文化九年(1812年)

幸福な正月



 あの二日間の睡眠の後、篤胤はまるで憑かれたように執筆に取り組み続けた。布団にも入らず袴も脱がず、昼夜を問わず熱心に著述を続けていた。飲み食いもせず寝る間も惜しんで――という打ち込み方は江戸でも同様であったがこの度は気迫が全く違う事を弟子達も感じ取っていた。

 時折所用や挨拶があって離れを尋ねてくる者もいたが、無精髭と血走った眼で振り返り何を離してもうわのそらな篤胤の様子を見て長居する客はいなかった。まさに命を削りながら読書し、思考し、筆を走らせる日々が続いていた。

 年の瀬が迫ると駿河にも遅い雪が降り始めたが雨戸を閉めて籠り続けている篤胤はそれに気が付くこともなかった。津々と雪が降り続ける中、篤胤が寝起する離れからは一刻も灯が消える事もなく……年が暮れていった。


 年が明け、文化九年(1812年)元旦。

 大晦日の晩からまた降り始めた雪はわずかながら積もり、柴崎邸の庭も雪化粧に覆われていた。そしてその白い庭に正月の晴れ着を纏った平田門人達が集まって来ていた。

「後藤殿。伏木殿。あけましておめでとうございます。平田先生は今も執筆に勤しまれているのでしょうか」

 新年の挨拶ついでに新庄がそう尋ねると、江戸から従ってきた門人達は困ったように首を傾げ「分からないのですよ。仕上げに差し掛かってからは補佐が必要ないという事で我々も邪魔をしないように控えておりましたので」と答えた。

 それを聞いた柴崎はウウムと唸る。

「結局十二月はほとんど不眠不休で〝真実の古史〟に取り組まれていたわけか。我が師ながら信じ難い精力を見せておられる。女中の話だと、握り飯や果物を運ぶたびに草稿が増えていたそうだ」

「一体いつまでお取り組みになるのだろうな。とうとう年が明けてしまったよ」

「江戸にもなんとか連絡しようと思ったが、雪が酷くて手紙が箱根で止まってしまったそうだ」

 門弟達が輪になって話し込んでいるところで、新庄は大きく咳払いをして割り込む。

「諸君、話はあとだ。とまかくまずは平田先生に新年の挨拶に行くぞ」


 門弟達は連れ立って篤胤の居る離れを尋ねたが、いざ師と対面すると皆あっと声をあげた。てっきりまた無精髭の薄汚れた身形で出てくるかと思いきや、篤胤は髭も月代も綺麗に剃り、服装も正月にふさわしい礼装に着替えた上で皆を出迎えたのである。

「諸君。あけましておめでとう」

 篤胤は文机の近くに座ると門弟達を見渡し、正月の挨拶を述べる。そうして満面の笑みを浮かべながら、さらにこう続ける。

「――ああ、そうだ。執筆はようやく終わりましたよ。大晦日の夜というべきか元旦というべきか。とにかく日が昇る前に完成する事ができたのです」

 そう言うと篤胤は文机の上に乗せられていた三つの紙束を示して見せた。その量に目を丸くした弟子達は「これらすべてが草稿ですか?」と尋ねると、篤胤は頷いた。

「一つは私が神典古典の類いから正しい部分のみを抜き出して復元した真実の古史です。ただ古史と呼んでも良いがそれでは要らぬ誤解を生むやも知れぬので『古史成文』と名付けました。もう一つは古史成文の選定の理由と解説を加えた『古史徴』です。これが一番長大かも知れぬ」

 篤胤は嬉しそうに笑みをたたえながら、自らの書いた草稿に説明を加えていく。よく見れば身綺麗に整えてこそいるが頬はこけ目の下にはクマが浮いて紫色になっている。

「そしてもう一冊……つい先ほどやっと書きあがったのがこれです。これは『霊能真柱たまのみはしら』と名付ける事にしました」

「たまの……」「みはしら?」

「これは古学の者、いいや日本の人達みなに読んでもらい心の大黒柱にして欲しい書です。この書は太陽、地球、月の成り立ちを解き明かし、日本国の成り立ちを明らかにし、そしてたまの行方を論じてみたものなのですよ」

「星々の成り立ちと、我が日本の成り立ち。更には死後の世界までを同時に論じるのですか?!」

「左様。この世の成り立ちを知れば自然と己自身の行く末も解る……こうして得た揺るぎのない事実と確信こそが世のあらゆる小賢事よりなお堅い、人が強く生きる為の柱になる。ゆえに私はこの書を霊能真柱と名付けた。まだ覚え書きのようなものだが、これは私の考えの真髄かも知れない。一番の愛着を感じています」

 篤胤はいつの間にか門人達から目を逸らし、天窓の辺りをぼんやりと見つめながら話している。

「実は、私は此度の執筆に入る前に神々に祈ったのです。私の念願が神の意志に叶うならばどうか年内に全てを書き上げさせてくだされ……と。如何にしてこんな短期間に全てを纏められたのか自分でも分からないが、こうして全てが形になった。……これは神が私に力を貸してくれたのではないでしょうか。いよいよ我が神の道を世に明らしめる時分が来たという事なのかも知れない」

 〝奇跡〟をこわごわと語る篤胤よりも門弟達の興奮の方がただならぬものがあった。彼らは代わる代わるに師の書いた草稿を回し読み口々に喜びの声をあげていた。

 実直者の新庄などは目に涙を浮かべながら「この駿河には〝駿河に蕾める花はやがて大江戸おえどに咲き揃う〟という諺があります。先生の書はまさにこの駿河から江戸、そして日本中に広まっていくでしょう」などと称賛している。

 門弟達の様子を見ていると、それまで却って実感をおぼえずにいた篤胤の胸にも湯のように熱い喜びが遅まきながら溢れ出てき始めていた。

 その後、柴崎は女中に銘じて篤胤を含めた全員に正月の祝酒を振舞った。普段は酒を呑まない篤胤もこの日ばかりは口を付けていた。

 一同は晴れやかに酒を酌み交わしながら篤胤の草稿を本にする計画を語り合った。

 印刷は昨年自費出版をしたツテを頼り、資金面は門弟や有志による入銀方式を作る手筈が進んでいるという事で、順調にいけば近いうちに古史成文、古史徴、霊能真柱のいずれも大々的に刊行して多くの人々の手に渡らせる算段が整っているという事だった。

 その事を教えられると篤胤はますます嬉しそうな様子になり、機嫌の良い調子でこんな事を言いだした。

「日本中の人に真実を説ける時分がついに来た。こんなにうれしい事は他にありません。……そうだ、ここらで歌を詠んでみせましょうか」

 そう言うと篤胤は酔いの回った赤ら顔をしたまま紙を取り、しばし考えながら筆を走らせる。歌文の道を「むだごと」と読んでまるで関心を示さない彼が進んで歌を詠むのは非常に珍しい事であった。

 やがて歌をひねり出したのか、篤胤は得意げになってそれを読み上げ始めた。


「まずは一句。真木柱、太き心をちわへむと、そそる心は鎮めかねつも」

「続けて一句。おおけなく、世の人草にちわむかも、吾がつき立つる霊能真柱たまのみはしら

「最後に一句。青海原、潮の八百重の八十国やそぐにに、つぎて弘めよこの正道を」


 いずれも直線的で無骨で飾り気のない、優雅とは無縁の、言ってみれば篤胤の人柄そのもののような歌であった。

 歌を聞かされた門弟達が反応に困ったような苦笑いを浮かべているのを察した篤胤は「ダメか。やはりヘタクソだ」と言い、赤ら顔のまま大笑いして見せた。

 門弟達と共にカラカラと笑いながら、篤胤は久方ぶりの満ち足りたような心地に酔い痴れるように浸り続けていた。



 この日こそが後世にいう平田国学の中心的著作の外殻が見事に完成した日であり、思想家・平田篤胤を彩る虚実綯交ぜの伝記の中の神話的時間が結実した日である。

 もっと有り体に言えば、大きな夢の一歩を踏み締めた男の幸福な正月であった。

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