お隣さんは影
藤宮 真尋
第1話 お隣さんは謎
新学期が始まって、早数日。夏休み気分が抜けきっていないクラスメイトを横目に、
『あぁ、何で終わってしまったんだろう、夏休み。昨日のまま、永遠に時がループしてくれたら良いのに...。そうしたら一日中ゴロゴロして過ごせる...。』
無表情に見えなくもないそのぼおっとした表情で、こんなことを考えているとは、このクラスにいる多くが気付けずにいたのだった。
彼女は、元から人形のような端正な顔立ちをしている。一度も染めたことのない真っ黒なストレートの髪を肩下程度に伸ばし、同色の大きな目は、彼女の容姿を幼く見せるも、瞳に光は宿っていない。長いまつ毛は整えられて影を落としている。整った鼻や口、日焼けを知らぬ真っ白な肌は、まるで陶磁器を連想させた。近寄りがたい容姿と雰囲気が相乗効果となって、あまり他人と接する機会の無かった彼女は、当然自分から他人と会話をすることも無い。だから彼女はよく『Reticent Doll(寡黙な人形)』と揶揄されている。 しかし、それを彼女が知ることは無かった。他人との付き合いが苦手なのではなく、自発的に他人と接する意欲のない彼女は、他人が何を考えているのかという興味など、元より皆無に等しかったのである。
『あ、今面倒臭そうな表情してる...。もしかして、夏休みが永遠に続けば良いのに、とか考えてたりして。一日中ゴロゴロして過ごすの、昔から本当に好きだよね。』
だからだろう、彼女のことを見透かしている人間が、案外近くにいるということにも気付かなかったのだ。そして、そのことで厄介事にも巻き込まれていくということも、知らずにいたのだった。
『今日はチョコチップメロンパンが食べたい気分だな~。』
『今日はチョコチップメロンパンの日かな?』
その男、名を
裏の顔は、隣の席で頬杖をつき、のほほんとしているReticent Dollを静かに見つめている、ただのストーカー兼変態だ。
「九条君、今度の日曜日の試合、絶対に見に行くね!」
頬を林檎のように赤く染めて話しかけてくる女子生徒に対して、彼は何時も通りの笑顔を振りまきながら言葉を返す。
「どうもありがとう。凄く嬉しいよ。」
多少棒読みにはなっているが、意中の相手からの言葉に舞い上がっている女子生徒は気づかない。彼はそのまま右隣に座る少女に話しかける。
「千尋は日曜日、暇?千尋が応援に来てくれたら、俺、絶対勝てるからさ。」
その言葉には先ほどの会話には無い熱が込められており、彼の本気が窺える。笑顔からは、好意を寄せる相手に向けるような甘いものを含んでいた。
しかし、そんなことには全く気付かない少女は、ぼんやりしたままの表情で口を開いた。
「どうして私が行ったら勝てるようになるの、九条 悠輝?私は、あなたの運勢upに貢献するような、ラッキーアイテムじゃないわ。」
鈴の音のような澄んだ声に感情は無い。しかし、彼女が言葉を紡ぐことは稀なのだ。よって、ざわついていた教室は、一瞬にして静寂と化した。
「千尋にとっての俺は、ただの幼馴染だ。けど、俺にとって千尋は、何時も俺を幸せにしてくれるラッキーアイテムのようなものなんだよ。千尋が来てくれるだけで、俺は強くなれる。」
真剣な眼差しでハッキリと言い切った彼は、僅かに目を見開く少女に微笑みかける。だが、彼女の次の言葉は、その笑顔を苦いものへと変えてしまう力を持っていた。
「私、あなたと幼馴染という間柄だったの?全然知らなかった...。」
教室の温度が一瞬にして氷点下へと変わる。言葉を発した少女はそのことにも気付かない。ただ、今まで思っていたことを正直に話しただけだ。だが、正直に話すことが常に正しい判断であるというわけではない。現に彼女の横の幼馴染は、笑顔のまま固まっているからだ。マネキンのように微動だにしない悠輝の前で手を振ってみる。...反応はない。千尋は不思議に思いつつその行為を続けていると、突然悠輝が素早い動きで千尋の手首を掴んだ。
「俺は千尋と同じ幼稚園出身だったよ?覚えてない?」
「...ごめんなさい。小学校以前の記憶はほぼ皆無に等しいから...。」
語尾がだんだんと小さくなり、若干表情が暗くなる千尋に対して、悠輝は深いため息を吐いた。そうして、千尋の手を優しく包むと、再び甘い笑顔で千尋に言った。
「覚えてないならしょうがないけど、その代わり、今日からゆっくり俺のこと知ってほしいな。頑張るから。」
何を?と余計なことは口走らないよう気を付けながら「分かった。」と短く答える千尋。その姿を誰よりも近くで誰よりも微笑ましく見つめていた悠輝を、皆は不思議そうに眺めていたのだった。
お隣さんは影 藤宮 真尋 @s161956ability
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