第39話 明日からのランサム

 七回裏。

 先頭は、カズーオ。

「……ふぅ……」

 ピッチャーのユーセーは、息を吐いた。

 球数は100を超えていた。疲れてはいるが、

(中継ぎ、いつも迷惑かけてるし……)

 疲れを顔に出さず、続投していた。


 だがその初球。

(良いコース……だよね)

 そう思って投げたアウトコースのボール。“打たせて取ろう”……そんな思いがあったのか、スライダーが甘く入っていった。

 カズーオはそれを見逃さなかった。

「やっば……!」

 右中間を破るツーベースヒット。

(いけないいけない、ちょっと気ー抜いちゃったかなぁ……)

 ユーセーは、立ち上がり駆け寄ろうとしたシルヴィを手振りで戻して、左手にロジンバッグを持って三塁側を見た。

 ランサムがいる。

 目が合って、首を傾いでちょっと笑ってみせると、ランサムは軽く、それでいて力強く頷いてくれた。


 次の打者は送りバント。

 そしてワンナウト三塁で、バッターはギン・ジー。虎の獣人であるが、見た目よりもテクニカルなバッティングに定評がある。

 2ボール2ストライクと追い込まれてからの、五球目。

 ギン・ジーは低めの球を掬い上げた。打球はレフトへ飛ぶ。

(……無念、打ち損じなり!)

 ギン・ジーは思った。ユーセーの球威、思ったよりも落ちていない。圧された。

 最低でも外野フライという目的は達せられたものの、飛距離が浅い。

 レフトのマロンが、前に出て捕球の構え。高々上がったボールを見ていた。


 三塁ランナーカズーオ。ベースに足をつけた。

(……行ける……)

 彼奴の足が衰えたのならば。

 きっと肩も衰えている。

 そんな、不確実な考え。


「マロン、バックホーム!!」

「!!?」

 まさか走るとは思っていなかったマロン、送球を急いだ。

(こんな浅いフライで!)


 憧れていたカズーオ……しかし憧れの選手とは即ち、いつかは超えなければならない選手でもある。野球にその身を捧げた者の宿命。

(取ったばかりの一点を……!!)

 全力で、本塁へ投げた。

 送球は若干三塁側へ逸れたが、カズーオをギリギリで追い越していた。

 シルヴィが捕球し、カズーオへタッチに向かう。

 タイミングは、悪くない。

 ホームベース左前方のシルヴィ。左足、僅かに宙に浮く。


 カズーオはタッチを避けようとはしなかった。むしろ、強く当たりに行った。

 左肩でシルヴィのグローブの中を、掻き出した。

 鍛え上げられているカズーオの肉体である。シルヴィは耐えきれずボールを落とし、地面に転がった。

「セーフ!」

 球審のコールに、補殺を逃したマロンは顔をしかめた。






 七回一失点のユーセーに代わり、八回からはマキータがマウンドに上がった。

 マキータの球は今日も打者を幻惑していた。当然のように、八回をゼロに抑えた。


 そして九回表。ワンナウトで、ランサムに打席が回ってきた。

(流れは悪くない)

 投球のリズムが良ければ攻撃もノッてくる。ここで打てば次も抑えられるだろう。流れを感じていた。


「ピッチャー交代」

 動いたのは、アドラーズ。

 三番手ヤマー・アオに代わり、

「ノリモ・T」

 監督の采配に、アドラーズベンチがざわついた。

「正気ですか監督! ノリモ・Tは昨日先発で130球投げています!」

「構わん……あの研究が完成すれば、代わりなどいくらでも造れる」

「な、なんですと!?」

「フン、感づかれ始めているから言ってやろう。ノリモ・Tはな、かつて我チーム存在したエース、マサ・タナカのクローンなんだよ!」

「な、なんだってー!?」

「ノリモ・TのTはタナカのT! ノリモとはNo Remote……即ち自律制御型である事を示す!」

「そ、そんな……どうりで顔が似ていると……」

「わかったか! お前らの代わりなどいくらでも造れる……いや、お前らはいずれ全て“クローンランサム”に置き換わるんだ!!」




 マウンドに、ノリモ・Tが上がった。

 バッターボックスのランサムは内心驚いていた。昨日の先発が今日の抑えをする。現代野球ではあまり見られない事だ。

(この一戦に勝負をかけるか)

 ランサムはそう解釈した。だがそれにしても解せない。

 先の対戦でランサムはノリモ・Tを攻略している。奥義を用いれば打てるのだ。

 奥義の反動は凄まじくその後の打席にも響くもの、しかしながら今は九回。反動を気にする必要はない。


 客席の新聞記者達は、夕刊の見出しをこう決めた。

 “継投、失敗に終わる”

 四球を願うばかりだった。


「来い!」

 バッターボックスのランサム。威圧感はオーラジャイアント現象を生み出している。

「……」

 ノリモ・Tはクールな男だった。というよりは、人間味に乏しい。威圧感は苦にしていない。

 良くも悪くも、ベンチの雰囲気をマウンドに持ち込まない男だった。


 初球。ランサムの胸をかすめるインハイのストレート。

「ボール!!」

 ノリモ・Tは球審のコールに舌打ちした。昨日は取ってくれたコースだった。

 返球を受け取り二球目。キャッチャーは、ボール半分中に構えていた。

(スピードを抑えれば、投げられるだろうが……)

 ノリモ・Tは、再びワインドアップモーション。

 九回である、以降の事を考えずに勝負に挑めるのは、投手とて同じ。力を抑える気など毛頭無かった。

 連投とは思えぬ力の入ったストレートを、真ん中高目に投げ込んだ。


 ランサムは左足を踏み込んだ。“打てる”……確信があった。奥義を撃つつもりでいた。

 だが。

「ストライク!!」

 見送った。

(あのボール……)

 ランサムは感じていた。

 あのピッチャーが、明日を見ていない事を。






 球場の外。

 セラテリは地面に膝をつき、吐血していた。

 偽ランサムの投球に、肉体が耐えきれていないのである。

 二球目は、折れたバットのヘッド側を持って振り抜いた。

 肉体も生命も全てを注ぎ込んだつもりのバッティングだった。だが、偽ランサムの球をどうしても前に飛ばせない。

 踏ん張れど踏ん張れど球の持つパワーは衰えず、長時間のせめぎ合いの末バットは粉々に砕け散った。

「ストライク……終わりだな、セラテリ」

 だがそれでも、セラテリの目は死んではいなかった。

「ああ……確かに今のはストライクだ……」

 精魂尽き果てた筈の肉体を、精神力だけで立たせた。

「だがまだツーストライクだ……!」

 次にセラテリが手にしたのは、折れたバットのグリップ側。

「フ……フハハハハハハハ!!」

 それを見たタニー・ミキ大統領、笑い声を上げた。

「そんなものを手にして打つ気か! ヘッドも芯も無いんだぞ! 愚かな! ランサム、引導を渡してしまえ!!」

「芯が無ければ……打てないとでも?」

 ――バッティングとは、心の所作。

 心が正しく形を成せば想いとなり、想いこそが実を結ぶのだ。


 セラテリは構えた。一見それは無謀であった。何しろ構えとは名ばかり、根本から折れたバットのグリップを手の中に収めただけの、子供の戯れにも見られぬ状態。

「……やれ、ランサム」

 冷淡とも評されてきた大統領ですら、セラテリを憐れんだ。偽ランサムへの命令は、介錯に他ならない。






 ――ノリモ・Tは知っていた。自分が“人造野球人ホムンクルス”である事を。即ち複製品である事を。

 監督、そして大統領が自分を使い捨て程度に考えている事も。

 ショートには、同じ境遇のカズーオがいる。彼もカズーオ・マッツイーンの遺伝子をベースに、数多くの野球選手の能力をインプットした“人造野球人ホムンクルス”である。


 ノリモ・Tは、考える事をやめた。


 自分の武器はストレート。幾度も、球界の誰よりも、三振を奪ってきた。

 ベースとなったマサ・タナカよりも高い三振率。

 それだけは、信じられる。


 三球目は渾身のストレートだった。

 今日の球だけを見て、誰が連投だと信じられよう。昨日ランサムと勝負したときよりも、遥かに球威があった。

「こ、この球のキレは……!」

 空振り。

 一瞬静まった客席、そして刹那にスタジアムを震わす歓声。

 まぐれではない――ノリモ・Tは、ランサムからも空振りを奪える投手だったのだ。それを、球場のアドラーズファン達は確信したのだ。

(奥義しかない……)

 ランサムは思った。

(それも半端な奥義ではなく……明日をも考えぬ、全身全霊の奥義を!!)

 次もストレートだろう。それも、会心のボールが来る。

 言うまでもなくランサムのバットコントロールは球史上随一のものである。タイミングを外された変化球を容易く拾い上げる程度の事は造作もない。

 だが、今日のノリモ・Tのストレートを打つにあたり、ランサムはあえてヤマを張った。

 “ストレートが来る”……それ以外の可能性を捨てたのである。半端な覚悟では、打ち返せない直球が来る。


 四球目。キャッチャーのサインに首は振らない。ワインドアップ。

 振りかぶって――投げた。

 投げた瞬間に、ランサムは動いていない。意識だけがバットを振り抜いていた。

 コースは高目ギリギリ、釣り球と割り切り判定に賭ける手もあるだろう。しかしランサムは打つと決めていた。

 ボールが、頬を触れるかのような錯覚。その中でも恐怖を飼い慣らし、更に一歩踏み込んだランサム。

 刹那の瞬間その筋肉はパンプアップし、そして西武ライオンズの高技術繊維ユニフォームにより抑制指向制御されたそのエネルギーは、ロスなくバットへと流れていく。

(まただ、またこの感覚!!)

 シマーの魔眼ですら見切れぬランサムのスイングスピード。

 ノリモ・Tのボールをグローブに捕球したと確信したイメージからの、ランサムのバットが捉えている目の前の現実。

 ランサムの踏み込んだ足は地割れを起こし、ボールを捉えたバットを全力で振り抜いた瞬間、空間は震えた。

「――!」

 外野スタンドを超え場外へ消えていく打球。ノリモ・Tは、見送る事もしなかった。






 球場は、静まり返っていた。

 ランサム以降を三振に打ち取って九回裏、一点差。

 諦める点差ではないのかもしれない。だが、ランサムの打球のインパクトの前に誰もが反撃の意思を失っていた。

 ……ただ一人を除いて。


 ツーアウトランナー無し、バッターカズーオ。


 マキータの初球だった。

 アウトコースのボール、カズーオはバットを振り抜いた。あえて、レフトを狙って打った。

 マロンの守る、レフトを。

「マロン!」

 言われる間もなく打球を追っていた。だが、追いつかない。マロンは自分の足が恨めしかった。

 スタンドまでは行かないだろうが、フェンス直撃コース。

 マロンはクッションボール処理の為に立ち止まった。だが。

「し、しまった!」

 クッションボールはマロンと逆方向へ転がっていった。ちょうど、昨日カズーオが背中を強打し凹んだ箇所に打球が直撃したのだ。

 長打は免れない。マロンは走りながらランナーを見た。

「!」

 二塁に到達しそうなカズーオが、スピードを緩めていない。明らかに三塁を狙っていた。

「何度も何度も……」

 マロンは確信した。カズーオは自分を狙っていたのだと。

 そこが、守備の穴だと。

「舐めやがって!!」


 ――残りのシーズンなど、知った事か。


 マロンは地面を強く強く蹴った。まるで獲物を狙う四足獣が如くボールを追い、フォローに入っているセンターのアキヤよりも先にボールを拾った。

 そして。

「む、無茶ですよマロンさん!」

 そんなアキヤの忠告など聞こえない。

 ボールを手にすると体勢を無理やりに三塁に向け、ミシミシと悲鳴をあげる軸足を強引に踏みとどまらせ、肩、肘、手首を総動員した全力の送球を三塁へ投げた。


 マロンのそのプレーは功を奏した。明らかにカズーオよりも速く、三塁手ランサムのグローブにボールは収まった。

 だが、ランサムは気を抜かない。

 カズーオにはナカジーマのスライディングテクニックも刷り込まれているのである。


 三塁ベース前に出したランサムのグローブ。既にスライディングを始めているカズーオ。その足がランサムのグローブへと近づく。

 尋常なれば、ランナーは一か八かスピードを緩めタッチを掻い潜る事を狙う。

 だが、カズーオはそこで更に加速した。タッチを躱すのではなく、あえて強く当たり、先刻のようにボールを掻き出す事を狙っていた。

「甘いぞカズーオ!!」

 カズーオの足とランサムのグローブは衝突した。瞬間、衝撃波が球場に広がった。しかしそれまで。

「……!? う、動かない!」

 ランサムはその筋力でもってボールを確実に捕球し続け、カズーオのスライディングの勢いを完全に止めていたのである。

「アウトォ!!」

 ゲームセット――試合は、ヴェストレーヴェ隊の勝利で終わった。




 暫く、立ち上がれないでいるカズーオ。

「……どうしてだカズーオ。どうして、無理に三塁を狙った?」

 そう声をかけたのは、マロン。

「……フッ」

 カズーオは、軽く笑った。

「次の塁を目指すのに、理由がいるのかい?」

「カズーオ……」

「君が俺を誰と間違えているのは知らない。俺は何人かの選手の遺伝子を組み込まれて作られた人造野球人ホムンクルスだからな。だが、そんな俺にも、熱い心はある」

「……」

「それだけだ」

 そう言って去っていくカズーオの背中を、マロンは見送った。

 新人だったあの頃と、同じ様に。

 彼は本物のカズーオではない。だが、懐かしいものを思い出させてくれた。

 本物のカズーオも、いつか必ずここへ帰ってくる。そんな気にさせてくれた。




 ランサムは、一足早く球場を後にしていた。

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