第6話 不完全な欠片達は


 また一人、目の前の人が死ぬ。

 そしてもう一人、さらに一人。

 何故こうも俺の目の前の人は消えていくのか。


 ふと、刀を手が握っているに気付く。刃先には雨垂れと共に紅い液体がしたたり落ちていた。


 ああ、俺が……俺が殺したからか。当然だ。殺したのなら死ぬのは当たり前だ。 当たり前のことだが何故、俺は震えている? 怖い? 恐れか? いや当たり前の事に何を恐れる必要がある。畏れる必要なんか無い。


 背中に心地の悪い水滴が流れ落ちる。頬にも雫が流れ落ちる。

 それも当たり前だ。何故なら雨が降り続けているのだから。


 気付けば俺の周りは血の海が形成されていた。血だ。紅いだけのただの液体。でも何故俺はこうも不快なんだ。何故、震えが止まらない?

 自分と同じ人間に巡る液体だからか? しかしそれが何と言う。


 分からない。分からない。俺は何を考えている。何を。理解できない。意味が分からない。そもそも何故俺はこうも思考を巡らせる。無意味だ。必要ない。何も。

 生産性に欠ける、馬鹿げている。ならばやめればいいではないか、この思考を。ああそうだその通りだ。この思考をやめればいい、全て、何もかも忘れよう。何もかも、思考を呼び込むきっかけすらも、消し去れ。


 ここは忘却の彼方だ。無の空間。全て無へ帰した、世界。

 しかし妙な事に、この空間にはどうやら一筋の光が差し込んだらしい。

 今は欠落し、生まれた頃は俺にも存在したはずの、光の一部が。


♢ ♢ ♢


「イタチ君!」


 誰かの叫び声に世界が再度色を帯びる。

 俺はどうやら夢を見ていたらしい。


「エミ……か」

「イタチ君……!」


 エミの声に続いて、凄まじい痛みが全身を駆け巡る。もはや身体を起こすことはできなかった。


 視線の先には赤黒い液体がどこまでも続いている。そしてその上には二つの影も横たわっている。


「ごめん……エミが、エミがあの男の気配を分かってたら、イタチ君はこんな目に。アハ、アハハ……」


 頬に水滴の気配。だが血だまりには白の光が映り込み、雨でも無い様だ。痛む身体を奮い立たせ、横から仰向けに寝返ると、エミが満面の笑みを湛えていた。だが、いつもと違う事と言えばその頬に一筋の雫が伝っている事だろうか。


「お前は、無事か?」

「うん、無事だよ? ちゃんときつね面の男もエミが消しといた、から……」


 笑顔から零れる雫が二筋、三筋と量を増す。


「そうか……なら良かった」

「えっ」


 言うと、エミは驚いたような声を漏らす。


「なんで、なんで……イタチ君は笑ってるの?」

「……」


 俺は笑っているのか。だとすれば何故笑うのか。

 嬉しいから、……という事だろうか。


「そうか……」


 なるほど、これがそうなのか。これが喜び、楽しみ。だとすれば案外清々しいものだな。悪くない。


「イタチ君?」

「エミが生きていて、嬉しいから、かもしれないな。命を張ってまで守れたのが、お前だから」

「えっ?」

「そういうお前こそ……」


 何故笑う?

 そう尋ねようとした時、エミが初めて見せる表情をする。


「何故、笑わない?」


 先ほどまで逆の事を聞こうとしていただけに、妙な心境に至る。ただ、笑うエミしか見た事が無かっただけに、自然とその言葉が口をついたのだ。


「え、笑って……ない? ……まぁ、そっか、笑えないよ、流石に。だって、こんなの……」


 一瞬の間があって、エミは静かに叫んだ。


「どうしたって、楽しめるわけない!」


 一人の少女の声が耳元で広がると、木々が小さく揺れる。

 ああそうか、何故エミが今まで笑っていたのか、ようやく理解できた。


 エミは殺人兵器として幼いころから殺しに従事してきたという。だが、彼女にそれはきっと耐え得るものでは無かった。何せ、地面に生えるたった一輪の花を大事にするほどの……つまり、心優しい子なのだ。いくら殺しの訓練をされても、きっとそれは彼女の本質で、生まれ持つそれを簡単に塗り替えることはできない。常に罪悪の意識が付きまとっていたのだろう。それにはきっと膨大な恐怖が伴ったはずだ。


 だから笑った。本質を覆い隠すため、殺し即ち楽しい事という位置づけを自らの脳に叩き込み、全てを深層に隠したのだ。快楽に溺れれば何もかも忘れることが出来るのも人間の本質だから。俺が感情を捨てたのなら、エミは感情を隠していた。あの笑顔の下に全てを。でも、長い事それは隠しきれるものじゃ無かったのだろう。


 突如、喉から何かがこみ上げてくるので、思わずせき込む。

 その刹那、自分の中で何かがドミノ倒しの如く倒れていくのが分かった。


「イタチ君!」


 エミが悲痛な声を上げる。どうやら俺も限界らしい。


「エ、エミ……」

「なに? イタチ君! いなくなるなんて嫌だよ!」

「お前は……頑張った。もう、無理し な く て……いい」

                       

 なんとか声を絞り出すと、そのまま闇の淵へと意識が遠のいていった。

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