夢の世界で

滝川零

夢の世界で

とても楽しい夢を見ていた気がする。けれど、私はそれを思い出せない。

 朝、窓の外から聞こえる鳥の鳴き声とスマフォのアラームでそれを痛感させられる。

 まだ寝ていたい。出来れば夢の続きを見させて、と神様にお願いしても届かないだろうなと思う。

 顔を洗い、制服に着替え、朝ごはんを食べて、最寄り駅に向かって自転車を漕いでも、私はまだどこか夢のことを考えている。

 あの夢、どんなのだったっけ?

 目が覚めてきたのか、段々と不明瞭になってくる記憶に抗う事なく、私は今日も一日を送る。

 外は曇り空なのに綺麗に感じた。

 灰色の空の向こうにはきっと青が一面に広がっているんだろう。

 でも、たまにはこんな風に灰色でも悪くない。

 休み時間、友達が私の席に来てお弁当の包みを開ける。

 今日は一段と眠そうね、友達からのコメント。

 私の顔を見るや、一言目がそれって。

 いつも眠そうな顔をしていて、今日はそれが更に酷いってこと?

 でも、怒る気にもなれない。

 椅子に背中を預ける形でだらりと全身の力を抜いて、両目を押さえる。

 ああ、やっぱり夢の続きが気になる。


 目を開くと、いつもの天井があった。

 シーリングライトの丸いカバーが中心にある俺の部屋。

 また一日が始まるのか。

 そう思うとまだ布団から出たくない気持ちが強くなった。

 でも、いつまでもこうしてる訳にもいかない。

 渋々起き上がった俺は、いつものように学校へ行く準備を始める。

 今日見た夢の続きを、眠りに就くことでまた見れるようにと願いながら。

 六月の空はいつも曇りだ。

 雨が降らないだけマシか。別に曇り空も嫌いじゃないし。

 学校に向かう途中、ビルの並ぶ街中を歩きなら、彼は夢の続きを考えていた。それは学校に着いても続いていた。

 授業が始まっても、休み時間になっても変わらぬ思い。

 けれども、時間が経ったことにより、夢の内容は薄れていってしまう。

 ここ最近はずっとこの調子だな、と一人で考え込みながら、机に突っ伏した。もし、今寝てしまったら、俺はあの夢を見れるだろうか。


 放課後の私はまっすぐに家へと向かう。

 少しでいいから仮眠を取りたかった。

 玄関を開けて、すぐに自分の部屋へと向かう。

 制服から部屋着に着替え、鞄は机の上に置いておく。

 ベッドに寝転がり、目をつむる。

 段々と意識が眠りに近付くのを感じる。


 学校から帰ってきた俺は、鞄を机に置いて、服を着替えた。

 朝から敷きっぱなしの布団に寝転がる。ほんの少しだけ眠るつもりで意識が沈んでいくのを感じた。

* * *

 澄んだ空。

 それに合う清々しい空気。

 地面一杯の草原と少し遠くに見える木々の群れ。

 またやって来れたと私は思う。

「来たか」

 隣から聞こえたその少し低い声も覚えのあるものだった。

「あなたも今眠っているのね?」

「ああ、学校から帰ってきてすぐに」

 同じだ、と心の中で一人舞い上がる。でも同じなのはもうずっと前から。

 私達は同じ夢を見ている。


 私・霧島静が、俺・雪村蓮が出会ったのは二ヶ月前。

 お互いが眠りに就いている時、夢の中で出会う。

 その夢はとても夢とは思えない、物語なのだ。

 私がこの世界に来た時には側に雪村君が、

 俺の隣には霧島がいたんだ。

 お互いに自己紹介し、手に持っていた紙に目をやると、それは地図だった。

 赤い丸が書かれており、そこから線が伸びている。途中でうねうねと波打ったり、地図に書かれた道に沿ってなぞられているのが明白であった。

 最終的なゴール地点は、地図の端。どれぐらいの距離があるかも分からない旅。

 始めはただの夢だと思っていた。

 だから、初日は目が覚めるまでじっと待つ事にし、朝になるといつもの家の風景に戻っているし。

 やはりただの夢かと思い直した私と雪村君はその夜、夢の中で再び出会った。地図に沿って旅を終らせる事が私達に課せられたものなのだと言われた気がした。

 彼と協力し、彼女と共にこの旅を終らせる。

 目が覚める前にいた場所から再開される旅は、もう終盤を迎えようとしていた。今日までただひたすらに歩き続けてきた。

 夢の中では疲れも感じないし、お腹が空く事も喉が渇くこともない。

 私達はお互いに色々なことを話しながら、地図を片手に道を歩む。

 これ、現実では寝言になってたりしないよね? と少しの不安を持ちつつも雪村君との会話は止まらない。

 今日は何をしたかとか、好きなものは何かとか私達はしっかりと覚えている。夢の中なのに意識がはっきりとしているのが、一番の疑問だ。


 俺がこの夢を見始めた時、何かの罰なのかと思った。

 眠ると毎日同じ夢って、凄く疲れる。たまには別のも見たい、というか見なくてもいいぐらいなのに。

 それに会った事もない霧島と俺が何故同じ場所にいるのか。

 最初の頃はそう考えていた。

 恐らく彼女も同じだろうなと思う。

 でももう二ヶ月も一緒の夢を見て、旅を続けているから流石に慣れてしまった。

 お互いに話はするけれど、どこの学校に行ってるとか、メアドや電話番号の交換などはしていない。

 話そうとしたことはあったけど、そうすると何故か言葉が出なくなるのだ。

 これは多分、この夢の中でのルールだと二人で解釈している。

 お互いに出会えるのはここだけ、起きてしまったら記憶は薄れ、眠るとまた思い出す。


 私達の旅は終わるとどうなるんだろう。

 一度、雪村君に訊いてみたことがある。勿論彼も私と同じなので、分かるはずもなかった。

 そのことについて色々と予想を膨らませていた時期もある。

 例えば、何か凄いご褒美があるとか、起きたら実は何年も時間が経っていたという浦島太郎みたいな状況だとか。

 全部妄想に過ぎないけど、二人で話すのは楽しかった。

 今は目的地と思しきマークが書かれた場所には、何があるのだろうというのに変わっている。

 もう大分近い場所まで来たんじゃないかなと思うが、景色はあまり変わらない。一面の草原に木々の群れ、大きな岩が所々に置かれている。

 初めてこの夢を見始めた場所からあまり変化がないのだ。

 と思っていた矢先のこと、前方に大きな山が見えてきた。

 二ヶ月間歩き続けて、初めて現れた大きな変化。

「ねえ、あれってもしかして」

「ああ、あそこがゴールなのか?」

 問うようにして私に言う彼の声は少し震えていた。

 私達は走り出していた。山の麓まで来たところで分かったのが、木や草は一本も生えていない岩山だということ。

 これならすぐに頂上まで登れそうだ。そこで、先に行こうとした雪村君の手を握った。

「どうした? 何かあったのか?」

「これで終わっちゃうのかな? 私、実はまだ――」


 ハッと目が覚める。

 勢い良く上半身を起こし、そこが自分の部屋だと理解した時、私は残念な気持ちと少しの恥ずかしさで顔の温度が上がっているのが分かった。

「私、何を言おうとしたの」

 両手で顔を覆うと、まだ握っていたあの人の手の感触が残っている気がする。誰だっけ? さっきまで誰かといたけど思い出せない。


 時計に目をやると、夜の七時。

 そろそろ食卓から声がかかる頃だろう。

「あいつ、何を言おうとしてたんだ」

 誰かに手を掴まれていた感触がある。誰に? 俺はその人が何を言おうとしていたのか気になったが、徐々にその気がかりも薄れていってしまった。

* * *

 仮眠をしてしまった後だからか、中々寝付く事ができない。

 早く夢の続きをと願えば願うほど、目が冴えてしまう。

 あれ? 私、どんな夢見てたっけ。

 何故こんなにも執着しているのか分からなくなってきた。

 余計な考えはなくそうと強引に目をつむって、薄手の掛け布団に潜る。


 学校から帰って眠ったのはまずかったか。全然眠くならない。

 時計の針が刻む音ばかりが、静かな部屋の中を満たす。

 俺は夢が見たいんだ。

 どんな夢? 何のため?

 人に会うため。それは誰?

 関係ない。俺は余計なことを考えずただひたすらに目蓋を強く閉じる。


 それでも私は、俺は、その日眠りに就く事はなかった。

 

 翌日、一睡もしないまま学校へ来たのに、私は全然眠気を感じなかった。

 たった二時間ほどの仮眠で、ここまで起きていられるとは、自分の体のメカニズムに驚きを感じる。

 授業中もずっと起きていられる。

 いつもなら退屈だと感じていたそれも、今日は特に何も思わなかった。

 放課後、帰りの電車で私は自分の降りる駅を通り過ぎた。

 乗り越しの精算をし、改札に切符を通して出る。

 スマフォの地図を頼りにしばらく歩くと自然公園に着いた。広い草原が広がる。休み時間に調べたとき、何故か見覚えのある光景で、来てみたくなったのだ。

 歩き回ってベンチに座ると、欠伸が出た。

 ここにきて少しの眠気を覚えたが、ここで眠るのは流石に無防備で危ない。


 そう思っていたはずなのに、私の意識は夢の世界に来ていた。

「そうだ、ここだ。また来れた」

 一日分ぐらいしか経っていないのに、随分と来ていない感覚にとらわれる。

 少し涙が出そうになったのを抑え、目の前にある岩山を見上げた。

 ふと、雪村君の存在を思い出した。彼はどこにいるのだろう。いつも私の側にいたのに。

 まさかまだ眠っていないとか。だとしたら、新たな変化。いつも二人が眠りに就いた時にこの夢を見るのだ。

 今日は私一人か。それでも、目の前にあるゴールを目指して、私は山を登り始めた。制服姿のまま、駆け上っていく。


 確かに眠りに就いたのを覚えている。帰り道に寄り道をした場所で、急激な眠気に襲われたんだ。

 俺はあの夢の世界に来ている。

 けど、側に霧島の姿がない。今日は一人だけなのか。じゃあ、先にゴール地点に向かおう。あいつに危険がないよう、道を覚えて、エスコートできるかもしれない。俺は山を登り始めた。

 岩ばかりなので楽に行けると思ったが、意外にもキツい。いつも疲れを感じないはずなのに、今日はきっちりと汗までかいている。

 平坦な道を歩き続けてきたから疲労を感じなかったのかも。目が覚めた時、現実世界の俺も、同じように疲労を覚えているのだろうか。


 頂上が近くなった時、辺りが暗くなっていることに気が付いた。

 今まで変わる事のなかった空の景色に変化が生じている。

 恐らく昼のものであった日が、夕焼けに変わり始めているのだ。

「時間が進んでる?」

 息を切らしながら一人呟く。雪村君にも教えてあげなくちゃ。でも、彼がどこにいるか分からない。

 いつも二人だったから急な孤独感を覚え、私の足は更に重くなった。

 ゴールを目前にして起きる様々な変化に頭が追いつかない。


 登り始めて二時間ほどで、私は頂上に着いた。

 何とそこは切り株のように平地になっていた。予想では火山みたいに穴でも空いてるのかなと思っていたのに。

 中心に立ち、夕焼けが夜に変わろうとしているのが見える。

 私が来たのと反対方向。人影が見えた。


 ようやく頂上か。長い道のりだったな。これは女子の霧島には相当キツいだろうなと思ったが、決めつけはよくないか。

俺は考えを改める。

 岩山の頂上は平坦になっている。

 火山ではなかったのか、と中心に誰かが立っているのを見つけた。

 誰か、それは決まっていた。

 彼女しかいない。

「静!」

 俺は思いがけず名前で叫んだ。

「蓮君!」

 彼女も俺の名前を叫ぶ。

 一目散に走り出した俺は、彼女の目の前で止まり、大きく深呼吸をして落ち着く。

「良かった、また会えて。ていうか、俺よりも早く登ってくるなんて、お前運動神経いいんだな」

「私も会えて良かった。ここに来た時、側にいなかったから、もう会えないかと――」

 彼女は俺の制服を掴み、胸に顔を沈めてくる。泣いていた。

 褒めたことに関してのコメントはもらえないまま、時間が過ぎる。

「ここが、ゴールなんだよね」

「多分。それで、あの夕日が完全に落ちれば、終わりなのかもしれない」

 横に目をやった彼女は、それがもう沈みかけなのを見て、呆然としている。

 大事なことを思い出した。

「あのさ、山の麓でなんて言おうとしたんだ?」

 問われた彼女は記憶を探っているのか、何やら考えていた風で、そこから顔を少し赤らめる。夕焼けよりも赤い。

「言ってもいいの?」

「気になるからさ。もしかしたら、もう会えなくなるかもだろ」

 それはイヤ、と彼女は声を上げた。

 またワンテンポ遅れて、言ってしまったと顔を両手で覆う。

「まさか、それが言いたいこと?」

 しゃがみ込んでしまった彼女の顔を覗き込むようにして俺は問う。

「離れたくない。夢から覚めても、蓮君と一緒にいたいの」

 今度は俺が変な恥ずかしさを覚えた。よくそんなこと言えるな、などと言うべきではない言葉を飲み込む。

 これってつまり、俺も言うべきなのか。大きく息を吸って、静と名前を呼ぶ。

 顔を上げた彼女と身を低くした俺の目が合う。

「俺も同じだ。静とまた会いたい。夢の中じゃなくて、お互いのことをもっと話したい」

 彼女は俺の名前を呟いた後、一筋の涙を流した。

 だから――。


「あれ?」

 目の前には誰もいない。夕日がもう沈みそうだ。早く帰らないといけないのは分かっているのに、離れたくないという思いが私の全身を駆け巡る。

 そして、何故私は泣いているのか。


「えっ」

 突如として、現実に戻された俺は戸惑いを隠せず声が出てしまった。

 今、誰かに何かを言おうとしていた。けれど目の前には誰もいない。

 帰りの電車でわざと駅を乗り過ごし、見覚えのある場所であったこの自然公園に来たのは覚えている。

 ベンチに座ったまま眠ってしまったのか。もう帰ろうと鞄を肩に下げた時、俺の目から雫が一滴落ちる。

 何だ、俺。泣いてるのか。


* * *


 自然公園で涙を流してから一ヶ月。

 七月の半ばで夏休みを目前にした学生がテストという敵を倒す為に勉強に励む時期。

 にも関わらず雨ばかりが降っている。梅雨の六月にあまり降らなかった影響なのだろうか。

 雨を見ると思い出す。

 あの時、何故私はあそこで一人泣いていたのか、理由が分からない。

 何だか夢を見ていた気がするけど、思い出せない。

 ジグソーパズルの一ピースが見つからない感覚に似ている。

 駅までの道のり、広い横断歩道に向かい合う形で、大勢の人が立っている。

 信号が青に変わり、一斉に動き出す傘をさす人の群れ。

 私は前方からの雨をしのぐため、少し前屈みになっている。その時、横断歩道の中心にさしかかろうかという所で私は横目に見えた人に気をひかれた。



 雨続きで気分が下がる。

 ただでさえ、胸にぽっかりと穴が空いたような感覚にとらわれているのに。

 一ヶ月前のあの日以来、俺の心の中は針の動きが止まった時計のようだった。あの時、何かを伝えようとした人がいる。大切な人のはずなのに名前が思い出せないことが、奥歯に引っかかるような気がしてならない。

 もう会えないのか。

 学校の帰り道、気分転換に寄り道をした帰りの横断歩道は赤から青へと変わった。

 向かい側からも沢山の人がこちらへと歩き始める。

 交差する人の波の隙間を避けつつ、傘を前屈みにして雨を凌ぐ。

 途中、俺は横を通り過ぎた他校の女子の横顔に何故か懐かしさを覚え、そのまま横断歩道を渡りきった。


 立ち止まったままの私は、もし振り返ったら、あの人も振り返っているんじゃないだろうかという思いを胸に、ゆっくりと全身を後ろに向ける。

 すると、反対側には同じように私を見つめる男の子の姿があった。

 何だろう、あの人の事を知っている気がする。

 俺は、あの女子を見た事があるはずだ。

 次の信号が青になった瞬間、

 私は、

 俺は、駆け出していた。

 雨はもう止み始めて、雲の隙間から陽が射してきた。横断歩道の真ん中に立った二人を照らすようにして。

 今にも泣き出しそうな私が見ると、彼の目にも少し涙があるのを知る。

「あの、私のこと」

「俺の事」

 覚えてない? 

 二人同時に同じ言葉が出ていた。

 私は最後の一ピースが見つかったと思い、俺は時計の針がカチリとまた動き出した感覚がする。

 まら、会う事が出来たと二人で声に出していた。

 

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