第70話 ランサム
ペナントレース優勝という威光により、ツツーミ王国が世界を統治した。
野球力とは軍事力そのものであり、優勝とは戦勝である。
だがツツーミ王国は当然、鷹の国の様な圧政や恐怖政治を敷いたりはしない。
近代的な法整備を施し、経済を活性化させ、インフラを整え、手厚い福祉政策を行った。
稀代の名君・十七代目ツツーミ国王のもと和平の実現と社会発展を実現し、統治能力に懐疑的であった多くの国もその手腕を認め、追随し、そして潤ったという。
名実共に世界の中心となったツツーミ王国。
それはいつしか政治、経済、工業、芸術、スポーツ、その全てで常に世界の最先端を行き続ける理想国家となっていった。
そう、埼玉県の様に。
シーズンオフ。
ヴェストレーヴェ隊V戦士達も、新たな道を歩み始めていた。
「本当に行っちゃうんですか? アサミラさん……」
麻袋に荷物を纏めて、球場を出ていくアサミラをアキヤは名残惜しんだ。
「ああ。いろんな世界を見てみたいんだ。もう野球が全てを支配するって時代じゃなくなるだろうしさ」
「そうですけど……」
「それに」
アサミラはアキヤに背を向けた。
ウールのテンガロンハットを、深く被り直す。
「……ここにいたら、ランサムを思い出しちまうからさ」
そう言ったアサミラの言葉には、いつも様な力強さが無かった。
去っていくアサミラをアキヤはそれ以上引き止めなかった。
アキヤとて理解している。ランサムがもう戻って来ない事を。
それでもその現実を受け止めきれず、この場所に残る事を決めていた。
ついぞ渡せなかったこけしは、自室の隅で埃に塗れていた。
踵を返し戻ろうとするアキヤ。
とそこへ、ワイバーンが一翼降り立った。
「ワイバーン? 誰が呼んだんだろ」
などと思っていると、
「アキヤさん! 貴女はどうするのです!?」
その背上から、シルヴィの声が聞こえた。
「私、これからランサム様を探す旅に出ますのよ!」
ワイバーンの背から降り立ったシルヴィ、と、その後ろからユーセーも降りてきた。
「シルヴィさんに……ユーセーさんも? でもランサムさんは……」
言いかけたアキヤの口を、ユーセーが指で塞いだ。
それからアキヤの肩を押し、シルヴィから遠ざけ、耳打ちをする。
「……言わないであげて……」
「……」
アキヤは察した。
そしてユーセーの声もまた、弱々しかった。
ランサムとは罪な男であった。
彼程の男なれば、心惹かれぬ婦女子はいない。しかしランサムはその事に気付かないのである。
少年の様にひたむきに、侍の様にストイックに野球に生きるランサム。
その生き様は誰しもの心を奪い、忘れられぬ青春の輝きとして記憶の中に残り続ける。
ランサムと共に過ごし、試合に望み、勝利を分かち合う、そんな僥倖を経験すれば、世界中の男が凡夫に見えても仕方のない事なのである。
それから何言か言葉を交わし、アキヤと別れの挨拶をすると二人はワイバーンへと戻っていった。
アキヤは何度も誘われたが、断った。ランサムはここにきっと戻ってくるから、と、自分でも信じきれていない理由を言った。
「ランサム様の事ですわ、きっと何処かで野球をやってらっしゃるに決まっていますわ! 待つよりも向かった方が早いですわよ」
「……うん、そうだね」
飛び去って行ったワイバーン。
アキヤは、その姿が消えるまで見送った。
「行ったのか、あいつら」
球場の室内練習場に戻ると、マロンとオウカが居た。
自主練の為に来ている二人、長年のルーチンは変えない。しかしバットは持っているものの座っていた。
「仕方ないでござるよ。引き止める権利は誰にもござらん」
「……分かっていますよ。でも……」
「……」
マロンが立ち上がり、アキヤの頭を撫でた。
「気持ちは分かるさ。だけど、ランサムの事はもう忘れよう。待っていても、辛いだけだからな……」
「……はい」
その場を去りゆくアキヤ。
マロンもオウカも、心配そうに見ていた。
待つ事の辛さも、待たせる事の辛さも知っている二人。それがランサムともなれば尚更。
若いアキヤに何も出来ない事は歯痒かった。
投球練習場では、トガーメとモーリィがキャッチボールをしていた。
二人共、国内に残る事を決めていた。
「トガーメ、あれ……」
モーリィに言われトガーメが後ろを見ると、俯いて歩くアキヤが見えた。
いつも元気にピンと立っているアキヤの犬耳が、悲しげに垂れていた。
「アキヤ……」
トガーメはアキヤに走り寄った。近づいて、何をか言わんと考えたが、しかし口下手な彼女は何も思い付かない。
「あの……元気、出して……」
などと、平凡な言葉しか出てこない。
それでもアキヤは気丈に笑って、
「ありがとう」
と、そう答えた。
ランサムが消えた理由。
薄々勘付いているが、努めて考えないようにしていた。
“力を使い切った”、それが最も可能性が高い。
(あの日、僕がすぐに力尽きたから……)
鷹の国との最終戦。
一点をもぎ取る為に、アキヤは自らの命を顧みずに戦った。
しかしそれ故に最後まで試合に出続ける事が出来ず、彼女が抜けた後はセンターをランサムが守ったという。
(僕のせいで、余計な力を……)
そして行く宛も無く歩いていると、ふと思った。
ランサムが消えて誰よりも悲しんでいるのは、あの人だと。
アキヤはマキータの家へ向かった。
マキータはその功績によりオーミヤ十字勲章を授与されていた。莫大な報奨金も約束されていたが、それは固辞した。
城内にはマキータ専用の部屋が用意されていたが一度も使う事はなく、ランサムとの思い出が残る家にずっと住み続けていた。
そして、自主練には顔を見せていない。
「マキータさん」
紅茶を入れ一息つこうとしていたマキータ。
丁度その時に、アキヤは訪ねた。
ティーブレイクをしながら、世間話をした。
暫くは取り留めのない会話を続けたが、やがて。
「ランサムさんは」
アキヤが、そう切り出した。
「もう会えないんですかね」
「そうね……」
マキータは知っている。ランサムはもうこの世界に戻って来ない事を。
ランサムは既に伝説となっている。
ツツーミ王国で、いやこの世界で永遠に語り継がれるであろう。
吟遊詩人達はこぞって彼の活躍を歌い上げ、学者はそのプレー一つ一つを研究対象とし多くの論文を書き上げた。
芸術家達は誰もがその美しい肉体と動きを描き、彫り上げ、そして野球選手を志す者全てが彼に憧れた。
一部では、ランサムを神と崇める宗教すらも存在していた。
「彼は、戻ってきません」
「そう、ですよね……」
アキヤは俯いた。彼女も勘付いていた事ではあるが、はっきりと言われるとやはり心が痛む。
「でも」
マキータは立ち上がり、壁にかけてあったバットを手に取った。
それは、かつてランサムが試合で使用したバットであった。オークションに出せば日本円にして億の値がつく、ファン垂涎のランサムグッズである。
「こちらから、会いに行く事は出来るかもしれません」
「ほ、本当ですか? でも……」
マキータは、優しく微笑んだ。
「この世界全て……いいえ、この世界とは違う世界……異世界も含めて全て探せば、何処かで会えるかもしれない……でもそれは、何年、何十年、いえ、何百年かかるとも分からない旅……」
「そ、それじゃマキータさんも……」
「ええ。旅に出るわ。でもアキヤ、貴女は来ない方がいい。長い旅になるから……」
マキータは、バットを持って外に出た。
広い草原、遠方に霞む山々。そして、浮かぶ島。
いつもの見慣れた景色だが、いつかランサムと一緒に見た景色でもある。
「もしかして一人で旅をするつもりですか? 無茶じゃないですか、報奨金も断っちゃいましたし……」
「これでも私は胴上げ投手……行く先々で野球を教えながら、その日の糧を得ていこうと思う」
マキータは、空を見上げた。
快晴。爽やかな青空が広がっていた。そしてそれは、ランサムと同じ空に繋がっているような、そんな気にさせた。
「マキータさんは希望に向かっているんですね。なんだか僕も、悩む事が馬鹿らしくなってきましたよ」
「そうねアキヤ。自信を持って。貴女と私が優勝したチームにいた事は変わらない事実」
マキータはボールを持った。
遠くを見た。
そしてセットポジション。
しなやかな肉体を活かした、美しきアンダースロー。
投げられたボールは、美しき軌道を描いた。草原の草を薙ぎ、遥か遠くへと飛んでいった。
「大丈夫。私達は、野球が得意なのだから」
ランサムとは、いつか必ず会える。
何処かでまた、一緒に野球が出来る。
そう信じていた――
―――――――――――――…………
……声が聞こえた。
「……きろ、ランサム。起きろ」
目を覚ました時、ランサムは光溢れる場所にいた。
「起きろランサム、君の打席が来る」
この輝く陽光はアリゾナか埼玉か……自分が座ったまま寝ていた事に気が付いたランサムは、辺りを見回した。
「先制のチャンスだランサム、決めてきてくれ」
「君は……セラテリ?」
そこは球場、ダグアウトの中だった。
目の前のグラウンドでは、野球が行われている。
二塁にいるランナーは、清原。
「松坂の肩はもう出来上がっている。先制点で楽にさせてやろう」
「待ってくれセラテリ、今一体どういう状況なんだ? それに……それに、君はもう……」
「どうしたランサム、君らしくないな。今は“神の軍勢”との試合の真っ最中だろう?」
「か、神と……?」
再びグラウンドを見たランサム。
その光輝く世界は、確かに天界と呼ぶに相応しい神々しさ。
「とは言っても、まだ始まったばかりの一回表だけど」
ランサムは立ち上がっていた。
何故、そしていつからここにいるのか。それは分からない。
だが、野球の試合が始まっている。ならば野球選手としてやる事は決まっている。
「そうか……という事は、スコアはまだ0-0か」
「当たり前だろランサム。試合はいつも、ゼロから始まるもんだ」
「そうか……そうだったな!」
野球とは、そういうものだった。
スコアは0から。
ランナーは0から。
ストライクも、ボールも、アウトも、カウントは全て0から。
野球戦士たるランサムは、いつもゼロから始めてきた。
「行ってくるよ。僕が、先制点を取ってくる!!」
バットを持ち、ヘルメットを被るランサム。
そしてゆっくりと、だがしっかりとした足取りでダグアウトを出て、光り輝くバッターボックスへと向かっていった。
――そして割れんばかりの歓声。
球審のコール。
投球姿勢のピッチャー。
右打席のランサム。
空は快晴、爽やかな青空。湿度は低く、気温はやや高い。
絶好の、野球日和。
やがて球場に快音が響き、
ランサムの拳が、天高く突き上げられた。
野球戦士ランサム ―異世界編― 小駒みつと&SHIMEJI STUDIO @17i
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