修行1 超四次元への第一歩である



「ぶっちゃけー、超四次元八卦掌って名前自体はテキトーに決めたんだよね~」

「はぁ!? ってうああぁぁぁああぁぁあぁ――――ッ!!?」

 突如、弔羊寺元寧ちょうようじもとねがどえらい暴露をかましてくる。

 それに面食らったせいで集中力を切らした仲井掌子なかいしょうこが激流に流されていくのは当然の結末と言えた。

 一方で椎踏乙女しいぶみおとめは何食わぬ無表情を保持し修行を続けている。

 石畳に描かれた足運びをなぞりながら、円の中心にいる元寧が消防ホースから放つ超高圧水流を受ける。その際、胸に貼られた半紙に記された『ちょーよじげん』の字がわずかでも滲めばやり直し。

 改めて修行の滅茶苦茶さに辟易する。まさかこれすらも『テキトーな思いつき』ではなかろうなと、半ば不安にかられながら掌子は新たな半紙を胸に貼った。

「元寧の苗字、〝弔羊寺ちょうようじ〟じゃん? 要はダジャレ系」

「え、じゃあ別に四次元を超えるわけじゃないんすか!?」

「そのへんはー、モノの捉えようって感じぃ」

 いち早く課題をこなした乙女と、携帯片手にヘラヘラした元寧が見守るなか、掌子の修行が再開される。

 套路としての形はそのままに胸の半紙を守り、放水を避け、受け流す。これほどの無茶を当然のようにやれと命じる元寧も元寧なら、なんだかんだでやれてしまう掌子も掌子である。

 とはいえ本質的な内容は走圏の反復練習。要するに基礎中の基礎にやたら高いハードルを付随しているだけに過ぎない。そして今のところ超四次元らしい要素はゼロだ。

 元寧の門下に入ってから早二ヶ月が経とうとしている。いくら志文直々の推薦にしても、そろそろ訝しく思えてくる頃合いだ。

「師匠ぉー、さすがにこの辺りは復習するまでもないんすけどー?」

「ソレ元寧の真似~? 真似なら稽古量5倍に増やすんですけどぉー?」

「いや全然そんなことないっすすんません」

「大体いまだってロボ子ちゃんに遅れを取ったわけだしぃ、基礎をナメてる割りに気ぃ抜きすぎっていうかー? ナカショーちょっとイキってる系~?」

「ぐぬぬ……」

 バレない程度に皮肉を交えてボヤこうものなら、元寧は十倍にして返してくる。そういった目敏さだけは何度も身をもって痛感させられているのだが。ちなみにナカショーとは掌子のあだ名らしい。

 なにより掌子にとっては乙女と比較して評されるのが面白くない。よりによって憧れの人の偽物が妹弟子になるなど、ましてそれが自分よりも着実に修行をこなしているなど、愉快であるはずがない。

 一連の会話を全く気にも留めていなさそうな乙女の無表情もまた掌子の神経を逆撫でる。

「でもこのメカ公、データとして套路を記録してるだけじゃないんすかー? 形だけ真似てんなら、そりゃ性能次第で基礎くらいは100点でしょうよ!」

「だとしたらぁ、100点出せないナカショーがダメってことじゃ~ん」

「そりゃまあ……そうっすけど」

 口ごもる掌子。相も変わらず無関心な乙女。ふたりを交互に一瞥し、元寧のため息が一拍。

 手元の携帯へ視線を戻しながら、元寧はすこし呆れたように切り出した。

「……ふーん。ま、モチベ上がんないならぁ、さっそく応用編というかぁ、次のステップのちょっと体験版的な~? そーゆーのに行ってもいいけどぉ?」

「マジっすか! やらせて下さい! やったー! やるぞー!」




 十数分後。

 元寧に案内されるまま辿り着いたのは直径五〇メートルほどの小さな湖だった。

 寒々しいまでに閑寂とした淀みなき水面。鱗雲を写す鏡の中心には小島が浮かび、そこに唯一本だけ立つ枝垂れ柳がことさら寂の趣を際立たせる。

 それなりに良い景観ではあるが、別段、奇異なものは見当たらない。

 ――強いて挙げるならば。

 枝垂れ柳の緑陰に欧風のテーブルと椅子が配され、その上にことくらいか。

「課題はたった一つ、ちょーシンプルって感じ。あそこの紅茶飲むだけ~」

「はい?」

 耳を疑うような言葉に思わず掌子が振り向いた。

 縮地こそ修めてはいないものの、湖を渡るくらいは造作もない。大雑把な目測だが半径にして約二五メートル、学校の水泳プールとほぼ同等。この距離なら難なくひとっ跳びだ。

 まさかこの程度の力量すら疑うのではあるまい――――じろりと睨みつける掌子の視線をしかし元寧は鼻を鳴らして一蹴。さしたる感慨もなく、いいから早くやれとでも言いたげ。

「あんまり舐めてもらっちゃ、それこそモチベが下がるってもんっすよ!」

 ならばと、元寧のほうを向いたまま肩を竦めたポーズで後向きに跳躍、これ見よがしに余裕を誇示する。

 直線を描いて滑空してゆく掌子。その雄姿は小島まであと半分ほどを残したところで消えた。

 突如として水面から顔を出した巨大な魚にぱくりと咥えられてしまったのだ。全長五メートルを優に超える巨大魚はそのまま掌子を放り投げ、もといた湖畔へと強制送還する。

「うわあああぁぁぁああぁぁ!!?? さかな!!! でかいさかな!!?? 食われた!!!? 未確認生物!?!?」

 べしっ、と叩きつけられ騒ぎだす掌子。それに対する元寧の反応もやはり携帯片手の生返事であった。

「湖のヌシって感じ~? 縄張り意識強い系~?」

「ヌシとかじゃないっすよねアレ!!? 未確認生物ですよねアレ!! あれを倒せってことっすか!!?」

「やっつけちゃダメっしょ。湖の大事なヌシだしぃー……」

 言いながら、声だけを残して元寧の姿が消え失せる。見ると既に小島で椅子にもたれ紅茶を啜っているではないか。

 掌子は自身の動体視力にはそれなりの自信を持っている。だが元寧があの場所に至るまでの。瞬間移動としか形容のしようがない。

「えええ⁉ ワープって無茶っすよ!!?」

 縋るように大声で向こう岸に訴えるも、元寧は携帯に傾注してるせいかリアクションの一つも見せない。聴こえない距離ではないはずなので、つまり泣き言は聞かない、または辿り着くまで文句は受け付けない、といった意だろうか。

 ならばと腰を低くし、足に力を溜めて本意気の構えを取る。再び湖を越えようと跳ぶが、やはり途中で巨大魚に捕捉され、元いた湖畔へ送還。力押しでは越えられないようだ。そして捕らわれるたびに道着が魚臭いぬめりを宿していくのがとにかく気持ち悪かった。

「うぅえー‼ 最悪! いやだ―‼ こんなのぉ‼!

 掌子が喚く傍ら、乙女は一部始終をひたすら押し黙って静観していた。掌子のことも露骨につまらなそうな目で観察している。

 ただでさえ不機嫌な掌子がそれに突っかからない理由がない。

「……何みてんだよ。お前も見てないでやれよなー」

「私ニ弔羊寺元寧ノ弟子ニナッタ認識ハナイ。アクマデマスターガ私ノ暫定管理権ヲ彼女ニ移譲シタタメ随伴シテイルマデ」

「随伴できてないじゃん。ほらあっち。現マスターがあっちいるってほら」

「…………」

 どことなく乙女がむっとしたように見えたのは気のせいだろうか。再度の沈黙にも違った意味合いがあるように感じられた。

 すっと構える乙女。脚部・腰部のパーツを開きスラスターを露出させる。回転数が上がるほどに空気は蜃気楼で歪み、獣の遠吠えに似たエンジン音が高くなる。

「あっ、ずるい!」

 爆風を解き放ち満を持してのテイクオフ。初速に全出力を懸けた乙女の速度は湖畔を発った時点ですでにF1カーの最高速に匹敵する。元寧の瞬間移動じみた芸当には及ばずとも、自然界の動物では到底反応しようもない速度だ。――が、これも呆気なく巨大魚に捕らえられ、投げ帰された。そもそも尋常な自然動物ではないのだから然もあらん。

「だははははははは、失敗、して、やんの、ほ、ふふふほほははは‼ っひー、っひー、ひーっひゃひゃひゃひゃ‼」

 魚臭いぬめりの洗礼を受けて戻ってきた乙女を掌子はちょっとどうかというくらいの爆笑で迎える。先を越されずに済んだ安心感も拍車をかけているのだろうが、それにしてもやや露骨な大袈裟さ。対照的に乙女はすまし顔のままに拳をわなわなと震わせている。彼女なりに苛立っているのは明白だ。

 すべからくして発生した緊急タスクが倫理審議をスキップ、各駆動系へ即座に伝達され、掌子の背中を勢いよく蹴飛ばす。平たく言えば衝動的な八つ当たりであった。吹き飛ばされた掌子はみたび巨大魚に咥えられ当然のように送還。今度はこちらも憤っていた。

「死ぬかと思ったあぁ!! ってオイ!!! 何すんだよこのポンコツ!」

「動機開示、課題達成ノ手助ケ。コレハ善意デアル。ヨッテ感謝ト賛辞ノ言葉ヲ待機スル」

「はぁあああ⁉ 頭の回路ぶっ壊れてんじゃないのお前!!」

「サンプル未満ノ駄人間ニ提案。モシカシテ:頭ノ回路ガ破損シテイルノハ貴女デハ?」

「かァァァァァァァァっ!!!! ムカつくぅぅぅぅぅ!!! 偽物のくせに生意気なーッ!!!」

 思わず掌子が繰り出した拳を乙女が適格にブロック。続く手刀、掌底、関節技もことごとくすり抜ける。むきになった掌子の攻め手も乙女の受け手も徐々にテンポを速くしていく。修行そっちのけに湖畔で高速格闘戦が始まったのは最早語るべくもなく、しかして決着の時は存外あっという間に訪れた。巨大魚が尾ひれで大量の水を巻き上げ、 喧嘩両成敗とばかりにふたりの頭に叩きつけたのだ。

 全身のぬめりが落ちる代わりに余す所なくずぶ濡れとなり、二人は同時に戦意喪失した。

「ちょ~、何してんのマジバカじゃーん?」

 いつの間にやら湖畔に戻ってきていた元寧は二人の頭へ順にげんこつを落とした。双方とも反射的に回避するが否応なく命中。目で追えない。これを避けきれるなら小島へ辿り着くのも容易なはずなのだが。

「とりま元寧はお出かけする系だからぁ、くれぐれも仲良く的な~? 帰ってくるまでに二人とも出来てなかったら……逆立ち腕立て5億回は覚悟だしぃ」

 さらっと恐ろしい言葉を残してまたもや元寧が姿を消す。ここまで三回は正視しているはずなのに、やはり瞬間移動としか考えられない有様だった。さっぱり原理が読めない。

 裏を返せば『三回も見せつけた』とも言える。修行の攻略はあの移動法を体得する以外にないという示唆だろう。

「はあ。ムカつくけど、協力して解明しろってわけかぁ……。メカ公。いまの瞬間移動、動画とか撮ってない?」

「映像記録上デハ1フレームモ痕跡ガ見当タラナイ。解析不能」

「だよなー……」




 掌子と乙女が嫌々ながら話し合った結果、まずは元寧の言動を振り返るという方針に落ち着いた。きっかけとなった発言は乙女が一字一句漏らさず記録しており、キーワードの選出も早かった。曰く、『応用編』『次のステップ』とのこと。

「ツマリ基礎訓練ノ延長線上ニアル手段ト推測サレル」

「いやいや、さっきまでやってたのってただの套路じゃん」

 あらゆる技と技をシームレスに繋げ千変万化の攻め手を展開する。そんな八卦掌の、最もベタにわかりやすい歩法の一訓練だ。そこに『胸の半紙を守るため常に高圧水流を回避する』という無茶苦茶な条件を付随した、言ってしまえばそれだけでしかない。

 境鴻のどうかしている面々に比べて膂力にさほど自信がない掌子は、元より回転で力を受け流し増幅する技法を主としており、套路にそれを合流させることもそう難しくなかった。要は指定された動作の中で遠心力を発揮するタイミングの問題なのだから。

 しかし今回はなにもかもが違う。小島へ行くことが目的であり、元寧の瞬間移動を体得するのが条件だ。

「愚痴ナド不要、共通項ダケヲ述ベロ」

「命令すんな!」

 口では反発しつつも思考を進める。

 第一の修行と今回との共通項といえば、石畳に描かれた足運び、小島を囲む湖、いずれも円のシチュエーションである事くらいしか思い当たらない。進行方向からして既に違うが。

「あーもうわかんねっ! とりあえず同じ事やってみるしかない!」

 いくら考察せども答えに繋がらないので、せめて共通項に従う。すなわち湖畔の円周で歩法を反復練習するのだ。本来の走圏よりも遥かに遠大な円だが、そこは適当に合わせるしかない。

 行動を始めた掌子に一歩遅れて乙女も追随する。

 一歩ずつ重心移動に気を払いつつ、放水による妨害を思い出す。冷たい感触が肌に蘇り、目蓋に投影して受け流す。

 半周する頃にだんだんと下らなく思えてきて、一周したら自分が滑稽になってくる。もし傍から誰かが観察していたなら、きっと謎のダンスに興じる変人にしか見えないだろう。

 邪念を振り払い二周目。笑いが止まらなくなる七周目。笑いも枯れて鬱になってくる二十周目。心が壊れかけているのを自覚する百周目。

 やがて陽も傾き、辺りが暗くなり始め、二百周を超えたころ。掌子は完全なる無心・無思考になっていた。延々と同じ動作を繰り返すだけの機械となり果て、なおも馬鹿正直かつ丁寧に一つ一つの動作をこなす。とはいえ体力は底を着こうとしている。

 ふと、力の軸がぶれて想像上の水流を過剰に避けてしまった。己の身体が自分自身に受け流され宙を舞い、然る後に湖へ落ちる。

 そろそろ限界か――と思ったその瞬間、掌子の身体は巨大魚に掴まれ再び投げ飛ばされた。

 砂利道に叩きつけられた掌子は縋るように周囲を見回す。乙女の姿がない。後ろから付いてきてると思っていたのに。たった一人でいったい何をやっているのだか。

「くっそー……逃げるとか卑怯だぞメカ公ぅ!」

「「「不当ナ言イガカリヲ検知。仲井掌子ノ人格的評価ヲ1ランクダウン」」」

 どこからともなくすかさず返ってきた乙女の声は、湖畔に木霊し何重にも重なって聴こえた。

 言いがかりも何も姿を眩ましているのは事実だろう。そう反論しようとして居所を目で探り、そして――――小島の奥の対岸に見つけた。

「あれ……周回遅れ?」

 自問しつつも答えは自明だった。第一の修行を掌子よりも先にクリアした乙女が、疲労と無縁のアンドロイドが遅れるはずがない。

 であるならば現状をどう説明するか。我知らずと考える他にないだろう。慌てて飛び起き直前の動作を思い出す。

 存在しない水流を過剰に避ける。自分自身を受け流す。その感覚だ。

 思い出す限り再現した掌子は、次の瞬間、己でも知覚できぬうちに乙女の目の前に辿り着いていた。

「……できてるかも。できてるかもぉ!!?」

「説明ヲ要求スル」

「いや、説明ったって……」

 再度同じ動作を再現し小島を挟んで対岸に、繰り返してまた乙女の目の前に、直線上の五〇メートルを行き来する。掌子は完全にコツを掴んでいた。

「そっか、同じ……同じなんだ! やってる事は避けるものを置き換えただけじゃん!」

「…………ナル、ホド」

 我々が立つこの大地は一個の途方もなく巨大な球体であり、それは常に自転し続けている。回転速度は赤道直下の場合、時速にして約一七〇〇キロ。赤道から遠く離れた日本であっても優に音を越えるスピードだ。仮にひとりの人間がこの回転から取り残されたとしたら、我々の眼には一秒ほどで四〇〇メートル近く移動したように映る。

 すなわち瞬間移動のように思われた移動法の正体は、ということなのだ。それさえ可能になれば、向きの調整も受け流す力の指向性次第で如何様にも変えられる。西へ進むなら自転から取り残されて、東へ進むなら自転をばねにして。北と南へはそれらの軸をずらして。

 弔羊寺元寧は地球そのものを走圏として己が術理を展開する足掛かりにする。これを名付けて『星圏』と云う。

「無茶苦茶だ! 無茶苦茶だけど、ものにでき…………ぐえっ!」

 調子に乗った掌子が続けざまに星圏を試し、小島へ到達すると同時に木に激突する。頭を強打してその場に昏倒したようだが、遠目にも大事はなさそうに見えた。ぎりぎりで停止しきれてはいたのだろう。

 湖畔に佇む乙女は困惑していた。

 彼女の思考能力では解き明かせなかった、卓袱台返しにも等しい前提からして法外に過ぎる真相を、誰より侮っていた仲井掌子が突破した。正確無比で確実なアンドロイドが為し得ず、誰より曖昧で不確実な人間が為し得た。

 その意味はいくら計算しても割り出せない。だが不思議と乙女は、自身への失望以上に人間・仲井掌子への興味深さを覚えていた。

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乙女よ拳を語れ 空国慄 @aero_coffin

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