第11話 ランサムシフトダウン
リヴァイアサンバスの海中便に揺られ、ランサム達ツツーミ王国一行はティーバ海中スタジアムへと向かっていた。
水深二百メートル。ドームスタジアム全体にかかる水圧は魔術と技術、そして精神力でカバーしているという。
ランサムならば素潜りで到達可能な水深であるが、試合前に余計な体力を使う事は愚策。故にリヴァイアサンバスに揺られていた。
「ランサム、今日の試合の事なのですが」
車中、マキータが言った。
この三連戦で先発は予定されてはいないが、マキータは責任感が強い。チームの苦しい台所事情を考え、中継ぎや抑えとしての登板を志願している。
エルフのしなやかな肉体にアンダースローは相性が良く、肩の消耗が少ない事も理由だった。
マキータとランサムは、試合前に共に戦略を練る事が多かった。スターティングメンバーも二人で決めている。
「やはり主軸を打つカクナカンは脅威……試合の展開次第では、敬遠も必要かと思います」
「敬遠か……」
カクナカンとは、正々堂々と戦う事を約束しているランサム。
敬遠は野球の戦術の一つ、誰も責めることないだろうが彼の落胆する顔は想像出来た。出来る事なら選択したくない策。しかし、チームの事情もある。
「ランサム?」
「……そうだな、その選択も有りだろう」
しかし試合が始まり、敬遠攻めを食らったのはむしろランサムの方だった。
初回から敬遠、ノーアウトでもランナー無しでも敬遠。
ランサムのOPSは4.678。成績を考えれば敬遠こそが最善手である。が、解せないのはカクナカンの事。
(真っ向勝負を望む目をしていたカクナカン……君はこれに納得しているのか?)
チームがそう行くと決めたのなら逆らいはしないだろう。ティーバの本拠地故ブーイングも無い。
だがそんなランサムの思案とは対照的に、カクナカンは好調だった。
七回までで三打数三安打。生き生きとプレーしているように見えた。前会ったときよりも表情は晴れやか、躁と言ってもいい。
レフトの守備についた時はファンの声援に答える余裕すらもある。
(僕の考え過ぎか……)
ランサムは思った。
カクナカンとて野球人、勝利を優先してもおかしい事などないではないか――ランサムはそう考えた。
七回を終わりスコアは3-3、ゲームはテンポよく進んでいた。
そして八回表、ツツーミ王国の攻撃。
先頭のシルヴィが四球で出塁。
「やりましたわランサム様!」
塁上で手を振るシルヴィにランサムは応えてやる。
それからアキヤとアサミラも出塁し、ワンナウト満塁の場面でランサムを迎えた。
ティーバの内野陣がマウンドに集まった。
「ここまでやったのなら徹底するべきです」
ショートのガイア・スズキンは言う。
ランサムの敬遠攻めには元々反対の立場であったガイア。だがやると断ずれば半端では成らず、チームは勝たなければならない。
ここに来て方針を変えるのでは、今までやって来た事も無意味となるように思えた。
「しかし満塁だ、勝ち越しを許す事になる……“あの仕掛け”を作動させるという手もあるが」
先発のウォーカー・イシカワン。三点を失ってこそいるが状態は悪くなく球数もここまで100球程度、9回まで行くつもりでいた。
他の内野陣も、概ねウォーカーと同じくランサムとの勝負を主張した。どちらにせよ勝ち越されれば苦しくなる終盤。
「いやそれは止めておこう、今やれば犠牲が出る……しかし相手はランサム、やはり敬遠するべきだと……」
と、そこへ。
「大丈夫だ、みんな」
「カ、カクナカンさん!」
レフトからマウンドまで、カクナカンが来ていた。
「あいつの打球は俺が必ず取る。信じてくれ」
自信に満ち溢れた顔をしていた。
ランサムがバッターボックスに立った。
キャッチャーが座る。ティーバは、勝負を選んだ。
(カクナカン……)
ランサムはレフトを見た。カクナカンはレフト、ややセンター寄りの深い位置にいる。代わりに、センターとライトは浅い位置。タッチアップを阻止する構え。
カクナカンは分かっていた。いや、ティーバの選手達も。“ランサムの打球は、シフトなど関係ない”という事。場外まで飛ぶのだから。
ピッチャーのウォーカーが投球動作に入った。今日初めてのランサムとの勝負。誰もが固唾を呑んだ。
初球、外に大きく外れてボール。ランサムとて手が届かない程外れていた。
(……打てる)
ランサムは思った。ボールゾーンで勝負をされるのだろうが、ピッチャーには迷いがある。狙いを外し、ストライクゾーンに掠るボールが必ず来る。
三球目もやはり外に外れスリーボール。しかしキャッチャーは立ち上がらず、同じ場所に構える。
バットを降らなければ確実に四球だろう。ランサムはそう思う。ここは四球でも良い場面。
ランサムは構えを解かずにいた。かといって打ち気も見せない。そう、これはランサムの仕掛けた高度な心理戦。
ワンナウト満塁スリーボールの場面で打ちに行くバッターは少ない。引っ掛けてダブルプレーにでもなれば目も当てられない。一球見るのが定石。
だが、ランサムにはそんなプレッシャーを跳ね除ける鋼のメンタルがある。四球目、アウトローの絶妙なコースをカット。
ランサムでもカットがやっとのやや外れたコースだったが、今日の球審は外が広く低めもよく取る。そのゾーンをついた絶妙なコントルールのボールだった。
(あれをカットするとは……)
思いながらウォーカー、しかしヒットには出来ぬ筈と確信を持った。
もう一度同じコースに投げた。今日のコントロールは冴えていた。
「……!」
鈍い音が響いた。ランサムのバットの先に当たったボール、ライト方向へ高く上がった。
「打ち上げた!」
ガイアは叫んだ。ライトが飛球を追う。
「いや伸びるぞ!」
一塁上のアサミラ、打球の行方を伺った。例え捕球されても二塁を陥れるつもりでいた。
そして想像以上に打球は伸びていき――
「ファール!!!」
ボールは、ポールの右側へと逸れていった。
ウォーカーは考える。
――ランサムを追い込んだ。
投手とは、強き打者を追い求め、そして打ち取る事を目指す。まして三振を取れるとなれば尚更。
鉄の規律を持つティーバの海兵隊は、誇り高い。
ランサムから三振を奪う、これ程の名誉は他にないと考える!
フルカウント。ウォーカーの六球目は逆球のインローだったが、これは意図して投げていた。
(外を続けて見せられたランサム、これは打てまい!)
コースは完璧、凡百の打者なら姿勢を崩され満足なスイングなど不可能であろう。
だが、ランサムは違う。
その類稀なる動体視力は球筋を完全に読み取り、鍛え上げられた肉体はタイミングをアジャスト、そして、
(今日の球審は外が広い分内はやや狭い……故に若干甘いコースに投げざるを得なかった!)
明晰なる頭脳は、そんなピッチャー心理すらも見透かしていた。
「打、打った!」
ランサムの洗練されたコンパクトなスイングは、インローのボールを快音とともにレフト方向へ飛ばしていた。
ツツーミ王国ベンチが総立ちになり打球の行方を追う。
「手応え充分だ」
ライナー性の打球。ランサムはホームランを確信していた。
「甘いぞランサム!」
レフトのカクナカン、叫ぶと同時に垂直跳躍。
「カクナカンさん!? 無茶な……」
言いかけて、ショートのガイアは言葉を失った。
穴が開く程に蹴り飛ばした地面、カクナカンは一瞬の内に天井に届かんばかりに跳んでいた。
「ランサム……この打球もらった!」
グローブの綿が弾け飛ぶ破裂音、カクナカンはランサムの打球を受け止めていた。
「流石ランサム……常人なら腕が吹き飛ぶであろうこの威力! だが!」
カクナカンは落下を待たずボールを利き手に取った。一塁ランナーが僅かに飛び出している。
いや、飛び出しているという程ですらない。せいぜいリードを取っている程度の距離、通常であれば充分に帰塁可能、しかし。
「ハッ!」
気合とともにカクナカンはボール投げた。
「は、速い!」
空中の不安定の体勢からとは思えぬ力ある送球、それはまさに、
「レ、レーザービーム!!」
アサミラは動けなかった。
いや、下手に動けば送球が自身に命中し、命を落とす危険性すらあった。
一塁手のグローブに一直線に、吸い込まれるようにして送球は収まった。ボールは空気との摩擦熱で半壊し、受け止めた一塁手のグローブは燃え上がった。
「アウトォ!」
審判のコール。アサミラは、ショックを隠せなかった。
「ば、馬鹿な……ランサム以外にレーザービームを使える奴がいるなんて……!」
「カクナカンさん! ナイス送球です!」
ベンチに戻ったカクナカンを、ティーバナインが迎えた。
「あんなプレー見た事ありません! 凄いですよ!」
「ああ……」
俄に活気付くベンチとは逆に、俯いたままのカクナカン。
「カクナカンさん?」
「あ、いや、すまん。次の攻撃に備えないとな。ちょっと手袋を取ってくる」
「手袋? それならここに」
「いや、それとは違うんだ」
そう言って、カクナカンはロッカールームへ向かっていった。
「どうしたんだろう、カクナカンさん」
ガイアは訝しんだ。いつもの彼なら、自身の好プレーでチームメイト達を鼓舞して雰囲気作りをした筈。
あれ程漲っていた筈の気力も失われているように見えた。
「なぁに、あまりにいいプレーだったんで余韻に浸っているんでしょ。それにしても流石カクナカンさん……凄い漢だ」
――ロッカールーム。
カクナカンは頭を抱えていた。にわか聖餅にされた囚人達の怨嗟の声が精神を蝕む。
「し、静まれ……静まるんだ……」
バッグを漁り、にわか聖餅を取り出した。声を静めるには、さらなるにわか聖餅の摂取により力で抑え込むしかなかった。
「はぁはぁ……静まれペニー……ミッチェル……ライマー……」
そしてまたベンチに戻ったカクナカン。
試合前と同様の、気力が漲った顔になっていた。
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