第2話 勇者な兄と強い妹編

「ねえ、あなた、子供たちが、森に遊びに行ったきり、帰ってこないのよ」


 ある木こりの家で、マーガレットは、とても心配そうに、夫のレオンに言いました。


「森からまだ帰ってないだって? 俺だって、あの森は迷うのに!」

「……あなたは、極度の方向オンチだからでしょ?」

「探しに行かなくては!」

「やめて! 今度は、あなたが迷って戻って来られなくなるわ! あの子たちを信じて待ちましょう! あの子たちなら、きっと大丈夫!」


 泣きそうな表情で、マーガレットは、胸の前で手を組み、祈りの言葉を唱えました。

 その足元では、白いネコが、にゃ〜んと、可愛らしい声で鳴きました。




「こんなところ、来たことないわ、ケイン・ヘンゼルお兄ちゃん」

「そうだな、マリス・グレーテル。昼間なのに、薄暗くて、なんだか不気味だな……」


 森の中を、兄と妹は、こわごわ進んで行きます。

 ですが、進めば進むほど、覚えのないところを通るようで、これ以上奥には行かれないほど、奥まったところにまで入り込んでしまいました。


「なんだか、いいにおいがするなぁ」

「そうだね! 甘酸っぱいような、おいしそうなにおいだわ!」


 兄妹が、においを頼りに進むと、小さな家がありました。

 屋根は赤い飴で出来ていて、壁にはクリームがぬられ、ドアには、イチゴが、びっしりと敷き詰められていました。


「お菓子で出来た家だわ!」

「本当だ! 信じられない!」


 二人は、きゃっきゃ言いながらドアのイチゴを抜き取り、壁のクリームをつけて食べ始め、屋根の飴も少しずつはがして食べました。


「やあ、元気な子供たちだなぁ!」


 ドアを開けて現れたのは、一見、彼らと年の変わらない少年の姿をした者でしたが、よく見ると、浅黒い肌に黒いカーリーヘア、頭には二本のカーブした、ヒツジの角のようなものが生えていて、悪魔を思わせる尾も生えていました。

 左右の瞳は青と緑、人懐こい笑顔で、見た目は少年ですが、森に住む魔女でした。


「魔女っていうのは、女なんだよ」


 ケイン・ヘンゼルが魔女に向かって言いました。

 魔女は、仕方なさそうな顔になり、肩をすくめました。


「俺様だってそう思ったけど、『この森に住んでいるのは魔女だ』って、この国の王様が言うんだもん!」

「ふうん……」


 少し間があってから、魔女は、咳払いをしました。


「と、とにかく、俺様は、魔女っつうか、魔族なんだから、お前ら、もうちょっと驚いてもいいんじゃないの?」

「え? ああ、ごめんごめん」


 ケインが謝りました。


「それで、あんたは……ああ、魔女にしては若いから、ジュニアでいい?」


 そう、しれっと言ったマリスに、魔女は、目を丸くしました。


「え? 魔女って、年取ってんの?」

「たいていは、そういうものよ」

「ああ、そう……」

「それで、あんたは、何がしたいの? お菓子の家を、国の子供たちに食べてもらいたいの?」

「そうだよ。そうやっておびき寄せた子供たちと、仲良くなりたいんだ」

「な〜んだ、そうだったの!」

「そして、きみみたいな可愛い妹に、是非、『お兄ちゃん』って言ってもらいたいんだ!」


 一人で浮かれているジュニアを、ケインもマリスも無言で、少し、あわれみをこめた目で見つめました。

 それから、マリスが口を開きました。


「『お兄ちゃん』って言って欲しいなら、あたしの言うこと聞いてよ。お兄ちゃんていうのは、妹にやさしいものなのよ」

「へー!」


 真に受けたのか、ジュニアは、羊皮紙と羽ペンを取り出し、メモを取りました。


「まずは、なにかおいしいものが食べたいわ」

「よし! わかったぜー!」


 ジュニアは、二人を家の中に招き入れきました。

 両手を上にかかげ、魔法で、テーブルの上に、ぽんぽんと食べ物を並べていきます。


「うわ〜! すご〜い!」

「さあ、食べるといいよ!」


 ジュニアにすすめられ、感激したマリスとケインは、ばくばくと食べました。


「ほら、マリス、これも食べなよ」

「ありがとう、ケイン・ヘンゼルお兄ちゃん。あ、お兄ちゃんも、これ食べたら?」

「うん、ありがとう」


 二人の仲むつまじい姿に、「やっぱり、いいなぁ、兄妹って!」と感心したジュニアが、にこにこと見守っています。


 いつの間にか、外は夜になっていたので、ジュニアは、二人に泊まっていくよう言いました。


「ありがとう。それじゃあ、お休みなさ〜い」

「はっ! ちょ、ちょっと待って! 『お兄ちゃん』……は?」


 きょとんとしているマリスを、ジュニアが引き留めます。


「え? さっきから言ってるじゃないの」

「いや。今までの『お兄ちゃん』は、俺に向けて言ったんじゃなくて、全部、きみの実の兄に向けて言ってたんだよねぇ?」

「えっ? 『お兄ちゃん』って、自分が呼ばれたかったの?」

「そうだよっ! 俺様のことを、お兄ちゃんと呼べって意味だよっ!」

「なんだ、そうだったの。今日はもう遅いから、明日にして」

「え……あ、うん……」




 翌日。


「マラスキーノ・ティーが飲みたいわ」

「よし、わかった! 町に出て買って来てあげるよ!」


 ジュニアが出かけているその隙に、兄妹は、なんとか森から脱出を試みますが、どうしても、お菓子の家に、戻ってきてしまいます。


 ケインは、首を傾げました。

「きっと、結界が張ってあるに違いない」

「もう時間稼ぎも限界だわ。どうしたらいいのかしら……」

 マリスも考えます。


 そうこうしているうちに、とうとうジュニアが我慢し切れず、「お兄ちゃんと呼べ!」と、マリスを脅迫するようになりました。


 ある時、ベッドでマリスが目を覚ますと、ケインの姿がありません。


「お兄ちゃんはどこ?」


 ジュニアは、途端に意地悪そうに笑いました。


「はっはっはっ! お前のお兄ちゃんは、家畜小屋に閉じ込めてやったぜ!」

「なんで、そんなひどいことするの!?」


 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、威張ってジュニアは言いました。


「今日から、お前の兄ちゃんは、この俺様だ! 俺様のことを、お兄ちゃんと呼ぶんだ!」

「……あんた、本気だったの?」

「当たり前だ! お前は、俺様の妹になるんだ。だから、俺様を『お兄ちゃん』と呼べ!」


 ジュニアは、マリスの腕をつかみました。


「いや〜! お兄ちゃん!」

「だから、俺に言えっての!」


 その時です。 


 外から破壊音が聞こえると、いきなりドアが開きました。


「妹はどこだ!?」


 ケインが、家畜小屋をぶち壊して、戻って来たのでした。


「お兄ちゃん! 無事で良かった!」

「マリスこそ、大丈夫だったか?」


 兄と妹は抱き合って、再会を喜びました。


 翌朝、マリスが起きると、またしてもケインの姿がありません。


「今度は、鉄格子の牢屋に入れてやった。もうぶち壊せないぞ」


 ジュニアが、勝ち誇ったように、反っくり返って笑っています。

 血相を抱えて、マリスが玄関のドアまで走っていきましたが、ドアは開けることが出来ません。


「いや〜! ケイン・ヘンゼルお兄ちゃん!」

「観念して、俺様を、『お兄ちゃん』と呼べ」

「お、おにい……」


 ジュニアに振り返り、マリスが、泣きそうになりながら、続きを言おうとした時です。


 バタン! と、ドアが開きました。


「妹はどこだ!? あ、いた! マリス・グレーテル、そんなヤツを、お兄ちゃんなんて呼ぶな! 俺はここだ!」


「お兄ちゃーん!」


 兄と妹は、しっかりと抱き合いました。


「うう〜、なんだか、ますます仲が良くなっていくぞ、あの兄妹〜!」


 ジュニアは、ますます悔しくなりました。


 その翌朝も、マリスが起きると、ケインの姿はありません。


「お兄ちゃんを、どこへやったのよ!?」


 ジュニアは、不敵な笑いを浮かべています。


「ふっふっふっ、鎖でぐるぐる巻きにして、裏山の岩に、くくり付けてやったぜ!」


 マリスは、わなわなと拳をふるわせました。


「寝ている間に、卑怯だわ!」

「なんとでも言うがいい! 俺様は、『お兄ちゃん』と呼ばれるためには、手段を選ばない!」

「なんてヤツなの!?」


 にらみつけるマリスを、ジュニアは見下して笑っています。


 ガチャッ!

 いきなりドアが開くと、ケインが現れました。


「妹を返せ!」

「貴様! どうやって抜け出せた!?」


 ジュニアは心底びっくりしたのか、わめきながら後ずさりました。


「お兄ちゃーん!」


 マリスが駆け寄り、兄妹は抱き合い、無事を喜び合いました。


 またしても、失敗したジュニアは、何を思ったか、ケインを持ち上げると、そのまま走り出し、森の湖に投げ入れました。


「きゃああっ! なにするのよ! 悪魔ー!」


 追いかけてきたマリスが、岸辺で跪きました。


「ははははは! これで、お前の兄は、もういない! 観念して、俺様の妹となるのだー!」


 その時でした!


 湖から水しぶきが上がると、ケインが飛び出し、岸辺に着地しました!


「妹を返せ!」

「うわー!」


 びっくりしたジュニアは、尻餅をついてしまいました。


「おっ、お前、一体、何者!?」


「ただの『兄』だ! 妹を思う気持ちが、俺を強くするんだ!」


 妹を抱き寄せる神々しい彼の立ち姿に、目がくらんだジュニアは、すぐには立ち上がれませんでした。


「なんてヤツだ! こんなヤツ相手に、普通の手段は通用しない。ならば、最終手段だ。あの世にも恐ろしい地下室に……!」


 そう言うと、ジュニアは、お菓子の家の横から入って行ける地下室に、ケインを放り込みました。


 そこは、魔界のドラゴンがいるという地下迷宮だったのです!


「ひどいわ! あたしのお兄ちゃんを返して!」


 マリスが、ジュニアの手を引っ張り、必死に訴えます。


「だったら、俺様のことを、『お兄ちゃん』と、五回呼べ!」


 放心したように、マリスは呟きました。


「……お兄……ちゃん……」


「おっと、待て! やっぱり、『ジュニアお兄ちゃん』と呼べ。ヘンゼルのつもりかも知れないからな」


「ひどい! 悪魔! 魔族! うちのお兄ちゃんを返してよー!」


 マリスはとうとう泣き出し、ジュニアをぼかぼか叩き始めました。

 はっはっはっ! 可愛いもんだと、笑い飛ばしていた彼でしたが、思いの外、痛かったようです。


「ちょっと待って……いたい……!」


 マリスは泣きながら、今度は、ジュニアを蹴り倒し、背に馬乗りになって、頭を殴り続けました。


「い、いたい! やめて! ……い、いや、やめないで!」


 暴力はエスカレートしていく一方でしたが、うっすらと、ジュニアの表情は、歓喜に満ちていきました。


 そんな時でした。


 お菓子の家がバキバキバキッ! と、割れていくと、まるで火山が噴火したように、勢いよくドラゴンが飛び出してきたのです!


「妹はどこだ!? 妹を返せ!」


 ドラゴンには、ケイン・ヘンゼルが乗っていました。


「なっ、なんで? なんでなのー!?」


 ジュニアは叫びました。

 ドラゴンが地面に降り立つと、ケインが語り始めました。




 地下迷宮でひとり佇む兄のケインは、どうしたものかと、とりあえず、松明を手に入れて、階段を進んでいると、突然目の前が開け、そこには巨大なドラゴンがいました!


 黒いドラゴンは、悪魔のような翼を広げ、地下に響き渡る唸り声を上げ、敵意をむき出しにして、ケインを見下ろしています。


 松明の他、ケインが持っているものはありません。


 鋭い爪を生やしたドラゴンの足が、一歩進むだけで、地響きと風圧がおそいます。


 さすがに、ケインは、もうどうしようもないと、思いました。


 その時、彼の目の前に、小さな光が現れました。


 光は、人のてのひらほどの大きさにまでふくれると、小さな女の子の姿になりました。


「よ、妖精!?」


 ケインは、びっくりして、目の前の妖精を見ました。


「美少女妖精のミュミュだよー」


 ミュミュは、ケインを見てから、飛んで行って、ドラゴンに近付きました。


「この人は、勇者だよ」

 と、ドラゴンに言いました。




「ミュミュが教えてあげたら、ダーク・ドラゴンは、おとなしくなって、ケインの言うことを聞くようになったんだよー」


 ケインの肩には、小さな妖精の女の子が座っています。


 ぽかんと口を開けたまま話を聞いていたジュニアは、手を組んで、跪きました。


「参りました! お前らの兄妹愛には、まったくかなわないぜ! 家も壊れちゃったし、せめて、俺様を連れてって!」


 マリスは、しゃがんで、ジュニアの顔を覗き込みました。


「あたしを妹にするんじゃなくて、あんたが、あたしのペットになった方が、早いかも知れないわよ」


「そ、そうか! だったら……!」


 ぽん、と軽い煙に包まれたと思うと、ジュニアは、黒い小さなイヌに変身しました。


「きゃっ! かわいい! あたし、前からイヌが欲しかったの!」


 子犬になったジュニアは、マリスに、ぎゅーっと抱きしめられ、お兄ちゃんになるのは難しそうだから、もうこの際ペットでもいいや、と思いました。


 マリスは、子犬を抱っこして、ケインに見せました。


「お兄ちゃん、あたし、このイヌを飼うわ!」

「これって、あの悪魔か!?」

「ええ、そうよ。ね? これなら、飼ってもいいでしょう?」


 子犬のジュニアは、にこにこと、尻尾を振っています。


「ダメだよ、僕の飼ってる白猫がいるんだから、イヌは無理に決まってるだろ?」


「あ、そう言えば、そうね。ごめーん! やっぱり、ダメだったー!」


 がーん!

 マリスに殴られた時よりもショックの大きかったジュニアでした。


「ほら、帰るよ。ドラゴンで上空から見下ろせば、家の場所もわかるよ」

「ああ、そうね、お兄ちゃん」


 ケイン・ヘンゼルとマリス・グレーテルは、ミュミュと一緒にドラゴンに乗って、帰ってしまいました。

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