第11話 UFOである(後)
「いやまぁ、そりゃ健忘というやつでしょうがねぇ。しかし、料理が不味すぎてとは……」
壮年の医者が検査結果を眺めながらしみじみと呆れかえる。それはそうだ。東原とてそんな間抜けな理由の記憶喪失など聞いたことがない。
何か手立てはないかと問う東原に、医者は肩を竦めて返す。
「原因が原因なので放っておけばすぐに良くなると思いますが……」
「そんな呑気にしていられないんです! UFOが降ってきたんですよ⁉」
「UFO……UFO?」
「地球侵略なんて事になったら大留さんの力がないと困ります!」
何を言ってるんだこいつはと言わんばかりの顔で、窓を開き境鴻高校のほうを確認する医師。そして目に飛び込んできた光景に絶句する。
しばらくして咳払いと共に向き直った医師は、平静を保とうと無理するあまり手が震えていた。
志文は暇を持て余し、椅子の上で足をぶらぶらさせている。
「催眠療法、それか印象的な出来事、シチュエーションを再現するなど、まぁ手立てがないわけではないですが……」
催眠療法はなんだか志文には効果がなさそうな気がする。気がするだけだが。
一方、印象的なシチュエーションというのであれば、それこそ境鴻高校に勝るものなどそうはないはず。
ふたたび頭を抱えだす東原の顔を、他人事のように構えていた志文までもが不安げに覗いてくる。
いけない、今は自分だけが志文を支える立場なのだ。誰よりも弱音を吐いてはならない筈だ。東原は自分を戒めた。
「……あ。ありました! 私と大留さんで、印象的な場所!」
ふいにごく最近の、しかし強烈な出来事に思い当たる。そして居ても立ってもいられず志文の手を取り病院を飛び出した。
夏休み、ほんの数十分の事件。だけど今まででいちばん志文が心を開いてくれたあの時。
すでに修学旅行中の買い物のために雀の涙となった小遣いから、慌てて二人分の乗車賃を叩き出す。
然る後に到着した電車へと駆け込み、いざ思い出の地に向かう。
「この電車、どこに向かってるの?」
「七駅先の墓地です」
一方そのころ、境鴻高校では灰色全身タイツの少女への質疑応答が再開されていた。
「改めて自己紹介しますキポ。キポの名前は↑:.*~[/]☆……地球人の身体構造では発声できないので便宜上キポでいいですキポ。クリフォード星系・惑星ティッサムから来ましたキポ」
「自分の名前が口癖たァ~なんだか変なヤツだぜ」
「ぬはははははは! やはり宇宙人なのだな!!」
「キポの母星ではこういう文法で敬意を表しますキポ」
「初対面で敬意を示してくる宇宙人とか怪しすぎるニャ」
寅丸の素朴な一言に誰もが頷く。
数多くのフィクションで題材とされてきた宇宙人とのファーストコンタクトにおいて、〝敬意〟を強調してくる相手はたいてい陰謀を企てていると相場が決まっている。
「人間同士の信頼関係を利用したりするのですか?」
「街の人を狂暴化させたりするニャ?」
「ちゃぶ台! ちゃぶ台であるな! 準備するぞぅ!!」
「えぇー……宇宙人のイメージ偏りすぎキポ……」
こほん、と咳払いをして場を仕切り直そうとする、いやに人間臭い所作を見せるキポ。
「キポが地球を訪れた理由は侵略なんかじゃないですキポ。ともかくお騒がせして申し訳ないですキポ」
「じゃァ一体なんのためだってんだよ~ッ」
「時間がないので端的に説明しますキポ。それは……」
ようやくキポが本題に入った――その直後だった。ズンと骨に響く震動を伴って、新たな墜落物が境鴻高校の校舎にとどめを刺したのは。
「あいつから逃げてきましたキポ……」
なんとはた迷惑な。誰もがそう思わずにいられなかった。キポの背後でうねる禍々しいシルエットを目にしてしまっては。
一言で形容するならば、鉄紺の肉塊。そこから伸びる虎の如きしなやかな手足は、暴力の概念が形を得た化身。あるいは純粋なる害意の集積。
「…………逃げろってんだッ!! 闘えない奴ッ! 今すぐによォォーッ!!!」
最初に声をあげたのは獅王嶽だった。
立ち向かいうるものは続け。瞬時の判断の下、そう言外に募ったのだ。
大半の生徒は校門側へと一目散に走りだし、教師陣は誘導し、場に残ったのは十余名ほど。
獅王・流々コンビは無論のこと、寅丸・大鳳ら属するA組の面々を筆頭に運動部、甲斐薫倫。
役者は揃っている。が、それでも不安は拭えなかった。
鉄紺の宇宙生物が重々しい拳をぬらりと振り上げる。そのまま振り下ろされると思われた鉄槌は、しかし突如として消えた。――――いや違う。
いち早くハンドサインを示した獅王に従って後退する面々。気付けば拳はすでに地面へ深々とめり込んでいる。
捉えどころのない本体に腕ごと拳を取り込み、別の箇所から新たに生やしたのだ。拳を振るいさえせずに、地面を穿ってみせたというのだ。
「ただ暴れるだけの肉団子ってわけじゃァ~……」
「なさそうなのです……」
校内でも五指に入るとされる獅王と流々ですら冷や汗を禁じ得ない。
おそらくこれは大留志文が対処に乗り出す部類の事態だ。
いや、過去に境鴻高校で遭遇したどの事態をも超えている。そう本能が訴える。
「……いいぜ、腕試しには不足ねェなーッ!!」
ならばこそ、意地で本能を捻じ伏せねばならない。獅王嶽はそういう女である。
雄たけびを上げて突撃する彼女の背中を追って、仲間たちもそれぞれに動き出す。
こんな時にこそ大留志文が健在なら、と誰もが考える。そしてすぐに無い物ねだりと省みる。だからこそ、腕に覚えありの彼女らは意地を通さなければ気が済まない。
「地球人、野蛮キポ……?」
その様を蚊帳の外で見ていたキポはむしろ生徒たちに慄いていた。
境鴻よりもたらされた情報は地元県警から警察庁、内閣を経由し、やがてその行方は限られた者を除いて誰も与り知らぬものとなる。
提供された動画と近隣の防犯カメラをモニタリング、照合。検証を踏まえた上で、幻の機関は最高レベルの脅威評価を下した。
内装を黒檀で統一された吹き抜けの司令室。壁に埋め込まれたスクリーンには中継映像が出力されており、それに向き合う形で配置されたデスクでは十余名のオペレーターが対処に追われている。
そして最上段の座席から司令室全体を見渡す初老の宮司。室内の全員が和装している中で、彼だけが唯一漆黒の袍を纏っている。
「遂にこの時が来たかぁ……。守護職首位はどうした。見当たらんけど」
「大留、襲来の数十分前から現地を離れており、現在連絡不能です」
「使者を送っておこうか。春日山……あぁ、それと二千条は?」
「既に通達済みです。が、現着まで時間がかかるかと」
スクリーンを無数の情報が駆け巡る。地理解析、リアルタイム3D出力、避難状況、怪生物の戦力の考察。
その頂点には比較対象として、古めかしい絵巻物の拡大画像が表示されている。
「となれば、いまは御隠居しか頼れん。呼び出しをかけろ」
「しかし直接干渉を避けるという誓約では……」
「構わん。猫の手だろうと関節だろうと今は借りねばなるまいよ。あぁ……嫌だねェ」
オペレーターは「御意」とのみ返し、再び自身のディスプレイに向き直る。連絡先には『
収穫を終えた後の乾いた田園を撫でてゆく風は、すでに冬の芳香を微かに孕んでいる。
あぜ道にも、その先の林道にも、もはや虫の音は聴こえない。いまは静寂こそがこの山の生態系の長だった。
「ちょっと冷えますね……」言って自身のカーディガンを志文の肩にかける東原。が、当の志文は怪訝そうな顔だ。
「お姉さん、変な人なのね」
「? 何かおかしかったですか」
「だって、私なんかに気を遣ったって、無意味なのに」
無意味、とは一体。むしろ彼女の言葉こそ奇妙に思うのだが、東原が返事するよりも先に、志文は目的地へ向けて駆け足になっていた。
辿り着きたるは小さな墓地。並び立つ墓石はいずれも枯葉を被っている。
「思い出せませんか? 一緒にお参りしたんですけど……」
「お墓参り……誰の?」
素朴に問いかける志文。彼女の視線は東原に導かれるまま『名無老師之墓』と刻まれた墓を発見する。
「えっ……そんな…………?」
志文が墓の前にへたり込む。予感はしていたが、師匠を亡くした記憶すら無いとは。これで少なくとも10年分以上の時間が失われた事は確定となる。
「夏にここで、未来人と遭遇したり、千体くらいのロボットをやっつけたりしていたじゃないですか!」
「み、未来人……ロボット……えええ?」
東原のほうが荒唐無稽なことを言っているように聞こえるだろうが、これで一切嘘などないのだから仕方がない。
それにしても記憶を思い出しそうな気配がさっぱりないのはどうしたことか。志文は老師の墓を
暫くして、志文の狼狽える声が聞こえなくなる。
いけない。ショックを与えるばかりで彼女の精神状態を斟酌することを考えていなかった――。
「ああ……」
東原が顔を見上げると、志文の背中は凍り付いている。が、視線は老師の墓から大きく外れていた。
見つめるのは更に先。墓地の最奥に立つ、他と比べても各段に小さな石碑。夏に訪れた時には気付く由もなかった、仮に見つけていたとしても気にかける事もなかったであろう、添えられた程度のオブジェクト。
「あのお墓がどうかしましたか……?」
「そう、だった……」
東原の問いにもうわごとのみが返されるばかり。
歩み寄り志文の視線に合わせてみる。
手入れこそされているらしいものの、そもそもの造りが粗削りなためか刻まれた名は長年の雨風を受けてひどく掠れている。決して新しくはない。
一歩、また一歩。近付くほどに、目を凝らし字の輪郭を確かめてゆく。
十歩ほど進んだ時点で、東原もようやくその文字列を読解した。
大留志文之墓
その意味は理解など到底できるものでなかった。
今まさに東原の背後にいるその人の名が、偶然の同姓同名などでは片付けようもない地に刻まれている。
どういうことだ。大留志文が、数ヶ月前の夏休みの時点で、それどころか東原たちが境鴻に入学するよりも以前から、とっくに死人だったとでも。そんな馬鹿げた話があるものか。
いま背後にいる少女は誰だ。大留志文に相違ないだろう。これまで共に過ごしてきた時間という何よりの確信がある。
ならば、この墓の下に眠る者は誰だ。
身震いを隠しながらも、東原は答えを欲することを止められず、恐る恐る振り返った。
「これって――――」
それから先の言葉は気道に停滞し続かなかった。
数秒ぶりに見咎める少女の面貌にあどけなさは既にない。何もないとさえいえる。
感情を一つずつ取り捨てた果てに残る最低限の構成要素。デスマスクのように共感の余地がない。そんな深淵が東原聡未を見つめている。
息が詰まり、見合って、双方とも微動だにできずにいた。
しばらくして、木枯らしを蹴散らすように足音が迫ってくる。これは幻聴か、死神の葬列か。今にもめまいで倒れそうな東原には正常な分別がつかず、結果はどちらも間違いであった。
「首位。非常事態につき、参陣を求めます」
神社の宮司と見られる成人男性数名が志文を取り囲み跪く。対する志文は何らリアクションするでもなく、誘導されるまま来た道を戻り始める。
茫然自失の東原を無視して、足音はあっという間に遠く去っていた。
「むむむ……全然攻め切れないニャーッ!」
あの手練れの境鴻生徒たちが次々と飛び掛かっては容易くいなされ、弾き飛ばされる。中には重傷を負う者も出ている。当然のことながら士気の低下は免れなかった。
予想以上の手腕を発揮する獅王嶽に対する期待と信頼は厚い。が、その上でなお差が埋められないとなれば誰であれ気も重くなる。敗色が濃い。
宇宙生物の動きは変幻かつ複雑で、一切の予備動作なく進路転換するくらいは当然のようにやってのける。それに表情などあったものじゃないから、おそらく思考そのものは単純なのだろうが、とにかく次の手が読めない。
一時後退してきた流々は苛立ちを隠せないようで、珍しく声を荒げてキポに悪態をつく。
「決定打に欠けるのです! 何か手立てはないのですか⁉ この疫病神!」
「神……地球文化における崇拝対象、創造主、または超常的なイメージを総称する言葉ですキポね。その知識も
「ふざけてると対物ライフル撃ち込むけど、いいかな?」
「わ、悪かったですキポ……」
後方支援に徹していた薫倫がそっと銃口を向ける。どうやらこちらも本気で苛立っているらしい。
「にしても、その弱腰でこれほどの相手によく逃げ回っていられたもんだよ……呆れるどころか感心する」
「まさか地球にコレを押し付けて自分はさっさと逃げ出すつもりなのですか」
「いや~宇宙船を修理する暇があるならとっくにやってますキポ。そんな余裕もないキポけどね~キッポッポッポ」
「流石にムカついてきたニャ。若干のキャラ被りが一番ムカつくニャ」
腰の痛みが引いてから本調子を取り戻したのだろうか、不遜とも適当とも単に馬鹿ともつかぬキポの態度に拍車がかかっている。なにより彼女自身が元凶であるという事実が余計に周囲の不興を買った。
境鴻高校始まって以来の、それどころか地球の危機ですらあるというのに。
いっそキポをロケットか何かに括り付け、宇宙生物を引き付ける囮にして大気圏外まで送り返して差し上げるという案も出る始末。ロケットの調達こそ困難だが、方向性としては悪くない落としどころである。いよいよ採用か。
「金箔に包んでギラギラさせとくといいのです。あの肉団子から見失われる心配もないのです」
「宇宙は絶対零度だからそのうち考えるのをやめるニャ」
「ちょ、ちょっと待ってデブリにされるのだけは勘弁キポごめんキポほんとやめてキポ」
「だったら代案を考える! 一分後に射殺! ハイ! 五九! 五八!」
カウント毎に薫倫のライフルが発砲し銃弾は宇宙生物を捉える。だがしなやかな皮膚に受け流され、呆気なく後方に逸れてゆく。そんな中でとりあえずカウントが尽きる最後の弾だけは命中することが確定している。キポに。
「仕方ないキポ。腰を治してもらった恩も、成り行きとはいえ保護して貰ってる恩も返しますキポ! ……いや、むしろこの状況は捕虜以下ではないキポ?」
「どう見ても保護してるのです! 戦えも考えもせずにウダウダしてる宇宙人を!! みな身を挺して!! よく考えたらなんでこんなのを守らなきゃならないのです!」
「あいや、一応戦えますキポ」
「「「えっ」」」
前提をひっくり返す言葉に水を打ったように静まる一同。宇宙生物までもが首を傾げている……ように見えなくもない。
はっと気を取り直した前線組が再び構えると、呼応して宇宙生物も縦横無尽の大暴れを再開する。
「またテキトーこいてるニャ?」
「いえいえ、一度は戦って追い払ってますキポ」
「じゃあさっさと戦いなよ⁉」
「ことはそう簡単じゃないですキポ。あれは今から八十九時間前のことキポ…………」
「回想⁉ 今⁉」
八十九時間前。
ワープ航行終了を告げるアナウンスを受けてクローン培養カプセルを出、ほどなく前個体からの記憶引継ぎを完了したキポは操縦席に腰を落とす。
故郷を遠く離れて数千光年。もはや何処とも知れぬ宇宙の片隅で、気休めに発信した救難信号が誰かに拾われる筈もない。
事の始まりは惑星ティッサムを突如として襲った宇宙生物群による大殺戮だった。わずか半年と経たず総人口の七割を喪った彼らは、母星を捨て、存在するかも定かでない外宇宙の知的文明に亡命することを選んだ。
散り散りに星を発った同胞のうちどれほどが今なお生存しているだろう。そんなことも今となっては確かめようもなく、無限に広がる宇宙空間とちっぽけな船内へ交互に視線を送っては泣きそうになる。
深い悲壮に暮れるキポは、直後、オートパイロットの指示にない船の急激な進路転換によって壁に叩きつけられる。
モニターには船外に張り付く宇宙生物の姿。まさか母星を発った時点から、ワープ航行中もずっと取りつかれたままだったというのか。もしくは運悪くワープした先で遭遇してしまったか、いずれにせよ考察する暇などない。
あわてて宇宙服を着込み、システムの警告を無視してキャビンへ。隔壁を開くと、宇宙生物が外壁を殴り貫きながら伝って侵入してきた。
『出し惜しみはしないキポ……!』
宇宙生物は侵入してきたものの、何やら錯乱したように手足を振り回すばかりでこちらを知覚すらしていない。
隔壁にタイマーを入力しセット。時間は十秒。
猛烈な勢いで流出する空気の流れに耐えながら、キポが構えを取る。背筋を反り、右手と軸足を引き、左手と利き足を前へ。ビリヤードのフォームにやや似ている。
全身のコズミック勁力が十字の線に結ばれ、縦の線はしなりを以って前方向へ働く力を引き留め高める。やがてキポの形態はヒト型を逸脱して長弓のようになる。もう一人の自分が背後に立ち射手となる姿を、そして拳を矢としてイメージする。
残り一秒。隔壁が閉まり始めたのを見計らい、風に乗って拳を打ち出す。
『これが――!』
キポの修める拳、唯一の技。最初の一打に全てを託し、自滅を覚悟のうえで放つ二打目なき拳。流派・技名いずれもメテオアーツ。ただそれのみ。
背に受ける気圧の助けも加わった凄まじき一撃は、しかし寸前で宇宙生物に察知され回避行動に移られたため、真中心に命中とはならなかった。
それでも威力に不足はない。吹き飛ばされた生物を宇宙空間へ放り出し、キポは完璧なタイミングで隔壁の内側に受け身を取った。だというのにキポの身体はひどく痛んでいる。限界を超える力を一点集中で放つため、出し終えた直後の腰には極度のダメージが襲う。いかなる健康体であろうとギックリ腰を避けられない。
息も絶え絶えに操縦席へ戻るキポ。レーダーには早くも追随を再開している宇宙生物の反応が表示されている。そしてそれとは対照的に、知的文明を期待できるハビタブルゾーンの存在も。
宇宙生物を仕留め損なった挙句こちらは戦闘不能。あの惑星へ逃げ込むより他ない。
速度を全開にして座席に背を預ける。船体のダメージもあってどこまで持つかわからない。
遠のく意識の中で、モニターに映し出された青い星の拡大画像にキポは母星の姿を重ねた。
「……というよーなことがありましてキポ」
「想像以上に重いバックボーンだね⁉」
つい先ほどまでこの銀色無能少女を宇宙に送り返そうかと真面目に議論していたことを恥じ入らざるを得なくなる告白だった。これには一同、思わず目を逸らす。
当のキポはさして気にしてもいない様子だ。
「ここからは仮説ですキポ……あの宇宙生物は、どういうわけか音に強く反応している節がありますキポ」
宇宙空間から飛来した生物だというのに、音を索敵の基準にしている。それ自体は矛盾した推察に思えるが、しかし既にして実証はされている。場の全員が静まれば攻撃の手を止めたし、キポの話が本当なら、宇宙船のキャビンでは流出する空気が巻き起こす強風で聴覚を妨害されていたと考えられる。
検証する一同の脳裏に光明が差した。流々は即座に作戦を立案。携帯を介して獅王に、そして仲間たちに伝達する。
いままさに死闘が繰り広げられている境鴻の校庭から約百メートル。ひとけの失せた通りに立つ街灯。その頂上に座して様子を窺う者の姿があった。
京都にいたはずの弔羊寺元寧である。某機関より連絡を受けてからものの数分で現地へ到着していたのだ。
彼女の眼差しは先日と一転して鋭く冷たい。そこに一切の侮りも楽観も、ましておどける気配もない。ひたすらに傍観する目だ。しかし一縷の望みに懸けるような切実ささえも混在している。
誰も彼女の真意など知り得ない。
「――さて。志文は来るのか、来ないのか」
最初にアクションを起こしたのは司令塔たる獅王だった。これまで統率を維持するため敢えて前線から距離を取っていたが、それは学内随一の剛力を誇る彼女を切り札の一つとして温存する意図もあった。すなわち今こそが勝負の決めどころ。
合図をうけ後退した前線部隊と入れ替わるように飛び込み、地面に拳を強く打ち込む。そうして発生させた地割れは宇宙生物の足場をくり抜き、五メートルほどは隆起させる。さしもの宇宙生物もバランスを崩したか、足を引っ込ませ球体状になり転がりはじめる。獅王嶽と宇宙生物の間に大地の滑り台が完成した。
「次ィッッ!!」
すかさず飛び出すは甲斐薫倫と大鳳魅朱。薫倫がピンを抜き放った手榴弾を大鳳の式紙に預け、連続して宇宙生物のほうへ送り出す。その数、二十。
「頼んだぞぉう!」
続いて馮河流々が両手に扇を携え、ひらりと回転してみせる。そこへ街中の風という風が集まり始め、やがて巨大な竜巻を形成する。
先ほどの手榴弾で滑り台から弾き出された宇宙生物はもはや物理法則の奴隷。爆炎を巻き込みファイヤーストームと化した竜巻に攫われ、体表を焼かれながら天高く舞い上がる。
「とどめ、任せるのです!」
こうなれば宇宙生物といえども放り投げられたボールと同じ。仲間たちからパスを受け取ったのは、再びのメテオアーツによって弓形態となったキポ、そして彼女を手に構える寅丸代那。
竜巻が発する風音によって宇宙生物の聴覚は利かず、手足で掴むもののない空中では回避も不可。王手だ。
「これが境鴻の底力だニャ――ッ!!」
「あと宇宙人キポ」
寅丸の膂力を加えられ更なる推進力を得たキポが撃ち放たれる。その様はまさしく流星であった。ライフル弾の優に倍はあろう速度で駆け上る軌道はあっという間に宇宙生物の真中心を捉え、貫通する。
場に居合わせる誰もあの宇宙生物の生態を知らない。人間でいう心臓のような急所が内部にあるのかさえ判らない。だが止めを刺したという実感は全員が確かに受け取った。
球体のまま動かなくなった宇宙生物が地面に落ち、次いで降ってくるギックリ腰に涙目のキポを獅王がキャッチする。
「い゛……い゛た゛い゛キ゛ホ゛ォ゛」
「やった……やったぜッ! 宇宙人ッ! 間違いなくッッ!!」
「大丈夫ニャー?」
相変わらずなキポの泣き言を耳にした途端、戦線に参加していた生徒たちは揃って歓喜の声を上げる。彼女の無事によってようやく完全な作戦成功を認められたのだ。そして死線を共に潜り抜けたという事実をもって、だれもが憎まれ口の宇宙人を受け入れるべき友として疑わなくなっていた。
かつてない危機、経験の埒外な事態。それを大留志文に頼らず乗り切ったのだという誇らしさも彼らを更に興奮させた。
すかさず寅丸が整体チョップでキポの腰を治療する。「ン゛キ゛ホ゛ォ゛ウ゛⁉」と声を漏らして悶絶し始めたが、しばらくすれば元通りだろう。
なので、皆気にせずキポを胴上げする。もはや祭りだ。高く放り上げられ、落ちたかと思えば無数の手に受け止められ、再度放り上げられる。そのたびに若干苦しそうにしていたが、そのへんはそもそもの元凶なんだから我慢してくれと全員が内心で思った。正直半分くらいは八つ当たりだった。
「まさかこんなに上手くいくとは思わなかったのです……」
「ぬはははははは! また境鴻の伝説が一ページ増えたのだな! ところで苦しそうなのでやめてあげてはどうだろう!」
「いいのさ! 彼女もほら、楽しそう! だろ! きっと」
戻ってきた避難生徒たちも合流し、いよいよプロ野球の優勝チームも斯くやのどんちゃん騒ぎが始まろうとしていた。その時。
「っ……待つのです!」
いち早く勘付いた流々の険しい声音が一瞬にして弛緩した空気を凍り付かせる。受け手がなくなったキポは地面にぶつかった。
見ると、既に死骸になったと思われていた宇宙生物が微細に震え、穿たれた空洞から肉の泡のようなものを湧かせているではないか。
人間の流血とは聊か以上に意味合いが異なりそうな光景。その一抹の不安は残酷にも的中する。
球体から零れた肉の泡はしだいに本体を呑み込むほど大きく膨れ上がり、巨大な肉塊を構築していく。まるで殻を割った卵から無尽蔵に黄身が溢れだすかのようだ。やがて肉塊は分裂して細長い手足を形作り、より凶悪な一個の怪物となる。とても生物とは呼称したくない様相だった。
「まさか第二形態ってやつ、かい……」
「ぬ、は……は……」
もう誰も号令をかけない。言葉を発せない。対応するしないという思考以前に、目の前のあまりにおぞましい存在に、戦意がぽっきりと折られてしまったのだ。
脳裏に浮かんだ言葉は『勝てない』ではない。『途方もないものと相対してしまった』『これから自分たちは終わる』というどうしようもない事実の度重なる反芻。
ゆらりと肉塊の腕が持ち上げられる。あれを振り下ろし横薙ぎに払うだけで境鴻高校は全滅する。逃げねば死ぬ。だというのに一人として足が動かせない。
「こんなの、はじめからアタシらじゃ……」
振り下ろされ、無慈悲に迫る死の具現。正視しきれず思わず目を瞑る。
だが彼らの命が潰える瞬間は訪れなかった。一刹那にして肉塊の腕が木っ端微塵に散ったからだ。
何者かが音もなく飛び入り、脅威を退けたのだ。
「大留……?」
誰もがその名を思い出す。が、目に飛び込んできた光景は予想に反するものだった。
真昼の月よりも澄んだ白の羽織。そこだけ夜が訪れたように錯覚すらさせる深い漆黒の袴。手には三尺を超える大振りな日本刀。ゆらめく玲瓏な黒の長髪から覗かせる醇美の横顔。
なるほど大留志文に近しい存在感をたたえてはいるが、しかし全くの未知なる女性だ。
軽やかに着地した彼女はいつの間にか大太刀をすでに納刀している。そして鯉口が鳴らされると同時に、肉塊の本体までもが塵芥となり果てていた。
おそらく腕を切り刻んだ直後から着地までの間に斬り捨てたのだろう。一人としてその斬撃を視認することはできなかったが。
誰もが唖然として身動ぎできずにいる中、女性は振り返り告げた。
「教員、
「え?」
なおも硬直する一同。なんとか一音発せたのは状況に乗り遅れたキポだけであった。
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