お隣さんは影

藤宮 真尋

第1話 お隣さんは謎


 新学期が始まって、早数日。夏休み気分が抜けきっていないクラスメイトを横目に、叢雲むらくも千尋ちひろは一人、窓際一番後ろの席で頬杖をついていた。彼女もまた、夏休みだった頃の感覚が抜けきっておらず、ぼんやりする頭で終わってしまった長期休みを嘆いていたのだった。


『あぁ、何で終わってしまったんだろう、夏休み。昨日のまま、永遠に時がループしてくれたら良いのに...。そうしたら一日中ゴロゴロして過ごせる...。』


無表情に見えなくもないそのぼおっとした表情で、こんなことを考えているとは、このクラスにいる多くが気付けずにいたのだった。


 彼女は、元から人形のような端正な顔立ちをしている。一度も染めたことのない真っ黒なストレートの髪を肩下程度に伸ばし、同色の大きな目は、彼女の容姿を幼く見せるも、瞳に光は宿っていない。長いまつ毛は整えられて影を落としている。整った鼻や口、日焼けを知らぬ真っ白な肌は、まるで陶磁器を連想させた。近寄りがたい容姿と雰囲気が相乗効果となって、あまり他人と接する機会の無かった彼女は、当然自分から他人と会話をすることも無い。だから彼女はよく『Reticent Doll(寡黙な人形)』と揶揄されている。 しかし、それを彼女が知ることは無かった。他人との付き合いが苦手なのではなく、自発的に他人と接する意欲のない彼女は、他人が何を考えているのかという興味など、元より皆無に等しかったのである。


『あ、今面倒臭そうな表情してる...。もしかして、夏休みが永遠に続けば良いのに、とか考えてたりして。一日中ゴロゴロして過ごすの、昔から本当に好きだよね。』


だからだろう、彼女のことを見透かしている人間が、案外近くにいるということにも気付かなかったのだ。そして、そのことで厄介事にも巻き込まれていくということも、知らずにいたのだった。


『今日はチョコチップメロンパンが食べたい気分だな~。』

『今日はチョコチップメロンパンの日かな?』



 その男、名を九条くじょう悠輝はるきと云う。千尋が幼稚園児であった頃よりの付き合いで、現在は、彼女の隣の席を獲得した男だ。彼はサッカー部のエースをしており、攻撃の最前線で得点を狙う『FW(フォワード)』の役割を担っている。爽やかな笑顔と明るく人当たりの良い性格、何より飛び抜けた運動能力から、老若男女問わず大人気なのだ。...表の顔は、だが。


裏の顔は、隣の席で頬杖をつき、のほほんとしているReticent Dollを静かに見つめている、ただのストーカー兼変態だ。


「九条君、今度の日曜日の試合、絶対に見に行くね!」


頬を林檎のように赤く染めて話しかけてくる女子生徒に対して、彼は何時も通りの笑顔を振りまきながら言葉を返す。


「どうもありがとう。凄く嬉しいよ。」


多少棒読みにはなっているが、意中の相手からの言葉に舞い上がっている女子生徒は気づかない。彼はそのまま右隣に座る少女に話しかける。


「千尋は日曜日、暇?千尋が応援に来てくれたら、俺、絶対勝てるからさ。」


その言葉には先ほどの会話には無い熱が込められており、彼の本気が窺える。笑顔からは、好意を寄せる相手に向けるような甘いものを含んでいた。


しかし、そんなことには全く気付かない少女は、ぼんやりしたままの表情で口を開いた。


「どうして私が行ったら勝てるようになるの、九条 悠輝?私は、あなたの運勢upに貢献するような、ラッキーアイテムじゃないわ。」


鈴の音のような澄んだ声に感情は無い。しかし、彼女が言葉を紡ぐことは稀なのだ。よって、ざわついていた教室は、一瞬にして静寂と化した。


「千尋にとっての俺は、ただの幼馴染だ。けど、俺にとって千尋は、何時も俺を幸せにしてくれるラッキーアイテムのようなものなんだよ。千尋が来てくれるだけで、俺は強くなれる。」


真剣な眼差しでハッキリと言い切った彼は、僅かに目を見開く少女に微笑みかける。だが、彼女の次の言葉は、その笑顔を苦いものへと変えてしまう力を持っていた。


「私、あなたと幼馴染という間柄だったの?全然知らなかった...。」


教室の温度が一瞬にして氷点下へと変わる。言葉を発した少女はそのことにも気付かない。ただ、今まで思っていたことを正直に話しただけだ。だが、正直に話すことが常に正しい判断であるというわけではない。現に彼女の横の幼馴染は、笑顔のまま固まっているからだ。マネキンのように微動だにしない悠輝の前で手を振ってみる。...反応はない。千尋は不思議に思いつつその行為を続けていると、突然悠輝が素早い動きで千尋の手首を掴んだ。


「俺は千尋と同じ幼稚園出身だったよ?覚えてない?」


「...ごめんなさい。小学校以前の記憶はほぼ皆無に等しいから...。」


語尾がだんだんと小さくなり、若干表情が暗くなる千尋に対して、悠輝は深いため息を吐いた。そうして、千尋の手を優しく包むと、再び甘い笑顔で千尋に言った。


「覚えてないならしょうがないけど、その代わり、今日からゆっくり俺のこと知ってほしいな。頑張るから。」


何を?と余計なことは口走らないよう気を付けながら「分かった。」と短く答える千尋。その姿を誰よりも近くで誰よりも微笑ましく見つめていた悠輝を、皆は不思議そうに眺めていたのだった。




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