流れる恋(2)
四月。
「変わりない?」
椿の問いかけに、 この暖かい陽気でまだ
「俺らは全く変わりない。むしろ動きたくてうずうずしてるがな」
それからじっと美緒の、ついで椿の顔を見つめる。
「ご両人は随分変わったなあ」
「そうかしら?」
「美緒。そこは黙っておくものだよ」
葉の香りの充ちた長屋の一角。檪の煙草屋の、びっしりと並んだ棚に椿が手を伸ばすのを、ぴしっと叩いてやった。
「もう煙草はよろしいでしょう?」
「うえええ…… 意地悪!」
「はいはい。上がれ上がれ」
檪は奥にあった
「柊のじいさんからのご依頼品。用意しておいたぜ、一張羅」
蓋を開けて、椿は苦笑する。
「こんなに気張らなくて良かったのに。でも、ありがと」
「おうよ。ここで着替えてから行くのか?」
「うん。父上が後から通る時に合流して、屋敷まで行くよ」
「そうかい」
ふふふ、と声を漏らす檪は冷たい目で言った。
「津也をどうするつもりだい」
椿は笑みを引っ込めた。
「良くて、国許にお帰りいただく、かな?」
「悪い場合もあるってことだ」
檪はにやりと口端を上げた。
「一世一代の大舞台だからな。しっかりやってきてくれな、
冷え切った顔で、椿は頷いた。
「先に話しておくね、美緒」
二人きりの部屋で向かい合って座り、椿は言い切った。
「僕がこのまま跡目を継ぐ。
それに黙って頷いた。ほっとしたように笑って、彼は話し続ける。
「義母上には小久保家から
「殿のおっしゃるように、国許での仕事をお任せするということですか?」
「実務的な采配は
と、椿は己の頭を指先で叩いた。
「彼が己の保身のために何を考えるか、だ」
もう一度頷く。
そして、目を伏せた。
「美緒」
声が近づいて、腕が肩に回された。
引き寄せられるままに、身を寄せる。
「逃げ出すならこれが最後の機会なんだけど」
「江戸を通り過ぎて、日光にでも参りますか?」
顔を上げると、くしゃっと笑う顔が見える。
「その先には仙台もあるよ」
「寒いのでしょうね」
「そうだね。暖かいところがいいなら、四国とかどうかな?」
「話に聞いたことさえありません」
「あはは。見に行って見たいねえ」
「そうかもしれませんね」
くすっと笑うと頰を合わせられた。
「でも、それをしたら、君の弟妹を守れなくなるね」
ぐっと肩を掴む手に力がこもる。
「君のことだけを考えていたい。でも、結局、家を継ぐのが一番君を苦しめないことになるってのが、皮肉だな」
下に下に、の掛け声とともに行列が進んでくる。
その中に、品川宿でもう一つ駕籠が加わった。乗っているのは、一張羅を着込んだ椿。
一つ引っ込んだ通りで列を見送って、美緒は振り向いた。
「まあ、事が終われば迎えに飛んでくるだろ」
檪が笑っている。
「川で身を投げたことになってるあんたがひょこひょこついて行っても邪魔だ」
「そうだけど」
唇を尖らせる。瞼の裏には、着付けてやってる間ずっと黙り込んでいた顔。
――椿殿らしくない。
「笑っててほしいというのは、私の我儘かしら」
呟くと、檪ががっくりと肩を落とした。
「ご馳走様」
「どういうこと?」
「むず痒くて仕方ないぜ、チクショウ」
ガリ、と頭を掻いてから、檪は口元を引き締めた。
「ここまできたら、おとなしく待ってろ。俺もおまえも、できることは何もねえよ」
「はい」
溜め息を零す。
ポンポンと背を叩かれて振り向けば、檪は笑顔に戻っていた。
到着した駕籠から、よいしょ、と滋虎が降りる。
「腰が痛いのう……」
門から飛び出して来た津也が、その腕に手を添える。
「ゆっくりお休みになってくださいませ。お茶を出させましょうか?」
艶やかな笑みを浮かべた津也に、滋虎は、うん、と言った。
「そうして話をしよう。そなたが一番気にしている話をな」
「あら。お着きになるなりそのお話ですの。妾の心配を理解してくださって嬉しい」
軽やかな足取りで、津也は奥へと進んでいく。
大きな溜め息を吐いて、滋虎は振り向く。
「それ。しゃんと背筋を伸ばして行くぞ」
「父上こそ、背中が丸まっておいでですよ」
ふっと笑って、椿もまた正面から屋敷に入った。
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