第六幕


 第六幕



「ふああ……あふ……」

 酸化鉄を多量に含んで赤茶けた岩だらけの、山岳地帯。そんな岩の一つに腰を下ろしたタツキは、口を大きく開けて盛大なあくびをしながら、膝の上に並べた朝食が温まるのをじっと待っていた。彼の隣には同じく朝食の完成を待つアリョーナが並んで腰を下ろし、背後にはそんな二人を見守るかのような構図で、スカラヴァールカが六本の脚で大地を踏み締めながら静かに佇んでいる。

 朝食は当然ながら、相も変わらずの新自連軍謹製の、戦闘糧食MRE。今朝のメニューは発熱材入りのカップで温められたチーズリゾットと、流石にマンネリなのではないかと思うほど毎食欠かさず付属する、無塩クラッカー。米のリゾットと小麦のクラッカーの組み合わせでは、炭水化物の摂取過多なのではないかとも思うが、どうやらクラッカーは副食が何であれ付属するのが、この戦闘糧食MREシリーズの常識らしい。だがとりあえずクラッカーの有無はさて置くとしても、標高の高いこの山岳地帯では陽が昇っても肌寒いがために、温かいリゾットの存在は正直ありがたかった。

 そして本日のメインディッシュは、分厚く切られたベーコンステーキ。だがこれは勿論豚肉なので、当然ながらムスリムであるアリョーナは食べる事を頑なに拒否し、タツキのデザートであったドライフルーツ一袋と交換して事無きを得た。

 二人分の常温のベーコンステーキに齧りつき、モグモグと咀嚼してから嚥下するタツキ。彼の隣で熱々のチーズリゾットをふうふう吹いて冷ましながら頬張っているアリョーナは、今では伝統的な帽子とスカーフを被るのをやめて、その長く美しい黒髪を露にしている。また以前に戦闘糧食MREでハムステーキが出た際には、タツキがクラッカーとの交換を提案するまでは何も言えずにまごまごしていた彼女が、今回のベーコンステーキに関しては、自分から交換を申し出るに至った。どうやらアリョーナは、自分の意思で自分の生き方を決めるべき自立心に、少しずつではあるが目覚めつつあるらしい。

 またこの二人と一輌による奇妙な旅路の全権を担わされたタツキの自立心と、そしてアリョーナに対する庇護欲は、言うまでもなく日増しに高まりつつあった。

「失礼いたします。そろそろ食事はお済みでしょうか、タツキ、アリョーナ?」

「ああ、何かあったのかい、スカラヴァールカ?」

 背後から接近して来た歩行戦車の言葉に、タツキは戦闘糧食MREに付属していた紙パックのオレンジジュースを飲み下しながら応えた。

「今後の予定に関しまして、確認しておきたい事項が数点と、また同時に、ご報告すべき重要な事項がございます」

「そんな勿体ぶらずにさ、さっさと言ってくれよ」

 AIを急かすタツキ。彼の隣ではアリョーナもまた、真空パックされていたドライフルーツを頬張りながら、興味深げにスカラヴァールカの言葉に耳を傾けている。

「はい。まずは確認しておきたい事項ですが、予測では本日の夕方から夜半にかけての頃合に、当機はサイヒンの街へと到着いたします。これは、この数日間に渡って我々の移動速度を減退させていました山岳地帯での旅程が終了し、今後はなだらかな平地へと移動環境が変遷する事を考慮に入れての予測です。ですので、不測の事態が発生しました際には多少の差異が見込まれる事を、あらかじめご了承ください」

 スカラヴァールカの報告に、タツキとアリョーナの二人は、その顔を安堵と歓喜で綻ばせた。実質的には僅か数日間とは言え、彼らの命を危険に晒し続けた危険な旅路が本日の午後をもって終焉を迎えるのであるから、それは至極当然の事である。

「では次に、残念なお知らせです」

 声色を変える事無く、平滑な合成音声のままで、歩行戦車のAIは続ける。

「既にご存知の事とは思われますが、今しがた食べ終えられました戦闘糧食MREをもちまして、当機に備蓄されておりました食糧は底を尽きました。幸いな事に水に関しましては未だ充分な余裕がございますが、食料に関しましてはその限りではなく、サイヒンの街に向かう途中で補充する手段も存在しません。そのため残念ながら、不測の事態により旅程の変更が余儀無くされた際には、絶食していただく他に方法はございません。あらかじめ、ご了承ください」

「その事だったら、とっくの昔に分かってたさ。何せ、パイロットシートの下に収納されていた戦闘糧食MREの紙パックの残りを数えれば、一目瞭然だからね」

 タツキがそう言うと、アリョーナもまた同意する。

「そうね、分かってた事ですもん。でも、大丈夫。こんな事もあろうかと、普段から食べ切れなかったデザートのチョコレートなんかを取り置いてあるから、それだけでも一食分か二食分にはなる筈だから。それに一日か二日くらい食べなくっても、人間はそうそう簡単に死んだりはしないものね」

「なるほど。それでしたら、安心いたしました。本来であればもう少し余裕を持って作戦行動を遂行する事が可能となる筈だったのですが、予想以上に山岳地帯での移動速度が減退いたしました事と、想定外の砂嵐によって丸一日に渡り行動不能に陥ってしまった事が、食糧不足を招いてしまいました。これも全て、私の見立てが不充分であった事が原因ですので、ここに謹んで謝罪いたします」

 いまいち謝意が伝わらない、合成音声による謝罪を述べるスカラヴァールカ。対してタツキは、頬杖を突いた姿勢で、ややもすれば呆れながら口を開く。

「そんな謝罪なんていらないよ、スカラヴァールカ。それにしても、結果的にはこんな事になるんだったらさ、水を買いに町に下りた際に、ついでに食料も買って来れば良かったのにな」

「まったくもって、その通りです、タツキ。それもまた、私の見立てが不充分であった事が、そもそもの原因であります。繰り返しになりまして恐縮ですが、重ね重ね謝罪させていただきます」

「だから、謝罪なんかいらないってばさ。それにあんまり頻繁に謝罪ばっかりしていると、その希少価値がどんどんと下がって行って、最終的には謝罪自体に意味が無くなるぞ? 本当にお前はそう言う辺りが律儀なんだか、それとも逆に適当でいい加減なんだか、さっぱり分からないな」

 呆れるタツキに、歩行戦車のAIは尚も謝罪する。

「それは、誠に申し訳ありません。今後は発言内容を精査し、頻繁に謝罪し過ぎない事に留意いたしますので、どうかお許しください」

 謝罪し過ぎた事を謝罪すると言った、言葉遊びかコントの様な状況に、タツキは更に呆れて深く嘆息した。そして彼はスカラヴァールカに、改めて尋ねる。

「それで、お前の言っていた「報告すべき重要な事項」ってのは、その食料が尽きたって事なのか?」

「いいえ、残念ながら違います、タツキ。報告すべき事項は、もっと重要です。実は昨夜遅く、お二人がコクピット内で就寝されております最中に、当機が新自由主義国家連合軍に送信しましたメールに対しての返信がございました」

 スカラヴァールカの言葉に、タツキとアリョーナの二人は、眼を見開いて驚いた。そしてどちらからともなく歩行戦車に駆け寄ると、その詳細を問う。

「それで、軍は何だって? 助けは来てくれるのか?」

「軍の救援は、ここまで来てくれるの? それとも、サイヒンの街まで行けば、あたし達を保護してくれるの?」

「そもそもそれ以前に、いくら夜遅くとは言え、そんな重大な事があったのなら、その返信が届いた時点で僕達を起こしてくれてもいいんじゃないのか? そう言うところが、お前は本当に気が利かない奴だな」

「言われてみれば、確かにそうじゃないの、スカラヴァールカ。どうしてその時に、起こしてくれなかったの?」

 口々にメールの返信内容の報告を求め、また同時に、今現在に至るまで報告を怠っていたスカラヴァールカを責め立てる、タツキとアリョーナ。そんな彼らに対して歩行戦車のAIは、悪びれた様子を微塵も感じさせない平滑な合成音声で、淡々と応える。

「報告が遅れました事は、謹んで謝罪いたします。ですが救援要請に対する返信の内容が、特に緊急を要するものではないと判断いたしましたので、即時の報告よりもお二人の安眠の方を優先させていただきました。この点に関しましてご不満を抱かれる事は、ある程度想定済みでしたが、それでもお二人が不快な思いをされました事を遺憾に思うと同時に、改めて謝罪させていただきます」

 謝罪し過ぎない事を確約したばかりの舌の根も乾かない内に、まるで当て付けるが如く、謝罪を重ねるスカラヴァールカ。そんな歩行戦車のAIの態度が、却ってタツキ達を苛立たせる。

「だから謝罪はもういいから、とにかくその軍からの返信の内容を教えてくれよ!」

「スカラヴァールカ! お願いだから、早く聞かせて!」

 急かすタツキとアリョーナとは対照的に、一向にマイペースを崩さないスカラヴァールカは、ようやく本題へと話題を移す。

「はい。まず簡潔に申し上げますと、ウクライナに駐屯する新自由主義国家連合軍と日本大使館は、当機が送信しましたメールの内容を、信用に足る物と判断いたしました。やはり私の機体製造番号を伝えました事と、タツキ、あなたの社会保障番号が当局によって照会されました事が、最終的な決め手となった模様です」

「そうか。それで、救援は来てくれるのか?」

 タツキは歩行戦車のメインカメラにずいと顔を近付けると、期待に満ちた眼差しで問いかけた。

「はい。我々を保護するために、ウクライナに駐屯する部隊内から人員が選りすぐられ、救援部隊が組織されたとの事です。ですがここからが、若干ながら、残念な報告となります」

 勿体ぶるかのように、歩行戦車のAIは続ける。

「新自由主義国家連合軍の救援部隊と、日本大使館。この二者が新生ソヴィエト連邦の当局と交渉し、歩行戦車である私と共に、タツキ、あなたを国境線上で保護する事に関しましては、人道的な民間人の救出活動として同意を得られたとの事です。ですが新生ソヴィエト連邦側も、たとえそれが人道的な救援部隊とは言え、武装した敵対勢力を支配地域内に侵入させる事には難色を示しました。そのため救援部隊の編成は中隊規模の歩兵と人員輸送用の車輌のみに限られ、機動兵器の侵入は、一切許可されなかったとの事です。また歩兵と車輌に関しましても、侵入が許されるのは、サイヒンの街の中心部から半径二㎞までとの制限が設けられました」

「つまり救援部隊は組織されたけれど、新ソ連側が渋ったんで、ここまで助けに来る事は出来ない。だから僕達は自力でサイヒンの街まで辿り着いて、街の中心部から半径二㎞の地点で待っている救援部隊に合流しなくちゃならないって事か」

 少しばかり表情を曇らせながらも、タツキは話の要点を改めて確認した。そんな彼に、スカラヴァールカは尚も続ける。

「そうです。理解が早くて助かります、タツキ。しかし残念な報告は、未だあります」

「未だ何かあるのか?」

 眉間に皺を寄せて表情を曇らせるタツキに、特に残念がっているようには思えない合成音声で、スカラヴァールカは報告する。

「残念ながら、我々を保護するべく立ち上げられた今回の救出作戦そのものの真偽を、新生ソヴィエト連邦の当局は疑っております。つまりはタツキ、あなたが本当に生存しているのかどうか、そして本当に救援を要請したのかどうかの確証が、彼らには得られないと言う事なのでしょう。その上で、彼らは民間人の保護を名目として組織された新自由主義国家連合軍の救援部隊が自分達の支配地域内へと侵入し、更にそのまま駐屯され、なし崩し的に実効支配を既成事実化される事を強く懸念しているのです。要は、実際にはとっくの昔に死んでいるイダ・タツキと言う名の少年を利用する事によって、新自由主義国家連合軍がカザフスタン共和国を奪還するための橋頭堡を築こうとしているのではないか、との疑念を抱かれている事が推測されます」

「つまり僕はとっくの昔に死んでいて、来る筈の無い僕を救助すると言う名目で、見かけだけの救援部隊が編成されたと。そしてそれを足掛かりにして、新自連の軍隊が、カザフスタンの奪還作戦を企てていると思われてるって事か。それで新ソ連側は、救援部隊の編成は、歩兵と輸送車のみに制限したと」

「そうです。ですが残念ながら、課せられた制限は、それだけにとどまりません」

 自分達の置かれた状況の芳しく無さにかぶりを振るタツキに、歩行戦車のAIは、淡々ととどめを刺す。

「救援部隊の編成内容だけでなく、国境を越えてサイヒンの街に駐留出来る期間もまた、厳しく制限されました。ウクライナに駐屯する新自由主義国家連合軍からの返信によりますと、駐留が認められたのは、本日の十二時から二十四時までの、十二時間のみです。そのため二十四時の日付の変更と同時に、救援部隊はサイヒンの街から撤退し、国境外へと帰還しなければなりません」

 スカラヴァールカの報告に、タツキは言葉を失った。

「ちょっと待てよ。それじゃあ何だ? 今日中にサイヒンの街に辿り着かないと、救援部隊は僕達を置き去りにして、ウクライナに逆戻りするって事か?」

「そうです。残念ながら」

 少しも残念がっているようには思えない合成音声でそう語るスカラヴァールカを前にして、タツキは頭を抱えながらも、その鋼鉄の塊を急かす。

「勘弁してくれよまったく……。そうだ、それがもしも本当だったら、こんな所で悠長に話し込んでないで、さっさと出発しないと間に合わないかもしれないじゃないか。ほら、早く、急がないと」

「はい。ちょうど陽も高くなりつつありますので、発電機能を備えた当機の装甲材からバッテリーパックへの充電も、順調に再開されております。ですのでお二人の準備さえ整われましたのなら、そろそろサイヒンの街への移動を再開されます事を、強く推奨いたします」

「だから「強く推奨いたします」なんて言っている場合じゃなくて、さっさと出発するんだよ。途中で何かアクシデントがあって、結局間に合いませんでしたなんて事態になったら、冗談じゃ済まされないからな」

 自分自身を急かすかのように早口で捲くし立てたタツキは、歩行戦車へと乗り込むべく、そのタラップに足を掛けた。そこでふと彼は、自分の背後で不安そうな表情を見せるアリョーナの存在に、改めて気付く。

「……そう言えばスカラヴァールカ、新自連の軍からの返信では、アリョーナの事に関しては何て書いてあったんだ?」

 神妙な面持ちで尋ねるタツキ。そんな彼に対して、歩行戦車のAIは、何故か暫しの間を置いてから返答する。

「非常に残念な事ですが、今回組織されました救援部隊の保護対象に、アリョーナは含まれてはおりません。対象はあくまでも、タツキ、新自由主義国家連合の、そして日本国の国家構成員であるあなたと、軍の備品であると認められた当機の、一人と一輌のみです。アリョーナが政治難民か経済難民であると当局から認定されれば、話は別でした。ですがそうでない限りは、慣習と国際法に則り、保護されるのは保護対象とその家族までに限られます。つまりはタツキ、あなた本人と、あなたの家族までです。重ね重ね残念な事ですが、アリョーナと我々とは、サイヒンの街で別れなければなりません」

「そんな……。それじゃあサイヒンの街で別れた後は、アリョーナは一体どうなるって言うんだよ!」

 タツキは叫んだ。しかし叫んだところで事態が好転する訳も無く、またスカラヴァールカの返答も、期待に沿うものではない。

「あくまでも推測ですが、新自由主義国家連合軍の救援部隊を支援すると言う名目で出動し、実質的には監視の任に就いている新生ソヴィエト連邦の当局によって、アリョーナは保護されるでしょう。彼女はあくまでもカザフスタン共和国の国家構成員ですから、その身柄を確保する権利と義務は、カザフスタン共和国政府と、それが与する新生ソヴィエト連邦にあります。そしてその後のアリョーナは、やはり戦災孤児として、児童養護施設に収容される可能性が高いものと推測されます」

「それじゃあ駄目なんだよ……。それじゃあ……」

「残念ながらこればかりは、私にもどうしようもありません。我が身の力不足を痛感し、ここに謹んで謝罪いたします」

 嘆くタツキに、スカラヴァールカは淡々とした口調で謝罪した。しかしタツキはタラップを上る途上の体勢のまま、歩行戦車の頑強な装甲を力任せに一発ガンと叩くと、頭を抱え込んで言葉を失う。だがそんな彼の二の腕をそっと、何か柔らかくて暖かい物が包み込んだ。その感触に振り向いたタツキの眼に止まったのは、精一杯の笑顔を浮かべながらタツキの腕を優しく抱き締める、アリョーナの姿。

「タツキ、あたしは大丈夫だから、心配しないで。元々あたしはね、お父様達と故郷を捨てた時点でもう、国境を越えてウクライナに逃げられる保証なんて、どこにも無かったんだもん。それがタツキとスカラヴァールカに助けられて、そしてここまで連れて来てもらえただけで、充分過ぎるくらいの幸運だったんだから。だからホントに、あたしの事は心配しないでね、タツキ。サイヒンの街まで一緒に、笑って辿り着きましょうよ」

 そう言って、アリョーナは気丈に微笑んだ。だがタツキは、気付く。微笑みを浮かべる彼女の瞳に、うっすらと涙が滲んでいる事に。

「……いや、絶対に、何とかしてみせる。そうでないと、一緒にここまで来た意味が無いんだ。絶対に、絶対に何か方法がある筈なんだ」

「タツキ……」

 眼鏡の奥の瞳に力を宿して、アリョーナを助ける決意を固めるタツキ。そんな彼の手をギュッと握り締めながら、とうとう耐え切れずに、ポロポロと涙を零し始めるアリョーナ。二人は共にタラップを踏むと、歩行戦車の上に立ち、慣れた手付きで開けた搭乗ハッチからコクピット内へと潜り込んだ。そしてそれぞれのパイロットシートに腰を下ろしてからシートベルトを締めると、高らかに命令する。

「さあ、スカラヴァールカ。サイヒンの街に向けて、移動を再開だ。まずは何が何でも、時間内に辿り着かなくちゃならないからな。グズグズしている暇は無いぞ」

「頑張ってね、スカラヴァールカ。最後は皆で、旅を終わらせましょう」

「了解しました、タツキ、アリョーナ。それでは当機はサイヒンの街に向けて、最後の旅程を完遂する事を、ここにお約束いたします」

 その言葉と同時に、六本の脚で大地を踏み締めながら、歩行戦車は歩き始めた。目的地はカザフスタンとウクライナの国境の街、サイヒン。そこで待っているはずの救援部隊にタツキとアリョーナを無事に送り届けるために、スカラヴァールカは、その持てる力を尽くす。


   ●


 荒野の中央を走る名も無き街道に停められた、大型トレーラー。その荷台に積載された二足歩行の人型機動兵器の上に立った男は、慣れた仕草で中国産の安葉巻を噴かすと、左手の中で愛用のシガーカッターをカチャカチャと弄びながらその香りを愉しんだ。男の正体は言わずもがな、民兵組織『月夜の狼』の副首領を務める元チェチェン軍人、アフマド大佐。彼は葉巻を噴かしながら眼を細め、見渡す限り岩と砂に覆われたカザフスタン西部の荒野を、ぐるりと睨め回す。

 するとアフマド大佐の元に一輌の歩行戦車が近付いて来ると、彼の乗ったトレーラーの数m手前で、その四本の脚を止めた。スカラヴァールカとは全く異なったシルエットを有するこの四本脚の歩行戦車は、新生ソヴィエト連邦軍謹製の、APK-7。丸いシルエットの本体装甲が特徴的な蛇腹構造をしているために、新自連・新ソ連を問わずに兵士達の間では、『アルマジロ《ブラニノーセツ》』の別名で知られている。

 そんなアルマジロの本体上部の搭乗ハッチがバクンと開くと、単座式のコクピット内から、アフマド大佐の腹心であるイゴールが顔を覗かせた。

「大佐、『モグラ』の設置が完了しました」

「ようし、これで網は張れたな」

 イゴールの報告に、アフマド大佐は弄んでいたシガーカッターを軍服の胸ポケットに仕舞いながら、ニヤリとほくそ笑んだ。

「網は張れましたが、果たしてそう簡単に、引っかかってくれますかね?」

「大丈夫だ。この辺りには大規模な地下水脈が流れているんで、地面の下には大きな空洞が無数に空いている。その分だけ震動が反響し易いんで、歩行戦車ほどの大きさのブツなら、簡単にモグラが感知してくれる筈だ。お前の予測通りにMA-88がこの辺りを通過するのなら、まず間違い無く網にかかる」

「さすがは、大佐です。すると設置されたモグラが感知し続けている小さな震動は、その地下水脈の流れる音なんですかね?」

「そう言う事だ」

 イゴールの問いに、アフマド大佐は自信深げに答えた。その顔には既に、勝者の余裕すらも汲み取れる。

「それと、もう一つご報告があります、大佐」

「何だ?」

 首を傾げるアフマド大佐に、イゴールは報告する。

「再三に渡って、本部の『将軍』から、作戦の中止と詳細の報告を要請する通信が入っております。これには、どのように対処いたしましょうか?」

「将軍から通信? ああ、ハシミコフからか。そんなものは、無視しておけ。どうせ奴は、親の七光りで名目上のトップに据えられただけの、中身は空っぽの傀儡に過ぎん。俺が一声怒鳴りつければ、黙って従う事しか出来ない能無しの若造さ。そんな事よりも、今はたった一輌の歩行戦車に、二度に渡ってまでも恥をかかされた組織の体面の方が問題だ。その汚名返上のためなら、ハシミコフの坊やとの口論くらい、後で俺がいくらでもやってやるさ」

 再び葉巻を噴かしてその香りを愉しみながら、アフマド大佐は地面に唾を吐き捨てた。そして彼はイゴールに、そして無線通信で自分の部下達全員に、改めて呼びかける。

「さあ、全員配置に就け。予測では獲物が通過するのは、今日の午後から夕方にかけてだ。今回ばかりは絶対に取り逃がさずに、命に換えても仕留めて見せるんだ。たとえ相手が子供だろうと、俺達に喧嘩を売った事を、地獄で後悔させてやるためにもな」

 そう言い終えたアフマド大佐は、再びニヤリとほくそ笑んだ。


   ●


 山岳地帯を越えて平野部へと侵入し、途中で一度、幅数十mばかりの浅い川を横断したタツキ達一行は、なだらかな丘が延々と続く丘陵地帯へと辿り着いた。この地には彼らの足を鈍らせるような要因は何一つとして存在せず、現在のところは予定通り順調に、その旅程をこなし続けている。

 歩行戦車の挙動の全ては、AIによる自動操縦で行なわれている。なので旅の道中、コクピット内でパイロットシートに座っているだけのタツキとアリョーナの二人には、特にするべき事は無い。そのため旅を始めた当初は暇潰し目的で音楽をかけていたのだが、スカラヴァールカのHDDには退屈なクラシックが数曲と、何故かやけに陽気なジャーマンテクノが一曲だけしかプリインストールされてはいなかった。結果として二人は仕方無く、おそらくは歩行戦車のOSを組んだプログラマの趣味だと思われるそのジャーマンテクノを延々と聞き続けていたのだが、さすがに耳と脳がおかしくなりそうだったので、二日目には音楽による暇潰しは諦めた。

 その状況が激変したのは、今から二日前。民兵の死体から手に入れたPウェア経由でインターネットにアクセス出来るようになった事から、彼らが享受出来る娯楽の幅は、文字通り桁違いに広がる事となった。

 インターネットに接続出来るようになったばかりの頃のタツキとアリョーナは、世間と隔絶されていた数日間分の情報を求めて、ネットワークTVの国際ニュースを貪るように繰り返し視聴し、自分達を取り巻く環境がどのように変化しているのかに一喜一憂した。しかしほんの数時間も視聴を続ければ、同じ内容を繰り返すばかりの退屈なニュース映像などは、娯楽に飢えた若者二人にとってはその価値を失う。そのため二人はネット上を漁り、著作権保護期間が切れた古い映画やドラマやアニメが無料公開されているサイトを発見すると、そこに並んだコンテンツを無作為に消費して暇を潰した。

 そして旅の最終日も午後を迎えた今、古いハリウッド映画を視聴し終えたタツキは、次は何の映画を観ようかとライブラリを漁っていた。すると背後のコ・パイロットシートから、アリョーナが問いかける。

「ねえ、タツキ。そう言えばタツキのお父様って、どんな人だったの?」

「え? 何? どうしたの、アリョーナ。そんな事を唐突に聞きだして」

「なんとなく、ね。そう言えばタツキのお父様に関して、これまで何一つ聞いていなかった事を、急に思い出したから。ほら、このまま順調にサイヒンまで辿り着ければ、あたしとタツキは、今日でお別れする事になるじゃない? その前に少しでも多く、タツキの事を知っておきたいなって思ったから」

 そう言うと少しばかり寂しそうに、アリョーナは微笑んだ。

「父さんか……」

 タツキは暫し視線を虚空に泳がせてから、ゆっくりと口を開く。

「父さんは仕事一徹の典型的な仕事のワーカホリックで、頑固者で、馬鹿が付くくらいの真面目過ぎる人間だったな。主に、悪い意味でだけど」

 頬杖を突きながら遠い眼をしてそう言ったタツキは、深く嘆息した。

「家庭の事を顧みなくても、充分な額の給料を家に納めてさえいれば、夫としても父親としても義務を果たせていると考えていたんだろうね。まあ実際に父さんは職場では有能な幹部社員の一人で、油田の開発事業で次々と業績を上げては会社に表彰される、将来を嘱望された高給取りだったよ。だから僕はこの歳になるまで、少なくとも金銭面で不自由した事は、一度も無い。自宅の居間のテーブルの上には常に、中身を幾らでも使っていい札束の詰まった財布が、無防備に放置されていたくらいだからさ」

「……勤勉なお父様だったんですね」

「ああ、そうだね。勤勉過ぎて、少し頭がおかしいくらいにね」

 アリョーナは言葉を選んだが、タツキは言葉を選ばずに、ややもすれば哀しげに言った。

「だからそんな少しおかしい父さんに愛想を尽かして、ある日突然、母さんは家を出て行ったんだ。捺印済みの離婚届と、未だ十歳になったばかりの僕を残してね。それで特に揉める事も無く離婚は成立したんだけれど、父さんは最後まで、自分に非がある事がこれっぽっちも理解出来ていないみたいだったよ。むしろ自分の収入が足りなかった事が離婚の原因になったと思ったのか、それ以降は以前にも増して、仕事にのめり込んだくらいだからね」

「それで確かタツキは、お母様とはそれっきり会ってないんですよね?」

 以前に故郷の話をした時の事を思い出しながら、アリョーナが尋ねた。

「うん。母さんの方から僕に会いたいと言って来た事も無いから、多分向こうも、会いたいとも思っていないんじゃないかな。でもまあ、その事を悪く言うつもりは毛頭無いよ。おそらくは、会うと父さんと一緒にいた頃の辛い記憶が蘇るからだろうし、それに僕も同じ理由で、母さんには出来るだけ会いたくないんだ。父さんと離婚する直前の母さんは酷いヒステリーで、僕もあの頃の事は、思い出したくないからね」

 タツキはそう言って、少しばかり苦笑した。その表情は無理をして笑っていると言うよりは、全てを諦めて達観したかのように、むしろ穏やかですらある。

「それで益々家庭を顧みなくなった父さんは、僕が十三歳の時に突然、カザフスタンに移住すると言い出したんだ。移住しても良いかと尋ねて来たんじゃなくて、移住するから荷物をまとめろって命令口調でね。つまり、父さんの頭の中には僕が移住を拒むなんて発想は皆無で、僕にはその選択権すらも与えられなかったんだ。そして言われるがままにアスタナに移住して来たけれど、結局僕と父さんとの関係は、少しも変わらなかったよ。父さんは家には寝に帰るだけの仕事の虫で、僕は父さんの命令を聞くだけの、無力な扶養家族。それらが何一つ変わらないままに父さんは死んで、僕だけが残されたんだ」

 狭いコクピットの中で、タツキは天を仰ぎ見た。勿論仰ぎ見た彼の視界に入るのは鋼鉄製の天井だけだったが、遠い眼をしたタツキには、そんな事は少しも気にならない。むしろその表情は、背後のコ・パイロットシートで気まずそうにしているアリョーナよりも、ずっと晴れ晴れとしていた。

「それでさ、アリョーナの父さんは、どんな人だったんだい?」

「え? ああ、えっと、あたしのお父様ですか?」

 突然話題を振られて、アリョーナは少しばかり慌てる。

「そう、アリョーナの父さん。僕だけが質問されるのは、少しばかり不公平だろ? アリョーナの父さんに関しても、教えてくれよ」

「あたしのお父様ですか……」

 コ・パイロットシートの背もたれに圧し掛かるようにして体重を預けたアリョーナもまた、少しばかり遠い眼をしながら語り始める。

「あたしのお父様はとても優しくて、そして、とても不器用な人でした」

 一呼吸置いてから、アリョーナの言葉は続く。

「四人の兄様達も全員そうでしたけれど、皆とても家族思いで優しいんですが、仕事の事となると、てんで駄目でしたね。不器用と言うか、上手く立ち回る事が出来ないと言えばいいんでしょうか。気付いたら職場で一番下の役職を押し付けられた挙句に、貧乏クジを引かされているようなタイプだったんですよ」

 やはり彼女もまたタツキと同様に、少しばかり苦笑した。

「最初にベイネウの街で小さな企業に就職した時も、職場の皆が気持ち良く仕事が出来るようにって、自主的に社内の清掃を始めんですって。そうしたら、いつの間にか清掃係の仕事を無償で押し付けられるようになって、それで気付いたら、清掃業務と通常の業務との二重に働かされるようになってしまったんだそうです。でも一日に働ける時間なんて限られているから、清掃に手を焼いていると、通常の業務に支障が出始めるでしょう? そうしたらそれを理由に減給された挙句に、上司からは叱責されてばかりになってしまったの。通常の業務を頑張れば清掃が出来てないと怒られ、清掃にかまけていると業績が落ちたと怒られる。そんな悪循環に陥ってしまったお父様は心を病んで、それで退職したの」

 アリョーナは寂しげな笑顔を浮かべつつ、語る。

「お父様が退職したらすぐに、我が家はお金に困るようになっちゃった。四人の兄様達も未だ若かったし、皆それぞれの職場では似たり寄ったりの境遇で、安月給でこき使われてばかりだったから。だからベイネウの街を出て、近郊の小さな村で、叔父様一家も含めた親族全員で靴屋を営み始めたの。家族経営の自営業だったら、職場で貧乏クジを引かされる事も無いだろうと思ってね。でも、実際は違った。今度は取引先の卸売業者に騙されるようになったり、悪質なクレームをつけて来る客と何度も揉め事を起こしたりでね。それで小さな店の二階で、家族十五人が寄り集まって慎ましく暮らしていたけれど、正直言って、食べて行くのがやっとの生活だったな」

 言葉を切り、一拍の間を置いてからアリョーナは続ける。

「……でもね、タツキ。あたしはそんな家族が、大好きだったの。お父様が、大好きだったの。どんなに辛い境遇に見舞われても、決して家族に八つ当たりするような事は無く、いつも微笑みながら優しく抱き締めてくれるお父様が、本当に大好きだった。もうそんなお父様とは、二度と会う事は出来なくなっちゃったけれどね」

 口元には達観したかのような笑みを浮かべつつも、その瞳に、うっすらと涙を浮かべるアリョーナ。彼女は一度大きく深呼吸をしてから、再度口を開く。

「タツキのお父様とあたしのお父様、まるで正反対ね。職場では有能だったけれど、家庭では不器用だったタツキのお父様。家庭では良き父だったけれど、職場では不器用だったあたしのお父様。どこの家庭も、上手くは行かないものなのかな? 皮肉な事だけれども、なんだか本当に幸せな家庭なんて、この世には存在しないみたい」

「……そんな事は無いさ」

 タツキがボソリと言った。

「きっと、頑張ればいつかは本当に幸せな家庭だって、築ける筈だよ。そうでなかったら、父さん達が生きた意味も、今の僕達が生き残っている理由も、無くなってしまうじゃないか。父さん達が出来なかった事を、僕達が成し遂げなくちゃならないんだ」

「……そうね、タツキ。本当に、あたしもそう思う。そう思わなくっちゃ」

 涙を拭いながら、アリョーナは微笑んだ。そして彼女は意を決して、自分の前に座るタツキに向けて言う。

「ねえ、タツキ。あたし、そのためにはね、タツキはもう一度、お母様に会うべきだと思うの」

「母さんに?」

「そう、お母様に。お父様が亡くなられた今だからこそ、もう一度お母様との関係を築き直すべきだと、あたしは思うの。お母様に会って、もう一度、初めから全てをやり直すの。互いに自分を見つめ直すだけの時間は、充分に経過したんだから。だから親子として、また同時に一人の人間として、互いを見つめ直し合わなくちゃ。そうする事で、タツキもお母様も、きっとお父様の呪縛から逃れられると思うから」

「父さんの呪縛、か……」

「そう。それから逃れられない限り、きっとタツキは将来、タツキのお父様と同じ間違いを犯してしまうから。あたしがあたしのお父様の敵を討つ事に心を奪われて、後先考えずに、民兵を撃ち殺してしまったのと同じように」

 そう言うと、アリョーナは自分の前に座るタツキの肩に、優しく手を乗せた。タツキもまた、そんなアリョーナの手に自分の手を重ねてから、口を開く。

「そうだな。もう一度母さんに会って、やり直すべきなのかもしれないな。……何がやり直せるのかは、てんで見当がつかないけどね」

「それでいいと思うの、タツキ。きっと会って話をするだけで、これまでずっと止まっていたタツキとお母様との間の時間が、自然と流れ出すと思うから。だって二人は、実の親子なんですもん。それにあたしと違って、未だ生きて出会える家族がいるだけでも、充分に幸せな事なんですから」

 微笑み合い、見つめ合い、重ねた手と手を握り合う、タツキとアリョーナ。二人はこの短期間で失くした多くの家族達の事を想い、改めて鎮魂の涙を流す。

 しかし、次の瞬間。それまで軽快に歩を進めていた歩行戦車の脚が、突如として停止した。そしてメインモニタに表示される、『警告ALERT』の一文字。

「どうした、スカラヴァールカ?」

「緊急事態発生です、タツキ。どうやら『モグラ』に引っかかってしまったようです」

「モグラ?」

「それは何なの、スカラヴァールカ?」

 緊迫感のまるで無い合成音声で語る歩行戦車のAIに、タツキとアリョーナは問うた。

「はい。地下埋没式の震動感知ユニット、通称『モグラ』です。当機の二十mばかり前方に設置されているのを、つい今しがた、スキャニングで発見いたしました。ですがおそらくは、五百mばかり前方から、こちらの挙動は全て感知されていたものと推測されます。当機は地下に埋没された物体に対するスキャニング精度が低いために、この距離に至るまで発見が遅れました事を、謹んで謝罪いたします」

そう語った歩行戦車の前方の地面には、確かに黒く塗られた、金属製の筒の様な物が埋められていた。スパゲッティを茹でるための寸胴鍋くらいの大きさのそれは、地震計の技術を応用して作られた、高精度の震動感知装置。地殻を反響する微細な震動から逆算する事によってその発生源を割り出すこの装置は、車輌や機動兵器の挙動を、その一挙手一投足に至るまで詳細に暴き出す。その震動感知装置『モグラ』の存在を、この距離まで接近した段階で、ようやくスカラヴァールカの金属探知機とレーザースキャニングが捉えた。だがしかし、時既に遅し。モグラを仕掛けた相手に、タツキ達の所在はとうの昔に感知されていた事は想像に難くない。

「至急ドローンを飛ばして、光学により周辺を探査いたします」

 スカラヴァールカがそう言うが早いか、歩行戦車本体の頂上部の装甲が開くと、そこから離陸した探査用の有線式ドローンが天高く上昇する。そしてそのドローンに搭載された光学式カメラが、砂埃を巻き上げながらこちらを目指して真っ直ぐ突き進んで来る、武装した一団を捉えた。

「タツキ、アリョーナ、南西より接近して来る武装集団の車輌を、光学で確認いたしました。距離はおよそ、四㎞。会敵までの推定時間は、五分から六分。この距離ではやや不鮮明ですが、警戒対象の車体には、民兵組織『月夜の狼』のエンブレムと思しき意匠が確認出来ます。以上の事から、過去二回の交戦の報復行動として、我々を捕獲、もしくは殲滅する意図があるものと推測されます」

「そんな、武装集団が接近して来るって、一体どうするんだよ!」

「すぐ北に、やや小高く、傾斜が急な丘があります。とりあえずはこの丘の稜線に、身を隠しましょう」

 叫ぶタツキにそう返答したスカラヴァールカは、西に向けていた進路を北へと変更すると、丘の稜線を目指して移動する速度を速めた。その間も、上空でホバリングを続ける有線式ドローンの光学式カメラと歩行戦車のAIは、接近して来る武装集団の構成を分析し続ける。

「警戒対象の構成は、装甲車輌及び戦闘車輌が合計八輌、歩行戦車が三輌、それに加えて、誠に由々しき事態ですが、M3《エムキューブ》が一機と推定されます」

「M3《エムキューブ》だって?」

 驚きの声を上げるタツキ。

「M3《エムキューブ》? それは何なの、スカラヴァールカ?」

 軍事関連に関してはタツキ以上に疎いアリョーナが、コ・パイロットシートから身を乗り出しながら問うと、スカラヴァールカはそれに答える。

「はい。『マン《Man》・マシーン《Machine》・ミリタリア《Militaria》』、通称『M3《エムキューブ》』は、現代の戦場において最強を誇る人型機動兵器です。その最大の特徴は、人間を模した二足歩行のシルエットと、搭乗したパイロットの挙動をそのまま再現するモーショントレース機構、そして何よりも、スタンドスティラーによる鉄壁の防御機構を備えている点です」

 緊迫感の無い合成音声で、スカラヴァールカは淡々と説明した。

「どうしてそんな最強の機動兵器を、たかが民兵組織が持ってるんだよ!」

「おそらくは、正規軍からの横流しでしょう。証拠と言うには確度は低いですが、警戒対象のM3《エムキューブ》は、新生ソヴィエト連邦軍の旧世代機AA-13、通称『コーンヘッド』です。現在では最新鋭機のAA-15が前線に配備されていますから、機体の世代交代で廃棄される予定の物が、軍幹部、もしくは廃棄業者の小遣い稼ぎとして、民兵組織に売却されたものと推測されます。また同様に、三輌の歩行戦車も旧世代機のAPK-7、通称『アルマジロ』である事から、これらも正規軍から横流しされた物でしょう」

 ドローンを回収しながらタツキの質問に律儀な返答を返したスカラヴァールカは、丘の稜線を越えてその身を隠すと、迫り来る民兵組織の方角の上空に向けて発煙弾発射機スモークディスチャージャーを構えた。そしてポンポンポンと言う音と共に次々と発煙弾を発射し、周辺一帯が真っ白に染まるほどの煙幕を張って、敵の視界を奪う。

「タツキ、アリョーナ、お二人とも徒歩での移動に必要な荷物をまとめて、至急当機よりの降車を願います」

 唐突に、スカラヴァールカが二人に要請した。

「降車? 降りろって事か? それに徒歩での移動って、どう言う事なんだ?」

「私はここで、民兵組織を迎撃いたします。可能な限り時間を稼ぎますので、その間にお二人は、徒歩でサイヒンの街を目指してください。ここから西北西に二十㎞程進めば、辿り着ける筈です。方角は、カーゴに収納されたサバイバルキット内の方位磁針を使って、ご確認ください。またカーゴには自動拳銃とカービンライフルも収納されておりますので、ハイイロオオカミ等から身を守るために携帯する事を、強く推奨いたします」

 淡々と語るスカラヴァールカに、タツキとアリョーナは異を唱える。

「時間を稼ぐって、お前を残して僕達だけでサイヒンに向かえって事か? そんな事、出来る訳が無いだろう!」

「タツキの言う通りでしょ、スカラヴァールカ! 三人揃って、一緒にサイヒンまで行くんじゃなかったの?」

 だが歩行戦車のAIは、尚も淡々と状況を説明する。

「残念ながら、移動速度では警戒対象である民兵組織の方が上回っているために、このまま敵に背後を見せて逃走を継続する事は、自殺行為です。そして今現在の私に与えられている任務は、タツキとアリョーナ、あなた方お二人をサイヒンの街で待つ救援部隊まで、無事に送り届ける事です。この任務を全う出来る案を複数検討してみましたところ、私がここで囮となると同時に可能な限り危険を排除し、お二人には独力でサイヒンの街まで移動していただく案が、最も成功する確率が高いと判断いたしました。最後まで護衛出来ない事が心残りですが、お二人とはここでお別れです」

「そんな訳に行くか! ここまで来たら、一蓮托生だ! 僕もお前と一緒に、戦ってみせる! お前を置いて自分達だけが逃げ出すなんて事が、今更出来るかよ!」

「あたしだって、銃を撃つくらいの事は出来るんだから!」

 コクピット内の車載カメラに向かって叫ぶ、タツキとアリョーナ。特にアリョーナに至っては、カーゴからカービンライフルを取り出し、戦う意思を示してみせた。だがそんな二人に、スカラヴァールカは諭すかのように語る。

「残念ながら、これから民兵組織と本格的な交戦状態に陥った場合、誠に失礼な表現で恐縮ですが、お二人が一緒では足手まといです。そして何よりも、あなた方お二人を逃がすためにここで戦う事こそが、軍属である私の為すべき任務です。そして同様に、タツキ、アリョーナ、あなた方お二人にも、為すべき事がある筈です。その為すべき事を見失わないように、もう一度冷静になって、お考え下さい。そしてタツキ、改めて私にご命令ください。為すべき事を為せと。任務を全うするために、ここで戦えと」

「そんな……」

 タツキは、頭を抱えて苦悩した。

 確かにスカラヴァールカの言う事は、筋が通っている。本格的な戦闘経験も操縦技能も無い自分達二人がコクピット内に残ったところで、数で勝る武装組織を相手に、戦力の足しになる道理は無い。それどころかスカラヴァールカの言う通りに、足手まといにしかならないのが否定し難い事実だろう。そして民間人を守るべき軍属である歩行戦車と、守られるべき民間人である、自分とアリョーナ。それぞれが果たすべき義務は、何か。負うべき責任は、何か。それらを冷静に考えれば、導き出される答えは一つしか無かった。

「……スカラヴァールカ、一つだけ教えてくれ」

「何でしょうか、タツキ?」

「こちらに向かって来ている民兵組織の一団を相手にして、お前が勝てる確率はどのくらいなんだ?」

 タツキの問いに、一泊の間を置いてから、歩行戦車のAIは答える。

「歩兵、装甲車輌、戦闘車輌、それに型遅れの歩行戦車であるアルマジロのみが相手であれば、おそらくは六十%から八十%の確率で、これらを殲滅する事が可能と推測されます。ですが問題はやはり、M3《エムキューブ》の存在です」

「そんなに強いのか、そのM3《エムキューブ》は?」

「はい。たとえ敵民兵組織の有するコーンヘッドが型遅れの旧世代機とは言え、M3《エムキューブ》にはスタンドスティラー《StandStiller》、もしくはスタンドスティル《Standstill》・システム《System》と呼ばれる指向性の慣性制御装置が搭載されております。この装置は運動エネルギーを相殺させる事によって質量兵器を無力化するため、当機に搭載されている射撃兵装のほぼ全てが、M3《エムキューブ》相手ではその効力を失います。ですので残念ながら、これを敵に回して当機が勝利を収める事が出来る確率は、高く見積もっても、せいぜい一桁台と言ったところでしょうか」

 それは絶望的な数値だったが、タツキは敢えて問う。

「一桁台でも、ゼロじゃないんだな?」

「はい。ゼロではありません」

 平滑な合成音声による、一切の感情を含まない返答。

 タツキは深く、思い悩む。それもその筈、二人と一輌の命運を分かつ全ての決定権が、今の彼の双肩に、重く圧し掛かっているのだから。だが以前の彼の様に、パーカーのフードを被って現実逃避と責任回避の言葉を並べ立てるような選択肢を、今のタツキは選ばない。

「分かった。僕の、イダ・タツキの名において命令する。戦え、スカラヴァールカ。戦って、自分の為すべき事を為せ」

「ありがとうございます、タツキ。それではお二人は、徒歩での移動の準備を急いでください。敵を足止めしている煙幕の効力も、そう長くは保ちませんので」

 スカラヴァールカの言葉に従い、タツキはデイパックの中にサバイバルキットと、水の入ったペットボトルを数本、それに残っていたチョコレート等の食料を放り込む。そして護身用の武器も放り込もうとカーゴの在る背後を見遣れば、コ・パイロットシートに座るアリョーナは、未だカービンライフルを手にしたまま、スカラヴァールカとの別れを受け入れ切れずにいるようだった。

「アリョーナ、行こう。気持ちは分かるけど、僕達には僕達が為すべき事があるんだ。スカラヴァールカの決意を、無駄にしちゃいけない」

「でも……。でももうこれ以上、家族と別れるのは……」

 幼い子供の様にぐずるアリョーナ。だが彼女の手をギュッと握り締めたタツキは、優しく微笑みながら言う。

「家族なら、未だ僕がいるじゃないか」

 その言葉にアリョーナは、瞳から一筋の涙を零しながらも、無言のままコクリと頷いた。そしてタツキは、彼女の手から受け取ったカービンライフルをデイパックの開いたスペースに不恰好に突っ込むと、搭乗ハッチに手を掛ける。

「それじゃあ行くよ、アリョーナ。準備はいいかい?」

「あ、ちょっと待って、タツキ。これも持って行くから、その中に一緒に入れてくれる?」

 そう言うとアリョーナは、元々は毛布が仕舞われていたカーゴを開いて、その中に大事に納めてあった一着の服を取り出した。それは名も無き街道沿いの町で購入し、彼女が心を開いた事の証としてタツキの前で披露して見せた、白い薄手のワンピース。タツキは手渡されたそれをデイパックの中に丁寧に納めると、再びアリョーナに問う。

「改めて準備はいいね、アリョーナ?」

「ええ、いつでも」

 その言葉を合図に、タツキとアリョーナの二人は揃って搭乗ハッチを開けると、歩行戦車のコクピット外へとその身を投げ出した。そしてタラップを踏み、民兵組織が迫りつつあるのとは反対方向の地面へと、静かに降り立つ。外に出てみれば外気は未だ日中の暑さを保っていたが、既に陽は傾き始めており、夕闇の気配が東の空に迫りつつあった。

「タツキ、最後に一つだけ、お願いがございます」

「なんだい、スカラヴァールカ」

 AIの言葉に、タツキは振り返る。すると歩行戦車の下部装甲の一部が開き、そこから一発の砲弾が、シリンダーに納まった状態のままでその姿を現した。それはスカラヴァールカの兵装の一つである、120㎜多目的滑腔砲の砲弾。

「この砲弾の弾頭だけを、取り外してはいただけないでしょうか? 残念ながら当機に搭載されたマニピュレーターは、そこまで器用ではありません。そのため、人間の手に頼るしか方法がございませんので」

「分かったよ。これの先端部分だけを外せばいいのか?」

 スカラヴァールカの要請を受諾したタツキは、砲弾をシリンダーから抜き取る。すると予想していた以上の重量が彼の両腕に圧し掛かって、危うく砲弾を取り落としかけたが、何とか重みに耐えると、そっと地面にその金属製の筒を横たえた。

「えっと、それでこれは、どうやって外せばいいんだ?」

「黒いラインが描かれている箇所を、時計回りに回転させれば外れます。多少の力が必要かとは思われますが、人力でも充分に可能な筈です」

 その言葉に従い、タツキは砲弾の弾頭だけを、黒いラインから回転させて取り外した。取り外された弾頭は意外にも軽く、それが質量が必要な通常の弾頭ではない事を、暗にうかがわせる。

「外れましたら、それを私のマニピュレーターにお渡しください。残された装薬部分は不要ですので、そのまま放置されて構いません」

「これが、何かの役に立つのか?」

 スカラヴァールカのマニピュレーターに取り外した弾頭を手渡しながら、タツキが尋ねた。

「はい。上手く行けば、奥の手になるかと」

 返答する、歩行戦車のAI。

 そして別れの時を迎えた二人と一輌は、互いに見つめ合いながら、僅か数日間でありながらも決して忘れる事の出来ない日々の思い出を反芻する。

「さようなら、スカラヴァールカ。あなたが助けてくれたあたしの命、決して無駄になんてしないからね。たとえ皺皺のお婆さんになっても、絶対に寿命まで生き抜いて、ずっとあなたの事を覚えてるんだから」

 アリョーナが歩行戦車の脚に額を当てて、少しだけ怒ったように、そして少しだけ嬉しそうに、別れの言葉を述べた。

「なあ、スカラヴァールカ。実は前から、お前に言っておきたい事があったんだけどな」

「はい、何でしょうか、タツキ」

「お前さ、すぐに「残念ながら」って言う癖があるよな。それってあんまり印象が良くないから、直した方がいいぞ?」

 タツキの忠告に、スカラヴァールカは少しばかりの間を置いてから応える。

「残念ながら、当機にそのような口癖はございません。何かの勘違いかと思われますが、如何でしょうか?」

 その矛盾した返答に、タツキは穏やかな笑みを浮かべた。同時に歩行戦車のメインカメラもまた、心なしか笑っているように見えた。そしてタツキはスカラヴァールカの装甲をそっと撫でながら、別れの言葉を述べる。

「さようなら、父さん」

 それを最後の言葉とすると、手を繋ぎ合ったタツキとアリョーナの二人は歩行戦車をその場に残して、遥か西北西の地に在るサイヒンの街を目指して荒野を歩き始めた。次第に離れ行く、二人と一輌。そして思い出したかのように、スカラヴァールカもまたタツキとアリョーナに、別れの言葉を述べる。

「アリョーナ、あなたの信じる神は、いつでもあなたの中にいます。タツキ、私の中に設定された優先順位プライオリティに則れば、私はあなたの事が好きです。どうかお二人とも、お元気で。そして、感謝しています。私に、掛け替えの無い二つの宝物を与えてくださった事を」

 歩行戦車の最後の言葉に、タツキとアリョーナは、振り返って手を振った。それを見届けたスカラヴァールカは、身を隠した丘の稜線の向こう側、つまりは迫り来る民兵組織の方角へと車体を向ける。

 気休め程度に張った煙幕もすっかりと薄まり、その役目を終えようとしていた。

 これ以上の時間稼ぎは、期待出来ない。

「さて、それでは全力での状況開始シチュエーションスタートと参りましょうか。幸いにも電力・残弾共に、温存する必要性は無くなりましたから」

 スカラヴァールカが独り言ちるのと同時に、その装甲の各所が開閉して、搭載された重火器類がその姿を現す。残弾は充分。バッテリーの残量には若干の不安が残るが、三十分程度ならば、最大出力を維持してくれる事と予想される。あとは数で勝る敵対勢力を相手にして、如何に上手く立ち回る事が出来るかが、勝利の鍵となるだろう。

 丘の稜線の北側ではスカラヴァールカが戦闘準備を整えている一方で、稜線の南側では、民兵組織の一団がその足を止めて煙幕が晴れるのを待っていた。

 モグラが感知し続けている震動によって、攻撃目標である歩行戦車MA-88が、稜線のすぐ北側に留まっている事は既に判明している。途中小さな震動が二度ほど感知されはしたものの、それはあまりにも小さく、重量数十tの歩行戦車が移動した際のものとは考え難い。敵の数と所在が確定しているのだから、煙幕の中に飛び込んで、数に物を言わせた近接攻撃を仕掛ける手も考えられた。だがその場合には同士討ちの可能性が少なからず想定されたがために、民兵組織側はじっと息を殺して、時が来るのを待つ。

「そろそろ煙幕が晴れるぞ、イゴール。俺の合図と同時に、お前が先頭に立って、正面から歩行戦車を飛び込ませろ。そして残った車輌と歩兵の装備は、丘の左右に照準を合わせるんだ。ヤツがどの位置から姿を現しても、確実に仕留めてみせろ」

「はい、アフマド大佐。部下達にそう伝えます」

 M3《エムキューブ》『コーンヘッド』のコクピット内に腰を据えるアフマド大佐からの命令を、歩行戦車『アルマジロ』のコクピットに座するイゴールが、周囲に居並ぶ部下達へと下達した。

 身を屈めて前方を警戒する、二足歩行の人型機動兵器、M3《エムキューブ》。この鋼鉄の塊は、搭乗したパイロットの挙動をそのまま再現するモーショントレース機構によって操縦するがために、現在のアフマド大佐もまた、その特異な形状のコクピット内で身を屈めて前方を警戒していた。パイロットの微細な動きまでをも感知する特殊なクッション材と、頭をすっぽりと覆うフルフェイスのヘルメット。それらで全身を包まれたアフマド大佐の姿は、さながら梱包材で包まれた荷物の様ですらある。だがこのモーショントレース機構の実現と発展によって、M3《エムキューブ》は、これまでの人型機動兵器では実現出来なかった機動性と環境適応能力を手に入れていた。

 最前線に立つイゴールは、ふと背後に首を巡らせると、アフマド大佐の乗るコーンヘッドを見遣る。頭頂部が高く隆起した特徴的なシルエットのM3《エムキューブ》、コーンヘッド。その主武装は、右腕部に内装された30㎜バルカン砲とプラズマカッターに、脚部に装着された多目的ミサイルサイロ。更に左腕部には強力無比な150㎜滑腔砲が内装されてはいるが、小口径の対人兵装は装備されてはいない。本来の正規軍による作戦行動では、M3《エムキューブ》は歩行戦車と同時に展開して自ら盾となり、対人戦闘は歩行戦車と、随伴する重装歩兵の領分とされているのだ。故に本来ならばM3《エムキューブ》が最前線に出て、自分達の乗る歩行戦車は、それを後方より支援するのが定石である。だが今は、それが逆の立場となっていた。おそらくアフマド大佐は、一番後ろの特等席から、狩りの様子を見物するつもりなのだろう。そしてそんな悪趣味に付き合わされる自分達の不運を、イゴールは少しばかり呪った。

「煙幕が晴れた! 今だイゴール! 前進しろ!」

「はい大佐!」

 アフマド大佐の号令と同時に、三輌のアルマジロが、丘の南側から稜線へと全速での前進を開始する。しかし稜線に辿り着く前に、死角となっている丘の北側から、八発の鉄の筒が白煙の尾を引いて上空へと飛び立った。その金属の筒は、スカラヴァールカの多目的ミサイルサイロから発射された、画像誘導式electro-optical-homingミサイル。それらは一旦数十mばかり上空へと一直線に舞い上がると、突如として空中でUターンし、地上の標的を追尾し始めた。そして八発の内の三発は三輌のアルマジロそれぞれを、一発はアフマド大佐の乗るコーンヘッドを、更に残りの四発は、合計八輌の装甲車輌と戦闘車輌をランダムに狙う。

「誘導ミサイルだ! 各自散開して回避しろ!」

 イゴールが叫ぶのと同時に、彼自身の乗るアルマジロもまた、回避行動を採った。そして逃げ惑う民兵組織の面々と、それらに急速接近しては次々と爆発する、スカラヴァールカの発射したミサイル。

 イゴールの乗るアルマジロと、もう一輌のアルマジロは、ミサイルの回避に成功して事無きを得た。だがもう一輌のアルマジロは回避行動が間に合わず、脚部に被弾すると、四本の脚の内の二本を失う。また歩行戦車よりも小回りが利かない車輌郡は、為す術も無くミサイルの直撃を受け、一輌の装甲車輌と三輌の戦闘車輌があえなく被弾。ミサイル内部の高性能爆薬PENTの爆発によって車輌は爆散し、車輌内部に積まれていた各種の爆薬や火器にも引火して、更なる誘爆を生む。

 ごうごうと燃え盛り、黒煙を噴き上げながら、天高く立ち上る業火に包まれる車輌郡。それらに乗っていた乗員は当然の事ながら、その周囲に居合わせた民兵組織の歩兵達十数人もまた、巻き添えを食って生きたまま火達磨となった。そして地面をのた打ち回りながら、阿鼻叫喚の絶叫をあげる。

 残る一発のミサイルは、アフマド大佐の乗るコーンヘッドのコクピットに照準を合わせて、虚空を突き進んだ。だが攻撃目標に接近すると同時に、ミサイルは急激にその推進力を失い、やがてコクピットが存在する胸部の二mばかり手前で完全に推進力を失ったミサイルは、空中でその動きをピタリと止めてしまった。そしてコーンヘッドは自身の眼前で動きを止めたミサイルを左腕で地面へと叩き落とすと、右腕に内装されたバルカン砲の速射によって、それを粉々に粉砕する。

「ふん、馬鹿が。そんな玩具が、このコーンヘッドに通用するものか」

 コーンヘッドのコクピット内で、アフマド大佐がほくそ笑んだ。

 このミサイルを無力化させた装置こそが、M3《エムキューブ》に搭載された鉄壁の防御機構である慣性制御装置、スタンドスティラー。慣性制御は本来、無重力空間における大型船舶の姿勢制御を目的として開発が進められていた、夢の技術。その技術を転用した物がスタンドスティラーだが、あらゆる物体の推進力を奪うその効力は、搭載された機動兵器を如何なる射撃兵装からも完璧に守り抜く。残念ながらその効力が発揮されるのが、全方位ではなく指向性である点が、唯一の欠点とされる。だがそれを補って余りある防御力を秘めたこの装置は、まさに機動兵器にとってのイージスの盾と言っても過言ではない。

「さて、次はどう出るかな? 新自連の最新鋭歩行戦車様は」

 アフマド大佐がそう言い終えた直後に、丘の稜線の東側から車体を横方向へと水平移動させながら、遂にスカラヴァールカがその姿を民兵組織の前に晒した。バッテリーパックの電力消費量を考慮に入れないその動きは、タツキ達と共に砂漠を移動して来たこれまでの歩行速度とは比べ物にならないほど機敏で、素早い。

「目標が出たぞ! 全員一斉射!」

 イゴールの号令と同時に、民兵組織側の二輌の歩行戦車のバルカン砲と機関砲、そして歩兵が構えたRPG《対戦車榴弾》とアサルトライフルが、次々と火を噴いてスカラヴァールカを襲う。だがスカラヴァールカは、防御に重点を置きながら、横方向への移動を継続。小口径の弾頭を多少は被弾しながらも、対人兵装のバルカン砲で最低限度の応戦をしつつ、民兵組織の一団の周囲をグルリと一周した。すると民兵達は、自分の背後に回りこんだ歩行戦車を追って照準を回転させざるを得なくなり、次第にその照準内に背後に居た筈の味方が入り込んで、同士討ちが始まる。

 正規軍ではない、まともな訓練を受けていない民兵組織だからこその、統制の欠如。その点を突いたスカラヴァールカは、混乱する民兵の歩兵達を次々に淡々と、対人兵装の7.62㎜バルカン砲で血煙を上げるミンチ肉へと変貌させる。そしてついでとばかりに、残された民兵の二輌の装甲車輌もまた、120㎜滑腔砲から発射された成形炸薬弾HEATによって鉄屑へと変貌させた。

 続いてスカラヴァールカは、民兵の一団を中心とした弧を描く移動を継続しつつ、二本の脚を失って立ち往生しているアルマジロに向けて滑腔砲の照準を合わせる。だが次の瞬間、脚部前面の積層装甲が、敵のレーザー照準機によって補足されている事を感知した。そのため一旦攻撃を中断して、回避行動へと移行する。すると間髪を容れずに飛来して来た装弾筒付翼安定徹甲弾APFSDSに被弾する、スカラヴァールカ。運良く回避行動に移行するのが一瞬早かったがために、ギリギリで真正面からの直撃こそ免れて、致命的な損傷は負っていない。しかしその弾頭は盛大な破砕音と火花を周囲一体に撒き散らかしながら、スカラヴァールカの脚部装甲を大きく抉り取った。

「チッ! 外したか、この腐れ糞戦車が!」

 装弾筒付翼安定徹甲弾APFSDSを発射したアルマジロに乗るイゴールが、舌打ちと共に、口汚く罵った。

「脚部装甲に被弾。しかし、損害は軽微です。民兵組織の三輌の歩行戦車の内、一輌のみ、非常に動きと反応の良い機体が存在します。そこで、まずはこれを撃滅する事を、最優先事項と設定いたします」

 無人のコクピット内で、スカラヴァールカが独り言ちた。コクピット内は無人なのだから、当然ながら、戦闘の経過を報告する必要性など無い。だがタツキ達が搭乗していた時の行動が癖として残っているのか、AIは意味も無く、音声による報告と確認を継続する。

「丘の稜線を利用し、身を隠しながらの攻撃に転じます」

 そう言ったスカラヴァールカは、民兵組織の周囲を一周し終えると、再び稜線を越えて丘の北側へとその姿を消した。

「追うぞ、オットー!」

 イゴールの号令と共に、彼の乗るアルマジロと、もう一輌の無傷を保っているアルマジロが、スカラヴァールカを追うために丘の稜線を目指して前進を開始する。どうやらオットーと言うのが、イゴールが乗るのとは別のアルマジロに乗るパイロットの名前らしい。

 丘の稜線を越える、イゴールとオットーのアルマジロ二輌。と同時に、既に丘を下り終えていたスカラヴァールカが、待ち伏せていたかのように120㎜滑腔砲から成形炸薬弾HEATを発射した。するとオットーの乗るアルマジロはこれに被弾するが、さすがに民兵側も待ち伏せを警戒していたらしく、装甲の一部を高圧のガスが抉り取っただけで、致命傷には至らない。

「オットー! 左右から挟み込むぞ! 20㎜で少しずつ脚を削れ!」

「了解です、イゴール大尉!」

 二輌のアルマジロが丘の北側の斜面を高速で下りながら、スカラヴァールカの動きを止めるべく、20㎜機関砲による斉射を浴びせた。対してスカラヴァールカもまた、蛇行しながらの回避行動を採りつつ、敵と同じく20㎜機関砲での反撃を試みる。

 暫しの間、丘と丘とに挟まれた谷間で、三輌の歩行戦車による応酬が続いた。双方共に回避を目的とした高速移動を繰り返しながらも、互いの装甲を少しでも多く削り取ろうと、機関砲の正射を止める気配は無い。

 やがて時間の経過と共に、戦闘の結果に明暗が分かれ始めた。機関砲による応酬は、スカラヴァールカと二輌のアルマジロの双方の脚部に、ダメージを与え続ける。だが脚部に装甲を集中させた新自連製のスカラヴァールカの損耗は、比較的軽微であった。それに比べて、機動性を重視した結果として脚部装甲が薄い新ソ連製のアルマジロは、眼に見えてダメージが蓄積している。特にオットーの乗るアルマジロは、既に脚が一本破砕し、その機動力は半減していた。

「糞! 奴の装甲が厚過ぎる!」

 イゴールが、罵声と悔恨の言葉を漏らした。最新鋭の歩行戦車であるMA-88の脚部装甲の頑強さを見誤った彼の、明らかな失態である。対してスカラヴァールカは、無人のコクピット内に、無感情な合成音声で次の一手を宣言する。

「最優先事項を達成する前に、まずはその障害となり得る一輌を破壊します」

 その言葉と同時に、スカラヴァールカが獲物へと照準を合わせた120㎜滑腔砲から発射された装弾筒付翼安定徹甲弾APFSDSが、既に回避能力の無いオットーのアルマジロ本体を難無く貫通した。コクピット内のオットーの身体ごと機関部を破壊されたアルマジロは、白煙を噴き上げながら、その場に力無く崩れ落ちる。

「オットー!」

 死んだ部下の名を叫び、歯噛みするイゴール。彼はコクピット内のモニタに映し出されたスカラヴァールカをキッと睨み据えると、回避行動を取りながら、主砲の照準をこれに合わせた。そして敵機の動きを永年の経験によって培われた直感で先読みすると、滑腔砲から装弾筒付翼安定徹甲弾APFSDSを、巧みな偏差撃ちで発射する。すると動きを読まれていたスカラヴァールカは、これをほぼ真正面から被弾してしまい、轟音と共に第一脚の装甲に大穴を穿たれるのと同時に、装甲の薄い本体の一部をも抉り取られてしまった。

「小規模ながら、本体への損害を確認。やはり最優先事項を達成するべく、作戦を次の段階へと移行します」

 淡々と損害を確認する、スカラヴァールカ。彼の言う最優先事項とは、三輌の敵対する歩行戦車の内の動きの良い一輌、つまりはイゴールの乗るアルマジロを、率先して撃滅する事。そしてスカラヴァールカは蛇行による回避行動を採りながら後退し、これまで戦場としていた丘から、更にもう一つ北側の丘の稜線へと移動を開始する。

「逃げるのか!」

 イゴールは叫び、敵である歩行戦車を追う。だが彼の百mばかり眼前で、スカラヴァールカは死角となる丘の稜線の向こう側へと、その姿を消した。脚を止め、いつでも左右に動けるように姿勢を下げながら、眼と耳に神経を集中させて警戒するイゴール。モグラとアルマジロのセンサーが感知している震動から、MA-88が稜線を越えたすぐの場所から動いていない事を、彼は知っている。また同時に、同じく地殻を伝播する震動から、こちらの位置もまた敵に特定されているだろう事も重々承知していた。果たして敵は、稜線のどの位置からその身を晒すのか。それともこちらが痺れを切らして稜線を越えるのを、待ち伏せしているのか。イゴールの全身に、冷たい汗がジワリと滲む。

 だが次の瞬間、警戒するイゴールの眼前で、ドンと一発の砲声が稜線の向こう側から轟いた。センサーの感知した震動からすると、MA-88が120㎜滑腔砲を発射した事は確実だが、それが一体何を狙って発射されたものなのかが判然とせず、イゴールは困惑する。すると再び、同じ箇所からドンと轟く砲声。やはりセンサーは120㎜滑腔砲の発射を感知したが、その意図は、イゴールには一向に分からない。そして三度目の砲声が轟いた時に、イゴールはようやく気付いた。丘の稜線の一部が崩れ、それを形成していた岸壁に、拳大の穴が穿たれた事に。

「しまった!」

 イゴールは叫び、飛び退るべくアルマジロの膝を落とそうとする。だがそれよりも早く、丘の稜線に穿たれた穴が光ったかと思うと、その向こう側からタングステン鋼の矢が秒速一万m超の初速で射出された。そしてその矢は、避ける間も与えずに、イゴールの乗ったアルマジロ本体を直撃する。すると膨大な運動エネルギーを熱エネルギーへと置換しながら、タングステン鋼の矢は分厚いチタンの積層材で出来たアルマジロを、中に乗っていたイゴールの身体ごとドロドロに溶かしてから貫通した。

 真っ赤に焼け爛れながらその場に崩れ落ちる、原形を留めないアルマジロの残骸。

 果たして丘の稜線に穿たれた穴から、閃光と共にタングステン鋼の弾頭を射出したのは、スカラヴァールカの主武装である60㎜レールガン。この武装は極めて強力だが、機体と砲身を安定させないと射出する事が出来ないがために、回避行動を取りながらでの使用では威力も命中精度も格段に減退してしまう。そこでスカラヴァールカは事前に三度、丘の稜線を形成する岸壁に向けて装弾筒付翼安定徹甲弾APFSDSを打ち込んで拳大の穴を穿ち、その穴からイゴールの乗るアルマジロを狙い撃ちしたのだった。

「砲身安定。敵機沈黙。最優先事項の達成を、ここに確認いたしました」

 淡々と語りながら、展開していたレールガンの砲身を、装甲内へと収納するスカラヴァールカ。続いてその歩行戦車は、本体後部の多目的ミサイルサイロからポポンと、二発の画像誘導式ミサイルを発射させる。それらは稜線を越えて南の丘に達すると、そこで立ち往生していた残る一輌のアルマジロを、何の苦も無く破壊した。

「敵歩行戦車の殲滅を確認。残るはコーンヘッドのみ」

 無人のコクピット内で歩行戦車のAIがそう言い終えるのと同時に、スカラヴァールカの立っている周辺の丘の稜線が、炸裂音と共に次々と爆ぜた。その爆発を引き起こしたのは、北の丘を越えてこちらへと向かって来るコーンヘッドの右腕部に内装された、30㎜バルカン砲による攻撃。たとえ榴弾でなくとも、30㎜口径の徹甲弾ともなれば、それだけの威力を発揮するに至る。

「たったの一輌で部下を全滅させてくれるとは、舐めた真似をしてくれたもんだな、MA-88。だがな、この俺のコーンヘッドとお前のどちらがより強いのか、ここでハッキリと決着を付けてやろうじゃないか」

 コーンヘッドのコクピット内で呟く、アフマド大佐。彼の表情は部下を殺された怒りに満ちていると言うよりも、むしろこの状況を楽しんでいるかのような、子供特有の残虐さを含んだ笑みが漏れている。

「最優先事項を再設定。敵M3《エムキューブ》の殲滅を新たな最優先事項とし、また同時に最終目標とします」

 30㎜バルカン砲の乱射を稜線越しに回避しながら、スカラヴァールカもまた呟いた。

「さあどうした? いつまでそんな所に隠れている」

 ほくそ笑みながらそう呟いたアフマド大佐の乗ったコーンヘッドは、獲物を求めて、丘の斜面を登る。やがてそのM3《エムキューブ》の特徴的な形状の頭部が丘の稜線を越え、コクピットの収納された胸部が、丘の北側からも露になった。と同時に、再びの閃光と衝撃波、そして破裂音の様に甲高い特徴的な音を従えて、待ち構えていたスカラヴァールカの60㎜レールガンが発射される。その照準は正確に、コーンヘッドのコクピット中央を捉えていた。だがアルマジロをドロドロに溶けた鉄屑へと変貌させたレールガンも、M3《エムキューブ》に搭載された慣性制御装置スタンドスティラーの前では、全くの無力。コーンヘッドの胸部装甲に到達する寸前で、その推進力を完全に奪われたタングステン鋼の弾頭は、空中で制止すると、そのままポトリと丘の斜面に落下して転がった。

「想定通り、待ち伏せは失敗。電力の残量から逆算して、これ以上のレールガンの使用は、推奨出来ません。やはり当初の作戦を、継続いたします」

 無人のコクピット内で独り言ちたスカラヴァールカは、丘を登り切ったコーンヘッドから一定の距離を保ちつつも、その周囲を旋回する。そして敵の脇を抜けて稜線を越えると、一度は登った丘を、再び下り始めた。

「逃がすものか!」

 叫ぶアフマド大佐は、丘を下りながら自分の斜め後ろへと移動する歩行戦車を、バルカン砲を乱射しながら追った。そして丘を下り切ったスカラヴァールカは、コーンヘッドによる攻撃を可能な限り回避しつつ、南の丘と北の丘に挟まれた谷底を西へと移動し始める。しかし当然それを追いながら、30㎜バルカン砲による乱射を継続するアフマド大佐。彼の攻撃により、チタンとカーボンの積層素材で出来たスカラヴァールカの脚部装甲も次第に削り取られ、その表面には小さなクレーターの様な凹凸が無数に浮かび上がる。これでも威力を減退させるために、可能な限り斜めに弾いて衝撃を殺しているのだが、それでも超音速で射出される30㎜徹甲弾の威力は凄まじい。

「この俺に、散々恥をかかせてくれたんだからな。じっくりと追い込んでから、完膚なきまでにバラバラにしてやるよ」

 無精髭を生やした顔に残忍な笑みを浮かべてそう言うと、散発的な攻撃を展開しながら、スカラヴァールカの後を追うアフマド大佐とコーンヘッド。対するスカラヴァールカは、追って来るコーンヘッドに装甲の正面を向けながらも、蛇行と回避を繰り返しつつの背走を継続した。

 勿論スカラヴァールカも、只々逃げ回っているだけではない。内装火器である7.62mmバルカン砲と12.7㎜バルカン砲、それに20㎜機関砲による反撃も、絶えず継続している。しかしその反撃も、ことごとくM3《エムキューブ》に搭載されたスタンドスティラーによって弾頭の推進力を奪われ、コーンヘッドにかすり傷を付ける事すら覚束無い。それはまさに狩る者と狩られる者の、圧倒的な実力差が生み出す残酷な光景だった。

 やがて南北を二つの丘に挟まれた谷底には、それぞれの機動兵器から吐き出された銃弾・砲弾によって削り取られた岩石の破片が砂埃と共に舞い上がり、眼に見えて視界が悪くなる。

「さあて、それじゃあそろそろ、とどめを刺してやるよ。もう少しくらいいたぶってからでも良かったんだが、そろそろ陽が落ちそうだからな」

 アフマド大佐の言葉通りに、既に西の地平線へと、太陽が沈みかけていた。そして弱者を一方的に嬲る残忍な遊びに終止符を打つ事を決意した大佐は、勝利を確信しながら、声高に哄笑する。またそれと同時に、コーンヘッドの左腕に内装された150㎜滑腔砲をスカラヴァールカに向けるべく、コクピット内で自身の左腕を持ち上げた。M3《エムキューブ》の操縦方法は、機体が搭乗者の動きを真似るモーショントレース方式なので、アフマド大佐が左腕を上げれば、当然ながらコーンヘッドの左腕もそれに連動して持ち上がる。

 だが大佐の意に反して、コーンヘッドの左腕が持ち上がらない。その代わりにM3《エムキューブ》のコクピット内には警報音が鳴り響き、搭載されたAIが、予期せぬ異常動作が発生している事を告げた。そして頭に被ったフルフェイスヘルメットの、内部投影式モニタ越しにコーンヘッドの左腕を見遣ったアフマド大佐は、愕然としながら驚嘆の声を上げる。

「何だこれは!」

 果たしてそこに投影されたコーンヘッドの機体には、その胴体と左腕とを縛り上げるかのように、黒く細いケーブルが何重にも絡み付いていた。そしてそのケーブルの一端は、スカラヴァールカ本体の頂上部の装甲内から伸びている。更にもう一端に存在していたのは、砂埃が舞う戦場を軽快に飛び回る、無人偵察用のドローン。新自連製の歩行戦車には標準搭載されている有線式ドローンの通信用ケーブルが、M3《エムキューブ》の、そしてアフマド大佐の動きを封じていた。

「敵は、罠に掛かりました。位置も良好。故意に巻き上げた砂埃も、充分に効果を発揮したものと推測されます。それでは引き続き、作戦を継続いたします」

 感情の機微を感じさせない合成音声で、自分自身に言い聞かせて確認するかのように、聞く者の無い報告を続けるスカラヴァールカ。その歩行戦車から伸びたドローンの通信用ケーブルは、この谷底での戦闘中に、アフマド大佐に気付かれないように細心の注意を払いながらコーンヘッドの周囲を何度も旋回し、最終的にはその胴体と左腕とを絡め取っていた。そして更に旋回行動を継続したドローンのケーブルは、M3《エムキューブ》の両膝関節をも束縛する。

「こんな子供騙しがなんだと言うんだ! こんな物で、このコーンヘッドがどうにか出来るとでも思っているのか!」

 怒りに任せて叫びながら、唯一自由に動かせる右腕で、ケーブルを引き千切ろうとするアフマド大佐。だがカーボン繊維でコーティングされたケーブルは見かけ以上に頑強で、M3《エムキューブ》の腕力をもってしても、引き千切る事は敵わない。その代わりに、スカラヴァールカ本体とケーブルとが接続されていたアルミ合金製の基部の方が破砕して、めりめりと音を立てて剥がれ落ちた。

 歩行戦車本体との接続を断たれたドローンは、コントロールを失ってその活動を停止すると、力無く岩と砂に覆われた地面に転がる。だが既に、その果たすべき役目は充分に果たし終えていた。

 通信用ケーブルによって膝関節をも絡み取られた、コーンヘッド。その二足歩行の人型機動兵器が体勢を崩し、丘と丘とに挟まれた谷底でたたらを踏んでいると、そこに背後から回り込んで来たスカラヴァールカが、脚部装甲による体当たりを敢行する。するとスタンドスティラーの効果で威力が減退されはしたものの、体当たりの衝撃で更に体勢を崩したコーンヘッドは、膝関節が上体の重量を支え切れなくなって遂に転倒した。

 両脚と左腕の自由を奪われた状態で、仰向けになって谷底に横たわるコーンヘッドと、そのコクピット内に搭乗するアフマド大佐。激高した彼は顔面を真っ赤に滾らせながら、怒りに任せて喚き散らす。

「ふざけるなっ! こんな馬鹿な話があってたまるかっ! 俺が乗っているのは何だと思ってるんだ! コーンヘッドだぞ! 無敵のM3《エムキューブ》だぞ! それがたかが歩行戦車ごときに、こうも無様に転がされる訳が無いんだっ!」

 しかしアフマド大佐の言葉を真っ向から否定するかのように、無敵の筈のM3《エムキューブ》が、歩行戦車の罠に嵌まって無様に転がされているのは、動かし難い事実だった。そしてスカラヴァールカは六本の脚で地上を移動し、横たわるコーンヘッドの胴体の上へと素早くよじ登ると、自らの重量でもって敵の動きを封じる。

「貴様あっ! この私にここまで恥をかかせて、只で済むと思うなよっ!」

 人間で言うならば、マウントポジションを取られる体勢となったアフマド大佐。彼は怒声を浴びせながら、唯一動かせる右腕に内装された30㎜バルカン砲とプラズマカッターでもって、起死回生の反撃を試みる。

 至近距離から30㎜徹甲弾の速射を浴びせられた、スカラヴァールカの第三脚と第五脚。それらの装甲は、硬い金属同士が高速でぶつかり合う耳障りな切削音と盛大な火花を撒き散らかしながら、あっと言う間に砕け散った。そして遂に徹甲弾は脚部装甲を超えて歩行戦車本体にまで達し、次々と穿たれる本体装甲の穴からは、かつてはタツキとアリョーナが座っていた無人のコクピットが露になる。更にコーンヘッドの右腕部の内側から展開された近接戦用装備であるプラズマカッターが、装甲を剥ぎ取られて発砲チタン製の骨格が露になった歩行戦車の二本の脚を、その高熱をもって切断した。これによって実質的にスカラヴァールカは、その躯体の四分の一近くを失った事となる。

 だがアフマド大佐の反撃も、ここまで。

 残された第一脚に全体重を預けて圧し掛かり、スカラヴァールカはM3《エムキューブ》の右上腕部を、強引に押さえつける。歩行戦車によって右腕の可動範囲をも封じられてしまったコーンヘッドは、為す術も無くなり、地面の上で赤ん坊の様に只々じたばたと暴れるのみだった。しかもアフマド大佐は30㎜バルカン砲の残弾を全て撃ち尽くしてしまったらしく、真っ赤に焼けた三連装の砲身は、弾丸を発射する事も無いままに空しくカラカラと空回りを続けている。

「敵機の捕縛、及びに一時的な無力化に成功。当機の損害は、想定以上に重篤であるが、作戦行動の継続に支障は無し」

 淡々と状況を分析し、内殻の一部までもが徹甲弾で抉り取られた事によって外気に晒された無人のコクピット内に、スカラヴァールカはアナウンスを続けた。その言葉通りに、コーンヘッドを罠に嵌めた歩行戦車の負った損害は、決して軽微とは言えない。だが戦力としては圧倒的なまでの上位に立つ筈のM3《エムキューブ》を、無傷ではないまでも地面に組み伏せているこの状況は、奇跡と表現しても良い程の逆転劇と言えた。

 ただしこのまま膠着状態が続いた場合には、スカラヴァールカの方が不利な事もまた、動かし難い事実。コーンヘッドに絡み付いてその動きを封じている通信ケーブルは、いずれ解けて、この人型機動兵器に再び自由を与える事となるだろう。それに多大な電力を消費するレールガンを、二度にも渡って発射してしまったスカラヴァールカには、もはや時間的な側面での活動限界が刻一刻と迫りつつある。しかも鉄壁の防御力を誇るM3《エムキューブ》のスタンドスティラーに対して、決定的な有効打を与え得る射撃兵装を、この歩行戦車は有していない。

「どうした、MA-88! M3《エムキューブ》を破壊出来るのならば、この俺を殺せるのならば、今すぐにでもこの場でやって見せろ! M3《エムキューブ》は無敵なんだ! たかが歩行戦車ごときに、負ける筈が無いんだ!」

 コーンヘッドのコクピット内で、アフマド大佐が吠えた。そしてその言葉に対する返事代わりに、スカラヴァールカは本体後部の多目的ミサイルサイロから六発のミサイルを、上空に向けて発射する。本来ならばミサイルサイロは八連装なので、八発全てを発射したいところだったのだが、先程被弾した30㎜バルカン砲の接射によって八つのサイロの内の左から二つ目までが損壊していたために、今はこれが限界であった。

「なんだ? ミサイルか? そんな物を何発撃ち込もうが、スタンドスティラーで幾らでも無力化してやるぞ! しかもこの至近距離ならば、俺は無傷でも、巻き込まれたお前の方が自滅する事になるがな!」

 再び哄笑する、アフマド大佐。彼の眼前で発射された六発のミサイルは、上空五十m余りまで上昇すると、そこからUターンして先端を地表へと向け、地上で重なり合ったスカラヴァールカ達の元へと戻って来た。そして白煙の尾を引いてジェット噴射で加速すると、スタンドスティラーの影響を受けないように、コーンヘッド本体から五m程度離れた位置の地表へと、それぞれが等間隔の距離を空けながら着弾する。そしてその弾頭は、赤茶けた岩の地面へと、深々と突き刺さっていた。

 発射されたミサイルの正体は、画像誘導式の地中貫通爆弾バンカーバスター。だが本来であれば数mから数十mの地中深くまで潜り込んだ後に爆発する筈のそれは、何故か起爆する事無く、岩の奥深くで静かに沈黙を守り続ける。

「どうした? 頼みの綱のミサイルが、不発か? だがどっちにしろ、そんな物はこの俺には通用しないぞ!」

 地面に組み伏せられて余裕が無いながらも、アフマド大佐は嘲笑の色を含んだ言葉を、敵へと浴びせかけた。だが次の瞬間、彼は気付く。モニタ越しに彼の眼に映る歩行戦車の本体前部装甲が開き、そこから現れたマニピュレーターが後生大事に抱えている、金属で出来た円錐形の物体の正体に。

 それは戦闘開始以前に、スカラヴァールカがタツキに頼んで取り外してもらった、120㎜滑腔砲の砲弾の弾頭。そしてその弾頭に表記されている文字列を、アフマド大佐は読み取った。そこに書かれている、『高出力EMP』の文字を。

 かつて正規軍の一員として作戦行動に従事していた筈のスカラヴァールカが、至近距離で被弾し、その記憶と記録のほぼ全てと機能の一部を失うに至らしめた、高出力EMP弾頭。それを敵が所持しているのならば、当然ながら味方が所持していても、何の不思議も無い。そして勿論、機動兵器を敵に回して戦うべく設計されたスカラヴァールカに配備された弾頭群の中にそれが有る事は、むしろ当然と言える。

「おい……まさかそれを使う気か! やめろ! そんな事をすれば、お前だって只では済まないんだぞ!」

 狼狽するアフマド大佐の眼前で、スカラヴァールカは弾頭内の起爆ボタンに、マニピュレーターの指を掛けた。通常の射出方法では、高出力EMP弾頭をM3《エムキューブ》相手に使用しても、慣性制御装置であるスタンドスティラーによってその推進力を失い、起爆する事はまず有り得ないだろう。だが推進力に頼らず手動で起爆させれば、その限りではない。

 そして歩行戦車のAIは高らかに、最後の言葉を謳い上げる。

「我が名はスカラヴァールカ。イダ・タツキによって使命を与えられ、アリョーナ・エルタエフによって名を与えられし、誇り高き軍属の機動兵器。今ここにその使命を果たし、為すべき事を為す」

 その言葉を言い終えるのと同時に、スカラヴァールカは躊躇する事無く、高出力EMP弾頭を手動で起爆させた。起爆と同時に発生した強烈な電磁パルスが空間を走り、一瞬だけではあったが、北欧の夜空に浮かぶオーロラの様な神秘的な七色の光の帯が、弾頭を中心とした周辺一帯を明るく照らし出す。

 EMP弾頭は爆発物ではないために、爆音や爆炎は、一切発生しない。だがそこから発生した電磁パルスは、コーンヘッドの、そしてスカラヴァールカの中核を成す精密機器の電子回路のことごとくを、完膚無きまでに焼き切った。

 電気系統がショートする火花と共に、回路を構成していた銅線や金線が焼けて発生した緑がかった煙が、重なり合った二つの機動兵器の装甲の隙間から溢れて、大気に舞う。そしてあらゆる機能を失って鉄屑と化したスカラヴァールカは、その場に力無く崩れ落ちるとバランスを失い、コーンヘッドの上から地表へと、ズルリと滑り落ちた。横たわるコーンヘッドもまた、全ての機能を失って、ピクリとも動かない。

「畜生! ふざけるな、この腐れ歩行戦車が! EMP弾頭なんか使いやがって、俺の愛機が、完全にイカレちまったじゃねえか! しかも真っ暗で、何も見えやしねえ! この俺が散々恥をかかされた挙句に、こんな所で死んでたまるか!」

 今や只の人型の鉄屑と化したコーンヘッドのコクピット内で、怒りと恥辱にまみれた悪態を吐く、アフマド大佐。瞬間的に発生した程度の電磁パルスならば、人体にはほぼ無害なために、彼は無傷であった。だが電気系統が完全に死に絶えたコクピット内は、非常灯すらも灯らずに、完全なる闇に包まれている。そんな闇の中で、なんとかフルフェイスのヘルメットを脱いだアフマド大佐は、手探りでコクピットハッチの手動式開閉レバーを見付け出すと、それを九十度回転させてハッチを開いた。

 コーンヘッドの本体装甲とハッチの隙間から、暗闇と化したコクピット内へと、戸外の光が漏れ差し込んで来る。そして同時に、未だ砂埃の舞う外気もまたコクピット内へと流れ込み、息の荒いアフマド大佐の口内にも砂粒が侵入して、彼を至極不快にさせた。だがそれでも、闇に包まれたコクピットからの脱出の第一歩を達成した彼は、少しばかりほくそ笑みながら、ハッチの外に這い出ようと独り奮闘する。そしてその途中でチラリと脇を見遣れば、そこには物言わぬ歩行戦車の残骸が、静かに転がっていた。

 自分を散々苦しめ、恥をかかせ、愛機をスクラップへと変貌させた、新自連製のMA-88。その鉄屑を恨みがましい目つきで睨み付けたアフマド大佐は、ハッチから上半身だけを覗かせた体勢のまま、砂交じりの唾を吐きかけて叫ぶ。

「どうだ、この糞戦車め! 見ろ、俺はこの通り生きているぞ! 俺の勝ちだ! 俺こそが勝者なんだ!」

 勝ち誇るアフマド大佐。だが次の瞬間、スカラヴァールカが地中深くへと埋め込むも不発に終わったと思われていた六発の地中貫通爆弾バンカーバスターの遅延信管が、同時に起爆した。

 轟く爆音と爆炎を噴き上げ、地面に穿たれた六つの穴から周囲の地表へと、亀裂が走る。そして亀裂はあっと言う間に広がり、地割れが発生し、横たわる二輌の機動兵器を中心として、地面が崩落を始めた。

「何だ、何なんだこれは!」

 アフマド大佐は叫ぶが、彼も知っていた筈である。彼らが戦っていたこの周辺には地下水脈が走り、地面の下には無数の空洞が空いている事実を。その事実があったからこそ、アフマド大佐は部下達に、震動が反響し易いこの周辺にモグラを埋めて網を張っていたのだから。そしてスカラヴァールカもまた、地殻を伝わる震動から、その事実に気付いていた。だからこそ歩行戦車は、この丘と丘に挟まれた谷底の、比較的地表近くに空洞が存在する位置にまで、敵を誘導して来たのだから。

 つまり今現在発生している地表の崩落もまた、スカラヴァールカの入念なる計算の内であった。

 ガラガラと言う地鳴りを轟かせながら、まるで炭坑の坑道が落盤するかのようにして、地表を形成していた筈の岩石が地下水脈の空洞に次々と落下して行く。そしてその岩石に巻き込まれながら、機能停止したM3《エムキューブ》であるコーンヘッドもまた、落下を開始した。未だハッチから上半身しか脱出出来ていないアフマド大佐を、道連れにして。

「糞っ! こんな所で死んでたまるか! 最後に勝つのはこの俺なんだ!」

 岩石に揉まれながら落下するコーンヘッドのハッチから、必死で這い出そうとするアフマド大佐。しかしその時彼の上から、何か大きな塊が降って来た。

「あ」

 そう一言だけ漏らしたアフマド大佐の、そしてコーンヘッドのハッチの上に落下して来たのは、鋼鉄の塊であるスカラヴァールカの車体。重量数十tのそれの直撃を真上から受けたコーンヘッドのハッチと本体装甲とが、まるで巨大なギロチン台の様にして、アフマド大佐の身体を挟み込む。そして何の抵抗も無くあっさりと、脆弱な人間の身体は、上半身と下半身とに分断された。周囲一帯に飛び散る、真っ赤な鮮血と臓物。柔らかい腹部から真っ二つされて上半身だけとなった大佐の軍服の胸ポケットから、彼の愛用していたシガーカッターがポロリと零れ落ち、岩の狭間へと消える。

 アフマド大佐とスカラヴァールカによる死闘は、壮絶なる相打ちをもって、ここにその幕を閉じた。

 そしてカザフスタン西部の砂漠地帯に再び、静寂の時間が訪れる。地下水脈の流れる空洞へと全てが落下し、後には崩落によって形成された暗く深く、そして微かにだが水の流れる音が反響する、地面の穴だけが残された。落下した物は全て岩石に押し潰され、地下を流れる水流によって洗い流されて行く。

 すると南の丘の上に人影が一つだけ現れると、何度も転びそうになりながらも傾斜を滑り降りてから、谷底の崩落現場へと近付いた。そして恐る恐る地表に空いた穴を覗き込んだ彼は、腹の底から、最後の一息まで搾り出すかのような深い嘆息を漏らす。その顔にこの上無い安堵の表情と、僅かばかりの恐怖と困惑の色を浮かべながら。

 人影の正体は、民兵組織『月夜の狼』の下っ端構成員、ウマル。アフマド大佐が先導する歩行戦車狩りに半ば強制的に参加させられた彼は、先端部の弾頭を失ったRPG《対戦車榴弾》の発射筒だけを持ったまま、暫しその場に立ち尽くしていた。そしてウマルはその口端に微かな笑みを浮かべると、左手で目頭を押さえながら、静かに涙を零す。自分と、自分を取り巻く環境の愚かさに、涙交じりの嘲笑を禁じえない。そんな彼の左手の小指の先端には、厚く包帯が巻かれていた。

 自分の小指の先端を切り落としたアフマド大佐は、死んだ。この戦闘に参加させられた、自分以外の仲間達も、全員死んだ。敵である歩行戦車もまた、今は深く暗い穴の底で、岩に埋もれている。全てが馬鹿馬鹿しくなったウマルは、右手に持ったRPG《対戦車榴弾》の発射筒を崩落によって出来た穴へと放り捨て、更に背中に背負っていたアサルトライフルと腰の自動拳銃もまた、何の未練も見せずに放り捨てた。

 そして彼は踵を返すと、夕闇の中を北の方角に向かって、早足で歩き出す。自分自身に言い聞かせるかのように、独り言ちながら。

「もう民兵組織なんてやめだ! こんな生き方からは足を洗ってやる! 大佐がなんだ、将軍がなんだ、月夜の狼がなんだってんだ! 俺はこれから、どこか街道沿いの街でまともな職に就いて、真面目にコツコツと働くんだ! それで金が貯まったら、故郷の村に帰って、何か商売を始めるんだ! そうだ、そうするんだ、それがいい! そうすれば親父もお袋も喜ぶし、妹達の結婚式にだって出られる! それに俺だって、結婚出来るかもしれない! そうだよ、その方がずっと幸せな人生じゃないか! 俺は今まで、一体何をやって来たんだ! 故郷に帰るんだよ!」

 頭を掻き毟りながら、早口で捲くし立てるウマル。彼がこれから無事に街まで辿り着き、いずれ故郷に帰り、幸福を享受しながらその人生を終えられる保証は、どこにも無い。だが少なくとも、銃火器によって無辜の民を死に至らしめるような無為な人生から逃れる事が出来た事だけは、間違い無かった。

 月明かりに照らされて歩くウマルの後姿は、少しだけ誇らしげに見える。


   ●


 後方から幾度も聞こえて来る銃声と砲声と爆音に、更に加えて耳に届いたのは、二度に渡る強烈な破裂音。そして一際盛大な爆発音の後に、ガラガラと言った轟音を轟かせながら地面が少しばかり揺れるのを、タツキとアリョーナは感じた。その地鳴りを地震か遠雷かと思ったタツキは、自分達が歩いて来た方角を振り返って、何事が起きたのかを確認しようとする。だが既に地鳴りの発生したであろう場所は丘の稜線の向こう側に隠れていて、彼が立っている地点からでは、その詳細をうかがい知る事は出来ない。

 そしてその轟音と地鳴りを最後にして、一切の銃声も砲声も空気を震わす事は無くなり、静寂だけが岩と砂に覆われた荒野を包み込む。そしてその静寂をきっかけとして、タツキとアリョーナの二人は、スカラヴァールカの最後の戦いが終結した事を、言葉には出さないまでも心の奥底で悟るに至った。果たして自分達が信じて送り出した歩行戦車は勝利したのか、それとも敗北したのか。その答えを知る術を持たない今の彼らに出来る事は、只ひたすらに、荒野を歩き続ける事のみだった。スカラヴァールカがその使命を果たした事を、心の中で堅く信じながら。

「アリョーナ、そろそろ暗くなって来たから、足元に気を付けて」

「ありがとう、タツキ。タツキも気を付けてね」

 空は宵闇。太陽はほぼ沈み切り、西の地平線の一部が、ほんの僅かに紅く輝いているのみ。だが東の空から昇った月は、満月ではないものの充分に明るく、道無き道を行く二人の足元を照らし出してくれている。

 スカラヴァールカと別れてから、既に三十分余りが経過。距離にすれば、せいぜい二㎞程度しか旅程をこなしてはいないだろう。辿り着かなければならないサイヒンの街までは、直線距離でも、残り十八㎞程度。このままのペースで歩き続けた場合、タイムリミットである今日の二十四時までに間に合うかどうかは、予断を許さない状況であった。だがそんな状況下でも、タツキとアリョーナの二人は西北西に向かって、黙々と歩き続ける。広大なる荒野を、たったの二人きりで。

「寒いな」

 タツキが独り言ちた。

 陽の落ちた中央アジアの荒野は湿度が低く、日中の暑さが嘘の様に、急激に気温が低下し始める。空調が効いていて快適だった歩行戦車のコクピットを少しばかり懐かしみつつ、シャツとパーカーを羽織っただけのタツキは少しばかりの肌寒さを覚えながら、ペットボトルの水を飲み下して喉の乾きを癒した。やや厚手の生地で織られた民族衣装を羽織ったアリョーナは、そこまでの肌寒さを感じてはいないらしい。

「ねえ、タツキ」

 タツキと手を繋ぎながら、彼の少しばかり後ろを歩くアリョーナが声を掛けた。

「タツキは、海を見た事がある?」

「海?」

 唐突なアリョーナの問いに、タツキは少しばかり困惑する。

「そう、海。カザフスタンは海に接していないし、あたしの家は貧しくて旅行に行く事も出来なかったから、あたしは生まれてから一度も、海を見た事が無いの。タツキの住んでいた日本は島国だから、海に囲まれているんでしょう?」

「ああ、確かに日本は海に囲まれた島国だし、僕も何度か、海を見た事はあるよ。泳いだ事は、子供の頃に祖父母に連れられて行った海水浴場で、数回経験したくらいだけどさ。でも、それがどうかしたの?」

「あのね、あたし、もしもこのままタツキと一緒にカザフスタンを脱出する事が出来たら、海を見に行きたいの。それで出来ればね、水着を着て泳いでみたいな。勿論その時は、タツキも一緒にね」

 アリョーナは自分の胸に秘めた願望を述べたが、勿論それが叶う可能性が低い事を、彼女は重々承知していた。このままサイヒンの街に辿り着く事が出来たとしても、現状のままでは、そこで二人は離別する事となる。そして戦災孤児であり、難民として認定されていないアリョーナがカザフスタンから脱出出来る可能性は、限り無く低い。だがその事を理解しながらも、タツキは彼女に合わせて、言葉を返す。

「そうだな、一緒に脱出出来たら、二人で海を見に行こうか。どこの海がいいかな? ウクライナからだったら、西か南に少し進めば地中海に接した国に辿り着けるから、そこにしようか? 僕も見た事は無いけれど、地中海は綺麗だって言うしね」

「それでもいいけれど、あたし、日本の海が見てみたいの。タツキの故郷の海がどんな色なのか、この目で見ておきたいから」

 アリョーナが微笑みながら、日本の海を想像して夢を語った。そしてタツキもまた、故郷の海を思い出しながら会話を続ける。

「日本の海か……。日本は南北に伸びた細長い列島だから、北と南とでは、全然海の色が違うんだよね。北の方の海は暗くて冷たいイメージがあるから、どうせなら、南の海を見に行こう。出来れば沖縄がいいかな」

「オキナワ?」

「そう、沖縄。日本の一番南に在る県で、綺麗に透き通った海に囲まれた島が点在する、リゾート地なんだ。カザフスタンを無事に脱出出来たら、そこに二人で一緒に行こう。そしてサンゴ礁に囲まれた海で、一緒に泳ごう」

「本当? あたし、そこに行ってみたい! そのオキナワの海で、タツキと一緒に泳いでみたい!」

 期待に眼を輝かせながら、叶う事の無いであろう夢を語るアリョーナ。だが彼女は、今この瞬間にタツキと夢を語れる事に、幸せを見出そうとする。

「でも待てよ。沖縄は豚肉を使った料理が名物だから、一緒に行けたとしても、アリョーナは食べられないな。僕だけが一人で、ご馳走を食べる事になりそうだ。皮付きの分厚い肉をじっくり煮込んだラフティーとか、豚足を煮込んだテビチとか、すごく美味しいらしいのに」

「もう、せっかくいい気分だったのに。水を差さないでよね、タツキ」

 アリョーナが唇を尖らせながら拳を振り上げて、タツキを殴るフリをしてみせた。それを見たタツキが、ハハハと屈託無く笑う。その笑顔を見て、アリョーナもまた笑う。暫し互いに微笑み合いながら、タツキとアリョーナの二人は、月明かりに照らされた荒野を延々と歩き続けた。とりとめの無い事を語り合いながら、只ひたすらに。

 やがて時は流れ、歩き続ける二人の足には疲労が蓄積し、次第にその口数も少なくなる。今が一体何時なのか、時計を持たない二人には、それすらも分からない。もしかしたら、既に時間切れで救援部隊が撤収しているかもしれない恐怖に怯えるあまり、胃が萎縮して、吐き気すらもこみ上げて来る。だがそれでも休む事無く、西北西の方角に存在する筈のサイヒンの街を目指して、二人は歩き続けた。

 そして幾つめだか分からない小高い丘を越えた二人の視界に、遂に待望の、月夜の闇にボンヤリと浮かび上がる街の灯がその姿を現す。

「街だ……。サイヒンの街だよ、アリョーナ! ほら、見てごらん! 僕達、とうとう辿り着いたんだよ!」

「うん、タツキ、間違い無いよね? あたし達、とうとうサイヒンの街まで辿り着いたんだよね?」

 二人は歓喜の声を上げ、繋いだ手と手をしっかりと握り合いながら、その歩速を小走りに近い速度にまで上昇させる。一歩歩む毎に、自分達が目的地へと近付いている事を実感する、タツキとアリョーナ。後は期限である時間に間に合う事だけを一心に願いながら、彼らは街の灯を目指した。

 だが次の瞬間、二人の視界が真っ白に飛ぶ。一瞬何が起こったのか分からずに狼狽するタツキとアリョーナだったが、全身に強烈な光を当てられて眼が眩んだ事に気付くと、自身の手で眼を覆って光から逃れようとした。そしてその強烈な光の中から、野太い男の声が二人の耳へと届く。

「止まれ! そこから動くな!」

 言われるまでもなく立ち止まっていたタツキは、少しばかり光に慣れて来た眼を細めながら、声の主を探した。そして彼は、前方五十m程の場所に転がる岩陰からこちらに近付いて来る三つの大柄な人影を、眩んだ視界の中で確認する。またその先頭に立っている一人が自分達に向けて照らしているフラッシュライトが、光の正体だとも知った。

「イダ・タツキだな? 身分を証明出来る物は持っているか? 持っている場合は、ゆっくりとそれを取り出して、こちらに提示せよ!」

 先頭に立つ人影が、やや高圧的な口調でタツキに問うた。

「はい、パスポートがあります」

 言われた通りにゆっくりと、タツキは背負っていたデイパックを一旦地面に下ろしてから、その中から自身のパスポートを取り出した。すると人影はフラッシュライトを向けたまま、タツキ達の眼前にまで近付くと、パスポートを受け取ってからその中身を確認し始める。フラッシュライトの光が自分達からパスポートへと向けられた事によって、ようやく眼も眩むような眩しさから解放された、タツキとアリョーナ。そこでようやく二人は、自分達の眼前に立つ人影が、全身をパワーアシスト機構付きの装甲で覆った重装歩兵である事と、他の二つの人影が構えたアサルトライフルの銃口が、自分達へと向けられている事に気付いた。

 そして頭部も含めた全身を厚い装甲で覆われた眼前の重装歩兵は、パスポートの写真とタツキの顔を何度も見比べて確認してから、その顔面を覆い隠していた頭部装甲を開放しながら口を開く。

「驚かせてすまなかったな、少年。我々はキミを助けに来た、新自由主義連合軍の救援部隊だ。我々の基地にまで届いた救援要請のメールが、敵対勢力の罠である可能性が最後まで捨て切れなかったので、一応の警戒をさせてもらった。だが、もう大丈夫だ。キミの身柄は、我々が責任を持って保護する」

 開放された頭部装甲の中から現れたのは、柔和な表情を浮かべる、黒人の男性の顔だった。彼が合図を送ると、後方の二人の重装歩兵達もまた、構えていたアサルトライフルを下ろして警戒態勢を解く。

「ところで、メールによると友軍の歩行戦車がキミをここまで連れて来ると聞かされていたのだが、その歩行戦車はどこに?」

 黒人兵士の問いに、タツキは答える。

「スカラヴァ……僕達を乗せていた歩行戦車は、多分、ここには来れません。ここまで来る途中で民兵組織の襲撃を受けて、彼は、その歩行戦車は、僕達を逃がすために自ら囮になりました。おそらくはもう、破壊されていると思います」

 タツキが無念の表情をその顔に浮かべながら発した返答に、黒人兵士は暫し考えあぐねてから、未だ少しばかり納得がいかない様子で語る。

「……そうか、分かった。詳しい経緯は、後でゆっくりと聞かせてもらう事にする。だがとりあえず、件の歩行戦車はここには来れないと言う事でいいんだね? ではキミも知っていると思うが、我々が国境線のこちら側に居られる時間は、今日の二十四時までだ。あと三十分も無い。これ以上待っている事は出来ないので、残念だが、歩行戦車の回収は諦める事とする」

 タツキにそう言い終えた黒人兵士は、頭部装甲の耳の下辺りにあるボタンを押し、無線でどこかの誰かと何事かを語り始めた。おそらくは彼らの本部に、自分を保護出来た事と、そして歩行戦車を回収出来なかった事を報告しているのだろうと、タツキは推測する。

 そして報告を終えた黒人兵士は、もう一つの重要事項にも触れる。

「ところで」

 黒人兵士はその視線を、アリョーナに向けた。

「メールに記載されていた内容からすると、そちらの女性が同伴していると言う孤児の少女だと思われるが、それで間違いは無いのかな?」

 そう尋ねられたアリョーナが、ビクリとその小さな身体を震わせた事に、タツキは気付いた。そして少しばかり哀しそうな、それでいて全てを諦めて達観したかのような表情で、彼女は口を開く。

「そうです、あたしが……」

 だがアリョーナがそこまで言いかけたところで、彼女を制したタツキが毅然とした態度でハッキリと、黒人兵士に向けて言う。

「彼女はアリョーナ。僕の妻です」

 その言葉にアリョーナは驚き、黒人兵士は訝しんだ視線でタツキを睨み据え、タツキもまた黒人兵士の眼を真っ向から睨み据えた。そして暫し二人の男が睨み合った末に、黒人兵士が改めて問い質す。

「彼女が、キミの妻? そんな情報は我々には届いていないし、それに第一キミは、未だ子供じゃないか。結婚出来る歳でもないだろうし、そんな話はとてもじゃないが、信用する事は出来ない」

「いいえ、彼女は正真正銘、僕の妻です。日本の法律では、男は十八歳、女は十六歳であれば、結婚が許されます。式は挙げていないし、まだ役所に届け出てもいませんが、彼女が僕の家族である事には間違いありません。とにかく、僕達は家族なんです!」

「タツキ……」

 黒人兵士を相手に、一歩も引かないタツキ。彼の腕を掴んだアリョーナは、ぽろぽろと涙を零しながら、想い人の名を呼んだ。そんな彼女に、タツキは援護を促す。

「ほら、アリョーナからも言ってやってくれ。僕達は夫婦だって。僕はキミの夫だって」

 その言葉に、アリョーナもまた涙を拭ってから、力強く証言する。

「はい、間違いありません。イダ・タツキはあたしの夫です。あたし達は結婚しています。家族なんです」

 二人の少年少女から得心し難い説明を受けた黒人兵士は、暫し頭を抱え、再び考えあぐねた末に、無線での報告を行なう。

「本部に通達。保護対象者、一名追加。繰り返す、保護対象者、一名追加。当初予定していたイダ・タツキに加えて、その家族一名もまた、保護対象として認定する。詳細は本部帰還後に追って報告するが、とにかく保護する人数は現場の判断により、一名から二名へと変更する事となった。以上、これより帰還する」

 その報告を横から聞いていたタツキとアリョーナは、手を取り合って歓喜の声を上げた。だがそんな二人に、無線を切った黒人兵士は小さな声で告げる。

「俺は騙されてやるが、これから出会う役人達の全員から同情を買えるかどうかは、難しいぞ。まあせいぜい、上手くやる事だな」

 そう告げた黒人兵士に頭を下げて、感謝の気持ちを表現するタツキ。彼の肩をポンポンと叩いて励ました兵士は、背後の仲間達の方角へと振り返ると、大声で叫ぶ。

「作戦終了! これより本部に帰還する!」

 それを合図に、背後で待機していた二名の重装歩兵は踵を返して、サイヒンの街の方角へと歩き始めた。そして黒人兵士に促されながら、タツキとアリョーナの二人もまた、彼らの後について街へと向かう。

 やがて街の入り口へと辿り着いた一行を待っていたのは、二台の装甲車輌と、一台のトレーラー。トレーラーの荷台は空であり、おそらくは回収したスカラヴァールカを、これで国境の外へと運搬する手筈だったのだろう。そしてタツキとアリョーナの二人と、三人の重装歩兵達は、二台の装甲車輌の内の比較的大きな方へと乗せられた。彼らの搭乗を無線で兵士達が確認した後に、三台の車輌はゆっくりと移動を開始する。

 装甲車輌の後部座席に座らされたタツキとアリョーナに、車内で待機していた兵士が、そっと毛布を差し出した。それを羽織って冷えた身体を温めながら、二人の男女は静かに、互いの身体を抱き締め合う。およそ一週間に及ぶ旅路の中で、タツキとアリョーナがここまで身体を密着させたのは、これが初めての経験であった。

 ガタガタと揺れながら、タツキとアリョーナを乗せた装甲車輌は、夜の街を走る。窓の無い装甲車輌の中に座るタツキ達には知りようも無かったが、車輌は十分ほども走った後に、既にサイヒンの街を抜けていた。そして街道沿いを暫く移動した装甲車輌の車内で兵士達が無線による交信を行った後に、タツキ達の前に座る黒人兵士が口を開く。

「たった今しがた、この車輌は国境を越えて、ウクライナに入ったそうだ。おめでとう。キミ達二人は、無事にカザフスタンを脱出する事に成功した。これから本部で詳しい身元の調査や、各種の調書の作成等の、面倒な事柄をクリアしなければならないだろう。だがそれが終わった後には、自由が待っている。今はそれを、祝福しよう」

 その報告に、遂に感極まったタツキとアリョーナは、固く抱き締め合いながら両の瞳からぽろぽろと涙を零し始める。そしてこれまでの危険な旅路を思い返して、遂にはわあわあと幼い子供の様に泣き出した。

「タツキ、やったよ。あたし達、とうとう一緒にカザフスタンを脱出出来たんだよ」

「ああ、やったなアリョーナ。本当に、一緒に脱出出来たんだ。これでもう砂漠を彷徨う事も、民兵なんかに追われる事も無いんだ」

「ねえ、約束通りに、二人で一緒に海を見に行く事は出来るかな?」

「きっと出来るさ。未だこれから、時間は幾らだってあるんだ。何だって出来るさ」

 泣きじゃくり、互いの身体を強く抱き締め合いながら、タツキとアリョーナの二人は自分達の目的が無事に達成された事を喜び合った。そしてタツキは、ここまで自分達を送り届け、そして支え守り続けてくれた恩人に感謝の言葉を述べる。

「ありがとう、スカラヴァールカ」

 二人の前途はまだまだ多難だが、それが幸多からん事を、歩行戦車のAIもまた望んでいるに違い無い。共に幸せになる事が、タツキとアリョーナの為すべき事なのだから。



                                    了

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君と僕とスカラヴァールカ 大竹久和 @hisakaz

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