第17話 軌道上にランサムは疾る

 豪腕投手の速球すらも容易く打ち返すランサム、トスマシーンのボールなぞ片手でも十分。

 力を奪われた左腕は添えるだけにして、右腕だけでランサムはスイングした。

 それでもバットは的確にボールを捉える。ライナー性の打球は目の覚める速度でボードまで飛び――ド真ん中、5番に命中した。

「ぐおおっ!」

 瞬間、清原の左脚に激痛が走った。

「や、やるなランサム……だが勝負はまだまだこれからだ!」

 清原の二球目。

 再び鈍い音を響かせたボールは、今度は1番の板を抜いた。

 今度はランサムの右脚に激痛。

「フフ、今度は軸足がイッたようだな。もうまともなバッティングは出来まい」

「分かっていないな、清原」

「何?」

 右脚の力が抜けているにも関わらず、ランサムは平然として立っていた。

 有り得ない。それは清原の常識からは考えられない事であった。

「バッティングとは、肉体だけで行うものではない。心技体、全てが揃って初めてパフォーマンスは発揮出来る」

「……!」

 しかし清原にも見えていたのである。ランサムに纏う虹色のオーラが。

 幻覚だ、ランサムの威圧感が見せているに過ぎない――そう思おうとしても、見えてしまっているものは消えない。

「だ、だったら結果を出してみろ! 口先だけならなんとでも言える!」

「OK」

 ランサムは、再びバットを構えた。トスマシーンからボールが射出される。

 が、速度が違っていた。通常の倍以上の速度で射出されたボールは、まるでサイドスローの左投手が内角を攻めるかのように胸元に迫ったのである。

(油断したなランサム……トスマシーンが常に一定だなどとは誰も言っていない!)

「……」

 ランサムは冷静だった。右腕を折りたたんでのコンパクトなバッティング。難しいコースであろうと関係などない。

 ボールは快音を響かせボードへ一直線、今度は9番を打ち抜いた。

「どうだい清原。次は君の番だ」

「ぐっ……!」

 清原の腰に激痛が走り、力が抜けた。

「大丈夫かい? 今やめるのなら……」

「誰がやめると言った!」

 清原は、膝をつかない。腹筋に力を込めて踏み止まった。

 そして、バットを構える。

「清原……」

「喰らえランサム!」

 清原のバッティング。

 打球は、前の二球よりも明らかに力は弱かった。だが、ふらふらと飛んでいった打球はそれでもボードにまで到達し、そして4番を抜いた。

「清原、君は……」

「ランサム! お前の番だぞ!」






 オリエント宮殿庭園。

 ミーヤウーチ侯爵と貴族達は、連れてきたバハムート三体に野球の基本を教えていた。

 バハムート達の守備位置は外野。内野ほど綿密な連携が必要となる訳ではないが、当然経験無しからすぐに出来るようになる訳でもない。

 知能の高いバハムートは野球のルール程度なら容易く覚える。だが言語を使う種族ではないため、意思疎通は若干難があるように思われていた。

「サインは覚えたな?」

 だがミーヤウーチは、それを欠点だとは思っていなかった。

 野球には、サインがある。言葉などなくとも意思疎通は可能なのである。

 余人曰くバハムートは高潔である。だがそれだけではない。彼等もまた、野球を愛する存在なのである。






 ランサムは気が付いていた。清原もまた、野球を愛している事に。

 勝負は進み、すでに六枚ずつ的を抜いている。清原は左脚、左腕、腰、胸筋、背筋そして頭髪を奪われていた。

 対してランサムは左腕と右脚、僧帽筋、背筋、そして胸筋と腹筋の力を奪われている。

(こいつ……)

 清原は恐怖すら感じていた。ランサムの打球はなおも威力を失わないのである。

 いや、打球に込められる闘気と小宇宙コスモはより強くなっていると言っても過言ではない。

「清原、どうする? 今なら勝負をやめても……」

「何を馬鹿な! 続けるに決まっている!」

 言葉では威勢は良い、しかし清原、立ち上がる事すらもやっとの状態。バットを持とうとしたが、落としてしまった。

「清原……そこまでして……」

「フ、ランサム。感傷など無用」

 それでも壁によりかかりながらなんとか立ち上がり、清原はバッターボックスに立った。

 トスマシーンからボールが射出される。

「ふおおおおお!」

 清原のスイング。力は弱い。しかし。

(流石だ清原……流石天才と呼ばれた男だ……)

 ランサムは心中唸っていた。ホームランとはパワーだけで量産出来るものではない。バットの芯に当てるテクニックこそ肝要なのである。

 落ちぶれたとて清原、それを失ってはいなかった。バットは完璧にボールを芯で捉えていた。

 ボールはぐんと伸びていき――9番の板を抜いた。

「……どうだ、ランサム!」

「……!」

 誇らしげに言う清原。対してランサムの顔は歪んでいた。

「フフフランサム、右腕がイッたようだな。これではバットを持つ事など不可能! 俺の勝ちだ!!」

「……それはどうかな」

 ランサムは、地面に転がるバットを口で拾った。

 そしてバッターボックスに立つ。

「ランサム!? 無茶だ!」

 無茶だ、と言われて聞くようなランサムではない。

 そしてその自信に満ち溢れた立ち姿は、見る者にそれを不可能だとは思わせなかった。

「ラ、ランサム……」

 トスマシーンから射出されたボールを見極め、そして、首から上の力だけでスイング。

 ランサムとて不世出のホームランバッター。バットの芯になら、何度も当ててきた。

 バットはボールを完璧に捉えた。ボールは真っ直ぐにボードに向かい、1番を抜いた。

「グハァ!」

 その瞬間、清原はその場に倒れた。右脚の力を奪われたのである。

 もはや立ち上がる事が出来ない。ましてやバッターボックスに立つ事など。

「清原……ここまでだ。その状態ではもはやバッターボックスには……」


 ――もう、現役を続ける事は――


「黙れ!!」

 清原は叫んだ。無意識の叫びだった。

 そして、ジーンズのポケットから注射器を取り出した。中に入っているのは、ドロリとした白濁の汁。

「そ、それはまさか!」

「そうだ…………博多ラーメンだ!」

「やめろ清原ぁ!」

 ランサムの静止は間に合わない。清原は躊躇いなくそれを静脈注射していた。

 瞬間、清原の全身の筋肉は見る間に膨張していく。

「馬鹿な清原……博多ラーメンは経口摂取する分にはただの食べ物! しかし静脈注射すれば命を縮める毒薬と化す!! 死ぬ気か!!!」

「お前に勝てればそれでいいぃぃぃぃぃ!!!」

 清原は巨大化した。身長6フィート2インチのランサムを軽く見下ろす程に背丈は伸び、同時に体表積は著しく膨張し、身体を捻れば狭い中庭の壁を削った。バッターボックスからは、否が応でも足がはみ出てしまう。

「き、清原……」

「ブフゥ……」

 熱を持った全身の筋肉から湯気があがる。清原は、もはや人としての原型を留めていなかった。

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