。


 「まって! 撃たないで、なにもしないから」


 音のなる方から子供のような声が聞こえた。

 それでもスヴェンは銃を構えるのはやめない。警戒し続けるのは自己防衛だ。

 「お兄さん、何か食べるものない? 三日間なにも食べてないんだよ」

 スヴェンは少し頭をあげると、黄色い雨合羽にガスマスク、黒い子供用のブーツ姿の子供が両手を上げて立っていた。

 「ねぇ、聞いてる?」

 スヴェンは考えた、敵か、敵ではないか、と。

 「お兄さん! 聞いてるの?」

 「うるさい、大声を出すな。近くにクモがいるんだぞ」

 大声を出されたからか、反射的に銃を下げ立ち上がってしまい、ばつの悪そうに頭を掻いた。

 「なんだ、喋れるんじゃん。ねぇねぇ、うちに来てよクモから逃げたいんでしょ? 私、北条カナタっていうんだ、お兄さんは?」

 カナタは両手を上げたまま、首を傾げる。

 「スヴェンだ」

 もう敵意を無いと思ったのか、銃を腰のホルスターにしまう。

 「外国人さん?日本語上手だね」

 「日本人だ、こんな所に『壊れていない』人間がいるとはな」

 二人の距離は六メートル程でその間にガスの風が、塵も敵意も渦を巻き掠め取っていくように音を出しながら拐っていった。

 「んー、ある意味、お兄さんも私も壊れているのかもね。普通って何だろうね。ま、そんな事よりいこうよ、ここも危ないと思うよ」

 その時、またあの嫌な音が聞こえてくる。クモロボットだ。先程の安堵した空気から一変、緊張が張り詰める。一歩、また一歩と大きな瓦礫を踏みつけ崩れる音、鉄と鉄がぶつかり耳に響く音、音、音……。これを聞けば赤子は泣き出す、これを聞けば大人は恐怖に支配される。染み付いたトラウマは一生頭から離れない悪夢だ。

 カナタは体を少し震わせた。

 「え、なんでこんなに近いのに気付かなかったんだろ? こっちだよ、お兄さん! 

 はやく!」

 体を反転させ、瓦礫の上を軽快に走り出す。

 「くそっ、ルート上だったのかよ。着いていくしかないか、勿体ないがデコイボムを使うぞ、カナタ! 耳を塞げよ」

 スヴェンはカナタの後を急いで追いながら瓦礫を脱兎の如く走り抜ける。左の腰につけた、黒くて丸い握りこぶし大の物を取り出し赤いボタンを押すと甲高い電子音がでる。それをクモの方向に思いっきり投げた。

 「なに? 聞こえないよ! ってか早っ――」

 カナタが何かを言い終わる前に、黒い球体は真っ赤な火花と共に爆発した。その音は先程の、甲高い電子音が更に数倍になった音を出す。一瞬、カナタの耳が聞こえなくなる程に。爆発した後の赤い火花は、回りのガスよりも濃くその場に留まる。そこにクモロボットは装甲の隙間が赤く発光し、ご自慢の十四ミリの機関銃から鉛の弾を豪雨のように吐き出した。

 「――っもう! デコイボム使うなら言ってよ! 耳がおかしいよー」

 「言ったのだがな、聞いていないおまえが悪いな」

 なぜかお互いの声が、どことなく嬉しそうだった。

 それでも二人は走るのをやめない。これもここの世界の『ヒト』達にとって、日常なのだ。怯えて暮らし、明日の飯さえありつけるかどうか。明日の事は分からない、今はただ、二人は走り続けるのだ。

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デストピアと暮らそう! 柳 直彦 @bonboyazi

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