禁書――リベル・プロヒビトゥス――

神山棘人

第一話

~~序章~~

 私、カンブレのベルナルドゥスは、自らの取るに足らないが、それなりに数奇な人生の末路を迎えるに及び、これまで私が経てきた様々な事柄、特に、ここ数か月の内に私が経てきた事柄を、書き留める。私の生涯など、本当に取るに足らないものでしかないが、しかし今やほとんど動かない私のこの手が守ったものは、取るに足らない私とは違って、真に輝かしいものであるのだから、それをどのように守り通したかについて書き残すのも意義がないことではないだろう。というのも、私は、今私が書いているこれを読んだ後世の者が、私がどのようにそれを守ってきたかを知ることで、よりよく、少なくとも愚鈍な私にできたことよりもよく、それを守ってほしいと願うからだ。

 私は、フランドル地方のカンブレで、パン焼き職人の取るに足らない両親から、三番目の息子として生まれた。様々な偶然によって、幼い私は見出され、両親の元から離れて、修道院で特別な学問を受けることとなった。私の資質は開花して行き、遂には貧しい家の生まれながら、カンブレを離れて巴里パリ大学の学生になることとなった。巴里での生活は大変刺激的だった。学友達とのどんちゃん騒ぎ、美しい女性達、他の出身地の学生達との喧嘩……。しばしば当局に目を付けられる程だった。今から思えば、この時期は、私の自尊心と高慢さが日に日に増大化していった頃であって、私の愚かしい人生の中でも最も愚かしい日々だった。

 巴里大学の教授陣は、恐らくは噂通り牛津オックスフォードの教授陣よりも上であって――私が断言しないのは、牛津の教授陣を知らないからだが――恐らくは今でも上であり、欧羅巴ヨーロッパ最高だと思うが、大変に素晴らしかった。その頃の私には、世界の叡智の全てが、大学の教授陣の頭の中に収まっていると思えた。青春時代の喧騒を一通り経験して飽きると、私は、貪るように最新の学問を学んだ。

 そして私は、恐るべき真理を知ってしまったのだ――知らなくてもいい真理に。けれども、知ってしまったからには、もう戻れなかった。最早もはや世界はそれを知る以前の世界とは違うものになってしまったのだ。最早それを知る以前にそうだと信じていた世界の姿とは違うものとしか見えなかった。もう戻れないのだ、子供のように単純に、見るものを見えるままに信じていた頃には。そう感じた時の、高揚と絶望! それを理解できる知性を自分が備えていたことへの感謝と悔恨! 私は、真理の最高の頂にいながら、全てを失ったのだ。全ての真理を得たと思った瞬間に、自分を支える全ての根拠を失ってしまったのだ!

 そして、真理を口にし、真理を追い求める私達に対して、遂に敵がその戦いを開始した。敵はず、その天上的というよりは、明らかに現世的な力によって、教授達を屈服させていった。彼らは、実に驚く程にあっさりと、その真理の追究を放棄していったので、結局の処、真理の下僕ではなく、現世の栄達の下僕であったのであり、その行き着く先は人の足の裏を舐めて喜ぶが如きものであろう。しかし、如何に詰まらぬ者達といえども、彼らの保護がなくなってしまったことは、私と私の友人達にしてみれば、敵との戦いにおいて決定的に不利になるという結果を意味していた。私はたまたま、同郷の友人と会う為に寄宿舎から離れていたのだが、その時に、敵は寄宿舎に乗り込んできて、私の友人達を一人残らず捕らえようとした。しかし友人達は、敵の機先を制して、全員で自殺を遂げた。敵は、それら友人たちの死体を木に釘打った上で広場に晒し、炎で炙って火刑に処したが、何と愚かなことであろう。私は、寄宿舎近くの秘密の場所に隠してあった「本」を取り出して、かくそれを安全な場所に持って行って、隠さねばならないと思った。巴里では最早、私自身に逃げ場がないと思われたので、そのまま留まる気はなかった。一方で、カンブレに戻れば、敵も追ってくるであろうから、これも難しいように思われた。こうして私の、「本」を携えて逃げ惑う流浪の日々が始まったのである……




一、比頭ひず葛瀬かつせ

 遠くから望んでいた時には、まだ辛うじて常緑樹が息をしているだけかのように見えた凍えた山肌も、近付けば既に馬酔木や山桃の花が綻んで、ちらほらと可憐な姿を見せ始めていた。ごととん、ごととんと音を立てながら、官鉄中央線の列車は奥多摩山系を快調に駆け上がっていったが、進めば進む程に、蕗屋清一郎はむしろ憂鬱になっていった。一体全体、かの里で如何なる由々しき事態が出来したというのだろう? 二日前に京都の下宿で大家から電報を受け取って以来、頭を離れない疑問が蕗屋を苛む。年少の従弟の顔を思い出そうとしてみたが、握り飯を口一杯に頬張った幼く屈託のないものしか浮かばなかった。それ以外で思い起こされるのは、ここ数年、毎月のように送られてきていた彼からの手紙――学問上の好奇心に満ちたもので、内容といい筆跡といい、思い浮かぶ幼い顔とは全く重ならない。もう長らく直接会ってはいなかったのだなぁと、改めて蕗屋は気付かされる。そして、己の薄情さを。訪れようとて、金銭に余裕のない学生ではそう簡単に路銀も工面できないのが実情ではあったが、祖父母が亡くなって以来、何となくかの地と縁遠くなって、余り関心を持っていなかったのも事実だろう。記憶の中に上手く探し当てることのできない見慣れぬ山々の稜線を目にしながら、蕗屋の罪悪感は一層募った。

 上り坂を懸命に駆け上がるED一七形電気機関車はけたたましい駆動音を上げた。いよいよ山深く入るにつれ、車窓から見える光景には、遠く見渡せる景色がなくなり、間近に迫る山々の背と、それらの間を通る皺のような谷合ばかりになる。蕗屋は東京駅で手に入れた路線図で降りるべき停車場の名を改めて確認した。大丈夫、気付かずに通過してしまってはいないと、自分にい聞かせながらも、何とも不安だった。中央本線のこの辺りの路線が電化されたのは、今から五年前の昭和四年のことであるから、蕗屋が以前に来た時には、まだ蒸気機関車が引く古い客車に乗っていたはずだ。その所為せいなのか、それとも、幼少期の彼の記憶がそもそも曖昧なのか、どうにも目の前の風景と記憶とが合致しない気がした。

 蕗屋の戸惑いなど御構いなしに電気機関車は力強く進んで行き、少し開けた野に出てなお少し走ると、やがて川沿いに伸びる甲州街道が車両の窓越しに目に収まるようになって、間も無く定刻通りに余勢よせ駅に達した。子連れの小間物商や鋳掛屋に混じって、蕗屋も客車から降りる。そこは二面の歩廊プラットホームに小さな駅舎があるだけの至極しごく簡素なもので、都会暮らしの長い蕗屋には逆に印象的ではあったが、ここにかつて自分が来たことがあるのかと問われると、やはりまだ確信が湧いてこない。駅舎の出入り口からぐの処に覗ける、まだ蕾の固そうな大きな染井吉野が唯一蕗屋の気を惹いたが、それが咲き誇る処を以前に確かに見たことがあるのか、それとも他の桜の記憶とごちゃ混ぜになっているのか、蕗屋にはどちらとも判断が付かなかった。

 停車場の敷地を出て、猶きょろきょろしていると、紫紺の銘仙を着込んだ一人の婦人が蕗屋の顔――というよりも、着用している白線入り学生帽やマント、学生服――をまじまじと見つめながら、やがてぎこちなく近寄り、おずおずと声を掛けてきた。

「……もしかして、清一郎さん?」

 それは紛れもなく、つい最近も受話器越しに聞いた、聞き覚えのあるものだったので、蕗屋はようやく安心する。しかし、女の姿をはっきりと目にするや、もう何度目か分からぬ戸惑いが蕗屋を襲った。過ぎ行きた時の積み重ねを改めて実感しつつも、女の声音を頼りに「桂子伯母さん……ですか?」と問うと、相手もまた安心した微笑みを浮かべた。

「まぁ、写真では見ていたけれど、こんなに大きく、頼もしくなって……」

「どうも、本当に御無沙汰してしまって……御久しぶりです」

「いいえ、こちらこそ、学業に忙しいだろう処を、遠路はるばる呼び寄せてしまって、本当に御免なさいね……」

「いえ、それはいいのです。それよりも一体……何があったのですか?」

 何故か哀しげな微笑みを浮かべつつ、桂子はその問いに答えようとはしなかった。

「そうね……取り敢えず、うちに行きましょう。まだ少しここから歩かないといけないのだから。御免なさいね、遠くて。疲れているだろうに……」

 今回の件は、道端で話せるような内容ではないのだろうと、蕗屋は納得した。一刻も早く事情を知りたくはあったが、兎に角先方の家に着くまで、こちらからは切り出すまい――蕗屋の記憶の中では、洋髪で垢抜けていた「桂子伯母さん」は、今や引っ詰めた髪に白いものが多く混じるようになっていた。それが如何なるものなのかまだこの時の蕗屋には知るよしもなかったが、どうやら最近の心労によってすっかり疲れ草臥くたびれている様子であった。


 蕗屋清一郎は、京都の第三高等学校(註1)――世に云う「三高」――の文科丙類に通う学生である。仕事の都合で台湾に暮らす父母と離れて、京都の小さな下宿屋で独り暮らししている彼が、遠く葛瀬村に住む伯母から突然の電報を受け取ったのは、三月十日のことであった。

「フシオニイチタイシアリシキウレンラクコウ」

 フシオとは、宮瀬不二夫――間も無く中学四年(註2)になる従弟のことに違いない。三高に入学し、周囲から秀才と評される蕗屋でさえも舌を巻くような、早熟の若き天才。長らく会っていないにも拘らず、自分を兄のように慕い、知的刺激に満ちた手紙を送り続けてくれていた彼に「一大事あり」とは? 驚いた蕗屋は、下車屋のおかみに電話を借りて、直ぐに宮瀬家へ電話を掛けた。しかし、「兎に角、こちらに来て、力になって欲しい」「もう、私達では訳が分からない」「貴男しか頼りになる人がいない」などと強く頼まれこそすれ、その理由については曖昧に答えるばかりで要領を得ない。ただ、受話器の向こうから聞こえてくる宮瀬桂子の声は詰まりがちで、何か常ならぬことが起こっているのは確かであると思えた。幸い、学校は春期休暇中で時間はあった。こうして蕗屋は請われるままに、伯父一家の住む――かつては祖父母の住んだ――里へと向かったのだ。

 その里、比頭郡葛瀬村は、関東山地のただ中、雉取きじとり山の中腹にあった。この山村へ行くには、最寄りとはいえ、余勢駅からさらに徒歩で小一時間程進まねばならぬ。先ず余勢駅から直ぐの処にある旧余勢宿の宿場町を通り抜け、それから甲州街道と並行して流れる河川を越えねばならなかった。天狗橋と呼ばれる吊橋からこれを渡ると、周囲は楢、樫、くぬぎなどの木々に埋め尽くされ、進むにつれて日光は遮られて暗く、道もいよいよ荒い。女の足とはいえ、慣れている桂子の方が明らかに快調で、蕗屋はそれを追うので精一杯だった。くねくねと山道を登り上がり、緩やかな峠を越え、もう一度坂道を登り切ると、どこまでも続くと思われた山林が不意に消え、少年期に度々たびたび訪れた村が、実に十年近く振りに蕗屋の前に姿をあらわすのだった。

 葛瀬村は全体として袋小路状の地形をしており、浅い擂鉢すりばちのように三方が緩やかな登り斜面で囲まれていた。各世帯は互いに農地などで隔てられており、密集した集落とはなっていない。中央には比較的大きな用水が掘られており、そこから細い濠が幾つも分岐して、各戸に水を配っていた。また、この水路の上流には、大正十年頃から火災予防の特効薬として本邦全域の小町村に推奨された小規模発電機が設置されていて、各戸に電気の灯も供給している。山間のことであるから田は至って少ない。雑穀生産を主とする畑も、斜面特有の乾燥した地質から、作柄が悪く、それだけでは村人たちの腹を満たすことさえままならなかった。それにも拘わらず村全体が――無論、貧富の差は厳然とあるのだが――割合に豊かなのは、古来、甲州街道に近く、駄賃稼ぎや出稼ぎが容易であったこともあるが、しかし何といっても質の高い紬織の御蔭であった。堂々たる土蔵を従えた瓦屋根の大屋敷から、板戸を組み上げただけの粗末な家まで大小様々あったが、それらの家々全てが、同じ拍子で、同じ音を奏でていた。とんとん、からり、とんとん、からり――確かに自分はこのはた織りの音に聞き覚えがある、と蕗屋は思った。

「懐かしい? 清一郎さん」

「ええ――この音は懐かしいです、とても。……でも、それ以外はまだ充分に思い出せていないんですが……」

「もう十年――正確には九年かしら――振りくらいですものね。ここによく来ていた頃は小さかったから、仕方ないわよ。又野君とか、熊城君とか……よく遊んでいたの、覚えてる? 後、誰がいたかしら? そう、確か、野末さんの処の御子さんとか、鍬辺君とか……。今はまだ、出稼ぎや商談で村を空けているけれど、野良仕事も始まったし、また、直にあの子達も帰ってくるわ」

「マタノ、クマシロ……。いえ、覚えてないなぁ」

「貴男達、渾名あだなで呼び合うことが多かったものね……。何て呼び合っていたかしら? 一寸ちょっと、私も覚えていないわ。でも、ほら――」桂子はすっと腕を前に伸ばした。

「――あの辺り、覚えていない? 貴男達、本当によく遊んでいたのよ」

 そう云って指差した彼方にあったのは、「弥栄やさか神社」との額を掲げた村の小さな御社であり、またその近くで天にも届かんとそびえる、前垂れ注連しめ縄を纏った檜の巨木であった。不意に、そこに向かって駆け抜けていった記憶が、蕗屋の中で蘇る。その、記憶の中の幼い足音と、引き続き規則正しく聞こえてくる機織りの音とが重なり合って、蕗屋を一挙に過去へと連れ去っていった――そう、皆であの大きな檜に向かって駆けっこをしたのだ。なかなか一着になれなくて、いつもいつも悔しい思いをしていた……。祖父に手を引かれて行った夏祭りの舞台は、あの御社の境内に違いない。牛頭天王――だったか?――を祀った祠の脇の土手には、小さな横穴が空いていた筈だけれども、隠れん坊に最適なかの穴は、今もぽっかり空いているのだろうか? 山側にあった、「北条の抜け道」などと呼ばれていた洞穴はどうなっているのだろう? 探検ごっこの格好の舞台だったけど、結局怖くて誰も奥へは行けなかった……。皆で「少年決死隊」を結成して、親達の知らない秘密基地で秘密の会合を開いては悦に入ったものだった。といっても、せいぜい秘密の伝言を楽しんだ程度だけれども……。奥の斜面には、遠くてはっきりとは見えないものの、戦国の城跡の一部だとかいう石垣もどうやらまだ残っているように見える。紙を丸めて作った刀や銃を手に、我先にと駆け登っていた、あの石垣。上へ、上へとよじ登り、旗に見立てたほうきを真っ先に天辺に立てた者が、殿様や将軍になれたのだ。「シゲちゃん、アキ坊、敬礼だ! 我こそは、蕗屋清一郎大将なるぞ!」叔母の云う通り、確かにそこには友がいた……彼らがマタノやクマシロだっただろうか? 好きだった少女に淡い告白をした、人の通らぬ斜面の楡の木は、あの辺りだったろうか……? 幼友達との思い出が取り戻されると、先程までどうにも曖昧であった記憶が、蕗屋の胸中でみるみると鮮やかなものになっていった。あの山の稜線、木々の輪郭、草木の色彩、道々が描く幾何学模様……

「……覚えてます……というよりも、思い出してきましたよ。そうだ、そうだ……」

 懐旧に耽る蕗屋を、桂子は微笑みながら眺めた。

「村に御帰りなさい、清一郎さん」

 都会暮らしと、怒涛のような青春期の日々の中で、すっかり埋没していた蕗屋の無邪気だった頃の記憶が、実に九年ぶりに、活き活きとした像を取り戻していた――そうだ、自分は帰ってきたのだ。


(註1:現京都大学総合人間学部。当時の高等学校は戦後の四年制大学教養課程に相当した)

(註2:当時の中学は五年制)



「もう十年程も経つ筈なのに、変わらないなぁ……。あぁすみません、なんだか呑気のんきなことを云ってしまって」

「いえ、いいのよ。そりゃあ、懐かしいわよね……。変わらない、か……都会から来ると、そう見えるのかもしれないわね」

 そう云う桂子の視線の先を追うと、村よりも更に山間高くの処に、鄙びた地にはいささか不似合いな、近代的な洋館が建っていた。蘇ったばかりの蕗屋の記憶にもないものだった。成程なるほど、こんな山間の地域にも変化はあるのだ。「あれは何?」と問うと、桂子は「病院みたいなものよ」と素っ気なく答えた。「病院みたい」と云う言葉の真意を測りかねて、蕗屋は重ねて問おうとしたが、直ぐに続く言葉を飲み込んだ。全く想像もしていなかったものが、蕗屋の視界に入ってきたからだった。

 それは、路肩に佇む四、五人の男たちが寄越よこす、ぞっとするような嫌らしい目であった。殆どが壮年で、刺子さしこにした紺襦袢じゅばんを纏い、ほっかぶりをして、今しがた農作業から帰ってきたと覚しき野良着姿だった。飾り気のない、質素で純朴な出で立ちをした農夫達であり、健康的に隆起した筋肉と浅黒い肌には、太陽の下で真っ直ぐに育った草木のような純粋さがあったが、しかしその眼差しは、凝り固まった仄暗い情念に歪み、世界さえもがひしゃげて見えるのではあるまいかと思える程だった。睨みつける目、蔑むような目、値踏みするように舐め回す目……。都会暮らしの蕗屋には、その素朴さと邪悪さが同居する様が不気味で、まるで何か異形の獣を見ているようで恐ろしかった。中に一人だけ、三十代程で在郷軍人服を着た男がいた。その男が、陰険な眼差しのまま、まるで男達を代表するかのように、蕗屋達の方へゆらゆらと近付いて来るのだ。蕗屋の背がどうしようもなく粟立っていく。全く訳が分からなかったが、兎に角歓迎されていないことは瞬時に理解できた。しかし、そうであるとして、それが如何なる所以なのか、蕗屋にはまるで想像する便よすがさえなかった。少年期に村で過ごした記憶を幾らか思い出したとはいえ、実に九年振りの来村となる蕗屋には、彼らが何者かさえ全く分からなかったからである。一方、桂子は澄ました顔で――そもそもそんな人間達など存在しないと云わんばかりに無視していた。そして蕗屋の目には、そうした桂子の我関せずといった態度が、また彼らを挑発しているようにも見えた。そして蕗屋自身を巻き込むようにも……。

「……おめえ、今度はそんな見慣れねえ余所よその連れてきやがって、あにしでかそってんだ?」

「……斎藤さん。御言葉ですが、これは余所の者ではありません。私共の甥が、私共を訪ねてくれただけです」

「どうだかよ……これ以上村のもん泣かすような真似しやがったら、この俺が黙っちゃあいねえぞ」

「失礼します」

 断固とした調子で踵を返し、斎藤という男とのやり取りを拒絶すると、桂子は蕗屋の袖をぐいと引いて、黙然と歩き始めた。強気な振る舞いとは裏腹に、きっとまなじりを吊り上げたその目は、しかしかすかに潤んでいた。もう蕗屋には、何が何だか、訳が分からなかった。

「伯母さん、一体彼らはどうして……さっきの男は何故あんなことを云ったのですか?」

「気にすることはないわ」

「けれども……」

「いいのよ、清一郎さんは何も気にしなくとも……」

 桂子は、何も云い訳することなく、進んで行く。そしてこれ以後、道すがら、桂子が蕗屋に何か声を掛けることはなかった。蕗屋は、ただ想像を巡らすしかなかった。不二夫の件と何か関係があるのだろうか? しかし不二夫は、年齢不相応の天才とはいえ、まだ少年である。多くの大人たちを敵に回すようなことをするだろうか? それとも、他に何か? 

 思い当たることがない訳ではなかった。宮瀬家から嫁いできた蕗屋の母が嘗て語った処によれば、その実家は、元々そう豊かでも貧しくもない、中間的な自営農の家系であった。しかし二代前の重右衛門に進取の気風があり、彼が部分的ながらも西洋式の技術を取り入れて以来、代々の村の分限ぶげんしゃらに並ぶ存在になったと云う。蕗屋の祖父に当たる先代の宮瀬泰造は、先に述べた村営発電機の設置を主導した人物であり、その意味で宮瀬家は「葛瀬村近代化の立役者」であったが、云い換えるなら、それ程に村の中で存在感を増したということでもあった。そして今の当主である伯父宮瀬紘造となると、村の福祉などには殆ど関心も示さず、只管ひたすらに己の事業の拡大に邁進していると云う。紘造は家屋敷や畑にしても、隣家などから買い取って嘗てよりかなり大きく広げたらしい――村人達が送った嫌らしい視線は、拡大する宮瀬家への僻みのあらわれであろうか? ――まぁ、いい。宮瀬家に着き、落ち着けば事情も話してもらえるだろう……。しかし、予想が実現することはなく、蕗屋の疑念はますます深まっていくことになる。


 久しぶりの宮瀬家は大きく増改築されていて、蕗屋に懐かしさを感じさせるものは少なくなっていた。例えば土蔵の一つは取り壊されて、洋風の離れに造り変えられていた。家族の者は、桂子以外は皆出払っているのか、女中の外に迎える者もおらず、蕗屋は直ぐにその離れの洋間へと案内された。そこは新しく、居心地良いものではあったが、久しぶりの訪問に馴染みのものを期待していた蕗屋は聊か落胆した。真っ白な漆喰の壁に格子状の天井、窓は縦長の上げ下げ式で、寄木によるモザイク模様の床と、よくできてはいる。しかし懐かしい、古き良きものを損なってまで取り入れるようなものだろうか? 兎も角、蕗屋は旅支度のあれこれが詰まった背嚢を解き、寝台に横たわって一息いた。わざわざ請われてはるばるやって来たはずなのに、一向に様子を見に来る者もなく、放って置かれているのは何故だろう――不思議には思ったが、旅の疲れもあったので、夕餉の時にでも何かあるだろうと、深く考えずにそのまま体を休めた。

 その夕餉は、母屋の十二畳の広間に用意された。そこは、祖父母が生きていた頃から、皆で賑やかに食事をする場所であった。蕗屋が子供の頃に使っていた箱膳もそのまま出されていた。少し欠けた縁や、り減った角が昔のままで、懐かしい。自分が使っていたものを覚えてくれていたのだなと、嬉しくなる。しかし、漸く味わえた懐旧の喜びも、そう長くは続かなかった。懐かしい里での久しぶりの夕餉もまた、蕗屋が想像していたものとは違っていた。単に違っているだけではなく、異様と云ってよかった。無論、何やら一大事があったようなのであるから、ただ和気藹々あいあいとしたものにならないであろうことは分かっていたが、それにしても――

 夕餉に姿をあらわしたのは、伯父の紘造と桂子夫婦の二人だけで、その子である弓子と不二夫姉弟の姿はなかった。記憶の中の夕餉には、祖父母、伯父夫婦、いとこ二人、蕗屋の父母、蕗屋と、少なくとも九人いたので、それに比べると余りにも寂しい。「弓子は東京の女学校の寮にいるの」とは、桂子の弁。そういえば、従妹が高等女学校に入学したことを、以前、母から聞かされていたなと蕗屋は納得するが、不二夫がいないことの云い訳はなかった。所謂いわゆる「一大事」の故にいないのだろうと当然推察するも、その「一大事」の説明がない。肝心なことは何も話さないまま、それでいて桂子は異常に饒舌だった。通り一遍の時候の話題が延々と続き、それが尽きれば蕗屋の近況が問われた。京都はどんな処なのか、学業は進んでいるのか、云々。そしてそれらの話題が途絶えると、また時候の話題に戻った。一方の紘造は、むっつりとした顔で、只管に酒を呷っていた。元々無口だったような記憶もあるが、明らかに蕗屋を歓迎していないようでもあって、兎に角殆ど何も語ろうとしない。しかし何と云っても異様なのは――何故二人共、不二夫の話しをしようとしないのか? 自分はその為に呼ばれたのではないのか? 蕗屋の疑念は募っていく。最初は、自分から話しを切り出すことを躊躇ためらっていた蕗屋だったが、らちが明かず、業を煮やして遂に自ら口にする――が、それも、桂子の多弁と紘造の寡黙によって遮られるのだった。最早、二人が話しをはぐらかそうと、何かを隠そうとしているのは間違いなかった。こうなってくると、昼間の村人たちの尋常ならざる態度も、何か然るべき意味を持っているように思えてくるのだった。何を、何故に隠すのか? そもそも、不二夫はどこにいるのか?

 一通り膳を食べ終えた頃には、蕗屋の中では同情や懐かしさよりも、只管に不信感が募っていた。だから、仏頂面をした紘造から、「もう成人したのだから飲めんことはないのだろう」と申し訳程度に酒を勧められても、「旅の疲れがあるので先に休ませてもらう」と断って、蕗屋は早々に離れに籠もった。しかしだからといって、そのまま本当に休むつもりの蕗屋ではなかった。それでは、はるばるここまで来た意味がない。隠されれば、猶更なおさら知りたくなるというのも偽らざる本音ではあったが、本当に不二夫に「一大事」が起こっていて、それを理由は分からないが、何かの後ろ暗い事情から家族が隠しているというのなら、引き下がる訳にもいかない。

 やがて、柱時計が午後十時を告げ、母屋の広間から音や光が消えたのが、窓から覗く蕗屋にも確認できた。蕗屋は離れを抜け出て、家の者に気付かれぬよう母屋へと向かう。幸い、増改築されたとはいえ、宮瀬邸の勝手はまだある程度分かった。

 低い生け垣でぐるりと取り巻かれた敷地には、大きな桐の木が二本立っていた。庭に大きく取られた空地は干場で、その周りには、納屋と肥屋、そして厠が配置されている。少し奥にはまだ取り壊されていない土蔵が二つあって、こうした処は昔と変わらなかった。その更に奥には、独立した大きな蚕室に機織場、畑、それに未耕の更地が広がっていたが、これらは以前には無かったもので、恐らくその辺りは元々隣家の敷地だったに違いない。母屋は二階建て、桁行十三間半、梁間六間と立派だったが、見る者に聊か珍妙な印象を与えもした。というのも、母屋の一階はいかにも古くからある切妻造の茅葺型瓦屋根であったが、その上に新築の二階部分がどっかりと乗っていたのだ。恐らく、隣家の敷地を買い取って天井裏の蚕室をそちらに移した際に、突き上げ屋根を無くし、元あった茅葺きの上に二階の構造を載せて増設したのだろう。

 家の者に気付かれぬよう、蕗屋は母屋へ入り込む。女中は御勝手で明朝の支度をしているようで、宮瀬夫妻がどこにいるかは分からなかったが、いずれにせよ廊下に人の気配は感じなかった。この大きな屋敷に女中を含めても三人しかいないとあれば、それも当然かもしれない。夕餉を取った後に、この時に備えてあらかじめ観察しておいたところでは、子供部屋の類が一階にあるようには見えなかった。そこで蕗屋は、一階の長廊下をするすると進む。それが尽きた処に、嘗て突き上げ屋根へと上がる梯子が掛けられていたが、案の定、今そこには二階へ上がる階段が設けられていた。間取りが分からぬ二階へと、蕗屋は恐る恐る上がる。真っ暗な二階の空気は冷たく、重い。しばらく人が入っていないことを思わせた。先も見通せぬ暗さの中で、蕗屋は、二階にも電灯が備わっているかどうか不安になったが、なんとか廊下の端にぶら下がる電球を見つけて、事なきを得た。浮かび上がった廊下の片側に三部屋、奥に一部屋があった。家族四人にしては多すぎる気もするが、いずれ孫達が生まれた時の為なのであろう。

 少年の部屋は容易たやすく見つかった。といっても、勿論もちろん部屋に名札などが出ていた訳ではない。それは三つ並んだ部屋の一番奥にある和室の六畳間で、すみに文机、窓とふすま側を除く二辺に書棚が置かれているので、勉強などをする為に使われているとぐ分かる。机上には小さな地球儀や、菓子の景品と覚しき軍艦模型が置かれ、柱には、『昭和遊撃隊』の村上松次郎の口絵が貼られており、なかなかに勇ましい。衣桁いこうには、寸法の小さな学生服が通されていた。なにより、付け鴨居には、


 賞状 尋常科第一学年 宮瀬不二夫

 右者学業優秀操行善良二付ここ二之ヲ賞ス

 大正一五年三月廿三にじゅうさん


 皆勤賞 尋常科第二学年 宮瀬不二夫

 筆入 壱個

 右者本学年間皆勤二付頭書かしらがきノ通リ賞与ス

 昭和二年三月廿日


 賞状 尋常科第四学年 宮瀬不二夫

 硯箱 壱個

 右者品行方正学術優等二付頭書ノ通リ賞品ヲ授与シ茲二之ヲ表彰ス

 昭和四年三月廿五日


 ――と書かれた賞状三枚が額縁に入れて掛けられており、部屋の主が誰であるかを雄弁に示していた。しかし、少年らしいのはそこまでだった。書棚に整然と並べられた書籍の数々は、少年というよりは寧ろ高等学生や大学生のそれであった。父親である紘造が、才能溢れる我が子の望むままに本を買い与えている様がありありと思い浮かんだ。蕗屋は本来の目的を一時忘れて、己の知的な好奇心のままに、暫くしげしげとその蔵書を眺めた。『物質と悲劇、希臘ギリシア族悲劇時代の哲学』『芸術と精神分析』『超現実主義と絵画』『マルドロオルの歌』……。蕗屋が三高に入ってから図書館で借りて貪るように読んだ本が並んでいる。『反時代的考察』『憂愁の哲理』『意識に直接与へられたもの』『因果論、 原名「充足根拠の原理の四根について」』。蕗屋がいつか読みたいと思いつつも、未読の哲学書もずらりと揃っていた。『人格神に対する信仰』『自然神学の諸問題』『道徳と宗教の二源泉』『身体と靈魂、肉体と精神との二元論に抗して』など、蕗屋の余り知らない宗教関係の本も多い。その充実した蔵書に、蕗屋が強い羨望と幾許いくばくかの嫉妬を感じたのは無理もないことだろう。書籍は書棚だけではなく、地球儀の乗った文机の上にもきちんと端を揃えて積まれており、蕗屋はそちらにも目を移す。その内に、思わず、「おや」と蕗屋は口にしていた。その実、自分が何に対して「おや」と云ってしまったのか、彼には分かっていなかった。ほんの一瞬、頭の中に得体の知れない違和感がよぎったのだ。それは余りに微かに蕗屋の脳髄にさわりと触れただけだったので、蕗屋の自我はそれを掴み損ねていた。今の感覚は何だったのだろうと、蕗屋はぐるぐると己の頭の中を詮索する。その答えには達しないながらも、改めて机上に見入れば見入る程に、確かに妙な気持ちの悪さを感じて落ち着かない。蔵書が大人びているとか、そういう問題ではなく、どこか不自然でいびつなのだ。まるで、精巧に作られた箱庭を見せられているような――

 不自然さの原因を探して、蕗屋は自分の机を思い浮かべてみる。比較してみれば、何か分かるかもしれないという訳だ。違う――勿論、違って当然ではある。整理整頓が苦手で、御世辞にも綺麗とは云えない蕗屋の机と、見た処、大変几帳面らしい宮瀬不二夫の机の様子が同じ訳はない。それでも、余りにも違っているあることに蕗屋は気付いた――そんなことがあり得るのか? 蕗屋は戸惑いを払拭しようと、引き出しを次々と開けていく。一五〇番トンボ国民学校用鉛筆、クミアイクレヨン、ヘンミ計算尺、サカタ謄写版……。規則正しく詰め込まれた文具が蕗屋の目に飛び込んでくる。おかしい、おかしい、おかしい――ある筈のものがない。この若き天才の部屋には書物や文具は一杯に満ち溢れていたけれども、ノオトや書き付けの類が一切ないのだ。これは一体どういうことなのだろう? 些細なことではあったが、それにしても理解できないことであった。蕗屋が、持てる限りの精一杯の知識と誠意を込めて、若い従弟に返していた沢山の返事も、そこには一切無かった。というよりも、一切の肉筆が、その部屋には無かったのである。蕗屋は、狐につままれたような不可解な浮遊感の中で混乱に陥っていった。


 ――この混乱のために蕗屋は気付くことができなかったのだが、この時、一台の三三年式シボレーのタクシィが宮瀬邸の前に停まっていた。乗客は、十円を運転手に掴ますと、一目散に宮瀬家の敷地へと駆け入ってくる。紐を解くのももどかしいとばかりに、ぎ取るように長革靴を脱ぎ捨て、上がりがまちに跳ね上がる。「どなた様です?」という女中の問い掛けもものかは、図々しく屋敷の中に進入していった。一端離れに立ち寄った後、直ぐに母屋に戻って、板張りの廊下を行く足音を宮瀬邸中に響かせた。一階二階問わず、あちこちの部屋の前を過ぎった後、その音は蕗屋のいる八畳間に迫り――

 「御兄さん! 清一郎御兄さん――なの?」と、若い女の声になって、呆けている蕗屋の耳に届いた。


 その声が契機となって、蕗屋は当ての無い思惟から解放された。一人の若い女性が、じっと自分を見つめていることに気付いたのだ。髪型は、短く切った今風のモダンな洋髪で、その下から、陶器のような白い肌が覗け、細い顎へ首へとつるりとつながっていく。形のいい鼻がその白い肌の中にすっと高く立ち上がり、一方薄桃色の唇は豊かで小さい。そして何よりも、部屋の電灯を照り返して、寝待月ねまちづきのように輝く大きく見開いた目が、蕗屋を捕らえた。その中で潤む、熱を帯びているような、それでいて戸惑っているような黒々とした瞳。どうしようもない磁力でその瞳に引き付けられるようで――若い男ならば大方がそうなるであろう―― 蕗屋は息を飲んでたじろぐ。それでいて、ああ、あの顎の黒子の位置は確かに見覚えがあるぞ、こそりと覗く、少しだけ歯並びの悪い左の糸切り歯も知っているぞと、蕗屋はその美しさの中に、はっきりと懐かしいものを見出だしていた。

「……弓子ちゃん?」

「やっぱり……清一郎御兄さんなのね」

 戸惑いを捨て、素直で偽りのない親愛の念を溢れさせた弓子の口調は、疑心に凝り固まっていた蕗屋の心を一息に解いた。二人の口から次々と再会を喜ぶ言葉が溢れる。子供の頃のように、自然に至近まで近付いてくる弓子の態度は甘酸っぱい感覚と共に蕗屋を戸惑わせ、それを感じ取った弓子の動きも、何かを思い出したかのようにぎこちなくなっていくのが蕗屋にも見て取れたが、勿論それで悪い気が起こる訳でもなかった。寧ろ、なんと美しく成長したことだろうと、彼は改めて感嘆する。弓子は白ポプリンのブラウスに、紺のジャンパースカートから成る女学校の制服を着ていた。その清楚で抑制的な出で立ちが、かえって彼女の中の大人びた美しさを際立たせているように思えた。それでいて胸元を飾る薄紅色のリボンタイが、添えられた花のように、彼女の少女らしい愛らしさをも引き出していた。九年ぶりの再会――この時期の女性にとって、九年という歳月が持つ意味を改めて蕗屋は感じざるを得なかった。

「もう、何歳になるんだっけ?」

「先月の二十日で十七歳になったばかりよ。大きくなったでしょう」

「本当に……。え、でもじゃあ、もう直ぐ女学校は卒業? 職業婦人でもするの?」

「いえ、卒業は来年。四月からは高等女学校の五年生(註3)よ――私、病気で尋常小学校入学が一年遅れたから、クラスメイトより一つ年長なの」

「あ……そうだったかな、御免……」

「いいのよ。今は全くの健康体なんだから。それよりも――」

 ある意味で、宮瀬家の誰よりも最も自然な反応ではあったが、再会の喜びを湛えていた弓子の表情は、急速に、何かの困難を抱えた、憂いを帯びたものへと変わっていった。ここで蕗屋は、初めて弓子自身の口から聞くことになるのだが、桂子に電報を打たせて、蕗屋を葛瀬村に呼び寄せたのは、実は他ならぬ弓子であった。それが、自分たちの助けになると彼女は思ったからだ。しかし優柔不断な桂子は、後から夫がそれに乗り気でないことに気付いて、娘の言葉に従ったことを後悔した。といっても、既に蕗屋に連絡をして、電話で「村に来てくれ」と頼んでしまっていたから、今さら来るなとも云えない。そこで、やって来た蕗屋については取り敢えず歓待した上で何も知らせず追い返し、一方、弓子には蕗屋の来訪について詳細を何も教えず、東京に留まらせておくことにした――らしい。こうして弓子は蕗屋がいつ村に来るのかさえ知らされず、東京の女学校に残り続けていたのだった。しかし、この日の夕刻、たまたま所用で掛けた電話により、女中から親戚の若い男(則ち蕗屋)が実家に来ていることを弓子は知る。そうして、自分に何も告げ知らせなかった母親への怒りで頭に血を上らせ、一方で蕗屋に会わねばとの一心で、彼女は矢も盾もたまらず、タクシィを飛ばして、東京から一目散に帰ってきたのだった。蕗屋は、弓子――こんなにも美しくなった――が、自分をそんなにも頼ってくれたのだと思って、内心嬉しくも照れ臭くもなる。しかし、そんな軽薄な悦びに浸っている暇はなかった。

「弓子ちゃん、この部屋は一体――無いんだ、書かれたものが何も」先程、自分が感じた困惑を口にしようとして、蕗屋はもどかしさを感じる。何と説明すればいいのか? ノオトや書き付けなど、人の手によって書かれたものがない、その不可解さを弓子は分かってくれるだろうか? 「一体、不二夫君は?」続けて発したこの一言で弓子には充分だった。それこそ勿論、弓子が蕗屋を村に呼び寄せようとした原因であったのだから。

 「……やっぱり、父や母は何も話さなかったのね」弓子は目をすっと細め、白い眉間がぎゅっと歪んだ。

「清一郎御兄さん、聞いて。不二夫はね、何も残さないように、自分のノオトも何もかも焼いてしまったの。だから、そういったものは殆ど何もないのよ……。御免なさい、もう少し私の話しを聞いて。まだ続きがあるの、それで終わりじゃないの。それからあの子はね、その時自分のいた小屋に火を放って――」

 今こそ蕗屋は、この村で起こった「イチタイシ」の悍ましさを知る――

「――四人の友達と一緒に、皆で自殺したの」


(註3:当時の高等女学校は、女子の中等教育機関で、旧制中学と同じく五年制)



 ことのあらましは、時系列を追うとこのようになる。

 二月一八日午後四時過ぎ、葛瀬村在住の農夫小野宇一郎とその息子昭治が、暗くなる前に前日仕掛けた猪用の罠を確認しようと、同村の北西の外れに向かって歩いていると、冬には使われていない、村民共有の農具小屋の一つから火が出ているのを目撃した。同午後四時三二分、二人は駐在犬塚八郎に報告し、村の若い者らで消火活動が開始され、二十分後に鎮火するも、木造十畳の農具小屋が半焼した。

 小屋の中からは、若い男女五人が倒れているのが発見された。その内四人は救出後、直ぐに駐在巡査犬塚八郎により死亡が確認された。火災による損傷が比較的軽かった三遺体は間も無く身元が判明し、同村在住の少年達と分かった。損傷の程度が激しかった一遺体は、身元確認が難航したが、所持品などから同じく村の少女と判明した。四人の身元はそれぞれ以下の通りであった。


 甲田定次郎(十五歳)余勢中学校三年。発見時、遺体の三割損傷

 栗原一造(十四歳)余勢中学校二年。発見時、遺体の五割損傷

 北川すみ子(十四歳)家業手伝い。発見時、遺体の二割損傷

 笹田折葉(十三歳)余勢高等女学校一年。発見時、遺体の七割損傷


 救出された残る一人は身元確認の結果、やはり同村在住の少年と判明したが、意識不明の重体であり、直ぐに麓の病院へと運ばれた。適切な応急処置の甲斐あって、少年の意識はやがて回復した。身元は以下の通りであった。


  宮瀬不二夫(十五歳)余勢中学校三年


 村人達によれば、少年達は数年前から、冬の農閑期に使われなくなる農具小屋を遊び場として使用していた。出火のあった一八日は朝から冷え込みが厳しかった為、暖を取ろうとした少年達が、誤って失火したのだろうと考えられた。現場には暴力的な痕跡などはなく、一方で沢山の紙類を燃やした痕跡が発見された。これで暖を取ろうとしたのではないかと当初考えられた。 

 二月一九日、警察本部から葛瀬村駐在所に、丸部朝雄医学博士による鑑定、解剖の結果が伝えられ、四人の死因は全て幅十ミリメートルの索状物による縊死と判明した。最終的な鑑定結果は四人共首吊り自殺とのことであった。この報告を受けて、駐在巡査は追加で確認作業を行った。午後二時、駐在巡査は麓の病院を訪問して、家族同席の下、生き残った宮瀬不二夫の首にも同様の索状物による痕跡を確認した。午後四時、数人の村人有志と共に再度小屋の調査を行い、小屋から、本部から報告される特徴と一致する縄を発見した。いずれも少年達の集団自殺を裏付けるものであった。

 四人の遺体は、発見時、小屋の中で整然と並べられていたことから、生き残った宮瀬不二夫が四人を縄から下ろした後、小屋に火を放って最後に自殺を図ったが死に切れなかったとの見方が強くなった。ただし、なお動機が不明であることから、駐在は、宮瀬不二夫の意識が回復するのを待って、慎重に事情聴取する方針を示した。

 二月二〇日午前十時、北川すみ子の机から、「不二夫お兄ちゃん、定次郎お兄ちゃん、一造君、折葉ちゃんと、皆で死にます。お父さん、お母さん、悲しまないで、云々」と記した自筆の簡潔な遺書が発見され、少年達が集団自殺を行ったことがほぼ確定した。但し、相変わらず動機が不明であることから、宮瀬不二夫への事情聴取が必須と判断された。

 二月二二日午後一時、家族は拒否したが、駐在が職権により、宮瀬不二夫への聴取を強行した。しかし、不二夫の言動は、意味不明にして支離滅裂であった。止む無く聴取は延期された。

 二月二三日午後一時、警察本部より派遣された医師小山田六郎同席の下、再び宮瀬不二夫への聴取が試みられた。しかし、宮瀬不二夫の精神状態に回復の兆しなく、結局動機は不明のまま、医師小山田六郎の助言によって警察による宮瀬不二夫の聴取は正式に断念された。そして二月二六日に、不二夫は長期療養できる山上のサナトリュウム――例の近代的な洋館――へと移されたのだった。


 集団自殺――蕗屋は、全く想像もしていなかった異様な事態を耳にして、しばし言葉を失って呆然とした。昼間に見た、朴訥そうな農夫達のぞっとするような歪んだ眼差しの意味が、今この瞬間に漸く分かった気がした。やはり、単なる嫉妬などではなかったのだ。そんなありふれた感情で済まされよう筈もない、余りにも忌まわしい出来事――四人もの少年少女が死に、たった一人だけ生き残るとは……。

 しかし本当に、そんなことがこんな片田舎の長閑な村で行ったのか。こんな辺鄙で素朴な村で――いや、無論、小さな村にあっても陰惨な事件は起こり得る。人間がいる処、どこでも、何だって起こり得るのだ。仮令たとえ百人中九十九人が善男善女であったとしても、ただ一人そこに暴力的な人間を紛れ込ませれば、如何なる酸鼻な事態でも起こり得るだろう。それでも、集団自殺とは――。奇妙な話し、まだ連続殺人が起こったと云われた方がすんなりと納得できた気がした。それならば、如何に途轍もない事態とはいえ、ただ一人の異常者さえ仮定すれば、それで事足りるからだった。しかし、まさか若い者達が――いや、若過ぎる――子供達が、四人も五人も、一度に自ら死を選ぶとは、どう理解すればいいのか? その若さで死を選ばねばならないくらいの、どれ程の絶望が、どれ程の苦悶が、どれ程の懊悩が、彼らを襲ったというのだろうか? 不思議なことだが、蕗屋の中に悲しいという思いはさしてなかった。余りにも予想だにしなかった状況だったので、彼の共感が追い付いていかなかったのだ。

「……動機が分からないって……書いたものを、本当に全部焼いてしまったの?」

「ええ。あの子は確かに焼いてしまった……。だから、ここにはもう何もないの。御兄さんこそ何か心当たりはない? 確か、あの子は御兄さんに何度も手紙を送っていたでしょう?」

「確かにそうだけど……」

 蕗屋は改めてもらった手紙の内容を思い返してみる。思い出されるのは、数学や物理学といった理系分野から、歴史学や考古学、経済学など文系分野に至るまで、まちまちな質問の数々だった。一度は羅典ラテン語の文法について訊いてきたことがあった。何故そんな難解な言語をと、驚いたものだった。


 ――清一郎兄さんに質問です。羅典語は、現代の欧州諸語と違い、単語の語順が文法上意味を持たないと聞いたのですが、それは本当ですか? それでは如何にして主語や目的語などを定めるのですか?

 ――不二夫君、その年で羅典語に興味を持つとは、君は本当に凄いね。君のことだから御存じと思うが、羅典語は今から二千年程も前の、古代の羅馬ローマ帝国の言葉だけれども、帝国が滅びた後も、ずっと中世欧羅巴ヨーロッパの書き言葉として使われてきた。その為に、今でも格調高い古語、或いは学術用語として、欧羅巴の教養人に必須の素養とされているから、これを学ぶのは一流の学究者になるには必要なことと思うよ。さて、質問の点だが、羅典語においては、名詞も格変化するので、各単語の格変化に依って、どれが主語、どれが目的語と、定めるのだよ。だから単語の順番に文法上の意味は殆どない。その点は、日本語に似ていると云えるね。則ち、「ego」は羅典語で「我は」、「te」は「汝を」、「amo」は「愛する」であるから、「Ego te amo」でも「Te ego amo」でも「Amo te ego」でも、どれでも「我は汝を愛する」となるんだ……


 不二夫の知的好奇心の高さをよく示すものだったが、どう考えてもそれ以上ではなかった。もし、彼が死を選ぶ程に悩み苦しんでいたのなら、何故彼はあれ程に送ってくれた手紙の中で、一度たりとも自分にそれを告げてくれなかったのだろう。幾つも交わした手紙の中で、彼はそんなことを全く仄めかしもしていなかった……。それが悔しく、情けなくもあった。結局、彼は自分にそこまで心を開いてくれてはいなかったのか。ただ学問的な話しが幾らか分かる相手という程度だったのか……いや、それは仕方ないかもしれない。そもそも、九年来、直接会ったこともないのだから。心を開いて何もかも記せという方が難しいかもしれない。

 それでも、別の忸怩たる思いが首をもたげてくる。もしかすると、自分が彼の心を理解し切れなかっただけなのではないだろうか……。学問的には誠実に答えようとはしても、手紙の向こう側にいる不二夫自身のことまでは考えていなかったのではないだろうか……

「僕には何も分からなかった……」

 押し寄せる自己嫌悪と無力感に、蕗屋は打ちひしがれていた。

 しかし、弓子は違った目で蕗屋を見ていた。

「私……ね、実は御兄さんに、不二夫がこんなことをした動機を解明してほしいと思っているの」そう弓子は、思い詰めたように眦を決して云った。蕗屋は、驚いて弓子を――言葉が咄嗟に出なかったので――手で制した。そんなことができよう筈がない。あれだけの手紙を送られながら、彼からは心を開いて貰えず、自らは何も見抜けなかったというのに。

 しかし、弓子は蕗屋の手を取って猶懇願した。

「御願い、御兄さん。本当に悔しいのだけれども、私では分からなかったの……。不二夫が何を考えていたのか、何故友達まで誘って自殺しようとしたのか……御願いだから、調べて、突き止めて! 御兄さんしか、頼りになる人はいないの!」


 一夜熟慮して、蕗屋も腹を括ることとした。自分に、弓子が期待する程の能力があるかどうかは分からなかったが、しかし、これ程の事態が起こったと知って、何もせずに帰るというのは余りにも不甲斐無く思えた。それに少なくとも、生き残った不二夫と会って、直接会話をしてみたい。朝餉の前に、母屋の廊下で擦れ違った弓子の袖を引き、ただ一言「分かったよ」とのみ告げて、前夜の依頼を取り敢えず受ける意志があることを伝えた。

 朝餉の席で、蕗屋は慎重に言葉を選んで語った。夕べ、弓子から事情を全て聞いたことを。結果を大変残念に思うことを。しかし、不二夫が生きていることは不幸中のせめてもの幸いと思うことを。あれ程手紙のやり取りをしていた自分の無力さを。その上で、警察が断念したなら、自分が動機を調べてみたい、と告げた。自分にどれ程の力があるか分からないが、自分なら、他の人とは違う視点から、不二夫の言動が見られるかもしれないと。だから、兎に角先ず、サナトリュウムにいる不二夫に是非会いたいと――

 紘造は、昨日弓子が突然帰ってきた時点でこの事態を想定していたらしく、突然のこの蕗屋の申し出に驚きはしなかった。しかし勿論、いい顔はせず、自分の膳をさっさと平らげると、「所用があるから」と告げてその場を桂子に任せて憤然と退席した。一方の桂子も結局、最後まで蕗屋の提案に賛意を示さなかったが、蕗屋の固い決意――というよりは、弓子の罵声のような働き掛けに折れたか、或いはうんざりして、遂にサナトリュウムへ電話をかけて送迎用の乗用車を呼ぶことを承諾した。若い二人の勝利であった。午前十時、騒々しい警笛と共にA型フォードがやって来て、こうして蕗屋は弓子とともに、雉取山高処にあるサナトリュウムへと向かうこととなった。

 この村の変貌の象徴でさえあるかのサナトリュウム「雲上院」は、大正一四年に建設された西洋式の近代的な療養施設である。その創設を主導したのは帝国大学医学博士若月鏡太郎であった。当時、本邦における脳医学や精神医学の泰斗であった彼は、自身で「東洋一の精神療養所」の創設を志すようになっていた。大正年間頃から、若月博士は土地高燥、空気清澄なる理想の環境を求めて、建設候補地選びと資金繰りに奔走した。脳医学や精神医学への無理解から、当初これは難航したが、やがて一代で財を成した実業家進藤健三の協力を得られることになる。彼は、その妻礼子が精神を病んでいた為に、妻の生地近くに療養施設が創られることを望んでいたのだった。若月博士は実業家を共同経営者として持つことで、理想的な地である雉取山の高処に用地を取得し、中腹の葛瀬村とも友好的に交渉を進め、遂に自身の夢を実現させたのであった。「東洋一」を目指し、資金面でも恵まれたこの施設は、国内の同様のものと比べても大変立派で豪華なものとなった。設計は、葦原ホテルの設計者として高名なピエール・マンドネに依頼し、本館を、欧州の大邸宅を彷彿とさせる新ルネッサンス式建築とした。この本館を含めて、敷地内に病舎は三棟あり、病室数は九八室に上った。こうして、戦国期の後北条氏の城跡があると伝えられる雉取山の高処に、西洋風の療養施設「雲上院」が建てられたのである。現在では、若月博士も、その共同経営者の進藤も共に他界しているので、書類上の持ち主は、後者の妻で、自身もこの施設の別館で療養中の進藤礼子になり、一方医療面では、若月博士の弟子筋に当たる久留須次郎医学博士を院長に招聘し、現在もその指導の下で運営されていると云う――

 そうした裏話を甲武日日新聞が伝えていたのだと弓子は語り、ふうんと蕗屋は答えながら、二人はA型フォードの後部座席に乗り込んだ。制服制帽の運転手が振り向いて会釈をし、小さな爆発音がして原動機が動き始める。天気が良いので、運転手側の窓は開いていたけれども、車内は聊か暑かった。蕗屋は急いで、把っ手を回して窓を押し下げた。

 この時、蕗屋は気付いたのだが、何人かの村人達が、遠巻きに蕗屋達を見ていた。また昨日のようなことになるのだろうかと、蕗屋は不安になったが、それ程に危険な様子はない。大概は純然たる好奇心のようで、蕗屋達を見ているというよりは、寧ろ単純にフォードを見ているようだった。先程、到着を知らせる為に警笛を鳴らしたから、それを聞き付けて見に来たのだろう。昨日の夜も弓子がタクシィを乗りつけてきたから、連続で何事かと思ったのかもしれない。中に、大柄な青年と、背こそ高いがまだ幼さの強く残る少女の二人連れがいた。少女はフォードに近付いて、開いた窓越しに手を振ってきた。それは蕗屋にではなく、弓子に送られたものであり、その表情から、少女が弓子を大変慕っている――或いは年長の美しい女学生に憧れているらしいのが見て取れた。

「まぁ藤枝ちゃん、久しぶり! それに卓次さん、もう村に帰ってきてたんですか?」

「久しぶりだで、弓子御姉ちゃん! あんちゃんはさ、三日めえけえってきたばかりなんだよ。弓子御姉ちゃんこそ、東京からけえってきてたんだね! そんならそんで、あんか一言云ってくれたらよかったのに……」

「ごめんなさい、急いでたから……」

「冗談だで! 実はよ、あたしも東京の高女に行かせてもらえるかもしんねえの……まぁ四月からのさ、六年生の成績が良ければの話しだけど」

「そうなの? おめでとう!」。少し歳の離れた少女に向けられる弓子の表情からは憂いが消えて、柔和な笑顔がぱっと弾けた。もしかすると弓子は、自分が幼い頃に病弱だった分、年下の子に優しいのかもしれないと蕗屋は思った。

「これで、でえ好きな弓子御姉ちゃんともずっと一緒にいられるってもんだよ! 今日だってさ、会えてほんっとうに嬉しいんだから」

「有難う……でもわざわざ挨拶する為に来てくれたの?」

「勿論! ……つうのは半分正解、半分嘘で……。兄ちゃんがさ、弓子御姉ちゃんちの御客さんに用事があるっつうから……。こちらだんべか?」と、急に少女から手で示されて、蕗屋は驚きを隠せない。すると少女と連れ立っていた、大柄な男が近付いて来た。どうやらそれが「兄ちゃん」らしかったが、蕗屋には誰か分からなかった。

「おめえ、あんでそんな怪訝そうな顔してんだ? 俺を覚えてねえのか? 熊城卓次――タクちゃんだ」

 タクちゃん――成長した幼馴染の顔を見分けられなかった蕗屋だが、その諢名には確かに聞き覚えがあった。


 熊城卓次は、昨日、村に宮瀬夫婦の甥だという男がやって来たと聞いて、直ぐにそれが、子供の頃に一緒に遊んでいた仲間だと気付き、弓子と仲の良い妹と共に、宮瀬邸に様子を見に来たのだった。割合に無口らしい卓次と蕗屋の再開は、藤枝と弓子のそれ程賑やかにはならなかったが、それでも熱いものを互いの胸にもたらした。そして蕗屋は、また必ずや会ってゆっくり語ろうと、先程口に出した言葉を、小さくなっていく旧友の影に向かってもう一度念じた。

「御友達に再会できて嬉しい?」と聞く弓子に、「勿論。……今度のことが落ち着いたら、一度酒でも酌み交わすさ」と答えた。自分のことを覚えてくれていたのだな、と感慨深くなる。

 フォードは、しばらく村道をのろのろと進んだ後、直ぐに狭い山間の道へと入った。左右には無数の木々が繁り、その奥を見通そうにも、光は見えない渓谷の中に吸い込まれて消えていく。道は蛇のようなつづれ折りとなって、運転手の両手は、驚く程目まぐるしく動いた。蕗屋の身体は狭い座席の中で幾度となく揺さぶられ、何度も進行方向が変わるのでどちらに進んでいるのか分からなくなり、聊か酔ってくる。やがて、聳え立つ雉取山の尾根までそのまま果てしなく拡がっているかと思える程の、急な傾斜地へ差し掛かると、原動機の唸りは一層低くなり、フォードは後尾から濛々と噴煙を上げて、一気に駆け上がっていった。木々の隙間からは、人工的な構造物がちらちらと見え始めた。そうして、その勾配の最も急な処を登り詰めると、視界が拓けて、行く手に赫々かっかくたる大きな建物が姿をあらわすのだった。蕗屋は、愛用している吉田時計店のネイション型腕時計を思わず覗き込む。十時二六分。時間にして、村を出てから僅かに十分程度――流石さすがに自動車である。かなり傾斜のある山道の連続であったので、徒歩ならば到底こうも短時間で来られまい。とはいえ、単純な距離としては思ったよりも村から近いようだ。「いよいよだね」と、蕗屋は車体の速度が落ちてくるのを身体に感じながら、呟いた。弓子は何かを決意したような目を蕗屋に向けると、

「覚悟しておいてね」と云った。

 運転手は蕗屋らを門から少し入り込んだ縁石の上に降ろした。そこからは歩行者用の導入路アプローチが奥に向かって伸びていて、両脇には美しい花壇と芝生が広がる。金盞花キンセンカやマアガレットなどが一杯に植えられており、その丹精を込めた作りが蕗屋の目を捕らえた。季節柄まだ綻んでいる花房はまばらであったが、もう少し暖かくなれば次々と花開いていくのだろう。その手入れの行き届き具合と、頭に思い浮かぶ美しい光景からは、これを管理する者の心遣いが窺える。入所者達を慰める為か、それともその家族たる来客を慰める為か、導入路の先には美しい芝庭が広がっており、要所には幾何学的に整備された花壇も配されていた。奥には関係者の居宅らしい小ぢんまりとした欧風の屋敷も見える。それとは別に、芝庭の一隅には、十字を掲げた小さな建物があった。旧教か新教か、将又はたまた、正教かは分からぬが、どうやら基督キリスト教の礼拝所らしい。ここは基督教の施設であっただろうかと、蕗屋は自問する。その礼拝所の周りを、うろうろと歩きまわっている、療養中の患者らしい白いゆったりとしたワンピースを着た老女が突然、蕗屋の方を振り向いた。危うく目が合いそうになって、蕗屋はどきりとする。別に悪いことをしていた訳ではないのだけれども、何となく蕗屋はばつの悪い思いをした。

 気を取り直して顔を上げると、庭の向こうに、葛瀬村からもその威容が窺えた、巨大な西洋風建築の本館が建っていた。それは、中央に大きな採光用の天蓋を配した、鉄骨煉瓦造四階建である。蕗屋はフォード車内で右に左に振られていたから、方向感覚を失っていたが、建物が陽光を浴びていることから、どうやら南ないし南東向きらしい。煉瓦壁には白い柱型が何本も設けられていて、それが輝くように照り返し、壁面全体の赤褐色と美しい調和を見せていた。主屋からは左右に大きく両翼が張っており、その広大な正面部分に、縦長の大きな窓が整然と並んでいた。但し、それらの窓の多くは堅牢そうな鎧戸と金属製の珊によって守られていて、それらが重々しい洋城のような印象を見せた。北条の城跡に、西洋の城か――

 玄関広間脇の詰所で、制服を着た門番に取り次ぎを頼むと、直ぐに職員と覚しきひょろりとした背広の男がやって来て、ごく簡単な身分確認の後に二人は主屋二階の応接室に通され、担当者が来るまで暫く待つよう求められた。間も無く応接室の扉が叩かれて、担当の医師と看護婦が二人を迎えに来た。医師の第一声は、「御待たせして申し訳ない」で、さして待たされた訳でもない蕗屋は寧ろ恐縮した。「弟さんに特に御変わりはありませんよ」と呟く白衣の背中を追って、蕗屋らは「雲上院」の廊下を進んだ。

「……ところでこちらは基督教の施設なのですか?」

「いえ、違いますよ。ああ、もしかすると、庭の礼拝所を御覧になりましたかな? 院全体として、何かの宗教を掲げているということはないのですが、今の持ち主は基督教徒ですし、職員にも割と多くいましてね。基督教の信者の方には、こうした看護などに熱心な方がよくおられますので、その所為せいでしょうな。この辺りは、麓の方にも教会がありませんので、職員の福祉向上の一環として建てることになったんですよ。私自身は浄土宗ですがね。あ、こちらへ。足元に気を付けて……」

 白衣を着た二人の先導で、蕗屋と弓子は三階へと向かった。天井にぶら下がる乳色の硝子ガラスの傘からは、仄暖かい電灯の光が降り注ぎ、ワニス様の塗料を塗った壁がゆったりとそれを受け止めていた。床のリノリュウムは、彼らの足音を吸い取って、静寂を担保した。遠く視界の先では、白い帽子を被り、詰襟の白衣を着た看護婦たちが、床上九寸の裾を波打たせて、音もなく行き交っている。主屋から翼部に移ると、廊下の脇には単に数字を宛がっただけの部屋が続くようになり、そこはもう病棟のようだった。


 三一七号室の前で医師が立ち止まり、ぎいとそのドアを開いた。

「どうぞ、お入りください」

 そこは、最小限の衣服を収めた小さな棚と、簡素な寝台があるだけの、殆ど何もない、殺風景な部屋だった。それでいて、鼻に付く匂いだけが騒々しかった。何か人工的な甘い香気の中に、嫌な臭気が混じり合っているような独特なものであった。

 寝台の上には、寝巻を着た、ほっそりとした青年の姿があった。そのすっかり成長した身体は、蕗屋が知っている宮瀬不二夫とはまるで別人であった。しかし、幼さがまだ残るその顔立ちには、確かに懐かしさを湧き上がらせるものが潜んでいた。なんだ、案外健康そうじゃないか――思ったよりも血色がよく、肌にも張りがあったので、少し安心する。蕗屋は、不二夫が寝ているのかと思った。寝台に寝そべったまま、ぴくりとも動かなかったからだ。しかしやがて、その目が大きく見開かれていることに蕗屋は気付いた。その視線の先にあるのは、ただ、天井の板であった。

「不二夫君、親戚の方が御見舞いに来ましたよ」

 看護婦が、優しく声を掛ける。それに合わせて、蕗屋も、「やぁ、久しぶりだね」と、寝そべっている従弟に声を掛けた。弓子は何も云わない。そして不二夫も、何も云わず、表情一つ変えず、天井を見続けていた。

 その無言に蕗屋は戸惑いを感じたが、看護婦が何事もないかのように声を掛け続けるので、蕗屋もまた、それに合わせて、再会を喜ぶ言葉を並べた。何度も何度も語り掛けていると、遂に不二夫の口が開き始めた。しかし、長く口を閉じていた為に上手く動かないのか、何を云っているのか分からない。暫く口をもぐもぐとさせた後に、不二夫は急にぱくりと大きく口を開いた。そして、「ソコニカイテアルンデス」と、調子っぱずれの大声で喚いた。それは幼児のように甲高い声で、平板な抑揚が異様であった。そして表情にも変化があって、微かではあったが眉間に皺が寄ったのだ。

 間も無く、強烈な臭気が漂ってきた。それは不二夫の体から発されていた。蕗屋はその時初めて、彼がおむつを履いていることを知った。蕗屋が先程から気付いていた匂いの正体は、甘い薬品香の溶け出た、屎尿のものだった。

「まぁまぁ、御客さんの前で、いけない子ね」

 看護婦は、やはり何事もないかのように、しかし子どもをあやすような口調で語り掛けていた。やがて看護婦が不二夫の体を拭き、おむつを取り替えていったが、その間も不二夫は身動き一つせず、表情一つ変えなかった。赤子のように従順で、股間や性器に触れられても、嫌がる様子も恥ずかしがる様子もなかった。

 その糞尿まみれの下半身を見た時、蕗屋の期待や再会の喜びは、全て跡形もなく打ち砕かれた。何ということだろう――蕗屋はただただ言葉を失った。不二夫の状態は、思っていたよりも遥かに無残なものであった。確かに外貌は健康なようだったが、その中では何もかも壊れていたのだ。天才とうたわれ、驚く程にアカデミックな質問を手紙でぶつけ続けてきた人間と同一人物とは思えなかった……。

 その後、また目を見開き、ぴくりとも動かなくなった不二夫は、まるでサナギのようであった。輝かしい未来があった筈の蛹――美しく羽ばたく蝶が孵る筈だった蛹。

「ソコニカイテアルンデス」

 今やそれは、姫蜂に中身を食い荒らされた蛹のようであった。


「……恐らく、空気――酸素の欠乏により、脳の細胞が壊れてしまったのです」

 従弟の状態を問う蕗屋の質問に、医師は答えた。

「御存知かと思いますが、人間は酸素がなければ生きていけません。成人一人が必要な酸素の量は一分当たり二から三デシリットルとも云われています。ですから酸素が不足すると、人間は最終的には窒息死する訳ですが、仮にそこまで至らずとも、脳に甚大なる悪影響を及ぼすのです。脳細胞が破壊されてしまうのですな……。酸素欠乏の状態から三分以内に応急措置をすれば生存できる可能性は高いのですが、それ以上時間が経つと、仮に生存できても、脳の中枢神経に何らかの障害が残ることが多いのです。とはいえ、軽度であれば頭痛や眠気、悪心、嘔吐、疲労感などで済むのですが……重い場合には、記憶喪失、性格異常、四肢の麻痺、痴呆など重篤な障害が様々に起こり得ます。不二夫さんの場合は、縊死を試みた際、幸い頸椎の骨折等には至りませんでしたが、気道が長期間閉塞してしまったのですな……」

 不二夫は、二月一八日、燃え上がる小屋の中から、唯一生還した。彼もまた、友人らと同様、縊死しようとしたのだが、幸いにも縄の結び目が緩くて直ぐに解け、床に落下して頸椎の骨折やその他重要な神経の断裂等には至らなかったのだ。しかし、縄は首に掛かった時点で気道を塞ぎ、墜落後もそのまま喉に食い込んでいたこと、更に燃え盛る小屋の中で、そもそも酸素が燃焼により費やされてしまったことから、彼の脳への酸素供給は激減した。

 発見後、戸板に乗せられ、麓の病院まで運ばれた不二夫は、応急処置の迅速さ適切さもあって、一端は順調な回復を見せた。自殺未遂前後の記憶に混濁があるものの、間も無く自宅にも戻れるのではないかという話しさえ出る程であった。しかし、やがて一転して症状は悪化していった。先ず記憶の混濁が進行し、自分の氏名や年齢、今いる場所や日付のいずれにも返答に詰まるようになっていった。やがて突然歩き始めるなどの行動異常や尿失禁を繰り返すようになり、体をゆっくり捩じったり、口をすぼめるような不随意運動も始まった。入院五日目には四肢の舞踏様運動も増加した。徐々に眠っている時間が長くなり、半昏睡にも陥るようになった。そして遂に意思疎通困難に陥り、こちらへと移されたのだった。

「……回復の見込みは?」

「……脳というのは、人間の身体の中で、目下、最も分かっとらん箇所なのですよ。はっきり申し上げて、脳に損傷があった時の、効果的な治療法などは確立しておりません……。しかし、欧米の症例では、療養生活を続ける中で、回復していった例も報告されております。多くは、成長盛りの子どもの症例ではありますが……。しかし、不二夫君もまだまだ若い! 若ければ若い程、回復する可能性も高まると考えています。当院でも、最適な看護と環境とを提供して、彼の回復を待ちたく思っております!」

「ソコニカイテアルカラ、ヨンデクダサイ」また不二夫が云った。

「……これは、何を云ってるんですか?」

「……分かりません。取り敢えず大便をする時にはよく口にしてますが、果たして意味があるのかどうなのか……。もしかすると、何か夢のようなものでも見ているのかもしれませんが……」


 太陽が最も高い位置へと徐々に登ろうとする頃、狭い道に窮屈そうに身を震わせ、砂塵と排瓦斯ガスを撒き散らしながら、A型フォードが村に帰ってきた。野次馬達はもういなかったが、ただ桂子だけが、どうやら原動機の音を聞き付けたらしく、白い割烹着姿で二人を出迎えた。意外なことであったが、蕗屋の目には、彼女の様子が朝とは少し違って見えた。不安そうな挙動は相変わらずだが、その表情にはある種の鋭敏さが加わっていて、単におどおどしているというよりは、何か秘めた決意のようなものを感じさせた。桂子は、急かすように二人を離れの洋間へ導いた。

「御免なさいね、帰ってきて早々、疲れている処を。御昼の前に、済ましておきたいと思って……」そう云うと、二人を寝台脇の応接椅子に腰掛けさせ、自分は立ったまま話し始めた。その声はやはり周りをはばかるように小さかったが、低く落ち着いた響きがあった。

「あの後、ずっと考えていたの……。確かに弓子、貴女の云う通りだわ……。本当に悔しいけれども、私達では、あの子の考えていたこと、あの子が自殺しようとした理由、友達と一緒にそうするに至った理由……そういったことは、きっとこの先、永遠に分からないわ……。あの子は、頭が良過ぎたから……」

 この言葉を吐き出すまでに、我が子のことが理解できないと認めるまでに、どれ程の葛藤があったのだろう? 子を持たぬ蕗屋には、その残酷さが充分には分からなかったが、それが云わば親として最も屈辱に溢れた告白なのだろうということは想像できた。実際に、桂子の顔は苦渋に満ち溢れていたが、しかしそれでも、最早彼女の中で生まれた決意は固く揺るがないようで、口調に迷いは感じられなかった。

「うちの人は今、蚕室の方に行っております。だから、あの人は反対するだろうから、あの人が昼餉を食べに戻ってくる前に、弓子の云う通り、清一郎さんにきちんとお願いしなくちゃと思って……。私からも、是非御願いします。あの子が何故、御友達と一緒に死のうと思ったのか、その理由を、清一郎さん、是非調べて下さい。無理な御願いなのは分かっているわ。でもね、本当に、本当に私達には分からないの……。本当に、本当に情けないことだけれども……。貴男なら、私達よりは、あの子のことが分かる筈だわ。私達みたいな凡人には分からなくとも、あの子とずっと難しい文通をしていた貴男なら、何か気付くことがあると思うの。昨日の夜や今朝は本当に御免なさいね……はぐらかすようなことばかりしてしまって。弓子も御免ね。うに一度、貴女と一緒に相談して決めたことなのに、私が優柔不断なばかりに、あの人が反対したからって、反古にするようなことをしてしまって……。弓子は私とは全然違うわね、初志貫徹、何事にも意志が強くて……。きっと、貴女はお父さんに似たのよ」

「……止してよ! 私はお母さんに似たいわ」

 そう云われて、桂子は微笑んだ。それは母娘和解の合図のように思えて、蕗屋の心は少しばかり和んだ。しかし同時に、一つの疑問が湧く。どうしてそれ程までに紘造は反対するのだろうか? 勿論、家の中のことを、親戚とはいえもう長らく会っていない甥に知られたくないというのは分かるが、それだけだろうか?

「どうして、伯父さんは……」そんなに我が息子の自殺未遂の謎に対して無関心でいられるのか?――と、蕗屋は問いたかったが、婉曲的な表現が咄嗟に思いつかず、言葉が途切れた。しかし桂子は、蕗屋が云わんとしたことに気付いたようで、そっと目を伏せ、優しく、それでいて悲しい笑みを微かに浮かべた。

「そうね……親としては薄情に見えるかもしれないわね……。でも、違うのよ……仕方ないの。いえ、仕方なくはないのだけど、それでも、あの人にもどうしようもないのよ……」

 聞けば、この山村にもやはり様々な軋轢があったのである。昭和四年の世界恐慌に端を発する生糸の大暴落で零落した家もかなりあったらしく、紘造に家屋や敷地を買い取られたという隣家にしても、そうした家の一つであったらしい。但しそれは、宮瀬家だけではなく、幾つかの村の有力な家系がこぞって行ったことだったそうで、云い換えれば、それだけ苦しい目をした家も多かったのだ。蕗屋の母が誇らしげに語った大正十四年の村営発電開始にしても、いざこれを始めてみると、案外にその生み出す電力は大きく、電灯だけではなく、養蚕の用にも回すことができた。勿論、そうした用に使える電気機器を購入できる資力のある家にしか、そうした恩恵はもたらされない訳で、結局の処、発電の開始は、村内で電気機器を揃えられる家と、そうでない家との溝を拡げる結果をももたらした。遡れば大正十二年の関東大震災でも、村に直接被害はなかったけれども、出稼ぎに出した息子らを亡くした家が十数件あり、今でもその時に犠牲者を出した家とそうでない家の間には目には見えぬ溝があるらしい。

「今回のことで息子さんを亡くした甲田さんの処も、出稼ぎに出ておられた御長男をその時に亡くされているし……、野口さん、それに矢島さんの処も……。貴男と仲の良かった又野さんの処だって、御兄さんが東京で亡くなっているのよ……」

 蕗屋の目には何も変わらぬように見えても、やはり、この村も時代の変化や激動の余波を受けていたのだ。だからこそ、紘造は猶のこと不二夫の一件に神経質になっているらしい。これまで皆が、様々な不満に重い重い蓋をして辛うじて保たれてきた村の微妙な均衡が、不二夫の自殺未遂――というよりは、不二夫一人が生き残ったことによって、いよいよ取り返しのつかない感情のぶつかり合いになることを、紘造は恐れているらしかった……。

「でも、自分の子供だものね……」つかの間、桂子は祈るように目を閉じて天を仰いだ。その姿からは、まるで教会の聖母像のような印象も受ける。しかし恐らく、彼女が仰いだのは、実際には天ではなく、自分の頭の中の不二夫の姿だろう。それはもしかしたら、自分もよく知っている、あの天真爛漫とした幼い頃の少年の姿かもしれないと蕗屋は思った。

「村の人がどう云おうと、どう思おうと、親が、私達が、本当のあの子を知ってあげようと思わなければ、本当にあの子は、永遠にどこかへ行ってしまうかもしれない……」

 蕗屋と弓子の視線を逸らすように、桂子は顔を少し背けた。そうして、先程から手にしていた包を開いた。

「これ……。丁度今朝、貴男達が出て行った後に、駐在さんが返しに来てくれたの。現場で唯一焼け残った――というよりも、息子の肉筆の中で、唯一残ったものなの。私達には、これが何なのか、さっぱり分からなかった……。でもね、これはきっと、不二夫が残した伝言なの。だから、警察も預かって暫く調べていたのだけれども、警察にもこれが何なのか、さっぱり分からなかった……。私が、貴男にお願いしようと、貴男に理由の解明を託そうと改めて決心したのは、これが今朝返ってきたこともあったの。清一郎さん、貴男がいる今この時に、これが戻ってきたというのは、きっとただの偶然ではないわ。きっと、何か意味があって、昨日でも明日でもなく、今朝に、これは戻ってきたのよ。だからこれ、清一郎さんに読んでみて欲しいの。そしてもし、不二夫が何を考えていたのか分かるなら――」

 そう云って桂子が取り出したのはノオト――しかしそれは、蕗屋にはただの焼け焦げた平たい炭の塊にしか見えなかった。おもて表紙や裏表紙、更に頁の外縁部も、焼け焦げたり炭化したりしていて、桂子の指が動く度に、黒い粉塵へと崩壊していく。どう見ても、それは、嘗て一冊のノオトだったものの残骸としか思えなかった。

「戻ってきたのね――」と弓子が震えるような声で云った。「それは、殆ど燃えちゃっているけど、不二夫が何かの本を書き写したものらしいの……」

「……何かの本?」

「……ええ、何かの本――洋書なの。本当に残念だけれども、私にはそれが何なのか分からない……本当に本当に残念だけれども……。だから、御兄さんに来てもらったの。悔しいけれど、御兄さんなら、きっと……」

 蕗屋は、促されるままに、それを受け取って中を開いた。火に曝された時もこのノオトは開いていたらしく、表紙よりも寧ろ中の方が損傷は酷かった。この為、中盤の頁の多くは焼け落ち、既に失われていたが、それでも表紙と裏表紙に近い、最初と終わりの頁が幾らか残っていた。そこには、欧文と日本語が小さな字で整然と記されていて、成程、不二夫が自由に何かを書き込んだというものではなく、どうやら何かの洋書と、その邦訳を書き写したものらしい。欧文には処々、アルファベットで記された単語の横に日本語の意味が書き込んであるから、もしかすると、訳出は不二夫自身が行ったのかもしれない。洋書を訳すに当たって、一端欧文を書き写し、そこに直接単語の意味や文法を書き込みながら訳文を作るというのは、当今の学生がよくやる流儀であるからだ。蕗屋はざっとそれを読み進めていった。読み進める程に、蕗屋は困惑を隠せなくなっていった。一体、何なのか、これは?――全く訳が分からなかった。こんなものが、不二夫が倒れ、その友人らが死んだ処に落ちていたのか? これにまつわるものを不二夫は焼こうとしたというのだろうか? 全く奇怪としか云えなかった。不二夫が唯一残したそれは、異端の書を、びっしりと精密に書き写したものであった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(不二夫のノオト、欧語部分)


               Praefatio序文

    Ego, Bernardus Cameraciカンブレの, in anno MCCLXXVIII quem ‘incarnationis主の受肉の’ appellant, alcubiある場所に unum一冊の librum本を in quo scribuntur書かれている scientiae multae deprehensae magisteris師達の antiquis古の, celavi隠した. Quia id est vetitum禁止された libros sapientium habere持つ posteaquam condamnatione断罪 Stephani Aurelianensis, episcopi司教の Lutetiae巴里の, de anno MCCLXXVII, habentibus librom destinatis atrocissime最も恐ろしく. Verum, sic dstinatus manibus手によって inimicorum敵の libros deleo volantium. Qua de re id est ita utilis有益だ scribere, non pro me, ut posteri nimiam stultitiam turpidinemqueそして汚らしさ brutalem獣の inimicorum cognoscent, et quomodo sic feci noscent. Igitur me ceperunt捕まえた inimici敵は, ita me interrogantes尋問する ut ubi librum esse noverint, membra手足を mea vincientes縛る osque meum claudentes塞ぐ ne suicidium自殺を maluerim; decoriantes unglos爪を meos ferro; frangentes digitos指を pedium足の meorum; infringentes genua膝を ut mea vestigia足の裏を aspicere見る potuerim; unglos manuum decoriantes acu針で; digitos laevae左手の frangentes; cubitum肘を laevae infringentes ut laeva in tergo advenio potuerit; digitum medium中指, proximum薬指 minimumqueそして小指 dextrae frangentes; testes睾丸を infringentes潰す; aures scindentes; nares in una forantes ferro鉄で calito熱された; oculum目を laevum eruentes抉る. Sed ubiどこ librum esse non dixi話した. Nam amens正気を失う tortione atrocissime. Igitur, inimicibus me ubi librum ignorere知らない credentibus信じる, supervixi私は生き延びた.

    Serpebam這った membris intortis, librum本を celabam隠した in loco securo, nunc scribo duo digitis指で relictis残された occuloqueそして目で dextro, quaesens; Posteros librum invenientes発見する, eundem servare, ea quod scribuntur書かれている cognoscere理解する, satius agire行動する, eundem et ea quod accipientur progeniebus後世の人に tradere伝える, spero. Nam puto quod sunt ita commoda適している ea quae in libro scribuntur, ut faciunt nobis cognoscere ignorantibus無知な partem一部を veritatium真実の universae世界の、宇宙の. Ne condemnatum断罪される, ne tortum拷問される, ne crematum焼かれる iri librum habentes et invenentes peccato罪によって ut haeretici異端 sint, volo.

    ――Miserabiliter獣の populat無残に Deus青褪めた男達を celatus語る lividos隠された narrantes自殺を suicidia滅ぼす brutorum神は.


 XVI PROPOSITA ET CONCLUSIO DE……(一部焼失)

 I. DE LIBERE ARBITRIE ET RATIONE

 II. DE BONO SAECLARI

 III. DE MALO SAECLARI

 IV. DE INNOCENTIA DIABOLI

 V. DE NON-SENSU BONI MALIQUE

 VI. DE ORGANIS HUMANIS

 VII. DE SUBSISTENTIA VITAE

 VIII. DE ORIGINE VITAE

 IX. DE CONSTRUCTIONE UNIVERSAE

 X. DE NUMERO

 XI. DE VERIFICATIONE MATHEMATICA DE NON-EXSISTENTIA PARADISI INFERNIQUE

 XII. DE VERIFICATIONE MATHEMATICA DE NON-EXSISTENTIA MORTUORUM

 XIII. DE NON-EXSISTENTIA SPIRITUS

 XIV. DE DEI……(以下、焼失)


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 書かれている欧文は羅典語だった。もしかするとこれまで自分に送られてきた手紙の質問も、これを訳す為だったのだろうかと、蕗屋は思い至って驚く。自分は知らない間に、これを訳す手伝いをしていたのだろうか? 焼け残っていたのは、先ず冒頭の部分で、「序文」と記されていた。「序文」には、この不二夫が書き写した「本」の原本が、一三世紀にカンブレのベルナルドゥスなる人の手で隠されたことが記されていた。何故隠したかについて、このカンブレのベルナルドゥスは、この書物を持つことが禁止されたこと、しかしこの書物が世界の真理を知る上で有益であることを語っている。そして、その所持者が異端の嫌疑で拷問に掛けられ、火刑に処される可能性があることも……。添えられている奇怪な一文が不気味だった。一体これはどういう意味なのだろう……?

 その次に書かれているのは、はっきりとそう題されている訳ではないが、明らかに「目次」だった。「一、自由意思と理性について」「二、この世の善について」と始まり、以下番号順に続く。章題を見る分には、哲学書のようでもあり、科学書のようでもあり、どちらとも付かない。「一四、神の……」の途中から焼失していて、巻頭で焼け残っている文章はここまでだった。

 そこから暫く――恐らく数十頁かそれ以上――は全く焼けてしまっていて、何も残っていない。巻末は幾らか長い、難解かつ奇怪な文章が残っていた。恐らくこれが、目次に書かれている「九、宇宙の構造について」に照応する部分なのだろう。成程それは、古の欧羅巴人或いは基督教徒からすれば、異端中の異端の説であったに違いない。そこに書かれているのは、明らかに地動説であった。聖書には、「大地もまた据えられ、揺るがされない」「主は築いた、地をその支えの上に、常しえにまた永久に揺るがされぬよう」と、大地の不動性についての言明が度々出てくる。これを否定するのであるから、地動説とはまさに聖書の記述を否定するものに他ならない。ガリレオ・ガリレイが「E pur si muove(それでも地球は動く)」と云うに至ったとされる一連の経緯は、余りに有名だろう。古の敬虔な欧羅巴人がこれを読めば、大いに恐れ、混乱したにちがいない。間違いなく、嘗てこれは恐ろしい本だっただろう。しかし、現代の東亜に生きる不二夫が、何故これをわざわざ読み、大事そうに書き写して訳出までしようとしたのであろうか? 今更いまさら、地動説など――寧ろ、焼け落ちた部分が重要だったのであろうか? それに、序文に書かれた時代が気になった。一二七八年とある――これだと、コペルニクスよりも早くなってしまうのではないだろうか? コペルニクス以前に地動説を証明した者がいたとでも? 何か変であった。

 しかし、それ以上に蕗屋に理解できなかったのは、桂子と弓子がこれをわざわざ自分に読ませる理由であった。異様な本には違いないし、これが現場に残されていたのは奇怪極まりないが、しかしこれを読むことで、自分に一体何ができるというのだろう……?

「御兄さん、ここを見て。警察がわざわざこのノオトを持って行ったのは、ここの書き込みの意味に気付いた所為せいなの。結局、彼らにはそれ以上何も分からなかったけれども……。もしかしたら、不二夫はわざとこのノオトを燃え残らせたのかもしれない。きっと御兄さんなら、ここに書かれているものが読める筈……」

 そう、弓子に促されて、蕗屋は指差された箇所を見た。それは、焼け残った最後の頁の脇に羅典語で書かれていた。字形はかなり乱雑で、不二夫自身の平素の字――蕗屋の処に届いた手紙の字――に近いように思われる。これはどうやら「本」を書き写したものではなく、何か不二夫自身の言葉を、羅典語で書き留めたものらしい。そしてそれを頭の中で訳してみて、蕗屋は戦慄した。確かにそれは、紛れもなく不二夫の伝言であった。このノオトは、いや、ここに書き写された「本」は、やはり何か今回の事態に関わっているのだ――一体、不二夫は何を読み、何を書き写し、何を伝えようとしたのか?

 そこには、羅典語で次のように書かれていた。


 Vitis malumus decedere

 Si cognoscitis, librum exquirite, legite!


 ――我々は死を選ぶ。

 ――知りたくば、本を探せ、読め!


                                  


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(不二夫のノオト、邦語部分)


                 序文

 私、カンブレのベルナルドゥスは、所謂主の受肉の年の一二七八年に、この本――この本には、いにしえの師達が発見せし知識の多くが書かれている――をある処に隠す。というのも、昨年、一二七七年のパリ司教ステファヌス・アウレリアネンシスによる断罪以来、これらの書物を持つことは厳しく禁止されたからであり、こうした本を持つ者には恐ろしい運命が降りかかるからである。事実私も、「本」を破壊しようとする敵の手により、恐ろしい運命を我がものとすることになってしまった。私のことなど取るに足らないのだが、私が何故このような行動を取ったかを後世の者によりよく知ってもらう為にも、或いは敵の計り知れない愚かさと、それ故の薄汚い獣のような恐ろしさを知ってもらう為にも、これを簡便に書くことも、幾らかは有益だろう。即ち敵は「本」の所在を知る為に私を捕らえた。それから敵は、私が自ら死ぬことができぬよう、縄で四肢を縛り、猿轡を噛ました。それから敵は、私の足の爪を鉄片で一枚一枚剥がした。それから敵は、私の足の指を、石で関節をり潰して一本一本砕いた。それから敵は、私の両膝の関節を逆向けに折ったので、御蔭で私は自分の足の裏がよく見られるようになった。次に敵は私の手の指の爪を、鉄針によって一枚ずつ剥いだ。次に敵は、私の左手の指を、関節を全て逆様さかさまに力一杯曲げて一本一本折った。次に、左手の肘を逆向きに折ったので、体のかゆい処で届かぬ処はない程によく曲がるようになった。次に右手の小指と薬指と中指を折った。次に睾丸を潰した。右の耳を削いで、左の耳を削いだ。鼻の穴に赤く焼けた鉄の棒を入れたので、私の二つの鼻の穴は一つに繋がった。左の眼球をくり抜いた。しかし、それでも私は「本」の所在を語らなかった。正直な処、恐ろしい責め苦に、暫く正気を失っていただけなのだが、兎も角その為に、敵は私が本当に「本」の所在を知らないと信じたので、私はこの詰まらない命だけは長らえることができた。

 そして今、逆様に捻じ曲がった両足と両手で地をり、「本」を改めて安全な場所に隠し、残された右手の二本の指と、右の目でこれを書きながら、私は願う。私が隠すこの本を見つけた後世の者が、この本を保存して守り、この本の中で示されていることを理解し、それに応じて相応しく行動し、この本とそこから得たものをさらに後世の人々へと伝えることを。なぜなら、この本に書かれていることは、この世界の真理の一端を、無知なる我々によく知らしめることにおいて限りなく有益であるからだ。そしてこの本を見つけ、所持した者が、異端として断罪され、拷問され、火刑に処されることのないよう、強く願う……

 ――隠された神は、獣の自殺を語る蒼褪めた男達を無惨に滅ぼす――


(一部焼失)……の一六の命題と一つの結論

 一章、自由意思と理性について

 二章、この世の善について

 三章、この世の悪について

 四章、悪魔の無罪性について

 五章、善悪の無意味さについて

 六章、人体について

 七章、生命の維持について

 八章、生命の起源について

 九章、宇宙の構造について

 十章、数について

 十一章、死後の世界の不存在の数学的証明について

 十二章、死者の不存在の数学的証明について

 十三章、霊魂の不存在について

 十四章、神の……(以下、ノオト巻末近くに至るまで焼失)


 (ノオト巻末部分。これ以前焼失)……こうして、地球が球形であることは既に証明された。ではその宇宙に於ける位置はどこなのであろうか? 多くの古今の賢人の間で地球は宇宙の中心に静止していると考えられており、太陽や月、星々を含む天はその周りを回転しているとされている。しかしこの問題をもっと注意して考えてみれば、実は容易に疑い得るものなのである。事物の移動が如何ように見えるかは、それを観測する者の置かれた状態で変わるからだ。即ち、ある駱駝ラクダの背に乗った蠅が、別の駱駝とすれ違った時、その蠅は、自分が、自分を乗せている駱駝諸共動いていると考えるだろうか、それとも、別の駱駝が自分の方に向かって動いているとみなすだろうか?

 ところで天体の運動を見ているのは我々であるから、その観察の視点は、我々を乗せている地球からである。しからば、もし地球が運動していると仮定するなら、その運動は、地球上にいる者からは、外界が動いていると感じられるだろう。丁度、駱駝の背に乗った蠅のように。もし地球が回転運動したならば、外界のものはその反対の方向に動くように見えるだろう。すなわち、大地から見て、天に輝く星々の全て、つまり全宇宙が地球を中心に回っているように見え、そうであればこそ多くの天文学者や預言者が、地球を中心であると告げたのであるが、同じ現象は地球が回転している場合にもそう見えるのだ。夕方から明け方にかけて見られる恒星の軌跡は、天の不動と地球の回転運動の結果としても容易に説明できるのである。即ち、天は確かに地球を覆ってはいるのだが、動いているのが覆っている方なのか覆われている方なのかということは、直ちに明らかなことではないのである。即ち、地球が動いていないという証拠は、自分達からはそう見えないというだけの至って感覚的なものであり、駱駝の背に乗る蠅が、自分を乗せている駱駝が動いていないと信じているのと何ら変わりはない。

 一方、太陽を不動にして、運いているものを太陽ではなく地球とした方が、じつところ天体全体の動きをよりよく説明できるのである。注目すべき古の数学者であるピュタゴラス学派のフィロラオスは、地球は色々の運動をするものであり、その運動は他の星と変わらないと考えた。即ち地球も円運動をすると云うのである。彼の考えを採用するならば、古来、多くの天文学者を悩ませてきた惑星の逆行は、太陽の周りを廻る地球の円運動と惑星の円運動の相関関係の結果として、より簡単に、より精巧に、より明確に説明できるのだ。

 水星と金星の正確な天球回帰周期はいまだ定かでないため、我々は、今はこれを論じない。火星・木星・土星については、次のことを示せば充分であろう。地球と惑星が共に太陽の周りを回っていると考えるなら、惑星の逆行の真相は極めて単純であり、既に知られている惑星の天球回帰周期と逆行の周期から、ごく単純に説明できる。即ち、逆行の周期は丁度、地球が惑星を一度追い越した後、次に追い越すまでの期間と等しいのだ。

 火星の逆行は七七九日に一度起こる。ところで、一年は大凡おおよそ三六五日一五時間であるから、もしこれを、地球が太陽の周りを回転している結果だと考えるなら、地球は太陽に対して、一日あたり五九分と八秒と一五進む。即ち七七九日あたりでは七六七度と四八分と六秒進む。つまり、太陽の周りを二周回ってから、更に四七度と四八分と六秒進むことになる。一方、火星の天球回帰周期は六八六日一二時間であるから、火星は天球の中を一日あたり三一分と二八秒と四〇進む。即ち七七九日あたりでは、一周と四八度と四一分と一一進む。この端数はすうは、地球が太陽の周りを回転しているとみなした場合、二周回ってから更に余分に進んだ角度とほぼ等しい。即ち地球は、七七九日の間に、太陽の周りを二周した後、更におよそ四七度進む。一方火星は、七七九日の間に、天球を一周した後、更に凡そ四八度進む。丁度ちょうど一周遅れた火星が、再び地球に追い越された時、火星の逆行が起こるのだ。即ち火星の逆行とは、地球が火星を追い越した結果そのように見えるのである。大地は動いているのだ。

 木星の逆行は三九九日に一度起こる。この間、地球は太陽の周りを一周した後、更に凡そ三三度一五分五二秒進む。一方木星は、その天球回帰周期が四三三二日一二時間であるから、三九九日の間に凡そ三三度七分進む。即ち、三九九日の間に、三三度進んだ木星が、先に太陽を一周した地球に再び追い越された時、木星の逆行が起こるのだ。

 土星の逆行は三七八日に一度起こる。この間、地球は太陽の周りを一周した後、更に凡そ一二度三四分五八秒進む。一方土星は、その天球回帰周期が一〇七五九日であるから、三七八日の間に一二度三九分進む。即ち、三七八日の間に、一二度進んだ土星が、先に太陽を一周した地球に再び追い越された時、土星の逆行が起こるのだ。

 こうして我々は、太陽を中心とした単純で美しい円運動から成る宇宙を見出すことができる。最も外側にあって不動なのは恒星である。これらは地球の運動に合わせてあたかも動いているように見えるが、これら自身は天球に固定され不動である。その内側において円運動しているのが最遠の惑星である土星で、これは凡そ一〇七五九日で太陽の周りを一周する。その内側で円運動しているのが木星で、これは凡そ四三三二日で太陽を一周する。次の位置で円運動しているのが火星で、凡そ六八六日で太陽を一周する。 第四の場所は地球で、月を伴いながら、凡そ三六五日で一周する。地球の内側に位置するのが金星と水星である。そうして真ん中に太陽が静止している。

 これが宇宙の真の姿であり、万物は太陽を中心に流転する。預言者ダヴィデは「地は、世々限りなく、揺らぐことがない」と歌ったが、動くのは地であり、万物の玉座に座るのは太陽に他ならない。太陽を崇めた古の埃及エジプト人の方が正しかったというのだろうか? 地は揺れ動き定まらず、儚い小船のようなものだ。ああ、儚き我らを支える地さえもかように儚きものだったとは。隠された真実に触れた私は、最早もはや嘘の書かれた書を信じることはできない。舌を抜かれる前に三度云おう。

 万物は無貌の太陽を王と戴く。

 万物は無貌の太陽を王と戴く。

 万物は無貌の太陽を王と戴く。

 希臘大王亜歴山アレクサンドロスの死から数えて埃及歴一二四二年に、私はこの結論に達した。

 この本を読む者よ。私の語った真実のために、私は手足を切断され、残る頭と胴を火に焼べられて殺されたが、言葉を撤回はしなかった。殺されることで、私はより偉大になる……         


                          Vitis malumus decedere

                     Si cognoscitis, librum exquirite, legite!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


                                  (続く)





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