第五幕
第五幕
最終目的地である、カザフスタンとウクライナの国境の街、サイヒン。その地まで残り百㎞を切った辺りから、二人と一輌の旅は、その過酷さを増す。起伏に富んだ荒地だったとは言え、これまでは比較的平坦だった地形も、次第に本格的な山岳地帯がその姿を現して、タツキ達の行く手を阻んだ。しかも可能な限り人目を避けて異動しなければならない彼らは、もっとも移動効率の良い街道と、その周辺のなだらかな土地を利用する事が出来ずに、無限に続くかと思われるような岩場を敢えて歩まねばならない。そのため歩行戦車であるスカラヴァールカの移動速度は当初の予測よりも眼に見えて落ち、しかも一度は激しい砂嵐に巻き込まれた事によって、実質丸一日間に渡り、山間部での篭城を余儀無くされた。
しかし街道を避けて移動しているとは言っても、カザフスタン西部の荒野を縦横無尽に交錯するその全てを回避する事は、地上を移動し続ける限りは物理的に不可能である。そのため、時には人目を忍んで街道を横断しなければならない事態に遭遇する事も一度や二度ではなく、その度にタツキ達は、極度の緊張と警戒を強いられて来た。
そして今、タツキ達の眼前に広がるのは、南北に走る比較的幅の広い街道。東西を小高い丘に挟まれたこの街道に、タツキとアリョーナを乗せたスカラヴァールカは、丘の東側から接近する。丘の上には至る所に大きな岩が散在し、視界が良いとは、お世辞にも言えない。
その時突然ピタリと、歩行戦車がその六本の脚を止めた。
「どうした、スカラヴァールカ?」
メインパイロットシートに座るタツキの問いに、スカラヴァールカが答える。
「当機の動体感知機能が、二百m程前方の丘の頂上付近に、何かしらの移動する物体を感知いたしました。しかし移動物体のサイズは比較的小さく、地表を伝播する程の震動も感知されない事から、対象は車輌ではなく人間か、もしくは人間と同等サイズの獣であると推測されます」
「人間か獣? それは、ここからでも判別が付くものなの、スカラヴァールカ?」
コ・パイロットシートに座るアリョーナもまた、スカラヴァールカに問いかけた。ちなみに現在の彼女は、帽子とスカーフこそ被らずに三つ編みを解いた黒髪を露にしてはいるものの、その首から下を覆うのは、旅の始まりから着続けている伝統的な民族衣装のままである。
数日前にタツキに披露した白い薄手のワンピース姿は、やはり日常生活を送るには着慣れていない点と、乾燥した中央アジアの荒野では機能性に難があると言う理由で、今は丁寧に畳まれて、コクピットのカーゴ内にしまわれていた。また同時に、メインパイロットシートよりも一段高い位置にあるコ・パイロットシートに膝丈のワンピースを着たままアリョーナが座ると、背後を振り向いたタツキが彼女の下着を覗く格好になってしまう点も、服装を元に戻した要因の一つに他ならない。
とにかくそんなアリョーナの問いにも、スカラヴァールカは律儀に答える。
「判別は、可能です。また可能であればドローンを飛ばして上空から確認するのが一番確実なのですが、対象が人間であった場合にはこちらの所在を感知される可能性が高いために、使用するのは控えた方が得策かと思われます。ですので現在、指向性の集音マイクで対象の音を拾っておりますので、少々お待ちください」
暫し待たされる、タツキとアリョーナ。二人にはその僅かな時間が妙に永く感じられると共に、旅の途上でこれ以上の足止めを喰わされる事を忌避して、必要以上の焦燥感に駆られた。そして音声を解析し終えたスカラヴァールカは、二人にその結果を報告する。
「発声パターンから、対象を、複数名の人間と判断いたしました。残念ながら岩と丘陵が邪魔なために、その姿を視認する事は出来ません。ですが、現在我々が登攀中の丘のほぼ頂上部に、最低でも三名の男性が存在するものと思われます。しかし彼らの移動パターンと声の調子からして、対象は未だ我々の接近を感知してはいないものと推測されますが、どのように対処いたしましょうか、タツキ?」
「丘の頂上に人か……。僕らも他人の事は言えないけどさ、こんな所で、一体何をしているんだと思う?」
「そうですね。羊や山羊等を連れた遊牧民ならば話は別ですが、徒歩でこのような山岳地帯の荒野まで人間のみが移動して来る事は、まず有り得ないでしょう。ですので、エンジンを切っているためにここからでは感知出来ないだけで、おそらく対象は、車輌等の移動手段を有しているものと推測されます。しかし下の街道を移動して来て休息を取っているとするのならば、わざわざこの丘の上にまで移動して来る理由がありません。以上の事から推測するに、見晴らしの良い丘の上から下の街道を通る車輌等を待ち伏せ、もしくは監視している可能性が高いかと考えられます」
「待ち伏せか、もしくは監視か……。するとやっぱり、民兵か野盗? それとも、こんな場所だったら山賊と言った方が正しいのかな?」
「その可能性が高いとは考えられますが、正規軍や警察組織である可能性も、一概に否定は出来ません」
タツキとスカラヴァールカが、丘の上に身を隠す正体不明の男達に関しての憶測を語り合うが、結論は出ない。するとスカラヴァールカが、助け舟のつもりなのか、最終的な決定権を持つタツキに対して提案する。
「意見具申させていただきます、タツキ。この距離まで近付いても対象が我々を感知した様子が無いと言う事は、対象の乗る車輌等には、震動や動体を感知する機能を有する機器が搭載されてはいないものと考えられます。そこで、多少の危険は覚悟の上での作戦行動となりますが、光学で視認出来る距離まで対象に接近し、その正体を確認してみては如何でしょうか? 移動速度を落として震動と駆動音を抑制すれば、対象にこちらの存在を感知される可能性は、極めて低いものと推測されます」
「……僕らが発見される可能性は、本当に低いんだろうな?」
「はい。当機の
改めて確認するタツキに対してのスカラヴァールカの返答は、感情の伴わない平滑な合成音声でありながらも、何故か妙に自信有りげだった。そこで暫し逡巡した後に、タツキは決断を下す。
「よし、分かった。相手の男達が一体何者なのかを確認出来る距離まで、このまま近付いてくれ。言っておくが、くれぐれも慎重にな。それで相手がやっぱり民兵か野盗の類だったなら、即座に迂回して、戦闘になるような事は避けるように。逆に、万が一幸運にも新自連の正規軍だったりしたら、この場で保護を求めよう」
「了解しました、タツキ。それではこれより、光学で視認出来る距離まで、対象に接近いたします」
命令を了承した歩行戦車は、その六本の脚をゆっくりと動かしながら、慎重に移動を再開した。やがて岩陰に身を隠しながら前進する内に、歩行戦車のコクピット内のメインモニタに映る丘陵の切れ目から、車輌と思しき人工物のシルエットがその姿を現す。そして最終的に光学カメラが捕らえたのは、タツキ達の前方百m足らずの場所に停められた三輌の戦闘車輌と、その周囲をうろつく、カラシニコフ系のアサルトライフルで武装した四名の男達。戦闘車輌の内部にも人が残っている可能性を考慮に入れれば、最終的な人数は、もう少し増える事になるだろう。
「武装していると言う事は、やっぱり只の民間人じゃないよな」
そう言ったタツキに、スカラヴァールカは補足する。
「はい、そのように推測されます。そして、よく見てください。あの戦闘車輌の車体に描かれた、どこかで見た事のあるエンブレムを」
「うん?」
メインモニタに顔を近付けて、スカラヴァールカが指摘した箇所を凝視するタツキ。そしてそこに描かれているのが、三日月と獣をモチーフとした、『闇夜の狼』のエンブレムである事に彼は気付いた。
「あれは……」
「はい、タツキ。あなたの乗った輸送機を撃墜し、アリョーナとその家族が乗ったトラックを襲撃した民兵組織の仲間に、まず間違い無いでしょう。その上で、再度お伺いいたします。この状況に、如何にして対処いたしましょうか?」
「決まっているさ。無用な戦闘は、可能な限り避けたいからな。遠回りになるけど、ここから一旦後退して、迂回しよう……」
タツキがそこまで言い終えたところで、コ・パイロットシートのサブモニタを見つめていたアリョーナが、突然シートベルトを外して立ち上がった。そしてその顔を憤怒の色に染めた彼女は、搭乗ハッチを開けると、コクピットの外へと勢いよく飛び出す。そのままタラップも踏まずに、歩行戦車の本体から直接地面へと飛び降りたアリョーナは、前方の男達目掛けて岩だらけの丘を駆けながら叫ぶ。
「よくもお父様達を……! お父様、仇は討ちます!」
叫びと共に、今尚上着の下に隠し持っていた自動拳銃を取り出したアリョーナは、それを男達に向けて構えた。彼女の声に気付いてこちらを振り向くが、未だ自分達が置かれた状況が飲み込めずに、煙草を噴かしながら立ち尽くしている四人の男達。彼らに照準が合わせられたアリョーナの自動拳銃が、パンパンパンと三度、火を噴く。するとその銃声と、命中こそしなかったものの周囲の地面や車輌への着弾を受けて、男達も慌てながら身を屈めた。
「アリョーナ! 何やってんだ馬鹿!」
遅ればせながらアリョーナの後を追い、タツキもまた歩行戦車のコクピットから飛び出すと、地面へと飛び降りた。だがその間にもアリョーナは、尚も手にした自動拳銃を発砲し続ける。そして遂にその内の一発が、偶然のまぐれ当たりではあろうが、民兵組織の男の一人の頭を撃ち抜いた。
「やった!」
歓喜の声を上げるアリョーナ。彼女の八十mばかり前方で、側頭部に拳銃弾による穴を穿たれた男が、真っ赤な鮮血と薄ピンク色の脳漿を巻き散らかしながら地面へと崩れ落ちた。だがしかし、更なる標的を求めて引き金が引かれたアリョーナの自動拳銃からは、弾が出ない。その代わりに、
ここに来てようやく事態を把握した民兵組織の男達は、互いに何事かを叫び合うと、姿勢を低くしながら車輌の陰へと身を隠した。そして手にしたアサルトライフルのコッキングレバーを引いて、初弾を
「逃げろ、アリョーナ!」
アリョーナ目掛けて全力で駆け続けたタツキが、遂に彼女に追い付き、叫んだ。そして彼女の手を引いて歩行戦車の元へと撤退しようとするが、既に民兵達の銃口は、突然の襲撃者であるアリョーナに照準を合わせている。その光景を前にして、もはや撤退は間に合わないと判断したタツキは、自らの身体をアリョーナに覆い被せて地面に伏せると、その身を挺して彼女を守ろうとした。間髪を容れずに民兵達の構えたアサルトライフルが、一斉に火を噴いて鉛の銃弾を吐き出し、タツキは固く眼を瞑って死を覚悟する。
フルオートで速射された銃弾が、何か硬い物体に被弾するガガガガガと言う炸裂音を至近距離から浴びせられて、タツキはその身を竦ませた。しかし予想に反して、その身体に痛みは無い。そして固く瞑っていた眼を恐る恐る開けた彼の眼前にそびえ立っていたのは、自分達二人に覆い被さる形で銃弾から守ってくれている、鋼鉄の柱。地面に伏せたタツキとアリョーナに
「危ないところでしたが、ギリギリで間に合いました、タツキ、アリョーナ。それでは改めて、お聞かせください。彼ら民兵組織の構成員に対して、如何にして対処いたしましょうか? 残念ながら既にこちらの所在が知られてしまった以上は、後方へ退避しての迂回と言う選択肢は残されておりませんが」
「そんな事は決まっている、応戦しろ! ただし、今回は殺すな! 適当に攻撃して、追い払えればそれでいい!」
緊迫感の無い平滑な合成音声で指示を仰ぐスカラヴァールカに対して、タツキは応戦を指示した。そして歩行戦車のAIは、それに応える。
「了解しました、タツキ。それでは威嚇と示威を目的とした攻撃によって、対象を撤退に追い込みます」
その言葉と共に、スカラヴァールカは一歩一歩着実に民兵達へと接近しながら、搭載された対人兵装である7.62㎜バルカン砲による正射を開始する。
突如として現れた歩行戦車による攻撃を受けて、民兵の男達は尚も何事かを叫び合いながら、ある者は岩陰に身を隠し、ある者は車輌に乗り込んで逃走の準備を始め、ある者は無駄だと知りながらもアサルトライフルによる応戦を試みていた。だがスカラヴァールカによる攻撃は、彼らの足元の岩肌を削り、致命打こそ敢えて避けてはいるものの、盛大な破砕音と火花を散らしながら、民兵の車輌に穴を穿ち始める。すると遂に勝ち目が無いと判断した彼らは、這う這うの体で、三台の戦闘車輌に分乗して撤退を開始した。
エンジンが焼き付く程の全速力で丘を下って、我先にと逃げ惑う民兵達。彼らに尚もバルカン砲による速射を浴びせながら歩み続けたスカラヴァールカは、民兵達の車輌が街道の向こうに消えると同時に、その攻撃を停止した。
やがて静寂を取り戻した丘の上に残されたのは、パーカー姿のタツキと、彼に手を引かれて立ち上がるアリョーナと、射撃によって発生した熱をチリチリと放つバルカン砲の銃身を装甲内に格納するスカラヴァールカの、二人と一輌。そしてアリョーナの放った銃弾によって頭を撃ち抜かれて転がる、民兵の男の死体が一つ。
「アリョーナ、大丈夫か? 怪我は無い?」
立ち上がるアリョーナを心配して、タツキは優しく声をかけた。
「あたしなら、大丈夫。タツキは大丈夫? 怪我はしてない?」
「ああ、僕なら大丈夫さ。かすり傷も負ってないよ。……それよりもアリョーナ、どうしてあんな無茶をしたんだよ。突然飛び出して拳銃一丁だけで立ち向かって行くなんて、完全に自殺行為でしかないじゃないか。ギリギリの所でスカラヴァールカが助けてくれたから良かったものの、もう少し遅かったら、僕らは二人とも蜂の巣にされて死んでいたんだからさ」
「ごめんなさい、タツキ。だけどお父様達の仇が眼の前にいるのかと思うと、どうしてもじっとしていられなくなって……」
そう言うと、アリョーナは弾倉が空になった自動拳銃をその手に握ったまま、両の瞳からポロポロと涙を零して泣き始めた。民兵達に殺された家族を思い出して、感極まったのであろう。そんな彼女の肩に手を置いたタツキは、慰めるように、そして諭すように言葉をかける。
「気持ちは分かるよ、アリョーナ。僕だって奴らには、父さん達を殺された恨みがあるし、胸が張り裂けんばかりの怒りだって覚えている。でも今の僕達にとっては、無事にサイヒンの街まで辿り着く事が、一番大事な事なんだ。その計画に支障をきたすような事は、たとえそれが何であろうと、避けなければならないんだよ」
「分かってる……。それは、分かってるの。だけど、だけどやっぱりお父様達の事を思い出すと、何もしないで見ているだけなんて出来なくて……」
一度は立ち上がったアリョーナはそう言うと、止め処無く涙を零しながら、再びその場に膝を突いてへたり込んだ。そんな彼女の肩を優しく叩いて慰めの言葉代わりとしたタツキは、泣き続けるアリョーナをその場に残して、丘の頂上に立つスカラヴァールカの元へと歩み寄る。
「どうだ? アイツらが戻って来る可能性は、ありそうか?」
「タツキ、あなたの言う「アイツら」と言うのが撤退した民兵達を指しているのであれば、この場に即時帰還する可能性は、極めて低いものと思われます。ですが一時間から二時間程度の後に、救援を求めた仲間を引き連れて戻って来る事だけは、まず間違い無いでしょう。ですので我々がサイヒンの街への旅を無事に遂行するためには、この場から速やかに退避する事を推奨いたします」
「分かってるさ、そのくらいは。アイツらだって、このまま僕達を見逃してはくれないだろうしね。とにかく早く街道を横断して、旅を急ごう」
嘆息しながらそう言ったタツキは、少し離れた場所に転がっている民兵の死体をチラリと見遣ると、更に深く嘆息する。
「また死体か……。勘弁してほしいね」
銃弾が侵入した左側の側頭部に9㎜口径大の穴が穿たれ、銃弾が抜けた反対側の側頭部が地面に叩きつけられたトマトの様に弾け飛んでいる、物言わぬ男の死体。この数日間で不本意ながらも見慣れてしまったとは言え、それでもタツキはそんな冷たい骨と肉の塊から、そっと眼を逸らす。
しかしその時、タツキは気付いた。
「あれ? ……あ、そうか、そうだよ! その手があるじゃないか! どうして今まで気付かなかったんだよ!」
期待に満ちた表情を、その顔に浮かべたタツキ。彼は民兵の死体の元へと駆け寄ると、しゃがみ込んで、その所持品を漁り始めた。そして死体の胸ポケットの中から、目的の品である携帯端末を発見する。
「有った! 有ったよ、やっぱり!」
それは、P《パーソナル》ウェア。現在では先進国から発展途上国に至るまで広く普及している、個人認証型の万能携帯端末である。不運な事にタツキ自身のPウェアは輸送機の墜落現場で紛失し、アリョーナは貧しさ故にそもそも所持していなかったが、民兵の構成員であれば、仲間と連絡を取り合うために所持している可能性は充分にあった。そしてそれが今、タツキの手の中に存在している。
「スカラヴァールカ!」
「はい、何でしょうか、タツキ」
タツキの呼びかけに、歩行戦車は彼の元へと馳せ参じた。
「これだよ、これ! お前なら、このPウェアの通信回線を利用して、外部、特に新自連の軍部と連絡を取り合う事が出来るんじゃないのか? お前の破損している通信モジュールの代わりとしてさ!」
意気揚々と、手にした民兵のPウェアを歩行戦車に向けて差し出すタツキ。そんな彼に対して、スカラヴァールカは相も変わらずの合成音声で、無感情に応える。
「なるほど。それは盲点でした、タツキ。今現在までその発想に至らなかった事を、ここに謹んで謝罪いたします」
「今は謝罪なんて、どうでもいいからさ。で、どうなんだ、スカラヴァールカ? これで、外部との通信は可能なのか?」
「Pウェアの通信機能は、あくまでも民間仕様です。ですので、高度な軍事仕様の私の通信モジュールの代替品として同等の機能を期待する事は、残念ながら出来ません。ですが限定された範囲以内であれば、外部との通信が可能である事は、間違い無いでしょう。ではタツキ、まずはそのPウェアを、こちらにお貸しください」
そう言うと歩行戦車本体最前面の装甲が開き、そこから二本のマニピュレーター《腕》が姿を現した。人間の腕や手とは違い、金属製の油圧シャフトや関節の構造材が剥き出しの、無骨で簡素なマニピュレーター。それが先端部の二本の指でタツキの手からPウェアを受け取ると、歩行戦車のメインカメラの前にその携帯端末をかざして、構造のスキャンとレーザーによる操作を開始する。
「なんだお前、六本の脚だけじゃなくて、そんな腕なんかまで持っていたのか」
今の今までマニピュレーターの存在を知らされていなかったタツキが、少しばかり驚きながら言った。
「そうです。当機には作業用のマニピュレーターが標準装備されておりますが、あくまでも作業用ですので、防弾処理が施されてはおりません。そのため、普段は装甲内に格納されております。別段隠匿する意図があった訳ではありませんが、万が一お気に触られたのでしたら、謹んで謝罪いたします」
「いいよ、別に謝罪なんかしなくても。ちょっと驚いただけだからさ。そんな事よりも、それで外部ネットワークとの通信は出来そうなのか?」
「少々お待ちください、タツキ。現在Pウェアのシステムにアクセスを試みておりますが、個人認証のセキュリティを解除するのに、少しばかり時間がかかりそうです。それさえ解除出来れば後は容易いのですが、何分にも当機は戦闘を主目的とした機動兵器ですので、ハッキングには長けておりません」
歩行戦車のマニピュレーターが掴んだPウェアを挟んで対峙する、タツキとスカラヴァールカ。するといつしか泣き止んで立ち上がったアリョーナが、背後から近付いて来ると、彼らの手元を覗き込みながら不思議そうに尋ねる。
「どうしたの? 何か、良い事でもあったの?」
「ああ、アリョーナか、喜んでくれよ! 上手く行けば、新自連の軍に救助を要請する事が出来るかもしれないんだ!」
「それ、ホントなの、タツキ? ホントに、助けが来てくれるの?」
「未だ分からないけど、このPウェアを上手く利用すれば、軍と通信する事が出来るかもしれないんだよ、アリョーナ!」
「やったじゃない、タツキ! あたし達、助かるかもしれないのね!」
互いに励まし合うかのようにテンションを上げながら語り合い、期待に満ちた眼差しで歩行戦車のマニピュレーターが掴んだ携帯端末を見つめる、タツキとアリョーナ。すると彼らの眼前で、音も無くPウェアの液晶画像の内容が切り替わり、意味の分からない記号の羅列が表示されると同時に、スカラヴァールカが語り始める。
「セキュリティの解除に成功しました。現在当機は、このPウェアの通信機能を介する事により、外部ネットワークとの接続を回復しております。ですが権限の不足によって、本来であれば当機がアクセス出来る筈の軍部の機密回線との交信は、残念ながら不可能です。また同時に、破損した通信モジュール内に存在していた通信暗号化、及び暗号解析プロトコルが失われているために、たとえ機密回線との交信が可能であったとしても、送受信共に不備が生じる事が推測されます」
「つまりそれは、どう言う事なんだ?」
タツキの問いに、歩行戦車のAIは答える。
「つまりは残念ながら、今の我々に出来る事は、至極制限されていると言う事です。具体的には民間の一般回線を利用して電話をかけるか、メールを送受信するか、もしくはインターネットにアクセスして情報を得る程度でしかありません。可能であれば、新自由主義国家連合軍の機密回線に直接アクセスして、即時の救援を要請する事が理想でした。ですがそれは現状では不可能だとしか、今の私には答えられません」
「それじゃあ、要はそのPウェアが、普通に使えるようになっただけって事か?」
「そうです。残念ながら」
スカラヴァールカの無慈悲な返答に、タツキはかぶりを振って天を仰いだ。彼が密かに期待していた、救援要請を受諾した新自連の軍部が救援部隊を至急派遣してくれるような事態は、どうやら儚くも夢と散ったらしい。だがそれでも、たとえ一般回線とは言え、外部との通信手段を手に入れた事は、今のタツキ達にとっては千載一遇のチャンスである事に変わりはない。
「とにかく、今は出来る事をしよう」
タツキは自分自身に言い聞かせるようにそう言うと、Pウェアを手にしたスカラヴァールカに向かって、語りかける。
「それで、だ。可能な限り理想に近い状態で救援を要請するには、どうしたらいいと思う、スカラヴァールカ?」
「そうですね。こちらの救援要請を即時実行に移してくれそうな公的機関としては、まず第一にタツキ、本来ならばあなたをウクライナにまで避難させるべき責務を負っていた、新自由主義国家連合の軍部であると考えられます。そして次点として考えられるのは、やはりタツキ、あなたと言う国家構成員の人権を保障する立場にあり、それを保護する責務を負った日本国政府と、その軍部でしょう」
歩行戦車のAIは、タツキの問いに対する返答を続ける。
「以上の事から、これら二つの組織の公式な窓口を通じて救援を要請するのが、現状では最善の策だと考えられます。しかし残念ながら、先に申し上げました通りに、今の我々が利用出来るのは民間の一般回線だけです。ですので救援を要請する方法は、新自由主義国家連合軍とウクライナの日本大使館の公式サイトにアクセスし、そこに記載された通常のメールアドレス、もしくは問い合わせフォームから行なうしかありません」
「ちょっと待ってくれよ。つまりは普通のメールか問い合わせで、軍に出動してくれって要請するのか?」
「そうです。残念ながら、現状ではそれしか方法がありません」
タツキは頭を抱えた。一日に一体どれだけの件数のメールや問い合わせが、軍の広報や大使館の窓口に寄せられているのかは、彼には分からない。だがその中には当然、虚偽の内容やイタズラ目的、もしくは愉快犯等による犯罪紛いの内容も数多く含まれている事は、まず間違いないだろう。そして相手にする価値も無い瑣末な児戯として処理されるそれらに埋もれる事無く、これからタツキ達が送信しようとしている要請が、救援部隊の派遣を決定するだけの権限を持つ人物にまで届く保障は、どこにも無いのだ。
「軍や大使館が、そのメールを本気にしてくれる確率は?」
陰鬱な表情で、タツキは問うた。対してスカラヴァールカは、如何なる感情も含まない合成音声で答える。
「残念ながら不確定要素が多過ぎるために、その質問に対して、明確な数値を上げての返答は致しかねます。ですが少なくとも、関係者しか知り得ない当機の機体製造番号をメール内に記載すれば、それを照会した新自由主義国家連合軍は、完全なる虚偽の内容であるとは判断しないと推測されます。またタツキ、あなたのパスポートに記載されている社会保障番号もまた同様に、メールの内容に信憑性を与える事となるでしょう。勿論それでも、軍部や大使館が救援に動くだけの確たる保障は、どこにもありません。我々を誘拐、及び鹵獲したテロリストや反政府系武装組織、もしくは新生ソヴィエト連邦の正規軍が、自分達を誘い出すための罠だと警戒する可能性も考えられます。ですがそれでも、やるだけやってみる価値は、充分にあるのではないでしょうか」
タツキは少しばかり達観したような表情で天を仰いでから、口を開く。
「やるだけやってみる価値はある、か。まあ、確かにそうだよな。外部と隔絶されて一切の連絡を取る手段が無かった今までに比べたら、事態が良い方へと進展した事には、変わりはないんだからさ」
「そうです。軍部が救援部隊を差し向けてくれるか否かは、希望的観測によるところが大きいので、何とも言えません。ですがここはひとまず、楽観的に考えてみましょう。少なくとも何もしないよりは、きっと良い結果が待っている筈です」
スカラヴァールカの言葉に、僅かながらも希望を抱き始めたタツキ。そんな彼に、歩行戦車のAIは許可を求める。
「それではタツキ。救援要請のメールを関係各所に送信する命令を下されますよう、お願いいたします」
「やっぱりまた、決定権は僕にあるって訳ね」
「そうです。残念ながらAIである私には、たとえそれが何事であっても、独断で遂行する事は許可されておりません。勿論、命令を下すべき資格を有する人物が、死亡、もしくは資格を剥奪された場合は別ですが」
軽く苦笑し、小首を傾げて暫し逡巡してから、タツキは命令を下す。
「よし、スカラヴァールカ、命令だ。僕達を助けてくれそうな出来るだけ多くの公的機関に、救援要請のメールを送信しろ。一応言っておくが、可能な限り内容の信憑性が増すように、文面には注意するんだぞ?」
「了解しました、タツキ。これより関係各所にメールを送信いたします。……送信を終わりました」
人間とは桁違いの演算処理速度を誇るAIは、メールの内容を充分に吟味した上で、僅か数秒の内にその送信を終えた。
「当機とタツキとアリョーナの素性と、これまでの経緯、及び現在の我々が置かれている状況、そしてこれから我々が取るべき行動の予定と経路を詳細に記載したメールを、送信いたしました。これで運が良ければ、サイヒンの街に辿り着くまでの途上で、友軍の救援部隊にピックアップしてもらえるものと推測されます。また想定される最悪のケースでも、サイヒンの街か国境線上において、最低でもタツキ、あなただけは避難民としてウクライナに入国する事が出来るでしょう」
「最低でも僕だけはって事は、その場合はアリョーナやお前はどうなるんだ?」
タツキは問うた。
「以前も申し上げましたが、アリョーナは難民として認定されずに路頭に迷うか、戦災孤児の保護施設に収容されます。私は新生ソヴィエト連邦の当局に鹵獲された結果、機密保持のために、システムを自爆させるでしょう。勿論これは、最悪のケースに限った話ですが」
スカラヴァールカの返答に、タツキは隣に立つアリョーナの不安げな表情を浮かべた顔をチラリと見てから、ボソリと言う。
「世知辛いね」
「そうです。残念ながら人生とは、往々にして世知辛いものです。ですが最悪のケースを常に想定して行動する事は、とても重要です。予防線を張ると言う意味でも、覚悟を決めると言う意味でも」
感情の伴わない平滑な合成音声で、妙に人間臭い事を語る歩行戦車のAI。そんなAIに、タツキは改めて苦笑を漏らした。そしてスカラヴァールカは、まるで何事も無かったかのように提言する。
「それでは、そろそろサイヒンの街に向けての移動を、再開いたしましょう。いつまでもこのような場所でグズグズしている事は、先程故意に逃亡させた民兵達が報復のために仲間を引き連れて戻って来るでしょうから、あまり得策とは言えません。可能な限り速やかに、また痕跡を残さずに、この場を退避する事を強く推奨いたします。ですのでタツキ、アリョーナ、お二人とも早急に、当機への搭乗を願います。またこのPウェアはコクピット内でも使用可能ですので、お持ち込みになってから、操作パネル上のケーブルに接続してください」
そう言ったスカラヴァールカは、保持していた民兵のPウェアをタツキに手渡し、外部に露出していたマニピュレーターを再び装甲の中へと格納した。そしてPウェアを持ったタツキとアリョーナの二人は共に搭乗ハッチからコクピット内へと潜り込むと、それぞれのパイロットシートに腰掛けてから、シートベルトを締める。
「それでは、移動を再開いたします」
その言葉を合図に、再び歩行戦車は、その六本の鋼鉄の脚を器用に動かしながら岩だらけの丘を下り始める。そして南北に走る街道へと辿り着くと、周囲に人が居ない事を充分に確認してから、それを素早く横断した。もし仮に、そのまま街道を進む事が出来れば、旅はよりスムーズに進行するのだろう。だが人目を忍んで行動しなければならない二人と一輌は、再び街道を外れた道無き荒野を歩き続ける事となる。
「そうだ、スカラヴァールカ」
「なんでしょうか、タツキ?」
タツキはAIに尋ねる。
「このPウェアで一般のインターネット回線に接続出来るようになったんだったらさ、家族や友達に、メールを送信してもいいのかな? とりあえずは僕が無事に生きているって事を、伝えておきたいんだけど」
「残念ながら、その行為は推奨出来ません。人の口に戸を立てる事は出来ませんから、そのような事をすれば、すぐにその内容が世間に拡散されるでしょう。そしてあなたの個人情報も含めた全ての経緯が、事実か否かを問わずに、広く流布される事になります。そうなれば世間の同情を集めたあなたを救出するために、世論が動くかもしれません。ですがまた同時に、批判や糾弾、それに心無い誹謗中傷に晒される事は、過去の例からしても必至と言えます。ですので安全に、また事後の難無く無事に救出されたければ、信頼出来る公的機関以外に情報を漏らす事は極力避けた方が賢明でしょう」
立て板に水を流すかのようなスカラヴァールカの正論に、タツキは少しばかり残念そうに嘆息してから、同意する。
「分かったよ。メールはしないでおくよ」
そう言ったタツキの脳裏に、日本で待つ祖父母や、カザフスタンのインターナショナルスクールで知り合った友人達に混じって、もう何年も会っていない実の母親の顔がおぼろげに浮かんでからそっと消えた。
彼らが去った後の丘の頂上には、側頭部に穴が穿たれた民兵の死体だけが転がり、只々静かに、砂漠の風に舞う砂に晒され続けていた。
●
丘の上に立つ男は、以前にも増して不機嫌だった。
「偶然ってのはあるもんなんだな、ウマル」
中国産の安葉巻を噴かしている男ことアフマド大佐は、そう言うと右手に持ったシガーカッターをカチャカチャと弄びながら、彼の眼前に立たされているウマルの全身を睨め回す。民兵組織『月夜の狼』の下っ端構成員であるウマルは、そんなアフマド大佐の一挙手一投足に恐怖を覚えて全身に冷たい汗をかきながら、只々姿勢を正して萎縮するのみだった。
「それじゃあ、もう一度最初から説明してくれないか、ウマル。今度は要点を押さえて、簡潔にな」
アフマド大佐の要請に、ウマルは緊張した面持ちで語り始める。
「はい。あれは、今日の昼頃です。新たにザハロワ少尉の部隊に配属された俺は、本部の命令で、この丘の上から下を走る街道を監視していました。もしも街道を金になりそうな物資を積んだ輸送車か、もしくは誘拐する価値のありそうな人間が乗った高級車が通ったら、これを襲撃しろとの命令です。ですが今日は、朝から取り立てて襲撃する価値のありそうな車輌は一輌も通らなかったので、俺達は特にする事も無く、丘の上で駄弁っていました」
「ふうん」
アフマド大佐は相槌を打ち、葉巻を噴かした。
「すると突然、丘の東側の街道とは逆の方角から女の叫び声が聞こえたんで、俺達は振り返りました。すると未だ十五・六歳くらいのガキの女が一人、こちらに向かって叫びながら駆け寄って来ていたんです。最初は俺達も、一体何が起こっているのか分からずに、ぼんやりと突っ立っていました。そうしたらその女のガキが突然、こっちに向かって拳銃で発砲して来たんです。それで、俺の隣に立っていたマトヴェイの奴が、頭を撃ち抜かれて死にました」
「なるほど。それで、あそこに転がっているのが、そのマトヴェイとか言う奴か」
アフマド大佐は、咥えた葉巻で少し離れた場所を指し示しながら、そう言った。そこにはアリョーナによって側頭部に穴を穿たれた男の死体が転がっており、既にその皮膚からは水分が奪われ始めて、ゆっくりとミイラ化が進行している。
「はい。そこで俺達はマトヴェイの奴の仇を討つために、その女のガキに向かって銃を構えました。するとまた丘の東側から、今度は別の男のガキが駆け寄って来て、女の方を地面に押し倒して身を隠そうとしたんです。だから俺達はそのガキ共を二人まとめて殺そうと、発砲しました。そうしたらそこに、ガキ共を守るために現れたんです! またあの新自連の歩行戦車の、MA-88が!」
ウマルが、やや芝居がかった大仰な手振りと口調で状況を報告するのを、アフマド大佐は冷めた視線で見つめながら、大きく一息葉巻を噴かした。そして彼は、眉間に深い皺を寄せながら言う。
「それで、またしてもお前は逃げ帰って来たって訳だな? 同じ歩行戦車を相手に、二度までも」
「え? あ、はい。俺達の装備じゃあ、どう考えても歩行戦車相手に勝てる訳も無かったもんですから……。その、仕方無く……」
アフマド大佐の言葉に含まれた怒気に気付いたウマルは、突然腰が引けて、その口調も覚束ない。するとアフマド大佐は、強い口調で命令する。
「ウマル、左手を出せ」
「そんな、お願いです大佐、勘弁してください」
自身の左手を背後に隠し、狼狽するウマル。だがアフマド大佐は、容赦しない。
「ウマル。左手を出せと、俺は言ってるんだ」
その口調をより強くし、既にその声色からも表情からも明確な怒りが滲み出るのを隠そうともしない、アフマド大佐。彼に睨み据えられたウマルは観念すると、蒼白の顔面に脂汗を滲ませながら、これから絞首台へと送られる罪人の様な心情で、自身の左手を恐る恐るアフマド大佐に向けて差し出した。すると次の瞬間、アフマド大佐はウマルの左手の小指をがっしと掴むと、それを関節が曲がるのとは逆の方向へと捻り上げる。
「いっ!」
苦悶の声を上げ、その場に膝を突いて、痛みに耐えるウマル。するとアフマド大佐は、ウマルの話を聞いている間もずっと手の中で弄んでいたシガーカッターを取り出し、本来ならば葉巻の吸い口を切り落とすために使うべきその小さなギロチン台の様な刃物で、ウマルの小指を挟み込んだ。そしてウマルの耳元に顔を近付けて、言う。
「いいか、ウマル。俺達はそのガキ共に、恥をかかされたんだ。その事実を絶対に忘れないように、痛みとしてその身体に刻み込んでおけ」
ドスの効いた声でそう言い終えるのと同時に、アフマド大佐はシガーカッターの鋭い刃で、ウマルの小指を第一関節からブツリと切り落とした。そして地面にぽとりと落ちた切断された小指の先端を、アフマド大佐は硬く分厚いブーツの踵で丹念に踏み潰して、地面の染みへと変貌させる。
「ひぎっ! いっ! いいいっ!」
舌打ちと共に突き飛ばされ、アフマド大佐の手からようやく解放されたウマルが、苦しげに呻いた。彼は先端が二㎝ばかり短くなった自身の左手の小指を押さえながら、その場にうずくまって、身体欠損の苦痛にじっと耐える。当然ながら大仰な悲鳴を上げて泣き喚く事によって、自身の身に起きた悲劇を嘆く事も、ウマルには可能であった。だがその行為は、アフマド大佐の嗜虐心を煽って彼をより興奮させるだけだと知っていたので、そこを敢えて我慢する事により、怒れる上官に対するささやかな抵抗とする。
「もういいぞ、ウマル。小指を治療してから、自分の仕事に戻れ。まずはあのマトヴェイとか言う奴の死体を片付けるんだ」
アフマド大佐の言葉に、ウマルは左手を押さえながらそそくさと丘を下り、傷の治療が出来る仲間の待つトラックへと走り去った。そしてアフマド大佐は、こびり付いた血を拭い落としたシガーカッターを胸ポケットに仕舞い終えると、彼の背後で事の成り行きを見守っていた腹心の名を呼ぶ。
「イゴール!」
「はい、大佐。何でしょうか」
アフマド大佐の背後に立っていたイゴールが、一歩前に出る。
「お前はどう思う、イゴール? 今回のMA-88と、前回のMA-88。これらは同一機体だと思うか?」
「それは、まず間違い無いかと。相手は最新鋭の、それも新自連の歩行戦車です。そんな代物が単独でこの辺りをウロウロしているなんて事が、そうそう起こり得る訳がありませんから」
「そうか、やはりお前もそう思うか」
予想通りのイゴールの返答に満足したらしきアフマド大佐は、葉巻を一息噴かしてから、続ける。
「しかし今回の一件で一番奇妙なのは、ウマルの奴が見たと言っていた、二人のガキ共だな。男が一人に、女が一人。そして女の方は、マトヴェイを射殺している。歩行戦車の正体も分からんが、そのガキ共の正体も、一向に分からん。そいつらがMA-88に乗っているのか、それとも別にパイロットが居るのか。そしてパイロットが居るにせよ居ないにせよ、そいつらの目的が何なのか。さっぱり分からんな」
首を捻る、アフマド大佐。そんな彼に対して、イゴールは進言する。
「大佐。実はそのガキ共の正体に関して、少しばかりお聞かせしたい事が」
「何だ?」
「俺が直接聞いた話ではなく、部下が顔見知りの男から、人づてに聞いたらしい話です。それによると数日前に、バーリの街から少しばかり南に在る街道沿いの食堂で、二人の未だ子供の客が俺達の組織の名前を出して、食堂の女将から情報を得ようとしていたとか。それでその子供の客と言うのが男一人と女一人の組み合わせで、年上らしい男の方でも、せいぜい十八歳くらいのガキだったそうです。如何せん確証はありませんが、事によってはその二人が、今回の一件のガキ共だったのかもしれません。なにせ前回MA-88が現れた場所と日時、そして今回現れた場所と日時を繋いだ直線上に、ちょうどその食堂にガキ共が現れたタイミングが重なりますから」
「なるほど」
イゴールの報告に、アフマド大佐は腕組みをして顎鬚を擦りながら、納得の言葉を漏らした。そして有能な腹心に、更に問う。
「それで、そのMA-88が現れた場所と日時を結んだ直線は、これからいつ、何処に向かっている?」
「あくまでも予測ですが、目的地は、サイヒンの街です。そしておそらく到着は、二日後の夜になるかと」
「よし、分かった。良くやったぞ、イゴール。それじゃあそこに辿り着くまでのルート上に先回りして、網を張るぞ。相手の正体も目的も一向に分からんが、二度にも渡って恥をかかされたまま、黙って見過ごす訳にもいかんからな。それに俺の愛機さえあれば、たとえ相手が最新鋭のMA-88だろうが、負ける事など絶対に有り得ん」
そう言うとアフマド大佐は、丘の下を走る街道に停められた大型トレーラーの荷台を見遣って、ほくそ笑んだ。果たしてそこに横たわっているのは、全高が十五mにも達しようかと言う、二足歩行の人型機動兵器。
「はい。大佐が負ける事など、決して有り得ません」
姿勢を正しながらそう言って、アフマド大佐の自負を保障するイゴール。彼の左手もまた、小指の第一関節から先が失われていた。
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