~ 第3話 目覚め




俺たちが飛び立ったのとほぼ同じ頃、一通のメールが届いていた。

それに気づくのはずっと後のこと――。




* * * *




なんだろう、この気持ち。何か大切なものを忘れてきたような感覚。

私、どこにいるの?

一樹いっきくん…?…どこ?私は、ここにいるよ…?



「一樹くん…」


私が眠りから覚めた最初の言葉が、彼の名前だったらしい。

それまでは何を言っても反応しなかった私が、唐突に口にした言葉。

きっとそれは、どこかに行ってしまう彼に、私が必死に呼びかけていた夢の名残なごりだったのかもしれない。

私に最初に気づいたおじいちゃんは、目に涙を浮かべていた。


「おじいちゃん…」

「よく、戻ったな。待っておれ。今、医者を」

「う、うん」


12年も眠っていた私。でもなぜか世界の状況はわかっていて、彼が今必死になって誰かを、何かをまもろうとしていることもわかっていた。

それでも私は彼の傍にいたいと願った。彼に傍にいてほしいと願った。

だから目を覚ましたのかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。

私の知らないことが、私に起きている。そのはずなのに、頭はやけにすっきりしていて、私がこれから何をすべきかもわかっていた。

それは同時に、もう私には時間が残されていないことを意味していた。

記憶をたどる。最後に鮮明に覚えているのは、あの日のこと。


柚姫ゆきちゃんが来たかったところって、ここ?」

「うん。ちょっと前にね、おウチのご本で見たんだけど、すっごく綺麗きれいだったから、見てみたいなって」

「綺麗、かなぁ。だってここ、まだお昼なのに真っ暗だし、あっちには変な棒が立ってるし…。なんか気持ち悪いよ」

「そう?でもなんだかキラキラしたものがいっぱいあって、そんなに暗くないよ」

「キラキラしたもの…?どこ?」

「あっ、ほら!一樹くん、見て見て!コレだよ、コレ!……あれ、一樹くん?」


あの頃の私は、彼の存在が強さとか自信とかに繋がっていた。

だから彼が突然いなくなって、一気に不安が襲いかかってくるのがわかった。

探して、探して。声をあげて、何度名前を呼んでも、一向に彼は現れない。

不安に飲み込まれ、私は大声でわんわん泣いていた。泣いたところで、こんなところになんて誰も来ず、一人でいることが悲しくて、怖くて、ただただ泣き叫んでいた。

ひとしきり泣いた後、私は、彼が変だと言っていた棒のすぐ近くで、彼を見つけた。

でも安堵感あんどかんと不安から解放されたことが相まって、私は彼の傍で眠ってしまった。

そして今、12年もの月日が経過して、私は目を覚ました。


「柚姫、医者はすぐ来るそうじゃ」

「うん。ねぇ、おじいちゃん」

「なんじゃ?」

「一樹くんは、空?」

「……見たのか?」

「見たっていうか、わかるの」

「そうか…。目覚めたばかりで悪いが、あの時のことを話してもらうぞ。なぜ言いつけを破った?」

「……本で見たの。おじいちゃんの部屋にあった古い本を偶然見つけて、その時に見たページの風景がすごく綺麗だったから」

「あれか…。見えたんだな?」

「う、うん。でもその写真で見たような鳥居とりいみたいなのはなかったけど」

「他には、何か覚えておらんか?」

「あの場所のこと?」

「そうじゃ」

「キラキラ、したもの。ホタルか何かかな。私の周りを飛んでいたような、そうでないような…。あ、でも!ホタルは水辺の近くにいるんだよね?だったら」

「柚姫。一坊いちぼうがいるところを教える。行ってきなさい」

「おじいちゃん、私…」

「お前に時間がないことは、わしもわかっとる。無理して冷静でいることはない。父さんたちにはわしから言っておく。だから今は、柚姫の心のままに生きなさい」


おじいちゃんはすべてお見通し。私に起こったことも、私に時間がないことも。それを問い詰める時間さえ惜しいと思う今、私は自分の心に問いかける。何をしたいか、と。

迷いはなかった。彼に会いたい。彼の声を聞きたい。彼に触れたい。

想えば想うほど、それは強くなり、身体も軽くなっていくような気がした。

家を飛び出し、おじいちゃんから聞いた彼の居場所へと私は足を向ける。途中、医者せんせいが目を丸くして私を見ていたけど、説明なんてしている暇はなかった。




* * * *




さっきまで眠っていたことが嘘のように、柚姫は軽快な足取りで、わしの元を離れていった。

柚姫が眠りについた時から、嫌な予感はしていた。同時に覚悟もしていた。…つもりだった。だがこのタイミングで目を覚ましたことが、すべてを物語っている。

時間がないのは柚姫一人のことではない。柚姫の目覚めはそれを意味している。

わかっていてもどうしようもできない。だがそれをどうにかするために、わしらは…。


わしは天を仰いだ。

あの小さな身体に運命を任せるしかない、何もできない自分を恨みながら。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Bound for Last Terminal 穂月 遊 @hozuki-yu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ