第40話 残るランサム散るランサム
欲しかったのは栄光。
世界中の良識ある全てがそうであるように、セラテリもまた西武ライオンズに憧れていた。
辻、石毛、デストラーデ、清原……黄金時代のライオンズの選手達は、誰も皆輝いていた。
「打ったーーーー!! 清原またもホームラン!!!」
子供の頃に目に焼き付いた獅子達の活躍は、太陽の如く光り輝き、不変にして不可侵の神聖な思い出になっていた。
「君の実力ならば間違いなく全米ドラフト一位指名だろう」
高校卒業を間近に控え、セラテリは教師にそう言われた。しかし。
「いえ、大学に進学します。そして……西武ライオンズを目指します!」
幼少期よりずっと夢見ていた西武ライオンズ。セラテリの眼は輝いていた。
2015年。
世界最大の超大都市・埼玉県の、それでいて風光明媚な自然極まる所沢の西武ドームへとやってきたセラテリ。
「やあ嬉しいな、遂に私も今年からライオンズの一員だ」
グラウンドでは選手達の自主練が行われていた。誰も彼も、ハイレベルなプレーをしている。
そんな中、セラテリは一人の選手に目を奪われた。
その選手はバッティングでは柵越えを連発、守備では素早い捕球、正確な送球を見せていた。
まるで流れる水の様に、時には不動の大木の様に。美しさと力強さを兼ね備えた神々しくすらあるプレイヤー。
「彼が気になるかね、セラテリ」
「田邉監督……」
「彼の名はランサム……我がチーム、いや、歴史上でも最高の選手だ。君には彼とポジション争いをしてもらう事になる」
「あ、あの男と……?」
無理だ……すぐにそう思った。
誰でもひと目見ればわかる。あのランサムという男の、完成された肉体。
それでも持ち前の勤勉さで毎日のトレーニングメニューをこなし、西武コーチ陣の的確な指導も受けメキメキと実力をつけていったセラテリ。
だが自身が強くなればなる程、ランサムの野球力の果てしない高さを思い知らされる。
いつしかセラテリは、ライオンズの層の厚さに自信を打ち砕かれていた。
今やっている努力は無駄なのか、いや、努力と言ってもランサムのストイックさにも敵わない。なれば追いつく事は出来ないのではないか……そんな思いに支配される。
帰りは居酒屋一休で飲み明かし、家では一人孤独にアイドルマスターのライブDVDを見る日々。
そんな日々が続いていたある温暖な冬の日。
風の噂で、かつてのスター清原が落ちぶれている事を知った――。
「馬鹿な!?」
タニー・ミキは驚愕の表情を隠せない。
「私とて、地平を駈ける獅子が一人!!」
グリップエンドで捉えたボール。
見たこともないバッティングフォームだが、その身体は熱く燃えていた。
セラテリは、熱く燃えていたのである。
投げ込んだ偽ランサムも状況を把握しきれない。
偽ランサムの高エネルギーボールをあんな打ち方すれば、バットは一瞬で炭化しボールは手に直撃、そこから腕を通して破壊エネルギーが身体に浸透し、肉体は高負荷に耐えきれず分子レベルで崩壊する筈。
それを堪えているのはセラテリの精神力と、それを最大限引き出す栄光の西武ライオンズユニフォームあってこそだが、尋常なる思考では理外に映る。
「うおおおおおおお!!!」
既に砕けている全身の骨はしかしそれでも物理論の限界を超え、セラテリの精神世界のイデアは野球を触媒にエイドスからアセンションしソクラテスの理想たるプショケーのあるべき場所へ導かれていた。
即ち、セラテリのバットはボールを弾き返していたのである。
「こ、こんな事が……!」
それは決して強い打球ではなかった。
だが偽ランサムの右足元を抜けて転がり、それは所謂ヒットゾーンへと飛んでいった。
「勝ったぞ……ランサム……!」
セラテリはその場に倒れ込んだ。
偽ランサムは打球の行方を見て、それが“ヒット”であると認識した。そして。
「そんな……そんな筈は……パーフェクトな選手であるこの僕が……」
頭を抱え、膝をつき、全身を震わせていた。
「ま、まずい……ランサム、敗北を認めるな! 敗北を認識するんじゃない!! ランサム!!」
「ああああああ!!」
「敗北を認識すれば崩壊するぞ!!」
ランサムは“完璧な存在”……偽ランサムにはそうインプットされており、それを自己存在固定の一事由として知能に条件付けする事で、偽ランサムは一種の自己催眠によりランサムの超プレーをコピーせしめているのである。
ヒットを打たれた……それは、完璧な存在であるという偽ランサム自身のアイデンティティの崩壊を意味していた。
「完璧な筈のこの僕が……僕が僕がああああああああ!!!」
偽ランサムから幾条もの光の筋が発せられた。肉体がエネルギーを抑えつけられなくなっていた。
「ランサム! 落ち着け、落ち着くんだ!!!」
そう叫ぶタニー・ミキの願いは届かず、偽ランサムとタニー・ミキは拡大していく光の中に飲み込まれ、そして数秒の後にその光と共に消え去っていた。
「セラテリ!!」
暫くも間を置かず、その場にランサムが来た。偽者ではない、本物のランサム。
試合終了後すぐに来たのだろう、ユニフォームは汗と泥に塗れていた。
思えば自分は、ここまで必死にプレーしてきたのだろうか――セラテリにそんな事を思わせた。
「ラ、ランサム……」
「しっかりするんだセラテリ!!」
「ランサム……私は君に、酷い事を……」
「いいんだセラテリ! すぐに医者に連れて行く!!」
「駄目だランサム、私はもう助からない……それよりも、君に言わなければならない事がある…………鷹の国の事だ……」
「鷹の国!? ま、まさか君も……」
「知っているだろうランサム、ツツーミ王国は埼玉県所沢市とよく似ている……同様に、鷹の国にも……見覚えはないか……?」
「見覚え……ハッ!」
言われてランサムは思い出した。
一度鷹の国の球場に行った事がある。そこは全てが闇に覆われ、瘴気が立ち込め、人々は血に飢えていた。
建物は禍々しさを放ち、道々には亡者達がひしめいていた。
「ぐ、群馬…………いや、福岡!!」
「そうだ……鷹の国も福岡もかつては光に満ちていた……ソーン皇帝の支配が始まるまでは……!」
「馬鹿な、何故そんな事を!? 何にもならないじゃないか!」
「考えてみろランサム、ドラゴンや亜人・獣人といった異世界の種族が、NPBに来たら……。奴はその人材を、ソフトバンクホークスで独占するつもりだ……! そうなればホークスは軍事力そのものと化し、野球の力で世界すら掌握出来る……!!」
そこまで言って、セラテリは血を吐いた。
ランサムはセラテリを抱え上げた。そして気づいた。セラテリの首筋にも、“〓”の焼印。
「こ、これは……ソフトバンク!」
なんたる運命の悪戯か。
セラテリは西武ライオンズに所属していながら、ソフトバンクユーザーだったのである。
ソフトバンクの契約者には例外なく入れられるという、この“〓”の焼印が何よりの証。
「私はここまでだランサム……ランサム、君を巻き込んでしまった事……そしてボールを当てた事、本当にすまない……」
セラテリのあの凶行は、電波によって操られての事だったのか。
だとしたらセラテリは、必死に抗っていたのである。ソフトバンクの電波に。
「本当に…………ランサム…………」
――あの時。
「出力を五十倍に上げた! 今度こそ……今度こそ!!」
「セラテリィィィィィ!!!」
肉体交換装置にランサムを繋いでスイッチを入れた瞬間。
セラテリ自身もまた、次元の割れ目に飲み込まれていた。
時空が歪んだその刹那の時。
異世界と現世、過去未来が交わるその瞬間の時。
魂と肉体の境界線に至るその道すがら。
セラテリは確かに見た。
ランサムと、そして清原の勝負を。
落ちぶれ弾かれ爪弾きにされたあの男が、まるで高校球児の様に熱き眼でバットを振っていた。
その姿は確かに、光り輝いていた――。
「……私は満足しているんだ……ランサム、偽者とはいえ、最後に君に勝つ事が出来たのだから………………」
「セラテリ……」
目を閉じたセラテリをそっと置き、ランサムは立ち上がった。
倒さなければならない敵がいる。
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