第44話 還るべきランサムへ

 先発は松坂。

 投球練習で投げ込むボールを見て、ヴェストレーヴェ隊の面々は戦慄していた。

(化物か……!)

 圧倒的な豪腕ピッチャーだった。キャッチャーミットにボールが収まる度に、地鳴りを響かせていた。

 その球威に、誰もが目を見張った。


「くくく……見たかランサム」

 外野席のVIPルームで観戦するソーン皇帝。

 ワイン片手に美女達を侍らせていた。

 その顔には余裕がある。勝利を確信した、支配者としての余裕が。

「奴には年四億もかけている……その理由を思い知れ!!」

 松坂に対する全幅の信頼があった。


 試合開始――球場全体を禍々しい瘴気が包み込み、開かれた天井からは、分厚い雷雲に覆われた空が見えていた。

 先攻はツツーミ王国ヴェストレーヴェ隊。

 先頭打者は、アキヤ。

「行ってきます!」

「アキヤ……大丈夫なのか?」

 気丈に振る舞っていたアキヤだが、その顔には悲壮な色が浮かんでいた。

 無理もない。松坂のあの豪速球である。その手元が狂って死球など受けようものなら、命も危うい。

 それに球場全体の異様な雰囲気。負ければ粛清されかねない鷹の国の選手達はもちろん、完全アウェイの観客席も殺気立っていた。

 それは野球の試合というよりも、断頭台の血を望む飢えた群衆の雰囲気。

「大丈夫ですって! パワーピッチャーは初回は制球荒れるもんですし。上手い事出塁してきます!」

 少女は決死の覚悟だったかもしれない。

 バッターボックスに向かうアキヤが、ランサムには酷く小さく見えた。


「プレイボォル!」

 いつものように左打席に立つアキヤ。

(どんな形でもいい、塁に出られれば……)

 そう思っていた、その瞬間。

「ボォルッ!」

 球審のコール。

 アキヤの目には、残像しか残っていなかった。試合開始直後に投げ込まれた松坂のボール。

 インハイ顔面スレスレの直球、その残像だけしか。

「……」

 途端に、心臓が脈動を大きくした。

 足の震えを必死で堪えた。


「アキヤ! 間を開けろ!」

 ベンチからランサムの声。

 ハッとしたアキヤ、タイムをかけて一歩打席の外に出た。

 が、豪速球が再びアキヤの目前を通過した。

 アキヤの鼻筋に、血が滲む。

「な……松坂! 今のは明らかにタイムの後の投球だぞ!!」

 そんなランサムの言葉にも、

「悪いな、動きを止める事が出来なかった」

 全く悪びれない松坂。

 ショックで尻餅をついているアキヤに、ランサムは駆け寄った。

「大丈夫か」

「う、うん……」

 ランサムはアキヤを抱えて立たせた。

 アキヤはランサムに触れ少し落ち着いたようにも見えたが、瞳孔はまだ開いていた。

「無理しなくていい。僕の打席で何とかする」

 そう言ってくれたランサムを見るアキヤ。

 何とも完成された肉体、端正な顔立ち。史上稀に見るハンサムタフガイであるランサム。

 彼こそはこの世界の奇跡、神が地上に送り出した希望の象徴。そうとしか思えなかった。しかし、だからこそその存在は酷く不安定にすら見える。

「いや、何とかしますよ……それに」

 ランサムが如何に強打者と言えど、松坂の速球が身体に向かえば躱す事は容易ではない。打席に立ちその投球を目の当たりにしたアキヤにはそう思えた。

 そしてその速球が、ランサムの頭部に当たりでもしたら…………そうなればランサムはこの世界から消えて、遠い別の世界へと行ってしまう。何故だかそんな気がした。

「……どうした?」

「な、何でもないです! そうだランサム、もし、僕が出塁して本塁に生還出来たら……」

「生還出来たら?」

「……ん、ごめん、何でもない! 大丈夫、きっと生きて帰って来ますから!」

 アキヤは笑って敬礼一つ、またバッターボックスという名の最前線へと戻っていった。




 ランサムは心配に思いながらもベンチへと下がった。

 同時に鷹の国内野陣、ウッツィクァーワが守備位置の指示を出していた。


 松坂の三球目。

 その前にアキヤ、そしてランサムもその異様な守備に気がついた。

「なんだこのシフトは……内野陣が皆ニ塁周辺に……?」

 フードを被った内野が四人、ニ塁を取り囲む様に立っている。

 二塁の左右にサードとファースト、後方にセカンド、前方にショートが立っている。

 ファーストは当然ウッツィクァーワ。顎を釣り上げ、不敵に笑っている。

「このシフト……インペリアルクロスですわ!」

 シルヴィは知っていた。それは、ショートをピッチャーの真後ろに置く、伝統的な内野のスタイル。

 現在でも愛用する貴族や王族達が多い為、インペリアルクロスと呼ばれる。(参考文献:那由多書房刊「現代野球基礎知識②・ワルシャワ蜂起編」)

(しかし鷹の国が無意味に伝統的シフトを敷く筈がない……アキヤ、やはりこの戦いは危険だ……!)

 ランサムは思っていた。しかし既にインプレイ、松坂はワインドアップ。止める事は出来ない。

 内野陣は皆、仁王立ち。


 松坂の三球目はストレート、それも、ど真ん中。

(これなら……!)

 アキヤは思った。身体が自然に反応した。いかに豪速球とて真ん中中央、その球をアキヤは見逃しはしない。

 振り遅れぬように素早いスイング――バットはボールに当たった。芯では捉えきれずクリーンヒットにならない手応え、だが

「これでいい!」

 狙いがあった。

「三塁方向に転がせば……!」

 この異様な変則シフトである。内野は皆二塁周辺、一塁線も三塁線もがら空きである。

 完璧な手応えではなかったが、アキヤはバットを振り切った。

 ボールは狙い通り三塁線、転がりながら外野にまで到達した。

 レフトの鳥人・アッキーラは一瞬遅れてからの猛チャージ、しかし遅い。そして捕球したとして、誰もいない一塁に送球は出来ない。

「よし! いいぞアキヤ!」

 アサミラがベンチで手を叩いた。

 俄に沸いたベンチ。ランサムも嫌な予感を杞憂と思った。しかし、プレイはまだ終わっていない。

 アキヤは一塁を蹴った。レフトの守備の遅れを見て、間に合うと判断した。


 嫌な予感がした。

 ランサムは直感的に殺気を感じ取り、その頭に閃光が走った。、

 二塁は内野陣が囲んでいる。レフトの遅れた守備が、罠である可能性。

 内野陣が、グローブを天高く掲げた。

「……死ね、ヴェストレーヴェの犬どもめ……!」

 アッキーラの送球。速い、しかし正確さを欠いていた。

「二塁、もらいました!」

 送球は遥か上空だった。内野陣が高々く上げたグローブよりも、遥かに上。

 アキヤはセーフを確信した。場合によっては、三塁まで――

 だが、その瞬間。

 アキヤがスライディングで二塁ベースを陥れた、その瞬間であった。

 内野陣のグローブ、その上空のボール、そしてその先の雷雲。その全てが一直線に並んだ一瞬。

 稲妻が、二塁ベース上に落ちた。

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