国中に広がる網(1)

 雪が止んだその朝、使用人たちが寝泊まりしている建屋から離れに来て最初に見つけたのは、縁側に等間隔に並べられた雪の塊だった。

「何ですか、これは」

 美緒が指さすと。

「雪ウサギ作ろうと思ったんだよねー」

 雪の上に大の字で寝転んだ椿が笑う。

「たくさん並んでると可愛いでしょ?」

「だからって縁側に並べる奴がいるか!」

 だん、と板の床を踏み鳴らす。

「やるなら外でやれ!」

「別にいいじゃん、けち!」

 寝ころんだまま足をばたつかせるものだから、雪の欠片がばしばし飛んでくる。

「雪を蹴るな! その前に雪の上で寝るな! 誰がその着物を洗うと思ってるんだ!」

 もう一度床を鳴らして、縁側にあった下駄をつっかける。そのまま椿の脇へ歩き、両腕を腰に当てて見下ろす。

「とりあえず、起きなさい」

「ウサギの目にする南天なんてんの実を取ってくる約束をしてくれたら、起きる」

「甘えていないで、自分でお探しなさい」

「無理だよ! 南天は表門の脇に植えてあるんだよ。僕が取りに行けるわけないでしょ?」

「成程、確かにそのとおりです……」

「葉っぱは柵の中にもあったんだけどさ。南天は無いの」

 うう、と呻いて瞬く目が潤んでいる。

「分かりました」

 もう一度息を吐いて、かがみ込む。

「お約束しますから、とりあえず起きて、部屋の中にお入りください」

 手を出すと、冷え切った指先が握り返してきた。


 椿の黒い瞳に映る自分は、ひどく頼りない顔をしていた。



 小久保の江戸屋敷の表門は決して大きくない。家格も石高もそこそこという家柄に実に似合った造りだ。

 その内側にひっそりと、南天の木は立っている。

 雪の季節も半ばを過ぎて、赤い実はほとんど残っていなかったが。

――十も取っていけばいいか。

 そう思いながら見上げていると。

「今度はどんな我儘に付き合わせれているんだ?」

 低い声の問いかけがかかる。武虎たけとらだ。

「時には、放っておけ」

「ご兄弟に対して、厳しいのですね」

 知らず、美緒の声も低くなっていたらしい。

「……知っていたのか」

 武虎は鼻の頭を掻き、目を逸らした。美緒も、ぐっと息を呑む。

「あれは、俺の兄だ。腹違いの」

 頷いて、武虎は言葉を継いだ。

「あれとは、春までの一年で初めて、同じ屋敷で過ごしたのだが…… 武張ったことよりも、読書などのほうが似合う奴だなという印象だった。同時に、思慮深く、人を困らせるような奴ではないと思ったのだが、江戸に戻ってから奇行が目立つという話になってな 」

 一瞬の間の後、彼は真っすぐに美緒に向き直った。

「跡目の役割を代わりに果たすために江戸に来いと、そう母上に呼ばれた時は、あれがおかしくなったなど全く信じていなかった。それがいざ会ってみたらどうだ。煙草をふかし、傍仕えの人間が困り果てるほどの悪戯を続け、見た目も様変わりしていたではないか」

「武虎様が江戸に着いた時はもう、奥の離れには柵を設けていたのですか?」

「あった」

 武虎が深く頷く。

「母上のご判断で、ふらふら外出するのを止めさせようと柵を作ったらしい。悪戯はその前から始まっていたらしいがな」

「そうですか」

 すっと視線を、顔を下げる。その肩を叩かれて、腕が強張った。

「とにかく、あれの奇行にいちいち真面目に付き合うことはないんだぞ」

「お気遣いありがとうございます」

 そっと手をどかしながら、言葉を繋ぐ。

「南天はただ見ていただけでして、これから出かける用事があるのでここにおったのです」



「というわけで、外出してこなければならなかったのです」

「なーるほどねー」

 くっくっくっとくぬぎが喉を鳴らす。

 店主以外居ない店の上がり口に腰かけた美緒に、煮え立った茶を渡して、彼は囲炉裏の火を突いた。

「その、武虎ってのはめんどくせえ奴だな。さすがは津也つやの子ってところか」

「奥方様をご存じで?」

 振り返ると、彼はまだ笑っている。

「直接喋ったことはねえ。だが、十年来、苦労させられてきた相手だ」

「……十年?」

「先代の檪から合わせたら、二十年だ」

「……先代?」

 首を傾げると、檪は反対に首を倒した。

「なんだ、おまえ何も知らされていないのか」

「この店のことをですか? 全く、ですよ」

 息を吐く。笑い声が立つ。

「まあ、知らなくてもいいことだからな。椿、あんたの役目は主と俺を繋ぐことだ。俺のまとめた話を持っていってくれりゃあ十分。全部を心得ているのは、主と俺と、柊のじいさんだけでいい」

「柏も知らないことがあるのですか?」

「もちろんさ。どこにどんな仲間がいるか知らされていない奴のほうが圧倒的に多い。全部を知っていると狙われもする。全員が必ず覚悟しておくのは、主のために働くってことだけさ」

 にやり、と笑いかけられて、口を尖らせる。

「私、その主が誰かを知らずにおりました」

「……さもあらん。津也に無駄に狙われることを恐れて、傍に人を寄せつけないまいとわざと奇行に出ていたからな」

 と言ってから檪は一度、口を真一文字に結んだ。

「あんたが来て、俺は嬉しかった。身動きを取れなくなってた主に渡りを付けられるようになったってのもあるが、何より…… 寂しがり屋の主が久々に傍に置いておきたいと思う人間ができたってな」

 そこから、じわりと口元が綻ぶ。

「あんたが命を狙われる羽目になるかもしれないのを覚悟で傍に置いているんだ。あんた自身もその覚悟でいろよ」

 今度は美緒が唇を噛みしめる番だった。

 ふわりと、触れ合った温もりを思い出す。胸の奥がぎゅうっと締め上げられる。

「命は大事にする、というお約束ですので」

 掠れた声で応じる。

「そうだ。絶対に死ぬなよ」

 檪がしっかりと頷く。

「当面の目標は、柵の外に出て来れること、だからな。そのつもりで俺は動いている。主にもそう言っておいてくれ」

「一番は小久保こくぼ文虎あやとらとして表に出てこれることでしょう?」

「そうでなかったら、俺らは解散さね。働く意味がねえ」

 大口を開けて笑う檪に、また肩を叩かれた。

「発破かけてといてくれよ。事態を収拾するためにと言って、国許から家老も出てくるって話だからな」

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