第11話 UFOである(前)



 調理実習。

 来たるべきその日に、東原聡未ひがしばらさとみは考えつく限り万全の備えを以て臨んだ。


 レシピ本はインクの滴が何粒あるか記憶する程くまなく目を通し、向こう一月はその一品だけで生活できる程の試作を重ね、調理器具は鏡と見紛う程に磨き上げた。

 脳内に組み上げられた一分の隙もない完璧な構想。これを順当に再現していけば、間違いなく美味なカレーライスに仕上がる。


 ……といったこだわりは建前で。

 なによりも大留志文おおとめしふみと共同作業で作り上げた料理、すなわち子供とほぼ同義のそれをふたりで囲む。そしたらあら不思議、修学旅行以降続くここ数日の気まずさもいつの間にやら四散・霧散・大団円。それどころか親密度も急上昇! という腹積もりだった。




 ――――そのはずだった。

 ただ一点、共同作業というほんの一握りの不確定要素。可能性を当然のように排除していたところから誤算は生じた。


「な、何してるんですか大留さん……」

「オリーブをたっぷり入れると何でも美味しいのでしょう。知っているわ」

「何でもってことは……だああぁっ!?」

「こういう料理には意外に合うと聞いているわ。間違いないわね」

「納豆は違いますね。明らかに違いますね!」

「豆板醤とチョコを加えてメリハリをつける。完璧よ、ええ」

「何に対するメリハリなんでしょう」

「隠し味にこの……よくわからないものを入れるのもお茶目ではないかしら」

「あぁぁぁぁぁ――っ!!??」


 なぜか志文は柄にもなくハイテンションになっている。そして悪意なき凶行を繰り広げていく。

 雑多なものが雑把な分量で粗雑にぶち込まれていく様にもはや期待の余地はなく、悪夢と評する他にない。次第に鍋からは異様な色の煙が立ち上りはじめ、部屋内のクラスメイトたちの粘膜を刺激しはじめる。

 「痛い!甘い!痛い!」「ごほっ!! がはっっ!!?」「鼻の感覚が消えていく」

 調理実習の場にあるまじき悲鳴と怒号が飛び交う中で、その異形そうさくりょうりは誕生した。


 志文のことを何一つ欠点すらない完璧超人なのだと信じて疑わなかった東原にも責任の一端はあるかもしれない。

 考えてみれば自明であった。修学旅行からずっとギクシャクした関係を引きずっているということは、彼女もまた東原と同様に冷静でなかったのだ。


 そして、料理したからには食さなければならない。いかに後悔しようともこの最大最後の悲劇だけは不可避。

 ほぼ亡者と化したクラスメイトたちの調理が終わり、皆一様に痙攣まじりで座席につく。東原もしれっと装着していたガスマスクを外し、志文と対に座る。

 当の志文は直前になって我に返ったらしく、真顔に滝のような冷や汗という貴重な表情を晒していた。


「ごめんなさい。私としたことが、どうかしていたわ……」

「大留さん。食べ物は粗末にしちゃ、いけませんよ」

「…………はい」


 東原の無慈悲な忠告があの人類最強の女子高生・大留志文を萎縮させる。

 いざ、実食。

  虹色の光を放つ物体を掬い、恐る恐る口へ運ぶ。途端、志文の動きが静止し顔は見る見るうちに青くなっていく。然る後に痙攣を起こし床へ倒れ込む。

 それとほぼ同時であったろうか。

 ――――強烈な揺れに襲われ、一瞬だけ東原が椅子から浮いたのは。




 突如の地震を受けて校庭に避難した末に目にしたものを、誰もが信じられずにいた。

 信じられようものか。

 直径は十メートルほど。銀色の巨大な円盤。どこからどう見てもUFOそのものである。


「今さら大抵のことでは驚けないと思っていたのですが」

「こいつは〝想定外〟すぎるってヤツだよなァ~」


 獅王と馮河が、あんぐりと開いた口を手で支えながらなんとか呟く。その他生徒たちも大体同じ想いである。

 そこへA組の面々が志文の両手両足を抱えて運んでくるまで、そうかからなかった。


「だだだだ大事件であ――る!!」

「見りゃわかるけどよォ~………………ってオイ。そりゃ大留かッ!?」

「し、死んでるのですか……!?」

「生きてるニャ! たぶん!」


 搬送の心得など微塵も知らない大鳳ら四人に四肢を任せ、だらしなくブラブラと揺れる人物。あれこそは境鴻高校が誇る最強の女子高生、のはず。

 右腕担当の東原は今にも泣き出しそうな顔だ。


「大留さんがノリノリで酷い……食べて…………えっ!!! UFOですかあれは!!!」

「お、落ち着くのです東原聡未。まず目の前のソレなのです」


 ふたりを二重三重のパニックが襲い、見守る他の生徒たちの間でも憶測と又聞きの連鎖が広がっていく。もはやどちらに驚けばいいのか分からず、UFOと志文の交互に視線を送っては右往左往。

 この混迷極まる状況のなかでは誰も気付けはしない。いつの間にか志文がひっそりと目蓋を開いていたことに。

 そして次に発した言葉が、ヒステリックな騒乱を一瞬のうちに鎮めることも想像し得なかった。


「……ここ、どこ? お姉さんたち、だれ?」


「「「………………」」」

 全員の時が止まった。空風が虚しく吹きスカートを揺らした。誰一人ぴくりとも動けず、外れた顎も直せない。

 そんな中ただ一人、素知らぬ顔の少女が覚束ない足取りで群衆の中心へと躍り出る。

 銀色の全身タイツらしき装いに身を包み、額からは角とも触覚とも知れぬ一対の突起を生やしている。腰を痛めているのか、やや屈み気味の姿勢だ。


「キポポポポポポ? キポポ。ビボボボボ……」


 時間の静止がしばらく延長された。

 少女は額の突起をしばらく回転させた後、身体のどこからか「チーン」と音を発してふたたび口を開く。


「救急車呼んでくださいキポ」





 十分後。

 顎は各々でなんとかはめ直し、何度か深呼吸を繰り返し、未だ混乱甚だしいながらも一同は落ち着きを取り戻した。

 それからすぐに銀色の少女と志文を囲んでの質問会が始まる。


「改めて問うのです。流々たちのことを覚えてないのですか」

「……うん。みんな、私の友達なの?」

「まァ、そーなる」

「この銀色のひとも?」

「いや、そいつは知らねーッ」

「腰痛いキポ」

「名前は憶えてるかニャ?」

「大留、志文……だけど」

「あの、救急車キポ……」


 質疑応答の結果、どうやら志文の記憶喪失は部分的なものらしいこと。推定で十年分ほどの記憶が飛んでいるらしいこと。そして銀色の少女は腰が痛いらしいことが分かった。

 念のため境鴻での出来事を思い出せないか一つずつ確かめたものの、すべて徒労に終わった。銀色の訴えも徒労に終わった。

 こうなると武闘派どもの手には余る。すなわち医者に頼るほかない。


「そ、それなら私が付き添います! 私にも……一応、責任はありますので」


 東原の挙手に注目が集まる。

 そもそもは志文が勝手に暴走して自爆しただけの問題ではあるのだが、止められなかった事に気が咎めないでもない。

 所在なさげな志文の手を取り正面から見つめる。もしかすると、こうして目と目を合わせたのは初めてだったか。

「ひとまず、早退ということにしましょう! 善は急げです!」

「いいけど……お姉さん目がちょっと怖い」

「えっ、そ、そんな~! はは、はははは」


 だいぶ前のめりな東原と対照的に志文はやや引き気味である。おそらく彼女は彼女で冷静でないのだが、かと言って仲間たちからしても異論のない提案ではあった。問題はまだ他にも山積している。

 教員たちのほうへと去っていく二人の背中を見送り、一同は改めて銀色の少女に向き直った。


「さて。次はこっちなのです」

「一緒に病院行きたいキポ……」

「うむ、放置しておいて何だがちょっと可哀想であるな!」

 いよいようずくまりだした銀色を見かね、流々が腰にそっと触れる。〝視る〟ことにかけてはこの場の誰よりも秀でている彼女の出番だ。

 身体の構造を〝流れ〟からざっと把握してゆき、患部の本来あるべき形をイメージ。現状とのギャップを比較し、診断を下す。


「ギックリ腰なのです」


 最初に目にした時からある程度の見当はついていたのだが、まあ案の定というやつか。


「ほれニャ」

「ギポォォッッ!!!?」


 間髪容れず寅丸のチョップが炸裂する。何かがぬるっと移動し噛み合うような音。あまりに躊躇がなさすぎて皆ぎょっとしたが、当の寅丸の顔は成功を確信してニヤついている。

 銀色は恐る恐る立ち上がり、腰を回したり軽く屈伸したりして、徐々に顔を明るくしていく。

「治ったキポ!」

「マジかよ……」

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