第18話 ランサムに雨の降るごとく
「読売……桑田真澄」
ドラフト会議場がざわついた。無理もない。清原を指名すると誰もが思っていた。
(何故だ……何故こんなことに!)
清原は泣いた。生まれて初めて本気で泣いた。
思えばあの頃から、自分の精神の奥底に在る非ホーリズム的ナーバス部は心理学的(即ちヴィルヘルム・ヴントの提唱理論内)なゲシュタルト崩壊状態にあったのではないか。
類推するに、その後の自身の振る舞いはそれを肯定こそすれ矛盾を孕まない。
異世界のはずれでケチな勝負をしている。勝ったところで何もならない非生産的な行為。
しかしバットを握りボールを打ち返した感覚をその手にし、清原は忘れかけていた勝負師としての情熱を思い出していた。野球少年だった頃の純粋なあの想い。
悲しい事に、もう遅い。それを真っ直ぐに表現出来る程には、清原はもう若くはなかった。
ランサムは思う。止めを刺さねばなるまいと。
博多ラーメンを静脈注射する事により自我を失った清原。肥大した筋肉を以てボールを打つ、ただそれだけの醜い化け物と成り果てていた。
もはや人間には戻れないだろう。悲しい宿命であった。
原型を留めていない清原、その身体でバッターボックスに立った。
ボールが射出されるやワンテンポ置いて――それは通常であれば機を逸したと見える程遅れて――タイミングを取り、そしてフルスイング。バットは音速の壁を超え自壊しつつもボールを捉えていた。打球は空気を切り裂き百メートル先のボードを貫き勢い止まらず、先の壁を破壊しそして彼方に消えていった。
「ぐっ……!」
ランサムは視力が奪われた。視界が闇に沈む。だが、ここで勝負を降りたりはしない。互いにパーフェクトまで残り一枚、決着はつけねばならない。
有利なのは断然清原。最後の一枚を抜いた時、ランサムの心臓は止まるのである。
だがそれでもランサムには勝機があった。心臓の筋肉の力が奪われるのならば、オーラで以て鼓動を維持させればいい。
もちろんそれが確実に出来るとは限らない。案外呆気なく死に至るかもしれない。
覚悟はある。そして恐怖は克服している。
なにより、
(これは、清原にとって最期の闘い……)
それを途中で投げ出す事は、ランサムの誇りが許さない。
心眼、開眼。
ZONEの扉を自らこじ開けたランサム。目は見えずとも心の眼は開いていた。
8球目。ランサムの淀みないバッティングは、容易くボードまで飛び板を抜いた。
そして残り一枚。
清原は5番を、ランサムは8番を残している。
「清原……」
ランサムは清原のバッティングを待った。
心臓にオーラを集中し、来るべき衝撃に備える。
しかし。
「……清原?」
清原の動きを感じない。ランサムは視界の無いまま音を探るが、清原が動いている様子を感じない。
だからといって勝負を切り上げ外に出たり、などという事はしない。決着はついていないのである。男と男が野球で戦っている、どうしてそれを投げ出せようか。
故にランサムは、ひたすら待った。
オーサーカとの試合当日。
ツツーミ王国メンバー達は、試合に向けて球場入りしていた。
オーサーカ侯国オリエンタルバイソンズ本拠地。ドーム球場であった。
「ランサムが来ていない?」
ツツーミ王国ベンチはざわついていた。
「連絡も取れません。家にも帰ってきていませんし……何かあったとしか……」
立場上平静を装うマキータだが、明らかに顔色は冴えない。
ランサムに限って何事かあるとは思えないが、万が一の可能性は消せずそれを考える程に不安は募る。
「どうしますのマキータ、探しに……」
「いえ、試合に穴を空ける訳にはいきません。今日はランサム抜きのスターティングメンバーで戦います」
そんなツツーミ王国ベンチの落ち着かない様子は、オーサーカにも届いていた。当然その原因がランサムの不在という事も。
「ランサムがいない、か……バハムートを出すまでもない」
三連戦初戦。ゲームは静かに始まった。
「ラン…………サム……」
「清原!?」
あれから何時間待ったか。声に気付きランサムは顔を上げた。
清原は気を失っていたのである。
博多ラーメンのオーバードーズにより全身の筋肉は過剰なまでに活動し、それは青天井のパワーを生み出してはいたが同時に身体への負担も大きく、清原は不覚にも意識を飛ばしてしまっていた。
「現役の頃と……同じようにはいかないものだな……」
「清原……自分を取り戻したのか」
「今だけだ……じきに俺の脳も侵食されるだろう……フフ、あれはただの博多ラーメンじゃない。スープにあまおうも入っていたからな……」
「そこまでして……どうして野球に対するその強い想いを、もっと真っ直ぐに示せなかったんだ……!」
「いつからだろうな、野球が楽しくなくなったのは……野球は俺の生きる全てだった。だが野球に死す事は出来ない、それに気付いた頃からか……衰えていく俺を、誰も必要とはしない。チームを離れ、試合からも離れ、やがてプロ野球からも離れた。なのに未練たらしく異世界で野球に命を賭けてみて、馬鹿みたいだ…………だがランサム、お前はその想いを叶えてくれた」
清原の身体はしぼみ始めていた。もはや全身の力が抜け、筋肉が崩壊を始めているのだろう。博多ラーメンを静脈注射した者の末路である。
そんな身体で、清原は弱々しくボードを指差した。
「ランサム……お前の手で俺に止めを刺してくれ……」
「……!」
「頼む……仮にも西武ライオンズの主軸を打った男、博多ラーメンで死にたくはない……」
「……清原……」
ランサムは痛む心を抱えたままバットを咥えた。
そして、バッターボックスに立つ。
開かぬ眼から、涙は止めどなく流れた。共に野球を愛する者同士、短い間なれど勝負を通してその心は通じ合っていた。
ランサムの打球は、真っ直ぐに真っ直ぐに飛び、最後の板を打ち抜いた。
「泣くなランサム……こんな悲劇など、鷹の国打倒を目指すならまだ序章よ……」
「な、何……?」
「俺は鷹の国によって異世界に呼び出された……一緒に野球をやらないかと誘われた。もちろん断った。奴らに与する程腐っちゃいない……西武ライオンズの一員だった最後のプライドだ」
「……」
「だが、奴は違う! 奴は……あの男は…………!」
「や、奴!? それは一体……!」
「あいつは…………あの怪物は…………!! …………」
「清原……? 清原ああああぁぁぁぁ!!!」
眠れ清原!!!
ランサムの頬を伝うは血涙。開かれた眼は太陽の如く朱に染まっていた。既に全身の力は戻っていた。いや、怒りに震える身体にはより強い力を宿していた。
こんな悲劇はもう起こしてはならない。ランサムは鷹の国打倒、そしてその支配から世界を救う決意をより一層強くしたのだった。
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