第4話 ランサムマイスター

 ランサムの噂は大陸全土に響き渡っていた。

 あまりにも現実離れした活躍を眉唾ものと切り捨てる者が大多数だったが、一部の有識者達は事実として受け止めていた。

「人間の身でありながらここまで野球を極めるとは……」

 ツツーミ王国の次の対戦相手、シャウエッセンケンプファーズの指揮官もその一人だった。

 ケンプファーズは鷹の国に肉薄する強豪チームの一つ、その強さは指揮官の徹底した現実主義にも支えられていた。

「次の三連戦……“奴”を投入する!」






 脱衣所に連れ込まれたランサム。

「あいた!」

 弾力のある何かにぶつかり、立ち止まった。

 体幹を鍛え抜いているランサムはなんともなかったが、目の前に尻もちをついている女の子がいた。

「すまない、大丈夫かい?」

 ランサムは手を伸ばす。女の子はタオル一枚だったが、眼鏡をかけていた。

「あ、大丈夫です……」

 ランサムの手を掴み立ち上がり、そして去っていった。

(あの手の感触……)

 掴んだ女の子の手は左手だったが、軟な手ではなかった。

「ランサムさん何してるんですか、早くしてくださいよー」

 逸るアキヤの声。

「アキヤ、今の子は誰だい? 試合には出ていなかったけれど」

「ああユーセーさんですか、次の試合の先発ですよ」

 アキヤは既に一糸纏わぬ姿だったが、恥じらう事もなく隠そうともしない。

 対照的にマキータは、脱衣と同時にさっさと浴場へ行ってしまっていた。

「ユーセー……彼女が次の先発……」


 ランサムは脱衣を終え、浴場へ向かった。

 先客のチームメイト達が先に湯に浸かっていたが、アキヤに「気にしなくてもいい」と言われていたランサムはその言葉に甘える事にした。

「失礼」

 乳白色の湯に身を入れるランサム。

「ラン……サム……」

 アキヤとマキータを始め、その場にいた誰もが息を飲んだ。

(なんて……なんて完成された肉体なの……!)

 どう切り取っても隙のない、完璧な肉体だった。

 ランサムの身体能力を支えるもの、それは紛れもなく日頃のトレーニングに他ならない。

 そして鍛え抜かれた肉体とともにある、ランサムの不動の精神力。二十一世紀で最も完璧な男それはランサムであった。

「あ、あの……ランサム」

「なんだい、マキータ」

 顔を赤らめ恥じらいの表情を浮かべこそすれ、マキータの目は筋肉に釘付けになっていた。

 無理もなかった。ランサムのパーフェクトボディを見て、心を奪われずいるのは不可能と言っていい。

 マキータの女の部分は、自らの意志とは無関係に反応していた。

「さ、触ってもいいですか……?」

「構わないさ」

 光り輝く微笑みとともに、ランサムは右腕を湯から出した。丸太の如き、逞しすぎる上腕二頭筋が露出する。

「太くて大きい……これがランサムの……」

 マキータはランサムの腕に触れた。エネルギーに溢れる筋肉の脈動が聴こえるようだった。

 そして上腕二頭筋から僧帽筋、大胸筋、腹筋。

 憧憬と共に悔しさも滲んでくる。自分にこれだけの筋肉があれば、もっとチームに貢献出来る……と。

 マキータは、ランサムの筋肉に夢中になっていた。気付いた時には身体は密着状態にまでなっていた。

「ご、ごめんなさいランサム! 私つい夢中になってしまって……」

「気にしなくていいさ」

「ズルいですよマキータさん!」

 と、アキヤ。

「僕も触りたいです!」

 ランサムに抱きついた。尻尾を振っている。

「アキヤ! 迷惑をかけてはいけませんよ!」

「そういうマキータさんだって筋肉を離そうとしないじゃないですか」

「そ、それは……」

 ランサムの筋肉は、失意の中にあったチームを再び活気付かせようとしていた。


(なんですのあれは……二人して……)

 ランサム達の様子を、遠くの湯船から見ていたシルヴィ。

(私だって、ランサム様の筋肉に触りたいですわ……でもそんな事してはしたない女の子だと思われたら……)

 上流貴族のチャコールバレー家の子女として生まれ育ったシルヴィ。満たしたい欲望をプライドが邪魔をする。

 素直になれない女心を持て余していた。ランサムとは、婦女子達の心をかき乱すかくも罪な男でもあった。






 ――シャウエッセンケンプファーズ本拠地、極北ドーム。

 大陸最北端の地に建設されたこのドームは、外壁が一年中氷に覆われている程過酷な環境下にあった。

 その地下、食肉加工場。

 しかしこの工場はカモフラージュであり、さらにその地下は秘密研究施設となっていた。

 ここでは失われた古代文明の技術を解析・復元し、野球に還元する研究が日夜行われている。

「“奴”の調整は順調か?」

 研究室へ降り立った指揮官。研究責任者の博士に訊いた。

「は。出力90%まで安定しています。しかしいつ暴走するか……」

「よろしい……次の試合、こいつを起動する!」

「つ、次の試合!? 正気ですか!? 彼はまだ研究段階……未解明の部分があり危険です! 古代人が何の目的でこのマシーンを造りだしたのかも謎のままなのですよ!?」

「……君は“ランサム”の噂は聞いているかね?」

「ランサム……? はは、あんなの何かの間違いでしょう。人間にあんなプレーは不可能ですよ。科学者の私にはわかります」

「事実だとしたら……? 鷹の国を粉砕したあのパワーが事実だとしたなら!」

「指揮官……?! まさか、あの噂を信じて……!」

 指揮官は研究施設中央、カプセルに眠る男を見た。

「“奴”を起動しろ」

「き、危険です!」

「命令だ! さあ!!」

「指揮官無茶です! 我々の技術ではまだ彼の……野球マシーン“オーターニ”のパワーを制御出来る保証はありません! 下手したら死人が!!」

「さあ!!!」

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