side:LACHEN
第零話
エミの足元には赤黒い水たまりを形成した男が倒れていた。
既に生命活動を停止したそれを見下すその眼に感情は無く、しかし下唇を噛む所作は唯一エミの心境を物語っている。
ふと、首筋に冷たさを感じた。
見上げると、濃灰色の空から水の雫が次々と降下してきていた。血に汚れ、ほつれ所々破けた戦闘服は瞬く間に濡れていく。
いっそのこと、これが逃れようのない弾丸の雨ならば。
一瞬不吉な思考がよぎり、エミは首を振る。
違う。こんなところで死んじゃ駄目だ。エミが死んだら、イタチ君はなんのために。
手元の端末に記された残りの数は1。今足元にいる人を最後に、島にはもうエミ以外いなくなっていた。
エミはイタチと別れたその時に拾った不如帰を握り直すと、端末の数字が点滅し、やがて消えた。
『おめでとうございます。見事あなたはパーティーを勝ち残りました』
何日か前に聞いた時と同じ、無機質な声が端末から聞こえると、エミの脳裏にはある漢字二文字が浮かんだ。
エミたちをこんな目に、いやそれはいい。それよりイタチ君を殺した主催者は許さない。復讐してやるのだと。
静かに燃え滾る闘志がエミの瞳に灯る。
しかし、その火は再び響く声によっていともたやすくかき消された。
『しかし少々お疲れでしょう。今しばらく眠り、休養をお取りください」
刹那、脳の表層。後頭部だったか側頭部だったか、どこかは分からない。脳に鋭い痛みが走ると、エミの視界は一瞬で暗転した。
♢ ♢ ♢
幾重に重なる鉄の配管に覆われた空間の中、二人の男が目前のホログラムに目を落としている。
映しだされているのは数十にも連なる人型だった。
青白い光を片眼鏡に映し出す男は、老齢に伴い張りの無くなった口角を吊り上げる。
「素晴らしいとは思わないかね? 今、我が手元にはこれだけものサンプルがある」
掠れ、決して大きいとは言えない、けれどもはっきりと悦びに満ちた声に、もう一方の男は黒スーツの襟をただすだけで答えない。
所詮は金で雇った護衛。片眼鏡の男も返答には期待していなかったのか、構わず一人で喋り続ける。
「しかし【鎌鼬】を得ようとは思わなんだ。随一の者達を集めただけあって流石のあやつでも太刀打ちできなかったらしい」
あるいは、生き残ったこの少女が存在したがためかもしれないが。
「いずれにせよ、我が手元に奴が手に入ったのは悪い事ではない。それよりもこの生き残った少女。確か鎌鼬の相方だったか。狐面の男に最初こそ気づけなかったものの、鎌鼬が討たれた後は超常的な何か、ナンセンスに言うあのであれば本能と言うものか。影を消した奴を見事にかぎ分け一瞬にして討った手腕は見事と言わざるを得ない。元々鎌鼬に比肩する力はあった者だから結果としてはおおむね可能性の範疇だった」
長くしゃべり続ていた男だったが、ここで口を閉ざすと再びホログラムに酷薄な笑みを向ける。
「来る時が楽しみだ」
横で呟く、その醜悪に満ちた顔を見ていた黒スーツの男が眉を僅かに動かすと、背後で自動開閉式の鉄扉が開く作動音が響く。
「博士、全てのサンプルの回収を完了しました。状態はおおむね良好です」
液晶端末を抱えた白衣の男が扉の前で伝える。
「分かった。今行く」
片眼鏡の男は手を挙げ応じると、さてと呟く。
「最高傑作にとりかかろう」
♢ ♢ ♢
気付けば、エミは見覚えのある場所にいた。
エミがいる黒ソファーにガラス張りのデスク。暇だからとエミが持ち込んだ本棚には漫画が所せましと敷き詰められている。
秒針の音に目を向けてみれば今もなお時間を刻み付ける時計があり、その横のハンガーには予備の仕事服が一着かけられていた。
それからエミが窓を見やると、その前には仕事用のノートパソコン以外物が置かれていない、整然と鎮座するイタチの木机がある。
かつてエミとイタチが使っていた事務所だった。
もしかして、今までのは夢だったのだったのかと思うエミだったが、淡い期待だった。
イタチのデスクの横にある観葉植物。何日も手入れされていなかったそれは既に枯れかかっている。
パーティーなんて一晩くらいのものかと考え、エミは水をやっていなかった。
「なんで……」
なんで、自分はこんなところにいるのか。
いやそれよりも、と再度エミは周りに目を向ける。
不如帰は。
もしかして寝てる間持ち去られた、と半ば焦燥を感じるエミだったが杞憂だった。
黒ソファーのひじ掛けにもたれる、同系色の筒。
手に取り、黒金の柄を少し抜けば、美しい紋を刻んだ合金の刀身が顔を出す。
武器の最先端科学化が進む近年、刀鍛冶はとうの昔に廃れた。それでも一生を刀に捧げた
まさにイタチの愛していたその不如帰に相違なかった。
エミはかつて大事な人が肌身離さず持っていたものを見つけ、安堵する。
しかし同時に、頬に雫が伝った。
それはかつて無いものと自己すら騙くらかし隠し続けていた感情の破片。
ああ、イタチ君はもうエミの傍にはいないんだ。
考えれば考えるほどとめどなく雫は溢れ出てくる。同時にこれから一人なのだという漠然とした恐怖のようなものを今のエミには感じる事が出来た。
いつも当たり前のようにそばにいた、大切な人の喪失。
それはエミに一生かけても得る事の出来なかったであろう何かをもたらした。
それが良かったのか、あるいは否か。
こんなものなら感情なんて要らなかった。隠したままで良かった。エミはそう思う。
反面、エミは初めて人になれたのだと腑に落ちていた。そして人になれたというなら。
誰かを好きでいる事も少しは自然なものになるかも。
そんな事を考えながらエミは涙をぬぐい、一人立ち上がる。
何故、ここに帰って来て、この場で立てているのかエミは理解していない。だが、生かした以上必ず主催者を地獄に叩き落とすと決意して。
イタチ君を奪った奴は絶対に許さない。
その瞳には、誰しも等しく持ち合わせる感情がたぎっていた。
それが、イタチの望んだものなのかどうかは分からない。
kill survival -笑わない青年と笑う少女- じんむ @syoumu111
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