アンビリーバーズ

藤崎

序章 ~箱舟~






2071年、人類は地上を失った。





『アンビリーバーズ』




 2度目の東京オリンピックが開かれた年、アメリカの大手企業TeOSテオスが発表した新型アンドロイドに世界は震撼した。

 従来とは比べ物にならない機能、動作。それは素人目に見ても明らかで、21世紀最大の産物になるであろうことは疑いようがなかった。

 中でも注目されたのが「学習機能」と呼ばれるシステムだ。新型アンドロイドが搭載するそれは、外部から与えられた情報を自然と蓄積していく仕組みになっており、人と話せば話すほど、社会に触れれば触れるほど知識として吸収される。手間をかけて新しいデータをインストールさせるまでもなく、アンドロイドが各々で自動的に成長していくという画期的な技術であった。

 その学習機能は「アネロス」と呼ばれ、アネロスを組み込んだ新型アンドロイドは瞬く間に世界中に広まった。当初の予想をはるかに上回る勢いで普及したアンドロイドは労働の場のみに留まらず、日常生活の中にも順応していった。

 TeOSは当初、倫理的な問題や社会的反応を鑑みてアンドロイドの外見をあえて無機質にしていたが、世間の要望に応える形で、外見もより人間に近いものへと近づけていった。

 アンドロイドは笑った。アンドロイドは話した。文字も書いたし、食事もした。識別用の印がなければ、もはや人間か否かの区別はつかないほど"成長"は著しかった。

 普及が始まった頃に危ぶまれたアンドロイドの悪用は、意外なことに少なかった。TeOSが一手に管理するアンドロイドの技術は高等で、他の企業やテロ組織、ましてや一般市民には到底どうこう出来るものではなかった。

 アネロスの生みの親であるTeOS代表取締役のシリウスは厳格な指示者であり、また、かなりの人格者でもあった。アンドロイドの運用の仕方には事細かに気を配り、情報管理も徹底させ、悪用を許さず、ただ人間の豊かな未来のためにと働き、数十年の間でアンドロイドを全世界に送り出した。彼のおかげで世界が変わったと言っても過言ではない。


 実際、世界は変わった。

 アンドロイドの実用化により各地で生産性が安定し、経済が循環。発展途上国における作業も進み、飢えに苦しむ国がみるみるうちに減っていった。先進国においても介護現場などにおいてアンドロイドは活躍し、精神が豊かになった国民はより励んで国を回していった。

 新型アンドロイド発表から34年、2054年には全人口の2%に当たる数のアンドロイドが地球上に存在していた。みなアネロスを搭載し、それぞれに生い立ちと感情を持って人と手を取り合い暮らしていた。

 親ロイド派と呼ばれる人間たちはアネロスを「心」と呼び、心のあるアンドロイドにも人権を与えるべきだという運動が各地で広まっていった。世間でもアンドロイドを個人として認める風潮が多数派となっており、国会でも度々審議の場に上がった。2056年にはTeOSの本社があるギリシャで世界初、アンドロイドに人権を与えるという法律が制定された。これを皮切りに他の国々でも続々と法が制定され、アンドロイドは完全に一個人として認識され、役所に届出を出せば正式に人間と家族になることも可能になっていった。

 昔映画で描かれたような、人間とアンドロイドとが共存する世界がそこにあった。まさに革命ともいえる歴史の出来事の中で、今や世界平和も体現されようとしていた。その矢先のことである。


 2067年、アンドロイドが殺人を犯した。


 47年という短くも長い時の中で無数のアンドロイドが産み落とされ、様々な偉業を成し遂げた例は星の数ほどあるが、人間を殺したという事例は初めてであった。衝撃的なニュースに世界中は驚き、そして困惑した。

 世界中のアンドロイドの全てには1体の例外もなく、いや、1人と言うべきだろうか。とにかく地球上に存在するアンドロイドには1人の例外もなく、守られるべき三つの事項があった。それは「アンドロイド三原則」と言われるもので、TeOS代表のシリウスが定めたアンドロイドの核ともなるべき、基礎にして必須の原則である。


・一条、自らを含む全てのアンドロイド、及び全ての生命体を故意に傷つけてはならない。

・二条、一条に反する怖れのない限り、自らを守らなければならない。

・三条、いかなる場合においても自らの手でアンドロイドを創造してはならない。


 この三原則が破られることは天地がひっくり返ろうともありえない。シリウスは常々そう断言してきた。彼のみが知る方法により、三原則はアンドロイドがその命を宿した瞬間から生涯を終えるその時まで、確固として守られるはずたった。守られているはずだった。何かの間違いだとシリウスは主張し、警察や国に何度も再調査を依頼した。しかし結果は変わらず、アンドロイドが殺人を犯したという事実は風よりも速く世界中を駆け巡っていった。

 殺人を犯したのは、アジアの小国で家事手伝いを職業とする女のアンドロイド。主人に乱暴をされたことが殺人の原因だと噂された。女のアンドロイドは即刻逮捕されたが、なにしろアンドロイドが捕まえられるのは前例のないことである。処分に関する法などなく、国も司法もてんやわんやだったという。

 この事件を機に、各国では緊急に会議がなされた。三原則が覆されないという基盤の元に組まれてきた現在の社会。しかしこれに例外が存在するとなれば、社会の再構築が必要となってくるのは至極当然のこと。アンドロイドとの親和は根元から大きく揺らぎ、もはや切っても切れぬ関係にまで進展してしまっていた世界はみるみるうちに混乱の渦へと飲み込まれていった。

 この時期から一気に勢力を拡大したのは、かねてよりアンドロイドを快く思っていなかった反ロイド派である。アンドロイドを一掃すべきだという主張をここぞとばかりに叫び、過激な抗議も増えていった。

 これに対して親ロイド派は、アンドロイドは既に人権を獲得しており、それを侵害された場合の殺人は人間と同様に扱うべきであると主張した。女のアンドロイドは主人に暴力を受けた際の正当防衛であるというのだ。

 しかし世間は、正当防衛では到底納得しなかった。アンドロイドは人間より強い。過酷な現場で働くアンドロイド以外は特に強化機能が付いているわけではないのだが、それでもやはり生身の人間よりはいくらか丈夫で、力もあった。それらは世界が豊かになった要因でもあるのだが、三原則が守られない可能性が出てきた今となっては、ただの脅威に成り果ててしまった。

 アンドロイド不審によるダメージは大きく、世界経済は大きく破綻した。不安定になった社会で人々は再び飢え、怒り、各地であっという間に紛争が広がった。坂を転がり落ちる石のようにその勢いは留まる事を知らず、アンドロイドが生まれる遥か以前の情勢にまで逆戻りするのにそう時間はかからなかった。

 方々で戦火が上がる中、反ロイド派は世界各地で勢力を拡大し、その規模はもはや一つの国にも値するほどとなっていた。


 そして2069年、「第一次ロイド戦争」が勃発した。


 反ロイド派はアメリカを拠点とし、主にヨーロッパを狙った。TeOS本社がギリシャにあることと、提携のアンドロイド関連企業は主にヨーロッパに位置していたからだ。これに対してヨーロッパは応戦。第二次世界大戦以来の激しい戦争であったため、これを「第三次世界大戦」と定める動きもあったほどだ。

 この戦争における最も驚くべき点は、ヨーロッパ側の兵としてアンドロイドが参加していたことである。戦争はもちろん他者を傷つける行為に違いなく、三原則の第一条に反するはずであった。しかし、戦争には多くのアンドロイドが加わり戦っていた。このことにヨーロッパ側も驚いたが、鳴り止まぬ反ロイド派からの攻撃にはアンドロイドの手を借りなければどうしようもなかったのもまた事実。

 人間のみで構成された反ロイド派と、人間とアンドロイドが共闘したヨーロッパ軍との戦いは1年以上続いた。

 決着がついたのは2070年の後半。ヨーロッパ軍が反ロイド派からの猛攻を打ち破り、勝利を収めたのだ。終戦を迎えたとはいえ、その代償はあまりにも大きく、たった数年前まで世界平和に手をかけていたとはまるで思えないような悲惨な状態だった。

 人々は疲れきり何もかもを失ったが、それでもまたアンドロイドと人間とが手を取り合えば早い復興も夢ではない。世界中のアンドロイドたちはそう思っていた。

 しかし、人間は誰ひとりとして再びアンドロイドと共存する未来を描いてはいなかった。先の戦争ではヨーロッパ軍が勝利した。終戦の間際まで反ロイド派の方が有利だったにも関わらず、それでも勝つことが出来たのはやはりアンドロイドの力によるものが大きかった。人間たちはそれ体感し、また確信していた。

 アンドロイドは恐ろしい存在である、と。


 第一次ロイド戦争が終戦してからほどなく、第二次ロイド戦争が勃発した。第一次が反ロイド派とヨーロッパ軍の戦いだったのに対し、第二次は人間とアンドロイドとの戦いであった。そしてこの戦いこそが、後に正式に「第三次世界大戦」と呼ばれる超大規模戦争である。

 言わずもがな、数では圧倒的に人間が優っていた。それに加え、先の戦争による被害でアンドロイドの数は激減し、全盛期の半数にまで減っていた。いくらアンドロイドが強いとはいえ、早々に決着はつくと考えられていた。実際、勃発当初は人間側が完全に有利であった。ヨーロッパの一角に追いやられたアンドロイド軍は守りの姿勢を保つのがやっとの状況で、このまま全てのアンドロイドは世界から消えるかのように思われたが、そうはいかなかった。

 三原則の第一条を破ったアンドロイドたちは、ついに第三条をも破ったのである。アンドロイドたちは戦闘に特化したアンドロイドを自ら量産し、世界各地の人間軍の拠点に送り込んだ。その数はねずみが増えるよりも早く増えてゆき、膨れ上がったアンドロイドの数はついには全盛期を上回って全人口の7%にまで至った。そこから勢いは一気に逆転し、今度は人間軍が追い詰められた。

 もはや、世界はアンドロイドに乗っ取られようとしていた。

 しかしアンドロイドたちにも心があり、ただ必死に自らの命を守っているだけに過ぎず、乗っ取るという意識の下で戦っているわけではなかった。

 ある人間のアンドロイド学者は「何らかの事象により三原則の第二条・自らを守らなければならない、という事項が一条と三条を凌駕してしまった」ことが、この惨劇の原因ではないかと予想したが、アンドロイドからすればあながち間違った視点ではなかったのかもしれない。

 一重に自らの防衛本能を行使した結果だとして、人間側はこれを「乗っ取り」や「支配」「征服」と呼んだ。心からアンドロイドを恐れ、生きる場所を奪われることを危惧した人間は、ついに、最終手段に出る。


 2071年の冬、人間は核爆弾を使用した。


 ミス・セイレーンと名付けられた核爆弾は、おおよそ人類の英知の全てを結集した凶器だった。一度起動すれば全てのアンドロイドを一掃することが可能な"彼女"は、まさに人類の最後の希望であった。しかし、彼女の起動はアンドロイドを全て排除すると同時に、地球上の陸を90%以上焼き尽くすこととなる。ほとんど狂気的な決断だった。

 2040年ごろ、豊満な世界は人口増加を受け、各国で地下都市計画が進んでいた。月に移住することは叶わずとも、地下に都市を作り、増えつつある人を移住させようという計画だ。人口増加が著しい中国を筆頭に計画は遂行され、主な首都の地下には地下都市が建設されつつあった。

 戦争が始まる前の2063年には北京に第一号となる地下都市が生まれ、実験的にではあるが数百世帯がそこに移り住んだ。評判は悪くなく、他国でも計画に更に力を入れようとしていた。

 ただ一つ問題として、地下都市にはアンドロイドが入れなかった。アンドロイドは人間と同じく食事によるエネルギー分解で活動源を得る他に、日光も欠かせない活動源であった。地下都市には太陽がなかった。改良されたニューLEDにより明るい街にはなっていたが、アンドロイドの生命維持に足るような光量ではなかった。故に、地下都市ではアンドロイドは1週間と持たず活動を停止させてしまうのだった。

 ミス・セイレーンを起動させ、人類は地下都市に移住することになった。まだ建設途中の都市を含めても、生き残っている人類が全て移り住むには到底満たなかったが、それでもアンドロイドに地球を奪われるくらいならばと、数億の仲間を切り捨て、限られた人間たちはアンドロイドの手が届かない地下都市へと移った。それぞれの地下空間は完全に独立しており、都市の間での連絡手段はない。移住した人々は各々の都市で静かにその時を待った。


 12月25日、正午。

 半径3キロの正方形とも、直径2ミリの球体とも言われ、その全貌は謎のままの彼女は鳴いた。その声は地下にまで響き渡り、およそ10分間続いたという。

 移住前、地上には数千台もの放射能浄化装置が設置された。自然浄化であれば何兆年どころでは済まない時のかかる話だが、その装置があれば十数億年、早ければ数千年で浄化されるだろうという予想だった。だが、装置が無事に作動しているかどうかを知る術はない。数千台のうちの一つでもミス・セイレーンの声に耐え作動していること、地上は浄化に向かっていることを祈るしか、地下の人々に出来ることはなかった。


 かくして2071年、人類は地上を失った。


 そして、とある国の一つの地下都市に移り住んだ人々は、これから永遠とも思える長い時を過ごすその地を、人類の新たな住処を、"箱舟カブス"と名付けた。

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アンビリーバーズ 藤崎 @jamzzmy

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