ヘンゼルとグレーテル

かがみ透

第1話 ニートな兄と働き者の妹編

 大きな森の近くに、貧しい木こりの夫婦と、二人の子供が住んでいました。

子供の一人は男の子でカイル・ヘンゼル、もう一人は女の子でクレア・グレーテルという名前でした。


 木こりの家は、普段から暮らしが楽ではありませんでしたが、ある年、このベアトリクス王国を大飢饉がおそい、思うように毎日のパンも手に入らないようになってしまったのです。

 木こりは、夜ベッドに入っても、どうしようか考えると夜も眠れず、何度も寝返りを打っては溜め息をつき、心配のあまり、隣で眠る妻に、相談しました。


「なあ、リリド、国中が、飢饉になっているというのは、本当みたいだな。俺が今まで庭で育ててきたポケポケ芋も全然育たなくなったし、肥料を変えてもダメだし、土地の質も、なんだか急に変わった気がするんだ。まるで、この国を、不幸がおそってきたかのようだ!」


 木こりのアッカスは、ベッドから起き上がり、机にしまってあった羊皮紙を持ってきました。


「見てくれ、これが、ポケポケ芋の栽培データだ。実験用に、俺が家の中で樽で栽培しているものは育つのに、それを庭に植えた途端に育たなくなってる」


「お前さん、そんな研究までしていたのかい?」


 妻のリリドは、目を丸くしました。


「樽で栽培していた最後の芋も、さっきみんなで食べてしまった。明日のパンも、もう少ししかない。子供達が可哀想だ。これから、どうやって食べさせてやったらいいんだ!」


 リリドも起き上がり、部屋の灯りのもれているリビングをのぞきます。

 息子のカイル・ヘンゼルは、長い美しい金髪と、整った容姿に育ちましたが、働いていません。

 娘のクレア・グレーテルは、幼い時から働き者です。洗い物を終え、椅子に腰かけて、一息ついているところです。こちらは、長く美しい黒髪の美少女に育ちました。


「なあ、クレア・グレーテル、これからはさぁ、俺のこと『お兄ちゃん』って、呼んでみて」


 クレアは、微笑んでカイルを見ました。


「はい、お兄さま」

「いやいや、『お兄さま』とまでは言わなくていいから、『お兄ちゃん』って」

「お兄ちゃん」


 そう呼ばれたカイルは急にデレデレとして、クレアの頬を、指で撫でました。


「もちもちしてる。かわいいっ!」

「やだ、お兄ちゃんたら!」


 こっそり見ていたリリドは、アッカスに向き直りました。


「あんな異常な兄妹、森ん中に捨ててこいよ!」

「お前、なんてことを言うんだ。そんなこと出来るわけないだろう?」

「だから、お前さんはダメなんだよ!」

「ええっ!?」


 リリドは怒ったように、ひるんだアッカスに向かって、まくし立てました。


「もう食料はないんだよ。あの子たちを捨てるしかないんだ! じゃないと、私たち四人とも飢え死にしちまうよ! あの子たちを捨てないなら、あんたが出来ることは、全員分の棺桶を作るくらいなものさ!」


「で、でも、……そんなの、いくらなんでも、子供たちが可哀想だよ」

「あっそ! じゃあ、明日一日、森で木を切りながら考えるんだね!」


 この話が丸聞こえだった兄妹は、急いで部屋に行きました。


「どうしよう。私たち、捨てられちゃうかも知れないのね」


 クレア・グレーテルは、今にも泣きそうに、カイル・ヘンゼルを見ました。


「大丈夫だ、クレア、泣くな。俺がなんとかするから。さ、もう寝るんだ」


 珍しく真面目な顔でカイルがそう言うので、クレアは少し安心したようにベッドに入りました。

 カイルは上着を着て、裏のくぐり戸を押し開け、音を立てないようにして外に出て、しばらくしてから戻ると、何事もなかったように眠りました。


 夜が明け始め、まだ日が昇らないうちに、リリドが二人を起こしました。


「起きるんだよ、怠け者ども! たきぎを取りにいくんだよ!」


 といって、パンを一つずつ渡します。


「お昼になる前に食べちゃだめだよ。今日の食べ物は、これっきりなんだからね」


 四人そろって森に入ります。

 少し歩くと、カイル・ヘンゼルは立ち止まり、後ろを振り向いて、家の方を眺めました。

 歩くたびに同じことを繰り返すので、お父さんのアッカスが聞きました。


「カイル、どうして、立ち止まっては振り返ってるんだ?」


「俺の白い子猫を見てたんだよ。屋根の上に座って、俺たちに、さよならを言ってるんだ」


 アッカスは、はっとしてから、同情したようにカイルを見ましたが、何も言いませんでした。


「なにを寝ぼけたことを言ってるんだい? あれは、お前の白猫なんかじゃないよ。朝日が煙突に当たってるだけだよ。ほら、さっさと歩くんだよ」


 イライラと、リリドお母さんが言いました。


 それから、森の奥へ入ると、寒くならないようにと、お父さんは小枝に火をつけました。

 リリドは、腰に手を当てて言いました。


「お前たちは、火にあたって休んでいなさい。お父さんと私は、もっとずっと奥に入って木を切っているから」


 兄妹は、火のそばに腰を下ろし、お昼になると、それぞれ自分のパンを食べました。

 斧で木を切る音がずっと聞こえていたので、二人は、お父さんが近くにいるものだと思っていたのですが、それは、お母さんがつるした枝が、風でゆれて、あちこちにぶつかる音だったのです。


 二人は、長い間座っているうちに、眠ってしまいました。

 ようやく目を覚ました時には、あたりは真っ暗になっていました。


「どうしよう? お父さんもお母さんも、先に帰ってしまったに違いないわ」


 クレアが泣きそうになりました。

 カイルが、妹の肩に手を置いていいました。


「大丈夫。もう少し待てば月が出る。そうしたら、帰り道がわかるぜ」


 カイル・ヘンゼルの言う通り、月がのぼると、地面に、白く光るものが点々と落ちているのが見えました。

 前の晩に、カイルがこっそり拾っておいた白い石でした。石は、月の光をうけて、銀貨のようにかがやき、二人に帰り道を教えてくれました。


 二人は一晩中歩き続け、夜が明ける頃になって、やっと家にたどり着きました。

 アッカスは、ずっと二人を心配していたので、二人が帰ってきてくれて、とても喜びましたが、リリドは、気に入らないような顔をしています。


「こんな時間まで寝てたのかい? とんでもない子たちだねぇ! 家に帰ってきたくないんだと思ってたよ。帰ってきたからには、働いてもらうからね!」


 翌日から、カイルは、アッカスと一緒にポケポケ芋の収穫を手伝いましたが、小さい芋がいくつか採れただけでした。

 それから何日かして、またしても食べ物が底をつき、庭には、貧乏草しか生えなくなってしまいました。


「今度こそ、食べる物がなくなってしまったよ。パンも、もう残り半分もないわ」


 それなら、最後のパンを皆で分けようと、アッカスが言いましたが、リリドは聞き入れません。


 アッカスは、なんとか、もう一度、ポケポケ芋の栽培を試すと言い、翌日は、リリドが子供たちを連れて、森に行きました。

 前に行った時よりも、もっと奥深く入っていきます。


 前の晩、くぐり戸の近くにはリリドがいて見張っていたので、カイルは小石を拾いに行くことが出来ませんでした。


 代わりに、お昼に食べるようもらった最後のパンを、少しずつちぎって、目印にするため、道に落としていきました。

 森の奥深くまで入ったところで、たき火をして、リリドが言いました。


「私は、枯れ枝を集めてくるから、あんたたちは、そこで大人しく、座って待ってなさい」


 お昼になると、クレア・グレーテルは自分のパンを、カイル・ヘンゼルにも分けて、二人で食べました。


 いつの間にか眠っていた二人は、夕方を過ぎ、真っ暗になってから、ようやく目を覚ましました。

 月がのぼってから、帰り道を探そうとすると、カイルのまいたパンのかけらが見つかりません。


「しまった! どうやら、森のトリたちが、パンを食っちゃったらしい!」

「えっ!」


 途方に暮れた二人は、朝から晩まで歩いていましたが、森の外には出られません。

 その日、口に入れたのは、野いちごのような実を少しだけ、でした。

 おなかは空き、とても疲れて、立っていることも出来なくなり、木の下で眠りました。


 家を出てから三日目の朝です。

 雪のように白い小鳥が一羽、木の枝に止まっているのを見付け、その小鳥の上手な歌に誘われるようにして、二人は付いて行きました。


 森が開けたところに出ると、そこには、お菓子で出来た家があったのです!

 二人は、夢かと思いました。


 茶色いドアはチョコレート、窓は透き通った砂糖菓子、屋根は卵で作った焼き菓子で出来ています。他にも、練った飴や、ふわふわの綿のような菓子も、壁や地面を飾っていました。


 あまりにおなかが空いていた二人は、迷うことなく、お菓子をはがし、食べ始めました。


 夢中でかじりついていると、ドアが開き、たいへん年を取ったおばあさんが、杖をつき、ゆっくりと出て来ました。

 カイル・ヘンゼルとクレア・グレーテルは、びっくりして、手に持っていた食べ物を落としてしまいました。


「こわがらなくていいんだよ。二人とも、おなかが空いているのかい? ここで、しばらく休んでいくといいよ」


 やさしそうなおばあさんは、二人を家の中に入れました。

 テーブルの上には、まるで、彼らが来ることがわかっていたかのように、ごちそうが並んでいます!

 ミルクと砂糖をかけた卵菓子、りんごやくるみもあります。


 食事が終わると、きれいな二つのベッドに、白いシーツがかけられていて、二人の兄妹は、夢のようだと話しながら、ぐっすり眠ってしまいました。


 翌朝、おばあさんは、クレア・グレーテルのベッドの横にやってきました。


「起きるんだよ、このぐうたら娘! 外で水をくんで来るんだ。お前の兄ちゃんのために、美味しい物を作ってやるんだよ!」


 母親に怒られたのかと思って、驚いて飛び起きたクレアは、はっとしました。

 ベッドの横に立っていた夕べの親切なおばあさんが、赤い眼を光らせた、おそろしい魔女の姿に変わっていて、思わず悲鳴を上げそうになりました。

 さらに、隣のベッドで寝ていたはずのカイル・ヘンゼルがいないことにも気付きました。


「お兄ちゃんは、どこなの?」

「外の家畜小屋に閉じ込めてやったのさ。丸々と太らせてから、この私が食ってやるためにね!」

「なんてことを……!」


 クレアは魔女にこき使われ、ひたすら食事を作らされました。


「ほら、カイル・ヘンゼル、食事だよ。今日はロブスターだよ。残さず食べるんだよ」


 おばあさんは、家畜小屋の小窓から豪勢な食事を渡しましたが、それを作っているクレアには、ザリガニの殻しか与えませんでした。


 その晩、クレアは、しくしく泣いていました。

 魔女が怖くて食事を作ってはいますが、言うことを聞けば聞くほど、兄は太らされ、魔女に食べられてしまう日も近付いていくのです。

 ですが、魔女におどされているクレアには、従うしかありませんでした。

 そう思うと悲しくて悲しくて、泣いていたのです。


 いきなり、扉がパタンと開きました。


「よお、クレア!」


 そこには、兄のカイルが立っていました。


「お兄ちゃん!? ど、どうやってここへ……!?」


 カイルは、『シーフ』の能力があったので、小屋にかけられた鍵など、簡単に外すことが出来たのです。


「おなかすいてないか?」


 カイルが隠し持ってきたのは、クレアの作ったロブスターの蒸し焼きでした。


「半分取っておいたんだ。美味かったぜ!」


「お兄ちゃん……!」


「さ、早く食べな」


「それよりも、お兄ちゃん、魔女は、お兄ちゃんにたくさん食べさせて、太らせてから、お兄ちゃんのことを食べてしまおうとしているの。このままでは、お兄ちゃんが食べられてしまうわ。早く逃げないと!」


「心配するな。俺に考えがある」


 家に帰っても、食料はありません。

 なので、カイルが言うには、しばらくは、このままここにいよう、と。

 王国は飢饉だというのに、魔女の家では、いつでもロブスターが手に入るのです。


 それから毎晩、カイルは、クレアの作った食事を半分取っておき、夜になると小屋を抜け出して、クレアに食べさせました。

 クレアは、魔女にガミガミ言われて掃除などもさせられていましたが、そのうち、魔女は目が相当に悪いことがわかりました。それも、カイルに伝えました。


「そろそろ、太ってきた頃かね」


 魔女は、ウキウキと家畜小屋にやってきました。


「カイル、指を出してごらん」


 小屋の小窓から、カイルは、何かの骨を出しました。


「なんだい、まだガリガリじゃないか! まだまだ食べ頃にはほど遠いね!」


 がっかりした魔女は、すぐにロブスターを大量に仕入れ、クレアにもおかずの皿を増やすよう言いました。


「なんか、ロブスターにも飽きてきたなぁ」


 ある晩、いつものように、半分食事を持って来たカイルが、あくびをしてから、クレアに言いました。


「クレアは大丈夫か? 魔女に嫌なこと言われてないか?」


「私は大丈夫。なんだか、いつもお母さんに言われてるようなことを言われているだけだから」


「偉いな、クレアは」


 カイルは、クレアの頭をなでました。


「魔女のヤツも、そろそろ痺れを切らす頃かも知れねぇ。明日の夜には、脱出するか」


「ええ、わかったわ」


 翌朝、魔女が小屋にいき、カイルの指がまだ骨のようだと知ると、家の中に戻ってから、怒って叫びました。


「もう我慢出来ない! 痩せてても構わない! あいつを食ってやる! クレア! 鍋に水をくんで火にかけな!」


 クレアは支度をしながら、どうしよう、と焦りました。

 カイルと逃げ出すのは、今夜の予定でしたが間に合いません。

 泣き出しそうになりながら、頭の中で、どうやってカイルに知らせるかを考えていると、魔女が言いました。


「お湯が沸く間に、パンを焼こうかねぇ。オーブンは温めてあるし、パン生地も、もうこねておいたんだよ」


 魔女は、普段よりも、どこかやさしい口調のように、クレアには思えました。


「さあ、お前は、オーブンが、パンを入れてもいいくらいにあたたまったかどうかを、見るんだよ」


 クレア・グレーテルは、魔女の魂胆を見抜きました。きっと、魔女は、クレアとカイルを一緒にオーブンで焼いて食べるつもりなのだ、と。


「おばあさん、私、どうやってこの中に入るのか、わからないわ」


「おやおや! そんなことも知らないのかい?」


 バカにするように笑うと、魔女が、人が入れるほどの大きな、オーブンの扉を開けました。


「ここから入って奥に進んで……」


 その時です!


 クレアは、魔女の背中を思いっ切り突き飛ばしました。


 魔女が、転がり込むようにして、中に入ってしまうと、クレアは、急いで、重いオーブンの扉を閉めました。


 ——が!


 がしっ! と、中から、しわだらけの魔女の手が、扉を押し開けてきたのです!


「おのれ……! この私をハメるとは、良い度胸じゃないか!」


「きゃあっ!」


 魔女の力は強く、クレアには重過ぎる扉は押し戻されてしまい、今にも魔女が出て来ようという時でした!


 ガツッ!


 『シーフ』の能力で小屋を脱出してきたカイルが駆けつけ、扉を蹴ったので、魔女は勢いで、オーブンの奥に吹っ飛んでしまいました。

 扉を閉めると同時に、カイルが、すぐさま鍵をかけました。


「なっ? これでもう安全だぜ」


 中からは、凄まじい断末魔の叫び声が響き渡ります。


「お兄ちゃん!」

「妹!」


 クレアが飛びつき、カイルと抱き合いました。


「これで、やっと帰れるわね!」

「いや、まだだ」

「えっ?」


 カイルは笑顔でクレアの手を引っ張ると、魔女の家の他の部屋を探索します。

 そして、あちこちの部屋にあった宝石を見付けると、ポケットに詰めるだけ詰め込み、部屋にあった布袋にも詰め込み、袋を背負いました。




「アッカス父さん! 帰ったぜ!」


 家の扉を勢いよく開け、兄妹は、中にいた父親に飛びつきました。

 アッカスは、信じられない顔をしていましたが、やがて、嬉しさに涙ぐみながら、二人を抱きしめました。


「お、お前たち……! 今まで、どこに?」


「森にいたの」


「なんだって?」


「リリド母さんに連れられて森に行ったきり、魔女に捕まって、抜け出せなかったの」


「なんてことだ! よく無事で……!」


 アッカスが再び二人を抱え込みました。


「そういえば、母さんは?」


 カイルが部屋を見回しますが、リリドは、いっこうに出て来る気配がありません。


「母さんは、お前たちと一緒にいなくなったきりだ。ポケポケ芋の研究をしている間に、みんないなくなっちゃって、気が付いたら、父さん一人で、ずっとさびしかったんだよ! だけど、ポケポケ芋の方は、畑で順調に育ってるんだ。芋だけじゃなく、他の根菜も育つようになったんだ!」


「すげえ! 良かったぜ! 俺たちも、魔女のお菓子の家から、こんなもん持って来たんだぜ!」


 カイルは袋の中の宝石を見せて、これまでのいきさつを話しました。


「魔女だって!? あの森には、魔女が住んでいたのか!」


「そうなんだよ! それが、ちょっと母さんと話し方が似てて……あれ? そう言えば、声とか、喋り方も、似てたような……えっ……ま、まさか……!?」


 カイルは、そこまで話すと、口を噤み、さーっと青ざめました。


「そう言えば、私たち、名乗ってないのに、魔女は名前を知っていたわ……!」


 クレアもアッカスも、青くなっていきました。


 それ以来、大飢饉は、なんとなく落ち着きましたが、相変わらず、三人のところに、リリドお母さんは帰ってきませんでした。

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