第9話 ランサムと会った日
オフの日でも鍛錬を怠らないランサムだが、蘇生明けという事もありその日は休養に当てていた。
しかしだからといって部屋に閉じこもっているような男ではない。見聞を広める為、旅に出ていた。
海洋国家、ティーバ連邦。
聞けばその島嶼国は、甘味に溢れたお菓子の国でもあるという。
大陸から隔絶されたその島は独自の生態系を構築し、木々には糖菓が生り、畑ではスイーツが育ち、水路には清涼飲料水が流れるという。
節制を旨としストイックに自分を鍛え上げているランサムだが、甘いもの好きという以外な一面も持ち合わせていた。
「ここが、ティーバ……」
定期便のリヴァイアサン水上バスを降り島に降り立ったランサム。だがそこは、聞いていた理想郷とはかけ離れていた。
水路は枯れ、木々は朽ち果て、乾いた大地に冷たい風が吹き荒ぶ、まさに荒れ地であった。
「なんという状態だ……聞いていた話と違う」
冷たい風の中、ランサムは歩き出した。
ティーバ連邦共和国海兵隊は、次の三連戦の相手である。とすれば、何処かに野球施設はある筈。
野球力はこの世界では軍事力と同義、即ち野球場は軍事拠点と言っていいだろう。ティーバはその潤沢なる甘味食糧の為他国から狙われる事が多かった歴史もある。故に、対GDPにおける野球費の比率も世界トップクラスとの研究報告も存在する。トレーニング施設くらい見えてもいい筈だった。
数時間、ランサムは荒野を歩き続けた。と。
「あれは……人が倒れている!」
軍服を着た男が一人、荒野にうつ伏せに倒れていた。ランサムは急いで駆け寄った。
「息はある……君、大丈夫か!」
「……」
抱え上げると、男は力なく瞼を開き、
「……た、食べ物を……」
掠れた声で言った。
「食べ物……? そんな、ここまで食い詰める程この国は追い詰められているのか……」
ランサムは懐から、非常食として取っておいた饅頭を取り出した。
「これは……?」
「十万石まんじゅうさ。かつて僕のいた国で売られていた、老若男女に人気のお菓子だ」
「お、お菓子……!」
男は十万石まんじゅうを受け取ると、貪るように齧りついた。
一口食べれば上品な甘さが全身を駆け抜け、幸福感に心は満たされ、冷たく感じていた風は春の息吹に変わり男に語りかけた。
うまい、うますぎる。
「ありがとう、生き返ったよ。俺の名前はカクナカン・カツーヤー。あんたは命の恩人だ、名前を教えてほしい」
「ランサム。コーディ・ランサムだ」
「ランサム……? まさか、あのランサムか!」
「僕の事を知っているのかい?」
「野球選手なら皆知っているさ。ツツーミ王国に彗星の如く現れた奇跡の助っ人だと。俺もこの国で職業野球をやっているが、あんた程の選手なんか聞いた事がない」
「照れるな……でもそれなら次は君のチームと対戦する事になる、楽しみにしているよ」
「ああ、こっちこそ容赦はしない……と、言いたい所だが……」
カクナカンは、辺りを見回した。お菓子の国と呼ばれていたティーバ連邦共和国。しかしそれが嘘のように、荒れ果てている。
「この国はこんな有様だ……俺達はとても全力なんか出せやしないのさ……」
悲しい目をしていた。当然である。野球に全力を注げないプレイヤーなど、まさに死に場所を失った武士。自らの在り様すらも見失ってしまうだろう。
「何故こんな事に? ティーバは甘味溢れる潤った国と聞いていたのに」
「鷹の国だ……奴らが優勝した昨年、この国の糖には禁止物質が含まれていると難癖をつけてきた。そして調査目的と言ってお菓子を根こそぎ奪い……お菓子はこの国の重要な輸出品、それが奪われればこうなるのは目に見えていた」
「な、なんたる悪逆無道なんだ鷹の国! ……そうだ、ツツーミ王国が食糧を支援しよう! 帰ってすぐに手配するよ」
「な!? そんな事したらツツーミ王国が目をつけられてしまう! それに俺達はあんたの敵だ、敵にそんな施しを……」
「フッ……確かに優勝を共に目指すチームメイトからは怒られてしまいそうだ。だけど僕も一人の野球選手……」
ランサムは、カクナカンの肉体まじまじと見た。
これほどまでに貧している状況にあって、その肉体はトップアスリートのそれをキープしている。砂を食み、泥を啜ってでも維持しようと努力したのであろう、生半可な精神力ではない。
ランサムはその肉体に、カクナカンの中にある底知れぬ戦士たるプライドを垣間見たのだ。
「カクナカン、万全の君と勝負をしたい。正々堂々と戦いたいんだ」
嫌味のない、爽やかなランサムの表情。それは彼の言葉に偽りが無い事をありありと示していた。
「ランサム……そうだな。俺も、お前と全力で戦いたい」
もはやそれ以上言葉は要らなかった。
互いに目を合わせ微かに笑うと、力強い握手を交わした。
――翌日早朝。
約束通りランサムからの食糧がリヴァイアサン便により送られてきた。
カクナカンは一人港へ行き、荷降ろしをした。
ツツーミ王国産の食材は、滋養があると言われている。試合は今日の午後。昼食でこれらの食糧を出せば、まさしく望んでいた全力での戦いが出来るであろう。
「おっと」
荷降ろしの最中、十万石まんじゅうが一つカクナカンの手から零れ落ちた。
「やれやれ、無駄には出来ないな」
拾い上げようと手を伸ばした、その時。
不意に誰かの手が伸び、カクナカンより先に十万石まんじゅうを拾い上げた。
「ああすまない、それを……」
いつの間にそこにいたのか。フードを深く被った男が、そこには立っていた。顔は見えなかったが、その特徴的顎部からアゴ族である事は分かった。
と。
「!」
男はカクナカンの目の前で、十万石まんじゅうを握り潰した。
あんこが激しく飛び散る。
「な、何をするんだ! それは貴重な……」
「こんなものであのランサムに勝てるとでも?」
「! ……何者だ貴様……? 何をしに来た!」
「あなたのチーム……今相当ヤバイ状況では? 次の三連戦負け越しでもしたら、最下位一直線……」
「……!」
「もし今年最下位になれば……悲惨さは一層増すでしょう。カクナカンさん」
「俺の名前を……」
「あなたにも家族がいるでしょう? これ以上彼らの生活が苦しくなれば……」
言われてカクナカンは、自分の妻と子供を思い出した。満足に食わせる事もままならず、ひもじい思いをさせてしまっている。もし今年最下位になるような事になれば、一家離散もあり得た。
「し、しかしそれがどうした! 俺達に出来る事は試合で全力を出す事、それだけだろう!」
「そう、全力だ……しかしあなたは気付いている筈、全力でもあのランサムには勝てぬと……」
「な……!」
「全力でも勝てない……だが、その全力を超える事が出来れば……?」
アゴ族の男は、上着の中から箱を取り出した。そして差し出されたそれを見て、カクナカンは驚愕した。
「こ、これは鷹の国銘菓にわか聖餅! 戦略物資で国外持ち出し禁止の筈のこれを何故お前が!?」
にわか聖餅……それは、囚人達を呪術により肉塊とし、平たく成形したのち地獄の業火でこんがりと焼いた禁菓である。
呪術は想像を絶する苦痛を囚人に与え、その際の怨嗟の表情が成形後の菓子の表面に浮き出るというまさに呪われた食材である。
「フフフ……これをあなたに差し上げます」
「これを……?」
にわか聖餅は、人間の持つエネルギーを禁呪で増幅しつつ聖餅化している。これを食べた者はたちまち力に満ち溢れ、普段の何倍ものパフォーマンスを発揮出来ると言われている。
しかし同時に、肉塊とされた囚人達の憎悪が体中に染み渡り、苦痛の声が脳内に響き渡り、精神は蝕まれていくという。その為、禁止食材に指定されていた。
「こ、こんなもの俺は食わない! 禁止食材にまで頼りたくはない!」
「それで家族が路頭に迷う事になったとしても? 可哀想に、あなたのくだらないプライドと臆病心で野垂れ死ぬ家族達……いや、この国の人々が不憫でならない……」
「……し、しかし……」
「迷う事はありません、勝たなければ明日はない……選択肢などない筈……家族と国の為に!」
「…………!」
まさに悪魔の囁きだった。家族、そして国家の事を出されてはもはや抗えない。
カクナカンは、にわか聖餅を受け取った。
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