第18話 子宮の外へ、あるいは助走の果てへ

 病院へ寄るのは二ヶ月ぶりだった。

 インターフォンを押す。中から、看護師が鍵を取りだし、ドアを開ける。

「一日の薬の量も減ったし、おかしな気分になることも少なくなった。」

 近寄って首に手を回してきた。

「久しぶりね」

「寂しかったか」

「意外と、寂しくなかったことが寂しかった。あぁ、ありきたりね。でも、今、会えたからそれでいい。全部、許す。嘘、少しだけ許さない。」

「ありがとう」

 なぜか、彼女の前だと、言葉を吐き出すことを辛く感じない。意味と無意味、悪意の有無。その距離感が近いからだろうか。

「半年の入院生活でわかったことが学んだことが2つあるの」

病院って何にもすることないの。ゆっくり休めって言われても、考えることだけは充分すぎるほどの時間よ。身体は休まるけれど、頭の中は忙しい。それでね」

 彼女が僕を見る。

「無駄が、世界を作っているってこと」

 そう言って、ベッドに深く座る。

「私の住んでいる世界には無い物はなくて、そのくせ、いらない情報ばかりが溢れて、本当に必要とするものを探すのに手間取って、時間がかかるばっかり。便利なものの便利さ加減もあいまいだし、不便さを受け入れるほどの時間もないぐらい、忙しいはずなのに、一杯のラーメンには行列ができている。

本当は足りないものばかりなのに、何かを得ては、何かを捨て、また何かを得ては、やっぱり違うって、私たちは切り捨てていく。いろんなものを次から次へCUTしていく。いつまでたっても満たされることなく、それでも私たちはいろんなものを捨てていく。どうしてなんだろう。それは、無駄が世界を作っているから」

 彼女がコホンとひとつ咳をする。

「ここは、まるで子宮。私たちは未熟児のままで出てきた赤ん坊ね。」

「もう、オーバードーズするなよ」

「大丈夫、心配しないで。嘘、少し心配して」

「それが子宮のなかで、偶然学んだもうひとつ。私たちは未熟児。」

「友也、愛してる」

「わかってる」

「でも、時々、言葉にしてね。嘘、いっぱい言葉にして」

「わかった」

「今日、私は、子宮から出る。もう一度、生まれ出る。このろくでもないくそったれの世界の片隅に」

「俺もそうかもな」

「友也、ひとつ約束して」

「何だ」

「私より長生きしてほしい」

「わかった。少し電話をする。先に歩いていてくれないか」

「うん」

 橋のちょうど中央。少し先を真美が歩いて行く。小さな小さな背中。拳銃を取り出し、安全弁をはずす。真美をじっと見つめながら、俺は引き金を引く。

 銃声。空につきあげていた腕が衝撃で痛くなる。

 真美が驚いた顔でこちらを振り向く。

 川に拳銃を放り投げる。ドボンと音がする。真美が俺を呼ぶ声がする。こちらへ向かって走り出してくる。日常に戻ってきた。真美が近づいてくる。抱きしめよう。出来るだけ強く、そして出来るだけやさしく。ゆっくりと俺も真美に向かって走り出した。最初はゆっくりと、そして徐々に早く。気がつけば駆けていた。今なら、いくらでも飛べそうな気がしてくる。真美を抱きしめるまで、もう少しだ。


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助走の果てのいつかへ 赤黒96 @akakuro96

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