平田篤胤評伝

毀誉相半


 後世のちのよに曰く。



〝……篤胤はその狂信的な情熱の力で多くの弟子を獲得し、日本は万国の本である、日本の神話の神が宇宙の主宰神であるというような信仰をひろめて行った。この篤胤の性行にも、思想内容にも、きわめて濃厚に変質者を思わせるものがあるが、変質者である事は狂信を伝播するにはかえって都合が良かったであろう。やがてこの狂信的国枠主義も勤王運動に結びつき、幕府倒壊の一つの力となったのではあるが、しかしそれは狂信であったがために、非常に大きい害悪の根として残ったのである。〟

   ――和辻哲郎『日本倫理思想史』(昭和二十七年)――



〝……平田は非常な努力家であり、従ってまた博覧強記であったが、彼は生前から「山師」といわれた如く、人格下劣な大山師であった。この大山師のインチキな思想によって、維新の功臣達が指導せられたことは、正に日本国民の大なるワザワイであった。明治政府が百年のヨワイを保ち得ずして崩壊した根本的原因は、ココにあるものと私は考えている。〟

   ――瀧川政次郎『日本歴史解禁』(昭和二十五年)――



〝……篤胤先生といふ人は、果たして世間の人が見ているやうに、始終貧乏たれた風をして、水洟を垂らしながら偏屈なことを言って、怒りっぽく、まづい物ばかり食べて 暮らしていた人、何か恐ろしい浪人をば感ずるやうな人、さういふ風に篤胤先生を受け入れていいかどうか、其れだけは私は違ふと思ひます。どうも篤胤先生の学問はもつと広い気風を感ずる、何か非常に大きい、広い掌を以て、学問の徒弟をば愛撫しているやうな感じがします。 〟

   ――折口信夫『平田国学の伝統』(講演・昭和十八年)――



〝……少しく偏狭な説かも知れぬが僕は平田一派の神道学者、それから徳川末期の神学者、これらの人の事業のうちで一番大きいのはむしろ幽冥の事を研究した点にあるだろうと思ふ。(中略)ことに平田などの幽冥論といふものは理論といふよりもむしろ精を出して感得したといふやうな意味がある。すなわち日本の神道に関する昔からの伝説、書物をことごとく眼を通して仕舞つてから更に自分の心の中から出したといふやうな意見で、よほど面白い。これは僕が感ずるばかりでなく誰も同じと見えて、思いのほかその点に関する信者がある。〟

   ――柳田國男『幽冥談』(明治三十八年)――



〝平田大角(篤胤の号)なるものは奇男子にござ候。……その怪妄浮誕には困り申し候え共、気概には感服つかまつり候。……三大考を元にいたし附会の説をまじめにわきまうるは呆れ申し候らえども、神道を天下に明らかにせんと欲し、今もつて日夜独学、著述の稿は千巻にこえ候。気根、凡人にはござなく候。さりながら奇僻の見はもはや堅牢として破るべからず候。うらむべし。〟

   ――藤田東湖(平田篤胤と同時代の国学者)による書簡――



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