第46話 ランサムが落ちる日

 バッターボックスに立ったアサミラ。

 二塁のアキヤ、その頭上には雷雲が集まっていた。

(牽制球でも……アキヤは死ぬ……)


 ――野球選手は、いつ死ぬかわかりませんから。


 アキヤはそう言っていた。

 このペナントレース。優勝出来るのなら命などいらない……それは野球選手としては当然の覚悟。

 だが。


「……?」

 松坂は訝しんだ。

 三番の強打者・アサミラが、この場面でバントの構え。

 しかも、鎧もつけず無防備である。

「フン……気でも狂ったか」

 バントの為に顔をバットに近づける。それは松坂の剛速球相手ならば尋常ならざる恐怖を伴うだろう。正気の沙汰ではない。

 松坂はそれを見て、セットポジション。

(やはり来たか……)

 アサミラは思った。

 松坂の注意を、こちらに向ける事に成功した。

(二塁の女は放っといても満身創痍……ならば、今はこいつを片付ける好機……!)

 松坂の思い描いているシナリオ。それは自慢の剛速球でバットを貫通し、そのままアサミラの顔面にボールを当てるという事。

 さすれば彼女は再起不能となるであろう。勝利はまた一歩確実になる。


 松坂がその右腕から、豪速球を放つ。

 アキヤはまたもスタートを切っていた。その不屈のプレーは、アサミラの目にも映っている。

 きっと彼女の心は折れないのだろう、たとえその身散る時が来たとしても。

 先刻と同じようにアッツォに前に立たれた。プレッシャーに、再びアキヤの足は止まる。それでも、今度は退がらなかった。


 アサミラはバットを持つ右手を引いた。だがボールを見送る訳ではない。バットを地面と水平にし、ヘッドをマウンドに向けた。

 腰を深く落とし、左手をヘッドに添える。

「! なるほど、バットを縦に使い、俺の球を受け止める気か! だが、浅知恵だ!」

 松坂はアサミラの苦肉の策に気付いたが、問題ないと考えた。

 ボールを受け止めたとしてもそれまで――その腕が破壊されるだけに過ぎない。

「……行くぞっ!!」

 アサミラは気合を入れると、上半身の筋肉に力を入れた。

 そしてボールが目前に迫るその瞬間、上半身の撥条を用いて、全力でバットを突き出した。

「な、なにぃ!?」

 松坂は目を見張った。

 ボールは木製のバットを縦に切り裂いた。そしてヘッド、芯、テーパー部をも破壊していく。そしてグリップをも。だが、アサミラは恐れる事なく、突きを止めようとはしないのである。

 もしボールが腕に達すれば――いや、今の状態でも既に、アサミラの右腕の筋肉は悲鳴を上げ、血管から血が噴き出ている。

「おおおおおお!!」

「貴様、死ぬ気か!!!」

「アキヤを……一人で逝かせる訳にはいかねぇ!!」

 そしてバットを砕け散った。アサミラの右腕は、自らの血で真っ赤に染まっていた。

 だが、ボールは。

「アッツォ!」

「!」

 ボールは、三塁線に転がっていた。

「これが……送りバントゼロスタイル!!」

 処理は三塁手のアッツォがしなければならない。キャッチャーは一塁のカバーに走っている。

 アッツォのプレッシャーから解放されたアキヤ、三塁へと走った。満身創痍の全身を、勝利への一念だけで動かしていた。


 アッツォは打球を拾うと三塁を見た。カバーには誰も入っていないが、負傷しているアキヤは遅い。走れば間に合いそうではあったが、

「アッツォ、ファーストだ! その女はもう戦力にならん!!」

 松坂に言われて一塁に向き直った。

 ボールを握り、送球体勢。全身の魔力を右手に集めると、ボールに炎が纏った。

「Heat Now!!」

 アッツォによる一塁への送球。それは例の如く、バッターランナーのアサミラを狙っていた。

「避けろアサミラぁ!!」

 ランサムの叫びで、一度はボールを躱したアサミラ。

 だが、捕球したタッカーヤによる二撃目。その痛烈なタッチ。

「一度見た技など!」

「ふはは! その壊れた腕で受け止められるものか!!」

 タッカーヤの言う通りだった。負傷した腕では受け止めきれず、やはり地面に叩きつけられた。

「アウッツ!!」

「……ぐっ」

 一瞬、呼吸が出来ずに空を仰いだアサミラ。

 厚い雲に覆われた空だった。

 やがて立ち上がり、ふらつく足でベンチへと戻った。


「ふん……これでとにかくツーアウトか」

 松坂はマウンドで息を吐いた。

「松坂、まだ油断するな。次はランサムだ」

「わかっているウッツィクァーワ。次もインペリアルクロスで行くぞ」




 ――ヴェストレーヴェ隊ブルペン。

 先発のユーセーが、投球練習を続けていた。

「ユーセーさん、今日の調子はどうかしら?」

 マロンの応急処置を終えたシルヴィ、敢えて戦況を言わずにそう訊ねた。

「……へーき。いつもと変わらないよ」

 ずれた眼鏡を直しながら、ユーセーは答えた。

 ブルペン捕手はトガーメが務めている。

「シルヴィ、マロンは大丈夫?」

「……」

 知っていたのか、と、シルヴィは思った。先発マウンドに上がる前に、余計な動揺をさせたくないから敢えて黙っていた事だったが、球場の様子は聞こえてきていたのだろう。

「……大丈夫ですわ。次の守備は、問題ない筈」

「無理、しなくていいから……」

「無理だなんて! そ、それに今チャンスですのよ? ランナー三塁でランサム様なんですのよ!」

 それを聞いてユーセーは、俯いた。

「……駄目」

「?」

「……ランサムは、打てない……」

 ユーセーはそう呟いた。

「な、何故! ランサムなら絶対打ってくれる筈ですわ!」

「駄目……ランサムは完璧な野球選手じゃない……“野球選手”としては……優しすぎる……」




 ヴェストレーヴェ隊ベンチ。帰ってきたアサミラは、マロンよりは表情に余裕があった。

 だが、右腕から流れる血は痛々しい。

「ア、アサミラ……」

「心配すんなランサム、俺は大丈夫だ。それよりも」

 アサミラは、左手でランサムの尻を叩いた。

「次、必ず先制点を取ってくれよ」

「……」

 ランサムは、返事が出来なかった。

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