episode3 女性は苦手です

 雨が降っている。


 エメラインは暗い夜道を何かに追われるように走っていた。その胸に大事そうに抱きしめているのは鞘に収まったままの剣。

(そうだ、私はこの剣を守るために……)

 雨で濡れた路面が滑って、彼女の足から素早さを奪う。

 レンガにつまずき、彼女は派手に転んでしまった。

 胸に抱いていた剣が地面に転がり、鞘から光る刀身が覗いている。

 エメラインは魔力のようなものを感じて、地面に倒れたまま濡れるのも構わず、妖しく光る刀身を、まるで魅入られたように見つめていた。


 ……


「……さん、エメラインさん!」

「ん……うう……」

 明け方、エメラインはアルに揺り起こされた。額には汗が浮かんでいる。

「大丈夫ですか? うなされてましたよ」

 目を開けると、心配そうに眉根を寄せ、のぞき込むアルの顔が見えた。辺りはまだ暗く、たき火の残り火がチラチラとくすぶっている。

「ん……大丈夫……」

 よろよろと上半身を起こすと、汗をぬぐった。

(今のは……夢?)

 アルは木の葉をかき集めてくると、たき火の上に振りかけた。レンガの隙間から吹いてくるわずかな風が、炎を少しずつ大きくする。

「嫌な夢でも見ましたか?」

「うん、変な夢を見た……」

 アルはそれ以上何も聞かなかった。エメラインは大きくなるたき火の炎を見つめながら、腰に下げたままの剣の柄を握っていた。


 ***


 夕方になった。

 1階から始めた城の探索はなかなか終わらなかった。思った以上に広い城らしい。その間モンスターや二人の追っ手に出会うこともなかった。追っ手はともかく、森に住むモンスターはこの城の奥までは入ってこないようなのだ。

 城の内部は相当頑丈な作りらしく、壁や天井もしっかりしていた。そのため中は暗く、窓がない部屋はロウソクがなかったら真っ暗だ。

 また、中には水の滴る部屋などもあり、奥へ進めば進むほどジメジメする。おそらく上の階に原因となる何かがあるのだろうが…それに比例して、得体の知れない軟体動物や足が無数に付いた節足動物がうじゃうじゃと壁一面に張り付いていたりと、モンスターが出ないといえど、決して楽な探索ではなかった。


 エメラインはずっと夢のことが頭から離れなかったせいか、探索に意識を集中させることができず、なんとか無理矢理集中させようとしていた。それが長時間続いたせいですっかり精神的に疲弊してしまったのだ。

 やがて狭い廊下から大広間が見えてほっとした途端、彼女の意識は急に途切れた。

「さ、着きましたよ」

 先頭を進んでいたアルが振り向くと、ちょうどエメラインがアルに向かって倒れかかってくるところだった。

「エメラインさ…おっと」

 アルは驚きつつもとっさに彼女を抱き止めると、改めて彼女の腕を自分の肩に回した。

 少し先には昨夜休んだ時のたき火跡がある。

 彼女をそこまで連れて行き、ゆっくり寝かせてから水袋の水を染み込ませたハンカチで顔を拭いてやると、冷たい水の感触にエメラインはすぐ目を覚ました。

「…あれ…?」

「目を覚ましましたね、大丈夫ですか?」

 エメラインは悔しそうに目を伏せ、両手で顔を覆った。

「はぁ…ごめんなさい」

「なにか、あったんですか?」

 エメラインは素直に今朝見た夢の話をした。アルは黙って聞いている。

「剣を抱えて逃げてたのよ…もしかしたら私、ものすごく重大な使命を負っているのかもしれなくて…そう思ったら全然集中できなくて…」

 アルは彼女の話を聞きながらたき火の火をおこしている。辺りはすっかり暗い。

「…王立図書館に行ってみますか?」

「…え?」

 じっとたき火の炎を見つめるアルの顏は真剣そのものだ。

「その剣、私も気になってたんですよ。もしかしたら有名な宝剣なのかもしれませんよ。修行時代に王都で見たような気がするんです」

「ほんと!?」

 エメラインは半身を起こしてアルに詰め寄った。

「ただし、王都に行くと言うことは追っ手が増えるかもしれません。それでも行きますか?」

 アルの問いに、エメラインはしばらく考えていた。鉄の村の酒場で出会った気の良さそうなおじさん達が実は彼女の追っ手だった。しかも、自分は気づけなかった…。もし今後同じようなことが起こったとき、剣を守れるのだろうか…? 

 不安に返事ができないでいると、その様子を見ていたアルが肩をすくめた。

「大丈夫ですよ、僕がいますから」

 アルはエメラインの考えていることがわかったのか、くすっと笑った。

「だいたい、行きますか?って聞いて行かない、とはなりませんよね普通」


 エメラインは瞬間的にぎゅっと彼に抱きついた。勢いに押されて床に倒れ込みそうになるのをぐっとこらえ、目を白黒とさせるアル。

「な…」

「アル…なんて言っていいか…」

「も、もちろん、報酬はいただきますよ!」

 自分の胸に抱きつくエメラインを、アルは汗をかきかき引きはがした。

「そ、それに! 王都までは遠いです。行く先々でも仕事をこなさないと私への借金も返せませんよ。ここの探索もまだ終わってないんですからね!」

 明らかな動揺を見せるアルを見て、エメラインは一瞬あっけにとられるも…。

(あれ…?)

「アル…もしかして照れてる?」

「て…そんなんじゃありませんよ!」

 立ち上がって忙しくネクタイを直すアルを見上げながら、

(うわー…鼻がつんつんしてるだけの男だと思ってたのに実は照れ屋…)

 思わぬ彼のチャームポイントを見つけてしまったエメラインは、ニヤニヤせずにはいられなかったのだった。

「さ、もう大丈夫でしょう! 外のモンスターを退治に向かいますよ!」

 場の空気の耐えられなかったのか、アルはさっさと城の外に向かって歩き出してしまう。

「あ、ちょ、ちょっと待って!」

 引き留めようとする彼女には目もくれずズカズカと歩みを進めながら、アルは初めて『女性が苦手である』と認識したのだった。


 ***


 城跡の周りを覆うように広がる森に生息している野犬やオオカミは、思ったより簡単に駆除が終了した。4~5匹で行動しているオオカミや野犬の群れが5~6組徘徊しているだけで、そんなに危険な森というわけでもなかったようなのである。実際のところ、ほとんど人間が通りかからない孤立した森林にそこまで大型の動物が生息しているわけもなく、食物連鎖の頂点はオオカミや野犬にとどまっていたのだ。

 二人は意外に静かな森の中を積極的に探索して退治するを繰り返し、これ以上歩き回ってもモンスターがいない…と確信すると城跡の中へと戻ってきた。

「今何時…?」

「午前2時を回ったところでしょうか」

「ふう…」

 エメラインは歩き通しで疲れたのか、崩れ落ちるようにたき火跡横に腰を下ろした。アルは疲れを見せない顔で淡々と火をおこしている。普段傭兵として仕事をするアルの方がこういう状況には慣れているようである。

 火の付いた枯れ枝がやがてたき火となると、辺りはようやく温かい光に包まれはじめた。

「さすがに疲れましたか?」

「…まぁね。でも異形のモンスターがいるわけじゃないみたいだから、ちょっとホッとしてる」

「異形? 異形のモンスターと遭遇したことがあるんですか?」

 異形のモンスターとは通常の進化を遂げた生物ではなく、呪術師に作り出された汚れた生物や、神々によって遙か昔に生み出されたが、邪神によって歪められてしまったドラゴンなどのことを言う。

 その種類にもよるがそれぞれ強大な力を持ち、知能のあるなしに関わらず普通の人間にはまず太刀打ちできない。退治できるのは王国が組織する騎士隊や、一部の名を上げた傭兵などごく一部だけである。

 エメラインは投げ出していた両足を抱えなおした。

「うん、14歳くらいの頃だけどね。修行中に騎士隊に同行したんだけど、そのとき古い礼拝堂に巣喰う立派なグリーンドラゴンを見たわ」

「…ほう。つまりあなたは騎士なんですね」

 冷静なアルの返答に、エメラインは困惑した。記憶がないはずなのに、まるでアルに誘導されるように今の記憶だけが鮮明に思い出されたのだ。

 彼女は現実に引き戻され、その表情は困惑で曇った。

「…わからない。ただ、14歳の時グリーンドラゴンを見た。これだけは覚えてるのよ」

「王都へ行くべき理由が増えましたね。騎士隊にあなたを知る人がいるかもしれないです」

「そうね…」

 しばらくエメラインの様子を伺っていたアルだったが、その後炎を見つめたまま何も言おうとしない彼女に見切りを付け、ネクタイを緩めて上着を脱ぐと、火のそばで横になった。

「あなたも休んだ方が良いですよ、明日は早いですから」

「ええ…」

「大丈夫。心配いりませんよ、この調子ならじき記憶も戻ります…」

 彼女を元気づけようとしたアルの慰めの言葉は、なぜか心にとても優しく響いた。

「ねぇアル、あなたはどうして…」

 そんな優しい言葉をかけてくれるの?…そう続けようとして、彼がすでに眠りについていることに気づいた。

「……そっか、アルも疲れてたんだね。そう見えないだけで…」

 エメラインは寝息を立てているアルに近づくと、静かにその頬にキスをした。

 アルはきっと気軽に言った言葉なのかもしれない。でも、彼女にとってはずいぶん言われていなかった優しい言葉だった。



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エメラインの剣 西湖 鳴 @tententententen

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