第二話

二、大阪

 二月にしては割合に暖かな空気が、太陽と共に南方からせり上がって、大阪の街を隅々すみずみまで満たし始めていた。氷が溶けて魚が動き出すように、人間達も月曜日の憂鬱さから解放されて活気付きつつあった。とはいってもまだ前日の余韻から抜け切れず、物憂げな表情で重い足を引きる者も少なからずいる。郷田三郎もまた、浮かない顔をした人間の一人だった。彼の足下では、大阪市電天神橋西筋線の軌道が鈍重な音を立てていた。

「ああもう、もっとゆっくり優しく動いて欲しいわ」と、およそ市電の乗客としては転倒したことを、周りに聞こえるか聞こえないかくらいの声でぶつぶつと呟いている。鉄路の音や震動の全てが、前夜のアルコホルが抜け切らない彼の脳髄を容赦なく鞭打っていた。それなりに酒を嗜む郷田ではあるが、普段なら決して仕事に差し障る程の深酒をする人間ではない。昨夜は特別の深酒であって、それは六日前に発生した事件に起因していた。

 二月六日の午前十一時、大阪時事朝報社の編集長人見廣介が、前日から顔を見せない部下の記者川手妙子を心配して、同女の住居たる同社女子社員寮の寮母に連絡を取ったのが事件発覚の切っ掛けだった。寮母は、持病の腰痛の悪化のため、先月末から大阪市内の松村病院に入院していたのだが、この電話に大変驚き、一時病院を抜け出して急ぎ社員寮へと向かった。彼女が慌てたのには理由があって、女子「寮」といつつ、実はこの時、その寮内に住んでいたのは川手妙子だけであったのだ。日本婦人連盟と提携している大阪時事朝報社は、「御国に報恩できる職業婦人を増やすべし」「婦人もまた、社会の木鐸ぼくたくたるべし」との方針から、女子社員の採用枠を増やし、八名が暮らせる専用社員寮を設けたものの、実際には方針が首尾一貫されることはなく、自社に勤める女子社員を六名から増やすことはなかった。しかもその内、四名は親元から通っていたから、元々女子寮に住んでいたのは、川手妙子とタイピストの二名だけであった。そのタイピストに縁談がまとまって退社したのがこの年一月。四月からは新しいタイピスト二名が入寮する予定であったが、それまでに寮母の入院が重なってしまった為に、そこで暮らしていたのは川手妙子一人となってしまっていたのである。そうであるから、寮母の心配ももっともなことであった。大事無ければ――と懸命に念じた寮母の願いは打ち砕かれ、彼女は寮内の川手妙子の部屋にて、同女の死体を発見することになる。むせび泣く寮母から大阪府警察部に通報があったのが、同日午後一時二七分のことであった。

 川手妙子の死体には索状物の跡があり、明らかに絞殺体であったことから、ぐに府警察部の刑事課が召集され、大阪府警察部長児玉丈太郎が指揮を取った。実質的な捜査の差配は、司法主任小保内こぼうち精一に任された。被害者の部屋に幾らか荒らされた跡はあるものの、札入さついれや一月分の給与が入った封筒には手が付けられていなかったこと、その他にも目に付く処に置いてあった時計や装身具に手が付けられていなかったことから、強盗の類ではないと目された。そこで司法主任が捜査員たちに指示したのが、被害者の「痴情」を調べ上げよとの命であった。これに郷田は異を唱えたのである。

「何か意見のある者はいるか」との小保内司法主任の問い掛けに、「痴情とは別の可能性があるかもしれない」「見込み捜査はするべきではない」と、郷田は求められるまま私見を述べてしまったのだ。当の郷田自身に、必ずしも「痴情のもつれ」以外の何か具体的な動機が思い浮かんでいた訳ではない。郷田はこの丁度ちょうど一か月程前に、たまたま欠員が出たことによる臨時異動で、官服から私服予備へと昇進し、刑事課へと配属されたばかりであった。熱望していた刑事課へと配属されたことで郷田はまさに血気盛り。要するにかの諫言も、若さと熱意溢れる郷田の、新人ゆえの勇み足であった。さらに云うならば、かの司法主任が常々、「捜査に遠慮は不用」「意見があるならばどんどん述べよ」と訓示していたので、それを真に受けた処もある。

 しかし、上司の訓示を真に受けた結果は、得てしてそういうものだが、周囲からは当然の、郷田にとっては意外なもので、この諌言の報償として、郷田には、府庁警察部刑事課詰めでの書類の作成が云い渡されたのである。警察とて役所仕事である限りは書類の作成は重要なのだが、とはいえ、若く体力が有り余る郷田にこれが命じられたというのは、はっきり云って懲罰であり、要するに刑事本来の業務から外されたのだ。これは郷田にとって屈辱的なことであった。毎朝、警察部に来ては、捜査に向かう同僚たちを見送って、自分は一人、ペンと紙とを持って机に向かう日々となった。しかし見送りなどまだ良い方で、同僚達が探偵業務から帰って来た時などは、皆口々に、

「ああ今日も一日、外を駆け回って疲れてしもうた」

「誰かさんは楽な仕事でええなぁ」

「机に一日座ってるのが許されるやなんて、ほんま優遇されとるのう」

 ――などと厭味を云われる始末である。刑事課に配属されて僅か一ヶ月目の新人は、見る間に腐っていった。課内に愚痴を云う相手などがいればまだましだったかもしれないが、それもなかった。そして捜査開始から五日目にして、郷田は早くも深酒をあおることになったのである。郷田の苦境を噂で聞き付けた警察講習所同期の悪友、官服巡査竹谷義作と浪貝久八が、同情半分、からかい半分で、嫌がる郷田を無理矢理酒場へと連れ出し、しこたまに飲ませたのだ。郷田も最初は渋っていたものの、酒が回ってくると気も大きくなり、気が付くと散々に刑事課の悪口を云いながら痛飲した。そうして翌日の惨憺たる体調となるのだが、しかし、二日酔いによる鈍麻は、郷田の心理に変化をもたらすことになる。それは一種の開き直りであった。疼痛とうつうの止まない頭に、ちまちまとした事務仕事はいよいよ馬鹿馬鹿しくなり、ええいもう知るものかと、後先考えず、欲求のままに飛び出してきたのだ。といっても、遊戯場などに向かっている訳ではない。向かっているのは、事件発覚の日以来遠避とおざけられていた現場だった。勿論もちろん、命令無視の一大事である。しかし、手柄を立てたら何とかなるだろうという短絡も郷田の中にあった。かくして郷田は大手前にある府警察部を抜け出し、大手前駅から市電谷町線で南森町電停まで出て、市電天神橋西筋線と京阪電気鉄道千里山線(註1)を乗り継ぎ、ただ一人で事件現場へと向かっていたのである。

 大阪時事朝報社の女子社員寮である「星花寮」は、大阪市から見て北方郊外の閑静な住宅街、千里山住宅地の中にあった。ここは、英吉利イギリスのレッチウォースやポートサイラス、将又はたまた独逸ドイツのクルップ工場の郊外都市などを模倣して創られた、西日本屈指の田園都市である。即ち排煙溢れる都市中心部を離れ、人間が自然に生きるに相応ふさわしい環境を提供することを目的に整備された街区であった。一方で電気瓦斯ガス、上下水道は勿論、眺望絶佳の丘陵には遊園地まで設けられ、ただ自然に近しいというに留まらぬ、住みよい環境が造り上げられている。開発を行った北大阪電鉄が誇らしげにうたった処によれば、「わが千里山一帯の風物は面目一新ユートピア的一大理想郷」である。大阪時事朝報社は、自社の女子社員の福祉向上の為に、この住宅地に寮を設けていた。

 「星花寮」自体、この区画に溶け込むような建物であった。石塀に囲まれ、小さいながらも庭には木も植わっていて、その木々の間から瓦葺きの屋根が見える処など、遠目には二階建ての一軒家に見える。けれども、よくよく見ると家屋自体はやや細長く、同じ大きさの窓が規則正しく等間隔で並んでいて、長屋のような構造をしているのが分かる。石塀にぽかりと空いた入り口には物々しい鉄門が嵌められており、成程若い女性達を住まわす配慮がなされているようだった。今はその鉄門の両脇に、帯剣した厳めしい巡査まで立っている。

 郷田の心配は、現場にて追い返されることであったが、事件発覚から既に六日、現場に刑事課の同僚達の姿はなく、現場の保存監視の為に置かれた官服の巡査達は、郷田が捜査から外されていることなど預かり知らぬから、至極しごくあっさりと郷田を中に入れてくれた。彼にしてみれば、六日間待望した事件現場との対面であった。こうなってみると、一人で存分に現場が見られる訳であるから、「案外に己はついているのかもしれぬぞ」と、部屋に入る前に郷田は思った。

 被害者の川手妙子は、大正元年の生まれであり、本来なら今年で二二歳になるはずだった。実家は川手商会という江戸期から続く大阪の商家で、元々裕福な家庭の出であったから、子供の頃は何不自由なく育っていたらしい。兄弟姉妹もおらず、一人娘であったから両親からも強く愛されたことだろう。ところが妙子が高等女学校に通っていた頃に、彼女を取り巻いていた環境は驚く程に変貌する。川手商会に多額の不透明な借財が判明したのだ。これによって同商会は信用喪失から資金繰りに行き詰まり、遂に廃業へと追い込まれ、更に心労と先行きへの不安がたたって両親も心中してしまうのだ。一人残された妙子の悲しみは絶大なものだっただろう。それから新聞社に入社するまで、彼女の人生は苦労の連続だったと云っていい。しかし、友人達の支えと本人の不断の努力により、優秀な成績を上げた彼女は、奨学金を勝ち得て、何とか高女を無事卒業することができた。そしてその努力が認められ、職業婦人の中でも花形中の花形たる女性記者にまで登り詰めたのだ。こうして、将来がようやく切り開かれ、将来が嘱望された折りに今回の惨劇であるから、何ともやり切れない。

 入社した妙子は、「星花寮」に住むことを大層喜んでいたようである。両親を失ってから一人暮らしを余儀なくされていたのだから、それも無理からぬことではある。そうであるから、寮母や同寮生たるタイピストとの関係も大変良好であったらしい。「星花寮」の各部屋の間取りは至って実用的なものだった。廊下に面した洋扉を開けると、ず六畳程の床板張りとなっていて、妙子はここに木製の椅子三脚と卓子テーブル、それに茶箪笥だんすを置いていた。共同台所で沸かした茶や軽食などをここに運んで楽しんでいたのだろう。食器は同じ銘柄のものを揃いで集めていたようだ。小動物を象った小さな陶器の置物があちこちに沢山飾ってあるのが、子供じみてはいるが可愛らしい。床板張りの部屋から、硝子ガラス障子を開けて奥に行くと、六畳の和室になる。窓は南向きで、壁の一面は小さな床の間、その反対の壁は大きな押し入れだ。床の間には水盤が置かれていたが、こちらはあまり精を入れていなかったらしく、水は枯れ果て、剣山にはひょろひょろとした茶色い藁屑のようなものが絡み付いているだけで、それが元々どんな花だったのかは分からない。部屋の一隅には鏡台があって、色取り取り、大小様々な容器が綺麗に並べられているのが如何にも若い女性の部屋らしい。一方で妙子は寮でも記事を書いていたらしく、様々な資料や文具が傍らに山と置かれていた。人に見られるとは思っていなかったのだろう、こちらはかなり雑然としている。既に府警察部へと持ち帰られているが、ここからは取材用の手帳が、使用済みのものを含め計十一冊見付かっている。同僚の記者達に確認を取った処、それらは間違いなく妙子自身が使っていたもので、妙子が入社以来書き留めたもの全てが揃っていたようだ。手帳の内容は概ね家政的なものだった。妙子は大阪時事朝報の婦人欄「婦人附録」を担当していて、家事や料理の新技術から、家庭教育の振興・健康促進などの提案、流行記事や身の上相談、更には婦人文化の向上、婦人の報国運動の告知などがその主な取材内容となっていた。

 遺体は勿論既に運び出されているが、発見時は床板張りの部屋の方にあった。遺体は床に俯し、やや胴を捩曲げた姿勢で倒れていたとのことで、頭には棒状のもので殴られた痕跡が、首には索状物で絞められた痕跡があった。凶器の類は見付かっていない。死因は窒息で、犯人は妙子を殴り、弱らせた上で、馬乗りになって後ろから首を絞め、殺害したらしい。遺体発見時、妙子は小奇麗なブラウスとスカートを着用していた。このことから、外出から帰ってきた直後か、来客の応対時に殺害されたと考えられている。後者の場合、勿論その来客が一番怪しい訳だが、来客を迎えるような茶器などは遺体発見時、卓子の上には出されていなかった。とはいえ、それは単に犯人が茶器を片付けただけかもしれない。専門家による鑑定では、死亡推定日時は四日午後七時から五日零時。該当時刻に、周辺での有力な目撃情報はない。なお、川手商会の種々くさぐさの借財については両親の保険金によって完済されており、また妙子自身、家業には一切関わってこなかったことから、こちら方面での金銭絡みの怨恨は浮かんでいない。また取材先でも至って礼儀正しく概ね好感を得ており、こちら関係での悶着なども一切確認されていない。司法主任が「痴情の縺れ」と予断を下すのも、無理からぬことといえば無理からぬことなのだが、郷田としては今更いまさらそうと認める訳にもいかなかった。

 待望の現場へとやって来た郷田ではあったが、新たな発見をすることはほとんどできなかった。当たり前のことながら、遺体を始め、重要な証拠品の殆どはうに持ち出されている。やはり捜査の初動で外されたかせは大きいと、部屋に入った時とは真逆の感想を今更ながらに郷田は覚えた。取り敢えず現場の間取りを頭に叩き込み、現場に引かれた線を頼りに遺体の位置を確認し、そのほかに何かできぬものかと寮内をうろちょろする。同僚たちが見落とした証拠でもあれば僥倖なのだが、何十人もの捜査員達が目を皿にして見て廻った後であるから、そのようなものがおいそれとある筈もない。焦り、悔しがり、やがて諦めかけていた時、郷田は寮の外がいささかざわざわしていることに気付いた。

「どうした?」

「あ、いえ、大層なことではありません。郵便配達が来ておっただけです。ただ、昨日までの郵便夫ではなく、またこれが何とも飲み込みの悪い男だったので、一から事情を説明しておったのです」

 被害者に何か届いているのかと問うと、「ある」とのことで、大したものではないと前置きして差し出されたそれは、図書館からの督促状であった。確かに、大したものとは思えない――しかし、同僚達の知らない、被害者の行動の手掛かりを一つ得たことに、郷田は「してやったり」と満足を感じていた。


(註1:現在の阪急電鉄千里線)



 「星花寮」から見て、千里住宅地の丁度反対側に位置する少し離れた処に、「千里会館」と呼ばれる建物がある。これは住民達の福利厚生、社交の増進、各種娯楽の為に建てられた共同の施設で、多目的の大広間や、撞球ビリヤード、囲碁、将棋施設、更には庭球テニス場などを備えていた。千里図書館はこの会館の一階、中央ロビィの脇に設けられていた。出入口の扉を潜ると直ぐの処に、「貸出受付」の机が置かれていて、背筋のやたらに伸びた厳めしい初老の男と、如何にも書生上がりといった感のあるひょろりとした青白い若い男という、聊か珍妙な取り合わせの二人組の司書が座していた。郷田は己の身分を明かし、捜査初日に配られて以来後生大事に持っていた川手妙子の写真を見せた。それは大阪時事朝報社の社員旅行の際に撮られたもので、その中の川手妙子は軽快なワンピースを着て銀幕女優のように微笑んでいた。最近増えてきたとはいえ、モダンな職業婦人の姿はやはり印象的だったらしく、若い司書が直ぐに「ああ」と声を上げた。

「時々見ますね。垢抜けた御嬢さんやから、どうしても記憶に残りますね。ここに来たりもするくらいやし、どこか知的な様子があって、そこいらの女給さんなんかとは全然違う感じで……」若い司書は、元々川手妙子に興味を持っていたらしく、よく覚えているようだった。

「最近は見かけへんけど……どうかしはったんですか?」

「ああ、いや、大したことやないんやがね、ある捜査に関連して、一寸ちょっと足取りを調べとるんや。それで……」郷田は若い司書の質問をはぐらかして、己の質問を続ける。

「この女性は、どないな様子やったかな?」

「どないなて……今うた通り、洋装で、聡明な感じで……」

「あぁ、いや。そうやな……では、ここで誰かとうたり、話したりはしてへんかったかな? 例えば……男と待ち合わせしたりとか?」こう口にして、郷田は軽く自己嫌悪に陥る――なんだ、自分も痴情の縺れを念頭に置いているではないか。

「いえ、それは見てないですね……もっとも、僕はここからしか見てませんから、よう分かりませんが。知っている限りは、本を読んだり借りたり、真面目そのものでしたよ」

「では、どんな本を借りていたかご存知やないですかね? ……この督促状の本なんですが」

「……その督促状、どうやって入手されたんです?」

「ある捜査に関連して、ですよ」

「……時に刑事さん、思想心情の自由というものを御存知ですかな?」そこで憤然とした様子で話しに割って入ったのは、初老の司書であった。郷田は「よくは知りませんな」とだけ答えた。

「人の思想や信条、つまり頭の中には、権力は踏み入ってはならぬという考え方です。一部の欧米諸国では、これを守るのが当たり前になってきているそうですぞ……文明国ならば。本邦ではまだまだ不十分ですが、少なくとも亜細亜アジア第一等の文明国を称するならば、それくらいは目指さねばなりますまい。この考え方に立つならば、如何に警察といえども、軽々しく他人の図書貸出履歴などは見せられませぬ」

 老人は、西洋諸国の近代革命から説き起こして語り始めた。「仏蘭西フランス人権宣言に曰く、人は生まれながらにして自由であり、権利に於いて平等である……」若い司書は驚いていたが、聞き惚れてもいるようだった。一方の郷田には、何か大事な話しをしているらしいことは分かったが、ちんぷんかんぷんでもあった。しかし、遠回しにではあるが、情報提供を断っているらしいということだけは、郷田にもよく理解できた。

「……御高説は真に有り難いものの、私のような無学の者にはちんぷんかんぷんですな。それに、現今、我が国はそのような国柄になっておりませぬ。まぁそれだけ、貴男の仰る通り、西洋より遅れているということかもしれませんが……かく今は、もうよろしいですかな? それとも、公務執行妨害罪とかが御好みなんですかな? 私としては、勿論それでも構わんのだが……」

 郷田は威圧的に、老いた司書の話しを遮った。彼自身は、必ずしもそうした手法を好んでいる訳ではなかったが、しかし官服時代から染み付いた習性のようなもので、つい威圧的に振る舞ってしまう。老いた司書は猶不服そうであったが、若い司書が慌てた様子で、川手妙子が延滞している本の一覧を用意して持ってきた。本が返却され次第、貸出の記録は抹消されるとのことで、これより以前の記録はないと云う。本当だろうかと、郷田は少しいぶかったが、これ以上威圧的な態度を取ることは彼も好まなかったから、ここは引き下がることにする。

 一覧に挙げられていた本の表題は意外なものであった。その意味を、充分に理解し切れないまま、郷田は次に開架室へと踏み込んだ。

 開架室には、幾つもの書架が縦横組み合わされて居並び、容易に奥までは見通せない。郷田は、見る角度を変えながら開架室の中をぐるっと回っていく。膨大な書物が居並ぶ様に、彼は少し懐かしさを感じた。郷田がこんな処に入るのは、尋常小学校の折りに軍記物に夢中になって以来のことであったからだ。さて、聞き込みをせねばと、郷田は気を取り直す。しかし、誰に話しかけるべきだろうか? 開架室には学校帰りと覚しき子供や少年達の姿が目に着いたが、余り聞き込みの相手として適しているようには思えなかった。たまにしか図書館に来ないような人間も適してなさそうに思えた。妙子は職業婦人で図書館に入り浸る程に暇だったとは思えないし、実際に司書も「時々」来ていたと云っていた。時折来る者同士が顔を合わせる機会は少なかろう。

 やがて郷田は、『村上浪六全集』を目の前にどっかと置いて、黙々と読んでいる一人の老人に気付いた。かの老人などは、まさに聞き込み相手としてぴったりであるように郷田には思えた。

「もし、御老人。失礼ですが、この図書館にはよう来てはるんですかな?」

 怪訝そうにしながらも首肯した老人に対し、郷田は身分を明かし用件を告げた。

「あぁ、この御嬢さんやったら時々見ましたなぁ。女子おなごながら勤勉で感心なもんですわな。いや、いっつも一人で来とりましたで。熱心に本読んで、なんやら帳面に付けたりして、ほんでやっぱり一人で帰っとりましたわ。わしは話したことはあらへんし、他の誰とも話してへんなぁ。せやかて刑事さん、ここは図書館やで。話し掛けてくるあんたの方が非常識ゆうもんやわ。仕事でっしゃろ、分かってますがな。せやから儂も喋ってんにゃ。何がありましてん? 云えまへんのか。まぁよろし。いっつも、あそこの席やね、座ってたのは。ほんで、あそこらへんの本、いっつも読んでましたわ。そうそう、あの奥の書棚の、上から二つ目の段辺り……。行ってみよし。感心やでぇ。この御時世やからなぁ、若い女子なりに何か御国の為にできることはないか考えてたんちゃうやろか、本に書いたることを、何やら色々大きなノオトに書き取ったりして、よう勉強しとりましたわ。よっぽど熱心やったんやろなぁ、「探究用」とか表紙に書いてあって……」

 そこに並んでいる本は、相変わらず意外なものではあったが、もう郷田は驚かなかった。


 荒川実蔵『さらばロシヤは敗れたり、極東外交秘録』昭和五年

 伊藤六十次郎『日露戦役の世界史的意義』昭和五年

 小笠原長生『東郷元帥詳伝』大正十五年

 海軍軍令部『明治卅七八年海戦史』三冊、明治四十二~四十三年

 外務省条約局『英、米、仏、露ノ各国及支那国間ノ条約』大正十三年

 酒井万二郎『露国侵略小史』明治三十七年

 参謀本部訳『クロパトキン回想録』明治四十三年

 参謀本部『明治卅七八年日露戦史』十八冊、明治四十五~大正三年

 時事新報社編『タイムズ日露戦争批評』明治三十七~三十八年

 第十五師団参謀部訳『クロパトキン大将ノ日露戦争回顧録ニ対スルウィッテ伯の弁駁』明治四十四年

 高橋作衛『日露戦争国際事件要論』明治三十八年

 中外商業新報社編『日露戦役時財政』明治三十九年

 塚田清吉編『乃木大将事績』大正五年

 徳富蘇峰『卅七八年戦役と外交』大正十四年

 西沢乃助『日露戦局講和会議』明治三十八年

 沼田多稼蔵『日露陸戦新史』大正十四年

 博文館編『日露戦争実記』明治三十七~三十八年

 浜田佳澄『日露外交十年史』明治三十七年

 林孝三訳『日露の戦費、日露戦争の財政的研究』明治四十年

 森山守次、倉辻明義『児玉大将伝』明治四十年

 山脇玄『日露戦役外交始末』明治三十九年

 陸軍省『明治卅七八年戦役陸軍政史』十冊、明治四十四年

 陸軍省『明治卅七八年戦後満洲軍政史』十一冊、大正四~六年


 そして、先程司書に示された一覧にあった本の題が、大竹博吉訳『ウィッテ伯回想記、日露戦争と露西亜ロシア革命』の一~三巻と、金子堅太郎『日露戦争秘録』。

 やはり、若い「モダンガール」には聊か似合わない。その組み合わせの意外さに、しばらく呆然とした後、はたと郷田は、自分は一体何を突き止めたのだろう、何に行き当たったのだろうと、困惑し始めた。老人には、川手妙子がとても熱心に日露の戦役について研究していたように見えたらしい。しかしそれは何の為であろう? 果たして川手妙子は何故に三十年前の戦争などを調べていたのか? 老人は「この御時世やから」と理解していた。つまり、老人はどうやら、川手妙子が現下の本邦を取り巻く状況に活かす為に、日露の役の戦略なり戦術なりを学んでいるのだと捉えたようだ。しかし、そんなことが有り得るだろうか? 当たり前のことではあるが、日露戦の頃と昨今では軍備がまるで違う。そして勿論、軍人でもない素人が、如何にあれやこれやと作戦を考えたところで、現実のものとして実行される筈もない。川手妙子が、子供のように、空想的な戦略やら作戦を立てて悦に入っていたとでも? それ程に川手妙子は夢想的だと? 老人の見通しは一蹴していいだろう。では、新聞記者としての仕事の為であろうか? 記者ならば仕事の為に何かを調べるということは大いに有り得るだろう。しかし、妙子は婦人欄担当で、上司によれば、目下の処、家庭の健康情報の記事を書くことになっていた筈だ。では趣味か? 無論、世の中には趣味の類に異様に熱心になる者など沢山いよう。年頃の女性が戦争にそれ程強い興味を抱くのはやはり意外の感はあるが、人の趣味など他人からは分からぬものである。もしそうなら、それはそれで納得するしかあるまいと、郷田は思う。

 しかし実の処、そもそもの妙子の動機などは現下の処どうでもいいのだ。問題は、その結果である――老人が見たという「探究用」ノオト。そんなものは、のだ。接収した証拠品の書類を作ったのは郷田自身であったから、そのようなものが含まれていなかったことはよく覚えている。川手妙子の部屋で見つかった十一冊の手帳は全て「仕事用」と書かれており、「探究用」などと書かれた帳面は一つも無かった。しかもそれらの手帳に書かれていたのはほとんど家政的な事柄だけで占められていたから、内容としても老人の云うものとは違う。であれば、老人が見たという「探究用」ノオトはどこにあるのか? こうなると、俄然、川手妙子の部屋に荒らされた痕跡があったという所見は、異なる意味を持つように思えてくるのだった。司法主任は、痴情の縺れで女を殺した犯人が自分の書いた恋文でも持ち去ったのだろうと推測していたが、実際に持ち去られたのはそんな恋文などではなく、何らかのノオトだったのではないか? そしてそう考えるなら、殺された川手妙子が――確かに今は婦人欄の担当でしかないが―― 新聞記者であるという事実は、改めて重要な意味を持っているように郷田には思えるのだった。

 自分の見立ては的を射ているのだろうか?――もう少し手応えを求めて、郷田は千里図書館を出て、役場へ向かった。

 結果は郷田の予想した通りであった。


 海軍省『臨時軍事費決算顛末』明治四十一年

 大蔵省『明治卅七八年戦時財政始末報告』

 大蔵省『明治卅七八年戦役後財政整理報告』

 大蔵省『日清、日露両戦役及世界大戦に於ける我が戦時財政』

 東京銀行集会所『軍事ニ関スル調査参考書』明治三十七年

 東京銀行集会所『軍事ニ関スル調査参考書 追加』明治三十七年

 東京銀行集会所『戦時財政特ニ政府ト銀行トノ関係』明治三十七年

 大日本帝国議会誌刊行会『大日本帝国議会誌』十八冊、大正十五~昭和五年


 妙子は役場でも資料閲覧の記録を残していて、熱心に明治三十七年及び三十八年の帝国議会議事録や、更には国家予算報告などを参照していた。役場の者によれば、ここでも彼女は目を皿のようにして、盛んにノオトを取っていたと云う。

 軍、戦争、国家予算……。捜査手帳にそうした言葉を書き込みながら、郷田は手応えと畏れの双方に知らず身を震わせた。もしかすると自分は大変なものを引き当ててしまったのではないだろうか? 郷田の脳裏に浮かんでいたのは、八年前に本邦を騒がせた騒動の記憶であった――即ち、陸軍機密費問題。


 大正十五年三月、元陸軍省官房付主計三瓶俊治が、在職時の陸相田中義一と次官山梨半造を公金流用のかどで告発したことからその問題は表面化する。この時、公金流用の温床として疑われたのが陸軍の機密費であった。機密費はその性質上、通常の監査を受けない。それを利用して、田中義一陸相がシベリア出兵の際の陸軍機密費を懇意の実業家乾新兵衛に横流しし、これを乾が無記名公債に替えて政友会の政治資金に充てた――というのが、当時、有力視されていた流用の構図であった。この問題は議会でも取り上げられるなど、当時大いに紛糾した。しかし疑惑は全く奇怪な形で幕引きされることになる。同年十月、三瓶の告発を受けてこれを担当することになった東京検事局次席検事石田基が、東海道線大森、蒲田駅間の開渠で変死体として発見されたのだ。各新聞はこれを「疑惑の惨死」などとして大々的に報じ、疑惑の追及はむしろ激しくなるやに見えた。しかし、東京検事局検事正吉益俊次は石田の死を過失と断定し、更に三瓶の告発も不起訴とした。事ここに及んで、追求の声は急速にすぼんでいくのだった。そして疑惑は有耶無耶うやむやの内に終わる――

 事件の真相はいまだ謎だが、陸軍の予算に不透明な処があるのは間違いないだろう。もしかすると、川手妙子はかなり危ないことに首を突っ込もうとしていたのではないだろうか? まだ憶測の域を出るものでは全くなかったが、少なくとも誰かが、川手妙子を殺害した後に、彼女が明治三十七、八年戦役について調べている痕跡を消したのは確かだった。


 この日から郷田は、持ち帰られる書類は東区(註2)玉造の長屋に持ち帰り、寝る間を削ってこれを仕上げた。朝は早くから府警察部に出勤して、その日の書類を極力午前中に片付けた。そうしてできる限り午後に時間を空け、同僚の目を忍んで府警察部を抜け出て、独自の捜査を行うのだった。上司から懲罰的に書類作成を一人で任されていたことが、かえって同僚の目を盗んだ捜査を可能にさせていた。

 この秘密捜査の対象として郷田が先ず選んだのが、堀越貞三郎だった。堀越貞三郎は内紛から自身が幹部を務めた出版社、郁青社を追放され、現在住吉区(註3)北畠にある大きな邸宅で半隠居の状態であったが、一時期は雑誌『愛国女性』の主筆も務めており、女性の報国活動に関する取材の縁から川手妙子の関係者一覧に名の載る人物である。その経歴を見ると、在郷軍人会に属しており、年齢からして明治三七、八年の日露戦役に従軍していたと考えられるからだった。

 堀越貞三郎は清廉にして実直、正義感の強い人物だが、その分聊か短気でもあった。捜査にやって来た郷田を応接に通してはくれたものの、そもそも警察官を何度も自宅に上がらせること自体が不快といった様子で、郷田にも最初から喧嘩腰であった。

「警察官風情が何度も来おって……。若い女の痴情なぞ、なんでこの儂が知っとらなあかんのや」

「ああ……同僚からそう聞かされたんですね? 申し訳ありません……。確かに、その筋からも目下、鋭意捜査中ではあるんですが、私は別の筋からの捜査をしております。痴情やなんて、そんな……」

「痴情やのうても一緒や。……川手女史が殺されたのは、まぁそれ自体は酷いことであるし、極悪な犯人は早う捕まえて欲しいと思うが、儂は事件と関係ない。なんでその儂が何度も事件の事聞かれなならんのや。儂ゃ何も知らん」

「まあまあ……。川手女史とは、婦人の報国活動についての取材で知り合わはったんですね?」

「そうや。欧州大戦の時、欧羅巴ヨーロッパ各国では、婦人の愛国、婦人の報国活動が大層盛んやった。あれこそ、あるべき婦人の美徳や。しかし、我が国では未だ婦人の持つ能力を認めようとはせん、頭の固い古けた連中が山程おる。そうした古惚けた頭の連中を諭し、婦人の活動を正しく導き、その秘めたる能力を開花せしめ、って御国の力に成さしめることこそが、これからの時代、肝要なんや。そう、あの女子にも説いてやった。その時はよう分かったと云うておったし、実際にそれを率先できる職業にありながら、痴情などにうつつを抜かしおって……。買っておったのに、とんだ見込み違いやった……」

「いえ、ですから、痴情は飽くまで捜査の筋の一つでして……」懸命になだめる郷田だったが、前にここに来た捜査官の断定的な物云いがありありと想像できるだけに、堀越の憤りも無理の無いこととは思った。

「あの……戦争の話しをしませんでしたか? あ、先の欧州大戦のことやありません。明治三十七、八年の日露の戦役についてです」

「ああ……。儂は後尾歩兵第十三旅団にいて、予備隊であったから大したことは話されへんかったけど、確かにそんなことあったな。何でも、新聞の企画で、特集を組むかもしれんとかで……」

 大阪時事朝報に当面そのような企画がないことは、先日の図書館訪問の後、郷田はいの一番に確認を取っている。やはり、川手妙子は日露戦の何かを調べている――しかも、嘘をいてまで。

「どのようなことを話されたんですか?」

「せやから、大層な話しやないわな。儂は実際には戦場に立ってへんし。取り敢えず部隊やら連隊やら、所属先聞かれて、それから誰か紹介してくれ云われた」

「実際に戦場に行った人間を?」

「いや、あんまり実戦の経験があるかないかにはこだわってへん感じやったな。せやから、今も付き合いのある当時の仲間で、近場にいる者を何人か紹介してやった。住所録、一生懸命写しとったで」

「私も見せてもらってよろしいですか?」

「かまわへんけど……」と云って中座した堀越貞三郎が持って来た住所録から、該当する、大阪市内とその近隣市町村在住二一名の氏名住所を書き留めて、郷田は堀越宅を辞した。

 名簿から書き出した者に当たっていくと、面白いように川手妙子の足取りを掴むことができた。妙子は、会った人間から更に次の人間を紹介してもらう形で「取材」の輪を広げていたので、郷田の聞き込みの対象も芋づる式に増えていった。

 しかし、どの訪問先でも、「新聞で特集を組むかもしれない」と嘘を吐いていたことが分かるくらいで、川手妙子自身についてはさしたる情報が上がってこない。妙子の取材は殆ど相手に喋らせるままで、皆、口を揃えて「これといって川手妙子の方から質問してくることはなかった」と云う。だから、川手妙子が日露戦の何に関心を持ち、何を調べようとしていたのか、どうにも掴めない。ただ、皆口々に、「川手妙子は熱心に話しをノオトに書き留めていた」と云うので、この捜査の筋が事件に繋がるとの郷田の見通しは確信に変わっていった。そんなノオトも勿論、妙子の遺品から見つかっていないからだ。更に云うならば、妙子が堀越宅で写した筈の、訪問先の氏名住所の控えなど、彼らの処へ行った痕跡も何一つ見つかってはいない。図書館から借りた本も見当たらないままだ。最早もはや、妙子を殺害した人物が、そうした痕跡を消し去ったのは確実であると思われた。そうして確信は深まるものの、しかしただそれだけで、郷田の秘密捜査も、府警察部の正式の捜査同様、暗礁に乗り上げていった。


(註2:現在の天王寺区)

(註3:現在の阿倍野区)



 事件発生から二週間が過ぎた頃になると、「ぐへぇ、眠い、眠い」というのが郷田の口癖となっていた。相変わらず、夜は睡眠時間を削って、自宅に持ち帰った書類の作成をしているのだから、止むを得ない。しかし、周囲の者は誰も郷田がそのようなことをしていると露も知らぬから、「書類書きは、眠くなる程ひまがあって羨ましい限りだ」などと、郷田がしばしばあげる欠伸に辛辣であった。

 そうした事情を知ってか知らずか、府警察部の廊下でたまたま逢った同期で悪友の官服巡査竹谷は、「なんや、また鬱憤溜まって深酒でもしたんか? まだ苛められてるんやったら、俺に任せとけ、仕返ししたるぞ」と茶化してくる。

「違う、こう見えて忙しいんや、御前こそなんで所轄やのうてここにいるんや?」

「始末書書きに来たんや。街のチンピラを半殺しにしてしもてな。頑張って出世して、俺の不祥事揉み消してくれよ」そう返す竹谷の軽口は、どこまで本当のことを云っているのか分からず、郷田は困惑する。郷田は、凡そ十日前の二日酔いの原因になったこの大酒飲みの悪友を、実は少し以前から、苦手にし始めていた。講習所にいた頃には、親分気質のこの悪友と実によく馬が合っていた。しかし、竹谷には生来、聊か怠惰かつ粗暴な処があり、一方郷田は、生来勤勉かどうかは兎も角、私服になりたいとの強い願望があったから、講習所を修了し、職務を拝命してからは地道に仕事に励んだので、二人の地位に徐々に開きが生じ始め、郷田が府庁警察部の私服見習いに抜擢されてからは、その差は明らかなものとなってしまっていた。職務で顔を合わせる事自体が少なくなり、たまに会った時には、講習所の頃に竹谷の方が親分格だったからこそ、余計にどう接すればいいか分からなくなる。竹谷の方でも、最近郷田が時折よそよそしい態度を見せることには気付いていた。ただ、竹谷自身は以前から郷田の方が先に出世するだろうと思っていたから、実の処、何のわだかまりもなく、だからこそ、竹谷の方から積極的に郷田を飲みに連れ出すなどして、彼にしてみれば「小さな詰まらないこと」にこだわっている郷田に、そのことを分からせようとしていたのだが。しかし、前のめりに独自捜査に没頭する郷田にそうした心情はなかなか伝わらなかった。

 ところで、郷田がこうも身を削って事件の独自捜査に尽力したのは、勿論大元おおもとに於いてはその正義感からであり、また自分を捜査から外した司法主任を見返してやろうとの反発心からであった。自分一人で手柄を上げることへの功名心があったことも否定できない。一方で、そうした個人的な心情を越えた理由もあった。今行っている自分の捜査が上手くいったならば、もしかすると軍に一泡吹かせることができるかもしれない――そう想像すると、郷田の中で止めどない闘志がめらめらと湧いてくるのであり、そしてそれは、ここに奉職する者であれば誰であれ、同じく抱いた筈の思いなのである。軍に一矢報いるべし――凡そ大阪府警察部の禄をむ者で、ごく最近味わわされた屈辱を忘れている者などいないのだ。

 昨年六月、大阪市北区の天神橋筋六丁目交差点で交通整理に当たっていた曽根崎署の戸田忠夫巡査が歩行者の信号無視を見咎め注意するという些細な出来事があった。ところが、この時注意された陸軍第四師団所属の中村政一一等兵が、「軍人を取締るのは憲兵で、警察官ではない」と強弁し逃れようとした為口論となり、挙げ句に中村一等兵が――戸田巡査の申し立てによれば――暴行を働いたので双方殴り合いとなった。これを収めたのが騒ぎを聞き付けた憲兵隊であったことから、事態が第四師団上層の知る処となる。しかし同師団上層は、部下の横暴を遺憾に思うどころか、公衆の面前で皇軍の威信が傷付けられたとして、あろうことか府警察部に謝罪を要求したのだった。府警察部は、戸田巡査の行動が正当な職務であったことからこれに激怒し、「軍隊が天皇陛下の軍隊なら、警察官も天皇陛下の警察官である」として突っぱねた。当然の反応ではあったが、兎も角これで、大手前の府警察部と大阪城の第四師団との間で組織ぐるみの対立となる。憲兵隊はなんと府警察部を内偵してその醜聞を暴くという挙に出、憤激した府警察部もそれに対抗して軍を内偵した。新聞もこれを「天六のゴー・ストップ事件」「警察と軍の正面衝突」などと大いに書き立てたことから、遂には警察を所管する内務省と陸軍全体の摩擦にまで至るのである。深まる対立の中、高柳博人曽根崎署長が心労でたおれ、府警察部は高柳署長の弔い合戦だとますます激した。ところが、事態が大きくなりすぎたことが逆にその有耶無耶な収束を招いたようで、同年十一月、府警察部長と第四師団参謀長とがにわかに双方の和解を発表し、表向きこれで幕引きされたのだった。しかしこれに大いに不満だったのが戸田巡査の同僚であり、高柳署長の部下でもある、郷田ら府警察部の警察官達であった。本来、戸田巡査は当然の職務を遂行しただけで非は一切なかったから、高柳署長の死を含む一連の事態はまさに軍側の一方的な云い掛かりによる理不尽なものとしか思えない。そうであるから、事態の解決は軍の謝罪以外にあり得ず、半端な和解などは寧ろ屈辱以外の何物でもないとの憤りが彼らの間で横溢したのだ。

 これこそ、大阪府警察部の警察官全ての喉に刺さり、今もうずき続ける骨片であった。平時の国内にあっては、「陛下の警察官」たる自分たちこそが「国家の柱石」なのだということを、今度こそ奴等やつらに思い知らせてやる――。事態の展開から、郷田一人が秘密裡に、というよりは完全に私的に捜査をしている訳だが、少なくとも郷田自身の主観においては、大阪府警察部全体を背負っているつもりであり、昨年飲まされた煮え湯の借りを返そうとの意志があった。その上で、訳の分からぬ政治力で捜査が潰されることを恐れるからこそ、確証を得るまではとことん一人で捜査を行おうとも考えていた。そして確証を得たならば、全てを仲間と共有し、警察部全体で勝利の凱歌を分かち合うのだと。

 しかしそうも気負っているだけに、捜査の行き詰まりは猶更なおさら口惜しくて口惜しくて仕方なかった。そろそろ違う手を考えねばならない――郷田が次の一手を模索し始めていると、その手掛かりは思わぬ処から、いやある意味では最も当然の出処でどころから、もたらされることになる。

 即ち二月二三日金曜日の夕刻、いつものように周りの目を忍んで単独行動をした後、本部の捜査一課に戻り、何食わぬ顔で郷田が午後の残りの書類を作成していると、やがて靴をり減らした同僚達の一群が銘々めいめいに帰還してきた。皆一様に不機嫌で、士気は低く、視線も下がり気味であった。気怠けだるそうに外套を脱ぎ、重そうな頭から潰れたハットやハンチングをもぎ取り、或いは首からねじれたネックタイを引き剥がして、それぞれの座席に沈み込んでいく。郷田の隣席でも室田警部補が飛び込むようにもたれ掛かったので、貧弱な椅子の鉄撥条ばねがぎいいと悲鳴を上げた。苛立つように、背広やズボンの隠しに手を突っ込むその姿は、捜査の結果は聞くまでもないといった様子で、郷田は黙って灰皿を差し出した。

「おお、すまんな。あれ? 俺の煙草、どこいったやろ?」

「ないんですか? また、聞き込み先に忘れてきたんやないですか?」

「そうかも知れんなぁ……。またあのレストラン行かなあかんのか。これ、今日の分の報告や。上に上げる清書頼むわ」

「分かりました」この室田警部補の言葉を切っ掛けに、我も我もと、同僚たちが書き付けを寄越よこしてくる。投げるようなその様子から、それぞれの中身を読むまでもなく、どれも大した収穫は無かったのだろうと推測できた。郷田にしてみれば、全体の捜査は誤った方向に向かっているのだから、そうなるのは道理であり、相対的な自身の正しさを再確認できる瞬間ではあったが、そうはいっても、紙屑のような報告の山を目の前に積まれる訳であるから、さすがに胸の空くものではない。

「まぁ腐らんとやりいや。このままやったら、放っといても人員増強で御前もじきに現場の捜査に復帰できるわ。それか、何か別の事件でもあったら、もうこいつは御蔵入りやな。……正直、そうなるかも知れん。今日は絶対、間男の影を捕まえられると思たのに……」

「今日は室田さん、レストランに聞き込みに行ってはったんですね?」

「せや。絶対、何か出てくる思たんやがなぁ……」

「まあまあ……。せやけど、レストランなんて、ええですなぁ。ほんじゃライスカレーとか食べて来はったんですか?」

「阿呆。ライスカレーどころの話しちゃうわ。あんな高級レストランで食えるか。経費下りひんかったら大赤字や」

「そんな高級なとこやったんですか?」と郷田が驚くと、室田は隠しから店のマッチを出した。少しややこしい横文字らしい名前が書いてあって、成程なるほど庶民には縁遠そうで、どこかで聞いたことがある気がするが、洋食が好きな郷田にも直ぐにはピンと来ない。

「せや。あのアマ、若いから大した月給やない筈やのに、一流のレストランなんかに食いに行ってやがるんや。せやから、絶対、どこぞの金持ちの道楽男かドラ息子との逢引に使うとると思たんやが……。何度か出入りしとったみたいやけど、いっつも一人でおったゆうんや。物思いにでもふけっているのか、窓の外をけっと見ながら、えらく長居していたこともあったらしい」

「一人で長居……それはどこなんです?」

「あの辺や、ええと……北浜やら高麗橋より一寸ちょっと南の辺り。あの辺に、一寸前、新しいホテルでけたやろ?」

「新しいホテル?」

「御堂筋沿いの、新しいビルヂングが沢山でけたとこや。ああ、あの瓦斯ビルの北側の」

「ああ、話題になってましたね、あそこですか。そりゃあ高級そうだ」

「せや。あんなとこ御前、そうは気軽に行けへんで。目の前にごつい銀行ビルヂングがあるから、客はあそこでどかっと金下ろして行きよるんやろな」

 その室田の言葉に、郷田は心を騒がすものを感じた。改めて、先程室田が寄越したマッチを見てみる。「レストラン ラ・ヴィ・アン・ローズ」――確かに、聞いたことがある。そうだ、割に最近の帝国新聞の美食記事「続々食道楽」に出ていたのではなかったろうか?

 この日の帰りがけに、郷田は資料室の棚に突っ込まれた古新聞から、該当する記事を見付け出した。「レストラン ラ・ヴィ・アン・ローズ……眺めは、街中ゆえ最上とまでは云えずとも、決して悪しからず。真向かいの大東洋銀行ビルヂングのモダーンなる壮麗さや、その細部に至る装飾の繊細さを堪能できるは目に喜びなり。各界の名士たちも含まるる、その顧客達の出入りを上方から一望できることは、まるで天上人の如き心地を味わへる也……」これぞ天啓、次なる捜査の目指す処は、この銀行に違いないぞと、郷田は内心小躍りした。気持ちだけでいうなら、室田警部補の処へ行って抱き着きたいくらいであったが、それは止めておくことにする。川手妙子は疑獄なりを追っていたのではないかというのが、目下の郷田の見通しである。それなら、銀行に出入りする人間を張り込むために、身の丈に合わない高級料理を食べに行くということもあるかもしれない。痴情の縺れだと思い込んでいる他の刑事達では気付けないことが、自分になら何か分かるかもしれない。兎に角、川手妙子が見て、聞いたものを、自分も見て、聞くのだ。川手妙子が味わった筈の天上人の如き心地――これを、自分も明日にでも体験してやろうと、郷田は思った。


 週が明けて二六日月曜日、郷田は午前中の書類作成さえ放棄して、朝から直ぐに府警察部を抜け出て、御堂筋に向かった。府警察部近くの天満橋電停から大阪市電今橋天満橋筋線に乗り、北浜二丁目電停で大阪市電堺筋線に乗り換え、淀屋橋電停で降りると、そこに南北に通っている幅員二四間もの大きな通りが御堂筋だ。これは大正七年に、当時の大阪市の都市改良計画調査会によって、「だい大阪おおさかノ中心街路タルニ恥チサル幅員ト体裁トヲ具備」した道を創らんとして計画された、大阪の新しい幹線道路である。実際に着工されたのは大正一五年にずれ込んだことから、南の方はまだ建設中である。全線開通した暁には、計画通り、大阪最大の目抜き通りにして大動脈となる筈であり、実際既に、その周辺は様々な企業や商店が集まり、大いに賑わいでいた。ブロマイド屋や洋品雑貨店、レコード屋に楽器屋といった若者向けの小洒落た店も並び、それらを目当てに多彩な男女が闊歩している。こういう賑やかな処であるから、当然、一つ一つの建築物も実に壮麗だ。例えば大阪瓦斯ビルヂングは最新のアール・デコ様式であったし、堂島ビルヂングは白タイル貼りで、正面屋上中央に円蓋を頂く九階建ての大阪最高層であった。芝蘭社家政学園のビルヂングは、中南米のマヤやインカの意匠で飾られている。この絢爛たる街並の一角を占めるのが、昭和六年に古典主義様式でイオニア風の意匠を取り入れて造られた大東洋銀行大阪支店ビルヂングであり、そして道修町通りを挟んでその南向かいに二年後に建てられた、瓦斯ビルと同じくアール・デコ様式の新京ホテルである。新京ホテルが竣工した時には、特別に近隣住民が招待されたことから大変に話題となった。この二つの建物こそが、郷田の目指す目的地であった。

 ホテルの案内板を見ると、確かに二階に「レストラン ラ・ヴィ・アン・ローズ」の名が記されている。外から確認すると、ホテルの正面二階部分が大きな横連窓を備えた造りになっており、その硝子の光の反射で霞みつつも、レストランらしい卓子や椅子などが並んでいるらしい様子が見える。成程、あそこからなら、「天上人」は云い過ぎにしろ、銀行の様子などは一望できるに違いない。レストランの開店は十一時からで、客は見えるが、どうやらそれは朝食を摂っている宿泊者らしい。まだ開店まで時間があったことから、郷田は先ずはしばらく「地上から」銀行を観察することにした。

 大東洋銀行大阪支社のビルヂングの外壁には、大理石が用いられていた。一階正面には柱廊をあしらった意匠が取り入れられ、歩行者には開放的な印象を与えつつ、一方で壮観さを演出している。全体としては、大東洋銀行が、その威信を以って造り上げた、資本家達の巨大な宮殿、ないし神殿といった感である。昭和二年の金融恐慌では、さすがに無傷では済まなかったであろうに、そんな苦境を微塵も感じさせない雄姿であった。その業務の規模は台湾や満州など外地に及ぶ。取り引き業者の中には軍需企業もあって、疑獄の舞台としては申し分ない。

 ところが観察し始めて直ぐに気付くが、銀行は間口が広い上に複数の入口があり、しかも列柱が並んでいるから、大東洋銀行ビルヂングと同じ道修町通りの北側にいては、一人で全体を把握することは殆どできない。道修町通りの南側――即ちホテル側からだと、全体を見渡すことは何とかできたが、往来する人や大八車、自動車の所為せいで、確実な観察は難しかった。挙げ句に郷田は、巡回中の官服巡査に声まで掛けられる始末であった。二年前に東京の三井銀行本店前で暗殺事件を起こした例の血盟団の余波は、まだ大きいらしい。いずれにしろ、地上からは満足に観察できなかった。

 そこでレストランが一般客向けに開店する十一時になると、郷田は直ぐに新京ホテルに入った。吹き抜けのロビィに設けられた螺旋状の主階段を登り、二階に上がる。すると御堂筋と道修町通りそれぞれに面した側に「レストラン ラ・ヴィ・アン・ローズ」はあった。店内の壁には白黒それぞれの黒曜石が鮮やかに張られ、床には瀟洒な忍冬文様の絨毯が敷かれていた。外から見た通り、外周部には大きな横連窓が設けられていて目に付く。その硝子面は直線と円弧を組み合わせた流麗な意匠で構成され、サッシは最新のステンレススチールであった。吹き抜け側からの光と、横連窓からの光で、店内は輝くように明るかった。椅子や卓子は桃花心木マホガニーのようである。

 大凡おおよそ普段の郷田が来るような処ではなかったが、幸いネックタイを締め、上着を着ていたから、郷田の方が一方的に気遅れているだけで、別に不審がられることはなかった。無論、安物のネックタイと背広なのだが。郷田はレストランの支配人に身分を明かして、川手妙子の写真を見せる。聞き出せた話しは室田から聞いたものと殆ど同じだったが、それは予想通りだから問題ない。郷田は妙子がよく座っていた場所を聞き出し、一番安い珈琲――それでも一杯六五錢!――を注文して向かう。それは、最も窓際の席の一つであった。そこからだと、やはり天上人は云い過ぎにしても、先程まで郷田がいた下界を完全に見下ろすことができた。銀行の間口の全てが見渡せ、複数の入口も全て同時に見える。通行人や自動車に視界が遮られることもない。さすがに列柱はどうしようもなかったが、上方からだとそれぞれの列柱の間が完全に見通せたから、余程不自然な動きでもしない限り、その陰にずっと隠れ続けることなどできないはずだった。即ち、銀行にやって来る顧客たちを、障害物なしに全て目にすることができた。川手妙子も、この景色を見ていた。ここからきっと、何かが見えるはずなのだ――高まる期待にはやる気持ちを抑え、郷田は何も見逃すまいぞと、気を引き締め直した。

 この日は月曜日であったから、先週に用事を済ませられなかった者が待ち侘びていたのか、銀行の顧客はまさに引っ切りなしに訪れた。いかにもブルジョワジーといった様子の紳士淑女から、果たして銀行に預ける何某なにがしかの財を持っているのかと疑われる程に草臥くたびれた老人まで、まさにあらゆる者が銀行の入口に吸い込まれていった。郷田がそれらの中から探したのは、川手妙子が「探究用」ノオトを手に会いに行き、かつその会った痕跡が何者かにより消された者達の顔であった。しかし勿論、そう簡単にそうした幸運に出くわす筈もない。とはいえ、監視を始めたばかりであったから、郷田は焦らず、目を皿のようにして、じっと何か心に引っかかるものはないかと、眼下の人波を見続けた。兎に角、川手妙子が追った筈のものをその目で確認し続けるのだ。

 昼時になると、レストランの客がどんどんと増えていった。店内は、肉が焼ける匂いやソースの香りで充満していく。メニュによると、この日のランチは二円で、「チーズトースト、ポターヂ、鶏銀串焼、アイスクリーム、パン、珈琲」。郷田の隣の座席では、和装にハットを被った紳士が、昼から高級レストランらしい、牛尾のシチウを食べている。肉の煮込まれた香りが鼻をくすぐる。郷田が月に一度の楽しみとしている長屋近所の洋食屋のビーフシチウと、同じ香りのようであり、けれどもどこか違う奥深さがあるような気もして、果たしてそれは食材の故か、料理長の腕前の故か、それともこの店構えが見せる幻なのかと、ほんのひと時ばかり自問する。あまり食べないでいるのも集中力を削ぐようだと思った郷田は、献立表の中で一番安いサンドウイッチと珈琲の御代わりを注文して、それをもぐもぐと口にしながら、猶眼下を監視した。安いといっても、四切れで九〇銭もした。

 昼時が過ぎても、レストラン内には常に何人か客がいた。多くは仕立てのいい洋装をした婦人達で、二、三人で連れ立って、綺麗に飾り付けされたケイキなどを楽しみながら、御喋りの華を咲かせている。そうした中、よれよれの背広姿で、ただ一人、只管ひたすら窓の外を眺めて何も喋らず、時折冷め切った珈琲をずるりとすするだけの、郷田の姿は余りに異彩を放っていた。普段の市井の街並みを舞台とした捜査であれば目立たない筈の郷田の地味な風体も、ここではかえって目立つものになっていた。そのことは自覚していたし、たまに婦人達の訝るような視線が自分に向けられていることにも気付いていたが、こればかりはどうしようもなかった。明日からは自分の持っている一番いい服を着てこようかと少しの間考えたが、自分の服ではどれを着ようとこの場ではみすぼらしかろう、それならもうこれで構わぬと思い直した。

 眼下の様子は変わり映えしなかった。相変わらず多くの顧客が大東洋銀行の入り口に吸い込まれていったが、求める顔をその中に見付けることはできなかった。三杯目の珈琲を啜り切った頃に、大東洋銀行の営業は終わった。それからも、まだ暫く郷田は銀行の様子を監視し続けたが、やがて鉄扉も閉じられ、完全に人の出入りもなくなったので、遂にこの日は諦めて、自らも引き下がった。丁度夕食を取る客がぽつぽつと見え始めた頃で、帰り道に見掛けた生駒ビルヂングの大時計は、六時十五分を差していた。

 翌日も、そのまた翌日も郷田は「レストラン ラ・ヴィ・アン・ローズ」に足を運んだ。一日中そこに張り付いているので、書類作成の業務も滞り始めていた。その分、夜にしわ寄せがいって寝不足がますます酷い。幸い、同僚達も上司も、郷田以上に忙しくしていた為、暫くの処、書類の遅滞が問題になる心配はなかったが、そうはいっても、いつまでも放っておいて良い訳でもなかった。その内に、書類の作成の為に何日か徹夜しないといけなくなるだろう――その程度は勿論覚悟の上の行動であった。「痴情の縺れ」という先入観に囚われた者達には見出だせないものを、自分ならきっと何か見付け出すことができる――その自信が郷田の行動を後押ししていた。とはいえ、来る日も来る日もまるで収穫無しとなると、さすがに、徐々に落胆も大きくなってくる。初日には四杯も飲んだ六五錢の珈琲だったが、こう連日となってくると、ふところ具合もいよいよ辛い。勝手に探偵をしているのだから、経費で落ちる訳もない。さりとて、何も注文しないというのも、ただでさえ目立つ捜査活動を更に不自然なものにしてしまいそうだった。そこで、止む無く一杯の珈琲のみ最初に注文し、後はそれを只管ちびちびと啜り、それが無くなれば、カップのみ卓子に載せたまま、後は冷水で済ませることにした。珈琲がこのような訳であるから、ましてや九〇銭のサンドウイッチなど、到底食えぬ。握り飯でも持ち込みたい処であったが、店の雰囲氣を考えればそういう訳にもいかなかった。いや勿論、職権を使えばそれも不可能ではないのだが、上の許可を取っていない勝手な探偵であるという後ろめたさが、郷田の振舞いを縛ってしまう。こうして、睡眠不足の頭で開店と同時にレストランの窓際に陣取ると、後は夕刻に退席するまで珈琲一杯で過ごす日々が続いた。ほとんど動かずにじっと眼下を見ているだけであるから、体力を使う訳ではなかったが、しかし人間とは不思議なもので、動かずとも腹は空いてくる。初日にはただ羨ましく感じただけの香りも、段々と恨めしいものに変わっていく。それでも何か捜査に収穫があれば良かったが、相変わらずそれもないのであった。

 銀行の監視を初めて五日目には、雨となった。朝からなかなかの大降りで、郷田もまた行く道々で濡れに濡れた。この処、随分暖かくなってきたとはいえ、まだまだ濡れた体を放っておける程ではない。勿論レストラン内は暖かかったが、それ以上に温かい珈琲が心地好く、旨かった。いつもならちびりちびりと飲む処を、一気に飲み干した。もう一杯飲もうかどうかと考えたものの、この探偵がいつまで続くか分からなかったので、結局止めた。そうすると、この調子の生活がいつまで続くのだろうと改めて思えてきて、郷田の中で強烈な徒労感が募ってくるのだった。

 雨故に、眼下を行き交う人の数自体も少なかった。勿論、それでも銀行を訪れる顧客がいない訳ではなかったが、それらは皆、傘を差しているので、上から見下ろす形の郷田からは、その多くの顔を確認することができなかった。今日は諦めて帰った方がいいだろうか? 何度もそうした考えが郷田の頭を過ったが、その度に、「いやいや、こういう日にこそ、何かあるやもしれぬ。もし今日、何か動きがあったなら、これまでの探偵が台無しではないか」と、打ち消した。それでも、「結局、今日も何もないのではないか」という疑念は消えず、それどころか、「そもそも、自分の見込み違いなのではないか」「勝手な思い込みで、傍から見ればまるで馬鹿馬鹿しいことをしているのではないか」と、もう何もかも意味が無いかのような気持ちにさえなってくるのであった。郷田が急に弱気になったのには、勿論理由があって、日露戦争の従軍者を追っていった時には、川手妙子の行動の意図は掴みかねたものの、少なくともその足取りは着実に追えていた。しかし、ここに通うようになってからは、いまだ全くもって何も得るものがないのである。自覚しつつも直視せずにいたその落胆が、積もりに積もって、この日の雨と共にどっと現われたのであった。

 雨の所為か、レストランの客もまた極端に少なかった。普段ならば気にならない給仕たちの視線も、何となくこの日は気に掛かった。それでも眼下に神経を集中して、何か意味のある顔がそこにないかどうか、必死で探した。傘で顔が見えなければ、服装に目を凝らした。川手妙子の足取りを追う中で見かけた服が、傘の下から覗いていないだろうか? ――しかし、同じ服が見えたとして、それでどうなるのだ? たまたま似たような服を着ている人間がその場に居合わせているだけではないのか……。苛立つ程に時間の経過は鈍かったが、しかしそれと反比例するように、思考は悪い方へ悪い方へと目まぐるしく廻っていった。

 悪天候の所為で、午後四時にはもう外はとっぷりと暗く、行き交う人々の容姿を確認するのが難しくなっていた。自分以外に誰もいない閑散とした店内が、余計に郷田の敗北感をいや増した。明日からはもうここに来ない方がいいのではないだろうかと、郷田は自問し、改めて店内を見廻す。その様子を見た支配人が、御呼びでしょうかとばかりに近付いてきた。

「御客様」

「ああ、すんません。別に何か注文しようゆう訳やなかったんですが……」

「承知しております。御仕事ですものね」

「ええ、まぁ」

「ただ、今日は、天気もこのような感じですので、もう御仕事は終わられるのかなと……」

「まあ、確かに、そうしよかなとは……」

「それでしたら、もし御時間が構いませんなら、当店自慢のケイキなど如何いかがですか?」

「いえ、ですから注文は……」

「いえいえ、御代はいりません。いつも一生懸命御仕事なさっている刑事さんに、当店からサーヴィスをさせて頂こうと……」

 恐らくこの天気で店も暇なのだろうと、郷田は思った。もしかすると食材が余りそうなのかもしれない。最後の記念に、ケイキを御馳走になって、これでここでの張り込みを金輪際終わりにしよう――そう郷田は思った。五日に及ぶこの探偵は空振りだった。その上、次に何をすればいいのかも分からないのである。正直な処、八方塞がりだった。

 気分は最悪だったが、思いがけず口にすることになったケイキは旨かった。驚く程の柔らかさで、その余りに歯応えのない感触に一瞬戸惑ったが、その後から何とも上品な香りと甘みが追いかけて来て、口の中一杯に広がる。時々歯に当たる木の実は胡桃だろうか? その歯応えが心地好い。こんな旨いものをこの店の客達は食っていたのかと、なんとなく腹立たしくなると同時に、最後に食べられて良かったと思う。一緒に出てきた紅茶も、郷田がこれまで口にしたことがないものだった。熱湯の入った金属製の容器の上にティー・ポットが置かれ温められており、横にはジャムが添えられていた。勧められるままにそれを舐めながら飲むと、これまたとても旨い……。

「いかがです? 当店特製のケイキは?」

「いやあ、美味しいですなあ……。私は、西洋菓子といえば、せいぜいチョコレイトくらいしか食べたことがなかったので、本当にい体験をさせてもらいました」

「御褒め頂き、光栄です」

「この紅茶も変わってますね。ジャムを舐めながら飲むのは初めてです……」

「御客様は珈琲ばかりを御召し上がりになっていたので、御口に合うか心配だったのですが、喜んで頂けましたようで、良かったです。こちらは、当店の料理長御勧めの紅茶の飲み方で、・ティーと申します……」

 思いがけない国の名前が出て来て、郷田は一瞬、びくりとした。

「当店料理長が、そう三十年程前になりますかな、まだ若かりし頃、露西亜ロシアのカウナス領事館にて勤めておりました時に覚えた、本場仕込みの味ですぞ――」

 郷田は、自分が今聞いた言葉の意味を噛み締めていた。三十年前―― 明治三十年代後半の露西亜の領事館……。しまった。川手妙子の目的は、こっちだったのか。


                                  (続く)

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