怪盗紳士と全力少女

家財道具

白い序章

上空二百メートル、深い夜闇に決して溶けない凛々しい白が風にその外套を揺らす。

 遥か地上では、真っ赤なランプがサイリウムのように彼の登場を歓迎していた。

 『怪盗ファーレ! 周りは包囲された!諦めて降りてこい!!』

 ――なにを馬鹿なことを。

 お前達警察が、俺を捕まえられるわけがないだろう。

 「・・・俺は空に住み、空に帰る。狭い地上に降りはしない」

 不敵に笑む形の良い唇に、はらりと一筋のプラチナブロンドがかかる。

 「――さらばだ」

 金髪碧眼、眉目秀麗、大胆不敵、神出鬼没にして「紳士」と呼ばれる大怪盗。

 彼の名を、いまだ誰も知らない。

 

 

 

 『おはよー!!琴美ー!起きてー!!琴美ー!!!』

 留守番電話になったスマートフォンから響く大声に、琴美は跳ね起きた。

 「おっ、おはよう陽兄!!」

 スマートフォンからの声の主、琴美の従兄弟である太陽が安堵の声を漏らした。

 「昨日遅くまで電話しちゃったから、大丈夫かなって」

 「ありがとう!助かった!!」

 琴美は一通り礼を述べてから電話を切り、急いで身支度を始めた。

 琴美が今年の四月から入社したのは、「対怪盗専門組織」。名の通り怪盗を捕縛するためだけに存在する特別組織だ。

 学生時代ずっと文化部であった琴美には慣れない超体育会系の職場だが、なんとか日々生活している。

 運動なんて得意では無いくせに、決して白いとは言えない肌に申し訳程度の化粧を施し、鞄を掴んで家を飛び出した。

 ライトグリーンの軽自動車に乗り込んで、約三十分の所に事務所が見えてくる。

 表向きはただの探偵事務所。しかし、実態は琴美の務める対怪盗専門組織、略称「対怪官」の事務所だ。

 「おはようございます!!・・・・・・よかった、一番乗り」

 新人である琴美には、朝から気の抜けない仕事が山積みだ。

 自身の所属する班の班室の掃除に始まり、班員達の好むコーヒーの下準備、コーヒーが苦手(その上猫舌)な班長のためのお茶入れ、等々。

 大概の雑務はこなせるように、指導係に仕込まれている。

 琴美が班室に入って一時間ほど後、その指導係であった広瀬が出社して来た。

 「おはようございます、根本さん。 今日も早いですね」

 「広瀬さん!! おはようございます」

 広瀬 月希と言えば、班員のみならず、同業者の多くに名の知れた敏腕である。

 そのうえ、早速ブラックコーヒーをあおる姿も絵になってしまうほどの美男だ。

 「今日は忙しくなりそうですね」

 「何かあったんですか?」

 「そうでした、昨晩根本さんは警邏でしたっけ」

 もう一口コーヒーを飲んでから、広瀬は微笑んだ。

 「また出ましたよ《怪盗紳士》が」

 「!!」

 一瞬驚嘆が胸を占め、言葉が出なくなった。

 しかし、じわじわと腹の底から何かが盛り上がってくる感覚が確かな高揚を伝える。

 「《怪盗ファーレ》!! 今度こそ捕まえましょう!!」

 「ふふっ、相変わらず好きですねぇ」

 怪盗ファーレと言えば、組織の作成したファイルだけで言っても、星五つの大怪盗。

 フランスに国籍を持つため、日本に回ってくる回数自体そう多くはないが、琴美を含む班員全員が半年前に一度彼に対峙していた。

 苦く悔しい、琴美の初陣である。

 従兄弟である太陽に憧れて警察官を目指したは良いが、運動神経が悪すぎてなかなか武術の有段者になれずにいた。

 悩む琴美を見かねて、太陽は学生当時発足したばかりだった対怪官になることを薦めたのだ。

 対怪官になるための、確立された条件はない。

 ただ、長官の出す適正テストに合格した者が採用されるのみだ。

 「おはよう、二人とも」

 「おはようございます聖さん!」

 「青木さん、おはようございます」

 いつもは広瀬よりも早く出社する青木だが、昨日の夜中警邏が響いたのだろう。珍しいこともあるものだ。

 青木は琴美が入社するまでは突入部隊の紅一点であり、抜群の美貌と実力を誇る。

 「参った。今日に限って目覚ましが鳴らなくてな。危なく遅刻するところだった」

 「それは惜しいことをしたね」

 青木の言葉にちゃちゃを入れる人物なんて限られている。

 モデルのようなプロポーションを持つ色男、森谷 怜央である。

 朝から相変わらずの口喧嘩が始まり、巻き込まれないうちに自分のデスクに下がった。

 ――《怪盗ファーレ》がまた日本にやって来た。

 今度こそ、捕まえるチャンスなんだ。

 目の前であの白いマントを翻して逃げられたら時の絶望と言ったら。

 大好物の梅おにぎりを取り上げられてしまったようなそれに近い。

 「ファーレについては、班長が着き次第役割を決定しましょう」

 逸る琴美の表情を見て、広瀬がそう言って笑った。

 「・・・・・・はい!!」

 風に靡くプラチナブロンド、月光を反射するアイスブルーの冷たい瞳。

 いつでも余裕をたたえた美しい顔を、必ず苦渋に歪ませてやるのだ。

 まるで悪役のようなことを考えて黒くほくそ笑む琴美を、広瀬は呆れたように見つめていた。

 

 

 お昼を回った頃、ようやく班長である星川が出社した。

 恰幅の良すぎる体を入口に挟まないようにカニ歩きをして入ってくる。

 「おはようございますリーダー?」

 森谷がからかうように声をかけると、元気な声が返ってきた。

 「Good morning 諸君!! 大物が遂にやってきたねー!!」

 「にしては出社が遅い気がしますけどね」

 広瀬が苦笑すると、星川はまた豪快に笑った。

 「策はすべて僕の中にありますからねー!!」

 「・・・・・・急ぐ必要も無い、という訳か」

 班長席に座ると、ばら撒くように班員に書類を渡していく。

 ――ファーレが予告状を出している美術館の詳細な見取り図だ。

 嫌に緊張して喉を鳴らしてしまった。

 「魁はもちろんレオとキヨですねー!! 照明が落ちたら、直ぐに裏口SとRに入り込むのねー!!」

 「承知した」

 「了解、リーダー」

 「中堅はツキとコトミですねー!!ファーレの居場所の目星がつき次第警察官と手分けして挟み撃ちにまわるのねー!!」

 「承知しました」

 「はい!!」

 「殿は僕が務めますねー!! 僕が出なくても済むように働くのが君たちの最重要任務だねー!!」

 決行は十月十日。ゾロ目を好むファーレらしい日付指定だった。

 「本番までは一週間ねー!!しっかり準備して臨むことねー!!」

 返事をしてから、落ち着かない気持ちに囚われた。

広瀬の前で意気込んだは良いものの、やはり自信は皆無に近い。

 初めての対峙で味わった絶望が、忘れられずにいる。

 「・・・・・・根本さん、」

 「はっ、はいっ!!」

 「力を入れすぎず、無理しない程度で良いんですよ。どうせ警察と共同ですから、自由な行動も出来ないでしょう」

 「すいま、せん・・・・・・」

 「ファーレ相手に怖気づかない者などいません。恥じることではありませんよ」

 淹れてくれたらしい琴美好みのカフェオレの香りが、優しく鼻腔をくすぐった。

 「それを飲んだら、区切りをつけてご飯にでも行きましょう」

 「はいっ!!!」

 俄然やる気になった琴美は凄いスピードで書類仕事を済ませ、既に廊下で待っていた広瀬に追いついた。

 「お待たせしました!!」

 「いえ。ひとり追加で来ることになったのですが、大丈夫でしたか?」

 「ご飯が食べられるなら何でもいいです!!」

 「ふふっ、そうでしたね」

 地下に留めてある広瀬の車に乗せてもらって、いつものお店に出発した。

 安さと味に定評のあるイタリアンの人気店だ。

 店に入り、広瀬に連れられるまま席に向かうと、見なれた影が既にそこに居た。

明るい茶髪をスポーティーに切りそろえた、爽やかな表情の美男子。それは正しく――

 「陽兄?!」

 「よっ!!琴美。朝ぶり。月希は一ヶ月ぶりくらい?」

 「まだ一ヶ月は経っていないと思いますがね」

 予想もしていなかった組み合わせに、ひたすら目を見開くことしかできない。

 そこで琴美と広瀬を待っていたのは、琴美の従兄弟である菊池 太陽その人だったのだ。

 「お知り合い・・・・・・ですよね?」

 「警察学校の同期です」

 「えっ!?」

 「そうそう!! 一緒に卒業したかったんだけど、月希が星川さんに引き抜かれちゃったんだよ」

 「説明していなかったんですか?」

 広瀬が太陽に怪訝な目を向けると、太陽はえへへと笑って見せた。

 「琴美が対怪官になってからは電話でしか話せてなかったからね。月希の事はよく話に聞いてたけど、言い出すタイミングがなくて」

 「まったく・・・・・・驚かせてしまってすいません、根本さん」

 「いえいえ!! 思いがけず陽兄ともご飯が食べられて嬉しいです!!」

 「そう言っていただけると有難い」

 広瀬は太陽の向かい側に座り、琴美に太陽の隣りに座るよう勧めてくれた。

 注文が終わると、仕事の話になった。

 「星川班はまたファーレだって噂だね」

 「えぇ。今回は警察にも協力を頼んだそうですが、やはり一課のあなたに要請はありませんでしたか」

 「昨日二課の先輩に聞いたから知ってるけど、やっぱり一課じゃ手伝えないかな。・・・・・・残念」

 「あなたはあなたの仕事をすべきです。それに、体力勝負の上に相手は大怪盗のファーレですから、一課の若いのが回される可能性もあります」

 相当仲が良いと見える。

 二人とも琴美そっちのけで実に楽しそうに会話を続けていた。

 寂しいと思わない訳では無いが、太陽と広瀬がこんなに真面目になって話せる相手同士だと思うと、無闇に邪魔を入れるのもはばかられた。

 琴美はいち早く届いたサラダを静かに受け取り、佳境に入り始めた二人の会話に耳を澄ました。

 

 

 「・・・・・・また紫か。勝手に人の家に上がるなと何度も言っているだろうが」

 「・・・・・・この飛行船、ルブランの家だったんだね」

 「とんだ茶番だ。とぼけさせるだけ無駄という話だな」

 「ルブランは話が早くて助かるよ」

 窓から差し込む明るい光によって、一部の者に《紫》と呼ばれる青年の表情は伺いしれない。

 「今日は君に感謝されに来たんだから、感謝してくれなくちゃ嫌だよ」

 「俺が礼節を欠いたことがあったか。いつも見送り付きでしっかり地上へ送り出しているのに貴様が勝手に死なんだけだろう」

 「君と違ってタフなんだよ。 はい、これ今回の。早速対怪官を入れてきたらしい」

 「・・・・・・警察も馬鹿ではないらしい」

 「君には珍しい言葉だね」

 「俺を捕まえるほどの相手だとは言っていない」

 渡された書類をパラパラとめくっていくと、予想通りの名前が飛び込んで来た。

 根本琴美。決して動きがよかったわけでも、ルブランを最後まで追い詰めた訳でもない。

 ただ、面白いものを見つけた、とは思った。

 あの何にでも全力過ぎるほど全力な姿勢。

 ルブランにも日本人の血が流れてはいるが、生粋ともなるとやはり一味違うようだ。

 (・・・・・・俺はあの目を忘れない)

 ルブランは一度見た顔を忘れない。

 初めて見る顔はいつだって恐怖に彩られていたのに、彼女の目は違っていた。

 燃え上がる闘志をそのまま形にしたかのような熱い瞳は、ルブランの闘争心をも煽るのには十分だった。

 負けるとは思えないが。

 (・・・・・・勝負と行こう、根本琴美)

 怪盗ファーレは紳士でなくてはならない。

 誰も傷付けず、時には淑女の心も奪うようでなくては。

 「それよりも、お腹すいたんだけど」

 「・・・・・・貴様、本当の目的はそれか」

 「ルブランの料理は何でも美味しいからね」

 「調子のいいことを」

 そうは言うが、実際料理は嫌いではない。

 もともとほとんど出来上がっていた料理は一人で食べるのには流石に余りある。

 ――どこかで、紫が今日来ることに気付いていたのだと思う。

 「腹の虫が収まったらすぐに立ち去れ。接客など趣味ではない」

 「やったね」

 並べられていく料理を前に、紫の丸眼鏡の奥の瞳が細められる。

 「ロールキャベツか。悪くないね」

 「無駄口を叩くな」

 正直なところ、ルブラン自身紫と過ごす時間は案外嫌いでもない。

 ただ、自分の周りにあまり人がいるのを好まないのは本音だった。

 細く小さい紫の体のどこに入っていくのかと疑うほど、彼はよく食べる。

 彼がやっと満腹だと言い出すまでに、ルブランは何度か席を立って作り足すはめになった。

 

 

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