第45話 紅に染まるランサム
試合前日、ツツーミ王国プリンスホテル。
柄にもなく寝付けないでいたマロン、廊下を歩いていた。
と、薄暗い蝋燭の光の中で、ソファーに座る人影を見た。アキヤだった。
「何してるんだアキヤ? もう遅いぞ」
「あ、マロンさん……ちょっと、こけしを作ってて」
そう言うアキヤの手元には、顔のついた木彫りの人形。
「明日は試合だぞ」
「そうですけど、どうしても今日完成させたくて……僕の故郷では、このこけしは子孫繁栄の象徴なんです。転じて、異性への贈り物の定番にもなってます」
「そうか。それをどうするんだ」
「明日……ランサムに渡そうと思って」
「ランサムに、か……若いというのはいいな、アキヤ……」
「アキヤァァァァァァァァ!!」
球場にランサムの叫び声が響いた。
二塁ベース、稲妻に打たれ黒焦げのアキヤ。
全身から煙を上げ、ピクリとも動かない。
ランサムはベンチを飛び出していた。タイムをかけ、二塁へ向かう。
「アキヤ!」
意識はなかったが、息はあった。
ランサムはアキヤを抱え上げ、脈を確認する。
「いいザマだな、ランサム……!」
その背後、ウッツィクァーワが影を作った。
「ウ、ウッツィクァーワ! 貴様……!」
インペリアルクロスのシフトを敷いたのは、雷雲を頭上に呼ぶ儀式の為だった。
そしてタイミングを計りボールを二塁上空に高々と投げ、雷を落とす――それは野球のルールを何も破ってはいない。
だが、ランサムはこの外道共を許す事は出来ない。
「ウッツィクァーワ!! 貴様何処まで腐ってやがる!! 絶対に許さない!!!」
「フハハハハ! 許さないのならどうするというのだ! 貴様等のリードオフマンは見ての通り瀕死!! 交代するか? だが知ってるぞ、ヴェストレーヴェ隊に代わりの野手はいない事をな!!」
「くっ……!」
「それとも投手を代走に出すか? 当然そいつらも雷の餌食としてやるがな!! 交代要員がいなくなれば没収試合、貴様等の敗北は確定だな、ランサム!!」
「ぐ……貴様……!!」
と、
「ラ、ランサム……」
アキヤが、意識を取り戻していた。
「僕なら平気です……まだ、やれますから…………」
「ア、アキヤ……」
「フン、足から滑り込んだ事が幸いしたか。急所は外れたようだな」
だが、野球が出来るようには見えない。
ランサムの腕を掴むアキヤの手、なんとも力ない。
「無理だアキヤ……もう休もう。今日の試合は、諦めるんだ……」
「だ、駄目です! せっかく……せっかくここまで来たのに……!!」
掠れる声でアキヤは言う。
ランサムには伝わっている。その熱き魂が。
「……」
「勝つんです……この試合……絶対に……絶対に……」
たとえその身滅びるとしても、この試合の勝利の為なら安い。アキヤはそう思っているのだろう。
そんな彼女に、何を言えるだろう。
セラテリを思い出していた。
ランサムはこのシーズン中いつだって、救う事の出来なかったセラテリを想い、無力を噛み締めていた。
野球という競技の持つ矛盾。より良き世界の為、そして国家の誇りを抱いて選手達はプレイしていながら、その試合中に死者が出る事も珍しくはない。誰もが命を賭して戦っているからである。
そして、残されしものの心には深い傷跡が刻みつけられる。
ランサムはアキヤをその場に置いて、ベンチへと歩いた。
足取りは、不安定だった。
(本当にこれでいいのか……これで……)
もしも、これが消化試合なら――。
彼女が、かように傷つく必要もなかった。なればこの悲劇は、ランサム自身が齎したもの。
優勝出来ねば鷹の国による支配からの解放は成らないが、来シーズンにもチャンスはあったのではないか――考える程にランサムの心は、魂は、傷だらけだった。
――しかしそれでも、野球をやめられない。
ノーアウトランナー二塁。
打者はマロン。
絶好の先制のチャンス。だが、チームに明るいムードはない。
(敵は変わらずインペリアルクロス……隙の多いシフトだが、アキヤはあの状態。半端な打球では進塁不可能……)
アキヤは二塁、僅かなリードをとっていたが、足は産まれたての仔ヤギの如く震えていた。
(走れるのだろうか)
そう思わずにはいられない。
「ストラァァァイ!!」
「はっ!」
審判のコール、見ればキャッチャーミットにボールが収まっていた。
(し、しまった……この速球、集中を切らせば見えない!)
マロンは覚悟を決めた。
兎に角一塁方向。その意識だけを持っていた。
雷雲は、まだ二塁上空に集まりきっていない。だが儀式は続いている。もう二、三球の後に整うだろう。
さすれば敵は、先程と同じ事が出来る。松坂が牽制として二塁上空にボールを投げれば、再び稲妻がアキヤを襲う。
つまり、もう猶予はない。
二塁を見たマロン。
アキヤと、目が合った。
アキヤは何も言わず、ただ頷いた。
(そうかアキヤ……どうしても、ランサムにこけしを……)
二球目。またもストレート。
マロンはバントの構えだった。そしてアキヤは、スタートを切っていた。
(三塁は誰もいない! アキヤは全力で走れていないが……)
バットは、ボールの上っ面を深く擦った。
(一塁方向に転がれば、走塁中に追いつかれない!)
重い球だった。
バントに構えたマロンの左手は弾かれ、バットは軋む音を上げた。
それでも、何とか前に転がした。
「……インマミィーヤ」
ウッツィクァーワが呟くと、ショートの魔族・インマミィーヤは、マウンドの僅か左を転がるボールを目にも留まらぬ速さで拾い上げた。
「児戯に等しいな、ヴェストレーヴェ……!」
同時に、サードの全身防火服の男・アッツォは、足を引き摺るアキヤの前へと回り込んだ。
(こ、このプレッシャー……!)
アキヤは立ち止まった。そして、後退り。
それを見たインマミィーヤ、一塁に送球。
(馬鹿な!)
マロンは思った。内野陣はインペリアルクロス、一塁には誰もいない筈。
――そう思っている刹那の瞬間。
その送球は、マロンの眼前に迫っていた。
(……狙いは私か!!)
それはアウトを取る為の送球ではない。
文字通り、ランナーを殺す為の送球だった。
マロンはギリギリのところで送球を躱した。走りながら、上半身をスウェーさせたテクニカルな回避。
だが、それそらも敵の想定内であった。
「な、何ぃ!?」
マロンの背後。キャッチャーが走っていた。
キャッチャー・タッカーヤは馬の獣人である。下半身の強靭な馬脚で背後につけ、マロンの躱したボールをキャッチすると、そのままタッチ。
しかも生易しいタッチなどではない。
グローブで以ってマロンの背中を強打し、勢いマロンは地面に叩きつけられた。
「ぐあああっ!!」
「マ、マロン!!」
ベンチを飛び出す衝動に駆られたランサム。自分自身を必死で抑えた。
ランサムの怒り、そして悲しみは最高点へと到達せんとしていた。
「アウッツ!!」
審判のコール。
マロンはこの状況でも、一塁へと手を伸ばしていた。だが、出塁は叶わなかった。
アキヤも進塁出来ず。
相手の想定通りにアウトを取られ、ダメージを受けた……そんな印象の一連のプレーだった。
「…………」
ヴェストレーヴェ隊ベンチに沈黙が流れた。
血に飢えた観客達は、歓喜の声を上げて笑っていた。
マロンはその中で、よろけながらも立ち上がった。そして、ベンチへと帰ってきた。
「マロン……」
「すまない……チャンスを広げられなかった……無駄なアウトを…………」
すぐに治療の為ベンチ裏へと運ばれた。シルヴィとモーリィが付き添った。
次の打者のアサミラは、それを見送った。
「……無駄じゃないさ、マロン……」
バットを持ち、ベンチから一歩、足を出した。
「アサミラ」
ランサムが呼び止めた。
アサミラは、静かに振り返る。
「アサミラ、鎧はいいのか?」
その瞳には、決死の覚悟が宿っていた。
「いらねえよ、そんなもん」
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