桔梗×竹刀=最強!?
青空
桔梗×竹刀=最強!?
―桔梗が一本。道端にひっそりと生えていた。薄青色の花弁が空を跳ね返す。娘はそれを見つけて歩み寄り、花弁を一つ手に取って口に含む。
安曇剣道場は県有数の強豪で、稽古は週に三日。生徒数は三十人弱で、小学生から高校生まで幅広い年齢の子供たちいる。
谷藤要輔はそこの生徒。小学一年生から中学二年生の今までずっと通っている。もっとも、最近は月一回のペースで稽古をさぼっているのだが。
原因は単純だ。自分より遅く始めた同級生の力津翔馬が先に一級に合格した。
要輔はそれが気に食わなかった。要輔自身、運動が得意ではなく、ずっとやってきた剣道だけが唯一得意と自負できるものだった。事実、同学年では負けなし、上級生ともよく競っていた。強い方だった。
それなのに、翔馬の方が強かった。翔馬と一度試合をしてすぐにわかった。翔馬には天賦の才があった。打ち込みも飛び込みも、小手も何もかも。
へらへら笑っているくせに、集中したときの気迫がすごい。ごつく大きな体で面!と叫ぶ声を聴くと要輔は畏縮してしまう。
つい、先日、県内の合同大会が行われた時もそうだった。要輔は翔馬と戦っていたわけではないのだが、翔馬と隣り合わせの試合場だった。始め、の合図で聞こえてくる翔馬の声に気を取られ、いつもは絶対に負けるはずのない相手に負けた。
それから要輔は、稽古に身が入らなくて、でも、やめるには勇気がなくてずるずるときてしまった。
要輔は打ち込みや、面!と叫ぶ声に罪悪感を抱えながら、道場の横を通り過ぎた。本当は道場のそばを通らずに帰宅したいのだが道場は家から近いのを理由に選んだから、避けられない。
要輔が重い足取りで歩いていると、空き地によくいるノラネコが寄ってきた。空き地でネコに餌をやることは禁止されているが、要輔は偶にお弁当の残ったおかずをやっていた。
今日もしゃがみこんでお弁当のふたを開けた。ノラネコが二、三匹寄ってくる。要輔が中身を与えていると奥からもう一匹、見慣れない白くやせ細ったネコが恐る恐るやってきた。
「おかず、そんないっぱいないからな。欲しいんだったらもっと早く来いよ、チビ」
もちろん、ネコからの返事はない。要輔は少し恥ずかしくなって、カバンをごそごそとまさぐった。
確か、母さんが入れてくれた菓子パンがあるはず…。
要輔はカバンからペッちゃんこになったあんパンを取り出すと少しちぎって白ネコの前に差し出した。ネコは匂いをクンクンと嗅いだ後、ぱくっと口にくわえた。
「それ、お前にやるのもったいないな。俺、食ってないし」
要輔はそう言いながら、自分もぱくっとかじりついた。
「最近の若い者はじじくさいのー。他にすることはないのか」
白ネコが一瞬、口を開いてそう言った。少なくとも、要輔にはそう言っていたように思えた。小さい口から牙とザラザラの舌を覗かして。
「なあ、もしかして、お前、しゃべったりした?」
そんなはずはない、とわかっていても要輔はネコ相手にそう聞かずにいられなかった。否定するにはリアルすぎた。
「おや、聞こえるのか。おぬし。畜生の姿のわしと会話できるとはの。現代っ子も捨てたもんじゃないの」
「喋ってる…?いや、違う?」
要輔にはネコの声がなにかノイズ交じりに聞こえていた。
「そうじゃの。正確に言えば、鳴いておる。にゃー、にゃーとな。言葉に聞こえるのはおぬしだけじゃぞ」
要輔はネコの言葉に注意を払わずにノイズの方を集中的に聞いてみた。すると、ネコは途端にただ、ニャーニャーと鳴くネコに戻ってしまった。
「どっちなんだよ、おい」
「わらわにおい、とは。まあ。通じるとわかれば別じゃの。しばし、姿を変えるか。おい、おぬし。そのあんパンをよこせ」
白ネコは要輔が渡す前にあんパンを奪い、一口で飲み込んだ。くちゃくちゃと言う咀嚼音の後、ネコのいた場所には一人の子供が立っていた。
「この姿じゃったら、少しは話しやすいじゃろ?」
ネコと同じ、少し低い声を出して子供は笑った。子供は白いシャツに釣り半ズボンと言う姿で、いいとこの坊ちゃんの出で立ちだった。
「なんで、俺のあんパン食うんだよ!」
「まず、それか。この姿になるにはちと、精力が足りんくての。今でいうえねるぎー源というのになってもらった」
「俺のエネルギーがねえよ!」
「必要なんじゃったら、さっさと食えばよかったのじゃ。それをうだうだと。一口なんてわらわの口より小さかったぞ。食べにくい理由でもあったのか?」
要輔は言葉に詰まった。
「別に…。母さんが勝手に入れただけだし」
「ほう。まあよいが。それより、おぬしが持っているそれは、なんじゃ?」
子供が指さしたのは要輔が肩に下げていた筒状の長いカバン。その中には要輔の竹刀が入っていた。
稽古をさぼっていることを要輔は母親に伝えていなかった。だから、稽古の後お腹空いた時用のあんパンが入っていたり、カモフラージュのために竹刀や道着を持っていたりしていたのだ。
要輔は痛いところをつかれて、子供っぽくそっぽを向く。
「わらわの予想があっておれば…」
子供はそう言って要輔がそっぽを向いた隙に肩から引きずりおろしてふたを開ける。
「なにすんだよ、このチビ!」
「何を言うか。わらわが何年生きていると思う。おぬしの祖父母よりも年上じゃぞ」
「だから、口調がチビのくせに年より臭いのか、ばーか!」
「おぬし、年寄は無条件に敬うものじゃぞ。…、うむ。いいな。これなら代わりの依代にぴったりじゃ。おぬしはこれを何年ぐらい使っておる?」
「話そらしたな、ばあちゃん!」
「ええから、答えろ。若造」
「消耗品だからな、竹刀なんて。大体、一年もしないで取り替えてるよ」
子供は竹刀をじっくりと念入りに見る。上から下まで目を移し、つばの部分で目を止めた。
「これは、何年ぐらいじゃ?」
「それは…、たぶん四年くらい?正確なところはわからない」
そのつばは、要輔が小学生の時にどこかの大会の景品として貰ったものだった。桔梗柄のそれはいささかかわいすぎでもあったが、目立つので程々に重宝していた。
「何とも、偶然。桔梗柄とは。よし、決めたぞ」
要輔が軽い悪寒を感じた時、子供の姿は今度もいつのまにか消えていた。
「どこいった、ばあちゃん!」
要輔が人目を気にせず叫んでいると、地面に落ちた竹刀からあの低い声が聞こえた。
「しばらく、借りるぞ。思ったより気に入った」
「はあ?」
要輔が竹刀を拾い上げると、弦の部分がまるで口のように動いていた。
気持ち悪い…。要輔はその部分を見ないようにして、さっと竹刀をしまう。
「何してくれるんじゃ、息がし辛いことこの上ないぞ!」
「え、お前、息するの?竹刀なのに?」
「気分じゃ、気分!本に、最近の若造は口が減らん。だいたい、わらわをお前呼びとは!」
「いちいちうっせえ。ばあちゃん。じゃあ、ばあちゃんなら満足か!この若作り!」
「ふ、よくぞ聞いてくれた。わらわの名は桔梗。天下分け目の頃に作られた」
「誰も、聞いてねえ!」
要輔が声を上げた時、通りは夕飯の買い物客でにぎわっており。きっと、親子連れがいたらしっ!見ちゃいけません!の図が出来上がっていただろう。
要輔はいたたまれなくなって、家へ急いだ。
家に着いてから要輔は自分の部屋に引っ込んだ。後ろめたいのと、主に竹刀から響く声のせいで。
「うるせえ!お前、人に聞こえないなら最初からそう言え!」
「似たようなことは言うたぞ?ちゃんと聞いてないおぬしが悪い」
「これ、俺が悪いの?」
「ああそうだ。わらわは悪くない」
桔梗が話す度に弦の部分が開いたり、閉じたりする。その様は奇妙で何より気色悪い。
「なあ、お前。とりあえず俺の竹刀から出ろよ。弦が伸びて痛みそうだ。気持ち悪いし」
「安心せい。こうやって弦が閉じたり開いたりして見えるのもわらわがおぬしのために配慮してやってのことじゃからな。実際には動いておらん」
「そうじゃねえ!そこじゃない、というか、そんな配慮いらない」
「そうか?」
要輔には竹刀が首をかしげたように見えた。
「で、おぬしは何が言いたい」
「まず、竹刀から出ろ。それで、お前はなんだ?」
「最初のは無理な相談じゃの。わらわに十分な力が戻るまでここにいさせてもらう。それで、次じゃが…。おぬしは付喪神と言うのは知っておるか?」
要輔が首を振ったので、桔梗は付喪神について詳しく語った。
付喪神と言うのは、ものが一定年数以上たった時に生まれるものの神様みたいな存在でそのものとともにさまざまな人間と関わっていく。生まれてからの年月が経てば経つほどその付喪神は力を持つといわれている。
「わらわは天下分け目の戦いの折に、初陣の若様のために作られた護身用の長脇差であった。その家の家紋が桔梗であったため、わらわは桔梗と名づけられた」
「え、ちょっと待って。お前、本当にすっげえおばあちゃんじゃん」
「じゃから、さっきからそう言っておるじゃろう。かれこれ四百年ぐらい生きておるぞ」
「まじか。四百年…」
想像を絶する長い年月。人では有り得ない歳月に改めて桔梗がこの世のものではないと実感する要輔。
「お前、化け物じゃん…」
「化け物と言うな、化け物と。これでもれっきとした神様じゃぞ。八百万の神というじゃろ、その一種じゃ。しかも、刀剣じゃ、刀剣。今、流行っておるのじゃろ?」
「それは知らないけど。だったら、お前が憑いてる刀剣ってどこにあるんだ?」
「さあ。わらわにもわからん。壊れたのではないかの?」
「それって、大丈夫なのか?付喪神ってよくわかんねえけど、物に憑くもんなんだろ?その物が壊れたのになんでお前は生きてる?って言ったら変かもしれねえけど…」
「おぬしが言いたいこともわかるぞ。だが、ともかくわらわは依代を離れても生きていける。まあ、力は弱まるがな。でも、こうやって付喪神の憑かない竹刀とか刀に憑けばわらわの力は回復するしの。わらわは特別な付喪神ってことでいいのではないのか?」
桔梗は何でもない風にアバウトな説明を要輔にする。要輔もそんなものかと思い、それ以上は突っ込まなかった。すると、階下から要輔の母親の声が聞こえてきた。
「要輔、いつまで上にいるの。ご飯だって言ってるでしょ!」
「わかっってるよ!今行く!」
母親の呼びかけにイライラと返事をする要輔。下に降りようとドアを開くと桔梗が不意に笑う。
「おぬしがわらわを本気で追い出したいんなら、これから毎日、素振り二百本と稽古に本気で打ち込むってとこじゃの。そのぐらいしてくれたらわらわも回復するわ」
「はあ?二百本?百本じゃなくて?」
「できるじゃろ。おぬし、もう十五じゃろ?わらわのころでは十五と言うたら立派な大人じゃからの」
「今じゃまだ義務教育で子供の分類なんだよ、俺は!」
要輔はがたんと音を立てて部屋を出て行く。桔梗はそんな要輔を楽しそうに見つめていた。
「面白いやつよ。からかいがある」
桔梗は自分一人になった部屋でそうつぶやいた。
桔梗にとって要輔は数百年ぶりに現れた自分を認知し、話しかけてくれる人だった。数百年前に現れた人物は、桔梗が慕った持ち主。
「主様…、なぜ、わらわを連れていって下さらなかったのでしょうか」
ぽつりとつぶやく声は誰に聞こえるともなく、暗い部屋の中に消えていった。
―桔梗の花びらを口にした娘はやがて光に包まれとけて消えていく。娘がいたところに残るは一本の刀。刀はかたんと地面に倒れこんだ。
要輔が晩御飯を食べ終え、部屋に戻るとさっきまでの喧騒はどこへやら。真っ暗な空間が広がっていた。要輔は訝しがりながらも竹刀へ歩み寄る。竹刀はやはり、ただの竹刀でさっきまでのように口を聞くことはなかった。
夢だったんだ…。なんか変な夢をきっと見ていたんだ。要輔はそう無理やり納得すると、竹刀をしまいベッドに横になる。
すると、ざっざっと足を引きずり、草履で歩く音が聞こえた。ここは家の中である。要輔は変だと思って要輔が耳を澄ませると今度はシクシクと泣き声が聞こえてきた。
「私はいらない子なんかじゃないよね…」
泣き声に混じって少女の高い声。要輔は思わずベッドから起き上がり辺りを見回す。竹刀を置いた方にぽうっと光が浮かび、目を凝らすと少女が現れた。
要輔が電気をつけるとその光は消え、いつもの部屋がそこにあるだけだった。
「もしかして…、お化け?それともあのおばあちゃんが俺を驚かすためにやった悪趣味なおふざけか…?」
「なんじゃ、眩しいぞ。せっかく寝ておったのに。おぬし、ちゃんと素振りはやったのか?」
「お前、今何やったんだよ!びっくりしただろう!」
要輔は現実だったことに一瞬絶望し、竹刀につかみかかった。
「わらわは寝ておっただけじゃぞ」
「嘘つけ、お前しかいねえだろうが。こんなことできるの」
要輔は今あった一部始終を桔梗に説明した。桔梗は興味なさげに、要輔の話に相槌を打つ。
「おばけでもみたんじゃろ。そんなことでいちいちぐだぐだ言うな、見苦しい。ほれ、体を動かせばお化けも寄ってこなくなるじゃろ、素振りせい」
竹刀の姿で桔梗が馬鹿にしたように言う。要輔にとったら腹が立ってしょうがないが、投げつけるわけにもいかない。結局、要輔は桔梗の言いつけ通り素振りをするしかないのだ。要輔はせめてもの腹いせに思いっ切り振り下ろすも、桔梗本人は既に眠ってしまって何も意味がないのが虚しい。
素振りを二百本、要輔が律儀に終わらせて眠る頃にはもうくたくたで何も考えられず、ベッドに倒れこんだ。
次の日。学校に行き、退屈な授業を受け、放課後になったころ。要輔は憂鬱でしょうがなかった。昨日、さぼった分今日は稽古に出なくてはいけない。ただ、理由はそれだけではなく。
「早く行くぞ。わらわは久しぶりの稽古で楽しみで仕方ないのじゃ」
竹刀の中でのりのりの桔梗。要輔はこの中にいる桔梗の声が自分にしか聞こえないという事実にうんざりしてきた。
「おい、お前。少しは大人しくしてくれ」
「わらわがいつ騒がしかったかの?」
「今日、一日中だ」
桔梗は何が楽しいのか、道場についてからもテンションが高く、その度に弦がふるふると揺れるのだからたまったもんじゃなかった。
要輔は師範に挨拶をしてからアップをする。普段のアップに含めて桔梗に言われた素振り二百本もしっかり取り入れる。
今日は、力津のやついないんだな…。要輔は道場を見渡してあの大きい影が見えないことに安堵する。アップが終わるとすぐに防具をつけ、面うちや小手、などの基礎稽古を始める。
「ほー。最近の武具はこうなっておるのか。随分、しっかりしとるの」
竹刀から声がするので打ちにくいことこの上ない。桔梗は散々騒ぎ、試合形式の稽古が始まるとテンションは最高潮に達した。
要輔も桔梗の相手をするのは止め、目の前の一本に集中する。相手は高校生。体格差も大きい。じりじりとお互いに歩み寄り出方をうかがう。
つばぜり合いを繰り返し、相手が動いた。
「来るぞ、面うちじゃ」
桔梗が言った瞬間、相手の竹刀を面に受けた。パシンと鳴った後、審判の旗があがる。
「一本!」
桔梗の言ったことがぴたりと当たった。要輔は信じられない気持ちで構えなおす。
「ほれ、みたことか。次は…。飛び込んでくるぞ。胴打ってみい」
パシン。今度は要輔の胴が決まる。綺麗にぬけ、相手に向かう。残り一本。
「飛び込むでないぞ。おぬしは相手が動いてからでも遅くない」
幾度かのつばぜり合いの後、しびれを切らしたのは相手の方が早かった。素早く、竹刀を動かし…。
「ほれ、今じゃ」
要輔は桔梗の声を合図に相手の小手をかわし、面うちした。綺麗に一本が決まる。
礼をし、双方とも下がる。要輔は面を取って桔梗に小声で話しかけた。
「おい、なんでお前。相手が何してくんのかわかんだよ」
「勘じゃ。それと足。足の動きに反応出来れば大抵の攻撃はかわせる」
桔梗の指示はこの後も的確だった。要輔は持ち前の反射神経を活かし、相手を倒していく。高校生相手に小さい要輔が勝利を収めていく姿は圧巻だった。要輔自身も自分の身軽さがこうも役に立つことに驚いている。
結果、要輔は全勝。有り得ないまでの強さに、師範は驚きながらも褒めてくれた。
家に帰り、部屋に入ってから要輔は桔梗を取り出した。
「お前、なんなんだ?」
「わらわは付喪神じゃぞ?」
「刀の付喪神ってのは相手の攻撃までも読めるのか?」
「いやー。これは慣れじゃ、慣れ。主様がようやってての。わらわもその稽古に付き合っておったんじゃ」
「主様?そいつは真剣で稽古してたのか?」
「主様をそいつ呼ばわりとは。まったく。真剣で稽古なんぞするわけなかろう。そんなことしたら幾ら丈夫な剣であってもすぐに刃こぼれしてしまう。竹刀じゃよ、竹刀。今と同じようにわらわは竹刀の中に入っておったのじゃ。主様はお強くての、おぬしなどへでもないわ」
「うるせえ。昔の剣振り回してた侍と一緒にするな」
要輔はむくれる。自分が弱いと言われるのは、これまでの稽古を否定されている気がして好きじゃないのだ。
「俺だって、もっと強くなりてえよ…」
要輔がそうつぶやいたのを桔梗は聞いてしまった。要輔は自分が何か言ったことにすら気づいていないようだった。
「強くなる、の。おぬしは、なぜ強さを求めるのじゃ?どんな強さが欲しい?」
要輔はすぐに今日の稽古でのことを思い浮かべた。あんな風に相手の懐に入り、動きを読んで勝つ。自分の小さい体を存分に使った戦い方。それで、要輔は力津翔馬に勝ちたい。
「今日みたいな強さが俺は欲しい」
「ふむ。それはわらわの力が欲しいということでよいかの?」
要輔は頷く。
「ならば、わらわと取引をしようではないか」
桔梗がにやりと笑った。竹刀の中に入っているのでわかりにくいが桔梗はあきらかにこの状況を楽しんでいる。
「取引…?」
「わらわは主様に会いたいのじゃ。じゃが、そこに行くまでわらわが万全の状態を保てるとは到底思えん。依代の刀が壊れてからというものネコ畜生の姿でさえ、疲れおる」
「つまり?俺に主様を探して欲しいのか?」
「そうではない。主様がどこにおるかはなんとなくわかっておる。わらわが頼みたいのは主様のところまで連れっていってもらいたいのじゃ」
なんだ、そんなことか。どんな難しいことを要求されるのかと思っていた要輔はその言葉に安心した。それならばできないこともない。
「いいぜ。それで主様はどこにいるんだ?」
「山城、今は京都じゃったかの、そこと丹波の間で粛清されたと聞いたからおそらく、そこにおるんじゃろう」
「いない可能性は?成仏とかそんなのしてたりは?」
「主様が成仏?それはないの、絶対に」
桔梗には確信があるようだったので、要輔は何も言わず丹波をスマホで調べる。
「ここからだと電車に乗りついでいかなきゃいけねえな。結構遠いぞ」
「そうじゃろうな。でも、昔に比べれば些細なこと」
徒歩、よくて馬が移動手段だったころに比べれば格段によくなっているだろう。だが、それでも中学生の要輔にしてみればかなり遠いことに変わりない。
「いつだ?どっちの要求を先に呑む?」
「わらわが後で構わん。おぬしが決めて良いぞ」
桔梗の興味なさそうな返事。要輔は迷ったが、自分の方を先に選択した。
「俺、次さ、でっかい試合があんだよ。東日本ジュニア大会。それ、たくさんの道場が集まって親善試合みたいなかんじでやんだけど。それで力津翔馬に勝ちたい。お前みたいに先が読めたら勝てんだろ?」
「さあ、どうかの。おぬしはその試合でそやつに勝てたら自分が強くなったと満足するんじゃな。じゃあ、それで構わん。わらわも試合で使ってもらった方が早く力が回復する」
「ああ」
要輔は桔梗に曖昧な返事を返した。
「で、その試合はいつなのだ?わらわとしては一週間は欲しいところなんじゃが」
「七月二十四日。だから、ちょうど今から一週間後」
「お、ええの。では、一週間しっかりはげめよ、若造」
桔梗はその一言を最後にしゃべらなくなった。きっと眠ったのだろう。
「付喪神って寝るのか…?」
要輔は訝しがりながらも、自分のお腹の音を聞いておとなしく下に降りていった。
次の日からは桔梗による指導が始まった。桔梗の指導はおちょくるという形に近く、要輔はおかげで終始イライラしっぱなしだった。試合中は集中しているから気にならないが、アップや休憩中、師範の指南を受けているときなんかに要輔の嫌なところを的確についてくる。
要輔はつい桔梗に怒鳴りそうになっては口を閉じるの繰り返しだった。
桔梗は要輔に相手稽古の時はなるべく自分より大きい相手を選ぶよう言った。数多い選手の中で体格のいい、出来れば道場のOBをメインに要輔は経験を積んでいった。
ただ、要輔は執拗に力津との試合稽古は避けた。力津が自分の方へ来ると、すぐそばにいる子とペアを組んだりして逃れた。
桔梗はそれを見て面白がり、約束のことも忘れてしばしば要輔を力津の方へけしかけ、後で要輔に怒られるというのを繰り返していた。
「確かに、力津というやつは強いがおぬしといい勝負のように思えるがな…」
「俺はとにかく、大会まではあいつと戦いたくないの」
こうして、要輔はこの一週間のうちにみるみる調子を取り戻していき、昔と同じように道場で負けなし、たとえOBでも一勝は上げれるようになった。
ただ、要輔は決して力津と戦うことはなかった。師範に言われようが、力津本人から頼まれても。要輔自身、まだ力津と戦う自信がなかった。情けないことに力津の雄たけびにだけは怯えてしまっている。
ただ、今日はそう言うわけにはいかない。試合当日。とうとうこの日が来た。要輔と力津との試合は目前に迫っている。
「緊張しておるの」
「緊張じゃねえし」
「ほー、そうかの。わらわにはガチガチで震えているようにみえるのじゃが」
要輔は必死に気を静める。もう、桔梗にイライラしている余裕もない。目の前には力津がいる。審判が始めの合図をしたら、止まらない。
「緊張できるというのは幸せなんじゃよ、要輔。覚悟なんか決める必要ない。どう動いてもおぬしにはちゃんと活路がある。敵は敵にあらず、じゃ」
桔梗は要輔を励ますために言ったのか、それとも違うのか。幸か不幸か、桔梗の言葉が終わると同時に試合初めの合図が鳴った。
お互いに激しいつばぜり合いから試合が始まる。つばぜり合いになると体重が軽い要輔には不利だ。反撃に出られないよう気をつけながら距離をとる。
「おぬし、聞こえておるか?」
桔梗の声はもう要輔の耳に届いていなかった。
力津が大きく腕を振り上げ、面うちの体制に入る。要輔にはそれがスローモーションのように緩慢な動作としてうつった。
力津の面が決まる前に、要輔は力津の胴を打った。すぐにジャッジマンが旗を上げる。結果は、要輔側が二、力津側が一。
「胴打ち、一本!」
審判の声が響く。まずは一本先取。定位置に戻り、竹刀を相手に向ける。
「二本目、始め!」
次は剣先を突き合わせ、お互いの出方をうかがう。力津が一瞬、手を上げる動作をした。要輔はすかさず、相手へ向かう。
パン!と音が響く。要輔に力津の小手が当たっていた。ジャッジマンは力津三、要輔はなし。
「小手、一本!」
力津の動きにつられ、要輔はあっさりと一本を奪い返されてしまった。今回の試合は二本先取が勝ち進む方式。お互いにあと一本ずつ。
「三本目、始め!」
今回も様子見のため、お互いの間合いには入っていかない。
「いけ、大丈夫じゃ」
桔梗がふいにそう言った。要輔は一歩踏み出す。すぐに激しいつばぜり合いになった。要輔は力津に押され、端に追い詰められる。
要輔は、これ以上下がると場外。場外は二回で相手の取りとなってしまうため避けたい。
力津が一瞬、動いた。要輔はそれを見逃さず、小手面で場内に抜ける。
お互いまたにらみ合うように距離が開く。そして。要輔が先に動いた。身軽な体で一気に距離を詰め、飛び込み面をする。ただ力津も要輔の動きに気付き、見事な胴打ちを繰り出した。
ジャッジマンの判定は力津が一、要輔が一。残りの一人は決めかねているようだ。迷った末、ジャッジマンが上げたのは要輔側の旗。
「飛び込み面、一本!」
審判が言う。
「止め!」
要輔と力津は互いに二歩下がり、お辞儀をして場外へと出ていく。
「谷藤二本先取により、谷藤の勝利」
要輔はその審判の言葉を放心状態で聞いていた。
要輔はその後も順当に勝ち進み、優勝した。帰り道、桔梗が愉快そうに話しかけてくる。
「どうしたのじゃ?放心して。せっかく勝ったのだから喜べばよいであろう」
「そうなんだけどさ…。喜ぶって言うか、なんかそうじゃないんだよな」
要輔は試合後の力津を思い出す。力津は負けたことに悔し涙を流し、それでも要輔に賛辞を送り、すぐに師範へ教えを乞うた。
「俺、戦っているとき夢中だったんだよ。自分がどうしたいかとかそれしか考えてなかった気がする」
「ふむ、道理でわらわが話しかけても反応がないはずだ」
要輔は力津との戦いを反芻する。それまで確かにあった闘志、恐れがいつのまにか消え去っていた。剣を振り、いかに面を決めるか、試合中に要輔の頭の中にあったのはそれだけだった。
「俺の強くなりたいは、力津に勝ちたいじゃなかったのかも、な」
「強くなりたい願望は、そんなもので収まるほど甘くはないのじゃ。なんての」
桔梗は笑う。気がつくと二人は出会った場所に来ていた。要輔がノラネコと思い、桔梗に餌をやった場所。
一匹のネコが要輔にすり寄ってくる。
「ネコの方が可愛げがあるぞ」
「なんじゃ?わらわの今の姿に不満か?」
不満と言うか、竹刀の姿であるから特に言うことはない。
「ネコは一番動きやすいんじゃが。ただ、力の回復という点で竹刀、刀類に勝るものはないからの」
「それ、前に聞いた。な、お前。本当はどんなのなわけ?」「気になるか?まあそろそろ頃合いではあるな」
桔梗はそう言うと要輔の竹刀から出てきた。完全に出てくると、桔梗の周りに軽い風が吹き、瞬く間にそこには古風な美少女が立っていた。美少女、である。
桔梗の名のごとく、纏っている着物は桔梗色。長い黒髪は一つにまとめている。
「久しぶりじゃの、この姿も。わらわのお気に入りじゃ」
要輔は口をぽかーんと開き、唖然とした。今まで見た桔梗の姿は白ネコ、子供、竹刀の三つ。今の姿はそのどれにも似つかない。
年は十四、五か。要輔と同じくらいの年齢になった桔梗は付喪神らしい神々しさも兼ね備えていた。
「はあー?」
「なんじゃ、その間抜けな声は。何か不満か?」
「お前、婆さんじゃなかったのかよ!てっきり八十くらいのおばあちゃんの姿してると思ってた」
姿に不満はない。むしろ、要輔の好みのタイプどんぴしゃだ。不満なのは、その若作りだ。
「年寄だからってそれ相応の姿をしなきゃならんわけでもない。わらわはこの年齢の少女が気に入っておるのじゃ。動きやすいし、髪を結い上げんでもよい。何より、お肌がぷるぷる、すべすべじゃ」
桔梗は要輔の前で踊るようにくるりと回る。まとめた髪がひらりと舞った。
「可愛いのに、言葉遣いが残念だ…」
竹刀の時はあれほど気持ち悪いと思ったのに、悲しいことに嫌悪感が少しもない。それどころか、好意も抱いてしまっているから始末に負えない。
要輔は竹刀の時は特に気にならなかった、あれやこれやを思い出し勝手に一人で気まずくなった。
「次は、わらわの番じゃな。よろしく頼むぞ、要輔」
桔梗が妖艶ともふさわしい笑みを要輔に向ける。相手は桔梗なのに、要輔は照れくさくて顔を俯かせた。
「わかってる。丁度、この大会が終わってから師範、毎回道場三日ぐらい休むから。明日にでも行けるはず」
「本当か!では、明日にでも出発じゃ!」
桔梗は飛び跳ねて喜ぶ。とうとう、百年以上待ち焦がれた主様と会えるのだから当然とも言えよう。
要輔は子供のようなしぐさをする桔梗が微笑ましく、つい顔がゆるんでしまう。
「じゃ、帰んぞ。明日、朝早く出ることになんだから、少しでも長く寝ねえと」
「そうじゃったの。帰るか」
二人は家に帰ると、食事もそこそこに眠りについた。桔梗も要輔の竹刀に戻っている。
眠りについてしばらく。要輔の竹刀がまた光だした。二人は深く眠っておりそれに気がつかない。光はやがて蛍のように丸く浮かび上がる。
「私はいる…?」
少女の高い声がこだまする。そうして丸く浮かんだ光は消えた。
―倒れた刀が一本。ふわっと風が靡く。風と共に、花弁を散らした桔梗はやがて、姿を変えていく。初めはネコ、次は幼子。そして最後には少女へと。少女は空を眺め、またはらはらと頬に涙を伝わらせた。
次の日の朝。要輔と桔梗はいつもより早い時間に目を覚まし、支度をする。要輔は両親に学校の課題と偽り、竹刀を肩に下げて家を出た。
電車に乗り込み、目的地を目指す。まだ時間が早いようでこの車両に乗っていたのは要輔と桔梗だけであった。
「おい、ふたを開けよ。わらわはこの電車とやらは知っておるが初めて乗るのじゃ、景色が見たい」
要輔はため息をつき、竹刀入れのふたを開ける。
「ほほう。すごいの。家やなんやらがまるで投げられるかのようじゃ。馬なんか比べ物にならん」
桔梗は大はしゃぎだ。反対に要輔は電車のガタゴトの揺れも相まってうつらうつらとし始めた。眠り足りなかったようでだんだん目の焦点も合わなくなり、眠りについた。
要輔と桔梗は何度か駅を乗り過ごし、電車を間違えを繰り返しながらようやく目的の駅についた。
「おぬし、すこしぼーっとしすぎではないのか?おかげでこんなに時間がかかってしもうた」
「眠いんだよ。ったく」
要輔は大きな欠伸を一つした。
「こっから、どうすんだよ。俺、地図見たけどよくわかんねえぞ」
「もうここまで来たら、わらわがわかる。場所が様変わりしても、道がのうなっても、主様と何日もかけて歩いた道じゃからの」
桔梗はそう言うと、竹刀から飛び出てあの少女の姿になった。桔梗が先導して歩く。
「あの頃に比べて随分歩きやすくなったものだ。昔はこの道を足袋と草履で歩いたものよ。もっと石や砂利がごろごろしとったの」
昔を懐かしんでいるのか、憐れんでいるのか。その表情からは読み取れなかった。
桔梗は時折、要輔にいろいろな案内をしてやっていたから軽い観光のようなものになっていた。桔梗のガイドはまるで今昔のようで、要輔は社会の先生と旅行している気分だった。
要輔がそれにうんざりしてきたところで桔梗が足を止める。そこは、チェーン展開で有名の喫茶店だった。
「なんだよ、食うのか?」
「いや、違う。ここじゃ、この辺なのじゃ。近くに主様がいるはずなのだ」
桔梗は血相を変えて走り出す。要輔は慌てて後をついていく。桔梗は主様、と叫び人通りの少ない小さな路地に入った。要輔も後に続く。
「主様、久しぶりじゃの」
「桔梗か…。相変らず、綺麗だね。昔のままだ」
現れたのは百六十くらいの小柄な男性。髷を結えて、微笑みをただよわせる。目元に浮かべるしわが年齢を感じさせるが体格から言ってそこまで年でもあるまい。
「主様もおかわりありませんで」
「もう、死んでしまったからね。変わるに変われないよ。それにしても、桔梗はよくここがわかったね?私がもう消えていてもおかしくはないのに」
「主様が消える…?そんなことあるはずがなかろう。主様は成仏できるほど人ができておらぬ」
「ひどい言い草だな、桔梗。かつての主に向かって。お前を持ち、振るったあの頃。そう言えば…。お前、本体はどうしたのだ?」
「残っているわけなかろう。とうの昔に壊れておる」
「そうか。なくなったとわかると少し惜しいな。もう一度くらい、手放す前に振っておけば良かった」
主様はそう言って桔梗の頭をなでた。桔梗の髪を一房、すくように指を通す。その手首にはがんじがらめになった鎖が巻き付いている。
地面から生えている鎖は手首の他にも、足、腹、肩へと伸びており、まるでここから主様が離れることがないよう縛り付けているかのようだった。
「わらわをおいて行ったくせによく言う」
「あれは、わざとだから。許してくれ」
「なお、悪いわ。なぜ、わらわを連れていってくれなかったのじゃ。わらわはあなた様を守りたかったのに」
桔梗は主様の手を払い、睨みつける。非難する声は厳しい。
「私は、お前がいなくても大丈夫だよ。お前に守られるほど弱くない。この結果は、私が望んだことだ」
じゃらっと音をさせて桔梗に体中に巻き付いた鎖を見せる。
「弱くない、で死ぬことが本望じゃったっと?それも、体を張った戦いの中で死ぬのではなく、粛清という形でか?じゃあ、主様は何故、わらわを手に取ったのじゃ。稽古で、街でわらわを振るったのじゃ。主様は何故、強くなったのじゃ」
「どうしたのだ、お前らしくもない。声を荒げたりして」
「答えろ、主様。わらわは主様にそれを聞きたくて、わざわざ力を使ってここまで来たのじゃ」
主様は悲しそうに微笑んだ。桔梗の頬を両手で包み、言う。
「桔梗、お前がどうしても聞きたいというというなら剣で答えよう。お前が勝てたらきちんと答えてやる」
主様は要輔の方を向く。鎖を引きずりながら近づき、要輔の竹刀を手にした。
「悪いね、少年。少し借りるよ、これ。そして相手をしてくれ。何、すぐに終わる」
「主様!何を言うのじゃ!そんな姿でどうやって戦うという。第一、要輔の武器が何一つないではないか」
「桔梗が化ければよい。自分の依代の姿は一番覚えているだろう?」
桔梗は目を丸くする。今まで一度だって依代には化けたことがない。
「どうした、桔梗。答えを聞きたくはないのか?」
桔梗は沈黙する。目の端で要輔を伺った。
「のう、要輔。真剣、持ったことはあるかの?」
「ねえな。って、俺に決定権はないわけ?」
「悪いの。付き合ってくれ。できるだけ軽く、竹刀と同じ重量にはする」
桔梗はそう言ってひゅうっと刀に化けた。竹刀より少し短いそれは長脇差と言い、柄には桔梗柄が施されている。刀身は剥き出しで、反りはなく真っ直ぐに伸びている。所謂、刀とは少し見た目が違った。
「俺、真剣なんて初めて見たんだけど。なあ、これって斬れたりもするわけ?」
「あたりまえじゃ。なに、相手はもう死んでおる。今更斬ったとこでなにもならん」
要輔は恐る恐る、刀を手に持った。見た目ほど重くなく、竹刀とほとんど変わらない。どうやら、桔梗の言ったことは本当らしい。
要輔は軽く素振りをし感触を確かめる。いつもより少し短いが、二刀流の竹刀を持っていると思えば、使えないこともない。
「主様、三本勝負かの?」
「いや。一本でいい。君たちが私に一本入れれば勝ちだ」
要輔と主様はしきたりに則ってお辞儀をし、双方に剣先を向け構える。普段より広い視界で要輔は戸惑った。動き出す瞬間が見えてしまう。
主様は要輔と距離を詰め、剣をふるう。無駄のない所作。
強い…!要輔は必死に刀を使って受け止めるも小柄な要輔の体では押されてしまう。
要輔は一旦、主様から離れ間合いの外に出た。
「くっそ、つええ!」
「当たり前じゃ。主様は新撰組の中で一番の剣士と名高い沖田総司をも打ち負かしたことあるからの」
「んなもんに俺が勝てるか!お前が竹刀、ぶった切れるんなら別だけど!」
「多分、できるはずなんじゃが…」
要輔は試しに自分の手の甲に刃を走らせた。強めにやっても傷一つついていない。
「だめじゃねえか!」
要輔が叫ぶと同時に主様が襲いかかる。
「よそ見すると危ないぞ」
押し合いでは明らかに要輔が不利だ。すぐに離れたいのだが、少しでも引くと相手から攻撃を受けてしまう。要輔が懸命に耐えていると少し、主様の剣が引いた。要輔はそのタイミングを逃さず、離れる。
「久しぶりに振るうと、少しきついか。竹刀が軽くて良かった。少々、剣撃が軽くなってしまうのが問題だが」
軽い?嘘だろ…。要輔の手は主様の攻撃を受けまだしびれが残っていた。
要輔は主様を警戒しながら、刀となった桔梗に話しかける。
「おい、お前斬れるって言ってなかったか?」
「わらわにもわからん。だいたい、主様がわらわを竹刀で止めること自体おかしいんじゃ」
「失敗したとか?」
「いや。わらわは完璧に化けている。本当なら、ぬしの竹刀もさっさと叩き斬れるはずじゃ」
「俺の手も、竹刀も傷一つついてねえ…ぞっ!」
主様が構わず打ち込む。要輔は間一髪でそれを防いだ。
「おお、よくぞ受け止めた」
主様は剣撃を次々に繰り出す。要輔はそれをできるだけ受け流し、衝撃を緩和した。
「なるほど。基礎が良くできている。型どおり、綺麗な打ちすじ。反射神経も申し分ない。ならば、これはどうだ?」
主様は竹刀を振り上げる。要輔はすかさず懐に入り、胴を狙う。
「要輔、上だ!」
桔梗が勝手に反応し、主様の竹刀を受け止めた。
「スピードはそれほどでもないか。桔梗が入らなかったら、今ので一本取れたな」
「ごちゃごちゃ、喋んな。黙れよ」
要輔は体勢を立て直し、主様と相対する。
「これは失敬」
要輔が薙ぎ払った刃を主様は軽々と避けた。中々主様に攻撃が当たらない。要輔はイライラし始めた。対する主様は余裕な表情。要輔と主様の差は歴然だった。
要輔はかっかする頭を深く息を吐いて落ち着かせた。冷静にならないと勝負にならない。どうにかしなくては。
辺りを見回し、条件を理解する。主様はやはり、鎖のせいか半径一メートル以上は移動できない。だが、この狭い路地では要輔も大きな動きはできず大したハンデにはなっていない。
「もう、かかってこないのか?では、私がいこう」
言うが早いか、要輔の目の前に主様の竹刀が迫っていた。主様は大きく振り下ろす。要輔の頭に竹刀が直撃するかに思われた一瞬、要輔は打たれる覚悟で主様の喉を突き刺した。
喉に突き刺さる刀。さっきから何も傷つけることができなかった刀が唯一、機能を果たした瞬間だった。
要輔は刀を主様の喉から引き抜く。びっくりするほど何の感触もなかった。引き抜いたそこに、渦巻くような真っ暗い穴があく。
「おや。一本取られてしまったようだ。また、同じところを刺されるとは」
主様は自分の喉元を触り、目を細めた。片手に持っていた竹刀がかたんと音を立て地面に落ちる。
桔梗は元の少女の姿に戻り主様の正面に立った。
「主様、なぜわらわを置いて行かれたのですか」
桔梗は穴のあいた喉に手を伸ばした。もう少しで触れるというところで、桔梗は手をつかまれる。
「ダメだよ、桔梗。触ってはいけない」
主様は桔梗の手を下げさせ、竹刀を拾うと要輔の方へ歩み寄る。
「すまないね、少年。ありがとう」
主様は竹刀を要輔に手渡す。要輔はそれを受け取り、次の言葉を待った。
「主様!」
「わかってるよ、桔梗。きちんと話してあげよう。私がお前を置いていった理由を。約束だからね」
「わかっておるなら良い」
主様は桔梗の存在を確かめるようにして頭をなでた。優しく、丁寧に。
「私が死んだのは、池田屋事件が集結し数日が経った日のこと。新撰組を抜けようと脱退して、あと少しで京都を抜けるってときに沖田隊長に追いつかれてしまい、今みたいに喉を一突き。気づいたときにはこんな風にしてここに鎖でつながれていた」
渦を巻く黒い穴。再度、主様は手を伸ばす。
「私はほっとしたんだ。自分がまだ存在していることに。そして、きちんと自分が死ねたことに」
「主様、は死にたかったのか?」
要輔の問いかけに主様は微苦笑を浮かべる。
「少し違うな。私は死にたい、じゃなくて生きたくなかったんだ。自分で死ぬ勇気はなかったし」
「だからってわらわを置いていく理由にはならんじゃろう?主様がそんなこと思うとることぐらいわかっておったわ」
「桔梗がついて来たら、私を守ろうと勝手に動くからね」
「それが理由か…?」
「それと、もう一つは。桔梗を壊したくなかったから」
主様は桔梗を見つめ、嘆息をもらす。
「なぜじゃ?わらわが壊れたところで何にもならんじゃろ?」
「お前は覚えていないから。桔梗、お前依代が壊れてから何年が経った?」
「いつ壊れたなんて覚えておらんわ」
「自分の依代なのにか?」
桔梗は言葉を窮する。実際、付喪神というのは自分が宿っている物が壊れると消滅する。それほどまでに大切なものが壊れたというのに記憶していないというのは妙だ。
「お前が今、こうして存在できている理由を考えたことはあるか?」
「主様は知っておるのか?それとわらわを捨てたことと何の関係があるのじゃ」
主様が桔梗の腕をつかんだ。桔梗を肩へ抱き寄せ何か囁く。突如、桔梗は泣き叫んだ。慟哭し、主様にすがりつく。
「わら、わた、わらわはもう、付喪神ではないのか…?」
すがりつく桔梗に主様は憂いの微笑を見せる。
「わらわが亡霊じゃと…?哀れにさまよう少女の亡魂だと?」
桔梗は膝から崩れ落ち、肩を震わせしゃくり上げる。すると、桔梗の体が光だし泣き崩れる桔梗の隣にまだ四、五歳の少女が現れた。
少女は主様に近づく。主様はその少女に目線を合わせ言った。
「桔梗のことをありがとう。君はもう自由だ。君は私の願いを叶えてくれた。私にきちんと必要とされていたよ」
「ほ、ほんと?わ、私、役立たずじゃない?」
「ああ。桔梗をこの時まで生かしてくれてありがとう。おかげで最後に会えた」
「ご、ごめんね、お兄ちゃん。もうちょっと、頑張ればよかった、私」
少女は主様に泣きながら言った。要輔はその少女を見て、どこか既視感を感じた。前にどこかで見たことあるような、そんな…。
「あ、お前、あの時のお化け…」
要輔がある夜見た少女の亡霊。それは桔梗の中にいた魂だったのだ。桔梗はその少女に恐る恐る手を伸ばす。
「思い出したぞ。おぬしはまだ付喪神になって間もないわらわの花弁を食べ、逆にわらわに吸収されたあの娘じゃな。おぬしのおかげでわらわは自我を持ち、付喪神としての力も強めた」
桔梗は少女の頬を伝う涙をぬぐう。
「ぬしのおかげでわらわは依代が壊れてからもこうして存在しておったんじゃな。ありがとう」
少女はその言葉に嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、消えていった。それと同時に桔梗の体も透け始める。主様は桔梗の体をぎゅっと抱きしめた。
「お前を置いていったのはあの娘がもう、お前が長くはないと言ってきたからだ。お前はきっと私が粛清されようとしたら自らを賭して私を助けようとするだろう?そうしたら、お前は壊れ、完全に消滅してしまう。私はお前を消したくはなかったのだ。自分で選んだこの道にお前を巻き込みたくなかった。だから、お前の魂が消滅しないよう、あの娘に頼みお前に少しずつ少女の魂を注いでもらい、お前を付喪神ではなく、亡き人の魂に変えた」
「なんのために…?わらわはこのまま消滅するのであろう?」
「いや。お前は甦るよ。人の魂となったお前には転生が可能となるのだから」
「じゃあ、また新しい姿で主様と会えるのだな」
「ああ。だから、桔梗。安らかにお休み。さみしい思いをさせてすまなかった」
主様の言葉が終わると風がすっと吹き抜ける。そうして、桔梗も消えてしまった。
「本当に君にも迷惑をかけてしまったね。ただの人の子であるのに。すまなかった」
主様は頭を下げる。要輔は慌てて首を振った。
「そりゃ、こっちもいきなりすぎてわけがわからないんだけど。でも、あいつのおかげでまた、剣道できるようになったし。だから気にしてねえ」
「そうか。よかった」
「それよりも、あんたはどうするんだよ?」
「なにがだい?成仏するかしないかってこと?残念ながら地縛霊の身となった私ではもう自由にここを離れられないんだ。また新しい誰かがこの場所で死なない限り私はずっとここにいつづけるよ」
「ふーん」
要輔は手に握りしめたままの竹刀をケースに入れる。ふたを閉めても何も話さない竹刀に一抹の寂しさを感じる。
「なあ、主様。また俺頑張ってお金貯めてこっちに遊びに来るからさ、稽古つけてよ。暇だろ?」
主様は要輔のその言葉に目を見開きそして微笑んだ。
「ああ。私もぜひ願いたい」
要輔はものを言わなくなった竹刀を肩に担ぎ、家への道を急いだ。いつの間にか空は暮れ、白い三日月が浮かんでいる。
―あれから数年。要輔は京都の公立高校に進学していた。剣道でスポーツ推薦をもらい、高校の剣道部に所属している。要輔は高校についた少し立派な道場の扉を開く。
「おはようございます!」
要輔は道場の奥に人影があるのに気づいた。
「久しぶりじゃの、要輔!」
人影は要輔の方を振り返ると楽しげに声を上げた。
桔梗×竹刀=最強!? 青空 @aozora6
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